宮部 ! はよ , つ行こ , っ どうした のりかた 矩方 : ・おい、矩方 ! のりかた 許こな さんん れなで しが なんでしや わずかばかりの ちんぎん 賃金のために 死んでいかねば ひとびとうえ ならん人々の上て・ : なんで武士が 腹をみたすことが できるものか ウソたあああ " " そんなことが あって たまるものか " "
しようかそんじく 松下村塾の ひょうばん 評判はひろまり かくち にゆうもんのぞ 各地から入門を望む ひとびと 人々がやってきた せんせい 先生 ! しつもん 質問が : せんせい 先生 ! せんせい 先生 ! せんせい 先生 ! わたしおうみ あの・ : 私は近江から 来たのてすが おはいり一に かた なりたい方 ですか ? ああ、とうそ えんらいかた 遠来の方はこちらに きちょう 記帳してくたさい あの : ・私は あしがるみ 足軽の身ですが : どうそ ど、っそ た : ・だめて しょ , つか ? ・ みぶん 身分なんか かんけい 関係ない ですよ ! わ・ : わしは のうみん 農民なのですが : ・ あなたも私も ものとうし がくもん 学問をやりたい者同士 さ、どうそはいって * 近江は、いまの滋賀県 134
名をーーー よしただいしろうのりかた 吉田大次郎矩方と ′いった
わしは おんしを 見ちよる ! のりかた 矩方 生きたいように 生きろ ! ゞ・ -1 ほんしゅうさいほくたん 本州最北端の たっぴみ 竜飛岬をあとに ふたりみなみ 一一人は南へ むかった : 庁川乍 川口 83
ミ箋鑿一第ま三′ しようざんせんせい 象山先生の きぐほんとう 危惧は本当しゃ ! ばくふ 幕府は : なんも考えちよらん ! のりかた 矩方・ : ? 何でなんしゃ ! えど なん 何てしゃ 三第第二 : 々 54
あああ おそ 遅うなった / ぞっ ~ 屮 のりかた 矩方ア , みやべ 宮部 , わしもやっと しはん 師範になった んしゃ ! そすいせんせい 素水先生ン ペんきよう とこで勉強しゃ * 宮部鼎蔵は熊本藩士で、大次郎とは九州遊学のさいに友人となった。 お主とうして へ ( ・鱈に
みやペあき 宮部、安芸とは ここでおらあう ことになっていた だいじろうしようかいじよう 大次郎は紹介状を ながいせいすけ たよりに永井政助の いえと 家に泊まった 水戸ーー 一一一月一一四日 がっ にち 劇ま」ト 矩方 もとる気は な . いか ? ・ のりかた みやペ 宮部 ! 安芸との おそかったでは ないか ,
のりかた 矩方 おるか みやペ 宮部 ! ( の 陸奥には せん おろしや船が よう出没する 一そうしゃ うらが 浦賀があのざましゃ 陸奥はとう なっちよるか 見てみたい おも 思うての もちろん ! 行くよ " しゆっほっ / を さっそく したくしゃ ! ねが こうしておっても こた なんも答えが出せん わしにとっては 願ってもないことしゃ うん ! 陸奥か : ・
わしにも ようわからん ! のりかた のオ、矩方 なん わしら何でこんなこと やっちよるんかのオ がっ 一一月一四日 いずも発 出雲崎ーー にほんかい 荒れる日本海にはばまれ さどもくぜん 佐渡を目前にして あしど 足止めーー 見るものもなく ひと 訪ねる人もなく にちかん 一三日間 海がしすまるのを 待っーーー うみ 佐渡ーー
父である ほうねが その方が願いでる じようけん ならばという条件しゃ し力がいたす ? せひ ! だいじろう せひ大次郎めの えどゅうがく 江戸遊学を ゆる お許しいたたきたく ねが お願いをいたす しだい 次第でござります ! よしだだいじろう 吉田大次郎に ねん 向こう一 0 年の えどゅうがくゆる 江戸遊学を許す ! ありがたき しあわせ ! えと 江戸に ) ' ノこイ》ッハ もう・り 毛利さまのおとり はからいしゃ !