表 6 ー解析対象となった陸軍船舶特別幹部候補生の 8 月 6 日での広島市内での作業場所 ( 爆心地からの距 離 ) 別度数 粉塵曝露状況 作業場所 爆心地付近 ( 1 km 以内 ) 準爆心地 ( 1 kmæ2 km) 広島市近郊 ( 2 kmæ3 km) 広島市近郊以遠 ( 3 km 以遠 ) 不明 ( 無記述 : 3 km 以遠として扱った ) 不明 ( 無記述 ) 3 0 5 2 有 4 5 1 8 6 4 ー〒・つ」 -1 4 ・ LO つ」 4 ィー 1 ・ ( 0 LO ( 0 CO っ 4 0 CO = = ロ 表 7 ー解析対象となった陸軍船舶特別幹部候補生に対する作業 場所および粉塵被曝状況に関する 4 群への類別および群別度 数 群名 130.0 130.0 14.3 32.9 14.0 12.0 10.0 8.0 6.0 4.0 2.60 2.0 0.57 0.47 0.0 図 6 ーがん ( 白血病を含む ) 罹患既往歴の作業場所別・粉塵曝露 別オッズ比と 95 % 信頼区間 D 群の A 群に対するオッズ比は 143 で , その 95 % 信頼区間 は [ 1.57 , 130.0 ] であった。 群の 4 群に分け , 急性症状の発症の有無および 2.62 がん罹患既往歴の有無について , A 群を基準とす 0.61 0.47 る各群のオッズ比を算出した。 結果を図 5 および図 6 に示す。爆心地から半 図 5 ー急性症状発症の作業場所別・粉塵曝露別オッズ比と 95 % 信頼区間 径 2.0 km 以内で作業し , 、粉塵 ' を浴びた D 群に D 群の A 群に対するオッズ比は 11.7 で , その 95 % 信頼区間 おいて , 急性症状様の症状の発症危険度やがんの は [ 2. 引 , 59.5 ] であった。 既往歴危険度が対照群である A 群に比べてオッ この集団は , 8 月 6 日原爆投下時には広島市内 ズ比の点推定値として 10 倍を超える高い上昇 ( ァ にいなかったことは確認されており , 原爆投下後 < 0.05 ) が検出された。この解析での標本数は総計 の 8 月 6 日の行動が明らかであること , さらに で 64 例とかなり少数ではあるが , A 群—D 群の 15 ~ 19 歳の健康な男性で基本的背景属性に例外 いすれの群も年齢 , 健康状況 , 原爆投下当日の行 的要素が少なくほば均一である。質問項目の主な 動などの背景要因がほば均一な集団で構成されて ものは , 仄市した場所および時間 ' , その時の市 いることや爆心地近くに入市していても粉塵に非 内の火事や粉塵の状況 ' , イ乍業した場所 ' , 。作業内 被曝 ( 被曝関連の記載がない場合も含む ) であった C 群で 容およびその時の粉塵曝露状況 ' , その後の健康 のオッズ比がいずれも 3.0 未満であることに留意 状態 ' である。表 6 に解析対象者の広島市内での すれば , この結果は , 放射化した微粒子を吸い込 作業場所 ( 爆心地からの距離 ) 別度数を示す。 んだことによる内部被曝による健康影響を如実に 次に , 作業場所および作業中の粉塵曝露の有無 示唆しているのではなかろうか により , 表 7 に示すような A 群 , B 群 , C 群 , D 次に , その曝露源の本体はどんなものであった 広島原爆被爆者における健康障害の主要因は放射性微粒子被曝である科学 0827 作業場所 人数 (A) 2km 以遠で作業かっ粉塵曝露無 22 (B) 2 km 以遠で作業かっ粉塵曝露有 9 (C) 2km 以内で作業かっ粉塵曝露無 12 (D) 2 km 以内で作業かっ粉塵曝露有 21 49.5 8.60 1 .57 59.5 14.6 4 ワ」 0 8 (D 4- ワ」 10 1 17 5.50 2.31 1.0-
A B 小。 C D E F 表 1 ー 250mSv を超えた作業員 6 名の詳細 3 / 1 1 ~ 4 / 14 3 / 1 1 ~ 3 / 15 3 / 1 1 ~ 3 / 31 3 / 1 1 ~ 6 / 15 3 / 1 1 ~ 6 / 4 3 / 1 1 ~ 6 / 7 筆者作成。 所属 運転員 ()0 代 ) 運転員 ()0 代 ) 運転員 保全部 保全部 保全部 被ばく線量 678.80 mSv ( 内部 590 mSv) 645.54 mSv ( 内部 540 mSv) 353.12 mSv ( 内部 241.81 mSv) 310.97 mSv ( 内部 259.66 mSv) 477.01 mSv ( 内部 433.05 mSv) 360.85 mSv ( 内部 327.90 mSv) 作業期間 マスク状況 1 号機爆発まではダス ト , 以降チャコール 1 号機爆発まではダス ト , 以降チャコール チャコー丿レ 1 号機爆発まではダス ト , 以降チャコール 1 号機爆発まではダス ト , 以降チャコール チャコー丿レ ョウ素剤服用 3 / 24 以降 計 15 錠 3 / 21 以降 計 2 錠 3 / 28 以降 計 2 錠 3 / 14 以降 計 3 錠 5 / 20 2 錠 , 5 / 21 1 錠 5 / 3 1 錠 , 5 / 12 2 錠 3 / 14 2 錠 , 5 / 2 2 錠 計 10 錠 ( 本人の記憶で 3 / 132 錠 ) 記録なし 作業内容 作業 ( 1 / 2 号機 ) 中央操作室で計器復旧 作業 ( 1 / 2 号機 ) 中央操作室で計器復旧 作業 ( 1 / 2 号機 ) 中央操作室で計器復旧 操作やデータ収集 中央操作室でプラント 操作やデータ収集 中央操作室でプラント 操作やデータ収集 中央操作室でプラント 《 5 : 04 》中央操作室で排気関係のモニタ指示 ニング時に眼鏡のつる部分の髪に汚染が検出さ しており , 免震重要棟入口で実施しているスクリ の 9.7 % で 57.23mSv であった。 A は眼鏡を着用 作業をおこなった作業員の内部被ばく線量は , A 590 mSv 内部被ばくした作業員 A と共に屋外 力が低下した可能性もある。 イルターが使用され , チャコールのヨウ素吸着能 難であったことから長時間にわたりチャコールフ コールフィルターの追加配備をおこなう状況が困 発性ョウ素は除去できない。また , マスクやチャ ダストマスクはチャコールマスクと異なり , 揮 われた。 スクを調達して装着するまで , この資材でまかな でデータ採取に向かう際に免震重要棟で新たなマ いた。 3 月 13 日 16 時以降 , 免震重要棟から交代 ールフィルタが 50 個 , 面体が 300 個配備されて 理区域入口にチャコールマスクが 15 個 , チャコ マスクの配備状況は , 引 4 号機サービスビル管 《 15 : 36 》 ( 1 号機原子炉建屋上部爆発 ) ャコールマスクの着用を指示。 慮し , 中央操作室でのダストマスク , 現場でのチ 値が上昇したため , 当直長がマスクの保有数を考 KAGAKU Aug. 2016 VOI.86 NO. 8 れることが多く , マスクと肌との間に隙間を作っ 0816 ていた可能性がある。 A の眼鏡はつるが幅広で , 隙間を作りやすい形状であった。眼鏡のつる部分 に対応したマスクはなく , 眼鏡使用者のマスク着 用に関しては , 固定バンドの締め付けを強くする などの対応しかできない。 540 mSv 内部被ばくした作業員 B と共に屋外 作業をおこなった作業員 2 名の内部被ばく線量 は B の 1.6 % , 6.6 % で , 8.64mSv , 35.64mSv であった。 B は中央操作室でのデータ採取では中 央操作室非常扉 ( 外部と通じる扉 ) 付近で作業をして おり , この扉は 1 号機爆発の影響で歪みが生じ , 外部の環境から隔離できない状態であった。また B は 1 号機爆発直後までダストマスクを着用して いた。 中央操作室の 3 号側の線量が高く , 3 号機爆発 時には非常扉から侵入したと思われるじん埃が室 内に舞っていたのが目撃されていた。このように 中央操作室の線量が上昇している中 , A と B は 中央操作室で食事を摂らざるを得ない状況にあり , このことによる放射性物質の摂取も考えられてい る。 250 mSv を超過した 6 名のうち , 3 名が眼鏡を 着用しており , そのうち 1 名が眼鏡のつる部分 による隙間を気にしていた。 6 名のうち 4 名が環 境線量が上昇し始めた極めて初期にマスクをしな いか , ダストマスクで作業をおこなっていた
もいうが , 少なくとも記者会見では明確に , 炉心 溶融と炉心損傷を使い分けていた。例えば今年 4 月号の本稿で触れたように , 東電は 2011 年 4 月 6 日の記者会見で炉心の状態について , 「炉心損 傷とは , 燃料の被覆管が形状を維持していない状 況ということで , たとえば割れがあったり , 被覆 管が溶けて燃料が露出しているというような状況 と考えている。必ずしも溶けてなだれ落ちている というような状況ではない」と定義づけて , 炉心 損傷という見方を堅持したのだ。こうした事実を 抜きにして , 当時の広報対応が隠蔽ではなかった という結論になるのは , 状況を見てきた筆者とし ては理解に苦しむ。 第 2 にわからないのは , なぜ東電が炉心溶融 という言葉を使わなくなっていったのかだ。報告 書では , 原子力安全・保安院の会見担当者が炉心 溶融を示唆した後 , 会見からはずれたことをきっ かけに , 「対外的には「炉心溶融」を肯定するよ うな発言は避けるべきという認識が徐々に広まっ た」としている。しかし社内に , そのような具体 的な指示はなかったのだという。いったいいつ , どうしてそうした「雰囲気」ができていったのか は検証されていない。 また報告書では , 事故発生当時 , 東電で事故対 応にあたっていた人たちは , 炉心溶融基準が書か れていたマニュアルを参照していたと認定してい る。ところが前述のように , 保安院への通報連絡 では炉心損傷割合を記載しただけで , 「炉心溶 融」という言葉を使わなかった。このことについ て第三者委員会は , 「徹底したヒアリング」を実 施したが , 「真意を認定するに足りる証拠はなか った」という。そしてここでも社内の空気感が登 場し , 「「炉心溶融」の用語の使用を事実上控える 必要があるとの認識が東電社内においてある程度 共有されていたことの結果によるものとの推測」 をしたのだという。証拠抜きになされた推測に どんな意味があるのだろうか さらに報告書では , 炉心溶融の通報をしなかっ たことによる避難指示などへの影響は「ほとんど なかった」と評価している。が , 同時に , 炉心損 傷割合だけでは自治体への説明は不十分とも指摘 しているため , 記者会見では , 住民の避難判断の 遅れや余計な被ばくにつながった可能性を問う質 問があった。田中弁護士はその可能性を否定せず , 「親切度が足りない面はあっただろう」という考 えを述べたが , そうであればなせ , 影響はなかっ たという結論になるのかがわからない。報告書の 記載と委員らの説明が , 微妙にズレていた。 すでにさまざまなメディアが取り上げている , 2011 年 3 月 14 日夕刻の記者会見で武藤栄副社 長 ( 当時 ) に広報担当者がメモを渡しながら , 「官邸 から , これ ( 炉心溶融 ) とこの言葉は使わないよう に」と耳打ちしたことについては , どうなってい るか 報告書では当時の清水正孝社長が広報担当者に 直接 , メモの指示をしたとしている。他方 , 官邸 からどのような要請を受けたのか , そもそも「官 邸から」が誰を指すのかについて , 報告書では 「推認」できるとするだけで具体的な事実をつか んでいない。 それにもかかわらす , 第三者委員会は当時の政 府関係者にまったくヒアリングをしていないだけ でなく , 要請すらしていない。この点について田 中弁護士は「最初から聞かないつもりでいたとい うわけではないが , あまり予定していなかったの も事実。まず東電側で調べて , そのうえで何かが 出てくれば」ヒアリングをしたかもしれないと釈 明した。また佐々木弁護士は , 清水社長の話が 「曖味模糊としたもの」だったので , 官邸側にヒ アリングするほど先に進まなかったと述べた。 ところで事故発生当時 , 官邸には東電の関係者 が連絡役として詰めていた。その筆頭が , 各種の 事故調査報告書や , 東電のテレビ会議にも頻繁に 登場する武黒一郎フェロー ( 当時 ) である。しかし 武黒氏の名前は , 報告書のどこにも出てこない。 報告書では冒頭 , 各事故調査報告書に名前が記 載されているという理由で , 清水元社長 , 武藤元 副社長 , 小森明生元常務 , 吉田昌郎元福島第一原 発所長が実名で記載するという断り書きがある。 ではなぜ , 同じく事故調査報告書に名前の出てい 科学通信科学 0761
が 1 mSv を超える危険性がある集落と施設を対 象とし , 食品摂取に伴う放射性核種の総摂取量を 減らすことと , 汚染地域内で汚染されていない食 物を生産することに焦点を当てた。放射線防護の 基礎は , 依然として , 被曝線量モニタリング・信 頼できる科学的知見にもとづく放射能汚染状況の 把握・農業および林業分野に最適化された対策で ある ( 7.2.1)0 被曝者の医療保護は , 事故後 , 恒久 的に行われている。罹患率と死亡率の水準が高い ことから , 障害と増悪を防ぐために , 被災者は毎 年 , 定期的また予定外の治療と慢性疾患の悪化の 予防措置を必要としている。 2006 ~ 2010 年度国 家計画は , そのために必要な様々な措置を規定し ている。しかし , 慢性的な予算不足から予定額か 支出されず , 計画の実施は不十分なものになって いる。その結果 , 時宜に適った医療手当を受けら れなかった被曝者による , 中央執行機関への不服 申し立ての数が増えている ( 7.2.2 ) 。ウクライナで は , 過去 15 年間で , チェルノブイリ核災害によ る被災者の総数は約 100 万人減少したが , 障害 者の数は約 5 万人増加した。被災者に対する社 会保障の額は , 政府予算支出における現実の拠出 可能性を考慮して , 内閣令により毎年決められて いる。しかし , その額は旧ソ連時代に制定された 現行法の法定支給額よりも遥かに少ないので , 被 災者による裁判所への大量の権利確認請求を引き 起こした。その結果 , 勝訴した者とその他の大多 数の間で , 受給額が大幅に異なる。そこで , この 状態を是正するために , 現行法の修正が検討され ている ( 7.2. 引。事故後 25 年間に , 放射線生物学 とその専門分野である放射生態学の知見は豊かに なり , 放射線科学は各種対策に科学的根拠を提供 している。しかし , 住民だけではなく , 原子力と 生態学の分野で働く関係者の間でも , 放射線リテ ラシーが不足している。その原因は , すべての教 育課程における生態学教育が , 不完全なことであ る。事故直後 , 放射線教育は拡充され , ウクライ ナの放射線状況は一般に改善した。しかし , 2004 年頃から放射線教育は削減され , 専門家だ けでなく , すべての人々にとっても必要な , 放射 線の基礎知識を学ぶ機会が減少している。他方 , 住民へ汚染状況に関する情報を伝達する施策は , 続けられている ( 7.2.4 ) 。 7.3 は , 核および放射線の安全性確保に関する 国家政策を論じる。ウクライナでは現在 , 事業者 がすべてのライフサイクル段階において原子力発 電所の安全に全面的責任を負い , 他のいかなる目 標にも増して安全性を絶対最優先の目的と定める ことが , 法律により規定されている。特に原子炉 については , 非常に多くの措置が実施された上に ウクライナにある全原発を対象に , 欧州委員会の 専門家グループと国際原子力機関 ( IAEA ) が , 有効 な国際基準を遵守しているかについての包括的な 安全性評価を行った ( 7.3.1) 。現在も電力の半分を 原子力に頼るウクライナだが , 使用済核燃料貯蔵 施設がなく , 費用を支払ってロシア連邦に処理を 委託している。しかし , エネルギー安全性の確保 と経済的観点からは , 自国で処理するほうが望ま しいので , 独自の使用済核燃料処理・貯蔵施設の 建設を計画している ( 7.3.2 ) 。 2008 ~ 2010 年にウ クライナ国家核規制委員会が実施した包括的査察 の結果 , 立入禁止区域における放射性廃棄物貯蔵 施設の物理的防護体制が , 非常に不十分であるこ とが判明した。これは , 核物質の物理的防護に関 する条約によりウクライナが負う , 国際的義務の 履行上問題があるので , 改善を要する ( 7.3.3 ) 。石 棺転化計画の実施に関して , 安全面からの審査を 行うのは , 国家核規制委員会である。同委員会は , 核および放射線の安全性確保のための基本原則と 関連法規を整備し , 規制官庁間での活動を調整し , 石棺転化実施計画で建設される施設に関する許可 を発行する ( 7.3.4 ) 。 チェルノブイリ核災害の克服に際して , 国際社 会による支援が果たしている役割は大きい。先進 国からの支援は , 旧ソ連時代は放射線医療分野の みに限られていたが , 独立後に石棺転化計画を中 心とする技術支援と幅広い人道支援へと拡大して いった。また , 非政府組織による支援は , 人道支 援に大いに貢献した。その後 2002 年からは , 国 際社会による支援の重点は , 国連機関の主導の下 , ウクライナ国家報告書に学ぶ大規模核災害の影響と対策科学 0835
があるかどうかの判断が困難。ほとんどの報告 は逸話の類で , よく訓練された甲状腺病理医の グループの同意による確認を欠いている。この 時点で甲状腺がんが増加しているという考えに は無理がある。もしそれが真実なら , チェルノ プイリ周辺での放射線誘発性甲状腺腫の潜伏期 は , マーシャル諸島や日本でのような , その他 すべての放射線被ばく状況でのものより短くな っているということである。さらに , 各共和国 で報告されている甲状腺腫瘍の大半が非乳頭型 あるいは非濾胞型のものであり , これは放射線 被ばく後のものとしては普通とは言えず , 経験 のある甲状腺病理医のグループによる病理切片 の徹底的な再検討をすぐ行うべきである。甲状 腺病理は極めて困難であるため , そうしたレビ ューが必要である。各共和国で統一した方法で の専用のがん登録を活用できれば有用である。 残念だが , そうしたデータを統一した形式で遡 及的に収集することは , 不可能ではないにして も困難である。また , 非常な努力をしてデータ を集めている科学者たちが , お互いにそのデー タを共有しようとしていない状況があることも 明白である。これが将来改善できるかどうかも まだわからない。 べラルーシやウクライナの科学者たちがすぐさ ま反論したのも無理のない評価といえるだろう。 そして時の経過とともに , 甲状腺がんをめぐる論 争は , 現地の科学者たちが現実に根差して対応し , 研究し , 主張し続けてきたことを「国際専門家」 も認めざるを得ない状況に至ったのである。 事故から 5 年後に 発表された IAEA 国 際諮問委員会の報告 書の中で甲状腺がん をめぐる論議を中心 にみてきた。この「報告書」の記述を長々と引用 ここで語られている内容とそれを取り したのは , 巻く状況が , 福島第一原発事故後の日本の状況と 相似しているからである。一方 , 被災国の科学者 相似形の議論 : チェルノブイリと日本 らが , 甲状腺がんの出現という事実に向き合い , 国際機関や海外の専門家の批判に立ち向かってい ったという点では , 日本の現状はまったく異なる 様相を呈している。日本の多くの専門家は , チェ ルノブイリ事故後の事情に合わせて潜伏期間の短 縮など若干の変更は加えているものの , 今も 1991 年時点の「国際専門家」の側に立っている。 現状の論議の立て方が「報告書」とそっくりであ る。潜伏期の問題然り , 「微小がん , オカルト甲 状腺がん」はいまの「過剰診断」論につながる。 直面している現実から論議を出発させることがで きていない。 チェルノブイリでは , 遅くとも事故後 2 カ月 までに数十万人規模 ( 成人含む ) で甲状腺スクリー ング検査が行われた。その数値は現在までの甲状 腺被ばく量再構築の重要な基盤となっている。日 本では 2011 年の 3 月 28 ~ 30 日にかけ福島県内 で 1000 人強の子どもの甲状腺スクリーニング検 査が行われたが , 周知のとおり , 直接測定はこ で終わっている。その直後の 4 月 1 日に首相官 邸に原子力災害専門家グループが立ち上げられ た 13 。チェルノブイリ事故後の甲状腺がんに関し , ョウ素 1 引のみならすその他の短寿命核種の外 部および内部被ばくの危険性を主張した長瀧氏を はじめ , 子どもたちの被ばく防護ならびに早期に 甲状腺被ばく量を測定することの重要性に精通し ていたはすの専門家たちは , 政府中枢に進言でき る可能性を得ながら , そうした働きかけを行った 節はない。 福島県民健康調査の甲状腺検査は , 震災時概ね 0 歳から 18 歳 ( 1992 年 4 月 2 日 ~ 2011 年 4 月 1 日生まれ ) の福島県民が対象であったが , 2 巡目の「本格検 査」から事故後の 1 年間 ( 2011 年 4 月 2 日 ~ 2012 年 4 月 1 日 ) に生まれた子どもを加えている。これは事 故時に胎児であった人と短寿命核種の影響がほば なくなった後に生まれた人も含まれる。年度別で 区切ると行政として施策の実施が容易になるかも しれないが , 何を目的としてこの人員を加えたの か明確でない。上述した長崎大学の調査では , べ ラルーシ保健省およびゴメリ州保健局に許可を得 , 原発事故と甲状腺がんをめぐる 30 年科学 0795
表 2 ー於保論文データに対するロジスティック回帰分析により推定された回帰係数 母数回帰係数標準誤差 p 値 変数 dist—2. O(km) ー1. OO 0.05 <O. 001 屋外 ( 0 ) か屋内 ( 1 ) ー 1 .01 <O. OOI O. 08 市内への立ち入り有 ( 1 ) , 無 (O) O. 20 O. 1 1 O. 073 被爆距離 (dist) と市内への立ち入り (ent) との交互作用 <O. OOI O. 50 O. 07 備考 被爆距離 遮蔽状況 入市状況 被爆距離と入市状況 の交互作用 表 3 ー解析開始時の観察対象者数および期間中における固形がん死亡数 男性 4 女性 最終時点で 生存 1 198 1264 821 108 3 0 3394 最終時点で 生存 1039 684 88 13 0 0 1824 固形がん死中途脱落 亡者数 514 94 227 671 1 180 447 441 1793 252 1663 60 603 6424 1521 固形がん死 亡者数 128 310 188 289 238 55 1208 被爆時年齢 階級 CO, 10) 観察対象数 1806 2162 2448 2342 1918 663 11339 中途脱落 663 647 428 781 879 385 3783 観察対象数 1830 1641 704 1083 1 1 1 7 440 6815 CIO, 20) C20, 30) C30, 40) C40, 50) C50, 60) CO, 60) 1600 1400 1200 1000 800 600 400 200 0 0 【 0 0 0 0 一 5 0 LO 0 ( > S ) 新鋻 匚」女性 ( Y ) 800 1000 1200 1400 1600 1800 2000 爆心地からの地上距離 ( m ) 図 3 一被爆距離に対して観察対象者の個人ごとの初期被爆線量 ( ABS16D ) をプロットした散布図 始時の観察対象者数 , 観察期間中における固形が ん ( 白血病を除く ) 死亡数および中途脱落者 ( 対象外死因 による死亡や広島県外転出 ) 人数を示す。図 1 に , 解析 対象となった被爆者の被爆距離別相対度数を被爆 距離が 500 ~ 2000m の範囲で 100m ごとに男女 別に求めたヒストグラムを示す。爆心地付近を除 いて , どの被爆距離においても女性が男性よりも 1.2 ~ 1.8 倍程度多いことがわかる。最頻であった 距離帯は 1500m 台で男性が約 900 名に対して女 性は約 1600 名であった。図 2 に , 初期被爆線量 3 4 2 (DS02 に準拠して ABS 用に構築された初期被爆線量の評価体系 初期被爆線量 ( Sv ) として ABS16D を使用 ) 別相対度数 ( 人数 ) を示す。ほと 図 2 ー初期被爆線量 ( 100 mSv ごと ) 別観察対象者数の相対頻度 を表すヒストグラム んどの対象者の初期被爆線量は , 2.0Sv 以下であ 600 800 1000 1200 1400 1600 1800 2000 爆心地からの地上距離 ( m ) 図 1 一被爆時所在地の爆心地からの地上距離 ( 100m ごと ) 別の 観察対象者数の絶対頻度を表すヒストグラム 0.2 0 0.0 1 0 0822 KAGAKU Aug. 2016 VOL86 NO. 8
の痕跡が , また芦屋廃寺跡 ( 兵庫県芦屋市 ) には地割 にしもとめづか れの跡が , さらには西求女塚古墳 ( 兵庫県神戸市 ) や 志筑廃寺跡 ( 兵庫県淡路市 ) に , 地滑りの痕跡がみら れるという 8 このような大地震に見舞われ , 当時の人々は , どのような反応をみせたのか。まず注目されるの は , 『義演准后日記』に , 「地震未だ休まらす , 諸 人安堵せず , 家ヲ去りテ道路ニ臥す也」 , 「地震静 なお まらず , 昨日ヨリモ猶動ス , 諸人家内ニ居らず , 夜ハ道路ニ臥ス」と記されている点である 9 。す なわち余震が続くため , 人々は家の倒壊を恐れ , 道路に避難する状況にあったことがわかる。今回 発生した熊本地震の後にも , 余震が続くなか , 道 路や駐車場に止めた車の中で過ごす人々が多くお ークラス症候群による死者が発生し り , 工コノミ たことを受け , 注意が喚起されたことは記憶に新 しい。余震に対する恐怖は , 400 年前の人々もま た抱いており , 倒壊をまぬがれても , 「安堵」し て家の中で過ごせる状況にはなかったのである。 このような状況のなか , 天皇は禁裏の庭上に , ま た豊臣秀吉は伏見にそれぞれ「假屋」 ( 仮設住宅に類 するもの ) を構えて , 避難したという 次に注目されるのは , 地震直後から , 人々の間 ぞうせつ に「雑説」 ( 根拠のないうわさ ) が流布している点であ る。すなわち , 地震発生から 2 日たった閏 7 月 15 日の『言経卿記』には , 「毎日雑説これ有り」 とあり , その翌日には地震がまた起こるとの「雑 説」により , 言経が妻子や「家中衆」とともに町 内にある知人の家の裏庭の「茶屋竹之辺」に避難 した様子が記されている。「竹之辺」に避難した とあることから , 西山氏は , 当時の人々に「地震 の際には竹林に逃げ込んだ方が良い」という「知 識」が存在したことを指摘しているその一方 , 治安が悪化し , 寺内町では盗人に用心せねばなら ないため人々は夜も眠れぬ状況にあったといい , 「夜番」を置くに至っているプ 2 さらに興味深いことに , 地震の発生した 13 日 から , 各町では , 門に和歌を貼り , 松や竹の葉を かりや 0780 KAGAKU Aug. 2016 ハーツ身ハイサナミノ門ニコソスメ」 , 「チハヤフ 挿したという。和歌は , Vol.86 No. 8 「ムネハ八ッ門ハ九ッ戸 ル神ノイカキモ三日月ノュリヤナサヲサン我身成 ケリ」 , 「ユルクトモヨモヤヌケシトカナメ石ノカ シマノ神ノアランカキリハ」の三首であった 13 。 これらの和歌を詳細に検討した松岡祐也氏の研究 まじな によれば , これらはいずれも呪い歌であり , 「門 ロという一種の境界を守ることによって , 家内に おける災難除け ( 地震除け ) を期待し」 , 門に貼られ たという。そして同様の事例が , 寛文 2 年 ( 1662 ) に発生した近江・若狭地震の際にもみられたこと などが指摘されている 14 このように , 余震が続くなか , 人々は再び地震 が起こるとの「雑説」や「盗人」の存在に悩まさ れつつ , ときに呪術的な行為をも伴いながら安心 と安全の確保にいそしんでいた。『言経卿記』の 記事をみていくと , 余震の記事は翌年の 2 月 27 日条まで確認され , 半年以上にわたり余震が続い ていたことがわかる。そして寺内町では , 家々や 御堂の復興が , 町人自身の手によって一年かけて 進められていったのである。 豊臣政権の動き さて , 京都のみならす , 大坂・兵庫に至るまで , 広範囲にわたり被災した文禄の大地震時 , 豊臣政 権はどのような動きを見せたのであろうか。地震 発生時 , 秀吉は倒壊した伏見城にいたが , 無事で , 先に触れたとおり「假屋」に避難した。寒川氏か 指摘しているように , その「假屋」は伏見城のあ ばた った指月から北東の位置にある木幡山に設置され ていたが , 驚くべきことに , 地震発生の翌日には その木幡山に伏見城を再建するための準備が始め られているプ 5 。そして 8 月半ばまで , 秀吉は伏見 にいたが , その後大坂城に移動し , 再び上洛する のは , 翌年 3 月になってからのことであった 16 。 その 2 カ月後の 5 月には , 天守閣をはじめ主要 な殿舎が完成し , 秀吉の移徙が行われているプ / その間 , 朝廷から諸寺社に地震の鎮静を祈願する よう命令が発せられ , 「慶長」への改元が行われ ていることや , 秀吉の命により東寺をはじめとす る寺院の復興がなされていることなどが確認され るものの 18 , 本願寺寺内町をはじめとする被災地 0
している 13 。また鎌田らは , ABS にもとづいたコ ホート研究により 1970 ~ 1990 年の期間での白血 病罹患危険度は , 男女とも入市日が 8 月 6 日で ある場合に同期間の全国日本人に比べて 3.7 倍高 く ( バ 0.05 ) なっていたことを報告している 14 。原 爆被爆者以外に観られた間接被曝の健康影響とし て , Tanaka らは , ビキニ環礁核実験による放射 性降下物を被曝したマグロ漁船員の被曝後 60 年 後におけるリンパ球を観察したところ , 非被曝で あったほば同年齢マグロ漁船員の人々比べて統計 的に高い染色体異常率を有していることを報告し ているプ 5 本論文では , 第 2 節において , 広島原爆被爆 直後に観られた急性症状発症と被爆状況の関連性 についての於保による実態調査を取り上げ , 最新 の統計解析法の適用による調査データの再解析の 結果を紹介する。第 3 節では , 広島大学の被爆 者コホートデータにもとづいた最近の研究結果と して , 広島の原爆被爆者で爆心地から 2.0km 以 内で被爆した直接被爆者を対象にした被爆後の後 障害である固形がん死亡の超過危険度の被爆地点 依存性の特徴が初期線量では説明できないことに ついて紹介する。また , 第 4 節では , 広島原爆 投下当日の 8 月 6 日における広島市内への入市 状況とその後の急性症状発症に関係について NHK の協力を得てわれわれが行ったある兵士集 団を対象としたアンケート調査の結果にもとづい て , 放射性粉塵の吸飲による内部被曝が急性症状 発症や後障害発症の主因である可能性について論 する。 於保による急性症状発症実態調査 広島市の内科医師である於保は , 1957 年に残 留放射能障碍の実態を知るため調査時点で生存し ていた直爆者 3946 名 , 入市者 692 名について被 爆条件 , 急性放射線原爆症の有無およびその程度 , 被爆後 3 カ月間の行動等の聞き取り調査を行い , その結果を日本医事新報に掲載している 9 。被爆 KAGAKU Aug. 2016 VOL86 NO. 8 者を診療する中 , 残留放射能の健康影響を疑い , 0820 当時このような大規模な調査を個人で実施した於 保の洞察力と行動力には驚かされる。今回 , われ われは於保論文中に示されたいくつかの表を統合 し再構成を行い ( 表 1 ) , この表データを対象にし て残留放射線被曝と急性症状発症の有無との関係 についてのロジスティック回帰分析による多変量 解析を行った。 急性症状の発症オッズの対数値を目的変数 , 被 爆地点の爆心地からの距離 , 遮蔽状況 , 被爆直後 の中心地への出入りを説明変数とした回帰分析を 行った。ある一人の原爆被爆者の急性症状発症の 確率をアと記すとき , その対数ロジット値は下記 のモデルにより表現できるものとした・ log = + ・ ( dist - 2.0 ) + が 2 ・ outd 十角・ ent 十が4 ・ (dist—2.0)Xent. こで , i 記は被爆地点の爆心地からの距離 utd ' は遮蔽状況を表す指示変数 ( 屋外で被 爆 : 0 , 屋内で被爆 : 1), 'ent' は中心、地 ( 爆心地近傍 ) への 等しかったという点や , 急性症状の発症危険度は , グループにおける急性症状の男女の有症率がほば ロ心、卩 訒識して結果の解釈をしなければならないが , 各 であるかもしれない。それらのデータ上の限界を 使用できなかったため , 解析結果の精度は不十分 今回の解析では性別 , 被爆時年齢別のデータか 1.22 倍 ( 臾 = 0.07 引であった。 ち入らなかった人に比べ急性症状発症オッズは km のところで被爆し , 市内に立ち入った人は立 れている。特に , ③の結果は , 残留放射線被曝の 係数にはいずれも統計的有意性 ( バ 0.01 ) が認めら であることを得た。これらの知見に関連する回帰 爆した人ほど高値 , ③原爆炸裂直後に市内に入った人は遠くで被 に比べ高値 , ②屋外で被爆した場合は屋内で被爆した場合 ①距離が近いほど高値 , その結果として , 急性症状発症危険度は , た : 0 ) とする。解析結果を表 2 に示す。 出入りを表す指示変数 ( 中心地に入った : 1 , 入らなかっ
表 2 ー等価線量と内服実績 表 3 ー未測定 10 名 放射線医学総合研究所または日本原子力研究開発機構での検査 東京電力報道発表資料より。 で , 甲状腺預託等価線量が 100mSv を超えると評価された作業 ロ内部被ばく線量の検査が未測定のまま連絡がとれない方 : 1 0 名 ( 敬称略 ) 員は 178 人。年齢と安定ョウ素剤内服実績は下表の通り。東京 作業月 氏名 ( 漢判 氏名 ( カナ ) 電力産業医 , 菊地央医師資料より。 ャウチ 3 イイヤマ 3 安定ョウ素剤内服 本田 博士 ホンダヒロシ 4 須崎 清人 スサキキョト 4 なし 北村 一雄 キタムラカズオ 5 25 スズキワタル 鈴木 渡 5 鈴木 信一 スズキシンイチ 6 52 佐藤 サトウコウイチ 6 工一 77 タケダショウイチ 武田 正一 6 佐藤 和夫 サトウカズオ 6 ※平成 23 年 12 月 17 日時点 ヒアリングや状況 , 線量評価から , 6 名は , 極 めて初期 , おそらく 3 月 12 日に高線量内部被ば publ. 6 引ことから , 高線量内部被ばくした 6 名など くしたもの , と評価されている。 には , その効果は小さかったと考えられる。 しかし , 表 1 のヨウ素剤服用記録からわかる 内部被ばく未測定で連絡が ように , ョウ素剤の服用時期は遅い。服用までに とれない 10 名 時間がかかった原因として , 防災資機材としての 安定ョウ素剤は免震重要棟に保管されており , 中 また事故発災当時の混乱の中 , 内部被ばくの測 央操作室で従事してる間は服用できなかったこと , 定が遅れていた。福島第一原発では WBC を 4 台 原発事故発災当時 , 混乱を極めており中央操作室 備えていたが , 電源喪失に加え , 大規模な放射性 への搬入が困難だったという状況がある。 物質の放出に伴って , バックグラウンドが上昇し , 使用できない状況になった。 ョウ素剤は適切に このため , 3 月 22 日から JAEA の所有する移 服用できていなかった 動式全身カウンタ測定車を借り受け , 小名浜コー 安定ョウ素剤の服用基準は , 防災業務に従事す ルセンターに設置して運用を開始した。しかし引 るにあたり , 放射性ョウ素による甲状腺等価線量 き継ぎ当初は不慣れなため , 1 時間に 3 人程度の の予測線量が 100mSv となる場合は , 40 歳未満 測定であった。被災直後はこれが唯一の対応であ の者はすべてに , 40 歳以上の者も本人の意志を った。 確認の上 , 服用することとなっていた。 その後 , 4 月 11 日から福島第二原発の WBC2 しかし , 放射線医学総合研究所または日本原子 台が使用できるようになり , 5 月 23 日から福島 力研究開発機構の検査で , 甲状腺預託等価線量が 第一原発の作業従事者の測定も始まる。 6 月 1 日 100 mSv 以上の作業員は 178 名いたが , そのう からは JAEA から移動式全身カウンタ測定車をも ち 40 歳未満で 25 名が安定ョウ素剤を服用して う 1 台追加で借り受ける。 いなかった ( 表 2 ) 。甲状腺預託等価線量が 100 このため , 内部被ばくの測定は , 作業従事して mSv を超え , 安定ョウ素剤を服用していない者 からかなり遅れての測定になっていた。また は計 77 名である。 2011 年は混乱を極めていたため , 内部被ばくを また , 安定ョウ素剤の服用指示は , 空気中放射 測定せす , 連絡がとれなくなった作業者が , 7 月 性ョウ素の濃度が高くなるであろうと推測される 時点で 1295 名存在した。しかし順次 , 連絡がと 3 月 12 日の 1 号機爆発直後ではなく , 3 月 13 日 れ内部測定がおこなわれた。 から出されている。安定ョウ素剤の服用は , 放射 2011 年 12 月 17 日時点で , 10 名が内部被ばく 性ョウ素の吸入 , または経ロ摂取が終わってから 線量が未測定のまま連絡がとれておらす , それは 12 時間以降には価値がないとされている (ICRP- 現在も同じ状況である ( 表 3 ) 。 科学 0817 福島第一原発での安定ョウ素剤 = = ロ C ノ CD LO 1 ・ フ / つ」 O あ 40 歳未満 40 歳以上 101 77 178 一三ロ
空間放射線量の測定を行った結果 , 県北の引の 教育施設で毎時 1 ″ Sv を超える値が測定された。 しかし , これらの施設の除染が行われたのは同年 の夏以降であり , それまでの時期は「通常通り」 に校庭等を使用する授業が行われていたのであ また除染のための費用を補助する「放射線量低 減対策特別緊急事業費補助金」の交付が環境省に よって発表されたのは , 2011 年 12 月のことであ った。さらに福島県外の地域は「比較的線量の低 い地域」として福島県内の対象地域とは区別され , 最も効果が高いとされる表土除去の作業は , 子ど もが長時間過ごす教育施設を除いて , 補助対象と なる除染作業からは外されている。その結果 , 「低認知被災地」は効果的な除染のための十分な 支援を受けられずにきたのである 8 。 栃木県北における乳幼児保護者 アンケート ( 2013 ) 筆者は栃木県北地域に暮らす子育て世帯の住民 からの要望を受けて , 2012 年 7 月に那須塩原市 の幼稚園および保育園それぞれ 1 園すつに子ど もを通わせている保護者を対象として , 原発事故 後の子育てに関する無記名のアンケート調査を行 った。 245 世帯から得た回答 ( 回収率約 53 % ) では , 94 % の保護者が「原発事故後の子育てに関して 心配なことがある」と答えたのである 9 そこで翌 2013 年の 8 月から 10 月にかけて対 象を広げて調査を実施し , 那須塩原市と那須町に あるすべての公立保育園・幼稚園 ( 22 園 ) と , 部 の私立幼稚園 ( 16 園 ) の協力を得て , 2202 世帯から 回答を得た ( 回収率約 68 % ) 。この調査の結果 , 8 割 以上の保護者が , 原発事故後の内部および外部被 ばくが子ども健康に及ばす影響について不安に感 じていると回答している。さらに , 現在は知って いる原発事故や放射性物質に関する知識や情報が 事故当時にあったら , 事故当時の行動は変わって いたかどうかをたずねたところ , 「変わってい た」が 21.5 % , 「たぶん変わっていた」が 41.6 % で , 合計すれば 6 割を超えている。事故当時に 0 栃木県も汚染されているとの情報がなく , 子ども たちを最も線量の高い時期に適切に防護すること ができなかったことを悔やんでいる保護者が少な くないことが読み取れた 県有識者会議による健康調査不要 という判断 アンケート結果に示されているように , 汚染が 深刻な栃木県北地域の保護者を中心に , 低線量被 ばくの健康影響が懸念されているにもかかわらす , 栃木県は現在に至るまで , 県の事業として健康調 査を実施していない。県が実施しない根拠として いるのが , 鈴木元国際医療福祉大学クリニック院 長を座長として , 栃木県が設置した「放射線によ る健康影響に関する有識者会議」が , 2012 年 6 月に提出した報告書である。 有識者会議はこの報告書のなかの「県への提 言」として , 栃木県内の被ばく状況や現時点での 科学的知見をふまえ , 「栃木県内は将来にわたっ て健康影響が懸念されるような被ばく状況にな い」と評価し , また , 「今後 , 臨床的な検査を含 む健康調査等は必要ない」と判断した。報告書の 推計によれば , 個人差を考慮しても「県内の多く の地域で 1 年間の被ばく線量は 5 mSv 程度まで に収まる」とし , 「今後 1 年間の追加外部被ばく 線量は年間 3 mSv 以下」となるという。そして 「年間 1 ~ 数 mSv 程度の被ばくの発がんリスクは , 個人が持っている喫煙や肥満 , 野菜不足等による リスクよりも小さい」ことから , 健康影響を懸念 する被ばく状況にはないと結論づけたのである " 民間基金による検査の取り組みと 保護者の要望 このように , 低線量被ばくの健康影響を低く見 積もる報告書の提言には , 県北の住民を中心に批 判が寄せられてきた。「健康調査を十分に行わず に安心しろと言われても説得力がない」「福島県 では甲状腺ガンと診断される子どもの数が増えて いるので , 栃木県の子どもたちも心配だ」といっ 0 0 甲状腺検査を求める福島県外の被災者たち た健康不安が多く聞かれたことから , 地域の市民 科学 0811