下鴨神社 - みる会図書館


検索対象: 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)
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1. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

一 (l) 年三月に書き上げられたが、その作者である鴨長明 『方丈記』は、建暦二 ( 一一 しようねぎ さいこうち しんかん かものみおやじんじゃ は、賀茂御祖神社すなわち下鴨神社の正禰宜 ( 下鴨神社の神官の中での最高の地位 ) に ほ、つげん よくねん かものながつぐ あった鴨長継の二男として、久寿二 ( 一一五五 ) 年に生まれている。その翌年には、保元 しようねんじだいながあきら らんお の乱が起こり、平治元 ( 一一五九 ) 年には平治の乱が起こっているが、少年時代の長明 かんい ものがた は、七歳の十月に早くも従五位下の官位を与えられたことが物語っているように、たのも すいそく とばいんこうじよまいし たかまつによいん みやづか しい父親の庇護のもとに、鳥羽院の皇女妹子 ( 後の高松女院 ) に宮仕えしていたと推測さ おく れる父方の祖母らに目をかけられて、おだやかで夢の多い日々を送っていたようである。 きゅうし しようあん ながあきら ところが、承安三 ( 一一七三 ) 年ごろ、長明が十九歳という年に父の長継が急死して、 わか かんげんもと えんせきすけすえ ながあきら 縁戚の祐季が下鴨神社の禰宜となる。父の死後、長明は、心のはけ口を和歌と管絃に求め ねっしん みなもとのしゅんえ たらしく、亡き父とその友人たちの和歌の師でもあった源俊恵という人について熱心に 『方丈記』解説 ほうじようきかいせつ ひご けんりやく なん じゅ′」 ーレーがも きゅうじゅ あた し ゅめ こばやしやすはる ト , 不ロ木ムロ さくしゃ かものながあきら 284

2. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

しよくいん にじようごしよさいこう わかどころだい なえて、二条の御所に再興した。その和歌所の第一次の寄人 ( 和歌所の職員 ) には太政 けっこん にんめい だいじんふじわらのよしつねいか 大臣藤原良経以下十一人が任命されたが、おそらく二十 5 三十代に結婚生活に破れ、和歌 よくげつ ながあきら を生きがいとして、すでに四十七歳に達していた長明も、翌月、第二次のメンバーの一人 よりうど ふじわらのさだいえ ついか じつむせきにんしやみなもとのいえなが として追加される。実務責任者は源家長。十一月には、その寄人たちの中から藤原定家、 しんこきんわかしゅう へんじゃ ふじわらのいえたか 藤原家隆ら『新古今和歌集』の編者六人が選ばれた。建仁三 ( 一二〇三 ) 年二月に和歌所 ごとばいんしんにん しごとつづ きようごくどのうつ ながあきら が京極殿に移ってからも、長明はその仕事を続け、後鳥羽院の信任もあっかった。 ただすしゃねぎ よくねんしもがもじんじやせっしゃ 翌年、下鴨神社の摂社 ( 本社に付属する神社 ) である河合社の禰宜のポストがあいたの すけかねすけすえ ながあきら で、後鳥羽院は長明をそれに任じようとしていたところ、下鴨神社の禰宜の祐兼 ( 祐季の きようこうはんたい じっげん 子 ) の強硬な反対にあって実現しなかった。思いがけなくめぐってきた、下鴨神社の禰宜 ようい こういてきだいあん ながあきら への道を閉ざされて、気落ちした長明は、後鳥羽院の用意した好意的な代案にも耳を貸さ ゆくえ す、行方をくらます。 じようどきよう はじ ひえいざん ながあきら やがて長明は、比叡山のふもとの大原の地で浄土教を学ぶ出家者としての生活を始め、 いちぞくぜんじゃくほう おく そこで五年間を送ってから、一二〇八年ごろ、大原で知り合った日野氏の一族の褝寂 ( 法 とやま きようと ねんでし しよ、つかい 然の弟子 ) という人の紹介で、京都の東南約七、八キロの地点にある日野に移り、外山の ほうじよう いおり す びようどういんあみだどう 地に「方丈」の庵を作って住みはじめる。日野にある法界寺には宇治の平等院の阿弥陀堂 じようどしんしゅうかいそ あみだどうげんそん かた ふじわらせつかんじだい に肩をならべる藤原摂関時代の阿弥陀堂も現存するが、そこは後に浄土真宗の開祖となる こきよう しんこうしゃ かっこう せいち しんらんしようにん 親鸞上人の生まれ故郷でもあって、浄土信仰者には合好のしすかな聖地でもあったようだ。 と きお ふぞく おおはら たっ えら やく じ けんにん ほうかいじ よりうど しゆっけしゃ ひのし うつ ゃぶ だいじよう か 286

3. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

らようめいほうしがぞうぶぶん く「長明法師画像」部分 ( 神宮文庫蔵 ) ほうじようあん △方丈庵に近い日 のほうかいじ 野の法界寺。長 あきら 明もたびたびお とずれていたら しい。 ( 京都市伏見 長明方丈石。 ばしよほうじようあん の場所に方丈庵 が建っていたと いわれている。 なが 区 ) ながあ ! ら かものながつぐ しもがもじんじやはうねぎ △長明の父鴨長継は、下鴨神社の正禰宜だった。 ( 京都市左京区 ) ( 京都市伏見区 ) じしよう へいけものがたりえまき ぶぶん △治承のつむじ風のおそろしさ。 ( P. 円 7 ) 「平家物語絵巻」部分。 ( 林原美術館蔵 )

4. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

・横川 ・岩倉 目上賀茂。ゞ、 えんりやくじ、 \ 、 卍延暦寺 。神社 . / ・・ひえいざん 下鴨神社卍 しゅうがくん にんな じ 月修 ! 元 仁和亠 ほうり よしだじん・や 吉田神 、、 . △しやま - 嵐山 双が岡 卍最、院 いりやま かくさ ・深草 よかわ いまでがわ 今出川 しらかわ ・白河 おおっ じようざいこういん 大、 卍常在光院 おうさかのせき ー・逢坂こ やましな 山秤 きせんやま 喜撰山 ならびおか へいあんきよう 平安京 せいかんじ さいしよ きようと 都は ももやま ながおか 長岡 山崎 きゅうおぐらいけ 旧巨椋池 やまぎき いわしみず 石清水 はちまんぐう 八幡宮 たかっきし かたの 交野 、 \ ヾい 枚方市 つれづれぐさ ひらかたし かんけいちず 「徒然草」関係の地図