ッカー選手にとって「良い監督」ている。韓国の海南キャンプ、食事会場代えない」と、オシムが後半も送り出す とは、どんな監督だろう ? に集まっていると、扉が突然開いて到着と、その山岸が同真ゴ 1 ルを奪い、逆転 勝たせてくれる人物なのか、 したばかりの新監督が姿を現わした。 勝利へとつながった。 それとも起用してくれる人物か 「うわ、すごく大きな人が来たなって」 「別の試合ではミスした選手が前半で代 チームが勝ったとしても、起用しても 中に入ってきた新監督は選手のテ 1 プえられたこともあったけど、その選手を らえなければ不満が募るだろうし、自分ルに近づくと、裏返したこぶしでテ 1 プ次も先発させた。ミスしても、その後ど が試合に出たとしても、勝てなければプルを「コンコン」とノックして回った。 う取り組んでいるのかを見てたんじゃな ロとして納得はできないだろう : 不気味な雰囲気を漂わせる大男に、誰いかな。常に視線を感じるというか、と そんな話題を投けかけると、阿部勇樹もがあっけにられていた にかくよく見ているんです」 は「チ 1 ムが勝つのが前提としてあって それがポスニア・ヘルツェゴビナに伝東京に 2 ー 1 と競り勝った市原は、 ・ : 」と前置きして、話し始めた わる「厄除け」だと阿部が知るのは、ず大分トリニータに 4 ー 0 と大勝して連勝 「そのうえで勉強になったなって思うのっと後のことだ。 を飾ったが、 3 節のヴィッセル神戸戦で が、サッカーの奥深さ、面白さを教えて厳しい監督だということは、チ 1 ムメ 0 ー 3 と敗れ、早くも土がつく くれた監督。サッカーってこんな考え方イトで、同じく旧ユ 1 ゴ系のミリノビッ 「でも、振り返ってみれば、この敗戦が もあるんだぞ、サッカ 1 にはこんな一面チから聞いていた。だが、その厳しさはターニングボイントだった」 もあるんだぞって」 想像を遥かに超えるものだった。 4 節のガンバ大阪戦でオシムはメンバ トレ 1 ニングは毎日、午前と午後の一一 何かを思い出すように視線を上げ、阿 ーを大胆に入れ替えた。。 へテラン選手が 部は言葉をつないだ。 度組まれ、休む暇なく走らされる。練習外れ、佐藤勇人や羽生直剛らフレッシュ 「サッカーが充実すれば毎日が充実する試合の。ハフォーマンスが悪ければ、罰走 し、サッカ 1 と真剣に向き合うことが普を命じられた。チームメイトには「ここ 段の生活にも生きる。そんな考え方を教は陸上部かよ」と不満を漏らす者もいて、 えてくれたのがオシムさんでした」 阿部も「これはキッいな」と感じていた が、一方で充実感を覚えてもいた。 ジェフ市原 ( 現千葉 ) の下部組織出身「手を抜けないというか、ビリビリした の阿部がトップデビュ 1 を果たしたのは雰囲気は、それまでのジェフにないもの 年 8 月のことだった。阿部はまだ高校だったし、オシムさんの経歴も聞いてい 2 年で、歳 333 日での出場は、当時たので、ヨーロッパでは当たり前なのか もしれない、これくらいやらなきや強く の最年少記録である。 翌年から阿部はレキュラーとしてチ 1 なれないのかもしれないなって」 ムの守備を支えたが、当時の市原は毎年 シ 1 ズンに突入すると、オシムの凄さ のように残留争いに巻き込まれ、辛うじをさらに実感することになる て降格を免れている状態だった。 まず驚かされたのは、最初の公式戦で ( 3 になったか、スデンコ・べあるナビスコカップのセレッソ大阪戦た ルデニック監督が名古屋グラン。ハスに引 った。 1 ー 0 とリードして迎えたハーフ き抜かれると、年は 7 位に終わる。べタイム、オシムが「このままでは負ける ングロシュ体制は 1 年で幕を閉じ、後任ぞ」と一言うと、それが予言であったかの はなかなか決まらない。 やがて年が明け、 ように逆転された キャンプが始まろうとしていた頃、よう続く東京ウエルディとの開幕戦のハー やく発表された新監督ーーそれが、イビフタイムには、失点の要因となるミスを チャ・オシムだった。 犯したル 1 キ 1 の山岸智の交代をコ 1 チ 初対面の印象を阿部ははっきりと覚えが提案したが、「良くなってきているから、 1 0 な顔ぶれが抜擢されたチームはアグレッ シプな攻撃サッカ 1 を展開するようにな り、ここから快進撃を開始するのだ。 トップ下の羽生が神出鬼没に動いて相 手を撹乱し、坂本將貴と村井慎一一の両ア ウトサイドも同時に攻撃に参加する。リ スクを冒した攻撃的なスタイルの中で、 阿部と佐藤の 2 ボランチもゴール前に飛 び出していく機会が増えた。 「それまでは後ろに残ることが多かった けど、オシムさんは「もっと上がってい い』『飛び出して行け』って」 中盤でポ 1 ルを散らし、いつの間にか 一きとた シ巻田し 年を磐闘 ゴール前に駆け上がる阿部のプレーは、 クの奮 た一日で まるでマンチェスター・のポール・ げマ面 遂ン月両スコールスのようだった。 長プ。攻 成ャ引は 「昔から好きだったんです。オシムさん にキ牽で も、を山に求められるプレーに近いのかは誰かと とはム王 身ン一天 考えた時、体格も同じくらいなのかな、 心ズチの よく映像を見て、参考にしてました」 守備の色が濃かった阿部のプレースタ イルに攻撃の色が加わりつつあった。 だが、変わったのはプレースタイルだ けではない。シャイで引っ込み思案の性 格にも変化が表われた。彼のメンテリテ イを変えたのは、左腕に巻かれたキャプ テンマークだった。 初は、 1 試合だけたと思ってい たんですよ」 プレシ 1 ズンマッチでコーチ からキャプテンマ 1 クを託されたが、そ の時は欠場した中西永輔の代わりだろう、 と受け止めていたところが、ナビスコ カップでもキャプテンマ 1 クを渡され、 「ええつ、マジか」と驚いナ 「だって、周りは年上の選手ばかりだっ たから。でも、坂本さんや ( 中西 ) 永輔 さんが『サポートしてやる』って言って くれたし、自分を変えるきっかけになる かもなって。高校の時からトップで練習 年 71 ″嫐覆職ー
0 させてもらって、周りはみんな年上だか残っているのは、清水からの帰路である ら、どこか遠慮している部分があって、チームバスのテレビで終わったばかりの よ」 それに慣れてしまっていたから」 試合映像を見ながら帰ったのだ前方に メディアの前で語る言葉数も増え、チ座るオシムは、ひと言も発しない っ ーム全体に気を配れるようにもなった。 「いかに酷かったか、自分の目で確認し うた怪た いいにつ をき ある日、ジュニアユース時代のコ 1 チに ろって無言で言われているようで : : : 」 と開末合 」花晦に 物子 「変わったな」と言われ、ハッとした。 実は、この磐田戦、清水戦の間に阿部 ・ん ^. たく 0 間 れき。は く大躍に 「ああ、俺、変わってきてるんだって。は国立競技場でー日本代表として韓 ては活選 えアて予 嬉しかったですね。と同時に、それまで国戦に臨んでいる。ところが、彼の頭か もの 教リし終 自分がいかに責任を背負わすピッチに立ら、その記憶がすつばりと抜け落ちてい でるさ員輪 面りのネ っていたかに気付かされました」 たリーグ戦 2 試合のインパクトがよほ 、よカテ に主ア 第 1 ステ 1 ジ終盤に入っても市原の進ど強かったに違いない。 た手 しもの 奥会で年 撃は続き、首位をキープして 2 位のジュ 第 1 ステージを 3 位で終えた市原は第 出表翌 の代 カ とも ビロ磐田との決戦を迎えた 2 ステージでも優勝争いを繰り広けたが、 氏 - う 「ム負 「誰もが磐田が勝っと思っていたから、残り 1 試合となった節で大分と引き分 っ 左オ下我 ・男それを裏切るような結果を出そうぜ、「け 4 位に後退。最終節で東京を下して ていう雰囲気がチ 1 ムにあった」 2 位となったがタイトルに届かなかった。 ムも ヤマハスタジアムで行なわれた天王山試合後、阿部はいつものようにオシム は、グラウのゴールで磐田が先制し、チと握手を交わした。オシムの顔に笑みは 阿 オ エ・ヨンスとサンドロのゴ 1 ルで市原がなかったが、それは優勝を逃したからで の 逆転したが、前田遼一のゴ】ルで磐田が 追いっき、 :-—リーグの歴史に残る名勝負 年 は 2 ー 2 の引き分けに終わった。 それでもなお市原は、首位をキープし 0 ていた。残り 2 試合に勝てば、ステージ 0 優勝を遂けられるはずだった : ・ 野か狭いいやに喉が渇くピ ッチに立った阿部は、いつもと 違う雰囲気を味わっていた 1 週間後に迎えた清水戦。 3 分に早く も先制された市原は、前半のうちに 3 失 点を喫し、為す術なく敗れてしまう。日 本平のビッチには、リスクを冒して攻め る、いつもの彼らの姿はなかった。 「雰囲気が重いというか、優勝の懸かっ た試合って、こういうものなのかって。 大きな喪失感しか残らなかった」 残り 1 試合での首位陥落ー 「あー、今振り返っても、もったいなか った」と悔やむ阿部にとって強く記憶に 一第 いつものことだった。 なぜ、逞しくなれたのか 「照れ屋なんでしようね。オシムさんは 思い当たるのは、やはり、オシムによ 勝った後でも笑顔を見せないんです。でって徹底的に鍛えられたことだ。 も、あの頃、勝ってオシムさんと握手す「あれだけ怪我に悩まされていた自分が るのが、僕は好きだった。いっか、こので 500 試合も出られるなんて、当 人にタイトルをプレゼントしてあげたい時は考えられなかったですから」 なって、ずっと思っていた」 その恩師とは、川年南アフリカ・ワ 1 その願いは 2 年後、ナビスコカップのルドカップ直前のグラーツ合宿を最後に 決勝で叶うことになる 会えていない 「子どもがふたりいるんですけど、長男 オシムと出会い、キャプテンを任され、は抱っこしてもらったことがあるので 優勝争いを経験し、日本代表にも選はれ 『こんなに大きくなりました』って報告 た阿部の年は、怪我で幕を閉じた。 したいな。あと『お体、大丈夫ですか』 日本代表の一員として参加した東アジ って訊ねたいけど、なんか怒られそう」 アカップを終え、ー日本代表に合流もし、再会できたら、オシムさんは「逞 すると、右足第 5 中骨の骨折が判明し、 しくなったな」と褒めてくれるんじゃな いですか そう問いかけると、阿立ロ 翌年 3 月のアテネ五輪アジア最終予選へ の出場が危ぶまれてしまう は「いやいやいや」と否定した。 「最初は、またかよって : : : 」 「褒められることはないですよ。ムチば これまでに何度も故障で国際大会を辞 かりだから。でも、ムチを入れられるつ 退し、「ガラスのエース」と呼ばれてい ていうことは見てくれているってことな た阿部は、しかし、驚異的なスビ】ドでので、僕にとってはアメと同じかな」 見てくれている人がいる、という喜び 回復し、最終予選のピッチに立つ。 「この時もかなり早く治ったし、それ以を知っている。だから、いっかそんな指 降も、怪我自体をしなくなったんです」導者になる、と阿部は決めている。 Yuki ABE あべ・ゆうき / 1981 年 9 月 6 日生まれ、千葉県出身。 178 ・ 77 キロ J 1 通算 58 。試合・得点。日本代表通算 53 試合・ 3 得点。富美浜 F C ー市川 F C ー市原 J r ユースー市原ュース一千葉ー浦和ーレスター ( ENG ) ー浦和。正確なフィー ドや鋭い読みを活かした守備が持ち味。今季はリーグ全試合に出場中。第 2 ス テージ・ 14 節の G 大阪戦で、史上 6 人目となる J 1 通算 5 試合出場を達成した。 ※ E N G = イングランド※データは 10 月 8 日時点 ″″ 72
見聞録 一が 加部究の フットボー 第 4 い回 Kiwarnu KABE P 冨訂 Vly 「。 ot 凵庫 xperl€nces 大胆な実験が必要かもしれない 日本代表は、ベストセレクション ではなくべストチームであるべきだ。 それが本当に現状の選抜システムに よる代表なのかを、疑ってみるべき ではないだろうか一例えばリーグ 王者には、ハリルンヤパンとの対戦 機会を与える。どちらが勝つにして も、今後の方向性を示唆する貴重な データが得られるはずだ。過去に読 可 売クラブが日本代表に勝利したこと かあり、一両者ともに後味の悪さを残 不 したという。当時は両チームに重複 する選手がいて、最初から代表に不 利な要素が否めなかったが、幸い現 革 代表は浦和や川崎勢が所属クラブに 戻っても大きな支障はない。 改 •LL< ( 日本協会 ) は、世界のト 本 ップ入りを目標に掲げている。し かし目標から逆算して、本当に右肩 抜 上がりを見込める代表強化が進んで た いるのだろうか。現状で単純に個の し 総合力を比較すれば、到底世界のト ップなど望めない。まして欧州の戉 強豪国には、軸となるユニットがあ る。歴史を辿れば、ドイツならバイ 見 エルン「一スペインならバルセロナ、 を イタリアならユベントスか中、むとな 来 って世界制覇を成し遂げてきた。と ころが技術委員会は、過去の実績の みを頼りに外国り代表監督を招聘 し、試合の度に別々のクラブでプレ 1 する選手たちを集める方法を貫い ている。結果的に日本代表の実力は、 個々が欧州へ進出し著しい成長を見 せた年からの 2 年間くらい は向上したが、そこをピークに下降 の一途を辿っている。 は、日本の選手たちの特徴を活かす ビジョンだと思う。 ハリルホジッチ監督が強調するの は、国際的な常識論を 一」過ぎない。日 本で経歴を持つイビチャ・オシム氏 やアンダー世代の代表を指揮した吉 武博文氏には独自のアイデアがあっ たし、フィリップ・トルシェ氏にも 日本の弱点を補正しながらも、長所 を引き出そうとする志向はあった。 ハビエル・アギーレやヴァイッド・ ハリルホジッチを連れてきた原博実 技術委員長 ( 当時 ) は「日本人監督 は時期尚早」と断じ、その理由の骨 子は「選手が欧州で活躍しているの に、日本人監督では実績面でバラン スを欠く」とのことだった。だが日 本代表監督の適性は、相対的な実績 だけでは測れない。むしろ重要なの ハリルホジッチ監督が強調する、デュエル " はこあくまで 国際的な常識論。日本に特化した強化プランとは言い難い 第 イ ところがアギーレやハリルホジッ チからは日本に特化した強化プラン か窺えず、ふたりが継承していく間 に日本らしさは薄れ、今ではアジア 内でも中味も含めて平凡なチームに なった。これではもし世界に出られ たとしても、おそらくなんらインパ クトを残せない。かって極力接触を 避けテクニカルで速い展開を標榜し た吉武スタイルを、技術委員会は絶 賛していたはずだが、今度はデュエ ル ( 競り合い ) 強調のハリルホジッ チに共感しているのだろうか。 極東の「野球の国」が世界のトッ プを狙うなら、常識を覆すアイデ アが要る。過去のバレー、水、冰、体 操などを見ても、アイデアの斬新さ で活路を開いてきた歴史がある 例えば危うげに見えたとしても、 川崎と現在の日本代表を比較して、 どちらの方向性に可能性が見えるだ ろうか。もし川崎スタイルがオシム 氏が主張した「日本化」に近いなら、 風間八宏監督指揮下で川崎主体の代 表を作っていく方法もある。さらに 言えば、ドイツのバイエルンのよう に、国内の選手たちが川崎を目指す 流れを作り、どうしても足りないピ ースを海外組で埋めていけば、組織 の形成も円滑に進む。一方で仮にⅡ 崎主体の代表を作るなら、国内の底 上げも必要になり、 —) リーグ内で外 国人枠を撤廃し、外国人主体のチー ム促進を図る手もある。 馬鹿な空論と一笑されると思う。 、しかし技術委員会に求められるのは、 未来を見越した迅速な対応だ。抜本 改革は不可欠の状況に瀕している。 PROFILE かべ・きわむ / スポーツライター。ワールドカップは 86 年から 7 大会を取材している。著書に「それでも「美談」 になる高校サッカーの非常測 ( カンゼン ) 、『大和魂の モダンサッカー」 ( 取葉社 ) 、「忠成」 ( ゴマブックス ) な ど。「サッカー通訳戦記」 ( カンゼン ) を新たに上梓した。 嫐確 78
U ー 16 困 U -16 アジア選手権 2016 大会結果 時間はすべて現地時間 5 0 イラン 0 へトナム 0 オマーン 北朝鮮 日本 0 UAE 回ウスへキスタン 0 2 0 イラク 9 月 19 日 / 16 : / GMC スタジアム / 2 人 / ☆☆☆☆☆ 得点 退場一 【天劇晴のち雨【気 25 ℃住制ヤクプ・サイ - ド・アブドウラフ・アブドウル・バクイシュマリエフ・サマト「督 1 る U 田 : GK ⑩トコタ工フ ⑩プリアドキン ⑩ポルバエフ①アイトバエフ ( 載分 : 新オロズベク ) DF ⑥アブドウルハイロフ ◎シャーシェンペコフ ( 襲分 : ⑩ティマル ) ⑥ジャキバリエフはのママテミン 、・ MF ②ナマトペコフ シディコフ 物橋 ④アザマト -0 ・ ~ 。①シチ , フ・ FW ⑩ェシム ⑨モモシェフ アルマジべク アーティコバエフ 龜アリエフ ◎久保⑦シガイバエフ 朝 グループ B 位チ - ーム名 グループ A 立チーム名 得点 失点 得夫差 勝 分 負 得点 失点 得失 勝点 膠 分 4 ①・日本 ①宀イラン 21 0 21 9 3 0 0 7 3 7 2 1 0 3 ② 0 ベトナム ② = UAE 2 0 6 1 7 2 0 7 4 1 -3 3 0 キルギス 3 ロサウジアラビア 1 1 -9 3 1 0 2 2 2 6 9 1 画オーストラリア 0 0 0 3 2 10 -8 1 0 1 2 5 9 -4 4 4 1 0 0 1 グループ D 位チーム名 グループ C 位チーム名 1 0 負 得点 失点 得失 勝点 勝 分 負 得盍 失点 得失羞 勝点 勝 分 2 ① = ウスベキスタン 3 0 0 9 4 5 9 3 1 2 0 4 1 5 1 ②北朝鮮 6 2 0 1 7 4 3 5 1 2 0 4 3 イエメン 2 1 4 -3 3 1 1 4 2 2 1 1 2 5 10 -5 0 4 9 月 16 日 / 加 : / GMC スタジアム / 1 人 / ☆☆☆ 本 0 へトナム 0 分 : 棚橋、 42 分 : 久保、 43 分 : 中村、 52 分 : 中村、分 : 棚 橋、浦分 : 鈴木 ( PK ) 、分 : 棚橋 ( PK ) 、十 2 分 : 久保 監督 1 森山佳郎 ァイン・シ・ナム督 USU る U 田 GK ①フィン・フー・トウアン GK ⑩青木心 ④グエン・フィン・サン @プ- ・クアン・ドウ 2 ウ・ドウック・ミン ⑩大内一生 DF 作田龍太郎 ②ウォー・ヴァン・フィ ◎グエン・チャン・ベトコン MF ⑥レ・トルンニャイア MF ⑩上月壮一郎 つオンをゴク・ティエン ( 宿分トラン , ン・ダッ村 ・朝ツ ⑩ウ・ディン・ハイ ⑩瀬畠義成 ⑦グエン・チョン・ロン 山田 松本凪生 ⑩グエン・ドウック・ロン 工ン・ : わト・チュオン・ 谷本駿介 ⑩マック・グオク・ハー ⑩グエン・ハク・キム 像ト ? みミン・ヒウ ) FW ⑨プイ・アイン・ドウック FW ⑩宮代大聖 ⑩山田寬人 ⑩宮代 し 物クエン・ズイ・キエム第工ン・スアン・キエン ⑨久保 。 4-4-2 4-4-2 積極的に圧力をかけて次々にチャンスを作り出し、 16 分に久保の F K で先制。 24 分に福岡、 40 分に宮代 が決めて前半だけで 3 点をリードすると、後半も猛攻を浴びせて 4 点を追加。最高のスタートを切った。 本 6 こ - 0 オーストラリア画 日 4 分 : 上月、図分 : 宮代、分 : 瀬畠、分 : 松本、 得点 82 分 : 上月、分 : 棚橋 警告 - / 退場一 【天候】曇のち雨【気温に 5 ℃【主審】シワゴーン・プートウアントニー・ヴィドマー「難督ー 既森山佳郎 る U る U 圧 GK ⑩グリフィス GK ⑩青木心 の大内一生 ⑩アクバリ③ビエリアス ( 分 : ムラトビッチ ) F ②フレッチャー DF ③小林友希 ⑩アクイリーナ ⑩監物拓歩 ⑩シビリオ ⑨ロバーツ ( 10 分→響コックス ) MF ⑩プルック 作田龍太郎 宮代 MF ⑩上月壮一郎 ( 51 分 : 退物橋 ) ①スマン・ FW ⑩オプスト ⑩瀬畠義成 ⑩モリッチ ⑩松本凪生 ⑩ / 、ツフォード 谷本駿介 2 のセルデン ダリーゴ 上月 ①オマーン ② = イラク 3 : ・ : 韓国 4 マレーシア 日 0 4 1 クルーフリーク第 2 戦 クルーフリーク第 1 戦 本 0 キルキス 0 44 分 : ウオン・ゴク・ティエン一 退場一 【天】曇【気温】 26 ℃【主審】アズィーズ・アシモフ 日 16 分 : 久保、 24 分 : 福岡、 40 分 : 宮代、 51 分 : 福岡、 分 : 久保、 79 分 : 監物、 85 分 : 山田 森山佳郎 GK ⑩青木心 ⑩大内一生 DF ②桂陸人 @作田龍太郎 MF ⑧鈴木冬ー ⑩上月仕一郎 ⑩松本凪生 谷本駿介 FW ⑩機橋尭人 朝 ⑩中村 ⑩監物 ⑩報岡 ( 51 分 : 0 ) ①谷 ⑥喜田 ⑤瀬古 ( 時分 : 1 を地 ) ⑩アリクロフシャムルザ工フ ⑦蓄原 ⑥鈴木 4-4-2 守備陣が集中してキルギスの攻撃を撥ね返すと、分に棚橋が個人技を見せつけて先手を取る。その後 はパスがつながり出し、分には棚橋がハットトリックを達成。初戦に続いて圧勝を飾った。 9 月 25 日 / 20 : / GMC スタジアム / 2428 人 / ☆☆☆☆☆ ⑩中村 ⑥喜田 ( 聞分 : 第地 ) 0 ) 小林⑩福岡 ()T : 省物 ) ( 53 分 : 漏第 ) ⑤瀬古 ④平川 ⑦原 ③小林 ( 聞分 : ④平川 ) ①谷 物工ン・フ - ・チャン工ン・チャン・ビン ( 闘 : ①ゴ・キム・ロ 朝 ツ 試合内容 準々決勝 試合内容 クルーフリーク第 3 戦 9 月 22 日 / 16 : / GMC スタシアム / 0 人 / ☆☆☆☆☆ 本 1 0 U A EZ 得点 分 : アブドウラー 退場一 【天候】曇【気瀏 26 ℃【主劃モウド・ポニャディファードアプデルマシ - ド・イプラヒム・モハメド「強督 1 GK ⑩工イサ 2 サリム ⑩アリカミス⑩アイズ ⑩菊地 ( 分 : ⑦アフトウラ ) DF ②サナド ⑩ダウード⑥アレフ ⑧アーマド 分 : A ・ハッサン ) 働分 : 社ユシフ ) ⑩サレム ④マジェド 第橋 ⑤瀬古 ⑩報岡 MF ⑨ジュマ 細分 : ) ( ①アルハレス・ ⑩ A ・サイード のサイフ ト FW ⑩ファリス ⑤マジド①スルタン ⑩宮代ファウジ ⑦原 ④平川 ツ ◎喜田 ・旧 31 分 : 瀬古 督森山佳郎 る U GK ①谷晃生 ⑩大内一生 DF ③小林友希 MF ④平川怜 ⑥喜田陽 ⑩福岡慎平 FW ⑨久保建英 ⑩中村敬斗 0 中村 分 : 山田 ) な谷本 ⑩菊地 ( 聞分 : 作田 ) 監物立瀬 ゼ青木 ⑤古本 ( 町 : ⑦管原 ) ⑤キング ⑨久保 ツ ⑩アリサレハジャシム 4-4-2 4-4-2 素早い攻守の切り替えから UAE ゴールに迫り、 31 分に瀬古が待望の先制ゴール / その後も攻撃を仕 掛けたが、追加点は奪えず。しかし、 GK 谷を中心に守備陣が踏ん張って、世界への扉を開いた。 ⑥鈴木 ⑦イタリアーノ⑩バレンテ ! 4-4-2 GS 突破を決めたことで、スタメンを大幅に変更して臨んだ。それでもチームの連動性が失われること なく、 2 得点の上月ら出場機会に飢えていた選手たちが躍動。大差、しかも無失点での 3 連勝となった。 9 月四日 / 16 : OO / GMC スタジアム / 1 2 人 / ☆☆☆☆☆ 試合内容 試合内容 準決勝 本 2 4 ィ ラク 18 分 : ダウード、 67 分 : アブドウルサダ、 四分 : 山田、 42 分 : 山田 得点 81 分 : ダウード ( PK ) 、十 4 分 : ダウード ( PK ) 分 : 瀬古、分 : 瀬古ー / ー警告・ / 63 分 : ダウード気十 1 分 : モアメル■ 退場一 カフタン・チサール・ダリン「監督ミ 【天候】晴【気温】 28 ℃【主審】ロワン・アルムハン る U 町 GK ⑩ムンジール ⑥ムンタザール②ハペープ @アブドウラジーズ 働地 DF ⑩ユーシフ MF ⑩ジャウハール ⑩モアメル⑤アブドウルサダ ⑩ M ・アブドウラヒーム ⑨カリーム ⑩宮代 ⑤瀬古 ⑩福岡 分 : @ØM ・アリ ) @A ・オマル 朝ツ①アリイバジ・ ⑩ズルガーム 、 0 物・リーザ A ・ラサ ⑩サリハ + 5 分 : 物サシャート 1 @アサドウッラ ( のサイフ ⑦管原 ④平川 山田 分 : ⑩アッラ ) ( 84 分 : ②桂 ) ①アマル ⑦ダウード ⑥喜田 4-2-3-1 4-4-2 18 分に大会を通じて初めてリードを許したが、山田と宮代のゴールで逆転。しかし、その後は 2 本の P K を含む 3 連発を食らい、さらに瀬古の退場で数的不利に。決勝を前にアジア制覇の夢は潰えた。 督 : 森山佳郎 GK ⑩青木心 の大内一生 DF ⑩監物拓歩 の作田龍太郎 MF ⑩上月壮一郎 ⑩松本凪生 FW ⑩棚橋尭人 谷本 ( 分 : 中村 ) ①谷 第 : ◎鈴木 世界への切符が懸かった準決勝で焦れる展開を瀬古⑤が打開。セットプレーから歓喜の決勝弾を生んだ 試合内容 61