昭和 50 年 9 月 30 日国鉄首都特別扱承認雑誌第 3570 号昭 . 和引年 8 月日第三種郵便物認可 ( 毎月一回一日発行 ) 昭和 54 年 7 月一日発行 7 月号 / 第 49 号 PANZER SWEDISH S TANK ・ BATTLE OF KURSK ・ BRITISH ARMOURED CAR ・ 17th ANNIVERSARY OF 6th DIVISION JULY/ 1979 / No. 49 Strv. 103 戦車 クルスクの戦い 陸自第 6 師団の創立記念祭 大戦中のイギリス装甲車
たクャ 1 ナし イてまので れッ さラ ジ節 乍ト ム換た一調 ( 製輪ゴ交きゲを で 6 はにで川 ズ式で輪が 1 ッ ス四。上鉄とにレ イ九る路はこ他 に , あ , 上るの と車 , はでしルす軌う - 庫引年陣の属一引狭よる、 ( 一 ~ ( 牽道四牽た隊道を軋すて〔 ( み 道鉄 ( 道し部鉄輛広合っ - 鉄式年鉄に道 , 5 の適な - 式。 0 式ス鉄し車幅もに - 五か 0 和〇一に行貨ルにう絵〔塾第 ~ 九い一昭〇べ主走ン一れよ くま 一をでトレずる こ 大きな日の丸を車体に描いた九五式鉄道牽引車 どが研究開発された。 九五式装甲軌道車ソキ 昭和 16 年 , 東京ガス電気工業 KK で製作されたもので ある。 ソキ車の外形は九四式軽装甲車と似ているが , 軽装甲 車と異り固有の武装はなく , 乗員 6 名が各人の装備火器 を持つだけで , そのため 5 カ所に銃眼がついている。レ ール上はもちろん , 装甲自動車として不整地の走行も可 能であり , 特殊機構により , 狭軌 , 準広軌 , 広軌のいず れのレール幅にも合わせることができた。 装甲 4 ~ 8 mm, 最高速度 72 / h ( 軌道上 ) , 30 川 ( 路 上 ) , 行動距離 355 ( 軌道上 ) , 123 ( 路上 ) 。 試製装甲列車 昭和 7 年 ( 1932 年 ) に計画された 12 輛編成の重装甲列 車で , とくに武装と装甲を強化したもの。 10. 5c 加高射 砲 , 九六式 15 野戦榴弾砲各 1 門 , 一一年式 7.5c 加野戦 ) ・ ~ を第、 ' 高射砲 4 門などを装備し , 主に満州で使用された。 試製九四式装甲列車 四角い箱が走る小型装甲モーターカー 試作装甲列車の戦場テストの結果をもとに , 改良設計 ェンジンは DDIO 型ディーゼルを搭載した。 された重装甲列車で , 軸重を軽くし , 線路の状態の悪い 鉄道工作車 昭和 15 年 ( 1940 年 ) , 東京ガス電気工業川辷 崎製造所で , Z F10 型鉄道工作車とその応用 型の鉄道製材車 , および鉄道空気圧縮機車な どが開発されて , 鉄道部隊へ納入された。、 = 、 この車のタイプは不明だが , おそらく当時 工兵部隊の使用していた工作車 , 製材車 , 空 気圧縮車を , 鉄道用としてレール上を走れる ようにしたものと思われる。 その他 , 鉄道用の牽引車は , 昭和 15 年に九事 八式鉄道牽引車 ( 6 輪駆動車 ) , 17 年に前記っす の一〇〇式鉄道牽引車に加えて特殊一〇〇式 牽引車 , 一式鉄道牽引車 , 三式鉄道牽引車な ー 00 式鉄道牽引車。タイヤをつければトラックそっくリ 87
1 門だけあった 九 0 式 24 列車 砲。その最後は よくわかってい した ( フランス製 , 砲車が 100 トンもあり , 動力車と弾 「昭和 17 年 7 月 , 私の配属されたのは 24C 加列車砲中隊で 出され , 満州の虎頭地区後方の水克陣地に配備された。 ないといわれた秘密大要塞を背後から援護するために引 は永く富津射撃場におかれていたが , マジノ線にも劣ら が開始され , 数年ののちほぼ完成をみた。列車カノン砲 年 ( 1937 年 ) からソ満国境の虎頭山の地下永久要塞築造 北方のソ連軍に対する配備を固めるようになり , 昭和 12 関東軍によって満州の治安がよくなるにしたがって , 力によった。 架に対して後座し , その復座は 5 。の傾斜を持っ準梁の重 し , 砲身が後座すると同時に , これらを支える小架が大 薬車が付属 , 日本には 1 門しかなかったもの ) 。虎林線 で虎頭駅から約 1 時間の水克駅西方に陣地が完成しまし たので , 水克陣地に移り ( 列車砲の射程距離があまり長 いので後方にさがったのです ) , 遠くソ連領の攻撃目標 に対する射撃諸元により訓練を行いました」高知 , 吉良 好史氏の手紙 , 「北満永久要塞関東軍の最期」岡崎 哲夫著より重引 関東軍が誇った巨大な地下要塞も , 昭和 20 年 ( 1945 年 ) 8 月 10 日 , ソ連軍の迫撃砲弾に援護されながらジリジリ と攻めよった歩兵のため , ほとんどその威力を発揮せず 破壊されてしまった。 水克陣地の九〇式列車カノン砲も , ほぼ同様の攻撃を 強力な装甲に多数の銃眼 , 本格的な砲塔まである試製装甲列車 受けたか , またはソ連軍に捕 獲され , ソビエト領内に持ち 去られたと考えられる。 口径 240E , 砲身長 12 , 823 mn, 砲身重量 35 , 000 , 閉 鎖機様式螺式石線塞環 , 砲 架様式鉄道車輛式 , 駐退復 座機様式水圧・空気・分離 2 重後座式 , 後座長砲身 475 ・小架 1400 簡 , 放列砲車重 量 136 , 000 , 高低射界 50 ~ 0 。 , 方向射界 360 。 , 弾量 164 , 995 ん 9 , 初速 1050 川 / 秒 , 最大射程 50 , 120 襯 ( 了 ) 89
装甲無線軌道車 広大な大陸の鉄路を走る各装甲列車間の連絡や , 装甲 列車の先遣車として , 新たに開発された試制装甲無線軌 道車がある。 前後にライトを 3 コずつつけ , 上部に無線アンテナを 張り , 全体を 6 ~ 8 の装甲板でおおった亀の子型をし た車輛で , 主に満州で使用された。 列車砲 列車砲は , 鉄道車輛上に火砲を搭載して軌道上を運行 し , ずい時位置をかえながら射撃しようという火砲であ 第 1 次大戦は , 一地点で対抗する戦闘が長期にわたっ たので , 戦場の陣地は塹壕から堅固に構築したコンクリ ートの陣地となり , 全く要塞と化してしまった。これを 攻撃し , 破壊するには中 , 小口径の火砲ではとうてい間 タイヤを鉄輪に換え , レール上を走る一 00 式鉄道牽引車 に合わず , それまで各国が持っていた不用な地点の要塞 砲や旧式軍艦の大砲を , 鉄道車輛に搭載することにし 場所でも使用できるようになっているのが特長である。 3 種類ある火砲車の兵装が , 戦艦の背負式砲塔のように 0 段差をつけて装備され , 7.5c 加高射砲 2 門 , 10.5 高射 この考えは図にあたり , いままでかえりみられもしな 砲 2 門を搭載した。 かった旧式の火砲も , 大きな威力を発揮した。 蒸気機関車 わが国においても , 第 1 次大戦に使用された列車砲の 装甲列車の主力となった機関車については前にも述べ 威力に目をつけ , 研究しはじめたところ , フランスのシ たが , その他に使用された蒸気機関車は次のとおりであ ュナイダー社のカタログに新式の列車砲が発表されたの る。そのほとんどは「帰らざる機関車」となってしまっ で , 参考のため兵器特別研究費をあてて 1 門購入するこ とになった。そのころシュナイダー社の砲といえば世界 0 D50 型 , 9600 型 , C56 型 , C 12 型 , ミカロ型 , ソリサ ーであったところから , カタログだけで発注された。 型 , パシロ型 , デカイ型 , テホス型 , デカケ型 , サタフ 契約は大正 15 年 ( 1926 年 ) に行われ , 昭和 3 年 ( 1928 型 , テホカ型など。 年 ) 春に完成品が納入されたので , 陸軍は千葉県富津射 撃場に鉄道を引きこんで , そ こで射撃テストを行った。 テストは良好な成績をおさ めたので , わずか 1 門のみで あったが , 昭和 5 年 ( 1930 年 ) に九〇式 24C 加列車カノン砲と して制式採用となった。そし て列車砲の運搬と砲の操作電 源用に , 新たに電源車が製作 された。 列車カノン砲の射撃には , 線路の両側に砲架から支柱を はり出し , 特製の木の台でこ れを支えた。操砲は電力で行 われ , やや離れた電源車から ケーフ・ルによって電力を供給 した。砲は 2 重後座式を採用 スマートな無線装甲軌道車。前後のポールにはアンテナ線が張られている 88
パンツアーの戦車・装甲車の写真販売コーナー ご註文は下の写真のナンバーと枚数をはっきりお書 ーを開設 パンツアーでは , このたび写真販売コーナ きのうえ , 下記あてにお送り下さい。ご送金方法は現 しました。当社のストックにあるネガから焼いてお分 金書留・定額小為替・切手で結構ですが , 事故防止の けいたします。 ため , 書留によるご送金をおすすめします。 定価 1 枚 350 円 ( 送料込 ) ・キャビネ ( 7 ) 73 式装甲車 ( 8 ) 74 式戦車 ( 6 ) 60 式無反動砲 ( 11 ) M60A1 東京都文京区水道 1 ー 4 ー 16 プチメゾン 201 号サンデーアート社内パンツアー写真コーナー 〒 112 E 型突撃砲とあるのはⅢ号 D 型の誤りです。 デスク情報 ☆来月号はアメリカ陸軍の予定。 -- ー ☆全国に恐怖のウズを巻き起こしているロ裂け女は , つ 予約購読のお知らせ いに当社が居をかまえる文京区にも現われ , 近所の小学 校のそばで目撃されるにいたった。もっとも , この町 当社では PANZ ER の予約購読のご注文をお受 内にも研ナオ子クラスの女性が 2 , 3 人いるので , そのう けいたします。とくに地方の小売店ではなかなか入 ちの誰かが暗闇で間違えられたのではないかというのが 手困難なので , 毎月購読をご希望の方は本社あてに 真相らしいが , 小生も顔の作りは大きい方が好きなので 直接お中込み下さい。 6 カ月以上予約の方は当社で 夏の暑気ばらいにいちど会いたいものだと思っている。 送料を負担いたします。 ☆訂正一 3 月号の写真ページ , ソビエト地上軍の戦闘車 お中込みは 6 カ月の場合 3 , 600 円 , 1 年なら 7 , 200 輛のうち , A S U85 対戦車砲車は A S U57 。 5 月号のワ 円を同封のうえ , 何月号以降の予約かを明記して当 ルシャワ条約統一軍のカラーベージ ( 10P ) の写真説明 社「予約購読係」あてにお送り下さい。なお , ご送 で揚陸艦の名前が脱落していますが , これは , ポルノク 金は現金書留か定額小為替でお願いいたします。 ニイ級。またカラーベージの「海兵隊の M48A3 」の写 くあて先〉東京都文京区水道 1 ー 4 ー 16 真解説のうち , 最後のもので車体後部にエグゾースト・ プチメゾン 201 号〒 112 チューブをつけているとあるのは , L S T に搭載したと サンデーアート社内パンツアー予約購読係 きの車体固定具。 6 月号の P50 の図面のネームで , Ⅲ号 編集人 平田典比古 JULY 1979 / No. 49 発行人 平田信一郎 長茁印刷株式会社 印刷所 製版 株式会社小島清美堂 / くンツア 7 月号 ( 第 49 号 ) 発行 サンデーアート社 昭和 54 年 6 月 25 日印刷昭和 54 年 7 月 1 日発行 〒 112 東京都文京区水道 1 ー 4 ー 16 定価 600 円〒 45 円 ( 予約購読ー 6 カ月 / 3 , 600 円 , 1 カ年 / 7 , 2C0 円 ) プチメゾン 201 本誌に掲載している写真 , 図面の無断複写転載を禁じます phone 03 ー 815 ー 4473 ( 9 ) 61 式戦車 61 式戦車 ( 3 ) ( 2 ) M41 ( 1 ) M24 NZ 住盟
の前に近づいてくる。 はホッとする。日本軍は , 負傷したオーストラリア兵を トラックでノもくンの病院へ送ってやった。捕虜 1000 名 , オーストラリア兵は , 後方から白旗をかかげた豆戦車 がグングン飛ばしてくるのに気がついた。 トラックやカーデン・ロイド装甲車など合計 100 台とい 「変だな , 降伏する気か ? するとあれは日本軍か ? 」 う戦果である。その他 , 伊東支隊全体では戦死 67 名 , 負 ところがよく見ると白旗ではなく , 日ノ丸だ。 傷 56 名を出したが , 次表のような兵器を捕獲した。 「日本軍だ ! 戦闘配置につけ ! 」 カーデンロイド装甲車 ところがトラックから対戦車砲を外して砲口を向ける クルップ製装甲自動車 ヒマもないうちに , 九四式軽装甲車 5 輛はうまく敵兵の 15 カノン砲 ( 砲弾 287 発 ) 中に割りこんでしまう。もし機銃を射てば味方の兵士に 迫撃砲 ( 砲弾 8000 発 ) 死傷者が出ることはさけられない。 対戦車砲 「まだ射撃命令が出ないんですか ? 」 37E 高射機関砲 ( 砲弾 3282 発 ) 日本兵の方でも , 不服そうに隊長車から旗が上るのを 12.7 簡高射機関銃 待った。しかしこれがよかったのだ。九四式軽装甲車は 重機関銃 ( 銃弾 47 , 100 発 ) ビタリと敵のトラックに横づけした。先頭車の車長は機 小銃 ( 銃弾 379 , 760 発 ) 銃を向けて天蓋から首を出し , 拳銃 ( 銃弾 4400 発 ) 「降伏しろ ! 」と叫んだ。 その他 敵兵は日本語がわからないので , たがいに顔を見合わ 防衛庁戦史室資料より せている。手まねで降伏を呼びかけると , ふところに飛 びこまれた悲しさ , 彼らはついに両手を孤空にホールド 同時に , ポルトガル領ディリ市も陥落 , こに全チモ ・アップして叫んだ。 ール島は日本軍の手に帰したのである。 「ウイサレンダー ( 降伏する ) ! 」 なお , チモール島には , 翌 1943 年に戦車第 4 連隊が上 陸して島の警備につく。これは 1933 年 ( 昭和 8 年 ) に千 オーストラリア兵の顔に失望の色が浮かんだ。だが問 題は後方にいる別の兵士だった。レガット中佐は , 日本 葉で編成された部隊で , マニラ攻略戦 , ジャワ作戦のべ 軍将校の テランだったが , アメリカ軍が上陸しなかったので戦い 「あの連中も 10 時までに降伏しないと射っそ ! 」 を見ていない。 ( イラスト・牧英雄 ) の言葉にびつくりし , 部下の全将校を集めて , 23 日の 朝 9 時 , 付近の全連合軍に抵抗をやめるよう連絡をとっ た。九四式軽装甲車 5 輛のお手柄である。 やがて道の両側から日本の歩兵も追いついた。装甲車 7 輛 5 台 18 門 45 丁 756 丁 36 丁 103
ふ 3 ン , ・ たまたま , ドイツのクルップ社はスマートな装甲車を オーストラリアとジャワとの間の敵の補給を切断する必 セールスに出して , 金もうけをしようとしていた。装甲 要がある。 車は同社の 6 輪軽トラック Kfz. 81 の車体に装甲をかぶ これがチモール島だ。チモール島の奇襲占領こそ , 蘭 印作戦成功の鍵といえよう。東西に長いチモール島は小 せ , 砲塔をつけたものであり , 52 馬力のエンジンはトラ ックと同じものだった。角張ったドイツの 6 輪装甲車 スンダ列島の中では最大の島で , 面積 30.925 2 , つま り九州よりやや狭い島である。この島の東半分はポルト Kfz. 247 に , 丸味をつけたような格好である。 ガル領 , 西半分がオランダ領だ。 「買いましよう。たくさん購入します」 オランダはこの装甲車を貨物船に乗せてポルネオやジ けれどもオランダ軍の首脳部は , 「もし日本軍が攻めてきたら , 中立国のポルトガル兵は ャワ , スマトラなどあちこちに配備したのである。 きっと『どうそ ! 』と基地を差し出すに違いない。それ ならいっそのこと , 日本軍より先に , われわれが占領し 1940 年 4 月 , ドイツ軍が本国のオランダに侵入すると てしまおう ! 」と考えた。 同国はアッという間に降伏 , 女王はイギリスへ逃れる。 そこで , チモール島西部のク こうなると , オランダにとって東洋の諸島だけが残る唯 ーパンから , 1941 年 12 月 16 日一一真珠湾攻撃より 8 日後一一オランダ兵 400 名と ーの領土となった。しかしもうこのころ , 仏印のサイゴ オーストラリア兵 250 名がオランダの巡視船カノバスに ンにある日本陸軍の南方軍司令部 ( 威兵団 ) では , 総司 乗り , 海防艦スラバヤが護衛して出港した。船団は , 翌 令官寺内寿一 ( ひさいち ) 元帥が参謀たちの作ったオラ ンダ領東インド ( 「蘭印」と略す ) への侵攻作戦計画に 日ポルトガル領の首都ディリに無血上陸を敢行する。 「連合軍は侵略者ではないか ! 」 「許可」の印を押していたのである ! ポルトガル政府は厳重に抗議した。そこでイギリスは 目チモール島クーパン 「いや , 東アフリカからポルトガル兵が到着し , 侵入し ようとする日本兵を自力で防げるようになったら , 必ら 第 16 軍 ( 治兵団 ) 司令官 , 今村均中将は , 仏印 ( ベト ナム ) のカムラン湾で潮風に吹かれていた。彼の第 16 軍 ずわれわれは引きあげるから・・・・・・」 が蘭印作戦を担当するのだ。指揮下の第 38 師団 ( 沼兵 となだめたのである。だが兵力を移動したままでは , かんじんなクーパン港の防衛に穴があいてしまう。そこ 団 , 静岡の兵 ) は 1942 年 ( 昭和 17 年 ) 2 月 14 日 , スマト で応援としてオーストラリアの第 21 , 23 旅団がオースト ラへ上陸する。 ラリア北岸のダーウインから , 1941 年 12 月 21 日 , クー だが東南東のオーストラリアから , 兵員や軍需品が次 ンに到着した。 々と送られたら , 穴の開いたバケツに水を入れるような もので , 蘭印作戦はいつおわるのかキリがない。そこで カウポーイ ・ハットをかぶり , 入れずみをした彼らは , 99
, 第一いーを の辷ョ・第 ( 第を いすず製の九四式軽装甲車は , 1934 年 ( 昭和 9 て飛び散るから , 戦車の周 年 ) に採用された 2 人乗りの豆戦車である。 35 馬力の出 力は現在のバスの % にすぎない。キャタヒ。ラつきで , も 囲にいる協力の敵歩兵を追払うことはできる。 ともと牽引車として設計されたものだが , 荷車を引くだ 「距離 500 , 射て ! 」 たちまち敵戦車は「裸」になった。それでも先頭のカ けではもったいないので九七式 7.7mm 車載重機をつけ , 偵察用にも使用された。 ーデンロイド装甲車 2 輛は目の前に迫ってきた。 第 2 , 第 38 , 第 48 師団の 3 コ師団よりなる第 16 軍は , 「 3 台目は俺だそ ! 」 九四式軽装甲車 11 輛と , これを改良した九七式軽装甲車 4 人の水兵がパッと木陰から飛び出し , 三 0 年式銃剣 40 輛を持っていた。なにしろ両方とも , 偵察専門の九五 をつけた小銃を突き出す。この軽戦車は非常に車体が低 式軽戦車と同じ 40 / h のスビードが出るのだから重宝が く , 最前部にある操縦席はムキ出しだから , ものかげに られて , 完全装備の師団では九七式装甲車 2 コ中隊 ( 計 かくれて至近距離からパッと飛び出せば , 操縦士を銃剣 20 輛 ) にトラック乗車歩兵 2 コ中隊をつけ , もちろ で刺し殺すことができるのだ。だが , 3 台目はカーデン ん機械の整備中隊 1 コもっく これで捜索連隊を編成 ロイド装甲車ではなく , クルップ社の装甲自動車だった。 したものだった。 前の 2 輛がパラシュート兵に捕まったのをみるや , 装 なお伊東支隊とは別に , ポルトガル領ディリの飛行場 甲車は機銃を乱射し , 接近した日本兵 2 名を倒した。 占領には , 第 38 師団の第 228 連隊が 2 月 20 日に上陸し の 1 台に 1 コ小隊が寄ってたかって手榴弾を放る。装甲 車は U ターンして逃げ出した。 0 パラシュート兵はパパウ村の兵営を奇襲 , オーストラ 第 38 歩兵団司令部 , 伊東武夫少将 伊東支隊 リア兵を西へ敗走させる。将校 2 名 , 兵 3 名が捕虜とな 右翼 歩兵 1 コ中隊 った。第 1 次降下部隊は戦死 30 名余を出したが , いまク 九二式 7 曲射歩兵砲 1 コ小隊 ( 1 門 ) ーパン飛行場はすぐ目の前に迫ってきた。 中央 歩兵 1 コ大隊 九四式 37E 対戦車砲 1 コ中隊 S 伊東支隊の九四式軽装甲車 7.5 山砲 1 コ小隊 他方 , 海路クーパンの町へ向ったのは陸軍の伊東支隊 左翼 歩兵 1 コ大隊 だった。部隊は第 38 師団 ( 沼兵団 , 静岡の兵 ) の歩兵団 九四式 37E 対戦車砲 1 コ小隊 長 , 伊東武夫少将が指揮する兵力であり , 4 隻の高速貨 7. 5c 加山砲 1 コ中隊 物船に分乗 , アンポン島を 2 月 17 日に出港していた。船 九四式軽装甲車 1 コ中隊 ( 11 輛 ) 団は島の西方から南岸へ接近して , 2 月 20 日の早朝に上 砲兵隊 7.5 山砲 1 コ大隊 ( 2 コ中隊欠 ) 陸を開始する。編成は右の表のとおりであった。 101
ル装備のストライカー装甲車を装備 年以来 , 川崎重工などの協力を得て ル , ティッセン・ヘンシェル社は A T v 1 装甲輪送車 996 台を 3 億 5 千 することになった。 開発を進めてきた重 MAT を , 「 79 ストライカーを最初に受領するの 9 百万ドル受注しているのが主なも 式対舟艇対戦車誘導弾」と命名して は , 第 32 誘導兵器連隊の第 171 中隊 ので , これらは 1979 ~ 1985 年のあい 制式化することを決めた。 だに引渡されることになっている。 で , バルフォードに駐屯する。ロイ このミサイルは , 三菱重工が主契 アル・アーテイラリーは , 第 2 次大 ◆韓国軍の国産戦場ミサイルは 約者となって開発した 69 式空対空ミ 戦前から 1977 年ごろまで , 対戦車任 ナイキ対空ミサイルの改造型か サイル以来 10 年ぶりの純国産品で , 韓国が去年公表した , 、純洋国産 務を王国戦車部隊に移管していたが 本年度は 5 セットが購入されてまず の大型戦場ミサイルは , 実はアメリ 2 年前から再び対戦車任務を分担す 教育用にあてられる。 カ軍から供与されたナイキ・ ることになったもの。 ーキ 防衛庁の 53 年中期業務見積り ( 昭 ュリーズ対空ミサイルを対地用に改 和 55 ~ 59 年度 ) では , 30 セットの配 造したものだといわれる。 備が想定されていて , 55 年度から正 これは , ソウルで開かれた韓国軍 式配備の見とおしである。 の創立 30 周年パレードにはじめて公 79 式対舟艇対戦車誘導弾は , 全長 開されたときの外観から専門家が判 1.565E , 胴体の直径 152E , 速度 定しているもの。ハーキュリーズに 200 / sec , 射程 4 で , 現用の 64 施された改造は誘導システムが主な 式対戦車誘導弾 ( これも同じく川崎 もので , 弾頭は強化されたにしても 重工の主契約だった ) に比べ速度 , 基本形はほとんど変っていない。 射程とも約 2.3 倍も向上し , 弾頭も 現代版キューベル , イルティス 4 x 4 つまり , 「アメリカ軍のランスに 高性能化されている。誘導方式は , ◆イタリアが 破壊力や命中精度はおよばないにし いわゆる第 2 世代の有線・赤外線追 M C C 80M I C V を完成か ーキュリーズを改造するこ ても , 尾の半自動方式。 イタリア陸軍が使用中の , アメリ とが最も現実的だ」というわけで , 1 セットは , 発射機 2 基と照準装 カ製 M113 の後継となる新型 I C V 全くの新規開発を予想した向きには 置 1 基で構成され , 20 発前後の誘導 の最初の原型がサルジニアで完成し 失望を与えたが , これで射程約 200 弾が配備されるといわれ , ミサイル テストを受けているといわれる。 の本格的戦場ミサイルを韓国軍が保 本体を除いた 1 セットの価格は約 1 MCC80 とよばれるこの車輛は , 有するにいたったことになる。 億円。ミサイルの製作にはダイキン 計画されたフィアット・ランチア製 なお , この新ミサイルは 1978 年 9 工業が慣性式安定装置 , 日本油脂が 工ンジンを装備せず , イソタ・フラ 月 26 日に初の試射に成功し , 現在非 主ロケット , 日本電気が受信機を下 ンシーニ製ェンジンを装備して , 0 武装地帯の南側の地下サイロに配備 請けの形で担当する。 TO メララ社が自主開発し , 基本的 がはじまっているといわれる。 な技術問題を解明することを狙って いるが , この車輛はまだ机上の計画 だけと思われていただけに , 関係者 には , 意外な感じで受止められてい ◆防衛庁が 国産対戦車ミサイルを採用 防衛庁は , 技術研究本部が昭和 38 ◆西ドイツ陸軍が 国産車輛を大量購入 西ドイツ陸軍が , 国産のトラック , 連絡車輛 , 装甲輸送車輛を大量に購 入している。これは , 同陸軍の兵站 用車輛の補充のためで , 車輛の近代 化計画の一環である。 フォルクスワーゲン・アウディ社 は , ジープ型の VW イルティス 8800 台を 1 億 5 千万ドル ( 約 300 億円 ) , ダイムラー・べンツ社はウニモグ 2 t トラック 17 , 000 台を 4 億 4 千万ド ル , マギウス・ドイツツ社は 5 t ト イギリカ陸軍の ラック 7000 台を 2 億 4 千 4 百万ド ストライカー
を′ トとックス 和製ゲパル蹊 AW ー X の開発進む 第オプ・フォーの主力 , T62 戦車。排気管から白い煙幕を張っている 和製、ゲパルトの開発がはじま っている。 1973 年の第 4 次中東戦争で , アラ フ・側が装備したソ連製の Z SU23 ー 4 対空砲車が , イスラエル空軍機をハ ッタバッタと射ち落としたことはま だ耳に新しいが , その後西ドイツで ゲパルトの配備がはじまり , アメリ も D I V A D S の自国開発に入る など , 対空砲車の有効性が再び見直 されている。 陸上自衛隊でも , 旧式化した M42 や M15 A 1 ハーフ・トラックに代る 新型の対空車輛 , AW-X の開発が 着手された。 陸上自衛隊の対空システムは , い まのところホーク対空ミサイル 75E 高射砲と 35E 高射機関砲 L 90 ー ー M42 , M15A 1 となっているが , L90 の他はどれも旧式で , M15A 1 にいた。ては第 2 次大戦中の遺物と 、うありさまだた っ 0 現在進められている計画では , 今 後これを , べイトリオット , 改良ホ 3 コ中隊にふくらんだ ーク両ミサイルーーー短 SAN ←ーー A W ー x ー一歩兵携行式小型ミサイル アメリカのにせソ連軍戔 ( スティンガーなど ) の体制へと切 換えることになっているが , はとん どがミサイル化されるなかで , 機動 的に運用できるカナメとして , AW ー X の装備は重要視されている。 技術研究本部での開発はすでにス ターしていて , 昨年度は約 8 億円 の予算で搭載する機関砲の購入と改 修 , FCS 関係のレーダー送受信部 とアンテナの試作が認められ , 日本 製鋼所に三菱電気が加わった 2 社グ 108 ルーフ。との契約が , 昨年 12 月に交わ された。砲は , ェリコン製 KDA35 1 セットをスイスから直接買入れ て手を加えるのに対して , FCS 関 係の方は現用の L90 ( 同じくエリコ ン製 ) をベースに国内で開発し , 納 入はそれそれ今年の 9 月 , 来年 3 月 の予定である。 本年度は約 3 億 5 千万の予算で , F c s 関係のうちデータ処理 , 表示 装置の試作が認められ , 来年度から はさらに砲塔部分の試作や電源 , ス タビライザーなどの開発に着手 , 全 体的な性能にメドをつけることが予 定されている。これが順調に行けば 昭和 57 年度には陸幕の正式開発品目 に格上げ , 本格的な全体試作に入り , 62 年度ごろから装備を行いたい考え である。戦車に比べれば , 開発の技 術的なリスクは少いといわれるから 計画にそれほど大幅な遅れはなさそ うで , 生産は三菱重工が有力視され ている。 かんじんの車体には 61 式戦車が選 ばれ , 当面は現用車のうち 1 輛に砲 塔を載せて試験を行うことが決定さ れている。車体の選定にはいろいろ な意見があったが , 61 式戦車にして おけば砲塔をすげかえるだけですむ ため , コスト的に安上りになる , と いうのがこの決定の根拠になったも のだろう。 しかし , AW-X を主力戦車 , っ まり 74 式の部隊に随伴させようとす ると , スビード , 出力に欠けて性能 的にじゅうぶんでないという見方も あり , また 61 式戦車自体の今後の運 用 , 長期的な補給・修理の体制は先 細りが目に見えているということな どもあって , 生産型が、中古洋の 61 式戦車の車体を使ったものになるか どうかはまだ最終的に決定したわけ ではない。 車体の決定には , 「 AW ー X をどの ように使うか」という陸幕側の考え も重要な意味を持つ。単なる「移動 できる砲台」としてならば , 61 式戦 車の車体を利用すればじゅうぶんに 間に合うのだろうが , どうせ開発す るのなら本格的なものを造り , 主力 の戦車部隊の防空にあてたい , とな ってくると , やはり 74 式戦車の改造 型の線が濃くなってくる。 この問題は , 全体試作から生産に 入るまでの間に , 74 式戦車の生産・ 配備の状況をにらみ合わせた上で , 決定されるはずである。装備の体制 や生産数は , 「どう使うか」という 問題が , 例によってまだ最終的に煮 つまっていないため , いまのところ 白紙である。 (Q) にせソ連軍、オプ・フォー 本誌でもたびたび報じてきたが , アメリカ陸軍内のにせソ連軍洋の 勢力が , ついに 3 コ中隊の規模に達 した。 これまで , アメリカ陸軍が戦闘演 習をするときには , 侵略軍とよ ぶ仮想敵軍 ( つまりソ連軍 ) をその