死ん - みる会図書館


検索対象: 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)
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1. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

どうちょう げんいん 同調する人も死んでしまう。名声というものは、悪口をいわれる原因となる。 死後の名声など、すこしも自分のためにはならないんだ。 ひょうばん ここでですね、世の評判のためでなく、ただひたすら知恵を求める人のためにいうと、知恵という わす さいのう しいですか、そのことを忘れるなよ。才能は人 ものが生じてから偽りというものが生したのである よくぼうぞうちょう った 間の欲望が増長していい気になったものなんだ。人から伝えられたものをきいたのや、他人に学んで 知ったのは、ほんものの知恵ではない。では、なにが知恵であるかというと、そんなものはないの。 可と不可はつながりがあり、区別できない。 ぜん いかなるものが善なのであるか 真実の道理を知った人は智もなく、 徳もなく、手柄もなく、名声もない。その人が真にえらいこと をだれも気がっかないんだ。で、真の道理を知った人が、自分の徳をわざとかくし、ばかをよそおっ ているかというと、そうではないんだ。真の道理を知った人は、もともと賢とか愚とか、得するか損暇 きようち するかを気にするような境地にとらわれていないからなの。 まよ りえき なんど 迷いの心で名誉や利益にとらわれるのは、何度もいうようにくだらないことなんだ。すべての欲得然 はないほうがいいの。そんなもの、ロにするだけの値打ちもなく、願うほどの値打ちもないのね。 しんじっ ふか いつわ くべっ てがら もと そん

2. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

ちえ 死んだあとに財宝をのこすのは知恵ある者のすることではないね。くだらぬものをのこせばその人 しゅうじゃくしん げれつ が下劣に見えるし、 しいものをのこせば執着心がばれて、あさはかなやつだと思われる。財宝は、 やたらとたくさんのこされているほどみつともないんだ。その人が死んでから、「おれがもらうぞ。 とい、つ者があらわれて、あらそ、フことになり、しつにみにくいことになる。 死後にゆすろうと思っているものがあるなら、生きているうちにやってしまいなさい ようひんも 用品は持っていてもやむをえないが、それ以外のものは持たないほうかいいのだ。 ざいほう 死後に財宝をのこすのは もの し、力し だん 〔第百四十段〕 にちじようせいかっ 。日常生活 127 徒然草第百四十段

3. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

かな 人が死んだあとほど悲しいものはない。縁者は死後四十九日のあいだ、山里にこもり、せまい場所 ついぜんほうよう ざっきょ 死者の霊をとむらう仏事、追善法要。 に雑居して法要をするが、なんとも気ぜわしいものである。 ほ、つよ、つ 法要の日数はすぐに過ぎ、四十九日目はしつにしらけた気分で、話すこともなく、われがちに身の せいり まわりのものを整理して家へ帰ってしまう。死者を出した遺族は、家に帰ればいっそう悲しいことか 待っている。 ついぜん 「とんでもないことだ。追善の場では忌みつつしむべきことだ。というか、これほどの悲しみのな ほんい かでどうしてそんなことがいえるのだろうか、人の気持ちというものは、じつに自分本位である わす 「死んだ者へは日々、心が遠ざかる。、ということばがある。死者を忘れまいとしても、日がたつう町 もの 人が死んだあとほど : えんじゃ * しじ、つくこ

4. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

ぶんだい 文台 し′」しじゅうくにち 死後四十九日・ : みらい 人が死んでから未来の生を受ける ちゅうう ちゅういん までの間を中有 ( または中陰 ) と しちしちにち 、その長さを七七日、つまり ゅうりよく 四十九日とする考え方が有力とさ ししゃ こころぼそたよ れた。死者はこの間は心細く頼り ないさまなので、ゆかりの人々は くよう ねんころに供養し、死者のために 祈るならわしであった。 0 0 0 う 生きている人からの手紙だって、もらってから長い年月がたち、 つのことだったかなあ、なんて思いだしていると、胸がじいんとしび 。カ れてしまう。なくなった人がっかっていた道具が変わることなくの かな こっているのも、死んだ人のことを思いだして悲しいんだ。 だい だん 〔第一一十九段〕 かげの声わたしが住んでいたのは、小野の里で、その草庵で しんきようせいしようなごん まくらのそうし わか の心境だ。清少納言が『枕草子』で、「別れた恋人からの手紙が 悲しい。」なんていっているけど、あの人は男にもてなかったか れんそう ら連想していっているだけじゃないの。わたしは、人里はなれた いおり け . いけーん 庵に住む身で、自分の経験をいっている。身のまわりの道具とい * ぶんだいふづくえ うのは、わたしの恋人がっかっていた文台 ( 文机 ) やすずりや筆 のことです。 す おの むね そうあん ふで

5. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

こい 静かにもの思いにふけると、過ぎさったことへの恋しさばかりかつのるの。 どうぐ 人が寝しずまった夜、長い夜のなぐさみに、身のまわりの道具をかたづけていて、あとにのこして第 おきたくない書きそんじの紙をやぶりすてていると、死んだ人が書き散らした文字や絵が出てきて、然 ふとそのときのことを思いだしたりしてね。 かげの声前の天皇は花園天皇で、わたしが尊敬している歌のじようすな天皇だ。代わって御 きしよう あらごだいご にじようためよ 所をうっした新天皇は、気性が強くて荒い後醍醐天皇のことで、わたしの歌の先生の二条為世が つか しよ、つじき 仕えているものの、正直いってにがてなんだよ。 しず 静かにもの田 5 いにふけると そんけい かち

6. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

ふるまい ふかしぎ おろかな者が、ありがたい不可思議な話をつけくわえて、臨終のことばや挙動をかってに脚色して きよどう ほめるのは、死んでいく人の本心にそむくことになる。 がくもん 広くいろいろな学問に通じていること。 かみほとけ 臨終という人生の一大事にあたっては、神や仏のような人でも、りつばであるとはかぎらす、博学 たにん よそく の人でもどうなるか予測できないんだ。死ぬ本人がとりみださなければよいのであって、他人が見た ひょうばん りきいたりする評判で、よい、悪いはきめられない。 だん 〔第百四十三段〕 、」、っそ、つ 実在の人の死にぎわのようすや、ことばなどを記したもの。 かげの声ちかごろの「往生ー伝や「説話集、には作りごとが多くてな。高僧が死ぬと、「天 おうじようでんー せつわしゅう むらさきいろ かお に紫色の雲かかかり、あまい香りがただよい、空から音楽がきこえてきた。とかいう作り話 ばかりさ。そんなことがあるはすがないだろう。人の臨終を作為し・て、うその話をつたえるの は、わたしはきらいなんだ。 もの いちだいじ じっざい わる でっちあげて さくし きやくしよく 133 徒然草第百四十三段

7. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

りえき あくじ おのすと人々に利益がもたらされる。衣食がたりているのに、それでもなお悪事をはたらく人をほん とうのぬすっとというのである。 死にぎわ 人の臨終のようすをつたえる人が、「平静でとりみだすことがなかった。」とだけいえばいいのに、 りんじゅう かげの声第六段でわたしは、「子どもはないほうがいい 。」と書いてしまったが、そのいつば しんり そくめん うでは、こういうものの考え方もあるんだ。真理というものはいくつもの側面かある。この本を 書きすすめて、いろいろな事例にあたってわかってきたことだよ。 人が死ぬとき じれい いしよく . レし だん 〔第百四十一一段〕 132

8. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

卒都婆 こだい 古代インドの梵語の「ストウーパ」 かんじ に漢字をあてたもの。さまざまな はかた ものをいうが、ここは墓を建てた とう はしら いたきざ 石の塔や木の柱、また板に刻みつ けたものなどをさす。 ぼんご ちに当時ほどではなく、死んだ者のことをわらってしまったりする。 こけ めいにち * そと " ば 山里の墓へは命日しかおまいりせず、そのうち卒都婆に苔がっき、 木々の落ち葉が墓をおおい、夕方にふく風か、夜中の月だけがわすか ー一ⅱしかけてくれるだけだ。 死んだ人を思いだしてくれる人がいるうちはまだよいが、そういっ た人も死んでしまい、子孫たちは死者のことを思いかえさなくなる。 ぬし 死者の法事もなくなり、墓の主の名まえもわからなくなる。春の草が 生いしげる墓となり、心ある人は、それをあわれぶかく思うかもしれ あらし ないが、 さらに年月がたっと、嵐にふかれてむせび泣くような音を出 まっ じゅみよう まきか した松も千年の寿命がこないうちに切られて薪と化す。古い墓は掘り かえされて田となってしまう。 こうして墓の形さえもなくなるのだ。 ほうじ しそん だん 〔第三十段〕 だい

9. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

もんだい いろいろな問題をかかえてはいますが、今の日本は、暮らしやすい国になりました。ひ こうけいき ところの好景気は去りましたが、それでもまじめに働いてさえいれば、飢えて死ぬような はうじようき ちか やちん ことはありませんし、都市の地価や家賃は高いですが、学生さんは『方丈記』より広いと れいぞうこ さいきん ころを借りることができます。いやそれどころか、最近の大学生はテレビや冷蔵庫やステ レオをもっていることはふつ、つだといいます せいしゅん じだい 鴨長明の生きた時代とも、わたしの兄やわたしが青春をすごした時代とも、今の時代 はちがっています。でも、ではまったくちがう・かといえば、そんなことはありません。う・ わべのちかいはあっても根っこのほうではなんの変わりもないのです。 ていねん かつばっかつどう 会社はいつもおなじように活発に活動しているように見えますが、毎年定年になった人 わか たちはやめていきます。そして新しい若い人は入ってきます。そして三十五年から四十年 たっと、全員が入れかわっています。 建物もどんどん建てかえられています。すると、前にそこにどんな建物があったのか、 へんか すぐにはわからなくなってしまいます。とくに東京は変化が激しい しやしん みなさんだって変わっているでしよう。幼稚園や小学生だったころの写真を見てくださ おとな うつ おさな 今のあなたとはまるでちがう、幼い子がそこに写っています。あなたはそれだけ大人 へむかって変わったのです。これからも変わっていきます。 そうぞう お こくさいじようせい 国際情勢だってそうです。これから先にどんな変化が起こるか想像もっきませんが、し かものながあきら たてもの ぜんいん た とし ね ようちえん 0 か はたら し 281 「方丈記」あとがき

10. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

ほくとせい 北斗星にとどくほどー ほっきよくせい 北斗七星 ( または北極星 ) にとど おうごん くほどばくだいな黄金をつみあげ はくしもんじゅう ての味。「白氏文集」 ( ↓田ペー し′」 ジ ) の「死後、金をうずたかくし ささ ひとたるさけ て北斗を支うとも生前の一樽の酒 にしかす ( かなわない ) 」による。 大きな車、太った馬 にく おおがた 大型のりっぱな車と肉づきのよい りようほう ごうか りっぱな馬と。両方とも豪華でぜ いたくなもののたとえである。 み こ、っせい しやかいてき 人は、名声を後世までのこしたいと思うものだけど、身分や社会的 地位が高い人だけがえらいなんてだれも思わない。 わる うん 頭が悪くても、たまたまいい家に生まれ、運がよければ地位があか たい しい気になってぜいたくに暮らすことになる。それに対し、賢 じんせいじん 人・聖人は、自分の地位が低くても気にとめず、運にもめぐりあわず 一生を終わることが多いんだ。出世してえらくなろうなんてことは、 まったくおろかなことさ。 ほうせき 筺石かざ 金や玉の飾りなんて、心ある人が見れば、つまらないものと思うよ。 ぎよく す こがね 黄金は山に捨て、玉は池になげてしまいなさい。金もうけにとりつ かれる人は、きわめつきのばかね。 ちえせいしん 知恵と精神だけがすぐれたものであることをさらにふかく考えてみ ると、名誉がほしい人は、他人にほめられたいと思う人でしよ。とこ ろが、ほめてくれる人も悪口をいう人もいっか死んでしまう。それに お たにん しゆっせ し けん