リスポン - みる会図書館


検索対象: ポルトガル夢ホテル紀行
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1. ポルトガル夢ホテル紀行

旅ではある。が、この長いフライトの過ごし方も航空会社のサービス次第でずいぶんと変わるものだ。シ ートのピッチの広さや機内食の質の良さでスイス航空は二重丸と言えよう。 「間もなくリスポン空港到着」のアナウンスと同時に、窓の外にはリスポンの美しい夜景が広がる。テー ジョ川にかかる「四月二十五日橋」や、両手を広げて立っキリスト像クリスト・レイ、そしてオレンジ色 の灯りがまたたくリスポンの街などがぐんぐんと近づいて来て、機内は穏やかな興奮に包まれる。近代都 市の明るくも冷たい街の灯に比べ、なんとも穏やかで暖かい。旅人の私以上に、リスポンが生まれ故郷で あるマメエルにとって、この町の灯はどんなに懐かしく、そして暖かいものであろうか。いつもはやかま しいくらいおしゃべりな彼が、いつになく無言で窓の外の夜景に見入っている。珍しくおセンチだな、と 思っていたら、なに、空港に迎えに来てくれるはずの弟がちゃんと忘れずに迎えに来ているか、おふくろ がタ飯を用意してくれているかが心配だったそうな。 リスポン空港はポルトガル第一の空港だが、規模は大きくないので、うろうろと迷うこともなく、とて も分かりやすい。また悪名高い我らが成田空港と違って立地が非常に良く、空港から市の中心地まで六キ ロほど、シャトルバスで約一五分、タクシーなら約一二分と驚くほど近し ゝ。北へ行くにも南へ行くにも旅 はリスポンから始まる。 また、鉄道網のあまり発達していないこの国を旅するにはレンタカーが最適である。私たちはヨーロッ パに幅広い支店網を持っヨーロップカー社を利用し、快適な長距離ドライプを存分に楽しんだ。レンタカ ーはマニュアルシフトの車がほとんどで、オートマチック車に慣れきってしまった私には一大アドベンチ ャーである。しかもリスポンは坂の町、坂道発進の連続である。やれやれ。でも心配無用、リスポンやポ はじめに

2. ポルトガル夢ホテル紀行

ものである。緻密なうえに、これでもか、といわんばかりの装飾は過剰でもあるが、同時に見事としかい いようがない。マヌエル様式の集大成といわれるジェロニモス修道院の中庭を囲む回廊の華麗さは、今も 私の脳裏に八ミリフィルムの映像のように、カラカラと音をたてながら甦る。 私にとってこのジェロニモス修道院はリスポン一のお気に入りの場所なのだが、リスポンで生まれ育っ たマヌエルにとっては「その他の名所と同じ、古くてかび臭い建物の一つに過ぎない」そうで、何百回と いちべっ なくジェロニモス修道院の前を車で通り過ぎても、一瞥もくれようとしない。逆に「おお、ジェロニモス ! 」 と感動する私を横目に、アクセルを踏み込むという意地の悪いことさえする。 そんなマヌエルが寄り道をいとわないのが、ジェロニモス修道院のすぐ近くにあるカフェ「パスティス・ デ・べレン」である。リスポンのお菓子、いや国民的お菓子であるパステル・デ・ナッタは、カスタード クリームのたつぶりつまったタルトで、焼きたてにシナモンパウダーを振ってほおばるのが最高。パステ ル・デ・ナッタのないお茶の時間は寂しすぎる。そのパステル・デ・ナッタを売りものにする店「パステ イス・デ・べレン」では、週末には店の外にまで長い行列ができ、基本的に短気なポルトガル人も、ここ では辛抱強い民族へと変身する。 そしてリスポンの街を見おろすのがサン・ジョルジェ城。てくてくと坂を登り、たどり着いた城壁の向 こうには一大パノラマが広がる。海のように広いテ 1 ジョ川を左手に、眼前には丘の上下にひしめくリス ポンの古い街並みが一望できる。この城の下の南斜面にはリスポンでいちばん古い地区、アルフアマが広 がる。この地区は一七五五年のリスポン大震災をも逃れ、その後も開発の手がいっさい入っておらず、密 集した家並みの間を迷路のような路地がぬう。この地区が一年でもっともにぎわうのは、リスポンの守護

3. ポルトガル夢ホテル紀行

それでは首都リスポンをちょっとぶらぶらしてみよう。「七つの丘の街」といわれるリスポンは、坂が多 い。さして大きな都市ではないのだが、この坂のせいで歩きでは充分にある。しかも不揃いな石畳の通り が多いのでぶらぶらするのも大変だ。そんな時に便利なのが古くさい型の市電や、乗ったと思ったらすぐ 坂の上に到着してしまうケープルカー。これらをうまく利用すると、また別のリスポン探検が楽しめる。 ポルトガルでは現在八件の建造物がユネスコの世界遺産として指定されている。そのうちリスポンのべ レン地区にジェロニモス修道院とべレンの塔がある。どちらも一六世紀初頭建築のマヌエル様式を代表す る建物である。 マヌエル様式とは、一四九五年に即位したマヌ再ル一世の時代の建築様式で、後期ゴシック様式に、当 時、大航海時代の王者として君臨していたポルトガルらしく、船や海にまつわるモチーフの装飾を加えた モ・デ・ハビタサオには数世紀を経た人の暮らしがそこにあり、生活の一部となっている本当の意味のア ンティークがある。それに加え、家族的なもてなしのなか、ヨーロッパ中から訪れて来る他のゲストとの 語らいも楽しい。観光地を巡るばかりが旅ではない。古き良き国ポルトガルを知るには、最良の宿が、こ のツーリズモ・デ・ハビタサオなのである。値段的には二名一泊朝食込みで 12 、 000 エスクードから 16 、 000 エスクード前後、予約をしたい場合は屋敷に直接コンタクトをとるか、ツリハ ープの事務所 を通じてする。 TURIHAB tel 058 ー 74 28 27 , 74 29 29 , 74 16 72/fax 058 ー 74 14 44 リスポン はじめに

4. ポルトガル夢ホテル紀行

広大な緑の丘や青い海、時の止まった中世の町、おいしい料理にワイン、そして素朴な人々の笑顔がゆっ たりとあなたを迎えてくれるこの国へ。 しかし、ポルトガルへ行こう、とやみくもに出かけるのも良くない。旅の善し悪しは滞在するホテルに よって決まると言っても過言ではない。古い国であるだけに古城や教会、修道院など見どころはたくさん あるが、これらの多くが国営ホテル「ボウサダ」へと姿を変えてゲストを迎えているのも大きな魅力であ る。それ以外にも北部地方に多い、マナーハウスがこじんまりとしたインとなった「ツ 1 リズモ・デ・ ビタサオ」や、南部のアルガルヴェ地方の超豪華なリゾートホテルなど、ポルトガルならではの独特の味 わいを持ったホテルがたくさんある。そんな中から私たち二人組が、まずはポルトガルらしさを第一に、 次にフォトグラファーの目からはヴィジュアルを中心に、ライターの目からは居心地の良さから選りすぐ った夢ホテル。そんな夢ホテルを巡りながらこの国を旅してみよう。 さてさてポルトガルへはどうやって行くのか ? 残念なことにどの航空会社も直行便を飛ばしていない そのせいもあって海外旅行好きの日本人にもまだまだマイナーな国である。ョ 1 ロッパ系航空会社で各本 拠地の空港を経由して、首都リスポン入りするルートが最もポピュラ 1 である。 今回私たちは、優れたサ 1 ビスで最近とくに人気の高いスイス航空の協力を得て、スイスはチーリッ ヒ経由でリスポンに飛んだ。以下のデータは一九九八年夏のものだが、一一時五五分成田発に乗り、一二 時間四〇分でチュ 1 リッヒ空港に到着、約三時間の乗り継ぎ時間を過ごした後、便を乗り換えて一一時間半 のフライトで、リスポン空港着が一三時二五分となる。やれやれ、空を飛ぶこと約一五時間、確かに長い

5. ポルトガル夢ホテル紀行

午一 0 発車したとたんに到着するラブラのケープルカー ( 上 ) 国民的お菓子バステル・デ・ナッタ ( 下 ) 聖アントニオのプロセッション。アルフアマにて ( 上 ) リスポンのフェスタでは各地方の民族衣装が花盛り ( 下 )

6. ポルトガル夢ホテル紀行

り、そこにあるのがシーザー 1 クホテル・ペニヤ・ロンガである。ホテルの看板を目印に左折してしば らく行くと左手に立派なゲ 1 トが現れる。そのゲ 1 トからホテルの建物までは、しばしのドライプとなる ほど敷地が広い。やがて緑の中に暖かいピンク色のホテルがその姿を現す。堂々の五つ星を冠に抱くこの ホテルは、世界選手権の開催も可能な一八ホールと九ホールのゴルフコースを持っゴルフリゾートである。 リスポンから一時間足らずという立地の良さに加え、残念ながらゴルフには無縁な私ではあるが、これだ け豊かな自然の中でプレイするゴルフの心地よさは容易に想像がつく。優れたゴルフコ 1 スに豪華ホテル、 ちょっとポルトガルらしくないような気もするが、実はこのペニヤ・ロンガと日本の間には古い関わりが あるのである。 堂々と建つ近代建築のホテルのすぐ近く、一段下がった所に古い教会が残る。修復工事の施されたこの 教会はペニヤ・ロンガに数多く残る歴史的遺産ともいえる建築群の一つなのである。この地に初めてジェ ローム派の修道僧たちが訪れたのは一三五五年のことで、一六世紀には修道院として最盛期を迎えている。 一五八四年のある日、この修道院ははるか遠くの国、日本からやって来た四人の少年を迎えた。それが伊 東マンショをはじめとする四人の少年たち、天正遣欧少年使節である。 一五四九年、フランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられたキリスト教は、織田信長の庇護のもと に見る間に信者を増やした。そして九州のキリシタン大名によって選ばれた四人の少年たちがローマを目 指して長崎を出発したのは一五八二年のこと。彼らが当時ョ 1 ロッパへの玄関口であったリスポンに到着 したのは、それから約一一年半の航海の後であった ( 長い旅である。一五時間のフライトに愚痴をこばして はいけない ) 。長い航海の疲れを癒し、再びロ 1 マへの長い旅に出発する前に彼らが滞在したのが、ここペ

7. ポルトガル夢ホテル紀行

る。すべてポルトガル人シェフによって料理され、寿司や鉄板焼をはじめ季節の料理とメニュ 1 も充実し ている。今回撮影に協力してくれたシェフはこの「みどり」で初めて日本食に出会い、そのあまりのおい しさに感動したという ( それを聞いた時、私の低い鼻が五ミリほど高くなった ) 。その後日本に派遣され、 約半年間日本食の修業を積んだ彼のお薦めは、バカリャウ ( ポルトガルを代表する食材の干し鱈で、その 料理方法は数百種類ある ) を巻き寿司にした「ポルトガル巻き」。ここでしか食べられないメニューであ リスポンからも魅力的な小さな町シントラからも近い、緑豊かなリゾートホテル、ペニヤ・ロンガ。ゴ ルフを楽しむのもテニスやスイミングプールで遊ぶのも良し、五つ星ホテルの豪華さを満喫するのも良し。 はるか昔この地を訪れた四人の少年のことを、ふと思い出しながら。

8. ポルトガル夢ホテル紀行

地図 1 ・はじめに・ リスポン ・・ポルトガルへ行こう、古き友人の国へ 5 シーザーノヾーク・ペニヤ・ロンガーーーー 17 < タヴァレス・リコ > く札幌 > - ーー - ー 24 2 5 北部の旅 ブサコ プサコ・パレス・ホテル オビドス ボウサダ・ド・カステロ < イシュテラス > ヴィラ・ノヴァ・デ・セルヴェイラ ボウサダ・ドン・ディニス ヴィアナ・ド・カステロ 35 38 41 27 ボウサダ・ド・モンテ・デ・サンタ・ルチア くマリア・デ・ペレ > - ー - ー 47 アマレス ボウサダ・デ・サンタ・マリア・ド・ボウロ 44 50 ギマランイスとその周辺 ボウサダ・デ・サンタ・マリー パソ・デ・シプリアノーーー 60 < ドン・アントニア > カサ・ダ・トジェイラーー 66 ニヤ 64 57 カサ・デ・カネド ソラー・デ・ミラガイア ・リマとその周辺 パソ・デ・カリエイロス ホ。ンテ・テ、 カサ・ダス・トレスーーー 90 76 83 < ア・カルヴァリエイラ > 94 ブックデザイン / 麻生隆一

9. ポルトガル夢ホテル紀行

リスポンから真北に一〇〇キロほど北上し た大西洋岸にナザレがある。ポルトガルを代 表する漁師町としてその名を知られ、ガイド ブックでも割合とべージを費し、力を入れて 紹介している。日本からのツアー旅行の多く も「素朴な漁師町ナザレに一泊」する。とこ ろが時間のゆっくり流れているこの国でも、 ナザレでは違ったようだ。 初めてのポルトガル旅行ではこの町を訪れ るチャンスがなかった。時間的な理由もある か、マヌエルに「行ってもしよ、つかない」と トレイラ トレイラ名物 地引き網を引く牛 却下されたからでもあった。だがガイドブッ クから得たイメージは私の中でどんどんふく らみ、次の旅では「どうしても行ってみたい」 とマヌエルに頼み込んだのである。そして再 び「行ってもがっかりするだけだって。ナザ レがみんなの思っているようなナザレだった のは三十年前までのこと。大型船の漁が盛ん になってからは、町外れに近代的な港ができ て昔ながらの小さな漁船は次々に姿を消した し、レストランで出す魚はペニシェで水揚げ されたものが多いし。とにかく今のナサレは、

10. ポルトガル夢ホテル紀行

Pousada dos Löios ボウサタ・ドス・ロイオス L. do Conde de Vila 日 or , 7000 Evora tel 066 ー 24051 / fax 066--27248 リスポンから東へ、スペインに向けて快適なハイ ウェイがアレンテージョ地方を横切る。オリープと コルクの続く眺めを楽しみながら車をゆっくり走ら せること一時間半で、この地方の中心都市エヴォラ に到着する。その存在の大きさは近辺を走るすべて の国道がエヴォラへと向かっている状況からもうか がえる。近代になって家々が建ち並んだ新市街を過 ぎると古い城壁を外周する道路に突き当たる。この 城壁に囲まれた旧市街全体がユネスコの世界遺産の 指定を受けたのである。外側が一四世紀頃の城壁で、 そのまた内側に一部ローマ時代まで時代をさかのば る城壁が町を取り囲む。 エヴォラはローマ時代にすでにこの地方の商業の 中心地として栄えた町であり、現在は大学をはじめ 多くの学校がある学生の町でもある。車も通れない 細い道を歩いていると 、いかにも一五 5 一六世紀の ボウサダ・ドス・ロイオス 1 エヴォラ