エストレモス - みる会図書館


検索対象: ポルトガル夢ホテル紀行
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1. ポルトガル夢ホテル紀行

ストレモスでしよ」なる意見を多々聞き、取材後も「やつばりエストレモスは最高だったでしょ ? 」と聞 かれたのだが、私個人の感想としては「静かな一夜を過ごすには絢爛豪華過ぎて落ちつかない」。マヌエル の意見は「確かに何か所かきれいな所はあるけれど ( 彼がファインダ 1 に収めたように ) 、ヴァケーション でここに泊まるかとなると、あまり興味はないかな」というものだった。だがポルトガルならではの歴史 し冫冫し力ない、それがボウサダ・タ・ハイニヤ・サン 的、美術的価値の高いホテルとして言及しないわナこま ) ゝ タ・イザベルなのである。 このボウサダのすぐ隣りに市立美術館がある。小さな建物なのだが、ここエストレモスが陶器の町とし て栄えたことを裏づけるコレクションが充実している。またその昔、陶器造りの残土で作った素朴な人形 のコレクションも多い。百体近い一〇センチほどの人形が表す宗教行事や当時の暮らしなど、それこそ本 当の土臭さがいつばいでほほえましい 展示室を抜けて中庭に降りると右手に小さな工房がある。エストレモスの土人形づくりは長い間すたれ ていて、最近まで誰も作る人がいなかったが、現在一一人の職人の手により、この小さな工房で息を吹き返 した。無ロな二人は兄弟で、一日中もくもくと土と向き合っている。昔のコレクションを参考に、より手 工芸品として価値の高いものへと変化させ、今ではエストレモス名物の土人形として人気が高い。カトリ ックの聖人をモデルにしたものや、このあたりの人々の暮らしをテ 1 マにしたもの、それぞれ土ならでは の暖かみとあざやかな彩色に包まれている。「ボア・タールデ ( こんにちは ) 」と戸口で声をかけると不器用 に微笑みながら迎えてくれる彼らは、人形と同じように素朴で暖かい。 128

2. ポルトガル夢ホテル紀行

Pousada da Rainha Santa lsabel ボウサダ・タ・ハイニャ サンタ・イサベル Largo Dom Dinis, Estremoz tel 068 ー 332076 / fax 068--332079 0 を 0 し S 毳 DA い、ミ S 強、物 4 ← エヴォラから再びハイウェイに乗る。九八年のリ スポン万博開催に合わせ高速道路が急ピッチで整備 され、とくにポルトガルースペイン間は新しさも手 伝って非常に快適である。ただし、サ 1 ビスエリア なるものの整備がまだまだなので、喉が渇いたとか トイレに行きたい、 という事態は避けるように。西 暦二〇〇〇年にはすべての整備が終わることを祈ろ さてエヴォラからハイウェイを北東へ約四五キロ 行くとエストレモスに着く。下の町と呼ばれる、近 代になって家々が立ち並んだ新市街はこれと言って 色気のある町ではないが、丘の上に建つ城を中心に 城壁に囲まれた旧市街 ( 上の町 ) には、観光客の期 待を裏切らないポルトガルが残っている。 「 CASTELO 」の案内板にしたがって丘を登ってい くと城壁の中へと導かれる。いかにも城へ、という エストレモス 124

3. ポルトガル夢ホテル紀行

中で職人がろくろを回している光景や、成型の終わった器を天日で干しているのを見かける。機械をいっ さい使わない本当のハンドクラフトである。この町の人同様、すましたところがない暖かな皿やボウル。 値段も手頃で実用的なので、おみやげに欲しいのだが、いかんせん重く、割れ物ときている。頭を悩ます ところだがせつかくここまで来たのだ、ごっちやり並ぶ皿の山の中からたった一枚だけ気に入った皿を見 つけよう。しつかり梱包して手荷物の中に押し込めばよいのだから。 さてこのルドンドの町から国道 381 をエストレモス方面、北へと向かう。小さな集落を抜けオリープ の間の道を十分ほど行くと、ゆるやかなカープの手前右側に白塗りの門が見えてくる。これがコンべント・ デ・サン・パウロの入口である。門を過ぎると、やがて前方にしつかりと閉じられた門が現れる。レセプ ションがビデオで客を確認次第門を開くが、時折時間がかかる場合もある。いらいらせずに待とう、待て ば待つほど期待はふくらみ、後で味わう感動も大きい 門を通り過ぎカープを曲がると建物が見えてくる。車を停めて、玄関に向かう。古い大きな木のドアが 開かれ、ホールへと導かれる。目に飛び込んで来るのは見事なアズレージョの壁。正面のアンティークデ この美しいホールはこのホテルの序章に過ぎない。 スクと数脚の椅子以外何も置かれていない、 その名のとおり、この建物は一三七六年に建てられた修道院であった。当時の修道僧たちが祈りに専念 できる、より静かな地を求めこの地に修道院を建てたのであろう。そのことは二〇世紀末の今日でさえ、 まわりに何もない立地が証明している。しかも中世の時代にすでにアレンテ 1 ジョの中心となっていたエ ヴォラやエストレモスからもそう遠くはない。彼らにとって最高の環境であったに違いない。その後政情 の大きな変化により修道僧がここを去った後、長い間誰からも忘れ去られていたという。やがて現在のオ 152 ロ 0 ロロ ロ 0 ロロ

4. ポルトガル夢ホテル紀行

Convento de Säo PauIo コンペント・テ・サンワヾウロ Aldeia da Serra, 7170 Redondo tel 066 ー 999100 / fax 066 ー 999104 、一をキ アレンテ 1 ジョの旅は、ポルトガル中を旅した我 我二人組が迷うことなく「ザ・ベスト」と呼ぶホテ ルで締めくくる。その名はホテル・コンべント・デ・ サン・パウロである。エヴォラ、エストレモス、ヴ イラ・ヴィソーザ、レゲンゴス・デ・モンサラスの 四つの町のほば中むにルドンド (Redondo) という 町がある。いずれからもルドンドへの道がまっすぐ 伸びているので位置的には分かりやすい。ルドンド は窓の部分だけ黄色やオレンジ色、青に塗り分けら れた白塗りの家が建ち並ぶ、アレンテージョによく ありがちな小さな町の一つで、これもまたありきた りだが、陶器の町として知られる。ポルトガル中の みやげ物屋で見かける、ばってりした形の赤土の皿 やボウルに、あざやかな彩色の花柄やほほえましい 童画が描かれた陶器を作っている。 現在一一の窯元があり、町を歩いていると工房の ルドンド コンべント・デ・サン % ハウロ

5. ポルトガル夢ホテル紀行

ジ ン d ・ デ サ ウ ViIa Viqosa tel 068 ー -980742 / fax 06 & -980747 エストレモスから南東へ一五キロ、ヴィラ・ヴィ ソーザに近づくとあちこちに石屑の山を見かける。 このあたりは大理石の産地で、町の経済の要となっ ている。大理石とはいえ使えない物はやはり屑なん だな、などと考えながら石屑の山を通り過ぎると、 今度はたわわに実ったオレンジの木々、その足下に は熟したオレンジの実がごろごろと落ちていて、あ あ、もったいないと思う。「日本では自由化になった とはいえ、オレンジはまだまだ安くないんだから」 と、なぜもったいないかをマヌエルに説明している うちに、車は町に到着する。 なるほど町の建物のそこかしこに大理石が使われ ている。町の中心の大通り ( といっても三〇〇メ 1 トルあるかないかだが ) は教会を起点とし、反対側 は城跡に突き当たる。城壁に向かってでこばこ道を 登ると、城門脇に古い大砲が置いてある。その昔、 この大砲もこの城壁のどこかの砲門から東の方向、 スペインに向けて置かれていたに違いない ボウサダ・デ・ドン・ジョアンⅣ 3

6. ポルトガル夢ホテル紀行

Pousada Flor da Rosa ボウサタ・フロル・ダ・ローサ 日 or da Rosa, 7430 Crato tel 045 ー 997210 / fax 045 ー 997212 ヴィラ・ヴィソーザから再びエストレモスに戻り、 そこから国道 245 を北上する。アルター・ド・カ オ (AIter do Chäo) からやや立派な国道—O に 乗りかえ、さらに北上するとクラト ( crato ) に到着 する。このクラトもヴィラ・ヴィソ 1 ザ同様小さな 町で、観光地の魅力としてはヴィラ・ヴィソーザよ りさらにマイナーかもしれない。どんなガイドブッ クにもその名を見ることがないのがそのしるし。町 自体には古い歴史があるのだが、車で通り過ぎるか ぎり比較的新しい町並みなのである ( かといって近 代的なビルやカラフルなネオンに溢れているのでは なく、古い町並みが残る他の町に比べて、という意 味である ) 。だがクラトには行くだけの価値があるの だ。ボウサダ・フロル・ダ・ローザのために。 クラトの町で— O をはずれ、国道 18 をフロ ル・ダ・ローザ (FlordaRosa) へと向かう。カフ 工がところどころにあるような、ありきたりの国道 を二—三キロ進むと、左手にボウサダの看板が見え ボウサダ・フロル・ダ・ロ 1 ザ

7. ポルトガル夢ホテル紀行

ルトガルで多くの教会を訪れたが、このボウサダ・アレイオロスの教会は忘れ得ぬ教会としてあざやかに 心に残る。 客室は修道院の入口とは反対側、丘陵に面して増築された部分にある。スタンダードルーム三〇室、ス イ 1 ト二室、各部屋ともガラス張りの大きな窓からゆるやかなアレンテージョの丘を望む。白く塗られた 壁、教会のべンチと同様なシンプルモダンの木製べッドに、オレンジやプル 1 のあざやかなべッドカバ きなり 生成色の椅子にカーテン。どこまでもからっとしている。 一階のレストランも同様、開口部が大きく明るく広々している。冬以外にはガスパッチョ・アレンテー ジョスタイルをお試しを。私の知っているガスパッチョは、夏野菜を細かく刻んだ物をトマトジュースで さくさくと 混ぜ合わせたようなものだが、ここアレンテ 1 ジョのガスパッチョはもっとワイルドなのだ。、 切ったトマトやたまねぎ、赤や緑のピーマン、にんにくにサラミソーセージをたつぶりのオリーブオイル、 酢と混ぜ塩胡椒で味つけしたもの。このボウサダのガスパッチョは洗練されているが、町のレストランで 出会ったものは素焼きの大きなボールにそれらの野菜と残り物のパンがたつぶりと盛られ、しかも大きな にんにくがごろごろしていた。「えつ、これがガスパッチョ ? 」といぶかしんだが、これがなかなかいける のである。スープではなく、お腹にしつかりたまるサラダと考えた方がよろしい。食後、たまねぎとにん にくの匂いが気にはなるが、ここアレンテージョでのお薦めの一品である。ある日のこと、このワイルド・ ガスパッチョをたらふく食べたマメエルと私は、その後ボウサダのディレクタ 1 との挨拶があったのを思 い出し、あわてて歯を磨きに行ったが、あまり効果はなかったと思う。 このボウサダはオープンして日がまだ浅く、また近隣には有名なエヴォラやエストレモスなどのアンテ ボウサダ・デ・ノサ・セニョーラ・ダ・アソンサオ

8. ポルトガル夢ホテル紀行

パソ・ダ・グロリア ボルト アレンテージョの旅 フアド = 22 / トレイラ = 54 / フアティマ = 108 96 ホテル・インファンテ・デ・サグレスーーー 104 < リヴラリア・レロ・イ・イルマオン > くマジェスティック・カフェ > 111 エヴォラ 107 ボウサダ・ドス・ロイオス < フィアーリョ > アレイオロス ボウサダ・デ・ノサ・セニョーラ・ダ・アソンサオ 工ストレモスとその周辺 113 118 119 ボウサダ・ダ・ハイニヤ・サンタ・イザベル 124 ボウサダ・デ・ドン・ジョアンⅣ ボウサダ・フロル・ダ・ローザ 131 135 ボウサダ・デ・サン・フランシスコー - ー 142 モンサラス ホルタ・ダ・モウラ ルドンド 146 コンべント・デ・サン・パウロ 151 キンタ・ド・ラゴ ヴィラ・ヴィータ アルカルウェの旅 あとがき ( 東海砂智子 special thanks 161 163 169 < プラインニヤ・クループ・ホテル > くレストラン・カニソ > = 178 / マヌエル・ブルッジス = 180 ) 176 183 ロノヾの名前 = 129 / 闘牛 = 158