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検索対象: 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)
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1. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

人があっているときというのは、ちょっとのあいだでもだまっているときがないのね。かならすな ないよう せけん にかしゃべっている。しゃべってる内容をきくと、くだらない話ばかりでさ、世間のうわさ話や、他 にんひょうか 人の評価で、こんなことをしゃべるのは自分のためにも他人のためにもならず、得るものはないん つまらない話をしているときは、している本人はくだらぬことだと気がついていないんだね。 だん たい 〔第百六十四段〕 つまらない話 だん 〔第百六十一一段〕 149 徒然草第百六十四段

2. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

みかんの木 ( 柑子 ) 実が小さく、すっぱい。しかし、 ちんちょう 当時はたいへん珍重されたよう たにん で、これをおしんで他人にあたえ せつわ なかった人のことが説話文学など いおりぬし に出ている。この庵の主は、だれ もおとずれない、さびしいところ す に住みながら囲いをしているのを 見ると、よほど大切なものであっ たのだろう。 み 0 こうじ 0 せけん 心がほんとうに通しあう人と、心をひらいて世間の話をするのはい くつう あいて いが、わかってくれない相手なら、むりして話をあわせるのが苦痛 十 第 で、 いくら話をしてもひとりばっちでいるのとおなし気がする 心が通じあわない人は、とりとめもない話をしているうちはよかろ然 しょざい うが、真実の心の友ではなく、ただ所在ないだけで、わびしいものだ 西行が住んだ庵 かげの声これが・西行庵のあとだった、とはいわないがね。 さいぎようあん しんじっ 心が通じあ、つ人と話したい だん 〔第十一段〕 たい 0

3. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

にちじようてき だんてい 行くな。ーといった断定は、日常的なよくあることなので、若いころのばくの心へ強く突 けんこう うら とくしつ きささりました。兼好の話の特質は、そういった断定の裏にあります。ものごとには、す ようじ べて二面性があります。「たいした用事もなく他人のところへ行くーのはよくないとのべ たあとで「これといった用事がなくても、親しい友が来て、のんびりと過ごしていくのは 。」というのです。 つれづれぐさ ぶんげい ここのところが『徒然草』が文芸としてすぐれているところで、自分の精神のなかにあ むじゅん る矛盾した気分を正直に記しています。 きよういく 兼好の母はかなりの教育ママだったようです。それに対し、兼好は、やんちやで気の強 いわがままな少年でした。負けすぎらいです。最後の段の、父を言い負かしたエピソード などその一例でしよう。 れいせい と同時に、兼好は自分を客観的に観察する冷静さをもっていました。たとえば、ねこま たにびつくりして川に落ちた話は、おそらく自分のことでしよう。自分が失敗したざま じこひひょう な話を、おもしろおかしく書けるのは、文芸家兼好ならではの自己批評です。 おおわら めいじんだん 大笑いするおもしろこつけい話や名人談は、その底に、兼好の冷静な目があります。ば つれづれぐさ くは、その後ことあるごとに『徒然草』を読み、その数は百回をこえます。そして、読み かえ はつけんかんどう 返すたびに新しい発見と感動があるのです。 めんせい きやっかんてきかんさっ たにん わか しつばい せいしん 266

4. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

しかし、おたがいに心が通しる友が、ちょうどすることもなくて、ばんやりしていて、「もうすこ し話そうよ。きようはゆっくりやりましようや。」といってるのはこのかぎりではない。むかし、中 国の阮籍という人は、気にいらない人がくると白い目でむかえ、気にいった人がくると青い目でむか げんせき えたというか、こういう気分はだれでもあることでね。仲のいい友ならば、これという用事もないの に、のんびりと話をするのがいいんだな。手紙でも「これという用はないけれど、ひさしくおあいし ていないので : なり、体はくたびれるし、いらいらして、万事にさしさわりがおこって、むだな時間を過ごすわけ で、客にとっても自分にとっても ) しいことはない。客にむかって、さもいやそうに話をするのも気が ひける。気にいらないときは、田 5 いきってそのことを、はっきりといってしまったほうかいいんです ね。 きやく ・。」と書いてくるの、すごくうれしいよな。 ばんじ だん 〔第百七十段〕 156

5. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

ざまな説がとなえられているものの、どれもきめ手を欠く。兼好の時代、彼がこのような さくひん 作品を書いたことについて、だれかが知っていたかどうか、それもわからないのである。 つれづれ じよだんばうとう つれづれぐさ ・ : 」によるものである。「徒然」 『徒然草』の名は、序段冒頭の「つれづれなるままに : くさ そうし かなぶんしよもっしめ は、ひまなこと。「草ーは「草子」の意味で、仮名文の書物を示す。ひまでたいくつなの じゅうせかい だいめい よくいえば自由な世界がひ にまかせて書いたもの、という題名である。とりとめのない、 てんかい かん よかん ろがりそ、フな予感をあたえる題名であり、作品はたしかにその感じどおりに展開してい じんぶつ じんせいろんせいじろんしゆみろん く。この中には人生論・政治論・趣味論もあれば、人物のスケッチもある。思い出話、め しぜんびよう ふしぎ かんたんじようほう すらしい話、不思議な話、なにかについての簡単な情報、また、四季おりおりの自然の描 れんそう ないよう たさい しゃ 写など、内容はきわめて多彩である。それらは、連想が連想をよぶようなかたちで書きっ ちえ よ らねられていて、われわれはそれを読み進めていくと、多くの知恵をあたえられ、また、 気持ちが広く柔軟になるのを感しるであろう。 だいひょうてき しようせっしいか ずいひっ このような作品を随筆とよぶ。小説・詩歌・戯曲とともに代表的な文学ジャンルである へいあん あさ れきし が、他のものより歴史が浅く、兼好の時代には、まだないにひとしかった。平安時代には かのうせい まくらのそうし せいしようなごん 清少納言の『枕草子』がすでにあり、随筆文学の可能性をあざやかに示しているが、こ ゅうめい れに似たものを書こうとする人はなかなか出なかった。だいいち、『枕草子』は、有名で はあったが、 あまり読まれることがなかったのである。 えいきよう 兼好は、どのようなきっかけでか、『枕草子』をよく読んだらしい。そして、その影響 た せつ じゅうなん すす ぎ」きよく か けんこうじだい しき かれ 269 「徒然草」解説

6. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

ふるまい ふかしぎ おろかな者が、ありがたい不可思議な話をつけくわえて、臨終のことばや挙動をかってに脚色して きよどう ほめるのは、死んでいく人の本心にそむくことになる。 がくもん 広くいろいろな学問に通じていること。 かみほとけ 臨終という人生の一大事にあたっては、神や仏のような人でも、りつばであるとはかぎらす、博学 たにん よそく の人でもどうなるか予測できないんだ。死ぬ本人がとりみださなければよいのであって、他人が見た ひょうばん りきいたりする評判で、よい、悪いはきめられない。 だん 〔第百四十三段〕 、」、っそ、つ 実在の人の死にぎわのようすや、ことばなどを記したもの。 かげの声ちかごろの「往生ー伝や「説話集、には作りごとが多くてな。高僧が死ぬと、「天 おうじようでんー せつわしゅう むらさきいろ かお に紫色の雲かかかり、あまい香りがただよい、空から音楽がきこえてきた。とかいう作り話 ばかりさ。そんなことがあるはすがないだろう。人の臨終を作為し・て、うその話をつたえるの は、わたしはきらいなんだ。 もの いちだいじ じっざい わる でっちあげて さくし きやくしよく 133 徒然草第百四十三段

7. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

梨の花と楊貴妃の話 びじん ようきひな 美人のほまれ高い楊貴妃の泣いた しじん うつく 顔を詩人白楽天 ( ↓こは「美 なし しい梨の花が春の雨にぬれたよう だ」と歌った。 ひ妃 き貴 婦楊 ようきひ しゅろ れ芭 よ もんく しようぶ かげの声菖蒲の花のことで『枕草子』を引用したついでに、 『枕草子』の文体までまねしてしまった。『枕草子』に「木は」 れつきょ 「草は。「木の花は」「草の花は」と列挙しているものとくらべて せいしようなごん かん みてくれたまえ。清少納言はやたらと草花に関してくわしいか しよ、フじき ら、正直いってあちらさまには数ではかなわない。だから、わた いつばん しは、草木一般ではなく、「家の庭にあると ) しいもの」にかぎつ たわけだよ。 清少納言と好みがちがうのは、中国の花に関してで、あちらさ ふう 中国風 まは、「しゅろの木が中国風でいし 。」とか、「ばたんが唐風でい からふう 、。」とか、「集・の・花ど楊貴の・話・」をあげているので、ちょ「と らん * ばしよう 文句をつけてみた。そのほか蘭とか芭蕉といった中国産のもの も、わたしは好きしゃないね。 す この まくらのそうし さん 126

8. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

もんぜんはくしもんじゅうろうし 文選・白氏文集・老子・荘子 じだいりようしようめい もんぜん 文選は中国南北朝時代の梁の昭明 あ たいしてい しぶんしゅう 太子 ( 武帝の子 ) が編んだ詩文集。 しよき なら った 奈良時代初期までにわが国に伝わ ちしきじんきぞく り、知識人、貴族などに広く読ま はくしもんじゅうとう れた。白氏文集は唐の詩人白楽天 はくきよい へいあん ( 白居易 ) の詩文集。平安時代にわ えいきよう が国に伝わり、大きな影響をあた ろうし そうじ でんせってき えた。老子・荘子は伝説的な中国 しそうか げん、」う 古代の思想家老子と荘子の言行を まとめたもの。一一つをまとめて けん・」う 「老荘」という。兼好はこれらをよ つれづれぐさ く読んだらしく「徒然草」の中に みと その影響が認められる。 そうじ かげの声おいきみ、わたしの話をちゃんときいているのか せつかくいい話をしているんだからな。わたしは、心がほん とうに通じあえる友へむかって、この文を書いているんだ。 〔第十一一段〕

9. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

= = 禾卓 三木卓 , 然草 " 方 嵐山光三郎 嵐山光三郎 I S B N 4-0 6 - 2 5 0 8 1 0 - 9 C 8 5 9 5 P 1 7 0 0 E ( O ) 定価 1700 円 ( 本体 1650 円 ) あらしやまこうざぶろう 嵐山光三郎 ームは、こし」あるごし」に 『徒然草』を読み、 その数は百回をこえますが 読み返すたびに新しい発見と 感動があります。 読めば読むほど奥が深い 座右の書となりました。 0 ミ洋ミ kÖzab に、 0 「少年少女古典文学館」の特色 0 現代の有力文筆家たちが、いまの言葉でつづ る日本の古典です。したしみやすい現代文が古 典の世界をいきいきと再現します。 0 一度は読んでおきたい名作ぞろい。それも、 おもしろい作品ばかりです。 0 中学・高校の授業でとりあげるおもな作品は、 ほとんどカバーしています。古典の入門に ってつけの全集です。 0 カラーのさしえが、たくさん入ります。一流 画家のカ作が、作品の世界をひろげます。 0 本文中のコラム欄は、おもしろくて、とくす る古典豆百科です。時代背景や、登場人物、習 慣などについての理解を深めると、作品がたの しく味わえます。 0 それぞれの巻に第一線の研究者がついて、内 容も万全。解説もコラムも、安心して読めます。 少年 7 少女古典 みき 三木卓 『方丈記』は、一見すると はかないこの世を嘆いているだけの 文章と思われるかもしれません。 たしかに愚痴つばい、 と思われるところもないではありませんが しかしよく読むとこの作者がこの世が はかないからこそいっそう貴重なものとして 架い愛を抱いているということがわかります。 徒然草』はふしぎな作品だ。教訓あり、世 間話あり、思い出話あり、世相批判あり、う わさ話あり、うんちくあり 乱世の鎌倉時代に生きた兼好が残したメッ セージは、宝島の地図のように魅力的で、謎 にみちていて、だれもが一度は目を通したく なる 方丈記は、読む人の背すじをのばす。混 乱の時代を生き人の世の無常を語りながらも、 生きることのすばらしさも教えてくれる。こ れほど後世の人の精神に大きな影響を与えた 書物はないといわれる つれづれぐさ ・監修・ 司馬遼太郎 田辺聖子 井上ひさし ・編集委員・ 興津要 ト林保治 津本信博 三一 111 写真一白田利夫

10. 徒然草 方丈記 (21世紀版・少年少女古典文学館 第10巻)

いつもは、気をつかわずに親しくしている女性が、ひょっとしたとき、あらたまった身だしなみを しているのにあうと、「ど、フしたんだよ、 いまさら。」と しもの いいたくなるけれど、でもやつばりい ) なんだね。 ぎやく きゅう その逆に、ふだんは親しくなかった人が、あるとき急にうちとけて話をしてくれると、「気さくな 人だ。」と、ほればれしてしまうのね。 かげの声ある人がいっているのではなくて、じつはわたしがいってるの。 いつもとちかう人 じよせい 〔第三十七段〕