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検索対象: セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る
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1. セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る

ファッションと物語、どっちが大事 ? シー。スン 1 【 1 「 Z >" セックス事情」では、、 ノリウッド的な従来の人物描写法がそのまま使 われていて、露骨にステレオタイプな格好や衣服を通じて登場人物の性格がストレートに表現 されている。 コラムニストのキャリーは、まずは豹柄の服にアンティークの指輪という格好で、浮き世離 れしたキテレツなヒロインとして登場する。そしてミランダは。ハワースーツでびしっと決めた 弁護士、サマンサは押しの強い会社社長、シャーロットは画廊に勤める上流趣味の女性と いうわけだ。 衣装と映画を初めて学問的に論じたのはジェイン・ゲインズだが、 彼女は従来のハリウッド 映画にも「見世物」的な場面があることは認めながらも、衣装の役割は物語を支え、登場人物 の性格を反映することだと述べている。 『セックス・アンド・ザ・シテイ』には、交わりはしないものの互いに関連しあう動きが二つ 見てとれる。一つは、衣装を通じて四人の主要登場人物を描き分け、またその人物造形を膨ら ませていくという動き。もう一つは、この物語全体において、ファッションに独立したアイデ ンティティを与えようとする動きである。 ファッションを「見世物」にするという点では、『セックス・アンド・ザ・シテイ』は間違 いなく大胆で画期的な番組である。 ドラマを彩る 華麗なる ファッション 193

2. セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る

素として、ファッションを用いているということだ。 シーズンを追うごとにファッションが「見世物」へ これはシーズン 1 の終わりごろから見られるようになった現象で、シーズン 3 では内的記号 衣装、とりわけ組み合わされた全体としての衣装は、 のうちに完全に組み込まれていたのだが、 この番組では物語から浮き上がった見世物として使われるようになっている。衣装すなわちフ アッションが「見世物」になっているというのは、登場人物や現在進行中の演技にそぐわない、 むしろ邪魔になっているということだ。ストーリ ーから視聴者の目をそらし、いわば対位法的 マ主旋律に対旋律を重ね合わせて一つの楽 な手法を番組にもたらしているーー水平的・直線的に語られる物語に、ファッショ 曲を作る手法 ンはいわば垂直的に挿入されるわけである。 衣装はどうあるべきかについて述べる際に、映画監督のジョージ・キューカーは「見る者を ノックアウトする」服装を批判し、衣服を見世物にするという手法自体が堕落だと考えている。 しかし、自覚的な見世物性は『セックス・アンド・ザ・シテイ』の基本的な構成要素だし、。ハ トリシアにとっては衣装やファッションを選ぶ際の基本的な指針でもある。そのことは、本稿 の冒頭に引いた彼女の言葉によくあらわれている。 これ見よがしに衣装を誇示するという方針は、番組が進むにつれていよいよ独立した存在感 を発揮するようになり、さまざまな物語世界外の要因に後押しされて、独自の推進力を獲得し ている。 6 Sixth Love 208

3. セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る

『セ , クス・アンド・ザ・シ一丁』は 男と女の 愛の物語フ マンディ・メルク 柿沼瑛子訳

4. セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る

ファッションがドラマの魅力の一つ シーズン 3 ( シャーロットの婚約パーティの場面があるシーズン ) で、『セックス・アン ド・ザ・シテイ』は衣装を見せる番組としての頂点を極めた。ファッションは番組を支える独 立の柱であり、登場人物や物語や文脈と拮抗する要素だ、ということがこのシーズンではっき りしたのだ。 通常ならより重視される登場人物や物語や文脈といった要素が、ファッションのせいでかす んでしまったり、それどころかファッションに足を引っぱられることさえしよっちゅうだった。 ここでは、衣服は脚本で描かれた雰囲気を高めるどころか、それをわかりにくくするほどの過 剰なレベルに達している。 この傾向は番組を通じて次第に顕著になっていくが、頂点に達するのはロサンゼルスを舞台 【Ⅱ「やっ 【「過去からのエスケープ」、シーズン 3 とする二つのエピソード、シーズン 3 ばり見た目が大事 ? 」においてである。 キャリーとナターシャの正反対のファッション この番組のヒロインとして、キャリーは「見世物としてのファッション」でも中心キャラク ターであり、その重要性を示しているのが、ビッグの新しい恋人ナターシャと対比される場面 、、つ ) 0 ドラマを彩る 華麗なる ファッション 213

5. セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る

フェミニストのリン・ピアースと社会学者のジャッキー・スティシーは、ロマンチックな愛 まめが の物語は「永遠に書き直しを免れ得ないものであり、その再編集する能力こそが、それを変容 させていくと同時に発展させていくのだ」と語っています。 ポスト・フェミニズム時代の最新バージョンのロマンスと、昔のそれとの最も衝撃的な違い はそのエンディングにあると言えるでしよう。伝統的なジェンダー化された構成要素 ( 一対一の 関係、裏切り、対立そして放棄 ) の重要性が変わることはありませんが、女性と男性の関係における 、こ問い直されているのです。 それぞれの位置というものが根本的し 古典的なロマンスの物語はもつばらロマンチックな愛を追求する旅、理想の男性から二つの 言葉、「愛しているよ」「結婚してくれないか」を引き出すまでの旅であるという了解のもと に成り立っています。 ピアースとスティシーが説明するように、 このロマンチックな恋人探しは「探している本人 が非常に明確なファンタジーを、執着を、信条を持っており」「欲望のさまざまな脚色が行わ れ、それを獲得することによって、あるいは同じように失うことによって満たされる」のです。 重要なのは、ロマンチックな愛というものが、女性たちに、自分たちが相手を変える、もし くは変えられると信じさせる力を持っているということなのです。 驚異的な男らしさこそ、女性が求める王子様 歴史学者ジャニス・ラドウェイは、ロマンス小説を読む女性たちがロマンスについて語ると 1 Fi rst Love

6. セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る

マファッションショーでモデルが歩く道 このちぐはぐさはランウェイでも繰り返される。本物のモデルでないキャリー ーモデル は、自信たつぶりに足を踏み出したはい、が、途中でばったり倒れてしまう。スー のハイディを下から見上げるのがいやで、べらばうに高いヒールを履くと言い張ったせいだ。 キャリーは一瞬動けなくなり、 ハイディは倒れたキャリーをまたいで歩けと指示される。しか し、キャリーはどうにか立ち上がり、最後までモデルを演じきって ( 靴は片方なくなっていた が ) 、割れるような拍手を浴びることになる。 「本物」が全面的に肯定され、キャリーと友人たちが体現する「真正性」との比較で、ファッ ションは浅薄なものに見える。意気上がるキャリ ーだが、ファッションにあまり依存するのは どうかと疑問を感じてもいる。というのも、彼女はポイスオ ーバーでこう語っているのだ 「現実の人間は倒れ、起き上がり、そして生き続ける : : : だから、私は宝石つきバンティを引 き出しの奥にしまい込み、現実の人生に戻ることにした」。 物語のテーマがよりシリアスに 『セックス・アンド・ザ・シテイ』とファッションとの関係は、相変わらす豊かでアンビヴァ レントだ。服が見たくてこの番組にチャンネルを合わせる視聴者が少なくない一方で、さまざ まな「本物」の問題の前に、ファッションはいささか影が薄くなってきている。 シーズン 4 では、物語で扱う問題が以前より明らかにシリアスなものになっている。テーマ こうがん は一夫一妻制と裏切りであったり、不妊と望まない妊娠であったり、睾丸ガンであったり。そ 6 Sixth Love 220

7. セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る

この二つの動きは互いに緊張関係にあって、ファッションを見せることが優先されるあまり、 そのとき展開している物語が食われてしまうことさえある。この緊張は、女性とファッション の物語一言説においては特に重要な意味がある。というのは、性格、アイデンティティ、女性性 セルフ・プレゼンテーション 。 : 服装と自己提示を通じて了解されてきたのは、伝統的に女性だからである。 シモーヌ・ド・ポーヴォワールは、ファッションと女性性について、今日もなお有効な評論 彼女はいわゆる「エレガントな女性」について『第二 をおこなった最初のフェミニストだが、 の性』 ( 新潮社 ) の中でこう言っている。「そういう女性にとって大事なのは、身を飾るモノの 方ではなく、そのモノで着飾った自分自身である」。ポーヴォワールは、女性と服装とはと うぜん共生関係にあると見なし、アイデンティティと衣服とが一致しない可能性を無視してい る。ポーヴォワールの言う構築 ( 彼女の残した最も重要な言葉「人は女に生まれるのではな 。女になるのだ」から読みとれる ) もまた、それと同じ考え方ーーすなわち、服飾は女性か に基づいて ら独立して存在するのでなく、女性に近づき理解する手段になっているという フェミニズムの分野においては、このポーヴォワールの見解がしばらく主流になっていた。 後の映像研究者カヤ・シルヴァーマンなどは、事実としてこう言いきっているほどだ。「衣服 は主観的実在の必要条件である。衣服は身体を表現し、それと同時に精神をも表現する」。す なわち、アイデンティティと服装との相互作用を、フロイトによるエゴの解釈ーーーエゴとは 「身体表面の心理的投影」であるというーーーに結びつけているわけだ。 6 Sixth Love 194

8. セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る

ドラマの魅力は華やかなファッション 未来の上院議員を恋人にするのはどんなものかと考えているとき、キャリーはこうつぶやく。 「彼は政治オタク、私はファッションオタク。古い物を混ぜ合わせて、いままでにない新しい 物を生み出すのは同じ」 ( シーズン 3 】 2 「恋の本音とタテマエ」 ) 。 『セックス・アンド・ザ・シテイ』の衣装担当バトリシア・フィールドは、確かに初期のエピ ソードではこのセリフどおりのアプローチをとっていた。しかし、最新のファッションを見ら れるというのが人気の大きな理由になってきて、いまでは新しい物ばかりが脚光を浴び、古い 物は片隅に追いやられている。 バトリシア自身はこ , つ一一 = ロっている CKISS AND TELL 』 ( ブックマン社 ) の引用 ) 。「私の使 , っ公式は 正三角形なの。三角形の三つの頂点をなすのは、俳優、登場人物、ワードロープ。どの頂点も 脚本に合っていなくちゃだめ」。これはなかなか意味深な言葉だ。脚本と衣装との力関係が普 通とは逆になっているからである。 ハリウッド映画やテレビ番組ではたいていそうだが、 一般に衣装は登場人物や演技に合わせ て選ばれるもので、その逆ではない。バトリシアの言葉からわかるのは、『セックス・アン ・ザ・シテイ』ではファッションと衣装が「見世物」になっているということだ。それを身 につける俳優や登場人物と並んで、衣装の方が脚本や物語を左右し、脚本や物語に縛られずに 独立して存在しているのだ。 ヴィンテ 6 Sixth Love 192

9. セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る

ーク・アベニューの。ハーテイや 同様にプシュネルの描くニューヨークのプルジョワの富、 ーのミンクのコー チャリティ、サザビーのオークションなどはドラマで取り除けられ、キャリ トやルイ・ヴィトンのスーツケースなども除かれています。 いんうつ 彼女の描くいささか陰鬱なニューヨークの富の世界は、同じく O の長寿番組である ・ニュージャージー州ハドソンが舞台の、 『ザ・ソプラノズ哀愁のマフィア』の汚れたリアリズムとはおよそ対照的な世界 イタリア系マフィア、ソプラノ家の物語 ですが、その映像化にあたっては、ケープルテレビ制作のあらゆる利点が駆使されました。 可能な限りの屋外ロケ、照明、キャストやセッティング、そしてドラマをいっそう際立たせ るためにエピソードごとにつけられたオリジナルのジャズ音楽。プシュネルの大都会の女性嫌 悪的な皮肉に代わって、スターは軽妙な笑いを誘う、シックな四人組をメインにしたアンサン プル・コメディを作り出しました。 ドラマの主眼は独身女性のセックスに対するスタンスですが、同時に女性の友情をとても肯 定的に描いていることも注目されます。 コメティを盛り上けてきた女同士の助け合い ・フアビ ー』『ゴールデン・ガールズ』、さらには『アプソルートリー 『ラバーン & シャーリ ュラス』にいたるまでのシチュエーション・コメディの中核をなしているのは、これら女性同 士の助け合いのシステムです。 こうしたコメディについて、アレックス・ドティは「女性たちの活躍と結びつきを喜ぶ視聴 の 『セックス・アンド・ ザ・シテイ』は 男と女の愛の物語 ? 169

10. セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望 : 性とファッションの秘密を探る

原作とドラマはどう違う ? このキャリーとミスター・ビッグの関係こそは、物語の中核であり、プシュネルのコラムで 唯一のラブストーリー にもなっています。ニューヨークの著名な出版人で、実際にプシュネル ・ビッグは、財 がデートした経験のあるロン・ガロッティをモデルにしたと言われるミスター 力でも権力でも年齢でも、一介のコラムニストをゆうに上回る男性です。そういった意味でこ すうせい の二人の関係は、ニューヨークで趨勢を占める男女間のバランスを、ロマンチックに味付けし たものだと言えるでしよう。 プシュネルの描くマンハッタンは、自由に旅行し、税金を払い、〈マノロ・プラニク〉のス トラップ・サンダルに四百ドルをはたく女性たちを引きつけています。しかし、男性の方はさ らにリッチで、彼と寝る美しく成功した女性までも、都会の高級売春婦の現代版ーーその若さ と美貌が続く限りは金回りもよくちやほやされる・ーーに仕立てあげてしまうのです。プシュネ ルのコラムはその冒頭で、イーディス・ウォートンの書いた『無垢の時代』 ( 荒地出版社 ) やト ルーマン・カボーティが原作を書いた映画『ティファニーで朝食を』に触れることで、その文 学的というよりは映画的な原点をうかがわせます。けれども同時に、このコラムはいまだにリ ッチな男性と結婚することこそが、都会の女性にとっての経済的・精神的安定を求める最良の 方法であり、その点では過去と何ら変わらないことを示してもいるのです。 プシュネルはこの昔ながらの物語に、イーディス・ウォートンの金びか時代やトルーマン・ 5 Fifth Love 162