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検索対象: 関西むかし町&古街道をあるく
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1. 関西むかし町&古街道をあるく

く古い道標が残 る平里瀬 ) 町角 こんなところに も町の歴史が感 じられる 第、い第一 野 △鎮守の森ーの杭全 襯土。特別なはない が、緑豊かな神社の境内 全体を博物館と促えてい ある。約 300 年にわたり「坂井太兵衛」を 3 5 8 2 はの 踏襲してきた旧家だ。両替商を営んだ旧家の 6 1 道具類を中心に、民具、古地図などが見られ のカた 7 6 し 5 、 1 6 6 また杭全神社の鳥居まで戻り、横断歩道を 6 6 をどる 。。実 4 れ 渡って国道を外れ、右折。 5 分ほど歩くと④ まちゃ 町家博物館・今野家が左手にある。 160 年 た上プム あまり昔の江戸時代後期に建てられた住宅る乃紙 4 かのツ 力の 街全を 齪晦馗で、農家の様式をもつ。町屋博物館・今野家考 2 からひと筋南の路地を東に歩くと、平野の風 はいせてれ かでやつるさ 念樹神物や行事を記録した貴重な映像を公開していづ る杭 つかじ 天いるる⑤平野映像資料館がある。ふだんは呉服店 のてえ 府れ超で、建物はおよそ築 160 年を経ている A さを 筋東に歩き、老舗福本商店の四つ辻を右に曲 がると活気のある商店街に出る。左に行けば 1889 ) という朝日新聞販 創業明治年 ( しんぶんや 売店小林新聞舗。ここは⑥新聞屋さん博物館 になっている。その並びにあるのが全興寺境 内の⑦小さな駄菓子屋さん博物館全興寺 は聖徳太子開創と伝わる古刹で、大坂冬の陣 では秀忠の陣所となった。そのすぐ隣には老 舗の和菓子店梅月堂の⑧和菓子屋さん博物館 の型年 がある。「あめ嘉」を過きると、商店街のア 家原四 ~ 野の 1 6 3 今宅約明ーケードもここまで。信号を渡り、まっすぐ 住う 0 曜 館のい館東へ進む。右手に見える平野公園は、環濠の 瑯た築第開 家。っ建、み跡地に整備された公園だ。平野川を渡り、国 町間なのの 居と前凹時道号を横断すれば⑨加美駅が近い 平野町ぐるみ博物館巡り ひらのえいそう △全興寺境内の街頭紙芝居。懐かしい光景が広がる 89 大人の遠足 BOOK

2. 関西むかし町&古街道をあるく

柏原藩陣屋 跡の書院次の 間。谷 0795- 刀、入館 200 円、 9 ~ を ; 17 時、月曜休 館 柏原藩陣屋跡の敷地 に立つ田ステ女の石像 柏原藩主・織田 信休が正徳 4 年 ( 1714 ) に造営し た柏原藩陣屋跡。 文政元年 ( 1818 ) に火災で焼失し、 その後再建された 田ステ女の句を 紹介する田ステ女 記念館 ち寄ろう。柏原藩の藩政を行っていた場所で、 4 3 当時の面影は檜皮葺きの玄関と表御殿の一部 一 . 気一をに見られる。再び広小路に戻り、東西に流れ る奥村川沿いを散策しながら柏原藩主を代々 5 5 おたけびようしょ 9 9 務めた織田家の墓所、④織田家廟所へ。 0 0 北之小路を通り、町の中心地を目指す。ま いわしみず ず、京都の石清水八幡宮の別宮として万寿元 7 い年 ( 1024 ) に創建されたと伝えられる⑤ はちまん 、 ~ 、八幡神社へ向かう。境内には、羽柴秀吉の祈 所 1585 ) に再建され会内 願所として天正昭年 ( 協案 た国の重要文化財の社殿と、県指定文化財の光光 ・三重塔が神仏習合の姿を今に残している。神 社の近くには柏原町観光案内所があり、ここ原原 で観光情報を得るのもいい観光案内所の西 9 の一廟側に柏原藩 3 代目藩主の織田信勝を祭神とす らでの家 のなも地就ま続 長と かまそ田る⑥織田神社南側には樹齢 1000 年を と轄信に始治で 信主 3 と直に主がを 田主藩眠越すケヤキの大木が川をまたいで形づくった 田藩去の藩政原る 織藩史が 織原が死府原藩柏え 木の根橋がある。⑧太鼓やぐらへは、やぐ 代歴族所⑦ 家に柏の幕い柏るて迎 田印代勝、年がよっを ら筋、石田本通りを通って向かう。太鼓を鳴 織初信し 8 休にこ県 らして登城の合図などを行っていた櫓が石田 、絶禄信家置 く廃元田田こ藩 0 大歳神社境内に立つ。さらに郊外に足を向け 主 3 包少に、織織廃 て近松門左衛門の狂言『大経師昔暦』で知ら - 藩長信のしるびの 6 力あ再 原慶田き 5 、 れる、おさん茂兵衛の碑がある⑨おさんの柏 る後年。一孫での 森へ。 -) 日柏原駅北西にある踏切を渡り、県 藩たが 3 た子とそ年 原当の勝安つのこ 立柏原病院方向へ歩き、病院を左に取ってさ 柏にた慶な系たた治た 弟」っ主にと直いっ明い 物「・らに進み、左の山道をしばらく行くと見えて くる。⑩柏原駅へは来た道を戻る 柏原・織田藩の城下町散策 8 2 ンゞ おおとしじんじゃ 0 いしだ で のん じ の 1 一 をで れじの まの れ ~ 、テ 生二のらしス 田る ろ 呷テ のが ス い」 ~ は′ル れの なとら え の四と と 人だ一にん の 117 大人の遠足 BOOK

3. 関西むかし町&古街道をあるく

すし飯にサバ、サケの切り身をのせ、 創業 160 年余りの和菓子の老舗。ふ 大正 3 年 ( 1914 ) 創業のまんじゅう 柿の葉で包んだ柿の葉寿司を販売して つくらと焼き上げたみかさ 100 円、 屋。餅つき機や陳列台、看板などすべて いる。持ち帰りのみだが広い店内の角 吉野川の鮎を模した櫻鮎 130 円はい レトロ。商品は天ぶらまんじゅう、田舎 に川席ほどのスペースがあり、買った ずれも全国菓子博覧会で金賞を受賞し まんじゅう、やきもちの 3 種で各円。 ばかりのすしをお茶とともにいただけ た逸品。天誅組 140 周年を記念して ン - 手作りのため数が限られる。絶対に手 110 円、サケ 140 円 る。サバ 作られた本陣柿まろは 150 円。 に入れたい人は当日朝に予約を さし かきのはすしほんぽたなか たない △宿場町の風情を残す新町筋 ( 旧紀州街道 ) 先には白壁、縦格子の 家並みが続く 栗山家住宅の 内部は非公開 で、見学できる のは外観のみ。 築造年代がわか っている民家と しては日本最古 で、重要文イヒ財 に指定されてい D A T A 無休 吉野川の土 手。ところどこ ろべンチも設置 されている D A T A 谷 07472-2-1056 、 8 ~ 19 時、 日曜午後休み 尸ー哮 : D A T A 谷 07472-2-3470 、 9 時 ~ 売 り切れまて、日曜休み △国の天然記念物にも指定されているニ見の大ムク 大人の遠足 BOOK 82

4. 関西むかし町&古街道をあるく

△環濠の南の濠を兼ねる毛無川。黒門跡には橋 が架かる △専修寺の末寺が並ぶ寺町通り。専修寺の周囲には、末 ー寺や侍衆の屋敷があり、寺内と呼ばれた く伊勢街道との分岐 点、江戸橋の常夜燈。 交通量の多い通りな ので注意 △銀行の角に立つ伊勢街道分 岐点の道標。「右御堂、京道 左江戸みち、さんぐう道」と 刻まれる Co んれ 環濠に囲まれた寺内町 を心として東西 500m 、南北 450m の環濠が巡らされた町、一身田。農村地帯 に専修の前身が建立され、 16 世紀後半か ら内町として発展していった。濠の内側 は内とよばれ、門徒衆が住んでいた。ま た外側は地下と呼ばれ、歓楽街が発達し 商人が暮らした。寺内には 3 つの門は「 一六つかられ六つの間だけ開門され、 夜は閉じられた。一身田には今も環濠が残 、全的にも珍しい内町の面影を伝え る。 4 せんじゅじ △かっては「時の太鼓」を告げよ、 た太鼓門。今は法要の時などに 打たれるのみ じげ C 。ん加れ 高田本山専修寺 でる は 15 田、の 田、 10 の首が の むりようじゅいん 地方の中心寺院として無量寿院を建立した ことからまる。 田、の山は 呉にあったが ・によって : 上したた に歴上が一田に め、 るよ 、にな として ので るの首など を - へむ 宝を お七 は ののみ、 年公 される。 なん ーーでロ られた △御影堂の前に立つ専修寺山門。挿肘木などの建築技法がとられて いる △ 35 年の歳月をかけて天保 15 年 ( 1844 ) に完成した専修寺唐門。如 来堂の正面に立つ ・ - 、 0 Ⅲ乢もⅢⅢ " にいⅢⅢ、 - 第 1 " Ⅲ川 . ト 01 " " " ・一 / は 大人の遠足 BOOK 134

5. 関西むかし町&古街道をあるく

く武具甲胄などが湯浅城天守閣に 展示される湯浅城資料室 マ深専寺門前に立つ「大地震津な み心え之記碑」は安政元年 ( 18 ) に起こった南海地震と大津波の被 害と後人への戒めが記されている 醤知ゑトし 新ト 5 こー a ⅲ 3 ー 市蝨「こ記 △日本の醤油発祥の地、湯浅で 今も操業を続ける醤油蔵の角長。 蔵の裏には船で醤油を積み出し た水路も残されている 蔵の中では杉樽を使った昔なが らの製法を守って手作り齧油を製 造している 慶応 2 年 ( 1866 ) 建造の蔵の中 で昔ながらの醤油作りの道具を展 示する醤油記念館職人蔵。木製の 足踏み式小麦ひき割り機や大豆の 蒸し器など、今では使われない珍 しい道具も展示され、醤油作りの 工程を詳しく説明してくれる △天守閣をかたどった国民宿舎湯 浅城は展望風呂で天然温泉を楽し める。谷 0737-63-6688 。日帰り入 浴は 300 円、 12 ~ 20 時、無休 士備℃へ バド、、ぎを第を ミスタ ジョン・ ワ / 備町 田総 あたりから年面に 宿 : 日浅ヾ見え 坂部池 く野菜がたつぶり入った玉井 醤本舗大三の名物、嘗味噌は 毎年 9 月ころに新物が出る マ創業 400 年以上の歴史が ある金山寺味噌の老舗・玉 井齧本舗大三 湯浅城公園 興国寺は金山寺味噌と醤油発祥の地 30 分 きんざんじ 青木 福卍 こ 中池 北 少 の 500m 大人の遠足 BOOK 130

6. 関西むかし町&古街道をあるく

スタート 柏原・織田藩の城下町散策龜 県町、一冫 工戸の武家屋敷さながらの 1 庫原 = 。家並みが残る町を歩く 方を山に囲まれ、総面積の 7 割以上が路 山林という緑豊かな柏原町。慶長 3 年 ( 1598 ) に織田信長の弟・信包が藩主に帰 なった後、年間の幕府直轄地を経、約 40 0 年にわたって織田家の城下町として栄え た。点在する史跡を巡り、城下町のしっとり車 とした雰囲気を味わってみよう。 かいばら スタートは①¯'C 柏原駅平成 3 年に大阪柏 今 - ~ をで開かれた国際花と緑の博覧会で使われた建吩 号 物を移築したという木造りの駅舎が目を引 く。駅の正面にある国道 176 号を渡り、南 物東に歩くと左手に高さ 8 ・ 6 〔のモニ 0 メン線か 励ト「時の太鼓やぐら」が見える。ここから北福篠 新政に向かい、 1 筋目を右折して南之小路に入り、 丐道 ~ をしばらく直進すると広小路に突き当たる。左 駅動 折すると、柏原藩に伝わる資料展示とともに、 る若 柏原町出身の俳人・田ステ女について紹介す き戻鶴 行を舞 る②柏原町歴史民俗資料館・田ステ女記念館 : 藩がある。柏原藩の歴史を学んだ後は、道路を A かいばらはんじんやあと 挟んで立つ国指定史跡の 3 柏原藩陣屋跡に立 / 0 タう寧 00 第 かいばらちょう でん かいばらちょう のぶかね 離 0 1 柏原駅 6 織田神社 3 柏原藩陣屋跡 4 織田家廟所 5 八幡神社 7 木の根橋 8 太鼓やぐら 9 おさんの森 9 柏原駅 35 大人の遠足 BOOK 116

7. 関西むかし町&古街道をあるく

スタート 平野町ぐるみ博物館巡り 杭全神社の鎮守の森を経て宀亠 ン阪阪 ' 大大町の小さな博見て歩き 野は大阪市のなかで、最も歴史ある町丐 並みが残る町。戦国時代には町の周囲駅 に環濠を巡らせ、町民たちの自治で平野郷を 運営した。幸運にも戦火を免れた平野には、 100 年以上を経た町家や社寺が路地に佇 民む。また、町全体を博物館に、という住民の 野発想で、町の随所に手作りの博物館を立ち上車 げている。ただ、多くの博物館は毎月第 4 日駅平 曜日のみの開館なので、注意が必要だ。 平囲た 示 ①平野駅から国道号に出て、大念仏 寺の塀を右に見ながら左折し、宮前交差点へ 線下約 る向かう。交差点左側の国道に面して鳥居が立路駅ら 和寺か ちんじゅ くまた ゞ ~ 伝っている。②鎖守の森博物館・杭全神社の表大王℃ 家参道だ。 200 E ほど歩くと、左手に樹齢 8 ら分連 か 7 喜 駅で線 館 00 年という大楠が立つ。杭全神社は貞観 4 すさのおのみこと 寺線原 み年 ( 862 ) 、素戔嗚尊を祭ったのが始まり王路松⑧ 天和速 ′営とされる古社。 3 つの本殿があり、いずれも 大高 き神 行阪 替←重文に指定されている。 両の て曜宮前交差点の鳥居まで戻り、左折。 3 筋目 A つ日 さかいけ カ 4 を左に入ると 3 平野郷民俗資料館・販井家が電 0 、一 . ミ 3 ひらの ひらのごう 5 分 6 新聞屋さん博物館 9 加美駅 5 平野映像資料館 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 徒歩 平野駅 ・町ぐるみ博物館の入場料はすべて無料 大人の遠足 BOOK 88

8. 関西むかし町&古街道をあるく

なべしようしようてん 3 鍋庄商店 4 リ味け作っふ 翻い府 0 計き 0 わりたう - 、円タが成油創ん 。 1 あさの業の もるせ老明寅 多とて舗治さ 。 2 ん し、のし、 。評る自年の 濃判た然映 いだめ発 1 画 、酵 8 の 醤遠香で 6 舞 油方り 、 9 台 はかが 3 1 らよ年のも をのくか手な 3 油甚本店 あふらしんほんてん 長浜 芸、 . 館館を 鑑ラ スガ 破一町 ドラ壁 黒壁スクエアの中にある店。創業明治 年 ( 1903 ) の老舗で、ごま油な どの調味料を店内の油壺から取り出し て量り売りをしている。 300 45 0 円、。店内には創業当時の看板が飾 られ、目を楽しませてくれる。ほかに 菜種油、椿油など各種揃う。 D A T A 谷 0749-62-3491 、 9 ~ 18 時、 火曜休み。 D A T A 谷 0749-62-0435 、 8 時 30 分・・第 ~ 18 時 30 分、不定休。 長浜城から北国街道へ 教賀駅へ 4 ツ矢ー = 菱樹印ー、 長浜城から北国街道へ 外を 2 北陸本 ハ東町 毎年 4 月 14 ~ 16 日に 曳山祭りが行われる 丿◎長浜叫 長浜西・・。市役所東別 10 分 北国第 鐘紡 、幡宮 1 5 分 呉服町 国神、 9. さ果楼 0 亠一第 10 分 . ・ 0 * ・長浜城歴 \ ーの国民宿舎豊公 : 当長浜太閤温泉 独公園 一つ 南高田町コ 船の往来を守っていた常夜灯が 日町港町の面影をとどめている 1 5 分 0 0 コ ① 0 、 ′本へ 0 15 分、 福寺 1 5 分 % 白壁の土蔵、虫籠窓、紅柄格子の 町並みが残る北国街道 琵琶湖 、米、駅へ コース 彦根へ ここまで 滋賀県長浜市

9. 関西むかし町&古街道をあるく

第 ~ を = 、、を第まををまま 3 ま 0 、 △沢庵和尚にま つわるものが多 く残る宗鏡寺 がら る。大手前駐車場周辺には、 7 つのショップ 櫓造る 隅がい をいカら が集まる出石びつ蔵や、地元の特産品が並ぶ 3 4 2 たて、そ 跡城れ 丸登ら っ いずし観光センターがあるので、みやげ選び 2 2 っ 5 5 6 本知 がん , わ - か に立ち寄るのもいい。目の前には町のシンボ 年城て 6 6 6 登し と ルで時計台として親しまれている高さ約 E 、 9 9 9 和後と 7 7 7 歴ー田 しんころう 昭の所 0 0 0 1 8 7 1 はそ名の④辰鼓楼が見える。明治 4 年 ( のの上たま ら に建てられたもので、かって 1 時間ごとに太 石さ 出元た △復れ鼓を打ち鳴らして時を告げていたという。 た、皿 皿 辰鼓楼から北へ向かい 1 筋目を右に折れ、 課 でんとうてきまちやけいかんどお れ 魚屋通りの⑤伝統的町家景観通りを経由して興会 たくあん 振協社 ⑥宗鏡寺へ。沢庵和尚が再興したことから沢 業光本 産観ス 庵寺ともよばれており、沢庵が作庭したとい う庭がある。宗鏡寺を東へ 2 、 3 分で赤い土石石但 出出全 壁の⑦酒蔵がある。出石酒造の酒蔵で、季節 れ 9 た跡 逃が 3 居ごとに微妙に土の色合いが変化する。そのま 小ま西へ向かうと、桂小五郎が潜んでいたとい かつらこごうろうせんきょあと 京桂月 たカ椥われる⑧桂小五郎潜居跡桂小五郎は出石に 合を結んで倒幕に活躍した。現在は民家の前 ーっ に記念碑が立つのみ。このあたりも伝統的町・ーま 家景観通りに指定されている。慶応 2 年 ( 1 ーお 866 ) に出石で起きた大火の直後に建てら " 石 れた木造茅葺きの⑨武家長屋資料館は、谷 大るす谷時休な元代た山川に架かる大橋を渡って右折し 2 、 3 分歩 のれ示 会 9 無的蔵時れ りわ展敷協 、象の治らいたところに立つ。館内には、灯籠や下駄作 っ使を屋光円馮印元明て 城列な老観刪 7 勤。物り道具のほか、昔の生活道具や農具などを展 お行具家皿示。県道を通って⑩出石営業所バス停へ戻る 時計台のある城下町・出石 9 2 すきようじ さかぐら な や 0 它り 11 月 3 日 出石城跡に隅櫓が復元された昭和 43 年から行わ れているイベント。華やかな装東を身に付けた殿 様や奴などの行列が町内を 練り歩く「子ども大名行列」 ' 唹 - と、独特な掛け声と絶妙な 槍さばきが見学者を魅了す る「大人大名行列槍振り」 がみどころ。出石町の姉妹 都市・長野県上田市の物産 展なども開かれる。 Co ん襯 1706 る る。コシのい れる。 大人の遠足 BOOK 121

10. 関西むかし町&古街道をあるく

く南海七晒付近 は昔、鉄石冶カ喫 , " 、造した包の寸場 であった。は石 碑が残るのみ 残公新一サど工ル蠶駅 3 8 1 4 350 年は経ているはずだ。 9 5 3 7 4 2 3 1 寺院が立ち並ぶ路地を南に歩くとひときわ 7 5 0 7 大きな寺の門前に出る。堺市で最大の木造建 8 3 2 8 にしほんがんじさかいへついん 築である④西本願寺堺別院だ。かって堺県 2 2 2 2 2 2 2 2 が置かれていた時代、明冶 4 年 ( 1871 ) か 0 0 0 0 一 ~ 【家ら浦年間は県庁として使用されていた。門前 山施の道をさらに南へ歩こう。 2 筋目の広い道を みようこく 左に曲がると、大ソテッで知られた⑤妙国担協 たのじ 観ヨタタ れ道寺が右手に見えてくる。慶応 4 年 ( 1868 ) 、 ら歩 部シンン てが 堺を警備中の土佐藩士とフランス兵とが衝突光ンセセ 観べ報報 平 4 ←した堺事件では、土佐藩士が責任を負わされ、ン情情 「讎 2 9 この寺の境内で次々と切腹した。ⅱ人目の切際コ光光 国光観観 一舮の腹が終わった時、その凄まじさに公使が執行市観駅東 中止を命じたという。 妙国寺から左に戻り、町家が続く道を歩く とそのまま大道筋にでる。大道筋の横断歩道 を渡り、南に向かう。阪堺妙国寺駅から花田 口駅まで 1 区間歩くと、⑥ザビエル公園に出 る。キリスト教布教のために渡来したフラン シスコ・ザビエルが滞在した商家の屋敷跡に 整備された公園だ。大道筋を南へ向かい、大 小路の交差点を越えると与謝野晶子生家跡碑 せんのり がある。さらに宿院の交差点を渡ると⑦千利 休屋敷跡帰りは大小路交差点まで大道筋を 雌戻り、右折して南海堺東駅方面へ向かう。西 日高野街道を歩けば、仁徳天畠陵から⑧ みくにがおか △公南海三国ヶ丘駅へと続いている 自治の町・堺を歩く マ千利休屋敷跡には「椿の井戸」 が残る 古墳の町 から 5 っている。カかで 」往標 にかーてかれた のが一 27 m の と 30 ほどエジプトのクフ ととに 王のピラミッドのの れスールだ のひとつに の 3 には 4