実は CCD が発生する前から , アメリカのミッパチは減り始めて いた。 1970 年代末にはミッパチ の「失踪病」 (Disappearing Diseaese, DD ) が問題になっている。巣箱の ミッパチの数が減少したり , 今と 同じように突然姿を消してしまう 現象だ。 80 年代末から 90 年代に かけても , ヴァロアダニの影響な どで飼育ミッパチの数が減って , 受粉のためのミッパチカ坏足する 事態になった。このため , 2005 年には , 農家の要請によってミッ バチ法で禁止されていた国外から のミッパチの輸入が 1922 年以来 初めて行われた。 CCD が問題になったのは 2007 年ごろからで , 2005 年に輸 入されたミッパチに付いてⅣ 化〃が持ち込まれたのではな いか ? という疑問は当然湧いて くる。 その他にも CCD の犯人として , 大気汚染 , 環境破壊 , 携帯電話の 電磁波など , さまざまな説が紹介 された。イギリス・サセックス大 学のピイロイネン博士らは , 慢性 的なネオニコチノイドへの曝露や ル属の感染がミッパチやマ ルハナバチの学習能力や記憶力に 影響を与える可能性を指摘してい る。 両生類威の犯人 ミッパチの減少と並行するよう に , カエルやサンショウウオなど の両生類の世界でも深刻な事態が 進行していた。世界的に両生類の 減少が報告されるようになったの 0852 KAGAKU Aug. 2016 VOL86 NO. 8 中米バナマのカエル t 可 opus リ s の皮膚に感染したカエル ッホカヒ ( 出典 . Wikimedia Commons, author : Peter Daszak, Lee Berger, Andrew A. Cunningham, Alex D. Hyatt, D. Earl Green, and Rick speare, 2015 ) は 1980 年代で , 生息地の消失 , 環境汚染 , 酸性雨 , 気候変動など , さまざまな原因が指摘された。特 に減少が顕著だったのが中南米や オーストラリアである。 1998 年 になってオーストラリアとアメリ 力の研究チームが , 中米パナマや オーストラリアの死んだカエルか らッポカビの一種を検出した。 ッポカビ類 Chitridiomycota は 原始的な菌類のイ中間で , 通常は土 中や水中にいて寄生性を持たない ものが多い。そのツボカビが両生 類の皮膚に感染したことが , 両生 類減少の主要な原因の一つとして 突きとめられたのである。このツ ポカビはカエルッポカビ召ー 訪のな / 〃〃 2 厖〃み。〃イなと名づ けられた。両生類は肺呼吸だけで は必要な酸素をまかなえす , 皮膚 呼吸によってもガス交換を行って いる。カエルツボカビに感染した 両生類は , その皮膚呼吸が阻害さ れて衰弱し , 死んでしまうのであ る。では , いったいいつどこで , カエルッポカビが両生類に感染す るようになったのか。 南アフリカ・ノースウェスト大 学のウェルドン博士らが , 南アフ リカで 1879 ~ 1999 年にかけて採 集されたアフリカツメガ工ル 〃叩 spp. の標本 697 体を調べ たところ , 最も古いものではケー プタウンの博物館にあった 1938 年の標本からカエルッポカビ症の 痕跡が見つかったという。標本全 体では 2.7 % が感染していたこと から , カエルッポカビは南アフリ カ起源であると推定した。 1961 年にカナダのケベックでアフリカ 以外の最初の野外感染が確認され , 70 年代には北アメリカに広がっ ていたという。以後 , 中央アメリ 力に 1983 年 , 南アメリカには 1986 年に侵入した。オーストラ リアでは , 1993 年に初めてこの 病気で死んだ野生のカエルが発見 された。ただし 1978 年にはすで に侵入していたと考えられている。 カエルッポカビはとくにオース
トラリアと中南米で猛威をふるい , いくつかの種を絶滅させるなどま さに大量絶滅を予感させた。パナ マでは , カエルの個体数が 10 分 の 1 になってしまったと伝えら れた。ヨーロッパへの侵入は 1997 年で , 2005 年にはイギリス でも野生のカエルから感染個体が 発見された。ところが , このあた りまで日本ではほとんどカエルツ ボカビは問題にも話題にもなって いなかったのだ てんまっ カエルツボカビ騒動の顛末 2006 年 12 月 , 日本国内でペ ットとして飼育されていた中南米 産のカエルが次々死んだ。持ち込 まれた死体を調べるとカエルッポ カビが発見されたのである。両生 類を絶滅させる感染症が国内でも 発見と , 年明けから大騒ぎになっ た。もしカエルツボカビが野外に 広がれば , 在来のカエルやサンシ ョウウオにも甚大な被害が予想で きる。両生類が減ることは , それ を餌とするヘビや鳥類 , 哺乳類に も深刻な影響を及ほす。またカエ ル類は害虫を含むさまざまな小動 物・昆虫を餌とするため , 農業や 人間生活への影響も懸念された。 いったん野外に出てしまえば , カエルッポカビの感染拡大を防ぐ ことは難しい。このツボカビは水 を媒介として広がるからだ。カエ ルは水辺から水辺へかなりの距離 を移動する。感染したカエルが死 ぬまでの時間に新しい水場へ移動 して , そこを汚染する。河川に入 れば下流域も汚染される。ふだん は水辺から離れて暮らす力工ルも , 直期には水辺に集まる。研究者 や自然保護関係者たちは , 固唾を のんで成り行きを見守った。そし て , 2007 年 6 月にとうとう , 神 奈川県内で採集された野外のカエ ル = 外来種のウシガ工ルから , カ 工ルッポカビが発見されたことが 明らかになったのである。ああこ れで , ただでさえ危機的な日本の 両生類が絶滅してしまうと , 筆者 も含めた両生類好きは天を仰いだ のだった。しかし , 野外でカエルやサンショウウォ がバタバタと死に絶える , という 事態は出来しなかった。それどこ ろか , カエルツボカビの研究が進 むと意外なことがわかってきたの である。麻布大学と国立環境研究 所が国内各地のカエルを採集して その皮膚に付着している DNA を PCR 法によって調べると , アマ ガ工ルやヌマガ工ルなど普通種の カエルは 1 % 程度の感染率だっ たのに対し , オオサンショウウォ では 40 % , 沖縄に生息するシリ ケンイモリは 60 ~ 80 % という高 い感染率だった。また野生化した ウシガ工ルやアフリカツメガ工ル も 20 % が感染していた。しかも , これらの両生類にはカエルッポカ ビによる症状は出ていなかったの である。 カエルツボカビの ITS という 遺伝子領域を調べると , 国内には 50 ものハプロタイプがあること もわかった。これに対して , パナ マやオーストラリア , アメリカで 採集されたカエルツボカビから検 出されたハプロタイプはほとんど が A タイプで , それ以外も含め て数種類しか検出されなかったの だ。 つまり , カエルッポカビは日本 ( を含むアジア ) 起源だった可能性が 高いのである。つきあいが長いゆ えに , 日本在来の両生類はこのツ ポカビに抵抗性を持っていたのだ そして日本かアジアのどこかから 移送された両生類によって , カエ ルッポカビが世界中に広がったと いうことになる。 理由はよくわからないが , アフ リカツメガ工ルやウシガ工ルもカ 工ルツボカビに感染しても発症し ない。両種とも実験用やペット , あるいは食用として世界中で利用 されてきたため , 主要な媒介者に なった可能性が高い。北米原産の ウシガ工ルは大正時代に食用とし て日本に紹介されて , 養殖も行わ れた。 1950 年ごろから 70 年前 後にかけてアメリカに輸出もされ ていた。もしかすると 70 年代に カエルツボカビを北アメリカに広 げたのは , 日本からアメリカに渡 ったウシガ工ルだったのか・ ともあれ , わが国における“カ 工ルッポカビ騒動 " はいったん収 東した。とはいえ中南米やオース トラリアなどのカエルッポカビに 抵抗性を持たない地域の両生類は , いまだに深刻な脅威にさらされ続 けている。日本の両生類も主に生 息地の消失・分断といった理由で , 数を減らし続けている。国内外で 両生類の危機が去ったわけではな これまでの連載の中でも述べて バラサイトの惑星科学 0853
特集甲状腺がん 172 人の現実 第のツ甲状腺検査を求める すを拿福島県外の被災者たち ーー栃木県からの報告 朝清水奈名子 しみずななこ 宇都宮大学国際学部 ( 国際関係論・国際機構論 ) ・。 0 これまでに公表されてきた多くの汚染マッ プが示しているように , 東京電力福島第一原発 0 Needs of the thyroid examination beyond Fukushima prefecture: 地域を環境省が市町村単位で指定したものであ 均的な放射線量が , 1 時間あたり 0.23 ″ Sv 以上の 状況重点調査地域」がある。これはその地域の平 つに , 環境省が 2011 年 12 月に指定した「汚染 県境を越えて拡がる汚染の範囲を知る目安の一 県境を越えて拡がる汚染 ーズを明らかにする。 紹介しながら , 「低認知被災地」の住民の支援ニ した聞き取り調査およびアンケート調査の結果を どもたちの甲状腺検査を求める住民を対象に実施 本稿は , 福島の隣県である栃木県において , 子 過ぎない。 基礎自治体が住民の要望を受けて実施しているに ごくわずかな 例外的に , 北茨城市や日光市など , くの健康影響に関する調査は実施されていない。 ルの事業として , 甲状腺検査をはじめとする被ば いる。ところが福島県とは異なり , 政府や県レベ 被ばくによる健康影響を懸念する声が寄せられて これらの汚染地域に暮らす住民からも , 低線量 「低認知被災地」となってきたプ。 域はその被害の実態が十分に認知されていない よる報道量も少ないことから , 福島県外の汚染地 の中心は福島県内に限定されており , メディアに にも拡がっている。しかし , 日本政府の汚染対策 事故による放射能汚染は , 県境を越えて福島県外 る 2 。この基準を当てはめた結果 , 福島県だけで った。栃木県が 2011 年 5 月に県内の教育施設の ず , 政府や県・自治体による対策は遅れがちであ このような深刻な汚染がみられるにもかかわら 汚染に関わる対策と認識の遅れ 超えるセシウムが検出されている 6 らは , 現在でも 1 kg あたり数百から 1000 Bq を たが , 路地栽培のキノコや山菜 , 野生動物の肉か えるセシウムが検出されたことがニュースとなっ ノコに県北産が混ざっていたために , 基準値を超 5 月には , 字都宮市の小学校給食に使われたタケ れたことを受け , 出荷制限が敷かれた 5 。 2016 年 Bq を超える放射性セシウム 134 と 137 が検出さ 3000 Bq を超える放射性ョウ素 1 引および 500 ホウレンソウなどの葉物野菜から 1 kg あたり さらに事故直後の 3 月 20 日には , 栃木県産の 域よりも高い。 中通り地域と同程度の汚染を示しており , 会津地 ら 10 万 Bq と推定されている 4 。これは福島県の セシウム 134 と 137 の合計で 1 m あたり 6 万か る航空機モニタリングによって , 土壌中の放射性 域では , 2011 年 7 月の文部科学省と栃木県によ が指定された。これらのうち最も汚染が深刻な地 大田原市 , 矢板市 , 那須塩原市 , 塩谷町 , 那須町 中心に , 佐野市 ( 2016 年 3 月に解除 ) , 鹿沼市 , 日光市 , 栃木県では , 福島県と県境を接する県北地域を 年 5 月現在は 97 市町村となっている 3 ) 。 を受けることになった ( その後の指定解除を受けて , 2016 千葉の 8 県 , 合計 104 市町村に及ぶ地域が指定 なく , 岩手 , 宮城 , 茨城 , ・栃木 , ・群馬 , 埼玉 , A report from Tochigi prefecture Nanako SHIMIZU 0810 KAGAKU Aug. 2016 VOL86 No. 8
加や急激な経済成長が進行中の発展途上国におけ る汚染は , 20 世紀末以降むしろ深刻化しており , Futu 「 e Ea 「 th 一地球と人類の持続可能 大気・海洋汚染などは全球的に進行しています。 な未来をめざして 温暖化など気候システムの変化や環境汚染だけで はなく , 生態系もすでに大きく変化してきていま 安成哲三 やすなりてつぞう す。人口増加に伴う人間活動域の拡大や地球温暖 総合地球環境学研究所長 化によって消滅した生物種の数は , 1980 年頃か ら急激に増加しているのです。産業革命以降に失 人類が大きく変えつつある地球 われた生物種はすでに 5 万種にも上っており , 生態系の劣化は , 農業を含めて人類が生物圏から 私たち人類の直接の祖先であるホモ属は約 250 受けている恩恵 ( 生態系サービス ) に深刻な影響を与 万年前に現れ , 寒冷で変動の激しい第四紀の氷河 えつつあります。 時代を生き抜いてきましたが , 約 1 万年前から このように , 大気圏・水圏・生物圏を含む地球 の完新世 ( H ) の比較的暖かい気候の下で農業 システムは , 特に産業革命以降の人類活動により , 革命を起こし , 人口増加と共に都市文明を大きく 過去約 1 万年間続いた完新世の比較的安定して 発展させました。しかしそれは同時に , 人類が地 いたシステムから , 大きく改変されたシステムに 球環境を変化させることの開始でもありました。 変化しつつあり , もはや完新世ではなく「人新世 特に 18 世紀末に産業革命が起こって以降の地球 ( 人類世 ) 」 (Anthropocene ) という新しい地質時代に入っ 環境変化の進行は非常に速く , 地球全体に大きな たという指摘もされています 2 。いずれにせよ , 影響を与えるに至っています。たとえば地球大気 人類は今 , 自らの生存基盤である地球システムそ の C02 濃度は , 完新世の開始以降ほば 1 万年間 , のものを自らで変えつつあり , 人類史での大きな 280ppm 程度で安定していましたが , 19 世紀後 歴史的転換点に立っているといえます。 半以降増加の一途をたどり , 特に 20 世紀後半の 増加は著しく , 現在すでに 400 ppm を超えてい 地球の限界と人類の危機 ます。 IPCC は , この C02 を中心とする温室効 果ガスの増加により , 19 世紀後半以降全球の年 IPCC は , 温暖化対策なしに C02 が増え続け 平均気温は 1 ℃程度上昇していると報告してい れば今世紀末 ( 2100 年 ) には , 地球の気温は 4 ℃程 ますプ。温室効果ガス増加による地球温暖化に加 度上昇し , 夏の北極の海氷は 2050 年頃には消滅 え , 加速的に拡大する工業活動による大気汚染・ する可能性があり , 仮にこれ以上温室効果ガスか 水質汚染が地球規模で進行しています。北米 , ヨ 増加しないよう , 可能な限りの対策を施しても , ーロッパ地域 , 日本などの先進工業国では , 2100 年には 1 ℃程度の増加は避けられないと予 1970 年代以降の大気・水質汚染対策の強化によ 測しています。また地球温暖化の影響で , 気温だ って汚染は大きく抑えられてきましたが , 人口増 けでなく降水量の地域的な大きな変化や異常気象 科学通信科学 0757 学 リレーエッセイ地球を俯瞰する自然地理学
を投与された患者の追跡調査では甲状腺がんは 発生していないので , ョウ素 1 引の内部被ば くは同線量の外部被ばくより影響は少ないと思 われる。甲状腺がんおよび結節の誘発も放射線 の影響としては晩発性のものであり , 被ばくか ら 5 年以内に起きることがあるとしても稀で ある。一般的には子ども時代の被ばくの影響は 最も大きいが , 思春期前に被ばくした場合 , 性 成熟後にならないと腫瘍は現れてこない。 UN S CEAR ( 国連原子放射線の影響に関する科学委員会 ) の 1988 年報告によれば , 甲状腺がんの致死率は 5 ~ 10 % である。 これらの「基本説明」ののち , ウクライナとべ ラルーシの公式データが検討される。 ウクライナ : 汚染地域で発見された甲状腺が ん 5 例のうち病理学的には 1 例しか真のがん と確認されていないという報告がある。通常 , 放射線誘発性と考えられていない未分化がんが 2 例報告されている。 1990 年以前の最年少の 甲状腺がん患者は 18 歳であった。 1990 年の上 半期で 5 例が発見され , うち 2 例は 10 歳未満 であるが , これらの例が組織学的に検討された か不確かである。 1990 年末までに 20 例の小児 甲状腺がんが検出されているが , うち 1 1 例は 非汚染地域のものである。 べラルーシ : ゴメリの医師が甲状腺がん 2 例を報告しているが , 発生年やべースラインの 発生率が入手できない。甲状腺結節については , 汚染地域でも非汚染地域でもデータをみつけら れなかった。 べラルーシのデータの評価は上記のとおり非常 に短いもので , わずか 7 行しかない。「報告書」 はこれらのレビューをもとに , 各共和国からの報 告やデータの「稚拙さ」を強調して甲状腺がんの 問題は「切って捨てる」と言うほどの論調でまと められている。 放射線誘発性と知られているタイプの甲状腺 がんの増加を病理学的に裏付ける明らかな証拠 はない。データ収集方法も , 甲状腺がんは「そ の他のがん」に含めて分類されており , 真のべ ースラインの発生率を突き止めるのが極めて困 難。母集団のサイズや年齢構成に関する証拠も ほとんどない。甲状腺がんの報告のほとんどは ただの逸話のようなものにすぎない。事実とし てあるのは , 他の被ばくした集団では被ばくか ら 5 ~ 10 年以内に甲状腺がんは発生していな いということであり , 腫瘍のタイプも特定のも のである。現時点では , これまで報告された甲 状腺がん例のすべての病理切片を集めて再検討 することを勧める。事故時に大量の放射性ョウ 素が放出されているので , 放射線による甲状腺 がんの過剰発生は今後の数十年で出てくるもの と予想される。このリスクは事故後最初の 1 カ月にうけた甲状腺被ばく量に関係するので , 後で非汚染地域に移動してもそれが変わること はない。 といった調子である。 べラルーシとウクラ イナの科学者から の反言侖 潜伏期をめぐるこう した評価に対し , べ ラルーシとウクライ ナの科学者は上述し た 91 年 5 月のウィ ーンでの「報告書」発表と討論のための IAEA 会 議の中で反論しており , 発言は議事録に残されて いる % たとえばべラルーシの「チェルノブイリ 事故の影響に関するべラルーシ共和国委員会」の 議長であるケーニク博士は , 「 1990 年ゴメリ州におきまして , 14 件の甲状 腺がんが公式に記録されています。地方の医者は 間違いをしたり , 病気を誤って分類したりする , と多くの人たちが考えることは私も理解します。 しかし , この特殊な事例についてはミンスクの研 究所でチェックされ , モスクワでも確認されてい ます。 1985 年までにはたった 1 例が記録された に過ぎません。にもかかわらす , 報告書にはそう 0792 KAGAKU Aug. 2016 VOL86 No. 8
災害の影響を最小化することは , 長期的かっ明確 人道支援から被災地方の社会および経済発展を目 な目的をもっ政府活動として構想されている。し 指す長期政策へと移行した。他方 , 援助供与国は たがって , チェルノブイリ核災害の影響を克服す いわゆる「チェルノブイリ核実験場」へのアクセ るための 2012 ~ 2016 年度国家計画においても , スを得たので , ウクライナも研究開発の大きな機 主要項目について学術支援の果たすべき役割が設 会を提供していると評せる。つまり , チェルノブ 定されている。しかし , 2009 ~ 2010 年に調査研 イリにおける国際協力は , 一方通行のものではな 究用の資金が急激に減少し , 学術的潜在能力を合 い ( 7.4 ) 。 理的に活用できる可能性が大幅に減少した。その 学術的支援は , チェルノブイリ核災害の影響を 結果 , 行政意思決定や行政活動の遂行が , 十分な 克服するための主要な手段の一つであるウクラ 科学的証明がなされないまま行われる事態に陥っ イナは , キエフに多くの専門研究機関を設立する ことにより , 事故後直ちに学術的支援を行う基盤 ている。 整備を行い , 広範な科学的問題の調査と解決を可 章では , チェルノブイリ核災害を受けての , 能にした ( 7.5 ) 。核災害が健康に及ばした影響は , 原子力の安全性の強化について検討する。 事故後最初の 10 年間に行われた基礎的調査によ チェルノブイリ事故の分析を行う上で重要なの って , 予想と大きく異なることが判明した。また , は , 今日と未来の原子力の安全性のために教訓を 被曝者を事故後 15 年間観察した知見にもとづき , 学び , 深刻な放射生態学的影響を伴う事故の再発 2001 年に健康影響の最小化に関する予測および の可能性そのものを予防することである。教訓の 勧告が策定された。その後 , 事故後 25 年の科学 第一は , 国家の原子力発電の安全性に対する責任 的分析が罹患率の傾向の変化を示したのを受けて , は , 国際社会に対する責任へと発展していること 健康影響の最小化に関する対策の策定は , その適 である。その第二は , 効果的な原子力安全体制を 正性と高い効率を保障するための調整を迫られて 保持する必要性である。第三の最も重要な教訓は , いる ( 7.5.1) 。農業分野では , 事故直後の数年間に 国家および市民が , 独立して原子力の安全性を統 放射能汚染状況を評価するための膨大な実地調査 制する必要があることである。このためには , 市 が行われ , それにもとづいて科学的対策が策定さ 民が原発の潜在的危険とその最小化について理解 れた。そして , それらの実施により , 汚染が許容 していること・十分な権限を付与された独立した レベルを上回らない農産物を公共部門で生産する 国家規制機関が機能していること・専門的訓練を ことが可能になった。その後も汚染状況の調査は 積んだ運転職員組織が存在していることが , 不可 継続しており , その他の科学的研究成果と共に 欠である。そして , 第四の教訓は , 原発の安全性 放射能汚染の農業への影響を最小化するための , を常時分析し , 安全性の欠如する点を発見し , そ 対策立案の基礎となっている ( 7.5.2 ) 。チェルノブ れを除去することである ( 8.1) 。 イリ核災害による放射能汚染地域には , スラヴ人 チェルノブイリ事故により , 約 300 万人が余 にとって非常に重要な民族文化遺跡群が含まれる。 分な被曝をした事実は , 全世界を驚愕させた。 そこで , 文化遺産の保全のための研究機関が設立 の事故が示したのは , 「もし我々が今後も原子力 され , 調査研究と文化振興活動を行っている 利用を望むのであれば , 原子力事故の発生を防ぎ , ( 7.5. 引。放射性廃棄物管理のための国家戦略の策 その影響を最小限に抑えるために , あらゆること 定に当たっては , ウクライナ・ソビエト連邦・欧 をしなければならない」ということである。特に 州連合で蓄積された知見を勘案している。また , 放射線事故・核事故に際し , 効果的な事故対応体 EU 法の原則と要件 , ならびに IAEA や欧州原子 制によって , 高線量の被曝から人々を守らなくて カ共同体等の国際機関の勧告に , 完全に対応する はならない。チェルノブイリ事故時の緊急事態対 ように配慮している ( 7.5.4 ) 。ウクライナでは , 核 0836 KAGAKU Aug. 2016 VOI.86 NO. 8 0 一三 8
チェルノブイリ事故の根本的原因は , 「以前か 700 ら把握されていた黒鉛減速沸騰軽水圧力管型 600 ( RBMK ー 1000 型 ) 原子炉の構造的欠陥を , 上層部か 500 田 400 末端の運転員たちに知らせていなかったこと」で 300 あった。ゆえに , 「運転員が原子炉を停止するた 200 めの通常の操作を行った結果 , 原子炉がその構 100 的欠陥により爆発した」のである。すなわち , 悲 0 26 27 28 29 30 1 2 3 4 5 6 惨な結果をもたらした事故の背景には , 所管官庁 4 月 5 月 の情報隠蔽体質と核産業における安全文化の欠如 図 1 ーチェルノブイリ事故期間中の放射性物質の外部環境への があった。したがって , 核災害を繰り返さないた 日ごとの放出量 めには , チェルノブイリ事故の根本的原因に対す る反省の上に , 運転中の核施設の安全性評価と統 では , 事故炉の管理を中心に核災害の影響を克服 制を政府から独立して行う規制機関の設立・運転 するための体制が整備されつつあるが , 予算面の 員への高度な訓練・原子力の危険性に関する公衆 制約を考慮すれば , 被災者への社会保障政策は見 教育を柱とする , 安全文化を確立させなくてはな 直す必要がある ( 1.4 ) 。 らない ( 1. 1 ) 。 初期対応の最重要項目の一つは , 破壊された原 事故直後の 10 日間に , 大量の放射性物質が自 子炉を外部環境から隔離するための石棺建設であ 然環境中に放出された ( 図 1 ) 。事故当日から行わ った。極めて過酷な放射線条件下 , 幾多の困難を れたオンサイト対応は , 核分裂と火災の鎮静化を 乗り越えて , 石棺の設計と建設はわずか半年で完 主目的とし , 上空からの事故炉への大量の資材投 了した。しかし , あくまでも緊急措置に過ぎない , 下を柱とした。これらの対策は , 事故炉の状況か 石棺の構造は脆弱であるので , 建設完了直後から 把握できない中で手探りで行われたものの , 放射 その補強が検討され始めた ( 1.5 ) 。 性物質の大量放出を何とか収東させることができ た ( 1.2 ) 。 章は , チェルノブイリ核災害による健康被害 事故直後のオフサイト対応は , 放射能汚染が最 について検討する。 も顕著な領域からの住民避難を柱とし , 事故直後 事故による被曝を最も蒙ったのは , 事故処理作 の数日間で原発 10 km 圏内から住民を避難させ , 業従事者・立入禁止区域 ( 30 km 圏内 ) からの避難 7 日目には 30km 圏内からの住民避難を決定した。 者・甲状腺内部被曝を蒙った事故当時の子どもと しかし , これらは事故発生の事実を隠蔽したまま 青少年・放射能汚染地域に住む住民の四集団であ 行われたので , 市民からの信頼を得られず , 後に り , 主要な被曝経路は , 降下した放射性核種によ 大きな禍根を残した。他方 , 事故による広大な放 る全身外部被曝と , 汚染食品の摂取による甲状腺 射能汚染区域の出現により , 域外への放射能汚染 および全身の内部被曝であった区 1) 。最新の知見 拡散を防止するための様々な施策が開始された。 を用いて事故処理作業従事者の被曝線量を検証し また , 核災害の被災者に対する社会保障政策が開 直した結果 , 以下のことがいえる。多大な過剰被 始された ( 1.3 ) 。 曝を蒙ったのは , 事故直後から 1 月余りの間に , 核災害の影響を克服するための初期対応は , ソ 放射線管理が存在しなかった条件下で働いた , い 連政府が主体となって行ったが , 不十分な面もあ わゆる「決死隊」の人々であった。その後に導入 った。しかし , 1991 年のソ連崩壊により , ウク された放射線防護体制は , 求められる要件をほば ライナは , 独力で核災害の影響克服に取り組むこ 満たしており , 許容線量限度の超過は稀になった とになり , 資金面での困難に直面している。現在 区 1 ・ 1)0 立入禁止区域からの避難者の実効被曝線 ウクライナ国家報告書に学ぶ大規模核災害の影響と対策科学 0831 田 /b8d 3
に達するか超すような場合には避難を含む緊急対 策が採られる ( 同レベル B) 。レベル A と B の間では 実際の状況に応じて判断されることとなっていた 当時の ICRP ( 国際放射線防護委員会 ) の屋内退避およ びョウ素剤投与の介入レベル幅は甲状腺被ばくで 50 ~ 500mGy であった 2 。ソ連当局は , チェルノ プイリ事故時 , レベル A に達するおそれがある と判断された時点で原発労働者の街であったプリ ピャチ市および高線量地域からの避難を行ったの で住民の被ばく量を抑えることができ , 避難住民 の 97 % は甲状腺被ばく量 300mGy 未満であり , 300 ~ 1000mGY が 2 % , 1.1 ~ 13G メが 1 % 未満 と評価した。その後の汚染食品の規制基準も , 当 初は子どもの甲状腺で 300 mGy を超させないこ とをベースに決められていた。その他の措置を含 め , 住民への放射線防護対策は機能したと判断さ れていた 3 。 この評価は , 1988 年 5 月に IAEA の協力によ りソ連当局がウクライナのキエフで開催した「チ ェルノブイリ事故の医学的側面」という会議でも ほば維持されている。チェルノブイリ事故の結果 , 今後の 50 ~ 70 年間で受ける外部被ばく量は自然 放射線からの被ばく量の 20 ~ 30 % を超えること はなく , がんもその他の疾病も放射線影響を検出 することは困難であろうとされている。加えて , 住民の間には「放射能恐怖症候群 ( ラジオフォビア ) 」 が見られるという報告が何人かのソ連の科学者か らあげられている。甲状腺に関しては機能面の調 査が主であり , 大きな異常はないとされたが , 子 どもの甲状腺過形成の発生率が増えており今後の 研究が必要という報告はなされていた 4 。 潜伏期の問題 甲状腺がんの潜伏期 問題が「ハードに」 論じられたのは , 1991 年 5 月にウイ ンで行われた IAEA の国際チェルノブイリプロジェクト・国際 諮問委員会の会議である。国際チェルノブイリプ ロジェクトとは , 1989 年 10 月 , チェルノブイリ 事故後の放射能汚染状況を評価し , その地域の 人々へのソ連政府の放射線防護対策について国際 専門家の評価を受けるために , ソ連政府が正式に IAEA にコーディネイトを要請して開始されたも のである。国際諮問委員会が作られ , 委員長には トロンコ教授のスピーチにも名前が出てきた広島 放射線影響研究所理事長 ( 当時 ) の重松逸造氏が就 任した。 それに先立っ 1989 年 3 月にソ連政府は事故に よる放射能 ( セシウム 1 初汚染地図をはじめて住民 に公開した。それにより , 当初避難指示の出され た原発から半径 30 km 圏を優に超え , 数百 km 離れた地域にも避難地域と同等の汚染が存在して いることが判明した。住民からの批判の声の高ま りに対し , 追加の避難 ( 移住 ) や , 居住可能地域を 定めるための被ばくレベルや土壌汚染レベルの設 定などさらなる放射線防護対策を講じる必要が生 じた。それらの対策について国際専門家 ( 第三者 ) の評価を求めたのである。そのべースとなる , れまでの健康影響の評価をめぐって議論が交わさ れた。子どもの甲状腺がんが発見されるという事 例が出てきていたからである。 91 年の会議で公表された諮問委員会報告書 5 ( 以 下「報告書」と呼ぶ ) は , まず甲状腺の腫瘍について 以下のことを基本的な説明として述べている。 放射線被ばくによって甲状腺のがんおよび結 節の発生率が増加したという観察例は存在する。 アメリカの水爆実験でガンマ線外部被ばくと放 射性ョウ素同位体を内部被ばくしたマーシャル 諸島住民では , 被ばくから 9 年後にはじめて 若い女性に甲状腺がんが検出された。他の研究 でも , 放射性ョウ素の吸収による影響は長期間 後に現れることが示されている。解釈を複雑に する要因の一つに「オカルト甲状腺がん」とい うものがあり , これは甲状腺の 10 % 程度まで 存在すると考えられるが , 生物学的には良性で あり無意味なものである。一般的にはこのタイ プの腫瘍は分析に含まないが , これを他の形状 の甲状腺がんから区別するには優秀な甲状腺病 理専門医が必須である。治療用のヨウ素 1 引 原発事故と甲状腺がんをめぐる年科学 0791
象とすると , 親の知識の有無によって子どもの受 検状況に差が出ることも問題となる。これらの点 をふまえれば , 多数の回答者が要望したように , 福島県外の被災地においても , 子どもたち全員を 対象とした健康調査を求める支援ニーズに対応す る必要があると言えよう。 謝辞 : アンケートおよび聞き取り調査に回答・協力してく ださった皆様にお礼を申し上げます。なお本研究は , 以下 の助成を受けて実施されました。生協総研賞・第 13 回助 成事業「原発事故後の健康を享受する権利と市民活動ー 『関東子ども健康調査支援基金』による活動分析を中心と して一」 ( 研究代表者 : 清水奈名子 ) 。 JSPS 科研費 16K12368 。 文献 1 ー原口弥生「低認知被災地における市民活動の現在と課題ー茨 城県の放射能汚染をめぐる問題構築」日本平和学会編 「「 3. 11 」後の平和学』早稲田大学出版部 , 2013 年所収。 2 一環境省 ( 報道発表資料 ) 「放射性物質汚染対処特措法に基づく 汚染廃棄物対策地域 , 除染特別地域及び汚染状況重点調査地域 の指定について ( お知らせ ) 」 ( 2011 年 12 月 19 日 ) http : ″ www. env. go. jp/press/14598. html(2016 年 6 月 30 日閲覧 ) 3 一環境省 ( 報道発表資料 ) 「放射性物質汚染対処特措法に基づく 汚染状況重点調査地域の指定の解除について ( お知らせ ) 」 ( 2016 年 3 月 18 日 ) http://www.env.go.jp/press/102235. htm ば 2016 年 6 月 30 日閲覧 ) 4 一文部科学省 ( 報道発表 ) 「文部科学省及び栃木県による航空機 モニタリングの測定結果について」 ( 2011 年 7 月 27 日 )http://ra dioactivity. nsr. go. jP/ja/C0ntentS/5000/4930/24/1305819 ー 0727. pdf ( 2016 年 6 月 30 日閲覧 ) 5 ー栃木県「県産農林水産物等の出荷制限と解除の状況につい て」 http://www.pref.tochigi 」 g. jp/kinkyu/yOO/shukkahikae. html ( 2016 年 6 月 30 日閲覧 ) 6 ー那須塩原市「食品の放射性物質簡易検査結果」 http://www city. nasushioba 「 a 」 g. jp / 2083 / 3501 / 005010. html ( 2016 年 6 月 30 日閲覧 ) 7- 栃木県北住民 12 名への聞き取り調査による ( 2015 年 2 月か ら 12 月 ) 。 8 一環境省「放射線量低減対策特別緊急事業費補助金交付要綱」 ( 2011 年 12 月 22 日 ) http://www.env.go.jp/jishin/rmp/fiscal/subsi dy01 / 01 ー yoko - h28. pdf , 同「放射線量低減対策特別緊急事業費 補助金取扱要領」 http://www.env.go.jp/jishin/rmp/fiscal/subsidy 01 / 02 ー yoryo ー h28. pdf ( 2016 年 6 月 30 日閲覧 ) 9 ー清水奈名子「震災を受けての乳幼児保護者アンケート ( 県北 地域 ) 結果報告」 ( 2012 年 10 月 24 日 )http://cmps.utsunomiya-u. ac. jp/fsp/fsp-a20121024. pdf 10 ー宇都宮大学国際学部附属多文化公共圏センター , 福島乳幼 児・妊産婦支援プロジェクト ( 清水奈名子・匂坂宏枝 ) 「 2013 年 度震災後の栃木県北地域における乳幼児保護者アンケート集計 結果報告 ( 2013 年 8 月 ~ 10 月実施分 ) 」 ( 「 2013 年北関東地域の 被災者アンケート調査・福島県からの避難者アンケート調査資 料集」 2014 年 2 月 8 日 , 17 ~ 35 頁 ) 11 ー放射線による健康影響に関する有識者会議 ( 栃木県 ) 「栃木 県における放射線の健康影響に関する報告書」 ( 2012 年 6 月 ) http://www.pref.tochigi.lg.jp/e04/documents/documents/docu ments/report. pdf(2016 年 6 月 20 日閲覧 ) 12 ー関東子ども健康調査支援基金ホームページより http://www kantokodomo. info/torikumi. htmI(2016 年 6 月 30 日閲覧 ) 清水奈名子 2006 年に国際基督教大学大学院行政学研究科博士後期課程修 了 ( 学術博士 ) 。 2007 年 10 月より宇都宮大学国際学部講師 , 2010 年 6 月より現職。国連の安全保障体制についての研究を 続けると同時に , 東日本大震災後の原発事故の被害についても 調査を行ってきた。近著に , 「原発事故・子ども被災者支援法 の課題一被災者の健康を享受する権利の保障をめぐって一」 『社会福祉研究』第 119 号 ( 2014 年 4 月 ) , 「危機に瀕する人間 の安全保障とグローバルな間題構造ー東京電力福島原発事故後 における健康を享受する権利の侵害ー ( 前編 ) ・ ( 後編 ) 」『宇都 宮大学国際学部研究論集』第 39 号 ( 2015 年 ) , "Humanlnse- curity Caused by the Dysfunction Of the State:New Security - sues in Post-Fukushima Japan," Asian Journal Of Peacebuild- ing, No. 3,Vol. 1 ( 2015 ) , 「核・原子力話しにくい原発事故の 被害」風間孝・加治宏基・金敬黙編著『教養としてのジェンダ しみずななこ ーと平和』法律文化社 , 2016 年など。 甲状腺検査を求める福島県外の被災者たち 科学 0813
が 1 mSv を超える危険性がある集落と施設を対 象とし , 食品摂取に伴う放射性核種の総摂取量を 減らすことと , 汚染地域内で汚染されていない食 物を生産することに焦点を当てた。放射線防護の 基礎は , 依然として , 被曝線量モニタリング・信 頼できる科学的知見にもとづく放射能汚染状況の 把握・農業および林業分野に最適化された対策で ある ( 7.2.1)0 被曝者の医療保護は , 事故後 , 恒久 的に行われている。罹患率と死亡率の水準が高い ことから , 障害と増悪を防ぐために , 被災者は毎 年 , 定期的また予定外の治療と慢性疾患の悪化の 予防措置を必要としている。 2006 ~ 2010 年度国 家計画は , そのために必要な様々な措置を規定し ている。しかし , 慢性的な予算不足から予定額か 支出されず , 計画の実施は不十分なものになって いる。その結果 , 時宜に適った医療手当を受けら れなかった被曝者による , 中央執行機関への不服 申し立ての数が増えている ( 7.2.2 ) 。ウクライナで は , 過去 15 年間で , チェルノブイリ核災害によ る被災者の総数は約 100 万人減少したが , 障害 者の数は約 5 万人増加した。被災者に対する社 会保障の額は , 政府予算支出における現実の拠出 可能性を考慮して , 内閣令により毎年決められて いる。しかし , その額は旧ソ連時代に制定された 現行法の法定支給額よりも遥かに少ないので , 被 災者による裁判所への大量の権利確認請求を引き 起こした。その結果 , 勝訴した者とその他の大多 数の間で , 受給額が大幅に異なる。そこで , この 状態を是正するために , 現行法の修正が検討され ている ( 7.2. 引。事故後 25 年間に , 放射線生物学 とその専門分野である放射生態学の知見は豊かに なり , 放射線科学は各種対策に科学的根拠を提供 している。しかし , 住民だけではなく , 原子力と 生態学の分野で働く関係者の間でも , 放射線リテ ラシーが不足している。その原因は , すべての教 育課程における生態学教育が , 不完全なことであ る。事故直後 , 放射線教育は拡充され , ウクライ ナの放射線状況は一般に改善した。しかし , 2004 年頃から放射線教育は削減され , 専門家だ けでなく , すべての人々にとっても必要な , 放射 線の基礎知識を学ぶ機会が減少している。他方 , 住民へ汚染状況に関する情報を伝達する施策は , 続けられている ( 7.2.4 ) 。 7.3 は , 核および放射線の安全性確保に関する 国家政策を論じる。ウクライナでは現在 , 事業者 がすべてのライフサイクル段階において原子力発 電所の安全に全面的責任を負い , 他のいかなる目 標にも増して安全性を絶対最優先の目的と定める ことが , 法律により規定されている。特に原子炉 については , 非常に多くの措置が実施された上に ウクライナにある全原発を対象に , 欧州委員会の 専門家グループと国際原子力機関 ( IAEA ) が , 有効 な国際基準を遵守しているかについての包括的な 安全性評価を行った ( 7.3.1) 。現在も電力の半分を 原子力に頼るウクライナだが , 使用済核燃料貯蔵 施設がなく , 費用を支払ってロシア連邦に処理を 委託している。しかし , エネルギー安全性の確保 と経済的観点からは , 自国で処理するほうが望ま しいので , 独自の使用済核燃料処理・貯蔵施設の 建設を計画している ( 7.3.2 ) 。 2008 ~ 2010 年にウ クライナ国家核規制委員会が実施した包括的査察 の結果 , 立入禁止区域における放射性廃棄物貯蔵 施設の物理的防護体制が , 非常に不十分であるこ とが判明した。これは , 核物質の物理的防護に関 する条約によりウクライナが負う , 国際的義務の 履行上問題があるので , 改善を要する ( 7.3.3 ) 。石 棺転化計画の実施に関して , 安全面からの審査を 行うのは , 国家核規制委員会である。同委員会は , 核および放射線の安全性確保のための基本原則と 関連法規を整備し , 規制官庁間での活動を調整し , 石棺転化実施計画で建設される施設に関する許可 を発行する ( 7.3.4 ) 。 チェルノブイリ核災害の克服に際して , 国際社 会による支援が果たしている役割は大きい。先進 国からの支援は , 旧ソ連時代は放射線医療分野の みに限られていたが , 独立後に石棺転化計画を中 心とする技術支援と幅広い人道支援へと拡大して いった。また , 非政府組織による支援は , 人道支 援に大いに貢献した。その後 2002 年からは , 国 際社会による支援の重点は , 国連機関の主導の下 , ウクライナ国家報告書に学ぶ大規模核災害の影響と対策科学 0835