「きようまでですって ? 」 さもん と、左門はあっけにとられてさけびました。 「その城は、ここから百里以上もあるのでしよう ? 「そうだよ。」 そうえもん と、宗右衛門は答えました。 やくそく 「生きている人間は、一日に百里を旅することはできないよ。だが、わしは思った。もし約束 をはたさなかったら、おまえはわしのことをよく思わないだろうとね。それから、わしは『た むかし ましいよく一日に千里をいく』という、昔のことわざを思いだしたのだ。さいわいに、わしは、 かたな 刀をゆるされていた。 さあ、わしがおまえのところへこられたわけがわかったろう ? はは、つえ」、つ、」う 母上に孝行をするんだなあ。 ここまでいって、立ちあがったかと思うと、宗右衛門のすがたは、ばっと消えてしまいまし 左門には、はじめて、宗右衛門が約束をはたすために切腹したのだということがわかりまし せつぶく 125
になりました。それでもまだとまらずに、どんどん重くなっていくのでした。 ちゅうべえ 忠兵衛は、だまされたことに気がっきました。忠兵衛と話したあの女も、そしてこの赤ん坊 も、人間ではなかったのです。 やくそく しかし、忠兵衛は約束をしてしまいました。さむらいというものは、約束をかたく守らなけ ればならないものなのです。そこで、忠兵衛はその赤ん坊をだきつづけました。赤ん坊は、な おもぐんぐんと重くなっていきます。いったい何ごとが起こるというのでしよう。けんとうも つきません。けれど、忠兵衛はおそれずに、カのつづくかぎりだいていようと心をきめました。 うで きんにく 筋肉を、はりつめたあまり、腕はぶるぶるふるえだしました。それでも、まだ、重さは増すば かりでした。 「ナムアミダブツ。」 ねんぶつ 忠兵衛は、思わず、うめくように、念仏をとなえました。 「ナムアミダブッ、ナムアミダブツ。」 と、三ど念仏をとなえおわったときでした。赤ん坊の重みがさっとなくなって、忠兵衛は、か ら手のまま、ばんやり立っていました。ふしぎなことに、赤ん坊は、いなくなってしまったの 145
とこ きやくま んびをしていました。みごとなごちそうをととのえ、酒を買い、客間をきれいにかざり、床の きぎくしらぎく 間の花びんには黄菊、白菊をいけました。 しました。 それを見ていた母が、左門にい ) いずも 「ね、左門、出雲の国は、ここから百里のうえもあるんですよ。それに、はるばると山々を越 そうえもん えての旅は、ほねがおれてつらいものです。だから、宗右衛門さんが、きよう帰ってこられる てすう かどうか、あてにはできませんよ。そんな手数のかかるしたくは、お帰りになってからにした 」ほうがよくないのかね ? 」 ははうえ しいえ、母上。ー と、左門は答えました。 あにうえ 「宗右衛門さんは、きようもどると約束なさったんです。兄上にかぎって、約束をやぶるよう なことはありません。兄上がここへ着いてからおむかえのしたくをはじめるのを、もし兄上が ごらんになったら、私たちが兄上のことばを信じなかったことになり、私たちの面目がまるつ ぶれになってしまいます。」 やくそく めんぼく 119
と、つけくわえました。すると、とっぜん、お雪は縫い物をばっとなげだして、立ちあがった みのきち と田 5 , っと、 いきなり、すわっている巳之吉の上に身をかがめ、巳之吉の顔にかんだかい声をな げつけました。 「それは、私、 : : : 私、私だったんです。その女はこのお雪だったんです。そして、そのとき、 ころ 私は、あなたに、このことをひとことでもしゃべったらあなたを殺すとゝ しいましたよ。子供た やくそく ちがあすこにねむっているのでなかったら、たった今、あのときの約束どおりに、私はあなた を殺してしまうのですけれど。・ : でも、子供がかわいそうで、それができません。しかし、 わか 約束をやぶられたうえは、お別れしなければなりません。子供たちをくれぐれもだいじにして やってください。もしもあなたが子供たちをそまつにしたり、つらくあたったりしたら、それ そうおう 相応のおかえしを私がいたしますよ。」 そうさけんでいるあいだにも、お雪の声は、風の音のようにうすれていきました。そして、 きり・ お雪のからだは、白くかがやく霧となって、屋根のはりのほうへのばっていき、ふるえながら、 けむだしから消えていきました。お雪のすがたはもう、二どとふたたび、見ることができませ んでした。
ねんぶつ は泣きました。そのとき、あなたは、ナムアミダブッと、念仏を三どとなえましたね。その三 ぼう どめの念仏の助けがあらわれて、赤ん坊はぶじに生まれたのです。私は、あなたに何かお礼が ゅうかん したい。勇敢なさむらいにとって、カほど役にたつものはありません。そこで、私はあなただ だいりき けでなく、あなたの子どもにも、孫にも、大力をさずけましよう。」 やくそく うじがみ こんな約束をして、氏神は消えました。 うめづちゅうべえ 梅津忠兵衛は、たいへんふしぎに思いながら、城へ帰りました。 し。カカ 夜明け、つとめをおえて、いつものように、朝のお祈りをするまえに顔と手をあら ) こゝ りました。ところが、使っていた手ぬぐいをいつものようにしばろうとすると、おどろいたこ とに、その手ぬぐいが、ぶすりと、二つに切れたのです。切れたのを二枚かさねてしばってみ ると、また、ぬれた紙のようにかんたんに切れました。こんどは、四枚かさねてしばってみま てつ けつか せいどう した。結果はおなじことでした。やがて、青銅や、鉄でつくったいろいろなものを持ってみて ねんど も、まるで粘土のように思いのままになるので、氏神は約束どおり大力をさずけてくれたのだ ということがわかりました。それからは忠兵衛は、物にさわるとき、指でこわしたり、ひんま しろ 147
まず 江戸には、貧しいけれど、しんせきもあるので、カになってくれ、女中のロを見つけてくれる みのきち だろうということなどを、巳之吉に話しました。 むすめ 巳之吉は、この見知らない娘に心をひかれました。見れば見るほど、娘が美しくなってい けっこんやくそく ように思えました。もうだれかと結婚の約束をしているのかとたずねると、わらいながら、「ま だ」と答えました。こんどは、娘のほうから、巳之吉に、あなたはもう結婚しているのか、そ れとも約束した人があるのかとききました。そこで、巳之吉は、自分にはやしなわねばならな い母親が一人あるきりで、年もまだ若いし、嫁のことなど考えていない、ど答えました。 こんなうちあけ話をしてから、二人は、長いあいだだまって歩きつづけました。 でも、ことわざに、「気があれば、目もロほどにものを言う」というのがあります。村へたど りついたときには、二人はおたがいどうし、すっかりすきになっていました。 ました。お雪は、ちょっ そこで、巳之吉は、お雪に、家でしばらく休んでいかないかといい とはにかんだあと、巳之吉といっしょに家にはいっていきました。巳之吉の母親はよろこんで お雪をむかえ、あたたかいタ食をととのえてやりました。お雪のしぐさがしとやかなので、母 親は、すぐ気にいってしまい、江戸へいくのをしばらくのばしたらどうかとすすめるのでした。 よめ
「秋のはじめには帰ってきます。」 ぎてい あかなそうえもん ゝました。 と、赤穴宗右衛門が、義弟の丈部左門と別れるときいし かこむら ばしょはりま それは今から数百年前の話です。時は春、場所は播磨の国翁 2 兵 ) の加古村でした。宗右衛門 いずも は、出雲翁 ) の武士で、そのとき、ふるさとの出雲をたずねようと思っていたのでした。 しました。 左門はゝゝ やくも あにうえ 「兄上の出雲ーー八雲たつ出雲の国は、たいへん遠いのですね。ですから、いっときめた日に やくそく ここへもどってくださるという約束をなさるのは、おそらくむりでしようね。でも、はっきり とその日がわかっておれば、こんなうれしいことはありません。そしたらそのとき、私たちは、 かどぐち えんかい おむかえの宴会のしたくもできましようし、門ロでお待ちうけすることもできましようから ね。」 東をはたした話 はせべさもん 117
私にかわってその約束をはたしてくださいませ。さよなら、みなさん。私が、おっゆさんのた めに、よろこんで死んでいったことを、お忘れにならないでくださいませ。」 わかぎ そでそうしき お袖の葬式がすんでから、おっゅの両親は、いちばんりつばなサクラの若木をさがして、西 えだは けいだし ほうじ 方寺の境内に植えました。その木は、大きくなり、こんもりと枝葉をしげらせ、あくる年の二 めいにち 月十六日、お袖の命日の日には、みごとな花をつけました。それから二百五十四年のあいだ、 その木には、いつも二月十六日に、きまって花がさきました。その花は、うすもも色と白で、 ちくび らち 乳でぬれた女の人の胸の乳首のようでした。それで、人びとは、この木を「うばザクラ」とよ びました。
こんなふうに、心のなかの罪が、みんなに知られてしまったので、きのどくなおかみさんは、 はら たいへん悲しみ、また、腹もたてました。もうたまらなくなって、つぎのような書き置きをの こすと、身を投げて死んでしまいました。 「私が死んだら、鏡は溶けて、鐘はたやすくつくれることでしよう。しかし、もしだれかが、 そのつり鐘をついて、ぶち割れば、その人は、私の霊のカで、すばらしい富をさずけられるで しょ , つ。」 おこって死んだ人の、最後のねがいとか、約束とかは、なみはずれた力を持っているものだ といわれていますが、ほんとにそうなのです。 おかみさんが死ぬと、その鏡はすぐ溶けました。つり鐘はりつばにできあがりました。する と、人びとは、おかみさんの書き置きを思いだしました。 「あの人のたましいが、つり鐘をこわした人にたくさんの富をさずけてくれる。」 というので、みんなは、つり鐘が寺の境内につるされるやいなや、われもわれもと、つり鐘を つきにいきました。けれど、りつばなつり鐘でしたから、どんなに力をこめて、撞木をたたき かね やくそく とみ しゅもく
「なに、そのことなら。」 そうえもん と、宗右衛門は答えました。 「わしは旅なれているので、どこへ着くのに幾日かかるか、前もっていうことができる。だか やくそく ら、いっときまった日に、ここへもどれるかということも、安心して約束できるのだ。では、 ちょうようせつ 重陽の節の九月九日の節 ) の日ということにきめようじゃないか。」 きく 「九月九日ですね。そのころには、菊もさいているでしようから、みんなして見にもいけます。 そうすれば、どんなにゆかいでしようね。では、九月九日に、きっと。」 さもん A 」、 ~ 庄目ーかい , っレ」、 「そうだ、きっと、九月九日に。 はりま かこむら につこりわらって、別れをつげ、播磨の国加古村を、大またな足どりでたっていきま した。左門と母親は、目になみだをためて見おくりました。 じっげつうんこう 日本の古いことわざに、「日月運行してとまらずーとあるように、月日はどんどんすぎさって、 きせつ ぎけい はやくも菊の季節、秋がやってきました。左門は、九月九日の朝早くから、義兄をむかえるじゅ いくにち 118