コナーはゆっくりと手を砂の中に入れて、手首のあたりまで中に埋めた。しばらくのあいだそのまま にしておいてから、次に砂の下で手をあちこちに動かした。掛け布団の下を動く子猫のように。それか ら手を引きだしたが、しばらくわけがわからないという顔つきをしていた。 わきの下から猫を取り出し、彼は砂台を徹底的に調べた。そして「ネコは知ってる」とつぶやいた。 「ネコは何を知ってるんだい ? とジェームズがきいた。 コナーはびくっとして顔を上げた。 , 彼の反応から見て、コナーがこの質問を理解したのはまちがいな いとジェームズは思った。でも彼は答えず、そのまま砂のほうに向き直った。 「テリア」 「なんだって ? 」とジェームズはきいた。 「タウルス・リトロウ着陸」とコナーは答えて手で砂を撫でて平らにした。「ここにはお墓がない。男 の人はどこにいるの ? 」 わけがわからなくて、ジェームズはコナーを見つめた。 コナーは顔を上げ、ジェームズをまっすぐに見た。「ここはテリア」 ジェームズは何もいわなかった。 「ここはテリアだよ」コナーはいらいらしていった。そして砂を手で叩いた。「テリア。そう、あれは テリアだ。男の人はどこ ? 」 あたりにははっきりとなにかを予感する気配がたちこめていた。コナーは自分になにかをいおうとし ていて、自分から答えが返ってくると期待していることがジェームズにはわかった。だが、ジェームズ は何といっていいのかまったくわからなかった。「男の人がどこにいるのか知りたいの ? 」と、彼はい ってみた。 「テリア、ここはテリアだ。そう、あれはテリアだ」とコナーはなおもいった。 「ここにはお墓がな
「お父さん」男性の人形を手にとってコナーがいった。そしてそれを床に置いた。 「そう、それはお父さんの人形だ」 「お母さん」 「そう、お母さんの人形だね」 「女の子」こういうふうに赤ちゃん、おばあちゃん、おじいちゃんと続いていった。それからコナーは 男の子の人形を手に取った。そしてほかの人形たちよりもぐっと間近に持ってきて調べた。しばらくの あいだ、コナーはしゃべらなかった。それからロを開いた。「ここに男の子がいるーそういって、まる でそれをジェームズに見せようとしているかのように、人形を自分の頭の上にのせた。もっともジ = ー ムズの方を振り向きもしなければ、ジェームズにこの情報を分かち合ってほしいと思っているそぶりも 見せなかったが。 「そうだね、それは男の子の人形だね」とジェームズがいった。 人形の家の前にあぐらを組んですわり、コナ 1 はこの小さな人形を手にしたまま仔細に調べた。 れは男の子だよ」彼はぶつぶっとし 、、、服を触った。両手が使えるように猫のぬいぐるみをわきの下に はさみ、服を脱がそうとしたが、服は人形に貼りつけてあった。コナーは小さくプーンと機械のような 音をたてた。 「人形が七つ」コナーは突然そういうと、ほかの人形たちを引き寄せた。そして自分の横の床に並べは じめた。「お父さん、お母さん、女の子、赤ちゃん、おばあちゃん、おじいちゃんーとそこでやめた。 手にはまだ男の子の人形を持っている。「七つ」 「六つしか見えないな」ジェームズが、コナーの反応を見ようとちょっとからかうような口調でいった。 「七つ」コナーは顔も上げずに即座に答えた。 「ぼくには六つ横になってるところしか見えないんだけどな」 ワ 6
を示しなさい」 賢者は床にひれ伏した。 「聖なる靴にロづけをなさい。自分が仕えるのはだれか二度と忘れないように 賢者はいわれたとおりにした。 「さあ、立ちなさい」 彼は彼女の足下にひれ伏したままだった。 「立ち上がるのです、ヴァルドー そして下がりなさい。もう、あなたに用はありませんー 苦痛に満ちた動作で、老人はゆっくりとまずひざをつぎ、それからよろめきながら立ち上がった。体 の向きを変え、ドアのほうによろよろと歩いていくときも頭は垂れたままだった。 「さあ」とトーゴンは身をかがめて木の杖を拾い上げた。「杖を忘れていますよ。歩くときの助けに必 要でしようーそういって、杖を賢者に渡した。 賢者はそれに手を伸ばしたが、 , 彼の手が杖にかかってもトーゴンは手を離さなかった。「でも、まず わたしにひとっ教えてください。権力を握るために聖なるべンナと賢者とのあいだにはほんとにこれし かないのですか ? 杖とそれをだれが所有するかということしか ? 」 賢者は彼女をじっと見つめた。 トーゴンは杖から手を離した。「そんなことがほんとうだと考えると胸が悪くなりますー 八羽目のウサギは生きながらえた。トーゴンはこれを吉兆と見た。というのも八は彼女の命名式の日 に彼女に与えられた幸運の数字だったからだ。その頃には夏も終わり、月が大きく見える季節になって いた。トーゴンはそのウサギがふたたび元気になるように、作りたての干し草と収穫した作物の根をた っぷりと与えた。毎晩トーゴンはウサギの腹部を触って、皮を縫い合わせた小さな縫い目を調べた。 304
ども時代のことを思い出してしまうのかしら ? 」 トーゴンはまた笑った。「そうじゃないわ。わたしだってよく責任をとらされたわよ」 「ということは、姉さんは自分が策略家だってことを認めているのねー 「ええ、たぶんそうなんでしようよ」トーゴンは、まだにやにやしたままそういった。「たぶんいまで もそうなんだと思うわ。でも、わたしを助けてくれない ? わたしはね、日々のお祈りの際に、ヴィジ ョンがわたしに見せてくれたものがどういうことなのかをわからせてくださいとお願いしていたの。そ れが、最近になってーーこういう言い方するとすごく傲慢にきこえるかもしれないけれどーーー少しわか ったような気がするのよ。少なくともわたしには考えがあるの。やってみたい考えがあるのよ。でも聖 域では手に入らないものが、ふたつあるの。それをわたしのために手に入れてくれない ? ふたつのほ んのちょっとしたものなのよ」 「どんな ? 」モーグリはいぶかしそうにきいた。 「まず、針。できるだけ細くて鋭い針がいるの。骨で作ったものではなくて、金属製のものよ。それか らもうひとつは糸。母さんが機織りをするときに使うようなのじゃだめなの。これも細くて、すごく丈 夫なものでないとだめ。身分の高い女の人たちのガウンを刺繍するときに使う銀の糸のようなものよ」 「わたしにそんなものをどうやって手に入れろっていうの ? 「考えていたんだけど、マーレンの奥さんのところには行けるでしよ。あの人は身分の高い人たちのた めの服を上手に仕立てるから、あそこに行けばそういった糸が手に入るはずだわ。あなたの最初の子ど もの命名の日のために、ガウンに自分で刺繍をしたいからとか何とかいえばいいわ」 「トーゴン、わたし、子どもはおろか、結婚さえしてないのよ。忘れたの ? 」 トーゴンはむっとしてため息をついた。「じゃあ、それがあなたの願いだから、早くから始めたいん だっていえばいいじゃない。あなたみたいに裁縫が下手な人は、刺繍に何年もかかるんだから」
彼女はその手を自分の胸に押し当てた。「姉さんに必要なのは、生きているものの体に触れることよ。 姉さんはあまりに長いあいだ霊の世界にいすぎたのよ。しばらくこうやってわたしにつかまっていて。 これがいま、いちばん姉さんに必要なことなのよ」 モーグリのいうとおりなのかもしれなかった。温かいモーグリの手に触れていると、水銀のように光 り輝くパワーはトーゴンの頭からあっという間に色あせていったのだから。疲れて言葉もなく、トーゴ ンは自分の気持ちをそのままにしてべッドに横たわった。 239
して投げかけられたのではなかった。床に手を伸ばしてコナーは騒ぎの元になったあの牛のような小さ なプラスチックの動物を拾い上げた。そしてそれを注意深く眺めた。「ネコはそうだっていってる」コ ナーはうなずいた。 「オーロクスのこと ? ージェームズは思いきってきいてみた。 「そうだよ」コナーは歌うような甲高い声で答えた。だが顔を上げてジェームズのほうを見ようとはし なカった。「ヨーク。エーオーク」 「オーロクス」ジェームズはつぶやくようにいった。 「オアロク。オーロクス。そう、ネコはそういっている。ここにいるのはオーロクス。ここにいるのは 野牛だ」言葉がゆっくりと吟味するように発された。まるで言葉を発するのに努力が必要で、その言葉 を使うことにあまり慣れていないとでもいうかのように。コナーはそのプラスチックの動物をテーブル の上に置いた。「ネコは知ってる」 ジェームズはコナ】をじっと見た。 コナーは手を伸ばしてティッシュを取り、それを注意深く。フラスチックの動物の上にかけ、完全に見 えなくしてしまった。どうやらこの動物がいやなようだ。コナーはティッシュを持ち上げて、いまはオ ーロクスと名付けられたその動物を手にとって調べ、それからまたそれをテーブルに置いた。だが、今 度はその動物を横向きに寝かせた。そして上からティッシュをかけた。 しい、また同じ コナーはうなるような声を出した。そしてティッシュを持ち上げた。「アーアーーと、 ことをくり返した。ティッシュを動物の上にかけ、うなり声をあげ、ティッシュを持ち上げ、アーアー という。もう一度同じことが繰り返された。さらにもう一度。そしてもう一度。まるで赤ん坊相手にす る、いないいないばあのようだ。 そのつもりなのだろうか、とジェームズは思った。うなり声は「いないいないーの幼児版のつもりな
ったように語られるのも特徴的なことではあった。それにもかかわらず : : : ジェームズは彼が自閉症だ と断言することができず、なにかいらだちを感じていた。ジャックの話し方とコナーの話し方には質的 な違いがあったのだ。ジャックの一言葉はコミ、ニケーションというよりは表面的な騒音という感じがあ り、絶えずばたばたと動いている彼の手のむなしい動きと似たところがあった。ところがコナーのほう は : : : ジェームズにははっきりとはわからなかった。だが、この子はむなしい身振りをしているのでは ないというはっきりとした印象を受けていた。 今回のセッションでは人形の家がコナーの注意を引いた。初めて彼は人形の家の前で立ち止まり、猫 に隅々まで点検させてから、前屈みになって中をのそき込んだ。 「ニヤオ ? ーとコナーは尋ねるような声を出した。猫の頭は中につつこまれている。「ニヤオ ? 」 それから用心深く手を伸ばして、小さな家具を取りだした。そしてじっくりと見た。「ドレッサー」 「、、ハスタブ 手を伸ばしてまた別のものを取った。 部屋にあるほかのもののときにやったように、この動作が続けられた。コナーは人形の家にある家具 をひとつずっ取り出し、ひとつずつ名前をいいながら、自分の横の床に並べた。 ここから会話を引き出そうと努力した。 ジェームズはプラスチックの動物のときにそうしたように、 「そうだね、それはべッドだ」コナーがべッドと名前をいったときに、彼はそういった。「そう、それ は椅子だね」 「ニヤオ 次にコナーは、人形の家の二階の部屋に、みんな一緒に横になっていた人形に注目した。 ? 」そういぶかしそうにいってから、人形に触れた。コナーはもう一度猫の顔を人形の家につつこんだ。 「ニヤオ ? 「それは人形の家の人形たちだよーとジェームズが説明してやった。 ラ /
に証明されているの。あのような非衛生的な環境でどうやってそれを行なったのか ? そう考えたこと を覚えている。それから外科医はどのように見なされていたのかということも 「死の油を持ってきてください」とトーゴンは賢者にいった。 寝台を取り巻いていた人々のあいだに、驚きのどよめきが起こった。まだ死んでもいないというのに、 どうしてべンナは死の油を持ってこいというのだろうか ? 賢者は動かなかった。 「死の油を持ってきてください」 賢者はそれでも動かなかった。 「ドウル様がわたしに行動せよと命じられているのです。そのために死の油が必要なのです」 「ドウル様がどのようなヴィジョンをベンナ様にお見せになったのかはわかりません。じゃが、べンナ 様がわしに命じておられることは不浄なこと。そういうことに手を貸したくはありませぬー 「もし聖別されていない手が聖なる油に触れれば、もっと不浄なこととなるのではありませんか」とト ーゴンはいった。「もしあなたがわたしのために油を持ってくることを拒否するのなら、そういうこと になりますよ。あなたのかわりに子どもに取りにやらせても、わたしは手に入れるつもりですからー 賢者は断固として動こうとしなかった。 トーゴンは彼をにらみつけた。「わたしに従うことを拒否するのですか ? 年齢のために記憶が衰え てしまったのですか ? わたしたちはつい最近、わたしたちの役割の違いについて話し合ったではあり ませんか。そんなに忘れつぼいのなら、わたしだっていつまでもやさしくはしていられませんね。さあ。 すぐに死の油をもってきなさい。死の油を本来の使い方をしなくていいうちに 死の油の到着を待っているあいだに、トーゴンは恐怖に襲われた。こういうことをしてもロキは死ぬ 3 ワ
なったの。家からほぼ三千キロも離れたポストン大学よ。 マリリンは、これからが″人生最高の年月〃だということをわたしに悟らせることに失敗したのだと 認めてついにあきらめると、わたしが出ていくことを素直に悲しんだわ。わたしが出発する前の晩に、 彼女が地下のわたしの部屋まで降りてきたのを覚えている。「あなたの人生は大きく変わってしまうわ ねーと彼女は静かにいって、わたしのべッドに腰をおろした。 わたしはうなずいたわ。わたしは椅子の上に登って、壁に貼っていた雑誌の切り抜き写真をはがして いたの。それまでの何週間かのあいだに荷造りはすべて終わっていたわ。父が、この四年間わたしの部 屋になっていたこの未完成の地下室を娯楽室に作り替える予定をしていたものだから。 「あなたには幸せになってほしいわ」とマリリンがいったわ。 「ええ」とわたしは答えた。 「あなたが人生で望むものを手に入れられるよう願っているわ」 「ええ、きっと手に入れるわー思春期の子だけが持っている確信をこめて、わたしはいったわ。 椅子から降りて、わたしは写真をていねいに机の上に積み重ねはじめたの。ほとんどは、わたしが何 年もかけて集めたブリジット・ ーの写真だったわ。例の《素直な悪女》の番が来たとき、一瞬手 を止めたのを覚えている。すべての写真の中でも、この写真がいちばんトーゴンを思い起こさせるもの だったの。だからそれを見るたびに、すごく気分がよくなったのよ。 「ごめんなさいね」とマリリンがいったわ。 わたしは顔を上けた。「なんのこと ? 」 「あなたの人生を幸せにしてあげられなくてごめんなさいね」 びつくりして、わたしは彼女の顔を見たわ。「わたしは幸せよ、マ 彼女はがつくりと肩を落としたわ。 リリン」
ジェームズの言葉がきこえたそぶりなどまったく見せずに、コナーはその場から離れた。 彼はまた部屋をまわった。 窓の反対側に大きな木製の人形の家があった。真ん中に階段があり、三階建てで各階に階段をはさん で一部屋ずつある。部屋には家具があふれ、前に遊んだ子どもが散らかしたままになっていた。人形は すべて正面の床の上にずらりと横に並べてあった。コナーは立ち止まった。猫を前に突きだして、人形 の家と床の上の人形たちを猫の鼻先ですべて触りながらひじように丹念に調べていった。 ーエー」急に心配になったようで、コナーは空いている方の 手を上にあげて顔の前でばたばたと動かした。猫をつかんでいるほうの手までかすかに震えている。 「人形の家を見ているんだね」とジェームズはごく静かにいった。 「人形の家ー体を硬くしてコナーはいった。「『人形の家』へンリック・イプセン作。一 八二八年から 一九〇六年。『人形の家』は一八七九年に書かれた。ヘンリック・イプセンによって。『幽霊』も書い ている。一 八八一年」コナーは手を激しくばたばた振っこ。 オ「ネコは知ってる 「きみのネコはすごいことを知ってるんだねー 「ヨーク ? 」コナーカしオ わけがわからなくて、ジェームズは返事をしなかった。 コナーは人形の家から離れて、部屋をまわり、棚のところに戻った。 「きみは・ほくに何かをいってるんだねー 「ニヤオ ? 」 「きみは何かをいってるんだろうけど、ぼくにはわからないんだよ」 ーエー」不安そうな表情がコナーの顔をよぎった。 / を 彼まおもちゃが入っている針金製 のバスケットのほうをちらりと見て、それからジェームズがいるほうを見た。猫をぎゅっと胸に押しつ 「ヨーク ? 」