ら、自分の子どもに会えないなんて、なんという茶番だろうか ? もちろん、ジェームズに面会権はあ った。だがいまでは、ばしやばしやと水をはね散らかしながらの入浴や、チ = ッと音を立ててするおや すみのキスなどの日々の習慣から三〇〇〇キロ以上も隔たってしまっているのだ。子どもたちが初めて 彼を訪ねてやってきたときには、彼はすでに子どもたちにとってよその人となってしまっていた。もち ろんすてきなよその人ではあったが、よその人には変わりなかった。 この三年間に起こったことは、とてもカルチャーショックなどという穏やかな一言葉で言い表わせるも のではなかった。サウスダコタは月の裏側といってもいいようなところだった。ジェームズは自分が夢 見ていたことをなんとか実現させはした。その夢とは家族セラビーの小さな診療所を自分で開業すると いうことだった。だが、それも彼の想像どおりのかたちで実現したというわけではなかった。サウスダ コタとはいえ、自分一人で開業してやっていくのは無理だということがわかったのだ。それで地元の精 神科医、ラーズ・ソーレンソンと共同で開業することになった。ジ = ームズが精神分析の理論の束縛か ら逃れたいと思っていたのだとしたら、ラーズ以上の相棒はいなかった。なにしろラーズのセラ。ヒーの 考え方ときたら、フロイトよりは野球のスコアや食肉用のブタの売買のほうに近いものだったのだから。 ジェームズの昔の同僚たちがラーズや彼の田舎医者的なやり方を見たら、凍りついてしまうことだろう。 実際ジェームズ自身、最初の一年間はそうして凍りついてしまった自分を溶かすのがたいへんだったか ら、彼の後ろにはそのための水たまりができていたかもしれない。だが、ラーズはそのことに気づいて いたとしても、それを自分の胸の内にとどめていてくれた。結局のところ、ジェームズはやむを得ず共 同開業しなくてはならなくなったことに感謝していた。ラーズは決してことを急がず、いつも立ち止ま って話をきいて疑問に答え、心の支えになってくれた。それにジェームズの都会育ちの考え方をはなか らばかにして笑うなどということは一度もしなかった。
にオオジカ狩りに行こうと考えてるんだ」ラーズ 「ボブ・シュワイツアーと・ほ ~ 、とで二日ほどララミー はそういうと、ジェームズの会話センターにあるべージュのクッションを並べたやわらかいソフアに深 深と沈み込んだ。「きみも来ない ? 」 「銃のことはさつばりわからないからなあ」 「・ほくがわかってるからだいじようぶだよ。そろそろきみも経験する時期だ・せ、ジム」ラーズはそうい って心から笑った。「ディヴィーは十二歳のときに初めて獲物をしとめたんだぜ。その話、したつけ ? 六本も枝角のある牡鹿だよ」 「ああ、きいたよー 「で、どうする ? 一緒に来ないか ? 」とラーズはきいた。「・ほくとポプだけだから、きみが初めてで もだいじようぶだよ。ディヴィーのライフルを見せてもらえるそ。きっと楽しくなるからー 「いつなんだ ? 「来週の週末だよ」 ジェームズの体に安堵が広がった。「ああ、だめだよ。知ってるだろ ? 来週の週末は子どもたちが やってくるんだ。覚えてるだろ ? 月曜と火曜は休暇を取るっていってあっただろ ? 「ああ、そうだったな」 「またの機会にさせてもらうよーとジェームズはいった。 頭のうしろで大きく腕を伸ばしながら、ラーズは椅子に深々と座り直した。「で、サンディとはどう なってるんだ ? 彼女、子どもたちのことで少しは分別のある態度をとるようになったのか ? 「いや、あんまり。子どもたちはイースターにはやってくるが、クリスマスはだめだっていうんだ」 「なんでだめなんだ ? 面会権を決めたときにクリスマスには会うってことになっていたんじゃないの カフ・
ラーズはオフィスの帳簿を広げていた。腰をかけて、帳簿をばらばらとめくっている。「会計士が来 る前にチェックしておこうと思って見ていたんだが : : : 」彼はさらにページを繰った。最初は前半を、 それから後半をめくり、指が行に沿って動いていく。「ここにコナ ー・マクロクランへの請求がある。 これがモーガナ・マクロクラン。でもローラ・ディントンのはどこなんだ ? ーそういって彼は顔を上げ た。「彼女宛ての請求分はどこにあるんだ ? 」 ジェームズの心は深く沈んだ。 「きみ、まだ彼女に会いつづけてるんだろ ? ーとラーズがきいた。「つまり、・ほくはそういうふうにと っていたんだけど。きみが水曜の夜のセッションを続けているとー ジェームズはうなずいた。 「じゃあ、その分のお金はどうなってるんだ ? 「彼女には請求してないんだよ」 ラーズはぼかんと口を開けた。「なんだって ? 「彼女にはその分は請求してないんだよ、ラーズ」 「どうして ? 」 ジェームズはただ立ちつくしていた。 「ぼくは、これはセラビーだと思ってたんだがね」 「そうだよ」とジェームズは弱々しくいった。 「ああ、ジム、こんなことは通らないよ。きみま、つこ、 をしオしここでどんな関係を持ってるんだ ? なんで こんなことになってしまったんた ? ぼくはてつきり : : : つまり、きみが彼女とここで時間外に会うこ とを始めたときに・ほくがうるさくいわなかったのは、てつきりきみが公明正大にやってくれているとば かり思っていたからなんだよ。まったく、きみとしたことが、ジム
ジェームズは少しいらいらしているふうに肩を落として見せた。「ああ、わかってるよ、ラーズ。・ほ くも同じことを自問してみた。だけどいままでのところ、彼女はなかなかうち解けてくれないんだよ。 彼女と仕事上の関係を作り上げるのにほ・ほ二カ月かかった。この関係がしつかりしたものになれば、も いい。だけど : : いまはだめだ。まだだめだ。彼女 っとふつうの時間帯に移行することをいいだしても はそれほどたやすくガードを解く女性じゃないと思うんだ」 ラーズは片方の眉を上げた。 「もう少し・ほくに任せてくれよ、いし力い ? 「もう少し時間をくれないか」とジェームズはいった。 「どうもいい気持ちはしないね。つまり、もし火事かなにかが起こったときに、ああいうことをしてい たら保険さえも効かないんじゃないかと思うんだよ。それひとっ取ってみても立派な理由になるんだよ。 それに、もし彼女が頭の中で何か考えていたとしたら ? もし彼女がきみのほうからちょっかいを出し てきたとかなんとかいってきたらどうする ? きみを援護してくれるスタッフがだれもいないんだから な」 「彼女はそんなことしないよ 「なんでそんなことがわかる ? 」とラーズはきいた。「彼女が有名人だからというのは何の保証にもな 子どものときある人に対して抱いた感情 ) のことをいってきかせる必 らんよ。それに、きみにいまさら感情転移 ( を、無意識に治療者に対して向けること 要もなかろう。セラ。ヒストがやることを誤解する人もいるからね。あるいは空想してしまったり。それ を心配しているんだ」 つもカーディガン ジェームズは年上のパ トナーを見た。ラーズはめったにネクタイをしめない。い を羽織っていた。ジェームズは彼のスーツ姿を見たことがなかった。白髪混じりのプロンドの髪を短く 刈り込み、がっちりとした体型の彼は、フロイト流の精神分析よりは高校のフットボールのコーチをす るほうが似合っているように見えた。 103
「公明正大にやってるよ」とジェームズはぎごちなくいった。「何も起こってないよー 「ということは、何か起こったかもしれないが、いままでのところ起こってなくて幸運だったってこと かい ? ・ほくがいいたいのは、きみがこのことをどう考えているのかってことなんだよ」とラーズはい っこ 0 「何も起こっていないし、これからも何も起こらないよ」 ラーズは目をくるりと回してから、片手で頭を押さえ、顔をこすった。「まったく、なんてこった」 ーヨ 1 クでのひどい話ーー・ほくはきみを信じていたん と彼はため息をついた。「きみが話した例のニュ だよ、ジム。ここにいる気の毒なやつは都会のろくでもないやつらにやられてしまったんだ。だから・ほ くは、きみにここでやり直すチャンスを与えようって思ったんだよ。だけど、きみはここにきて・ほくの 信頼を裏切ってくれたってわけだ」 「何も起こってないってば、ラーズ、ほんとだよ。彼女がここにやってきて、一緒に食事をして、それ 。しいかな。最初から彼 から彼女が : : : その・ほくに話すんだよ : : : 彼女の人生についての話、っていえま、 女もこんなつもりじゃなかったとは思うんだけど、そういうふうになっていったんだよ」 「それはよかったな。夕食をしながら劇を見られるところもあるが、ラ。ヒッド・シティには夕食をしな がらかかれる精神科があるってわけだ。夕食だよ、ジェームズ。いったいどうやって彼女とタ食を共に することになんてなったんだ ? 「さあね。ただそうなったんだよー 「まったく。これ以上なにかあるんじゃないだろうな ? 事態はこれ以上悪くなり得るかい ? まだ・ほ くにしゃべってないことがなにかあるのか ? 」 「わかったよ。こんなことにするつもりはなかったと認めるよ。彼女がちょっとしゃべってきて、・ほく はただそれをきいていたってことだよ」とジェームズは気弱そうにいった。「でも、すべては公明正大
一方ジェームズはいつも規則書どおりに動いてきた。スーツにネクタイ姿で、ノートを広げ、いつも 自分が何者なのかをはっきりと示していた。これが彼が教え込まれた職業意識というものだった。これ こそが彼がずっと実践してきたスタイルで、いまになってみればそうしているのが最も居心地がいいの だった。だが、もちろん、彼がニューヨークで失敗したのもこのためだった。それがいま、彼が初めて ものごとに柔軟性をもたせようとする試みをしているというのに、よりによってラーズがそれに反対し ているのだ。 沈黙が訪れた。ジェームズは自分のマグを持ち上げて中身を飲み干した。外のオフィスでダルシーが ハソコンを叩くカチカチという音だけがきこえてきて、静けさをたしていった。 っこ。「ほら、患 「・ほくは困った状況になったときのことをいろいろと考えてみるんだ」とラーズがいオ 者さんのためにちょっと規則を曲げようとするときなんかに、それがもし新聞の見出しに書かれたらど んなふうになるだろうかって考えるんだよ。〈精神科医、女性患者の肩を抱く。ただ慰めていただけ、 と本人〉それでこのローラ・ディントンの場合を見てみるとだね : 「ああ、きみの目に見えてるのはわかってるよ」とジェームズは冷たくいった。「〈ニューヨークで性 的虐待スキャンダルの渦中にあった精神分析医、今度はサウスダコタの作家とスキャンダル〉」 「ちがうよ、ジム 「ラーズ、こんなことを持ち出してもらいたくなかったな。そもそも・ほくはこの件をきみに話す必要は なかったんだ。・ほくは告発されなかったんだから。・ほくは違法なことはなにもしなかった。ただひどい 判断ミスをしてしまっただけなんだよ。それに、そうさ、たしかにそのせいで子どもが一人死んだ。そ うとも、その問題になると、あの子が死んだのは・ほくのせいたということは認めるよ。でも、その代償 は払わされたんだよ。・ほくは職を失った。結婚生活もめちゃくちゃになった。もしぼくがあんな杓子定 規な人間じゃなかったら、あの子はまだ生きていたかもしれないと思わない日は一日だってないんだ 104
「ここではきみが決めるんだ」 言葉がとぎれた。 「それは心配の声なんだ」とジェームズはいった。 「犬は死んだ」とコナーがつぶやいた。「オーロクスは死んだ。アヒルは死んだ」そして自分の手の中 にいるぬいぐるみの猫を見下ろした。「ネコも死ぬ」コナーが立ち上がったとき、涙が一粒こ・ほれ落ち、 彼の青白い頬に一筋伝わった。 「ジム ? 」 ジェームズが振り向くと、ラーズがジェームズのオフィスのドアのところに立っていた。「ちょっと いいかな。一「三話したいことがあるんだ」 「ああ、もちろんいいとも。十時までは暇だから。入ってくれよー ラーズは部屋に入ってきて、木製の椅子を引いてジェームズのデスクの横に置いた。「考えていたん だけど。この件について何度も何度も考えたんだが、ジム、ぼくはきみがここでローラ・ディントンと 二人だけで夜のセッションをしていることに賛成できないんだよー 「あの人は自分の自由になる時間がほとんどないんだよ。息子のことがあるから、特別の計らいをする 必要があるんだよーとジェームズはいった。 「まあ、そうなんだろうけど。だけど、どうして木曜の夜に来られないんだ ? その日なら夜もやって るじゃないか。相手がだれであろうと、・ほくは例外というものを作りたくないんだよ。ほかのみんなが 昼間の予約か木曜の夜の予約をとるようにスケジ、ールを調節しているんだから、彼女にも同じように やってもらいたいんだよー ー 02
ラーズは片手を上げた。「ちょっと、待ってくれよ、ジム 「いや、いわせてくれ。ぼくたちのあいだでこのことははっきりさせておきたいんだ。ぼくはまだ立派 に仕事ができると信じている。だからこそここに来たんだ。・ほくはあのときの状況から学んだんだよ、 ラーズ。あの子が死んだのは、・ほくが理論づけたり、くだらない規則書に従うことばかりに忙しくて、 自分の目の前で何が正しいのかを見ることができなかったからなんだよ。いまになってみれば、世の中 っていうのは規則だけで動いているんじゃないってことがわかるんだよ。だから首を突きだして多少不 愉央なこともしなければならないと思ってるんだ。だから、いまそうやってるってわけだ。ローラ・デ イントンのような、ほんとうに問題を抱えている人と会ったときには、こういうつもりはないよ。『そ れは困りましたね。あなたがわたしのいった時間帯に来ないんですから、それだったらあなたを助ける わけにはいきませんよ』ってね 「ジム、ぼくはきみがあの件をニューヨークからひきずってきているとは思ってなかったよ。ぼくがさ つき新聞の見出しのことをいったからといって、ぼくとしてはきみの過去のことなんか全然考えていな かったんだよ。ぼくはきみの将来のことを考えていたんだ。それに考えていた見出しはむしろ〈プライ ・セッションはセックス遊びだった、と寂しい離婚経験者語る〉というふうなものだったんだよ。 ほくがこういっているのは、きみには人がよすぎるところがあるからなんだよ、ジェームズ。きみは、 自分が誠心誠意つくしていたら、人は自分のことを利用したりしないと思ってるだろ。ぼくはきみがそ んなことでやつつけられるのを見たくないんだよ。だってそこがきみの最もいいところのひとつでもあ るんだから。でも人がいし 、ってことと、馬鹿だってことは別物だからね。そこのところを警告しておき たいんだよ」 10
トで小型の黒の七六年型トライアンフ・コイハーチブルだ。この車を買うことは彼の自由の象徴だった。 マンハッタンでは車は必要なかった。彼とサンディがたまに子どもたちを遠くへ連れていくようなとき トライアンフに乗る には、安全で頑丈なポックスタイプのレンタカーを借りることにしていた。だが、 ということは、彼が家族持ちの男ではなく、裕福で魅力があり、ずばぬけて趣味がよくて、行くべきと ころがあり、そこに上流の人と一緒に行くような人間なのだということを宣一言しているようなものだっ た。ジェームズの現在の暮らしぶりはそのようなイメージどおりとはいかなかったが、そういう可能性 もあると感じられるところを彼はとても気に入っていた。 だが、子ども二人に大きなスーツケースを抱えた男に向く車ではなかった。べッキーが助手席側から 顔をつつこんだ。「パ ここにはマイキーの座る席がないじゃない 「わかってるさ。二人で一緒に詰め合って座ってもらわないとな」 「シートベルトもひとっしかないじゃない。 これって、法律に反するんじゃないの、 しいから乗りなさい」 「ママはこういうの気に入らないと思うな」 「ああ、たぶんそうだろうよ。だけど今はこうするしかないんだよ 「もうひとつの車はどうしたの ? 」とべッキーがきいた。 「おまえたちがここに来たときにいつも乗る車は、実はパ。ハの車じゃないんだよ。ラーズおじちゃんの 車で、おまえたちがここに来たときにパパに使わせてくれてたんだ。この車が狭いってことを知ってる からね。だけど、おじちゃんは今週末狩りにでかけてて、あの車を持っていっちゃったんだよ。あれは 四輪駆動だから。月曜になればまた貸してもらえるんだが、それまではこれで間に合わせなければなら ないんだよ ノ ? ラーズおじちゃんってぼくたちのほんとうのおじちゃんなの ? とマイキーがきいた。 0 、 0 、
いろいろお 「べッキー、まだここに来たばかりじゃないか。それでなんでつまんないなんていえる ? もしろいことを計画してるんだよ。ラーズおじちゃんとスノーモービルにも乗るし。ショッ。ヒング・セ ンターにも行くつもりだよ。たぶんトイザラスにもね。それからディズニーの新しい映画もやってるそ。 爬虫類園にも行こうと思ってるんだ。あまり雪が多くなければ、ラシュモア山にも連れていってあげる かもしれないよ」 べッキーはふくれつつらをした。いまにも涙が出そうだ。 「そんな態度をどこで身につけたんだ ? ママは、おまえが泣けばなんでもいうことをきいてくれるの カフ・ 「いちばんいしノ ービー人形をぜんぶ持ってきたのに。そうしたらあの子とあたしで遊べると思ったの に」とべッキーはぶつぶついった。 「自分の服もちゃんと持ってきてくれてればいいがね。ママは荷造りをおまえたちに勝手にさせたわけ じゃないんだろ ? 」ジェームズはべッキーのほうを見ながらいった。 「一緒に遊ぶ相手がいないよ」べッキーの頬に涙がこぼれはじめた。 「マイキーがいるじゃないか」 ービーでなんか遊ばないからね、 とマイキーがショックを受けたような声でいった。 「お姉ちゃんは服もちゃんと持ってきたんだろ ? おまえ、知ってるか ? ここは冬なんだそ。それに 「つたく、どうして ふさわしいものを持ってきただろうな ? 」ジェームズはがつくりと肩を落とした。 おまえたちのママは、ぼくにいつもこういう仕打ちをするんだろう ? 」 こんなことをしてラーズはどう思うだろうか、とジ = ームズは牧場の電話番号を押しながら思った。 べッキーは精一杯の娯楽になんとか四日はもったが、最後の二日間はモーガナなしではどうしようもな