後白河 - みる会図書館


検索対象: 新・平家物語(四)
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1. 新・平家物語(四)

そのあとで、後白河は、 て居流れていた。 巻『冷泉』 そして法皇には、中門の櫺子 ( 廊壁を切り抜いてある格子の窓 ) えいらん 殿と、しずかに呼び、 から、その様を、やはり簾越しに叡覧あったのである。 び まだ西日というには早い浅春の樹もれ陽が、坪の内へ、光の 木「よかったのう。ゅうべから、どう成る空かと危ぶまれたが、 ううん 乃 これで妖雲一過というもの。そもじも、もう胸なでおろしてい 斑を撒きこばしていた。 義経がその日の装束を御覧ある 京 あかじにしきひたたれ くわがた かぶとお たがよい』 、赤地錦の直垂に、紫すそ濃のよろい、鍬形打った兜の緒を たか きりふ しげどう と、慰められた。 しめ、鷹の切斑の矢を負うて、重籐の弓を、そばへおいてい しるし 冷泉ノ局も、あの濃艶な黛を、常のものに、よみがえらせた。そして弓の一端を、白い紙で巻いたのは、総大将の符かと て、 おもわれる。 とびいろ くちもと 『まことに、ついけさまでは、世に亡きものとなるか、北陸の年ばえは二十五、六。鳶色の皮膚、しまった唇元、まゆ濃 空をさまようことかと、胸もそそろでございましたが、お上のく、眼はつぶらであり、すずやかである。どこといって、険し 御威徳でございましよう、まずまず、おめでとうございましさはない おおよろい かれん むしろその大鎧の装いにも似す、小柄なのが、可憐でさえあ よ早、 と、御座の前へ出て、祝いをのべた。 った。義仲ほどな美丈夫とは見えないが、つつましやかなうち さっそう 後白河は、すぐお立ちになった。そして、局を振り向かれ、 、颯爽の気をふくんでいる。 後白河は、そう見て取られ 『木曾武者は、見飽いた。見るもおそましい者たちではあっ しかしその、五尺すこしの小男の満身に、どんな多感 た。したが鎌倉の舎弟九郎とよ、 。いかなる男か。東国武士とと情熱が流れているか、野性の俊敏と、みがかれた知性が併せ は、どのような者どもか、きよう初めて見ることぞ。そもじ持たれているかということまでは、もとより、そのとき、後白 も、よそながら、見ておくもよからん』 河の直視に映るはずもない。 しゆっよ と、いいのこして、中門廊へ、出御された。 ずっと、以下六名の物ごしゃ装いまでを、おながめあっ 木曾が入洛して、初の院参のときは、義仲、行家のふたりて、やがて、 を、御座の階の下まで近ぢかと召し入れられたが、義経以下『遠くを攻め上りながら、よくも早く来つる。いずれも、ゆゅ の者たちは、中門の庭までしか通されなかった。 しげな者どもかな。皆に名乗らせよ』 義仲は、木曾の総大将たる者であったが、九郎義経は、頼朝と、かたわらの公卿をして、お旨を伝えさせた。 の代官であり、その弟でしかない、というためか。または「と かしこまって、ま・ず義経から、名乗って、 しようわん かく、武門の輩には、思い上がらせぬように躾けおくに限る」 『ーー生年一一十六歳』 とい , っ田 5 し召しか と、聞こえ上げながら両手をつかえると、ふと鎧のそでに、 とまれ、義経を加えた七名は、中門の御庭に、武者ずわりし南無宗廟八幡大菩薩と墨やかに書いてあるのが、お目にとま き一はし のうえんまゆ しつ れんじ

2. 新・平家物語(四)

- 一じよう て、以前のように院の主権を奪り返すであろうことをかたく信『あ、ありがたい御諚をば』 巻じ、剃ったばかりの髪をまた蓄え始めていた。 基房は、何か、支えを失って意気地ない涙の中に、朽ち折れ てしまった。 殿それにしても、世間は、おかしなものである。 義仲の邪恋にほとほと困りぬいていた事情は、かねて、お耳 木人は、かれが髪を剃ってまで、拝謁をとげた一事を伝えて、 に入れたこともある。しかしその後に起こった騒動を、どうし 乃「近ごろの美談」だといった。 京 てもう御承知なのか、自分以外、たれがここの御座所へ伺った それすらの行為が、人の美徳と映るほど、世間そのものが、 濁りきっていたのかも知れず、でなければ、無数の朝臣も、木者があったのか。涙の中にも、不審にたえない くち だが、法皇のお唇から、次のおことばが発せられたとき、基 曾をおそれて、あえて御幽居に近づく者も少なかったせいでも あろうか 房は、涙も急に止まるほど、胸を衝かれた。 『のう、松殿』と、後白河は、摂家への敬称を特にこう用いら れてーーー『むごい言葉には似るが、どう嘆いたとて、姫の身 いのち は、もう義仲の手にあるもの。というて、よも、姫が生命まで その後、公卿任官も行われ、庁官も首だけはそろえており、 は奪りもしまいおもうに、これこそ、宿命というものであ 従来からの女房もあまた住んでいたので、いまの院御所とて、 ろ。あるいは朝廷を御守護ある神のお旨かとも考えられる。 人少ないわけではなかった。 、キ - の : 姫は、院の存亡を救わんがため、すすんで、みずから魔の ただ、法皇の御座所まで行ける者は、前関白基房に、限られて いたのである。しかし、その基房も、持病とかで、ここ十日ほ贄になったものと、まろは思いたい。親のおもとに無理ではあ ろうが、おもとも、そう思うて、あきらめたがよい』 ども姿を見せなかった。年内もあと数日と押しつまってから、 『な、なんの・ もとより、ことはわが家の禍として生じた 驚くばかり窶れた姿を、御簾の下にひれ伏した。 早 - い 1 一う しゆくあ もの。これも何かの罪業そとあきらめておりまする。けれど、 『寒気のせいか、また宿痾を再発しまして』 まず、出仕の怠りをお詫びすると、後白河は、傷ましげなロしよせん、のがれえぬ禍なれば、せめて、君のおんためにもな むこせいもん れかしと、かねて覚悟もすえ、義仲の請うがまま、観誓文さ 調で、すぐ仰っしやった。 ぜんこう え、かれの手に渡してあるほどでございますゆえ』 『いなとよ、禅閤。おもとのわすらいは、持病ではあるまい さら 桂川の亭にかくしおいた冬姫を、木曾に攫われたがための、悲『ほ。それは初耳よ』 と、何かお気に入ったときによくするように、その分厚いお 嘆であろうが』 ひざをやや乗り出されて、 『やつ。どうして、そのような些事を』 なんだ まなむすめ 『では、松殿には、涙をのんで、義仲を紐にせんと約しておら 『いや、些事とは申せまい珠ともしていたであろう愛娘を、 れたのか。それまでとは知らなんだ。女人の黒髪は大象も繋ぐ 魔の手に奪われては、親、い、髪も白うなる思いであろうに。 とか申す。義仲が恋々として今日まで都を離れ得なんだは一に : 察していたぞよ』 によにん ぶあっ つな 264

3. 新・平家物語(四)

グイリ 大理 ( 実家 ) 、殿上ノ縁ニテ、仰セ下ス。彼ノ両人、地ニまわりに仕えているあまたな上﨟や小女房の群れだった。 ヒザマ 巻跪ヅキテ、之ヲウケタマ ( ル。 御所タルニ依ッテナリ 法皇の特別な愛をうけている女御たちのさざめきは、間もな サンニフ アヒナラ ち 参人ノ間、彼ノ両人、相並ビ、敢へテ前後セズ。両者、 く、そこへ姿をお見せになった後白河をかこんで、うれし泣き サウケン 都争権ノ意趣アルコト之ヲ以テ知ル・ヘシ。 、泣き伏すのであった。 なでん が、後白河は、たった今、南殿の縁で、木曾義仲と行家に えつけん 木曾入洛のその日、初の院参に、もう、光長といい、兼実と初の謁見を与え、 、義仲、行家の両者のあいだに、どっちも、おのれひとり ( やれやれ、ひとまず : : : ) ぞうじようまん が良い子になろうとする増上慢のきざしがあったと、いみじく といった思いで、御簾座から奥へ、おひきとりになったばか も看破していたのである。 りである。 アヒナラ 両者相並ビ、敢へテ前後セズ、争権ノ意趣、以テ知ルべ お体はまだまだ忙しい。お心にも閑はない。 女御たちの肉陣に、そのすべてを与えきる夜は、なおもう少 とは、おそろしい公卿的な観察というほかはない。 し、政務の処理を終わって、次の御方針をたてたうえでなけれ うるしつば みすうち あのとき、漆壺のような暗い御簾内にいられたが、後白河法ば、御心も向かぬことにちがいなかった。 きょ まなこ えつけん つばね 皇の炬のごときおん眼もまた、木曾なるものの実体を、謁見第『みなもそれそれの局へはいって、心から休むがよい。もう、 一日に、見て取られたのではあるまいか 平家は落ちたし、洛内の火もやんだ。ふたたび、まろが夜逃げ することも、まずあるまい』 わざと、冗談など仰せられて、法皇は、かの女らをあやし慰 ゅどの め、そして御自身は、お湯殿の内へはいられた。 当夜。 えつけんご 義仲、行家の謁見後も、なお何か、院議があるらしく、藤原 ていしん 実家以下、院の廷臣はみな、別殿に残っていた。 お わずかに、夜食の時間が、そのあいだの休息として措かれ、 い′、りト、、つ おんなぐみま そのタベ、蓮華王院のべつな門へは、幾輛もの女車が、浅燭をつらね、席次を正して、諸卿、着座して待っところへ、お もみじ みどり 紅葉を交ぜはじめた緑の奥へ、吸われるように隠れて行った。 湯浴みを終えたばかりの後白河が、てかてかしたお顔をもって ( 院には、おつつがなく ) 御出座になった。 ( もはや、ここへ御帰還とか ) おくつろぎである。 あぐら れん そう知って、一時身をかくしていた行く先から、思いおもい 簾を上げ、胡坐して、おいでになる。 とうのべんかねみつ に帰って来た丹波ノ局だの、冷泉ノ局だの、つねに法皇のお身 別当大納言実家、頭弁兼光、中納言経房、そのほか、ここに かんば やどり木 ア サウケン ア 0 あさ さねいえ しよく みすざ じようろう によ′一 ひま ふじわら

4. 新・平家物語(四)

うげん もののぐ 右舷に、近ぢかと見えている せん、物具解いて、休むひまもあるまい』 と、なげいていった。 巻『おう、月のかなたは長門の国、ここは豊前の山蔭の磯そ。門 ち司ヶ関もほど近そうな』 みな、黙ってしまった。 たった一つの欲望ーー・眠るーーーということすら今はままにな 都『なに、柳ノ浦へ、はや着くのか』 身は横たえても、なれない浪まくらに、寝もやらずにいたららないのかと。 しい人びとは、それと聞くや、みな、むくむくと身を起こし つい、ふた月ほど前の、西八条や六波羅の暮らしなどは、も う遠いとおい過去のかなたにかすんでしまい、疲れきった肉体 さつまのかみただのりむさしのかみともあきらのとのかみのりつね びようびよう 左馬頭行盛、薩摩守忠度、武蔵守知章、能登守教経など三、 とこの渺々とした西海の夜景のなかでは、思い出そうとして とばり も思い出せないほどである。 四十名の公達武者が、幕を一つに、雑魚寝していたのである。 『いやいや、ここはもう豊前なれど、柳ノ浦へは、まだ間があ『今さらいうも効いないことだが、なぜ内大臣の殿 ( 宗盛 ) に る。夜の白むまでは、なお、お横になって、眠っておられたが は、都落ちの前に、もっと早く、院後白河を、平家方へ取り籠 よろしかろ、つ』 めておこうとはなされなかったのか : 返すがえすも、それ まさとお やまがひでとお だけが、不覚よ。くちおしいことではあった』 山鹿秀遠の弟、山鹿六郎正遠が、人びとのあせりを諭した。 おちゅうど 六郎正遠は、九州の山鹿一族である。兄秀遠とともに、落人若い行盛と教経とのあいだで、ついまた、その愚痴が、くり ぶね みずさき 船の船列に乗りわかれ、水路案内を勤めていたのだった。その返された。 正遠の言では、信じないわけにゆかない。 幼い天皇は、自分らの中におつれ申しあげて来たが、かんじ ・ , ー、たれも再び横になろうとはしなかった。・ との顔も、まんな法皇後白河を、逸したために、以後、・ とれほど不利を招い だ追われているような敵中の眼をそのまま持っている。 はかりしれない。ゅうべ たことか。平家の禍となったことか 『浪まくらとは、よくいうたもの。去ぬる七月、都を落ちてよ からの、この九州落ちも、そのためである。 ひょうはく りゅうばう り、西海のあなたこなたを、ずいぶん漂い巡ったが、いまだ いや、都を落ちてから、かくも漂泊また漂泊の流亡をたどっ に、船の上ではよう寝馴れぬ : : : 』 て、いまだに居着く地を得られないのも、みな、そのわずか一 どこかで、ひとりごとめいたつぶやきがしたのへ、たれか、 つの手違いにあったといっても過言ではない。 そうりようどの 相づちを打っ声もする。 そしてそれは、ただひとりの総領殿 ( 宗盛 ) のせいである。言 『 : : : そうだ。柳ノ浦とやらへ着いたら、欲も得もない、ただ いいようのない失策 語道断な手抜かりとも、情ない暗愚とも、 土へ背をつけて、眠れるだけねむりたいのう』 だった。お人が好いゆえなどと、あきらめてはいられない すると、べつのひとりが、 『よく、総領のなんとやら俗に申すが、こう成っても、内大臣 やっ 『いや、そことて九州のうち、落ち着くまもなく、博多、太宰の殿のお姿には、さして窶れも痩せもみえぬ』 府、松浦などの敵勢が、前にも増して、襲せて来ようぞ。しょ 『こよいとて、船屋形にはいったまま、深ぶかと、よう眠って だざい のりつね との 18 イ

5. 新・平家物語(四)

ひょどり越えの巻 かれには、胸に秘めている大目標があった。戦さに勝つ以上 な使命とすら重くみていた。 それは何かといえば、三種の神器を、平家から奪り上げる ひょどり越え そのことである。 こんどの一戦に、後白河法皇が、凡下ですらも恥じてなしえ やっき ないような騙し討ち同様な詐計をめぐらし給うて、躍起となっ なおぎね 「おうつ」と高らかておいでになるのも、後白河が、源氏びいきであるからではな 直実父子は、後ろの馬混みの中から それはどまでに平家が憎いからでもない。 な声で、弁慶にこたえた。 はしかじ ただただ、お望みは、三種の神器をつつがなく、取り還した 椅鹿寺の作戦評議のときから、先の平山武者所と同様に、熊 谷父子にも、百騎をもって行けと、先鋒の命が下っていたのでい。それだけの御願望なのだ。 べつに、後鳥羽天皇をお立てになって、依然、朝廷のかたち ある。そして、その目標も土肥実平や平山季重とおなじ一ノ谷 じゅ と、院政の権は示しておいでになるが、天皇家相伝の神器の受 であった。 じよう あまつひ もちろん しわゆる天日 譲がなくしては、正しい即位でないことは勿論、、 初め、義経も、この藍那まで来てみるまでは。 つ 嗣をうけつぐ君とはいえないのである。 「敵の本陣地は、そも、いずこか』 だから、後白河としては「是が非でも」というお気もち を思い惑い、 冫かかっている さしずめ、主上の一が、この一戦こ 『地形からみても、一ノ谷よりほかにない。 範頼、義経らへ対しても、 行宮も、かしこの嶮にあらん』 『必ず、それを獲て来よ』 と察し、また、確信ももっていたふうだった。 という特命があったのはいうまでもない。 、敵地へ近づき、刻々の偵報も集まってくるにつれ、その 要するに、この一戦は、源氏としては、平家を亡ばすことだ 想定は、一歩ずつ変って来た。 が、院としては、あながち、平家滅亡が望みではない。「神器 わけて、駄五六から聞きえた新たな事実は、一ノ谷を敵の本 ′、み 1 過ぐ奪還の軍」たることが、源氏へ委嘱された本来の使命であっ 陣と見たかれの作戦図を、根底からあらためさせた。 る四日の故入道の法要さえ、海上で営まれ、主上はなおまだ輪 秘勅を奉じて、義経も、 田ノ岬のお座船においでのままであるという。 『いかにせば、無事に、神器を』 『みかどが、一ノ谷におわさぬからには、総大将宗盛、一門の と、心をくだいているのである。 老将、みな玉座をめぐって、船上にあることは疑いない』 ひとみ 敵陣への一番馳けや、大将首を狙うことなどは、その功名 こう、義経自身の眸は、一ノ谷から輪田ノ岬へと、移ってい あいな せんばう ひらやますえしげ ねら イ 2 り

6. 新・平家物語(四)

『と申されても、なんで野を立つように、御座をお立ちできまたらんには、大事も終わり、臍をかんでも追いっかん。女御に は、すぐあれへ乗れ』 の 殿『いやいや、寸時をあらそいます。おん輿に移らせ給わば、義命じるごとく、女房輿を指さした。 おお おん供には、義仲がお御簾のうちの巨きなおん眼と、局の視線とが、せつな、こと 木仲が自身、守護したてまつろう。 乃 る。お案じなされまい』 ば以上な何かを語った。 京 いま、義仲がふと不用意にロ走ったことーー宇治川からここ とつよく弱く、女性の粘りをもって、 までの距離の縮まりこそ、ゆうべから後白河が、おん眠りもな もんじよ 『それを案じるのではありません。御大切な文書やら、院ノ庁く待ちこがれているものなのだ。 いん の御印やら、そのほか、抛てぬくさぐさな物のお整えもあるこ異常なまでの義仲のあせりを見れば、あきらかにそのことは とですから』 ご前める 『な、なんの』 はや、宇治川の防ぎは、破られたにちがいない。 せんべい 義仲は舌打ち鳴らした。 東国武者の尖兵が、すでに近くまで、来つつあるのではある 『行く先をもって院御所となし、庁となし給わば、自然、それまいか。 らの物も無用。かえって一切が革まってよいかと存ずる。まも 後白河のお胸のうちを、その駒音が馳けている。冷泉ノ局 なく、ここは焼き払われましようそ。御危害のかからぬまに、 も、おどるばかりな心地だったが、と分かれば、なおさらここ 疾うとう、御座をお立ちあれい 女御には、あの女房輿ので、寸秒の時をも木曾に費させなければならない。 、っちへ』 もともと、後白河がかの女にささやかれた窮極の策もそれで 。ちと、待って給われ』 あった。しかし今はなお、髪の毛一すじはどずつな時の刻み 『なお、何事をか』 も、東国武者が飛ばして来る駒の一町にも二町にも値しよう。 『まいちど、お上の御意をも、よう、おうかがい申しあげてみ かの女は、必死な祈りと大きな運命の境を身の中にもち ますから』 ながら、かえって、自分でも疑われるほど冷静になりえてい 重たげな裳やたもとを、匂うばかり、ゆるやかに描いて、御た。 簾の方へ戻ろうとするのを見、義仲の我慢は、もう、そのもど義仲は、また怒号した。 かしさに、こらえきれなくなっていた。 『乗らぬか、女御』 『しゃツ。その儀に及ばうや』 『でも、この身だけでは、いけないのでしように』 声とともに、突っ立って、 『知れたことを。ーー、院のおみちびきは義仲が奉侍する』 1 一じよう 『常とはことちがう。いちいちの奏聞や御諚にかかずろうては 『ほかの、御近衆たちは』 おれぬ。とこうする間に、東国勢が、宇治川より鞭を上げて来『ち、公卿ばらとな』 よ早一 よい わば あらた よイ - むち ととの ほぞ 3 り 8

7. 新・平家物語(四)

命こそ、持つは命一つと、ようおん許から皆へ申しふく 正直に、宗盛は、西国落ちの意中をお打ち明けした。その後 はいえっ 巻め、一刻もはやく、急いで欲しい』 とて拝謁もしているし、また、院中の軍議も行われていたので ち いいのこして、内府宗盛は、すぐ帰った。疲労しきって、よある。そして、なんら御不同意な容子はお示しになっていなか かが った。気のいい宗盛は、すべて、おふくみのうえ、自分たちに 都けい重たげに見える体を、前屈みに、のつし、のつし、と歩ま せて、中門廊を出、外に待たせておいた馬に乗った。 御同心のものとばかり。今がいままで、ひとりで決めこんでい たのである。 要するに、後白河は、平家のウラをかかれたのだ。今ごろは かれに従って門を出た一群の歩騎の人影は、その足で、ほど どこかで「迂愚なる宗盛よ」と、笑っていらっしやるにちがい ほうじゅうじでん 遠からぬ法住寺殿の森へ急いだ。 主上、女院とともに、法皇後白河にも、同様な御退去を願っ だが、迂愚なる宗盛は、それでもなお、自分が出し抜かれた ぐぶ て、西国へ供奉しようという宗盛の方針は、だいぶ前からの考とは思いきれないらしかった。いつまで、その血相をたぎらせ えであったようだ。その夜の一門最後の評議でも「主上、法皇て、 のおん二方さえ、味方の内に取り奉れば、源氏は、天下に令す『なお、隈なくお尋ね申せ。宵にはまだ、しかと、御所にお在 るなんの口実も持ちえない」として、都を捨てる前になすべしたはずなのだ』 くらんど き、焦土作戦の眼目としていたのである。 人は探し出せたが、それは、下部や蔵人たちであった。ま つぼねつばね ところが た、日常、御前に奉仕する小女房などが、局々から、引き出 院の御所、法住寺殿は、その時刻ごろ、すでに、もぬけの殻されたにすぎない おおどのかや だった。巨大なる空巣となった大殿や萱御所、そのほかの建物それらの者を、ひとまとめに、庭上にすえ、宗盛みずから、 の内、どこにも、後白河のお姿はお見えにならない。 きびしく問いただした。 『や、や。完には、いつのまこ、、 冫しずこをさして』 『なんじらは、知りつろう。院には、そも、いずこへ御幸なさ ′一ちくてん 法皇御逐電と覚ったとき、宗盛は、体の筋を抜かれたようれたぞ。申せ。御幸のお行く先を』 ばうぜん 呆然としてしまった。そして、呻くがごとく、 しかし、何を問われても、 あざむ 『そんじ上げませぬ』 『下司のごとき奸智をもって、まんまと、われらを欺き給える やから かの女らは、顔を振るばかりだし、蔵人や下部の輩も、 と、ロのうちでののしった。 『いっこうに、何事も存じません。もし、御幸がほんとなら、 よし いま、思い合わせると、十日ほど前、院の近臣宗時をつかわよくよく、お密かにお出ましになったものでしよう。ーー・御寝 にはいらせ給うた後は、なんの御気配だにうかがわれませんで されて「危急のばあいは、どうする所存か」を、宗盛へ密々に した』 おたずねがあった。 かんち うめ わ

8. 新・平家物語(四)

たの ふたりとも、 心からは、愉しみえない平和とは知りつつも、平家の人びと しい合わせたように、浮かぬ色をたたえた。 巻は、ややもすると、無事らしさに安んじた。楽しい過去の日和睦には、反対でない。、 法皇のお扱いなら、ある程度の譲歩 は忍んでも進んで平和へ歩み寄ろう。けれど池頼盛が、鎌倉と らが、今にも返って来そうに思った。 わばくしゅ それにまた、一院 ( 後白河法皇 ) のお考えが、特に、和睦主義の間に立つのでは、和睦の意味がちがって来る。頼朝の情へ、 と にかたむかれ、鎌倉の頼朝へも、「和睦して、平家とともに、 あわれをこうような形になろう。それは、おもしろくない。 世の乱を、すみやかに鎮めよ」とないないのお使さえあった事 いいたげなふたりの眼元なのである。 実を、宗盛以下、みな知っていたからでもある。 『いや、池殿の儀はどうもと、自分も口は濁しておいた。一院 もとより戦は平家の好むところではない。従来、いつどこに にも、その辺のむずかしさは、ようお分かりになっておられ 起こっ . た戦いでも、平家方から手出しして起こした例は一度もる。ほんの思いっきを仰せられたまでにすぎまい』 えいりよ 無いのである。ーーー・宇治川のばあいでも、南都焼き討ちのさい 『さようかの。もっとも、叡慮を思えば、鎌倉の頼朝とて、そ しやにむ でも、もし、見過していたら、自己の滅亡は、寸前にあったのう遮二無 i 一の上洛もして来まい』 だ。亡き入道にいわせれば「食うか食われるかの、ぜひない防 1 : 北陸の義仲は』 ぎであった」とするにはばかるまい 『いずれも、ひとっ源氏。頼朝だに、和議をうければ、義仲は まつりごと 『一院も、お変りになった。故入道殿とは、政事のうえの、こ頼朝をもって説かせるという一院の御方寸かと拝されるが』 もっ とば仇。そのよいお相手を失うたせいか、ちかごろは、御心も 『なるほど。双方へお使をつかわされては、かえって、縺れに まろ やわらぎ、お人柄まで、円うなられた』 なるやも知れぬ。その辺の遠謀は、ゆるがせなき法皇。深いお かどわきどののりもり いまも、門脇殿 ( 教盛 ) の奥で、あるじと経盛が話しこんでい考えによるものであろう』 るところへ、ふと、また、立ち寄った宗盛が、 平家の首脳たちは、こうして、後白河のお扱いを、ひそか 『きようも院参の帰り途だが : 、期待していたし、毛頭、疑いもしていなかった。 そうちんなけい と、後白河の御近状を、そっと、おうわさするのだった。 事実、このごろは、院中の空気も明るかった。宋の陳和卿を 経盛も、教盛も、うなずき合って、 召されて、東大寺の大仏の頭を直すことで、幾度か、かれの ふじわらとしなり 『さきごろは、御不予とか、伺っていたが』 図解や説明をお聞きとりになったり、また、藤原俊成には「千 へんさん 『いや、おすこやかに、おわせられる。ほんのお風邪気であっ載和歌集」の選と、その編纂をお命じになり、おりおりには、 たらしい』 俊成を召して選歌の論講を求められるなど、世の危さも知らぬ せんとうの 『鎌倉方の意向については、何かおはなしが出なかったかの』 ような仙洞御所の静けさであった。 『それとは、御言明もなかったが、おりを見て、頼盛を鎌倉へ つかわすのも、よい思案だが、などと仰せられていた』 『池殿をか』 がたき 『お館には、お眼ざめでございましようや』 きみ

9. 新・平家物語(四)

と、ひとりをして、そっと、東光坊の内をうかがわせにや のと、昨夜来、一門退去の逃げ支度にかかっておる。主上はも しようちゅうたまあわ とよりかれらが掌中の珠、併せて、法皇のおからだをも、西り、笠に手をかけて、ふと、京の空を振り返られた。 くちびる 国へ窄じまいらせんと、かねがね、宗盛殿とのあいだには、御大きなお顔だ、お体つきもだが、眼、唇、耳、みな人なみ、 そう かい 黙契もあったらしいが、院の御真意は、そこになく、はやくよ以上大まかで線が太い。魁偉な相といえばいえる。 亡き清盛より九ッ下であったから、お年は五十七のはずだ り平家をお見限り遊ばしておられたのです』 ごせんこう が、どこにも老人臭がない。やや赤味をもっ柔軟な皮膚も、な 『さては、それゆえの御潜幸でしたか』 - 一うたく 『もし六波羅にさとられてはと、お側近くの女房たちゃ、日ごお五欲五情への旺んな光沢のようである。 りつし ほうじゅうじでん きんじゅ 『お待たせ仕りました。 , 律師覚日に会い、諸事、打ち合わせま ろ御腹蔵なき近習たちにさえお告げなく、法住寺殿を忍び出ら くちわ れ、途中、資時がお馬のロ輪をとり参らせて、虎口を脱して来したゆえ、御懸念なく』 さまのかみオけとき ほどなく、右馬頭資時は、東光坊から戻って来て、後白河の たわけです』 『おお、まことや、よくも危い虎口を』 前にぬかずいた。そして、黙々たる人影に迎えられて、後白河 もう疑う余地はない。覚日も、やっとうなずいた。いや、ど御自身も、やがて東光坊の内へそのお姿をかくされた 東光坊では、とりあえず、法皇がお憩いのまに、あたたかな こかで「わが意を得たり」としているような語調でさえあっ 供御 ( 食事 ) などさしあげ、資時と覚日らは、別室に額をあつめ て、 1 一あん 『どこにお匿まい申し上げたがよいか。そして、もっとも御安 かさかむ 目ぶかに笠を被らせ給い、旅僧めいたお身なりで、後白河は泰であろうか』 たたず を、すぐ協議しこ。 さっきから山門のやみふところに佇んでおられた。 くらまがわ 覚日たち、鞍馬側の意見としては、 資時の家の郎従数名がおそこ、 ふもとまでは、馬だったが、山道は、この者どもがお手を扶『ここは安全とは申されぬ。もし平家勢が、お迎えに来れりと 称して押し襲せたら、拒みきれるほどな武力もないし、かっ けたり腰を押し参らせて来たのである それにしても、どたん場へ来て、宗盛に背負い投げを食わせは、洛内にも余り近すぎる』 だいたんさいしん いうことであった。 この夜の大胆細心な御行動ぶりといい、貴と、 給うた手際といい、 コし 1 三ロ そして、お疲れでも、もうひと足のばして、叡山まで行け 人に似げない放れ業だ。武将もなしえない奇略である ば、御安心であろうにと、みないった。 白が、御自身は、そんな危い道を突破したともしていないよう 資時にも異議はない。 後な御容子で、 た しかし、叡山は昨今、木曾義仲の本陣地となっている。 『おそいのう。 : : : 資時は何しているのか。誰ぞ、見てまい 政 その義仲のふところへ、法皇が逃げ込まれたような恰好にな れ』 も 0 0 さか きた 139

10. 新・平家物語(四)

前夜相 と、 一き」れていたし、 貞能は、 波などへ また、月 / イ それそれ、防戦のため、発向したが、それまでの日時を、 発向したばかりの軍勢は、ちりぢりに、洛中へ逃げもどって来 ったい何に手間どっていたのか。集議をかさねていたのか、い また、宮中にも騒然たる気はいがうかがわれ、内大臣、皇后 かにも遅い出動である。 とは、たれもが疑ったことであろうし、九条家の家僕宮大夫、平大納一一 = ロ、堀河大納言、民部卿、右大将などの諸官 が、うろたえ顔をよせ集めて、 が、ひそかに、数えてみた通り、各部隊の兵力も、余りに少な かしこどころ 『かくなっては、賢所も、京の外へ、渡御あるべきではない 『北陸の大敗が、これほどまで、こたえたのか。一門の気概か』 『いや先例がない』 も、再起の意気を失ったのか』 などと、あすの日も信じられないように、立ちさわいでい 平家にゆかりある者の眼には、それを路傍にながめても、心 から嘆息されたにちがいない。 ところが、この非常時も知らぬように、後白河法皇の御所法 果せるかな、二十三日は、もう各方面に じゅうじでん 住寺殿の内外だけは、つねの通り、しいんとしていた。この静 『平氏の軍勢、利あらず』 けさは、なぞであり、不気味なほどであった。そしてまだ宗盛 という取りざたが高かった。 ぞう は、法皇のお肚の中に、何が蔵されていて、このような無風帯 日照りつづきの空は、ゆうべあたりからまっ黒にかき曇って したが、特にこの二十三日は、朝から蒸れるような暑さだつを呈しているのか、読むこともできなかった。また、疑いもし た。そして午後から、じつに久しぶりな小雨を見たとおもうてみなかった。 びやくでんいっせんいわしみずはちまんぐう と、加茂川の下流の方で、白電一閃、石清水八幡宮の宝殿のう しろにある大樹に落雷して、廻廊の一端が炎上した。 やがてタ立となり、加茂川の瀬々に、赤く濁った水かさが見 ゅうにじ え出してきたころ、美しいタ虹が無数に立った。 へんきゅう 夜空は、星を見せ、空もようやく、朝夕の変を急にしてき この夜、またたく星の下には、人思いおもいに、人界の各所 では、いろいろな動きがながめられたのである。 六波羅の灯の下では、 『もはや、これまでぞ、都をよそに遷し、西国へ赴いて、再度 の計をめぐらさん』 、 ) 0 うつ とよ う