て皆、源氏方であることに気づいて、 考えずにいられません 巻『敵方にも、手負いは多いはず、なぜ、平家の兵をも、救い取 右、医としての念願やみ難く、寛仁なるみゆるしを、伏 えって来ないのか。分けへだてなく、拾うて来い』 して請い奉ります。 と、配下の者をしかりつけた。 ど 『これは、意外な仰せ』 とあり、かれらしい思いが文字にあふれている よ ひと、ここにいる雑兵頭を始め、下働きの男どもまで、ロをそ 一読すると、義経は請いをいれ、かれの書面の横に「右ノ願 マカ ろえて、抗弁した。 出デ、陣医麻鳥ノ意ニ委ス可キ也」と自筆で書き添えて返して 『昔から今日まで、いかにして、敵をみな殺しにするかと謀るやった。 やくじ のが合戦とは聞いているが、まだ、敵兵を助けて、薬餌手当て麻鳥は、それを壁に貼り出した。 ためし までしてやれといったお人は、見たことも聞いた例もない。 そして、一同を呼び集めて、 ような計らいは、お味方の内へもはばかられる儀。おん大将の 『これこの通り、おん大将のお心も、麻鳥が思いと変りはな きす お指図にも、伺っては、おりませぬわい』 い。以後は、平家の兵も、病み傷ついた者は、みな救うて来 『いやいや、おまえたちに、後の咎めはかけぬ。麻鳥が一存にて、あたたかい心で、手当てをしてやらねばならぬそ』 て申すこと』 と、ししきかせた。 『ならば、なおさら、そのようなおいいつけには従えませぬ』 たれにも、あわれはある。救う力があれば、助けてやって、 がん 頑として、かれらは、陣医の命を拒んだ。麻鳥の医師として人のよろこびを見たい人情はもっている。公然なる印可が出た の心を理解できないのである。 とわかると、それからは、平家方の傷者もつぎつぎに、担ぎ込 自然、麻鳥の存在を〃ふた股者〃と見、悪しざまに、味まれてきた。 方のうちへいいふらした。 そして、源氏の兵と、おなじ床にまくらをならべ、源平無差 麻島は、さっそく、一書を認めて、義経の陣所へ、使を走ら別な医療や食物を与えられたので、われに返った平家の兵は、 せた。書面には、 『これはまた、どうしたわけか』 と、いぶかり合い、そして、麻鳥からそのわけを懇ろに聞か 医の本来は、人間の業悩を救い、生命の尊きを知らされると、みな涙をながして、かれの手に取りすがった。 しめるにあり、敵味方の差別視は、医師にはありません。 こうした宇奈五ノ岡の薬院にも、大きな動揺が起こっ 医は、あくまで、一視同仁です。 た。源氏の全軍が、都へ凱旋すると聞こえたからである。 きしよく 貴嘱を蒙って、拙医事、ただ今、宇奈五ノ岡にあり、あ病床のまくらをもたげて、 われなる傷者の治癒に微力を傾けつつありますが、願わく 『これしきの手傷だ、おれは還る』 にんせ がいせん ば、敗軍の平兵も、併せて、この仁施に浴させたいものと 『おらも凱旋したい』 あわ ごうのう またもの とカ は がいせん 45 イ
小宰相 、多くの苦い経験もなめている。 坊。てまえは、おいとまを」とすぐ戻りかけたが、輿の供人ら おばっか は、思いのほかな山中のさびしさに、帰り途のほども覚束ない その後、屋島を根じろに、四国山陽の異分子を風靡し、特に 気がしたものか、ロをそろえて、「いや、帰ってはならぬ」とその水軍は強かった。 のとのかみのりつね 水軍の方は、もつばら、通盛の弟、能登守教経の指揮下にあ 引き止め、「御帰途も案内してまいれ。先ほどの雑兵頭には、 の S ・も S ・ ったが、ふたりとも教盛が自慢の息子なので「いずれ劣らぬ門 よう頼んであることゆえ、遅うなっても仔細はないはず」と、 わきどの ゆるさない。 脇殿の兄弟軍ーー ! ・」といわれ、平軍中の花とたたえられてい どうせ、早く帰りたい先ではなし、足かずはおなじである ひょどりご こんども、通盛と教経とは、鵯越えロの主将であった。大手 そこで駄五六も輿について山門をはいりながら、供人のひとり からめて に向かって、「お帰りは夜分におなりでしようか」と、小声でに次ぐ搦手の重要な陣地が、このふたりにゆだねられたので かどわきどの 訊いてみると「いや、いつごろとも伺っておらぬ。夜になるやも、門脇殿の羽振りが分かるし、またその兄弟軍こそ、平軍の らあすになるやら ? 」と、これまた、あいまいな返辞だった。 精鋭と見られていたことがわかる ぶんざい しかも、三位通盛は、前日、布陣のさい、副将の越中前司盛 けれど、そんな立ち入った取り越し苦労も、雑兵分際には、 いらざる心配というものだ。待てと命じられたら、半日でも一俊や若狭守経俊らを、後方において、みずからすすんで鵯越え 晩でも待っていればよいのである。雑兵の暢気さ、ありがたさのすぐ真下ともいえる、この明泉寺を、陣所としていた。 しかし、ここも例外でなく、けさからの和平情報にわいて、 は、そこにあることを、駄五六も知らないではない ゆさん ひょうた 部将の幕も、雑兵組のたむろも、戦陣というよりは、遊山の群 『そうだ。俵太を訪ねてやろう。俵太、どうしているか』 ふるなじ 古馴染みの雑兵仲間俵太は、ここの陣所で働いているはずだ集みたいに、浮きうきしていた。 だ - 一ろく った。駄五六は、のっそりのっそり、境内の雑兵屯をのぞき歩『よう、駄五六。だれを探しているのじゃい』 ひょうた 『や、俵太か。われを尋ねていたのだわい』 『ほう。おれに、なんの用そな』 みどう 『なんの用でもないが、ほれ、たった今、奥の御堂の橋廊下の 下を通って隠れた女輿があったであろが』 『うん。女輿か』 『その道案内して、これへ来たが、帰りも供をせよといわれ、 しようこともなく、ぶらついているのじゃ。われやあ、その後 も、変りはないか』 『変りがあって堪ろうか。もう二日過ぎれば、合戦は休み、自 越前三位通盛の下には、歴戦の将士が多かった。 くりから かっては、越中の倶利伽羅や加賀の篠原で、木曾の大軍と戦然、おれどもも都へ帰れようというものだ。まあ駄五六、こっ みちもり 宰 しのはら のんき たむろ 0 0 ふうび や かど
「樋口の伏兵もあり、自然の険もあれば、宇治川はまず、大丈 けれど、それも容易なわざではない。東国勢三千余騎は、兼 夫」として、瀬田の守りに、重点をおいていたのは、正しく、 平が死力をふるって出たのを見、包囲に包囲を繰り返して、追 かれの誤算であった。 いかぶさった。 いや、義仲は義経を知らな過ぎた。知るよしもなかったこ と、それが、かれの天命であったともいえよう。 兼平の部下は、次第に討ち減らされ、わすか十三騎になって いた。たったいま声のした二河次郎頼重も、いつのまにか、見 とまれ、瀬田の防ぎは、数も何倍という敵に押されて、 えもしない。 したたかい、終日の悪闘をかさねっ その手の今井兼平も、戦、 びしやもんどう むざん つ、孤軍無慙な影を、国分寺の毘沙門堂にたたずませ、「いず『おう、いまのうちだ。敵はおれどもを見失うて、あらぬ方へ 馳けたそ。ただ走れ』 こへ《打って出るか」と、血路も知れぬ窮地にあった。 くうデき 偶然な空隲を見出して、兼平らは、やや敵の重囲の外へ出 しゆきん 陽は傾いて、瀬田川の水も、湖面のさざ波も、朱金のように ギラギラと眩かった。そのため、山陰の野や森は、かえって、 早い暮色をたたえ、身を晦ますには、絶好だった。 するとかなたから数騎の影が馳けて来た。相互で「敵か ? 」 と立ちすくんだ、 が、やがて先の者から、 だいごやましな 醍醐、山科などの山づたいを、思いおもいに逃げて来た味方『ゃあ、木曾輩ではないか。おれは義仲ぞ。ーー兼平はその中 におらざるか』 の声で、今井兼平も、今はただ一つしか残されていない自分の と、呼ぶのが聞こえた。 道を知った。その道を行き貫こうと決心した。 『おう、わが殿か』 『頼重。残った手勢はどれほどか』 兼平と義仲は、馳け寄るなり手を取り合った。どっちも 『なお六、七十騎はおりましようず』 「ーー残念」とのみただ一語、悲涙を見合うだけだった。 郎党の二河次郎頼重は答えた。 びしやもんどう はまあわ 兼平はそこの毘沙門堂から、ふもとの瀬田川、膳所ノ浜、粟ふたりは竹馬の友だし、義の兄弟でもある。苦楽をともに 一原ずはら きようまで来て、木曾六万の兵もいずこ、無量な感に打たれず 津ヶ原の遠くまでを見わたして、 ケ にいられない 津『よしつ、行こう。一つになって、おれにつづけ』 やがて、兼平がいった。 粟岡を降りて、石山道へ打って出た。 落かれの考えでは、もう、大将軍義仲も北国落ち〈急いだにち「無念は冬きませんが、かくお行き合いできたのも、まだま 天がわれらを捨て給わぬしるし。いざ、道を急ぎましよう 、刀し / . し ならば、生死をともに」と肚を極めたのだっ 落日粟津ヶ原 らくじつあわず は ま、、 ) 0 , ) 0 まばゅ
そのうちに、巴の薙刀のため、太刀を絡み落されたので、し くら およそ、敵味方の屍は、幾十、幾百見て来たかわからない。 まったツと叫びながら、馬もろとも、かの女の鞍わきへぶつか が、かの女は、吸いつけられたように、寄って行った。 ってゆき、ムズと、相手へ組みついた。 さびしゅはかま よろい 人とひと、馬とうまとが、絡み合って、異様なまでの姿態と死者の着ている鎧の色、銀摺の見事なる錆朱の袴。さてはま ・一ちょう た、自分とひとしく、黒髪の額に、胡蝶の天冠を結い締めてい 喚きを躍らせ合っていたと思うと、それも極くわずかな間で、 一つの馬は、まっ赤に染まって、逸れてしまい、地上には、内る姿など、それは、浅間、千曲川、越後の戦場では、かならす あおいまえ 味方のうちに見た いや義仲のそばにあった、あの葵ノ前の 田三郎家吉の首の無い体が、どうと、振り捨てられていた。 くれない いでたちだった。 葦毛の春風も、紅になり、気が狂ったように馳け出してゆ 『けれど、どうして、葵ノ則がここに ? 』 く。そして、″関ノ清水〃と旅人が称ぶあたりまで来ると、さ つねに、病帳深く垂れていた病人がと、巴は、眼に見てもな すが、追いつく敵もなかった。が、同時にかの女とともにいこ お、信じかねた。 わずかな味方も、もうひとりだに続いては来ない。を かんばせ けれど、その容貌をさしのそくと、病みやつれを隠そうため ふと見ると、坂道の岩間から草むらへ走り流れている清 まゆずみ かわ か、白粉は濃く、口紅も濃く、あわれ黛さえ強くひいてあった。 水があった。その水音を聞き、かの女は急に焦けつくような渇 『 : : : おお。 : : : 数カ所に手傷は負うているが、はだは温い きを覚えた。 まだ、こと切れてはいないような』 いや、われに返ったからであろう 巴は、葵の体を抱いて、駒の背へ移った。 気がついてみれば、薙刀はどこかへ打ち捨て、手綱と一つに もとノ」め・ いささかの間も、後ろが気づかわれるからだった。 握っていた髻は、小刀でかき切った敵の家吉の首だった。 疲れた駒をいたわり、また、鞍つばにかい抱いた葵の黛をさ 道ばたへ、ほうり捨てかけたが、ふと、さっきの優しい名乗しのそきながら、巴は、さまざま心がみだれた。 かっての日、ある夜々には、良人の愛を横奪りしてわがもの りを思い出して、敵ながら憐れとおもい、馬を降りた。 のろ わた 清水の下へ寄って、手を洗い、ロへ掬い、馬にも水を飼っ顔して誇る女、嫉しとうらみ、憎しと呪ったこともあったが 今は、そう思おうとしても、思いすらうかんでは来ない た。そして、岩の上へ首をすえ「こうしておけば、やがて家吉 かえって、自分以上にも、自分の良人義仲の犠牲になった女 の身寄の武者が見出すであろう」と、手向けして、去りかけた。 ふびん と、数歩の先に、また、ひとりの武者のうつ伏しているよと、巴は、気のどくになり、不愍な思いがわいていた。わけ かしず ても、病顔を粧うてまで、侍いた男の死の道を追って来て、 死骸があった。 の 途中の敵や病のために、ここにたおれていたのかと考えつく 『あっ。もしゃ ? 』 地 と 死巴は、そこの草むらを、しばし、息もせず見まもった。 『憐れやの、女ごころ』 あわ あわ かばね んずり くら 323
のーー策を講じようというのである。 『お肚をすえられた以上、こともれては一大事。われらが先ず びつこどの 『えつ、院の御所へ』 数首騎をもって、十郎行家殿の居所を囲み、あの跛行殿をひっ たれの面も、さすが、さっと白けわたるおののきへ、義仲捕えて参りましようず』 と叫んだ。 いんがたこ 『それしかないのだ。それしか、木曾がここを切り抜ける道は 『よく申した小弥太。叔父にはあれど院方に媚びて木曾を自滅 あく オし』 にみちびかんとする悪叔父。首にして持ち帰るも仔細ないそ。 といい切り、何者の異議もゆるさないとする悲調と威圧をこすぐ行け』 めて、なお激越にしし 、つづけた。 義仲が、許容すると、それこそ一大事であるとして巴の兄、 『上洛の当初には、あれほどにまで、木曾を頼みに思し召すと樋口次郎兼光が、あわてて止めた。 称しながら、すぐ裏では、行家ごときを近づけ給うて、ことご 『いや、お待ちください 小弥太殿もしばらく待て』 とにおれを忌み遠ざけ、また頼朝には、密使を通わすなど、院『樋口。なぜ止める』 からくり・ なおもって、 中の機関は、まったくひとを愚弄するもの。 『先刻からの仰せ、今は御無理とも存じません。けれど、われ 。しカカあろうか。武力に出る以上、しか 我慢ならぬは、堂上の公卿ら皆、おれども人間は、公卿のためから軽率な手出しよ、、 : 、 に生きている者かのように、い得ていることだ。武者が命を賭け と勝算を持たいでは』 とりあ かいどり て戦った功などは、飼鶏の蹴合いほどにも見ていない。鶏合わ『勝目がないと、和殿は見るのか』 せ同様に、おれと平家、おれと頼朝、おれと行家などをカケ合 『行家殿や院の御所を攻めるには、不足もありますまい どりかけ わせ、血みどろな飛毛の闘いを桟敷にいてながめ、勝ち鶏の賭が、鎌倉方には勝てず、平家勢にも勝てませぬ』 よわね 物たけを取ろうというのだ。ー・ーー義仲、その手は食わん。かれ『あはははは。なんと、樋口にも似ぬ弱音を』 たす も人なら、おれどもも人。おのれが生きる道をえらぶになんの 『では烏滸ながらお訊ねしますが、殿には、在京のお味方が はばかりゃある』 今、どれほどあると思し召すか』 雪はひょうひょうと、雪の声をもってきた。 『ううむ。 : : : 大和、伊勢、美濃、諸所へ向けて、だいぶ兵も その妖しい光の旋舞は、かれの網膜から頭のうちにも、狂お散らしたが、なお洛中の兵は、二万騎はくだるまい』 しい幻覚を描くのではあるまいか 『それが、かなしいかな、四千騎にも足りませぬ』 : ど、つして ? ・』 強烈な感傷の語は、部下の将士の血をかき乱さすにはいな ちょうさん ばせい い。加うるに酒気もあり、かれらの群れからも、院への罵声『備中お引き揚げのさい、すでに途中において逃散の兵も多く むせ やましなぐちよどぐち や、無念泣きの咽びが起こった。それはお互いに奔激を助け合出、かねて洛中守護のため、丹波ロ、山科ロ、淀ロなどに立た たむろたむろ せおいた屯々の兵も、いっか、あらまし逃げ散ってしまいま刀 冠う波の作用に似ている。 はやくも、根井小弥太が、 した』 もの あや わのいのこやた ひもう ともえ
は、逃げもできぬ』 都も、土の上にできている。都に土がないわけじゃない。 しよう 麻島は、じっとしていられない気もちにかられた。 この土のうえに、人間を生ぜしめたのが、宇宙天然の作用な 医を仁術とし、医の生涯を、本望とおもっていたが、きようら、その宇宙が、働く人間を、むなしく乾干しにするはずはな 。生かす作用を持たない土や太陽であるわけはない。 のばあいは、もう、医術ではまにあわない。 『皆の衆。わしはそう思う。わしは、飢え死にしとうない。妻 ここ両三年にわたる餓死者は、かの仁和寺の隆暁法師がかぞ まつり まつり′一と たの えただけでも、四万二千余人におよぶという。 や子らを殺したくない。政の府はあっても政事の扶けは恃め ぬ。天も人もたのみとなるもののない世の中だ、恃むは、自分 そこでかれは、まず、界隈の貧者たちに呼びかけた。 だけと田 5 わっしゃい』 ( これは、たいへんだよ。このまま、ひとの田作りや、市の物 をあてにしていたら、わしらにも、やがて、餓死の番がまわっ興りは、それからのことである。 麻鳥夫婦を見習って、麻鳥を中心に、生の小屋仲間が、気 てくるだろう。世間の人草は、おおかた、枯れ果ててしまうに をそろえて、土を耕し始めたのだった。病人、不具者をのぞい ちがいない ) が、こういっただけでは、なお、どうにか生きている者ては、老も若きも、子供らまでも、やり出した。平家の存亡、 は信じないのだ。事前に、必死な生き方を取ろうとしないのが源氏の進出、けわしい雲の下にである。 懶惰に慣れたこの界隈の人びとだった。不可抗力とあきらめ、 こた 運命の下に、あまんじて挫がれている性根には、なかなか、応 えがないのである。 柳ノ水界隈の貧民が、ともあれ、この麦秋には麦を収いれ、 そうした物臭い顔つきの連中へ、かれは噛んでふくめるよう青い物を作り、芋の葉もいちめん大きく茂らせている。 それは、早くにもう洛中の、他の貧民たちにも眼をみはら せ、諸所方々で、おなじ畑作りが行った。 都の衣食は、日ごろ、いなかに支えられている。そのい なかさえ、近年、食うや食わずなのだ。朝廷や権家の貢税さ前は、西の京、東の京も、物資の杜絶と物盗の横行で、どこ まちびと かばちゃ え、さつばり上がって来ないのを見てもわかる。 も棚 ( 店 ) を閉めてしまった。で、町人たちの中でも、南瓜作り 都人のロが、乾あがるのは、あたりまえだろう。われら下積や芋作りをしていない家はない。公卿館の庭でさえ、花卉を抜 みの貧乏人はなおさらというしかない。 、カ いくら凶年だきすて、泉石を毀ち、畑にしているというほどである。 ぞうしき 造からといって、知恵をもち、手足もある人間が、むざむざ、餓 だが、公卿雑色はとにかく、貧民たちは、もともと、尺地も きとう 国死を待「ていてよいものか。空ばかり気に病んだり、祈ばか持 0 ているわけではない。畑作りも、もちろん、ひとの土地だ みすご と。 りしているのは、余りにも愚ではないか った。それも焼野原などは看過されたが、廃宮の庭園だの、社 れ けびいし 『都の中こ、、 。しなかを作ろう』 寺の領などまで犯されだしたので、検非違使がやかましくいい 9 げやくにん 麻鳥は、呼びかけた。 出した。みすみすできた作物を、庁の下役人に没取され、首を らんだ ひ ひし みつ おこ たな まにゆう たの
奇しくも、敵方の兵に送ってもらい、そこからは、ただひと りとなって、国府のある繁華な難波ノ大江の町中へはいって来 ようす たその美少年は、往来の人も眼にはいらぬ容子で、 ・ : さては、あれが九郎義経殿だったのか。源氏の九郎どの と知りもせば、ゆうべ、あのおり、なお答えようもあったの せつな と、捕われた刹那の自分を口惜しげに思い返してみたり、ま まぶた た、さいごの別れをつげて来た恋人の面影なども、なお、臉に うつつない足どりだった。 連れ歩いているように、 けれど、やがて じゅらく 江に沿った渡辺の聚落のかなたに、真っ青な海づらが迫って ふなっ 来、河口の船着きにざわめく大船小舟の帆ばしらだの人声を知 とど ちどり びもく め びん 女にもまれな眉目のよさに加え姿体もしなやかな美少年だつると、かれの眸もその鬢の毛も、波間に止まりない千鳥と一つ たち ばん た。太刀を保き、腹巻姿で、武者一般の風と変りもないが、坂潮風に吹き研がれて、 どう 『そうだ。 東武者でないことは、どことなくわかる。 きようは二十六日、熊太は案じぬいていよう もど せっしゅうなにわっ しゆくぐち かれはつい今し方、この摂州難波ノ津 ( 現・大阪 ) の宿ロで馬ここへ戻ると約した日よりは二日も遅れた』 を乗りすて、そこまで送ってくれた源氏の兵数名に、しきりと 急に、そこらの商戸や船宿の軒ばや、道ゆく人影にも、眼を 礼をのべたうえ、別れにのそんで、「昨夜、自分に情をかけ給そそぎ始め、そしてたれかを探しつつ行くらしかったが、渡辺 うた大将は、そも、なんと仰せらるるお方か。せめておん名だ橋の近くまで来ると、橋だもとに、やはり人待ち顔してたたず ぞうしき ほわぶと けでも、聞かせて欲しいが」と、たずねていた。 んでいた雑色風の骨太な男があった。 兵たちは、それに答えて「かの殿こそ、鎌倉殿のおん弟九郎 ふと、男の潮焦けした赤ら顔が、こなたを見、はたと、眸が の君そ。あれがもし、他の大将であったら、おん身を解き放し合うやいな、 たうえ、われらをして、こう、遠くまで送らすようなことはな 『おお、おう若君。熊太はここでおざる。なんと遅いことで』 ろう′一く あ 船 かったろう。打ち首か牢獄かに極まっている。それを、逢い と、馳けよって来た。 めぐ 寺い恋人にも逢われたあげく、まこと、命拾いを召されしよ。 巡り会えたよろこびを、美少年は、わざと、笑くばにはぐら きんだち 万 : ても、運のよい公達かな」と、少年が恋に賭けた冒険の成して、まの悪さを隠し顔に。 『やよ、熊太。そんなにも待ち呆けてか』 六功を、からかい半分、祝福したりうらやんだりして、笑いわら い別れて、京へ引っ返して行ったのだった。 『当り前なことを仰せられる。ほかへの旅とはわけが違うて、 六万寺船 まんじ ぶね したい と と しおや ゆきき のき くまた うな ひとみ 0 369
すと、義経は頸をふかく垂れて聞き入りながら、「さもあろう。 巻さもなくば : : 」と、ひとりうなずき顔だった。 え 越 ど えもんのすけつばね よ ひ 右衛門佐ノ局 らぬも、悪逆の一門とみ、ののしって、その長所も美も、見よ うとはせぬ』 『されば、平家を賞めることなど、東国では、おくびにも出せ ませぬでの』 『衆愚は、ぜひもないが、義経すらも、平家を憎むの余り、平 家といえば、悪逆の巣の如く思いすぎていた傾きが無いでもな ひょどりご い。が、一ノ谷や鵯越えと、生死のちまたにかれらとまみ え、かれらのうちにも、幾多、惜しむべき人びとのあるのを知 : たとえば、首となって都に曝された九人の公達大将 おくびようかぜ 重衡の中将ともいわるるお人が、ゆえなく、ただ 臆病風の如き。 : また、和殿の手に預けられた重衡の中将殿のよう にふかれて生捕られたものとは、義経も初めから思ってはいな っ一 ) 0 、カ十ノ 『げにも、そのようなお考えにもとづけば、お互いみな人間同 何か、深いわけがあろう。人知れす、心に期すものがあって士、なかなか、辛いことでございまする』 のことにちがいない、と見ていたのである。 『世のゆがみや悪政の因は正さねばならす、そのための合戦、 で義経は今、土肥実平から、その重衡が親しくかれにもらしぜひもないが、しかし、平家なればとて、人を憎むべきではな たという述懐を聞いて、一そう、ひそかな好意を覚えるのだっ カた』 『何を、そのように御後悔なされますか』 わけて重衡が、自分を裁く良心のきびしさと覚悟の潔さには『首渡しの式なども、今となれば、なさねばよかったと悔まれ 一しお心を打たれて「人の身ではない。われも武門」と、おなるのだ』 『いやいや、平治ノ乱後には、平家も源家の義朝様を、おなじ じ悩みをなやますにいられなかった容子である 『 : : : の、つ不屏。 とてつ田 5 、つ挈、』 ように扱いました。もし、九郎の殿の思し召しにて、首渡しが ただ 義経は自分の考えを、実平の胸にも糾してみるようにやがて行われなんだと鎌倉殿や東国衆へ聞こえたら、おそらくお疑い っ , ) 0 . し / をかけられましよう』 せきねん 『いわずとも、平家は積年のわれらの宿敵だが、しかし、こん『とはいえ、平家が世を取れば、源氏の首を曝し、時経て、源 ふくしゅう すがた どの合戦にて、初めて、平家というものの相が、わしにも、ほ氏が世を取ればまた、平家の首を曝し、復讐に復讐を繰り返し しゆらどう てなど行ったら、人の世は無限の修羅道ではないか』 んとに分かった気がする』 『平家の相とは、どういうことを仰せられますのか』 『たとえば、源氏の多い東国にいて、平家といえば、知るもし反発しているのか、ひそかな赤面をもったのか、それには実 すがた 、けど うなじ きょ さら 466
その行家の参会を待ったのだが、夜にはいっても、ついに行不承不承、弁慶と伊勢三郎は、本軍とわかれ、一手となって 巻家は見えなか 0 た。物見の聞き込みでは、つい二日前に、その西方へ去 0 た。 殿石川城は亡びてしまい、木曾四天王の一将樋口兼光が、兵一千義経は「まず、よし」と見送っ三、、 オカなお、かれの細心な気 ゅうゆう くばりは怠りもない。 木を遊軍として、悠々、河内平野を出没しているという。 乃『ああ危いことだ 0 た。それ、見残しては、一大事ぞ』 そこを宵に出発し、夜半前には、宇治川の南岸に出たが、み 義経は、急に、弁慶と伊勢三郎を、近くによび、 ちみちの馬上でも、しきりに物見の報をうけ、次の物見を放っ 『木曾の内でも、樋口は勇のみでなく、思慮ある者と聞きおよなど、手繰るが如く、敵状を蒐めていた。 ぶ。その樋口が、都にも引っ返さず、なお河内にとどまってお『われの探り知るところ、敵もわれを探りつろう。馬を降りて 田 5 、つ るこそ心得ぬ。何か、期すところがないはずはない。 も、うかと河原に立つな。あだ矢に射られて、犬死にすな』 に、義経の手勢が、宇治川へ懸らん時、にわかに、あらわれ夜半のしじまの底から、宇治川の水声が耳にふれて来たと て、うしろを衝かんとするのであろう げにもおそるべき き、すでに敵の位置、兵数、防禦の状など、あらましは、かれ 樋口』 のあたまに描かれていた。 かわもや と、 上流から下流まで、川靄は深く、瀬々の水光もばかされてい そして、このばあい、 大切な兵ではあるがと、兵三百を割いる。義経は、ひと渡し、岸辺を馳けて、地の理をしらべ、 ふけわたし て、ふたりにさずけ、 『あれ見よ、あの柳の茂き所、平等院の北のほとり、富家ノ渡 『お汝らは、木津川境より、河内の野を見まもって、あす、わを、本陣地とするぞ』 れらが宇治川を越ゆるまで、樋口の襲い来るのを防ぎ止めよ』 各部将へむかって、弓の先でそこを指し示し、そして、 といいつけた。 『おのおのもまた、思いおもい、足場をえらんで、陣を取れ。 ゅ、げ 武蔵坊も伊勢三郎義盛も、「これは、心外な」といいたげでおりふし、雪解の水に、河の水かさも増して見ゆる。河原も狭 ある。 し、岸の上も狭すぎる。民家を焼いて、兵馬の出入りを自由に 晴れの戦場をよそにして、敵の偽計かもしれない遊軍の抑えせよ』 ったな に向かうなど、ばかげている。なんたる武運の拙さかと、泣き と、告げ渡した。 こがいぐみ たいような不平面を見せるのだった。 また、子飼組をかえりみては、 いら はしひめやしろ たかやぐら 『なぜ、おうと答えぬ。すぐ立て』 『お汝らの一部は、民家を毀ち、あの橋姫ノ社の西へ、高櫓を 『はっ 組め。他の者へも、なお次つぎに命じることなあるぞ。わしの こっぜん 『かかるまにも、魔かぜの如く、忽然と現われて、われらの虚命もまたず先馳けの功などゆるさぬ。構えて、義経のそばを離 を衝かぬものでもない。義経が樋口なれば、きっと、そうするるな』 る。はや行け、弁慶』 と、かたく戒めた。 っ一 ) 0 ・一と たぐ あっ 290
『なんの、ただ秀衡殿の、おん情。当るもあたらぬもない』 は、まず第一に、あまたの大船を持たねばならぬ。ところが、 『それや、どうかな。この景時には、のみ込めぬ。が、まあそ東国勢には、船がない。鎌倉の府は、海に近いが、もともと、 にわかまちゃ のような過去はいま問うまいここで糺さにゃならぬ儀は、おつい近年、にぎわい出したばかりの俄町屋。巨大な兵船を造る わざ ふなだくみ ぬし、平家に加担か、どうかだが』 技術も持たぬし、船工匠とて、そう急に集められるものではな 『吉次は、奥州平泉の人間だ。平家の浮沈など、あずかり知ら い。それも十か二十の数なら知らず、何百艘を海上にそろえる ぬ』 『ではなんで、屋島へ通い、朱鼻の伴トなどと、密かな会合 『ふうむ。そう観たか』 を』 『観ました。鎌倉殿の軍奉行なら、さぞ、その御調達に、い あきゅうど 『商人だ。おれは商人。商売とならば、屋島へもゆく、鎌倉へから頭を悩ませて御座るであろうと』 かどわか も日参しない限りはない』 『なるほど。稚子牛若を誘拐して、後日にものをいわせようと 『ふうむ。いや、おもしろ、 ししし様だわいいかさま、武門は したほどな男、よく観ておる。だが、九郎の殿とは、鞍馬以来 じっこん 武門、商人は商人だ。では、この梶原が申しつけても、商売との昵懇であろうに、あちらを背にして、当家への出入りは、ど なれば、勤めるか』 んなものか』 『いうまでもないこと』と、吉次は片ほおで、にゆうと笑って 『なにはばかりがありましよう。じつを申せば、この春先、入 さん ー『しこたま、もうけさせていただくならば、梶原どのもわ洛の御祝に、堀川の屋敷へも、顔出しに参じましたなれど、も じようとくい かかりゅうど が上花客。頭も下げようし、犬馬の労も惜しみますまい。なおってのほかな不愛想で、牛若の以前はおろか、平泉の懸人 、御当家の蔵をも富ませてお目にかけ ったことも、はや忘れ顔に』 よ、つ』 『はははは。きらわれたか』 『以後、足ぶみはせじと思うて引き退がり、そのままぶさた 『よし、よし。追ッつけ、一肌ぬいでもらいたいこともある。 いちど鎌倉のわが屋敷へ来てもらいたいものだが』 『御帰国は、まもなくで』 『むむ、およそ察しはつく。稚子のころなら知らず、今の九郎 おんぞうし 『鎌倉殿のお召しで、近く蒲殿も下向されるし、続いて、わし御曹司ときては、おぬしらの手におえるお人ではない。つい先 てんまっ まろうど も帰国のはずだ。御前において、戦さの頑末も申しあげ、ま刻も、客人と笑ったことだが、人が西といえば東、熱いといえ 言 た、この後の御方策など伺うことになるであろう。その結果、ば冷たいという。とかく逆手逆手を好まれて、世上をあっとい 放おぬしの力によって、調達を頼まにゃならぬこともある』 わせたい気持がつねにうごいてやまぬ見栄づよいお性だ。寄る みなしご 三『ははあ、読めた。そちらで欲しいと思う物は』 べない孤児のむかしを知る人間などに、なんで今、よろこんで 会うはずもない』 平『なに。分かっておると』 『船でおざろうが 。しかも兵船。ーーー屋島を攻める次の戦に この辺から、ふたりの間は、急激に打ち解けて行った。 ひとはだ ま た み み、カ イ 77