ひと はなし 話はむかえにいく いくさ 腹がへっては戦ができぬ 腹がヘると腹がたっ 人ごといえば影がさす しちじゅう′」にち 人のうわさも七十五日 ひとみ 人は見かけによらぬもの てつばうかず へたな鉄砲も数うちゃあたる かんがやす へたの考え休むに似たり川 へたの道具しらべ ながだんぎ へたの長談義 よこず へたの横好き へびみ 蛇に見こまれたかえる べんけい たおうじよう 弁慶の立ち往生 な べんけい 弁慶の泣きどころ ほねおぞん 骨折り損のくたびれもうけⅧ ひと はら Ⅱ 7 38 125 122 ぎよう ま行 ひ まゆげに火がつく川 よ まゆげを読まれる まゆにつばをつける 身から出たさび 目のよるところ玉もよる や もちはもち屋 ぎよう や行 いしすずめなみだ 焼け石に雀の涙 いしみず 焼け石に水Ⅷ やまいき 病は気から よわめ 弱り目にたたり目 らく ぎよ、つ ら行 楽あれば苦ありⅧ み め で たま 140 め 6 . ワ 3 11 133 164
なら 習うよりなれよ : みず ねみみ 寝耳に水 のどから手がでる : あっ のどもと過ぎれば熱さをわすれる : はしにも棒にもかからぬ・ はじめよければ終わりよし くさができぬ はらがへってはい 人のうわさも七十五日 人は見かけによらぬもの : かず へたな鉄砲も数うちゃあたる : てっぽう ほう しちじゅう」にち 122 119 117 114 112 110 108 106 104 101
「人は見かけによらぬもの」というのは、人のせいしつやのうりよ 見た目とちがっていることが くは、見ただけではわかりにくく、 おおい、というたとえです。 か、ぎりませ たとえば、こわいかおっきの人がおそろしい人だとは こころ かぎりませんね。 んし、うつくしいかおの人が心もきれいだとは さんはあたまがよさそうだ、さんはやさしそうだと、見ただ おも けで思ったことはありませんか。よく知りあってみたら、さんは ひと 人は見かけによらぬもの ひと ひと み ひと ひと ひと 119
かおかたちすがたかたちを見ただけで、あの人はこういうせいか くだ、この人はこういうしごとをしている人だと、きめつけることは できません。 〈たけしくんはいつも、はじめてあった人に、 「まあ、おとなしくておちついたお子さんねえ。」 といわれます。でも、ちょっとなれてくると、おしゃべりはよくする し、じっとしていることがありません。 「人は見かけによらぬもののだいひょうね。」 とよくいわれます。〉 とい一つよ一つにつかいます ひと ひと こ ひと ひと ひと 121
9 さんは、やくそくしてもそのときになると いつもしごとがいそがしくなって、やくそ くをまもったことがないからです。 こういうとき、「おとうさんのはなしは、 絵にかいたもちみたい」というようにつ かいます。 見かけはりつばでも、じっさいにはで きそうもなし ししカく、あたまのなかだけでかんがえてじっさい にやらなかったサ ) ゝ ししカくは、なんのねうちもありません。 ふゅ 「絵にかいたもち」にならないように、夏やすみや冬やすみのけ いかくをたてたいものですね。 なっ
はじ ひとまえ とき、恥をかくことになります。人前でかっこよくスピーチしたつもりか、まちがったま つか までことわざを使う人が少なくないからです。「取り引きがうまくいきそうだったのに、 よこぐるま とんだ横車を入れられてだめになったよ」なんていう人がいます。なんとなく意味はわ よこぐるまお かるのですが、このいいかたはまちがっています。「横車を押す。と「横やりを入れるー よこぐるまお くるまよこ りくっ を混同しているからです。「横車を押す」は、車を横に押すように理屈にあわないことを とお むりやり通そうとすることで、「横やりを入れる」は、横からよけいな口をはさんでしま よこぐるま うことです。「横車を入れるーなんてことわざはありません。 さいしょ じんせいろん 最初にものべたように、 ことわざは暮らしのなかから生まれた人生論であり、身近なわ しよみんてつがく たいけんちえ にんげん かりやすい庶民の哲学です。だからこそ、さまざまの体験や知恵がこめられ、人間のすぐ ぶぶんよわ ぶぶんかんが れた部分も弱い部分も考えさせてくれるのです。 べんきよう じぶんかさ 勉強のためにことわざをおばえるのではなく、自分と重ねあわせて、そのひとつひと たく きよ、つみ じぶん つに託された意味を読みとるのは、なかなかに興味ぶかいものです。まるで自分のことを いわれているみたいと思うことが、たくさんあります。あるいは逆に、はげまされること すく ふゆき はるとお てんめい も少なくありません。「冬来たりなば春遠からじ」、「人事を尽くして天命を待っ」なんて ゅ、つき , 、とわざを考えると、つらいときも勇気がわいてきます。 こんどう かんが じんじ ぎやく みぢか 159
かち 解釈では、どうにもなりません。ことわざは、正しく使われてこそ価値のあるものです。 かねも ふね かねも たとえば「金持ちは船にのらず」。たいていの人は、金持ちはケチだから、あるいは倹 むだ かねつか ただ 約家だから無駄なお金を使わない、 と思いがちです。と , 、ろが、正しい意味は、もうすこ こ、っていてき あんぜんだいいちこころ きけん し肯定的。つまり、お金をためるような人は、なにごとも安全第一を心がけていて、危険 ふね きけん なことには手をださないという、たとえです。船にのるのは危険という理解はともかく、 じぶんかってかいしやく 自分勝手な解釈はよくありません。 とはいえ、もとの意味とはちがった使われかたをしているうちに、その使われかたのほ いぬある 一つかホピュラーこよっこ、 冫オオことわざもあります。たとえば、だれもが知っている「犬も歩 。ほ、つ けば棒にあたる」。なにもしないでじっとしているより、思いきってどこかへ出かけてみ あん力いこううん せつきよくてき みつか ほんらい れば案外幸運にぶつかるかもしれない 、という積極的な意味で使われていますが、本来 ぎやく みつか にんげん は逆の意味で使われていました。犬は、じっとしていないでぶらぶら歩きまわるから人間 のふりまわす棒にあたる。それと同じように、じっとしていればい ) しものを、なまじっか こ、つど、つ 行動をおこしたり、でしやばったりするから災難にあうのだというのです。 べんり ど、つじ いずれにしても、「とわざは便利なことばであると同時に、意味のまちがいやすいこと り・カい ばであることもたしかで、子どものうちからきちんと理解しておかなくては、ゝ、 しレ」い一つ やくか かいしやく かね つか さいなん ただ つか つか けん 158
、つ、ん くじようずになるために、れんしゅうをするのです。くりかえしれ んしゅうしていれば、知らずしらずのうちに、できなかったことがで きるようになるものです。 ならうだけで、なにもれんしゅうしなかったら、いつまでたっても 上にはいけないでしよう。 しごともべんきようも、人にたずねてばかりでは、ゝ しつまでたって もおばえられません。わからなかったらきけばい ) しと、人にたよっ てばかりいてはいけません。わからなくても、とにかくじぶんでか んがえながらやってみると、ああ、そうだったのかと、いろいろなこ とがわかってきます。 なら これが、「習うよりなれよ」ということです。 ひと ひと 102
もだちもできたし、あそぶところはたくさんあるし、いまはとても とち この土地がすきになりました。〉 とい一つよ一つにつかいます。 めいしょ このほかに、「住むばかりの名所」ということわざもあります。 めいしょ かんこうバスのくるような名所にすんでいると、他人からは、い ひと いですねえとうらやましがられます。でも、そこにすんでいる人に とっては、もののねだんがほかよりたかかったり、いろいろなきま りがあったり、おとずれるかんこうきやくがうるさかったりと、 めい . し帳ま けってんがたくさんあって、けっして名所にすんでいるからと といういみです。 いってすみよくはない、 たにん
おん 恩しらずになってはいけない。 ) 、ほ、つ おも 「犬もあるけば棒にあたるー ( 思いがけないさいなん、または幸運にめぐ りあうかもしれないこと。 ) 「さるも木からおちる」 ( どんなにそのことがとくいな人でもしつばいす ることがあ一ること。 ) ひと 「さるの人まね」 ( さるがにんげんのまねをするようすから、ほかの人のする ひと ことをそのまままねをする人を、ばかにしたいいかた。 ) ぢえ かんが 「さる知恵」 ( かしこいように見えるが、じつは考えのあさいこと。 ) こうしてみると、さるはあまりよいっかいかたをされていなくて、 きのどくですね。 ひと こ、つ、つん ひと