あのつり鐘が沼にころがり落とされてしまってからは、もちろん、もう、それを割れるほど っこうといったって、つくわナこよゝゝ し。。し力なくなりました。しかし、それをざんねんがった人た ちは、ほかのものを、つり鐘だと考えてたたいたり、こわしたりしたものでした。あんなに、 ぬしれい めんどうをひき起こしたつり鐘の持ち主の霊をなぐさめようとしたのです。 うめえ ぶしかじ こういう人びとの中に、梅が枝という女の人がありました。この女の人は、平家の武士、梶 わらかげすえ でんせつ 原景季とのことで、日本の伝説ではよく知られている人です。 この梶原と梅が枝が、いっしょに旅をしたときのことです。ある日、梶原は、お金がなくなっ むげん てたいへんこまったことがありました。すると、梅が枝は、無間の鐘の伝説を思いだして、青 どうはち おうごん 銅の鉢をとると、心の中でそれをつり鐘だとなぞらえて、どうぞ黄金三百枚をさずけてくださ わ れと、大声でさけびながら、割れるまでうちたたきました。 やど すると、二人が泊まっていた宿の、ある客が、なぜそんなに鉢をたたいたり、さけんだりす るのかとたずねました。二人がこまっている話をすると、その客は、すぐに、黄金三百枚を、 ほんとうに梅が枝にさしだしたのです。 おど のちに、梅が枝の青銅の鉢について、一つの歌がつくられ、その歌は、今でも、踊り子たち ぬま
にうたわれています。 うめえ ちょうずばち 梅が枝の手水鉢 たたいて お金がでるならば みなさん身うけを それたのみます できごと むげんかね 梅が枝のこの出来事があってから、無間の鐘のひょうばんはたかくなり、多くの人びとが、 むげんざん おおいがわ 梅が枝にならって、その幸運にあやかろうとしました。無間山のちかくの、大井川のほとりに ひやくしよう 住んでいた、なまけものの百姓もその一人でした。 びんぼう さんざん遊び暮らして、お金をばつばとっかい、あげくのはてに、貧乏になってしまったこ がた 大金がほしいとさけ の百姓は、庭の土で無間の鐘のひな形をつくり、大声で、大金がほしい、 びながら、その土のつり鐘をたたきこわしました。 かみ びやくえ すると、足もとから、ふわりと、長い髪をみだした白衣の女があらわれました。その女は、 こ、つ、つん