宮城道 ひら みち そうきよくあたら 0 琴を愛し、箏曲の新しい道を拓いた どくそうてきせんりつもだいひょう ねんひょうこけん そうきよく ーみやきみちお めいじ での箏曲にはない独創的な旋律を持つ代表 宮城道雄は 1894 ( 明治 27 ) 年、兵庫県 ほうがくでんとうも めわずら さく みちお 作となりました。道雄は、邦楽の伝統が持つ に生まれました。生まれて間もなく目を患い、 だいめなかじまけんきようでしい ようがくけいしきもち ひろ さいしつめい おくぶか 8 歳で失明すると、 2 代目中島検校に弟子入 奥深さと、洋楽の形式を用いることで広がる さっきよくえんそう かのうせいりようほうついきゅう ことまな なら きよく こら 新しい可能性の両方を追求し、作曲、演奏、 りして琴を学びました。やがて、習った曲の ふきゅう かえ さっきよくこころざ がっきかいはつおこな きよく さいとき 楽器の開発を行いました。その曲は、普及し 繰り返しに飽きて作曲を志し、 14 歳の時に ひろひとびと しよじよさくみずへんたい かんせい みずあめ はじ 始めたラジオやレコードに乗って広く人々に 処女作『水の変態』を完成させます。水が雨 みちかおんがく とど ほうがく きり さまあらわきよく 届けられ、邦楽をより身近な音楽にしました。 に霧にと姿を変える様を現した曲は、それま しようねんじたいみちおみちお ねん 【少年時代の道雄】道雄は 1907 年からの 10 ねんかんかんこく ことせんせい 年間を韓国で過ごし、その間、琴の先生を ささ せいけい し、つか して一家の生計を支えた。 すがたか あいだ はちじゅうげんことね 【八十弦】琴の音を生 しよがいこく かしつつ、諸外国の きよく じゅう 曲を自由に弾けるよ みちお うにと、道雄が考案 がっき した楽器。ピアノと おなひろおんいき 同じ広い音域を持つ。 こうあん かっそう 【ルネ・シュメーとの合奏】 えんそうりよこう フランスから演奏旅行に みちお 来ていたシュメーは、道雄 はるうみ の弾く『春の海に心をひ よう かれ、バイオリン用の譜面 を仕上げた。ニ人が奏でる うみ はる 春の海のレコードは、 かいがい こうひょうえ 海外でも好評を得た。 ふめん かな
琴を愛し、箏曲の新しい道を拓いた 宮城道雄 せいかっ やど 箏には霊が宿っている こいびと あるときは恋人ともなり またあるときは友人ともなってくれる わたし ときには私にいろいろのことを教えてさえくれる いちにち わたしことはな だから一日として私は箏を離れて 生活することができない こと ゅうじん 寸ゆ が ヒービーシー しゆっえん 【イギリス BBC への出演】 1953 年、イギリ ばんぐみしゆっえん よる スのラジオ番組に出演し『ロンドンの夜の 譱』などを演奏した。 えんそう ねん ちからづよっまおと第 ? げんはじゅびほそゆび 【弦を弾く指】細い指からは力強い爪音を ひび みちお ふたいほうそう が響いた。道雄は、舞台や放送、レコー ばひろ えんそう ドなど、演奏の場を広げる中で、それぞ そうほう れに合った奏法を生み出していった。 きようえん 【オーケストラと協演】 ねんとうきよう 1954 年、東京フィルハ こうきようがくだん ー交響楽団と ばんしきちょうこときようそうきよく 盤渉調箏協奏曲』を みちお ことどくとく えんそう 演奏する道雄。琴独特 の曲をオーケストラと みちお 合わせることも、道雄 の新しい試みだった。 きよく あたら
ちくざん たかはし しゃみせん 高橋 竹山 ( 三味線 ) 4 宮城 道雄 ( 琴 ) 6 あきら でんし 彰 ( 電子オルガン ) 大島 8 おぐら まさつね 小倉 正恒 ( バリトン歌手 ) 1 0 かけはし 梯 剛之 ( ピアノ ) 1 2 こばやし 小林 ハル ( ごぜ唄 ) 1 4 さわだ 澤田 理絵 ( ソプラノ歌手 ) 1 6 しんどうしようたろう しゃみせん 進藤正太郎 ( 三味線 ) 1 8 とみなか ふさえ 房枝 ( キーボード ) 畠水 20 とみやま せいきん さんきよく 富山 清琴 ( 曲 ) 22 はら 原 真理子 ( ソプラノ歌手 ) 24 わなみたかよし 和波孝橲 ( ヴァイオリン ) 26 ギャーテーズ ( ロックバンド ) 30 しんかい わだいこ 鼓心会 ( 和太鼓 ) 32 手話コーラス・すみれ会 ( コーラス ) 34 ステッキーズ ( コーラス ) 36 チ ムアウロ そうこう Team AURORA ( 総合 ) 38 まさあき そうこう 正秋バンド ( 総合 ) 40 わたし こころうた め うた がっしようだんがっしよう 私たちは心で歌う目で歌う合唱団 ( 合唱 ) 42 おんがく ともに音楽を楽しむために 44 この本の終わりに 46 きようりよくしゃいちらん さんこうぶんけん 協力者一覧 / 主な参考文献 47 せんじん ロ ・先人 こじん ロ・・個人 だんたい ロ・・団体 おんじゅん ( 各 50 音順 ) こと みちお みやき おおしま かく かしゅ なか ( ) の中はジャンルです。 たけし うた りえ かしゅ まりこ かしゅ かい しゅわ フ の お ほん おも
企 0 心に描いた五線譜で澄んだ歌声を奏でるステッキーズ ゆめ 夢をあきらめないで さくし さっきよくおかむらたか 作詞・作曲岡村孝子 そらつづさかみちうしろすがたちい 乾いた空に続く坂道後姿が小さくなる ことばさが 優しい言葉探せないまま冷えたその手を振り続けた みんなたびだ みちある いつかは皆旅立っそれぞれの道を歩いていく ゆめ あっ ひとみす あなたの夢をあきらめないで熱く生きる瞳が好きだわ かがや 負けないように悔やまぬようにあなたらしく輝いてね じようす くる とき 苦しいことにつまづく時もきっと上手に越えて行ける だれ しんばい 心配なんてすっとしないで似てる誰かを愛せるから うす せつ 切なく残る痛みは繰り返すたびに薄れていく あっ ひとみす あなたの夢をあきらめないで熱く生きる瞳が好きだわ しん あなたが選ぶ全てのものを遠くにいて信じている とお あなたの夢をあきらめないで遠くにいて信じている みなとく ゆめ 【『夢をあきらめないで』】『夢をあきらめないで』は港区 がっしようさい うた がっきよく ねん で開催される合唱祭で歌う楽曲。 1 年で 2 ~ 3 曲をマス ターしていく。 かわ やさ つづ あい かえ いた ゆめ えらすべ とお ゆめ ゆめ かいさい きよく だんせい にんしよせい 現在のメンバーは男性 4 人・女性 6 もうがっこうきようし でんわこうかんし 身体障害者ネ。 ー法施行 5 周年 さいてん 【「ふれあいの祭典」】 しんたいしようがいしやふくしほうせ 身体障害者福祉法施 しゅうねんむか 行 50 周年を迎えた 2000 とうきようとみなとく ねん 年に、東京都港区にあ とうきようとしようがいしやふくし る東京都障害者福祉 かいかんきねんさいてんおこな -n 館で記念の祭典が行 われた。ふだんはこの かいかんれんしゅうばしょ 会館を練習場所に利 よう 用するステッキース ひろう も歌を披露した。 37
富山清琴 じうた あざ ね 0 芸に生き、地唄と鮮やかな琴の音で人々の心をとらえる とみやま せいきん とみやま こじようきよう やませいきんめいめい ほんみようはったきよはる 富山さんは、本名を八田清治といい、 山清琴と命名されました。その後上京して、 ぜんもうかみがたじうただいいちにんしや たいしようねんおおさか おな とみ 1 913 ( 大正 2 ) 年、大阪に生まれました。 1 同しく全盲で上方地唄の第一人者であった富 さいときびようき ざきしゅんしようしにゆうもんしゆきようつづ ねんとみながけい しりよくうしな 歳の時に病気で視力を失い、 1 918 年、富永敬 崎舂昇師に入門し、修行を続けます。 1948 ねんどくりつゆる しようわ きんしにゆうもん じうたそうきよくしゆきようはい いえもと 琴師に入門して、地唄と箏曲の修行に入り ( 昭和 23 ) 年、独立を許され家元となり、 55 さいにんナんこくほうしてい とみやま せいらいま き つよ ます。富山さんは、生来負けん気が強く「やる 歳で人間国宝の指定を受けました。その後も、 ひとなんばい さいてんまね かつやくはばひろ ひとみと こと フランスの祭典に招かれるなど活躍の幅を広 からには人に認められる事を」と、人の何倍も げいみちすすつづ どりよくつ さいわか めんきよかいでんとみ け、芸の道を進み続けています。 の努力を積み、 1 3 歳の若さで免許皆伝、富 ひとびと つ つ ひだり むすこ きよたか きようえん とみやま 【息子、清隆さんと協演する富山さん ( 左、 ひとりむす きよたか さんきよくせ 下 ) 】一人息子の清隆さんも、三曲の世 きようえんおこな おや かいはい 界に入り、親子での協演も行われている。 だいめとみやま きよたか ねんがつ 清隆さんは、 2001 年 4 月に 2 代目富山 せいきんしゅうめいとみやま せいおう 清琴を襲名、富山さんは清翁と改名した。 かいめい .0 3 22
澤田理絵 ころ ひび うたひめ 0 心に響くソフラノの歌姫 うたこえきやくせきおくさわだ すす ねんせいなっしようがいしやげいじゅっげいのう やわらかく澄んだ歌声を客席に贈る澤田 進み、 4 年生の夏、障害者の芸術・芸能の ねんめ か とくべっしようじゅ さんは、テビューして 5 年目のソプラノ歌 コンクール「愛のステージ」で特別賞を受 ふじゅう おさな しよう おんかく 手です。生まれつき目が不自由で、幼くし 賞します。これをきっかけに、音楽プロダ しりよく ちい おんがく さそ かっ て視力をなくしました。小さい頃から音楽 クションから誘いを受け、プロとしての活 さい ならはじ どうはじ いっぽう が好きで、 4 歳からエレクトーンを習い始 動を始めました。その一方で、クラシック もうがっこうこうとうぶおんがくかすす ほんかく おんがくひろした め、盲学校高等部の音楽科に進むと、本格 音楽に広く親しんでもらうためのボランテ てきせいがくべんきようはじ おんがくだいがく かつどう かつばつおこな 的に声楽の勉強を始めました。音楽大学に ィア活動なども活発に行っています。 あい さいとき てんじ がくふれんしゅう お母さんか点訳した点字の楽譜で練習した。 おんがく であ 【音楽との出会い】 6 歳の時のエレクトーン発表会 かあ てんやく はっぴょうかい こっこつひら ていきえんそうかい 舞台に わす かいかん 立つ緊張感が、忘れられない快感になった。 はじ 【初めてのステージ】高校で開かれた定期演奏会 きんちょうかん 全国心身障書者芸能コンクー 、 22 回愛のステー とくべっしようじゅしよう 【「第 22 回愛のステージ」】特別賞受賞がプロテヒューの がいとう いつばんきぎよう しゅうしよく さわだ 【街頭ライブ】学生の頃のイタリア旅行では、街 きっかけに一般企業への就職が決まっていた澤田さんに とう うたごえひろう ゆうしよくだいあっ おんがくみちすす りようしん 頭で歌声を披露し、夕食代を集めたこともある。 音楽の道を勧めたのは両親だった。 かいあい がくせい