機関銃 - みる会図書館


検索対象: PANZER 1979年9月号
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1. PANZER 1979年9月号

銃塔にはラインメタル製 20 機関砲、 MG3 7.62 機銃、スモーク・ディスチャージャー、赤外線投 光器などが集中装備されている。車体前部には渡河用トリムペーンがたたまれているのがみえる 強力な武装を兼ね備えた装輪式の装甲偵察車である。 に代わる新型の装甲偵察車として、経済的で整備性がよ れらの装輪式装甲偵察車は、どれも水陸両用性を備えた く、高い機動力を持っ 4 x 4 、 6 x 6 、 8 x 8 の駆動方 高い機動力、火力、装甲防護力を誇り、 NBC 防護もしゅ 式で水陸両用、多用途の装輪式装甲車系列の開発を計画 うぶんに考慮されている。代表的なものにはフランスの した。翌 65 年の末、国防省国防技術調達局 (BWB) は、 A M X 10 R C ( 105mm 砲 ) 、イキ・リスのフォックス ( 30mm 新型装輪式装甲偵察車の開発を、西ドイツの 2 つの会社 、ハンガリーの FUG70 ( 14.5mm 機関銃 ) 、イタリア グループに指令した のフィアット /OTO メララ 6616 M ( 40 mm 砲 ) 、ソ連の この 2 っとは、タ、、イムラー・べンツ社と、アウグスプ BRDM 2 ( 14. 5mm 機関銃 ) などがあるか、なかでも最も ニュルンベルク機械製作会社 ( MAN) 、クルツッ ュニークな車輛か西ドイツの装甲偵察車 2 掣、ルックス クナー・フンポルト・ドイツ社 ( KHD) 、クルップ社、 である。 ビュッシンク社、ラインシュタール社の共同企業体で、 BWB は両グループと、 16 カ月間で新型車を軍当局に引き 開発経過 渡すことを条件に、開発契約を結んだ 1964 年、国防省は機甲、機甲歩兵、歩兵、山岳兵師団 1967 年 ~ 68 年の間に、両グループは 8 輪駆動方式の装 に配属されている機甲偵察大隊の主装備だった 85 口径 20 甲偵察車を試作し、試作車はミュンスターの第 2 戦闘部 mm 機関砲 HSS820 装備の SPZII ー 2 装甲偵察車 ( 全装軌式 ) 隊学校におかれた第 9 機甲教導旅団第 11 機甲偵察教導大 Thyssen-HenscheI

2. PANZER 1979年9月号

隊の実験部隊に装備されて , 技術 , 部隊実用試験が行わ で戦闘を遂行することが可能で , 車内スペースはゆとり れた。 があるから , ソ連の B R D M 1 , 2 装甲偵察車と異って 1971 年には , 第 11 機甲偵察教導大隊の実験の結果をも 身長などの大きさによる乗員の選定問題はない。 すぐれた射撃制御器材と軽火力により , 乗員は昼夜と とに , ダイムラー・べンツ社の試作車が採用されること もに近距離においてすばやく射撃目標を捕捉し , 射撃で になり , 1973 年 12 月 , 国防省は装甲偵察車 2 型として制 式化した。量産はェッセンにあるラインシュタール社が きる。また機動力は出力 , 重量 , 寸法の関係にじゅうぶ 指名された。 んな考慮を行った結果 , 路上最低速度 4 川 , 最大速度 は 90 / h , 動力装置の高出力により 20ps / t の出力重量比 ラインシュタール社は翌 74 年にアグスト・テュッセン とあいまって 0 / h ~ 80 燔 / h まで 65 秒の加速性能 , 60 % ヒュッテ社と合併し , 新しくテュッセン・ヘンシェル の登坂能力を持っている。さらに路上 0.625 を々の燃料 社となった。結局装甲偵察車ルックスは同社のカッセル 消費量で 800 と行動距離が大きく , 戦闘行動の中断や 工場で J P Z 4 ー 5 ャークト・カノーネ , マルダ --M I 技術的理由での走行の中断が少い。携行燃料の容量は CV とならんで , 408 輛の製作が行われ , 最初の生産型 50 膨である。 は 1975 年 5 月に生産ラインを離れ , 1977 年に生産が完了 ルックスのエンジン冷却装置と走行装置は , 外気温度 0 ー 30 。 ~ 十 44 。 C の間で , 常に出力 335PS / 2500rPm の持続 一般的な特徴 を可能にしている。 敵砲火からの防護能力の中心は , 大きな機動力と目標 ルックスは , 主武装として 20E 機関砲 , 副武装には となるシルエットが小さいことであり , 車高は対空用銃 7.62E 機関銃と各 4 筒からなる発煙弾発射機 2 基を装備 する。また事前に準備せずに渡河できる浮航能力を備 架まで 2840 簡 , 車体頂部まで 2056 車幅 2980E であ え , 戦場の水障害を克服できる。戦闘重量は 19 , 500 ん 9 , る。装甲は避弾経始により機銃弾の直撃と砲弾の破片に 軽火力 , 高機動力 , 良好な防護力を結合し , 将来の戦場 対してじゅうぶんな防護力を持っており , さらに対 N B における多面的な偵察行動の要求に適応することができ C 過圧空気浄化装置によって放射能 , 生物・化学剤に対 る車輛である。 しても高い防護力を備えている。 乗員は車長 , 砲手 , 操縦手 , 後方操縦手兼通信手の 4 車体後部の両側にとりつけられた 2 コのスクリューに 名であり , NBC 条件下においても完全に密閉した車内 よって水上航行速度約 10 / h が保証され , この 2 コのス 装甲偵察車ルックスは , 大戦中の 8 輪装甲車の流れをくんた強力な重偵察・戦闘車輛てある 戔にを宿をゞ

3. PANZER 1979年9月号

身で弾道の低伸する砲の意味 に使われるが , 実際には欧米 言葉として使われている。第 日本でいうカノン砲は榴 弾砲の手ごろさに押されてほ とんど消滅してしまっている ので , 現実にもこの区別は意 味を持たない。 だから , 自動キヤノンとは 日本語の「機関砲」にあたる 言葉と思っていただいてよ M60A 1 の 12.7 衂機銃。アメリカ戦車の標準的副武装だが , もはや威力不足は否定てきない い。「機関銃」と「機関砲」の 9.2 ん 9 の / くズーカ型の対空ミサイルで , 高度 45 ~ 1500 , 間の一線をどこで引くかは日本では問題たが一一例えば 距離 3600 以内の航空機を攻撃できる。また別の方法と 英語ではどちらも Gun である一一一一般には口径 0.5 イン して , 主砲から X M 712 カッパーヘッドのような対空用 チ ( 12. 7mm ) あたりで区切っているようだ。いずれにし の誘導砲弾を射ち出すことも不可能ではない。 ろ本稿で言及する口径 20E 以上の自動キヤノンは , 文句 しかし , S A— 7 やアメリカのスティンガーのような なく「機関砲」の部類に入ることになる。 歩兵携行の対空ミサイルは , 射手が肉眼で目標をとら 表は , 現在実用になっている代表的な自動キヤノンを え , 体をハッチから大きく乗り出して発射しなければな らず , 乗員のうち誰かが対空警戒と攻撃に専念する必要 , が出てくる。また主砲からの対空砲弾発射も仰角などの 関係でいろいろと問題がある上 , 先ほどと同じ弾薬搭載 量の配分の問題も生ずる。 やはり対空防禦に関しては「餅は餅屋」 , 専門の対空 部隊にまかせ , 戦車の副武装は自衛用に留めておいた方 がよいだろう。 副武装には何が適当か これまで述べてきた副武装の条件をまとめると , 次の ようになる。 ( 1 ) 歩兵 , 軽車輛に対して 3000 川以上の距離から攻撃 できる 主砲と同軸の 7.62 。近接戦専用の対歩兵用武装である ( 2 ) 航空機の攻撃から身を守れる まとめたもので , 比較のために現用の戦車の副武装に使 さらにまた , 岡田氏の記事にもあったように , A T M われている小口径自動火器 ( 機関銃 ) もいくつか加えて に攻撃された場合 , 戦車は回避運動を行わなければなら ある。 ない。 この表からもわかるとおり , 自動キヤノンはすでに A すなわち , P C や M I C V の主武装として広く使われ , したがって ( 3 ) 行進間の射撃が可能である。 そのマウントや使用法なども多く開発されている。しか ことも条件のひとつになる。また , 対人用には HE , し MBT でこの種の兵器を持っているのは AMX30 ( 後 対空用には HE あるいは AP , 対軽装甲車輛用には AP 期型 ) と Pz61 のみで , しかも Pz61 は Pz68 に発展する と , 目標によって弾種を使い分けられることが望ましい さいにはこの副武装を落としてしまった。 から , これらの自動キヤノンは , かっての機関砲のイメージ ( 4 ) 複数の弾種を切り替えて射撃できる からは考えられないほどコムパクトでスマートになり , ことも必要である。 とり扱いも容易になっている。ほとんどは A P C /M I 以上のような条件を満たす兵器に , 口径 20 ~ 35 級の CV のキューボラ装備を前提とし , 車内へ突き出るレシ 自動キヤノンがある。キヤノン ( カノン砲 ) という単語 一部を極力小型化し , また打殼薬莢を車外に排出す は , 日本では榴弾砲 ( ハウィッァー ) と区別して , 長砲 るようになっているものも多い。 86

4. PANZER 1979年9月号

ちょっと変ったジープ イスラエルの R B Y T OW 対戦車ミサイルのランチャーをつけることもできる R BY は , イスラエル航空機会社 とりつけ , 重心を後軸においてバギ ( I A I ) の R A MT A 事業部が開 全長 4.99 川 , 全幅 2.03 , ーなどと同様に砂漠での登坂力をよ 全高 1.66 川 発した , ちょっと変った軽装甲偵察 くしてある。 車である。 武装は , 106E 無反動砲を積むタ 4 輪駆動方式で , 車体は熔接構造 自衛隊の 203 自走榴弾砲 イプのほか , TOW 対戦車ミサイル , にして防弾効果を最大にしてある。 7.62E と 12.7 の機関銃 , 20E 機関 装甲の厚さは側面が 8 mm, 床面が 10 砲などもとりつけることができ , ま 導入 1 年すれこむ ? 新と , 床の方が厚いのが特異な点。 た武装を外して救急車や指揮 , 連絡 これは , イスラエル軍のジープが , 車としても使える。 砂漠に埋められた敵の地雷でかなり の損害を出した教訓にもとづいてと このため , 全備重量は 3600 ん 9 に達 自衛隊が採用を考えている 203E られた処置である。前後の 4 輪がで するが , それでいて道路上では時速 自走榴弾砲の導入が , 1 年遅れそう 100 / h のスヒ。ードを出せ , 行動距 きるだけ前とうしろに張出してとり な気配だ。 つけられているのも , 荒地での安定 離は 550 とかなり長い。またエン 陸上自衛隊では , これまでどちら 性の向上という目的以上に , 地雷が ジンはもちろん , その他の部品もで かといえばおろそかにされていた特 爆発したときに乗員をできるだけ保 きるだけ民間車のものを利用してい 科部隊を , いっきょにレベルアップ 護しようという考えからきたものに るのでコストも安い することになり , 各種口径の火砲の つまり , 砂漠の戦闘には最適の軽 ほかならない。 近代化プランを練っているが , 第 1 車輛というわけで , すでにイスラエ 工ンジンは , アメリカのダッジ・ 弾として押し出されてきたのが 203 モデル 225 ー 2 という水冷 6 気筒 120 ル陸軍用は生産中で輸出もはじめら 自走榴弾砲 , それもアメリカ製で 馬力のもので , これを車体の後部に れている。 パリバリの新型 , M110A2 である。 いまのところ , 約 100 輛を日本でラ イセンス生産し , 現在配備されてい る旧型の牽引式 203E 榴弾砲 M 2 ( 60 門 ) , 155E カノン砲 2 ( 24 門 ) と 交代させる計画で , 来年度にも第 1 次分の予算を要求する手はずになっ ていた。 ところがここにきてアメリカ側が ライセンス生産にあまりいい顔をせ ず , なかなか機密の解除をしてくれ ないため , とりあえず 1 年間調達を 遅らせようという見方が出てきたも の。また一部では , 155E 榴弾砲を 新しくすれば , 射程は 203 新とほぼ 同じだから , あまり採用を急がなく てもよい , という意見もあるらしい。 、第ゞを -3 、 トヒックス 平たいカエルのようなスタイル。前後に張出すタイヤを持つ 112

5. PANZER 1979年9月号

場合の自己煙幕展張用に使用する。発煙弾は距離 40 ~ 50 し , ガスをパイフ。によって外部に放出するとともに水銀 川の範囲で扇状にルックスを完全に煙でカバーできる。 柱で 30E に相当する気圧が加えられている。 この発煙筒は手動装填で砲塔内部の発射切換ポックスの 副武装 ラインメタル社の MG3A1 口径 7.62E 機関銃と 76E 発煙弾発射機が装備される。 MG 3 A 1 機銃は 20E 砲とは関係なく手動で操作され るもので , 車長用ハッチに装着された環状レール式銃架 に搭載され , 俯仰範囲は一 15 。 ~ + 55 。である。 MG 3 A 1 機銃は寒冷 , 酷暑 , ちり , ほこりなどの悪条件下にお いても操作が簡単で信頼性の高いもので , 空冷式 , 補助 ガス・反動利用 , ベルト給弾方式の全自動の機関銃であ る。 旋回砲塔側部に固定された 76E 発煙弾発射機 2 基は , 砲塔の縦軸を中心として士 45 。の角度で扇状に配置され た 4 筒からなり , 防禦準備を整えた敵に遭遇した場合の 観測 , 対戦車兵器の不意の射撃の阻止 , 方向変換を行う 砲塔をうしろからみる①車長用コントロール ・ホックス , ②砲塔リング , ③望遠照準機 ( 車 長 ) , ④同 ( 砲手 ) , ⑤スイッチ・ホード , ⑥砲 手コントロール・ホックス , ⑦⑧弾薬 3 4 ◎ 0 0 0 5 0 ◎〇・ 0 2 6 1 7 物・■・ 8 15

6. PANZER 1979年9月号

ルックスの T s 7 砲塔は , 20E 機関砲 , 揺架 , 防楯 , 壁によって側部の連絡用通路とともに分割され , 完全に 装甲砲塔ケース , 7.62E 機関銃 , 機関銃架 , 発煙弾発射 気密化されており , 弾性ェンジン・ジョイントに液冷デ 装置 , 視察。照準装置 , 旋回装置 , 砲射界制限装置 , 車 ィーゼル・エンジンが搭載されている。 輛航法装置 , 車内通話装置などで構成されている。 後部操縦室 後部操縦手席はエンジン室後方の左側に位置し , ェン 旋回砲塔 ジン室 , 動力伝達装置室とは隔壁で分割され , 気密化が 旋回砲塔は熔接方式の高張カ装甲鋼板製で , 小火器弾 行われている。ろ過された空気はエンジンに装着された の直撃や砲弾の破片から乗員を防護するためにじゅうぶ 給気 NBC 防護装置から室内へ供給される。また車体 んな避弾経始も考慮されている。また内部スペースを適 デッキには操縦手を防護できる操縦手ハッチがあり , 3 正に配分するために , 各種操作装置の配列は工夫され , コの視察用ペリスコーフ。が装着されている。さらに操縦 とくに長時間の戦闘で密閉された戦闘室に滞在できるよ 手席付近には操縦用ハンドル , 制御用レノ : ー , うに座席の形状も改良されている。また全体のシルエッ ーくタラレ 類 , 通信装置が装備されている。 トは低く , したがって射撃の位置も低い。砲塔の頂部に は車長 , 砲手の乗下車 , 地上と空中の視察のために 2 っ 戦闘室の右側には , 軽油を燃料と + るヒーターが装備 のハッチがとりつけられ , 右側の車長用ハッチには機銃 されている。これは前後の操縦室 , 戦闘室 , 側部連絡用 用の銃架が全周射撃可能な環状レール上に装着されてい 通路の暖房用であるが , 寒冷時には切換装置によってェ る。 ンジン始動前に熱風をエンジンと最後部の冷却装置に向 砲塔前部の防楯は , 砲塔の砲耳部べアリングを中心に け , 予熱に使用できる。またバッテリー室にも熱風の導 俯仰が可能で , 発射ガスが砲ロ方向から砲塔の内部に侵 、が可能あ 0 : 夏期 00 室内 0 換気装置 0 , ~ ーと 0 入できないように薄い金属製べローズ・カバーでおおわ ても利用できる れている。 バスケット型砲塔の寸法は , 砲塔ケースの直径 1740E , 砲塔関係 砲塔外壁の高さ 590E , 主砲射撃高 29()nvn , 砲塔レースの ースを走行中のルックス。最前部アクスルの傾き具合や車輪のスプリンクの利きがわかる テストコ

7. PANZER 1979年9月号

0 ルックスの乗員は 4 名 , 前後に操縦士が入リ , 砲塔は車長 ( 手前て立つ ) 。工ンジンは中央にある 直径 1250E , リングの直径 1000m , 砲塔中心部から砲ロ 砲塔レースの中心軸に対して垂直な状態で約 90 。左に回 先端までの最大半径 2600E , 砲塔全備重量 2155 ん 9 であ 転させた状態でとりつけられている。 20E 砲はガス利用 , ベルト給弾方式 , 空冷式 , 全自動 る。 機能を備えた機関砲で , DM43AP 弾と DM51A 1 HE 主武装 主武装は , マルダー M I C V と同系のラインメタル社 弾の 2 種の弾薬を交互に発射することも可能である。初 製 Mk20DM5 ( Rh202 ) 85 口径 20E 機関砲で , 地上お 速は 1080 川 / s , 最大射程 7200 川 , 有効射程は地上の軽装 よび空中にある目標を停止または走行状態においても迅 甲目標に対して 1000 川 ~ 1500 川 , 地上の軟目標に対して 速に射撃することができる。この 20mn 砲は , 工具を使用 2000 川 , 低空で侵入する航空機やヘリコプターに対して しないで砲身から主要部まで迅速に分解が可能であり , 2000 川であり , 発射速度は毎分 800 発 ~ 1000 発 , 装甲貫 徹力は弾重 859 の AP 弾で弾着角度 40 。 , 射程 100 川 ~ 1000 川の場合 35 簡 ~ サスペンションはコイル・スプリングとショック・アプソーパーの組合わせてある 20E , 弾着角度 25 。 , 射程 100 川で最大 48m で , 環境温度一 40 。 ~ + 50 。 c の範 ・菶簒 00 込 0 囀 = 0 第も 0 こ一 囲内でじゅうぶんに機能を発揮する。 20E 砲の揺架は駐退装置 , 復座装 置 , 発射装置 , 撃発装置 ( 電気機械式 と操作室からの手動油圧式の 2 種類 ) で構成され , 駐退機構は単作動式砲ロ 制退器とともに反動力を約 600 ん 9 に制 限する。また , 揺架の側部には薬莢蹴 出器っき左回転型の 2 つの給弾ベルト 装置がとりつけられている。予備弾薬 は戦闘室とエンジン室の間にある 2 コ の弾薬収納箱に貯蔵され , 自動装填機 は 20mn 砲の後座作用または閉鎖機など とは無関係に作動できる。さらに弾種 の選定は弾薬供給器の選択スイッチに よって行われ , 給弾と装填は自動的に 実施される。また発射ガスが戦闘室内 に逆流することを防止するため , べン チレーターによって新鮮な空気を導入 14

8. PANZER 1979年9月号

まこ・一 第 6 第 2 、第 3 中隊の順。 工ンジンを始動して移動を待つ。縦列は右ガら第 1 、第 戦車隊は小隊ごとに分散し、戦車 3 輛、 A PC 2 輛のチ ー乙を組あと、それぞれ決められた突入地点へ向う。 •ea 〃ん川〃 g んイれを〃ん、 , ム / ( ン . 戦車部隊の出撃路には偵察隊ガ進出し、「敵」の待伏 せを警戒する。 1 / 4- t トラッワ後部席の兵主の手は、 62 式機関銃にガガっていた。 ニ 0 、一、 0

9. PANZER 1979年9月号

T34 戦車の父 アレクサンドル・モロゾフ されたひとりである。 V. ンコ , A. ポンダレンコ , シノフ , P. ゴノレューン , ドロ、ンエ M. タル N . クチ キマタジロウ 去る 6 月 14 日 , ソ連の戦車設計者 として知られたアレクサンドル・モ ロゾフが死んだ。モロゾフの名に首 をかしげる人は多かろう。だが「モ スクワの守り神 , T34 戦車の主任設 計者」と聞けばなるほどと納得が行 くに違いない。 アレクサンドル・モロゾフが生ま れたのは 1904 年 ( 明治 37 年 ) のこと である。このころ , ロシアは日本と 日露戦争を戦っていた。生まれたば かりのモロゾフは「アレクサンダー 大王のような偉人になるように / 」 という親の願いから , アレクサンド ルという名前をつけられた。 モロゾフがまだ 13 歳の少年だった 1917 年 , 祖国ロシアに革命が起り , ロマノフ王朝最後の王だったニコラ イ 2 世は人民に捕われてしまう。 んな大混乱のうちにもモロゾフは工 業系の学校にかよい , うまく陸軍技 術部に就職することができた。 当時 , ソ連はまだ機械や工業の部 門では後進国であり , フランスやイ ギリスの戦車を輪入 , 研究を続けて いたのである。 ところがソ連はイギリスと仲が悪 くなり , 逆にドイツと接近した。だ からカザン市 ( モスクワの東 , はる か 800 の平野にある ) の東に設立 された戦車学校にはグーデリアンの ようなドイツ将校がたくさん研究に やってきた。 1928 年 , ソ連は第 1 次 5 カ年計画 を発表して国の工業化を計ろうとし た。陸軍技術部もなるべく早く国産 戦車第 1 号を造ってドイツ将校にい いところをみせてやる必要に迫られ 0 さて黒海のはるか北にはハルコフ 市がある。ハルコフの機関車工場で は新しい人材を捜していた。まだ 24 歳の若者だったモロゾフもスカウト 世を去る エレンコの 5 人の設計者もモロゾア と仲間となり , ひとつのチームとし て活躍することとなる。このうちグ チ等レンコは 11 年後にモロゾフの下・ で T34 の車体設計を担当するのだ。 1930 年 2 月 , 完成した新型戦車は 19.5 トン , 4.5 砲 1 , 機銃 3 であ り , T12 とよばれた。 T12 こそ実に ン連戦車チームの若手グループがに じめて世に送ったナンバー・ワンだ ったのである。ところがカザン戦車 . 学校を見学していたドイツのプロム ベルク将軍は , 「 T12 戦車はモノの役に立たん , な にしろ時速 24h じゃあ・・・ " ・」 とさんざんだった。 T12 型は一 が部隊に配属される。しかしモロゾ フはその後 , 他の仲間よりも頭角を 若手技術陣初の成果 , T 12 戦車 現わした。 「やつは将来大ものになるそ」 こうみたのが上司 , ミ / 、イノレ・コ ーシキンである。 イオーシフ・スターリンが首相に なって 9 年目の 1932 年 , ソ連陸軍 0 近代化 , 機械化を計画し , 陸軍機械 化学校が創立された。そしてスター リン自身が開校式に来て演説をブッ た。それ以降 , スターリンは戦車に 関心を示し , 1938 年のはじめ , 「有 能な戦車デザイナーと会いたい」と いい出した。 選ばれた 2 人とはシハイル・コー シキンとアレキサンドル・モロゾア である。 2 人はヒゲのスターリンと 会って , まだまだソ連の戦車技術が 他国に劣ることを歯に衣を着せず述 べた。 モロゾフがはじめて手がけた T46 ( T111 ) 中戦車 98

10. PANZER 1979年9月号

1975 年 9 月 4 日 ルックスがはし めて部隊に配属 となった。現在 ては総計 408 輛 が引渡されてい る 隊 ) で編成され , 大隊の主力である機甲偵察中隊は中隊 本部 , 通信分隊 , 2 コ機甲偵察小隊 , 1 コ戦車小隊から ルックスの配備 なり , 兵員 100 名 , 装備車輛は少数の装輪車輛 , M113A 1 A P C 2 輛 , ルックス 18 輛 , レオパルト戦車 3 輛であ テュッセン・ヘンシェル社カッセル工場で生産された る。また , 機甲偵察小隊は小隊本部 , 3 コ機甲偵察班か 装甲偵察車 2 型ルックス 408 輛は , 1977 年以降主として らなり , 兵員 40 名で , ルックス 9 輛を持っており , 機甲 11 コ野戦師団の機甲偵察大隊 , 36 コ野戦旅団および 3 コ 偵察班は 12 名で , ルックス 3 輛からなる。 地域軍の旅団級の 6 コ郷土防衛司令部の偵察小隊に , 全 野戦旅団 , 郷土防衛司令部の機甲偵察小隊は , 小隊本 装軌式の s p Z11 ー 2 装甲偵察車に代って装備された。 部 , 5 コ機甲偵察班で編成され , 兵員 64 名 , M113A 1 現行の第 4 次改編の機甲偵察大隊は , 大隊本部・本部 A p c 2 輛 , ルックス 10 輛 , 装輪車輛 7 輛を持ってお 管理中隊 ( 中隊本部 , 本部小隊 , 通信小隊 , 捜索レー り , 班は 12 名の兵員とルックス 2 輛 , 装輪車 1 輛で編成 ダ小隊 ) , 2 コ機甲偵察中隊 , 重装備中隊 ( 中隊本部 , 2 コ機甲歩兵小隊 , 自走 120E 迫撃砲小隊 , 機甲工兵小 されている。 装甲偵察車 2 型ルックス・データ 接近角 66 度 背離角 50 度 19 , 500 た 9 携行燃料 50 20Ps/ t 武装 (T s 7 型旋回砲塔に搭載 ) M K 20 D M 5 型 85 口径 20E 機関砲 x 1 MG 3 A 1 型 7.62E 機関銃 フ。ロペラシャフト出力 335PS プロペラシャフト回転数 ( 最少 ) 1325rPm 行動環境温度範囲ー 30 。 ~ + 40 1.6 々 最大速度 90 / h 地上 10 / h 最低地上速度 4 / h 行動距離 60 % 800 加速性能 ( 0 ~ 80 / h ) 65 秒 乗員 4 名 11.5 川 工ンジン 19.4 川 浮航 製作ダイムラー・べンツ社 型式 0M403VA 型 1 . 9 川 390ps/2500rpm 0.6 川 走行型式 重量 戦闘重量 出力重量比 寸法 全長 全幅 高さ 砲塔銃架まで 車体上面まで 地上高 406 ティファレンシャル 車体底面まで 536E トレッド ( 輪距 ) 2540E ホイール・べース ( 軸距 ) 1400 / 2365 / 1400E 8 x 8 7743E 2980E 性能 2840E 登坂能力 2056E 回転半怪 4 輪操向時 2 輪操向時 渡渉能力 超壕能力 超堤能力 22