オし』 『なぜであろ。あのお急ぎは』 と、自分のことば通りに、眸をたどらせて、ずうと、南の海『分からぬが、この手の御大将、下知をおろそかにも成るま を除いた三方を、ながめまわした。 い。それがしの手勢は、お下知にまかせ、刈藻川の上流へ出る そうりよ そして、後ろに、ひざますいていた近くの寺院の僧侶の影をが、 和殿は、この岡に陣しておられよ』 振り向いて、 『心得た』 おか 『この岡、なんと申すぞ』 『さすれば、鵯越えに向かい、陣は三段になる。ーーー和殿は、 たず うしろまき と、訊ねた。僧は、答えて。 後詰そ。そして、この宇奈五ノ岡より十方を見、ただに鵯越え 『夢野ノ岡とばかり覚えておりますが』 の一路ばかりでなく、いずこに敵が現われ、いずこに異変を見 『夢野とは、この辺り、広い所の名であろう』 られても、ただちに、われらへ早馬を頼む』 うなご しめ 「古くは、宇奈五ノ岡と申したそうで』 越中前司は「くれぐれも、かれと諜しあわせ、まもなく、 『、つな、こノ岡か』 方の山陰へ向かって、馬を進めた。 えげさん 盛俊が、寄って来て、 うなごノ岡 ( 現・会下山 ) の上に、経俊の手勢は残って、その 『案内、大儀であった。御坊は引きとられい』 夜の陣の夢を結んだ。 岡の西側に、樹林に埋まった古い伽藍がある。経俊はそこを がらん 「み寺の伽藍は、陣所に借るやもしれぬ。人はおるまいな』 陣屋とし、仮寝の手まくらも御堂のうちで、ほんのつかのま、 『みな立ち退いたげにござりまする』 まどろんだ。 『流れ矢も来よう。御坊もはや遠くへ立ち去るがいい』 弟の敦盛を思う。長兄の経正を思う。 逃げるように消えてゆく僧の影を背に また、老父のきようの顔など : : : なかなか、深くは眠れす、 さんみ みちもり 『若狭どの。三位どの ( 通盛 ) には、どうあっても、ここよりは山夢ともっかぬ幻想に、おりおり、眼がさめた。 やませ ノ手の、山狭ばんだるふもとまで陣を進め、鵯越えに、備えよ 『おん大将』 うといわるる : それも、道理でないことはない。 たれか呼ぶ。廻廊にいる兵らしい 鵯越えには、夢野へ降りて来る道と、尾根の途中より、西へ曲 がばと起きて、 そまみち がって行く杣道とがある。ーー余りに、山はだへ寄っては、見『なんだ。何事か』 使 通しもきかず、万一の敵の変に応じ難い』 『生田川の御陣場ーー小野坂の木戸の辺にて、何やら、にわか さんみ の『なぜか、いつになく、三位どのは、我を通されたの。 もに時ならぬ人の動きが望まれます。そしてただ今、五、六騎の 平う手勢をひきいて、明泉寺へと、おし進まれたのではないか』お味方が、あわただしゅう、輪田ノ浜へ向かって馳け去りまし のみならす、もし敵が、鵯越えに現われたが』 和『ちと、深入り : たら、身を低地において、高地の敵を受けねばならぬ』 『はての、今ごろ』 おか がらん イ 07
きんだち んで、お公卿さんだし、あらかたは公達育ち。 : おぬしの主『それにさ。こちらは何もはるばる、屋島くんだりまで来すと 巻君はどうだな』 も、源氏方へ売り渡せば、値は吹き放題に取れるところだ。し跖 ひでひらこう え『平泉の秀衡公か』 かし秀衡公と平家との、主家同士の誼もあり、おぬしとおれの 『、つん』 間柄もあることと、わざわざ、持ち込んで来たものを』 ど 『これは、ちがう。根から違う』 『よしよし。ではいう通りな条件で引き換えよう。したが、百 よ ひ『甘くないという意味か』 十艘の積荷の船は、すぐ屋島へまわせるのか』 『よい推量だ』 『五日もあれば、志度まで着けて見しよう。だが、今の平家 んまい ものしろ 『そいつは、気の毒。ではこの伴トのような、仕たい三昧もで に、それだけの物代があるか』 きまいて』 『無くてどうするものか。四国、山陽、九州の一部もお味方だ 『いや、おれは平泉にいることは少ない。年中、天下を股にか し、こんどの合戦で、源氏を打ち破れば、主上を奉じて、ふた けているゆえ、行くさきざきがおれの都さ。それにひきかえ、 たび都へ還ることにもなる。まだそれ程までに落ちぶれた平家 - 一うら あわ うみがめ 平家という甲羅を背負って、海亀のように身重い鼻どのは憐れではない。伴トがさし招けば、五年や十年、戦さに注ぎ込める に見える』 はどな資力はなお西国にも控えているわさ』 りゆ・うぐう 『ところが、この海亀にも、未来の童宮という夢がある。都の 家も福原の別荘も、治承の年にみな焼いてしまったが、いまに 赤間ヶ関から太宰府にまで、居館をつくり、平相国もなしえな かれの主人秀衡の密命なのか、吉次個人の利欲の潜行か、あ かったこの世の栄華をし尽してやるつもりだ。ここ、もう一働るいは、そう二つをかねた行動なのか、鼻の伴トにも、そこは きしたうえでな』 容易に、嗅ぎ分けがっかなかった。 そこで鼻は急に、きのうから引ツかかりになっている吉次と しかし、平泉の秀衡が、頼朝の制覇を望んでいないのは、た の機密な商談でも思い出したのか、 しかであろう。それだけは、確実な第三国的の底意と見てまず 『女ども、おまえらは、ちょっと、退がっておれ』 誤りはない。 むつくり起き直って、かの女たちが立ち去るのを待ち、吉次なぜなら。 と、真剣に向かいあった。 もし、鎌倉の頼朝が、覇をなせば、その脅威と圧力は、たち まろうど 『どうだ客人。駈け引きなしに、もうここらで手を打とうじゃ まち自国に境を接して来て、藤原家三代の平和は、一日も安き をえない様相の中におかれてしまう。それは、平家治安の世ご 『いつでも、手は打とうが、貸し売りはこまる。今の平家は以ろとは比較にならぬほどな危険な形が予想されてくる。 前の平家ではないからな』 で、当然、東国の頼朝には、勝たせたくない。 『ふ、ふ、ふ。そう信用がないか』 しかも可能なかぎり、ひとの合戦は長びかせたいのだ。源氏 また よしみ
『わしは、そのことを怒ったのではない。なぜ、都へ行く前 と、弟の腕を抱えて、ともに起った。 巻に、わしへ打ち明けてはくれなかったか。それを情なく思うの 郎党の熊太は、敦盛の後ろについて、ひれ伏していたが、と えだ。この経正は、おことにとって、それほど頼りにもならず、 もに、よろばい起っと、経正の背を拝むように、その後から従 信じられもせぬ兄だったのか』 ど いて行った。涙に、踏む足もとも見えない姿なのである。 いえ。それも思わぬことではなかったのです よ ひ 仮屋の一夜を、なお、経正と敦盛とが、どんなに、心をあた が、兄君にまで禍をおかけしてはと』 。し、つまでもあるまし ため合って語りふかしたかよ、、 「おなじことだ。敦盛の所業、経正は知らぬと、よそに見ても 明くれば、二十九日。 おられまいがいやいや、今さら、どういってみたところでき 早朝に身をきよめて、兄弟は、お互いの髪を結びあい、髻 のうのこと。このうえは・ きやら には、伽羅の香をたきこめた。 と、経正もひざをおって、面もあげえないでいる弟の背をた かね なら 公達風の慣いなので、歯は黒ぐろと鉄漿を染め、まゆを描 御陣に遅れき、薄化粧をほどこして、小むら濃の下着、緋おどしの大よろ 『いつまで、めめしい涙にかき暮れてなどいるな。ノ きりふ わ こがね 、腰に黄金の太刀、背のえびらには切斑の矢を負い、わけ たことは、経正がいかようになと、お詫びもし、取りつくろう て、人の嘲りの前におことをさらすようなことはせぬ。このまて、弓の選びは自分の好みと力に適したもの。 ひたたれ ちょうもん ま、父や一族に、姿を見せすに終わるこそ、人の笑い草そ、親兄の経正は、真っ黄な地色に、蝶の紋を散らした直垂へ、も よろい への不幸そ。 さ、気をとり直せ、そして経正とともに、摂えぎおどしの鎧を着、ひとしく、矢は負うていたが、手には手 ななた なれの薙刀を持った。そして、 津の御陣に渡ろう』 『いギズ ~ 打こ、つ』 と、敦盛や熊太とともに、仮屋の門を出た。 『かねて、都にいたころから、おことが、右大弁どのの姫君 と、朝のそよ風につれて、ほのかな梅の香が、顔をなで と、恋仲らしい様子、ほのかには、察していた。されば先ご おとご ろ、乙子の君が島脱けしたと、一族の嘆き騒いだおりも、経正た。 ・ : けれど、再び振り向くと、中ノ木戸の梅が、けさは一きわ花の数をほころ だけは、おことが行った先を知っていたぞ。 ばせている。経正は、きのう、下の句ができずにしまった歌を ここへ帰らぬおことでないことも、信じていたのだ』 こう経正は、自分ひとり、屋島に残っていたわけを、じゅん思い出して、 『ひとはみな、いくさにいでし、仮の屋に、梅ばかりこそ : : : 』 じゅんと、語って、 ろうん と、小声で朗吟した。そして弟の顔を見、 『ーーー幸、あすは二位ノ尼君のお船が立つ。御守護として、後 『敦盛。下の句はないか』 陣の勢に加わってまいるのだ。まだ合戦の日というではなし、 と、 武者の働きはこれからぞ。さ、ともあれ、仮屋まで帰るがよ あ早、け きみ うだい・ヘん し』 っ学 ) 0 ひ もとどり 382
と、かれの自慢は虹のようだ。 福原の的場や馬場で、そのころ、一門の公燵ばらが、さかん 巻に騎射の稽古をしていたものだが、中に、経盛卿の三男たる、 公達育ちのまだうら若い敦盛は、疑うことを知らなかった えあなたの可憐なお姿もたしかに交じ 0 ていたはである、とい し、味方にとって大事な役割をしている人物とも信じられて、 かれの一言一言に聞き入っていた。 ど 『このたびも 『きのう、渡辺の船着きでは、にわかに思い出せなんだが、後 』と、吉次はなおその大言をつづけ、『みち よ うるし ひにて、思い出したことでおざる。いや、御成人なされましたなのくの大船百艘に、食糧、馬匹、布、漆、皮革、武器など、軍 あ』 に無くてならぬ物のみ満載して、すでに西国へ向け、奥州の港 と、その酔眼を一そう凝らして、惚ればれと見入るのであつを出ておるなれど、どこへその船を寄せるか、へたをすれば、 おさ 源氏の手に抑えられるおそれもあり、心を砕いているのでおざ る。 で、それらのことを打ち合わせのため、朱鼻どのに会 わんと、屋島へ急ぐこの寺船に、あなたを乗せまいらせるも一 『では、おことはなんと申さるるお人か』 つの御縁。ーー屋島陣屋の木一尸の案内頼み申すぞ』 敦盛の方から問われて、男は急に、 と、何もかも秘すところない容子オ 『まこと、申し遅れました』 『いと、やす・い , ) と』 と、居住いをあらためた。 と、敦盛は答えて、また、熊太の顔をかえりみ、 あきゅうどきちじ 『てまえは、みちのくの金売り商人吉次と、世間では通ってお『かねてより、秀衡殿と平家との間には、奥州の北方より鎌倉 りまする』 の後ろを突かんという密かなお約束もあったとか聞く。 くにびと し、そのような御加勢が表立てば、京の源氏も、いちどに浮足 『ほ。あの遠い奥州の国人か』 か、まこ 『されば、奥州の人間にはちがいございませぬ 立って崩れ去るであろうに』 ふじわらひでひらどの かなざわじろうよしつぐ っ ) 0 . し十 / とは、平泉の藤原秀衡殿の家中で、金沢次郎吉次と申す者』 『どうして、二つの名や二つの姿などを』 しかし、世間の中に年をとって来て、人にもいろいろな目に げろう 『奥州より、京、西国へまいるには、どうしても、源氏の領国あわされて来た下﨟の熊太には、敦盛のように、すぐ単純なよ を越えて来ねばなりますまいが』 ろこびはもてなかった。毛深い顔は、すこぶるあいまいなうな 『あ、そのために』 ずき方をしただけで、酒にさえ用心ぶかく、おりおり、その眼 あけはな よしみ 『御一門ではないが、あの朱鼻どのとは、古い誼で、太政入道はなでまわすように、吉次の人間と心の裏を見ようとしてい 清盛公がおさかんなころより親しい仲でした。以来、平家方よた。 り奥州藤原家への密々なお使も、奥州より平家へ送る武器や物また、日が暮れる。 資も、この吉次の手にかからぬは何一つないほどで』 長い夜を、手まくらになる まとば 、、学 ) 0
来に遭ったも同様、荒されてしまい、「しよせん、これでは」 ようし、金王丸も都へ返す。くれぐれ、そなたたち夫婦も、こ のはげしい世を、つつがなく暮らすように。 と、かれもついに洛外へ逃げるほかはなくなった。 ことづて そういう常磐の言伝もあった。 けれど、麻鳥の手には、前まえから拾いあつめていたたくさ ( それは何よりなお考えで ) んなちまたの孤児もかかえていることだし、それらの疎開騒ぎ ぞうしき にごった返していると、その朝、どこかの雑色みたいな思いが と、蓬夫婦も、胸なで下ろしたことだった。そしてその日か ら、鎌倉までの旅の日数を指おって、「無事に着いた」という けない人が訪ねて来、 ( お忘れか知らぬが、わしはむかし渋谷金王丸と申していた男常磐の便りを、待ちぬいた。 ぞ ) ところが、以来、二た月たち、三月たっても、音さたはな と、小声で告げた。 よしともわら・ヘむしゃ いっか、年も越えてしまった。 義朝の童武者で、義朝の死後、常磐が敵将の清盛に身をまか よう いきどお せたのを憤り、常磐をつけねらって、殺そうとしたことのあ金王丸の姿もあれきりである。杏として、消息はない。 むしやばねいってつ そればかりでなく、この正月、江州伊吹のふもとに住む薬草 る、武者骨一徹な人である。 それだけに、 常磐の心が分かってからは、こんどは陰の保護売りの男が、長年の懇意とて、麻鳥の疎開小屋をたずねて来、 者となって、長年、常磐をカづけ、常磐のために、世情を探っ何かのことから、ふといやな話をしゃべって帰った。 くらし 気のせいか、それから夫婦とも、不吉な夢を、ふた晩も見つ て来たり、また、細ばそな生活までを扶けて来た真実者であっ づけた。 その金王丸が、にわかに来て、いうには、 薬草採りの男がいうには、去年の秋ごろ、伊吹から関ヶ原の おんかた ( どうも、御方のお身上も、木曾に知られて危くなった。たれ道で、旅の男女が、あの辺に多い野盗の大群に襲われ、むごた 後でその持物から分かったこ いうとなく、鎌倉にある九郎殿の生みの母御と分かって来たららしく殺されたことがある おおかみ しい。おりおり、お住居のまわりを、木曾の狼どもが、うろとだが、女性はむかし九条院に仕えていた常磐御前という五十 路にちかい年ごろのひとであり、男はその郎従で、大勢の賊を つき出して、油断できぬ ) しゅうか とのこと。 相手に戦ったらしいが、衆寡敵せず、斬り死にしたものだとい そこでにわかに、常磐さまのお供をして、鎌倉へ下ることに しわざ て よっこ と金王丸はいうのであった。 しかし、盗賊の仕業にしては、持物や衣類などが、そのまま 果 もとより、九郎の君のおられる鎌倉へ行きたいとのお望みだったのはいぶかしい。おそらく、鎌倉へゆく途中を、木曾兵 と - 一ろ の は、かねてからのお志でもあったことゆえ、このさい一時お行の手に討たれたのではなかろうか。 と、土地のいなか法師 やわけ知り顔の老人の間では、そういうべつな解釈もくだされ 常方をくらますが、決して、案じることはない、ともいう。 いずれ、鎌倉へ着いた後には、さっそく便りをして、「何せい、あわれなことよ」と、その場の路傍には、、 353
『いっこう、見えもいたしませぬ』 て、斜めに包帯してやっているのである てんじようびと 巻殿上人の軽薄さを、義経は、ふと、あさましく思った。 それを施してやりながら、直実は「なんの、これしきの傷」 殿 自分たち東国源氏が、入洛の第一に、院の御門をたたい といったり、「坂東武者の子が」と、たしなめたりしているの 、、 , ) っこ 0 木たときは、あんなにも狂喜して、われらを迎えた人びとではな 、刀子 , 気刀、 A. ) ロでは、そうしかりながら、子の深傷を、自分の肉体のもの 京 『いや、都人の常、気にかけるな』 以上に痛んでいる様が、その後ろ姿にも、ありありわかる 義経は、たれへともなく、つぶやいた。 『小次郎直家は幾つ ? 』 いたわ 味方の中の犠牲は、味方同士の心と手を尽して、それを宥り『十六歳と聞いております』 おうが むしろ 合うほかはない。そう思い直したらしく、横臥の筵をひとりひ『十六とな』 とり見舞って、やがて廻廊の裏へと歩い 義経は、そこを訪わずに、そっと戻った。 ひ * 、し すると短い橋廊下があって、向こう側の廂につづいていた。 十六と聞けば、自分の過去にも振り返られる。鞍馬を脱し ひらいずみふじわらひでひら 義経は渡りかけたが、ふと後へ戻った。そして『あの小部屋のて、奥州の吉次を案内とし、平泉の藤原秀衡を頼って行ったの 簾の内に見えるふたりはたれか ? 』と、家臣に訊ねた が、自分の十六の春であったと思う。 ひらやますえしげどの 『されば、あれにおられるのは、宇治川合戦の日、平山季重殿『おう、ここにおいででしたか』 はしげたかちわた につづいて、橋桁の徒歩渡り二陣と名乗った熊谷殿でございま その時、庭づたいに馳けて来た佐藤忠信が、かれの姿を見つ する』 けて、こう告げた。 なおぎね 『お。 ・ : 直実父子か』 『きのう、院御所の方でお約言を与えられたそうで、奥州の吉 『はい。御子息の小次郎直家殿が、その日、太刀傷を負われま次と申す者が、ただ今、御門を訪うてまいりましたが』 みとり したので、父の直実殿には、あのように、子の看護に付き添う 『え。来たか』 ておられまする。寝食もお忘れのように』 ふと、鳥影のように、遠い追憶の胸をよぎッていた過去の男 『 : : : 親心よの』 が、現実にいま、門へ訪ねて来たというのである。たしかに、 義経は思わず見とれた。 約束はきのう与えたことだが、奇妙な一致と思わずにいられな す そこの簾の内では、義経がここにいるとは気づかない様子で あった。 そしてまた、鞍馬脱出の十六の春とし 、い、初陣の都上りの もろはだ 子の小次郎に諸肌を脱がせ、その背へ向かって、直実も、後きようといい、何か、自分にとって大きな運命の一転機毎に ろを見せてすわっていた。 どこからか、自分の前へ出て来て姿を見せる不思議な宿縁の男 次郎は、痛がっている様子に見える。父の手は、乾いた血とも考えられたことだった。 糊をふき、傷口に薬を塗布して、子の肩先からわきの下へかけ す ふかで
急転直下である。両軍の和議は、それから数回の交渉でまとっかわすのじゃ。おことも、はや、男立ちした一個の男、世間 も知れや。ゅめ、鎌倉殿の意にさからうな。心なき振る舞いな しかし木曾軍の将士は、それを屈辱的な和睦とよんで、ひど どせば、斬られもせん。つねに、人中の身を、心得ておくこと はれ ぞよ く激昻し、不穏な動揺さえしめした。 : やがて父も母も、晴の都入りして、天下に臨む日と そうりよ 『やはり僧侶は僧侶。ひッ腰がない』 もならば、また、相見る日もあろう。身を大事によき日を待 当然な非難は、大夫坊覚明の一身に集まった。覚明は耳のなて。わけて、鎌倉殿のみだい所には、よう仕えて愛しまれねば うつ いような顔している。だが樋口次郎兼光のまゆは鬱として重ならぬそよ』 義高は、泣きなき、うなすいた ゆきちか 講和の条件としては義仲の嫡子ーーーことしまだ十一歳になっ 海野一族の幸親の子、太郎幸氏は、おない年でもあり、義高 しみずかじゃよしたか たばかりのーー・清水冠者義高を、鎌倉方へ、質子として、渡すの遊び友だちでもあるので、その幸氏を付けて、やがて木曾陣 ことになったのである。 から、頼朝の手へ、送られたのであった。 もっとも、質子とは、表面にいわない。「頼朝の子として養千曲川のなぎさにたたずみ、巴と義中よ、、 イ。しつまでも、遠く し、つに亠めつ」。 、長く、両家がよしみの結びとせん」と、 なる一群の列を、見送っていた ふるみ、と 木曾の故郷へ、迎えが立ち、十日ほど後には、何も知らない 『 : : : 巴、よせ、見ぐるしい』 ねざめろうくらんど 小冠者義高が、寝醒の老蔵人に付き添われて、善光寺の坊中へ 巴は、下に泣きくずれていた。 着いた 初めて、かの女は母のもだえを、身のうちに持ち、義仲も、 『一夜は、義高を、抱いて寝てやれ』 その若い肉体に、ひしと、泣けない父のつらさを知った。 と、峩中・は巴に、つこ。 戦陣から戦陣への月日は早い。思えばこの父も母も、わが子 の育ちを、二年余りも見ていなかった。それが、見ちがえるば かりなよい小冠者となっている。巴は、名残りの二夜を、添い 御車返し 寝した。 いよいよ、鎌倉方の手へ、愛児を渡さなければならない日、 し 別れの杯を酌み交わして、父と母とは、こもごもに : っしし 返聞かせた。 都から見るに、このところ、源氏方の攻勢は、妙に低迷をつ 車『 : : : のう、冠者よ。冠者が、泣き顔などして参ったら、鎌倉づけている。積極的なうごきがない 御武者に、この父母まで、笑われようそ。ーー・鎌倉殿は、わが家東国の頼朝もそうだし、北陸の義仲もそうである。とにかお の縁者、冠者を子としたいと申すゆえ、やむなく、おことを、 平家にとっては、ここ小康状態の幾月かであった。 げつ・一う わぼく うんの み くるま
『ウむいかにも』 家を訪い、義仲をなだめ、裏面の手を尽したのではあるまい 『しかるに、われら源氏にたいしては、またもや、古い以前の 巻か。数日を経て、ふたたび、 じげびと けんべい じもくずりよう ち ( ーー十六日、殿上において、木曾、除目受領のおん儀、行わ差別と権柄で臨もうとしている。木曾を、地下人あっかいだ どうも、我慢がならぬわい』 都せらる ) 『いや、ま : : : そう悪くお取りにならぬがよいとかく故実旧 と、公布があった。 そして、今度は、両人も院参して、上卿、民部卿、参議、右例を取りたがるのが公卿の病』 だいべんげき 『その病を、おれも、清盛ではないが、たたき直してくれねば 大弁、外記、列座のうえ、つつがなく、任命式は終わった。 ならぬ』 もちろん、両者への勧賞は、最初の内示とは、だいぶ違う。 さまのかみ 『お気もちは分かるが、ゆめ、を振る舞われてはいかん。追 義仲の左馬頭はそのままだったが、越後は伊予の国に替えら しいのデ しおいとなされ、追いおいと』 れ、四位下を加え、伊予守となる。 じゅご また、行家の受領には、さきの備後を備前守と改めて、従五『はて、先にはおれを焚きつけながら、叔父御は妙に、なだめ しようでん 役にまわって来たな』 に叙し、特に両名へ、「院の昇殿をもゆるす」とあった。 じもく 『はははは。何も、公卿の肩持ちへまわったわけではおざら 除目が終わると、祝酒を賜わって、退出となった。義仲は、 げもんむしゃびかえ かくべつ、浮いた顔でもない。外門の武者控まで来て、駒出しぬ。ひたすら、殿のおためを案じるのじゃ。以前の木曾冠者で さまのかみけんいよのかみよしなかこう れつご はおわすまい。きようからは、四位の左馬頭兼伊予守義仲公』 に行った家臣たちが列伍を作るのをまつあいだ、行家とこんな おだ そう煽ててから、行家はその顔を、義仲の耳のそばへ持って 立ち話しを交わしていた。 うかっ 『のう、叔父御。おれも迂濶だった。きようここへ来て初めて来てささやいた。 『御不満でおわそう。御不満は分かっておる。だが、先日も申 気づいたことがある』 いんじゅ したように、木曾殿へは当然、征夷大将軍の印綬賜わってしか 『何をです ? 』 『保元、平治の昔はそうであったと聞いていたが、今日でもなるべしじゃということは、行家からもないない、院の側近衆へ ここはまず、 お、公卿人の頭には " 武者は地下人 , という隔てが、ぬぐわれ申し入れ、あれこれと手も打ってあること。 わ 御受諾あって、麾下の諸将一同へも、ひとまず、勧賞を頒け もせずあったのだな』 て、功をねぎろうておやりなされい』 『どうして、そのような儀をこと改めて』 ひょうへん しようでん . 行家はたしかに豹変している。 『でも、きようの恩典の一つとして、〃昇殿をもゆるす″とあ ったであろうが ちツ、考えて見ると、ばか気たはなし先ごろのロ吻ではない こわ そこで義仲が立ち帰るのを見送っていたが、ひとりになる よ。そんな差別は、ふた昔も前に、清盛がぶち壊していたはず てんじよう だ。そして、その清盛の子や孫は、殿上も殿上、最も高い座をと、かれはまた、院のうちへ引っ返してゆき、公卿たちの間に はいって、しきりと、そこの密談に加わっていた。 占めて、きやつら公卿どもを、あべこべに、見くだした』 びと じげびと ・一うふん た 16 イ
と、ひとりをして、そっと、東光坊の内をうかがわせにや のと、昨夜来、一門退去の逃げ支度にかかっておる。主上はも しようちゅうたまあわ とよりかれらが掌中の珠、併せて、法皇のおからだをも、西り、笠に手をかけて、ふと、京の空を振り返られた。 くちびる 国へ窄じまいらせんと、かねがね、宗盛殿とのあいだには、御大きなお顔だ、お体つきもだが、眼、唇、耳、みな人なみ、 そう かい 黙契もあったらしいが、院の御真意は、そこになく、はやくよ以上大まかで線が太い。魁偉な相といえばいえる。 亡き清盛より九ッ下であったから、お年は五十七のはずだ り平家をお見限り遊ばしておられたのです』 ごせんこう が、どこにも老人臭がない。やや赤味をもっ柔軟な皮膚も、な 『さては、それゆえの御潜幸でしたか』 - 一うたく 『もし六波羅にさとられてはと、お側近くの女房たちゃ、日ごお五欲五情への旺んな光沢のようである。 りつし ほうじゅうじでん きんじゅ 『お待たせ仕りました。 , 律師覚日に会い、諸事、打ち合わせま ろ御腹蔵なき近習たちにさえお告げなく、法住寺殿を忍び出ら くちわ れ、途中、資時がお馬のロ輪をとり参らせて、虎口を脱して来したゆえ、御懸念なく』 さまのかみオけとき ほどなく、右馬頭資時は、東光坊から戻って来て、後白河の たわけです』 『おお、まことや、よくも危い虎口を』 前にぬかずいた。そして、黙々たる人影に迎えられて、後白河 もう疑う余地はない。覚日も、やっとうなずいた。いや、ど御自身も、やがて東光坊の内へそのお姿をかくされた 東光坊では、とりあえず、法皇がお憩いのまに、あたたかな こかで「わが意を得たり」としているような語調でさえあっ 供御 ( 食事 ) などさしあげ、資時と覚日らは、別室に額をあつめ て、 1 一あん 『どこにお匿まい申し上げたがよいか。そして、もっとも御安 かさかむ 目ぶかに笠を被らせ給い、旅僧めいたお身なりで、後白河は泰であろうか』 たたず を、すぐ協議しこ。 さっきから山門のやみふところに佇んでおられた。 くらまがわ 覚日たち、鞍馬側の意見としては、 資時の家の郎従数名がおそこ、 ふもとまでは、馬だったが、山道は、この者どもがお手を扶『ここは安全とは申されぬ。もし平家勢が、お迎えに来れりと 称して押し襲せたら、拒みきれるほどな武力もないし、かっ けたり腰を押し参らせて来たのである それにしても、どたん場へ来て、宗盛に背負い投げを食わせは、洛内にも余り近すぎる』 だいたんさいしん いうことであった。 この夜の大胆細心な御行動ぶりといい、貴と、 給うた手際といい、 コし 1 三ロ そして、お疲れでも、もうひと足のばして、叡山まで行け 人に似げない放れ業だ。武将もなしえない奇略である ば、御安心であろうにと、みないった。 白が、御自身は、そんな危い道を突破したともしていないよう 資時にも異議はない。 後な御容子で、 た しかし、叡山は昨今、木曾義仲の本陣地となっている。 『おそいのう。 : : : 資時は何しているのか。誰ぞ、見てまい 政 その義仲のふところへ、法皇が逃げ込まれたような恰好にな れ』 も 0 0 さか きた 139
らーーと考え出したことであろう。 る。もう、きよう限り、涙もお見せいたしませぬ』 むじやき と、しずかに誓った。 ひとり、お無邪気なのは、幼い帝であった。山野の旅もおめ ずらしげだし、それに、供御の器物もないまま、女房たちが、 ほんとに、そうした誓いを、いま、抱いたらしいおん黛に見 ちまき うるちち 粳を茅の葉でつつみ、粽にしてさしあげると、それがすっかりえた。 てんじ おん母の建礼門院や典侍たち外では、平大納一一 = ロ時忠や子息時実などが、 お気に入ったようだった。 よちょう ごくったく は、ともすると涙なのに、みかどは、なんの御屈託もなく、そ『輿丁の人びとは、はや、御輿をこれへ据え参らせい。余りに あかとんば こらに群れる赤蜻蛉の一つの羽根へ、そっと、小さいお手をお時を過ごすもいかが』 伸ばしになったりしている。 と、供奉の出発を、性急に、うながしている。 べつな輿を降りて、一門の妻子や大勢の女房たちに囲まれて建礼門院もみかどのお手をひいて起った。そして、ふたたび れんよ いた二位ノ尼 ( 清盛の未亡人 ) は、建礼門院が、何も喰べないの輦輿へはいろうとしたが、みかどは急にだだをおこね遊ばし を憂えて、 て、「乗るのはいや」とばかり、泣き顔をきつく振って、おき 『浮き沈みは、世の常です。初めてかかる目に会うあなたゆきいれの模様もない。 しよく ぞうしきわらべ え、お食の通らぬも無理はないが、尼などは、西八条殿 ( 清盛 ) 供奉の一門男女、公卿、武者、雑色、童までの一万余人は雲 へ嫁ぐ前も、嫁いでからも、いくたび似たような思いを越えたのように、それぞれの乗物や馬のそばに寄り合って、主上の召 か知れません。 : ただ、そのころは、一族もまだ少なく、今 される八人舁ぎの御輿が揺らぎ上がるのを待つのだったが、ど 小さいと大きいとの苦労の違いでしかない。そして、そうしたのか、手間取っていた ろうつねもり うした中にも、あなたたちを生み、この年まで生きぬいて来ま 見ると、老経盛が、お側へ行って、建礼門院と一しょ ばんじよう おん したそゃ。 ・ : あなたは、まして万乗の君を生みまいらせた御 に、しきりに、みかどの御きげんをとっている が、みかどは、なお「嫌、いや」と泣かぬばかり、かぶりを 国母』 ここまでいったが、尼は、われからそでで顔をつつんでしま振っておいでになる。 とり っ , ) 0 まだお六ツだし、 いい出しては、やはり男の子である。鳥 かごきゅうくっ あとは、何もいえないのである。いえば、余りに酷いことば籠の窮屈さをきらって、秋空を恋しがるのも御無理はない。 「ーーー歩く」と仰っしやってきかないのだ。踏んでみたことも でしかない さんや みあし が、建礼門院は、みかどの御母たる身として、自分へのない広い山野の土を、自然、その小さい御足で踏んでみたがる ものとみえる。赤とんばと一しょに、自由に、駆け遊んでみた ん老母の気もちはすぐわかった。素直に、しかし、気をしつかり うず みけしき い疼きにしやくりあげられている御気色だった。 とと張って見せて、 赤『今はまだ食もすすみませぬが、お案じくださいますな、みか どの御成人までは、氷雨にも風にも、きっと、克ってゆきます つ とっ ひさめ みかど ぐぶ ぐぶ かっ しそくときざね す 0 まゆ 131