千手の巻
かしやく このばあい、小弥太が投じた日ごろの不満は、狂える兵らに そう聞くと仮借なく、 まき 『この二股者を血まつりに上げろ。見せしめのため、首を、味とって、薪に油であった。木曾谷出郷以来、ともあれ、義仲と 生死をひとつにしてここまで来た者はーーーわけても義仲思いな 方の上に見せてやるがいし』 将士ほど いかにそれを常日ごろから口惜しがっていたかが と、辺りへ命じた。 五郎がそばへ寄って行った。ひらめいた太刀の下に、葦敷のわかる。 叔父は叔父でも、主君のためには、好ましからざる人物と、 体は血のなかへうつ伏した。 首は承の先に突き貫かれ、馬上の者の手から、揺れどよめくみな見ていたのだ。義仲が黙っていても、義仲が備中水島の出 軍勢の上に、高だかと差しあげられた。それ自体の重さで、首先から、あのような引っ返し方をした原因も、部下はみな知っ は、祭り行列の飾り物みたいに、ゆらゆら動く。また、生きてていたのである。 る無数の首がそれを仰いで、ののしるのか、悲しむのか、えた 『ゃあ待て。面々の申し条はもっともだ。何もおれとて、主君 いの知れない声で、わアわアさわいだ。すると、高くにいる首のおさしずをここで待とうというのではない。われと思わん者 くち も、下へ向かって答えるかのように、一そう揺れて、唇の辺か は、この根井について参れ。ーー院のおそでにかくれて、岩穴 びつこ きつわどの かや 1 一しょ ら、笑うが如き血のよだれをタラと垂らした。 の深くに住む跛行の狐殿を、これから萱ノ御所へ不意打ちかけ 『しずまれ、しずまれ』 て襲うのだ』 根井小弥太は、狂舞の群れをやっと制して、こう、大声で告 『おうつ、それよ。根井殿へついて行け』 げ」波した。 『いやいや、さように多くは要らぬ。人数は、三百もあればこ あしき 『なんと、面々。幸に、葦敷はここで成敗したが、たとえたれと足りる。あとはここに残って、おりおりに武者声をあげ、院 う′一うだむしゃ ひ を討ちもらしても、かんじんな味方割れの張本、あの新宮行家中にごッた返しておる烏合の駄武者どもを、ここの一点へ牽き つけておけ。 殿と申す厄介な主君の悪叔父を討ち損じては何もなるまいが』 その秘計だに覚られねば、行家の首を見るこ うつぶん ことばの途中で、かなたこなたから、それに応える鬱憤の声とは朝飯前だ。東山の上に、陽を見るまでには、この手に もとどり が多かった。 きやつが髻をつかんでおろうぞ』 『仰せまでもないことよ』 ト弥太はすでに誇っていた。物に憑かれた人間の形相であ 『叔父面をかさに着て、木曾殿に手は下せまいと、多寡をくくる。そして全軍の五分の一ほどな兵を選りすぐり、道を迂回し しれもの 獣っているあの曲者』 て、山の手方面へ急いで行った。 それから間もなく。 『ここばかりか、北陸でも』 AJ 『いまこそ、八つ裂きにしてくりよう。ただし、主命を仰いで阿弥陀ケ峰の南側の高所から、山風のような閧の声を起こ 合 あくみよう かやごしょ は、主君に叔父殺しの悪名がかかろうそ。やるなら、おれども し、どっと、瓦坂を駆け下って、法住寺の一端にある萱ノ御所 いうまでもな の手でやれ、おれどもの手でーーこ へ急襲して行った黒っむじの如きものがある。 ふたまたもの くだ ねのい っ とき 235
目次 くりからの巻 一門都落ちの巻 京乃木曾殿の巻 ひょどり越えの巻 千手の巻 三六七 四七九
はだ ・米 4 にか』 押しいただいて、鎧下の肌着にそれを秘めるかれの姿を見 巻『御のとおりです』 て、宮は、 ち経正は、すすやかなまゆをした。 『経正にも』 みようじよ 都『万に一つでも、不思議なる冥助があって、もし今日の運命が と、侍者の手から硯を与え、かれの返歌を求められた。 門ひらけ、都へ立ち帰る日がありましたら、その時こそ、かさね 経正は、料紙をいただいて、それへ、 かけひ て、経正に、青山を下し賜わりませ。 : が、おそらくは、こ すくせ くれ竹の筧の水は替れどもなほ住みあかぬ宮の内かな のおん琵琶とわたくしの、宿世の縁も、きよう限りかとぞんじ だいとうちょう ます。 ただ、大唐の朝よりわが村上帝に伝えられ、後、師と書いて、お答えした。 の君のおん手にも、朝夕御鍾愛あらせられた名器を、たとえ、 『やさしさよ』 てんじゅ 幾年が間たりと、身に持って、転手に手をかけたかと思えば、 と、幾度もおロのうちで誦みながら、法親王の宮は、なお涙 よろ - 一 よき恋人と、宿世をともにしたような歓びを忘れ得ません。 をあらたにした。しかし、とこうして、空は白みかけている ・ : 過分な倖せであったよと思いまする。 : 今は、末長く 名残りは果てしもない。経正は、さらに、まじまじとお顔をな ゆか 御座のかたわらに置かせ給い、青山の音いろの蔭には、経正あがめ、さいごの一礼をして、床を降りた。 どうよう りと、思し召しくださいませ。経正は死すとも、師の君のおっ ひそかに、前後の様子を、垣間見ていた仁和寺の童形 ( 稚子 ) つがなきを、あの世からも、お守り申しておりましようゆえ』や坊官や侍僧たちは、 『あわれ、ふたたび帰らぬ人の立っ』 宮は、法衣のそでぐちで、いっか、おん眼をぬぐうている。 と、門前にまで、見送って来て、別れを惜しんだり、慰めた 経正も、あとは、ことばもない 。こだ、青山の一器を前り、励ましたり、、 しずれも、そでを濡らさぬ者はなかった。 ほういんようけ、 はむろだいなごん に、冷ややかな大床に、身をひれ伏しているだけだった。 中でも、法印行慶は、葉室大納言の子で、経正が稚子のころ おむろ やがて、御室の宮は、 から、仲のよかった友だちでもあったから、経正が、「もうよ 『・・ : : 料紙を』 し、いくら送ってもらっても、名残りはっきないから」といっ すずりばこ と、侍者の行慶に命じ、行慶が供えた硯箱の筆をとりあげても、「もう少し先まで。いやそこまで」と、いっか桂川のほ とりまで一しょに来てしまった。 行慶も、そこで 〃あはれなり老木若木も山ざくら、おく あかずして別るる君が名残をば後のかたみにつつみてぞお れ先だち花は残らじ〃と別離を詠んで、友に示した。 経正の返歌にはーー・〃旅ごろも夜な夜な袖をかた敷きて、思 と、別離の一首を、経正に別された。 とあった。 へば我れは遠く行きなむ〃 『かたじけのう存じます』 『行慶どの、さらばぞ』 て、 すくせ 1 一しようあい おいきわか 722
よ、つこ。 をかけ、檻車に乗せて鎌倉へはいるべしとのおさたでもある』 『では、いずれまた、鎌倉表にてお目にかかろう。旅路も、あ 9 巻『ただの囚人同様に』 まっと の『さ、そこがむずかしい。余りに酷く見えては、かえって、諸とわずか、せつかく、お役儀を完うなさるように』 用談がすむと、時政は、北条へ帰って行った。 手民の眼に哀れを催し、鎌倉殿を非情のお人と思うであろう。 翌日、梶原の一行は、足柄山へかかっていた。山中の行路で 千ーー酷からず、そして、きびしく』 は、重衡の中将も、まだ、馬の背のままだった。 、よ、これまで通りでよいわけですな』 『では、扱しー たんたんうまや いたわ さかわがわ やがて酒匂川をこえ、これから先、鎌倉までは、坦々たる駅 『むしろ鄭重に、宥るかのごとくして、しかも、威を示して、 かどだ 路ばかりとなった門立ちの朝である 沿道の民に見せよとの御意だ』 てぐ、 - り 『心得ました。ただ一つの難事は、手鎖をかけるのを、中将ど梶原は、重衡の前へ出て、 『長の旅路、かつは、きのうの足柄越えなど、さだめし馬にも のが、御承知あるや否や、ちと懸念ですが』 『なんの、捕虜の大将に、否やを申す資格があろう。たとえ荒お疲れでおわそう。きようよりは、牛車をお乗物に当て申す。 あか なわ 繩にかけられても文句はないはず。さるを、故入道清盛どののまた御着衣も垢にお汚れの御様子、お召しかえあるがよい』 じようえ いたわ と、用意の浄衣をそこにおかせた。 五男なればと、ひそかには、お宥りあっての御処置だ。よく諭 しゅうい むしよくむもん してあげるがよい』 それは、無色無文の真白な囚衣である。 『いや、さまでのわがままはいわせませぬ。着府の日取りも相重衡は、だまってうなずいた。しずかな眸をそれへ注ぎなが ら「ーー。・鎌倉の府も近づいたそうな」と、ひそかに思うらしい 違なく運びますれば、君前、よしなに御上聞を』 容子であった。 と、梶原はさいごに、もう一度、頭をさげた。 洛内や戦場では、さかんに軍監かぜを吹かせて、出先の諸将 けんべいづらへんりん に煙たがられていたかれだが、ここでは、その権柄面の片鱗も わざわざ都からひいて来た網代の牛車。檻車 ( おりぐるま ) と 見ることはできない。 梶原にも、やはりニガ手はあるものとみえる。鎌倉殿と仰が呼ぶのはそれであった。 どころ むろん、四方の簾は高くまかれ、風も吹き通しだし、中の人 れる頼朝にさえ、みだい所の政子というこわいような存在があ る。 も見通しである。 宿の軒端から、うながされて、重衡はそれへ乗った。 その政子夫人の実父がこの北条時政だ。つねに表に立たず、 頼朝夫妻の〃蔭〃にはなっているが、蔭の力と作用を、梶原は座には、新しい素むしろが敷いてある。 かれが、それへすわるとすぐ、車の左右から武者たちが寄り 見のがしていないし、事実また、政治的な手腕にしても、線の ろうかい たかって、かれの両の手くびへ鎖の輪をはめた。鎖の長さだけ 太さや、老獪さにかけても、時政の方が、年齢もすこしうえだ し、役者もうえであることを、かれとしても認めないわけにゆは手も使えるようにはなっている。 かんしゃ めしゅうど ていちょう とらわれ あら す あじろ かんしゃ
『、つれしいぞ』 そして、少しの間、 浴衣ひと重になって、中坪の簀子 ( 縁 ) に 腰をおろしていると、 義仲は、わが肩ごしに、手をのばして、葵の手をにぎった。 『お髪を上げさせていただきます』 その手から櫛が落ちた。 櫛は二つに割れている。 と、いつのまにか、葵が、櫛笥をひらいて、かれの後ろへ寄 っていた。 ・葵はそれへ眸をすえた。不吉な予感に襲われたらしいカ 『お。葵か : : : 』 義仲は無造作だった。折れ櫛をつかんで、中の坪のささ流れへ 、ヾ学 ) 0 義仲は、振り仰し 投げ捨てると、 ひたたれ 『いとしいやっ』 かの女も身化粧をすましていた。濡れ髪を下げ、よろい直垂 と身を向け直して、葵のからだを、嬰児のようにひざへ抱き 一重だった。タ顔の花かとばかり、その美しいまゆは、兵馬の 営中なので、なおすがすがと見えた。 取った。 青い月しかのぞいていないはずだった。ところが、どこか、 木蔭の暗がりで、カサッと木の葉の露がゆれた。猫のように しおりど 『こうして、殿のみ髪を上げさせていただくのも、こよい限り背をかがめた人影だった。泳ぐように、柴折戸の外へ出て行こ か知れませぬ』 うとする。眼ばやく、義仲は見とがめて、 『待てつ、たれだ』 : そうなろうも知れぬなあ』 と一喝した。 タ月の下に、櫛を持ち、髪を結わせながら、平然と、死を語 る男女であった。 みよ 『わらわも、身浄めをすませ、はだには伽羅も秘めました。も女の声である。 う、いっ殿に先立ちましようとも』 しかし、ただの士卒とひとしく、粗末な小具足に、わらじば たむろ によへ 『はははは。そう死にたがらでもよし』 きだった。女房屯にたくさんいる女兵のひとりにちがいない 地へ、いすくんだまま、片手をつかえ、 『もとより死にとうはございませぬ。けれど、女の討ち死には 武者輩の討ち死にとは、違います。心も違うておりまする』 『どう、違、つ』 いつまでも、その顔をあげようともしない 隷『たとえ、戦さの中で斃れても、わらわの死は、恋死にと田」し葵は、義仲の胸に抱かれたまま、義仲と一しょに、その影 しゆら くださいませ。殿なくば、なんで、修羅のちまたにおりましょ へ、冷ややかな眼をやっていたが、やがて鋭く、 によしよう う。女性の身が、打物とって、千軍万馬の中までを、こうお慕『お、山吹じゃな。そなたは、山吹であろうが』 し と、とがめた。 美いして、戦陣から戦陣をあるいておるのも、恋なればこそでは : はい。山吹でございまする』 ございませぬか也 くしデ きやら いっかっ ねこ
めにも。また、うしろ髪の思いを断っためにも』 西八条は、東寺の北から壬生、八条坊門の南辺まで、一族の むねかす 巻 かなたの馬道門の上へ、宗盛はまた、もどかしげな眼をやっ棟数五十余軒といわれ、林泉の美、建築の粋を、日ごろは、競 の っていたものである ちた。屋根の人影は、なんの合図もまだ見せない。 よも 『 : : : むかし、父禅門が、この地を開き給わぬ前は、ただ野水またそこの、平相国清盛が、晩年よく起居していた " 蓬ノ 都 つば ていかん かれいこうだい や葦ばかりの、さびしい六波羅野であったという。火をかけ壺〃の第館も、どんなに華麗宏大な殿楼づくりであったろう ・一うりよう て、もとの荒寥たる枯野にもどし、去って、福原の父の墓所にか。 ぬかずこう。不肖の子のカ及ばず、こう成り果てた次第を、ふ かの、資盛の恋人であり、また建礼門院の側近くに仕えてい わ かぎりもないが』 かくお詫びせん。 : 口惜しさは、 た女性の右京大夫が、その家集に、書いている一節にも、 しよう 身を床几にかけたまま、かれはいっか、落涙していた。あた 春のころ、宮の西八条へ出でさせ給へりし程に、月 ごんのすけらうえい りの将士のてまえもなく、しきりに、両眼を指でぬぐった。 あかき夜、あたら夜を、ただにや明かさむとて、権介朗詠 つねまさ よれん すると、門屋根の上で、 し箝をふき、経正琵琶をひき、御簾の内にも、琴かきあは 『もう、火を放つも、よろしいでしよう。総門道は、五条の橋 せなどして、おもしろく遊びしほどに。 づめまで、東の大路は、松原の南のはずれまで、人馬の影も、 まばらとなりました。幾千軒の屋根の下にも、はや、人がおる などと見え、おなじ月の座には、あるいは、清盛もい、二位 とも見えません』 ノ尼もいて、水入らずのまどいに、花の夜のはなも静かな世間 ひと・一ま 手を打ち振って、そこの清房もいし 一方の清宗も合図してと人生の一齣をいかに楽しんだことかとしのばれる大屋根もあ る。 宗盛は、われに返って、左右の侍大こ、、 当。カねて示しおいた それらの建物も、今はすべて、大紅蓮の裡だった。紫焔、白 二十幾カ所の家いえへ、一せいに火を放てよと命じた。 焔、紅焔の怪しいばかり美しい火のため息が、黒煙の中に聞こ たいまっ 無数の松明に火を点じ、手に手にそれを振りかざした兵馬のえるだけである。 影は、つじつじを東西にわかれてゆき、やがて京中に放火し始 一方、六波羅の火は、ここ以上にも地域がひろい。 めた。みずからの古巣をみずからの手で、惜しみもなく、焼き 五条松原から七条にわたる二十余町のあいだ、 一門臣族の第 尽して行ったのである。 宅は、大小五千二百余軒もあったという。 ちょう 六波羅建築群は、南ノ庁、北ノ御所、池殿、泉殿、法領寺と わかれ、小松殿は、山ふところに離れている。 京中二十数カ所の屋根から、炎は、いちどに天を焦がした わけても、泉殿が、いちばん古い しゅうらく が、六波羅、西八条の二聚落が、わけても巨大な火の海となっ清盛が、この地を開いた当時、本邸としていた薔薇園の亭で たのはいうまでもない。 ある。 えんこうえん とうじ 0 りんせん だいぐれんうち でんろう しようびえん しえんびやく
鈴を振り、右の手に矛を持ち、持国天、広目天、増長天、多聞つけた。 てん きギ、 かぶと あかじにしきひたたれ はちかぶと 天などの名を刻んだ兜に、赤地錦の直垂という奇妙ないでたち荒次郎の鉢兜は、かんと音を発したが、かれ自身には、なん で、築土のみねをかなたこなたと走りながら、 のこたえもなかったようだ。かえって、矛の柄を手繰って、敵 はず 『さるを、義仲ごとき暴主にひかれ、命を落して、なんとするの手許へ弾み込もうとした。 まっと いんがた ぞ。ただ今、院方へ降参いたせば、一命も完うし、後のち、御 けれど、知泰もさる者で、カに釣られると見せて、逆に、矛 ほくめん 所の北面に重く用いられもせん。また第一には、院宣によらねを手から離したので、向田荒次郎は、矛と一しょに、勢よく、 かて ば、天下の食糧は寄って来まい。されば、信濃の村上三郎判官築土の外へ、もんどり打った。 で当然、知泰はまた築土の 代のごときも、義仲を見かぎって、御所の守りについたるぞ。 内へ飛び降りてしまったのである。同時に、「わあっ」とかれ ちょうしよう そのほか、なんじらの一類より心を変じて、院へ降参の者も日をくるむ声がした。こんどはかれへの嘲笑ではない。その勇 日少なくはない。今のうちならまだ間に合おう。なんじらも疾と機知を賛えての味方の喝采だったらしい くだ うとう降って、弓矢の仕えを誤るな。木曾を背にして、降って 来い』 かれはそのことば通りな信奉者であった。鈴を振り鳴らし、 向田荒次郎は無念がった。すぐ跳ね起きて、ふたたび築土へ 声をからして、叫ぶのである。 よじ登り、「おれにつづけ」といい残すやいな、むらがる敵兵 てんぐ これをながめて、かれの味方の公卿たちは「知泰には天狗がの上へとび降りた。 っ 憑いた 」といったそうであるが、しかしかれとすれば自己『向田を討たすな。続けよ面々』 の信念に殉じるほどな気概だったに相違ない。そしてその説得『そこ乗りこえろ』 力は、敵の耳を確かにとらえた。築土の外の木曾兵は、ひたむ『衝き破れ』 きな眼いろの奥に、ふと、ためらいにも似たものをたたえた。 保科四郎以下、その手の二、三百人は、兵に兵を積み重ね 『ゃあ、鼓ノ判官とやらが、また何か、築土の上で舞ったり火て、築土を乗りこえ、院の御庭内へなだれこんだ どうけ えたりしておるそ。射るはやすいが、道化たやっ、あの道化者 一角の堤は切れた。 を生け捕りにしろ』 遠矢を射込むこともせす、初めから身をさらして院庭へ乱入 ほしなしろう むこうだのあらじろう 木曾の一将保科四郎の声の下から、「向田荒次郎そ」と名乗して行ったこの手勢は、もちろん、暴勇を奮い抜いた。しよせ ひとばしご いんがたう - - う った男が、味方の人梯子から飛びあがって、築土の上に、立ちん、公卿大将の指揮する院方の烏合の兵などはその敵でない。 あらわれた。 しかし、おそろしく広い御庭なので、それとて、まだ大勢を 『これは』 揺すぶるような合戦ではなかった。 こんごうれし 火驚いた知泰は、やにわに手の金剛鈴を相手の顔へ投げつけ、 この日の、じ 0 さい上の激戦は、やはり義仲が馳せ向か 0 た 敵が面をそむけたところを、さらに右手の矛で力いつばい撲り大和ロ西の御門に発したと見るのが正当であろう。ーーー何し っ かっさい みにわうち
あるそ』・ 『されば、敵は十万と称すものの、実数、五万八千から六万と と、七団の軍列の間を、とうとうと、ひづめの音高く、馳け思われまする。かねてお報らせの如く、平家はその大軍を二手 ただのり とものり て通った。 にわけ、一手は平通盛を主将に、忠度、知度、経正などが扶 ななて たいしよう じんだて 全軍を七手に分けたのは、横田河原で大捷したときの陣立でけ、およそ一万八千騎、加賀、能登の国ざかい、志雄山、氷見 ななてぞな ある。以後、木曾勢は、それを吉例とし、七将星七手備えを、 をこえ、越中の伏木に出ようとしております』 つねとしていた。 と、述べた。そしてまた、ことばを続け、 えっちゅうもりつぐ 巡陣を終わると、義仲は、御河端の御祓岩に駒を降りて立っ 『べつの一手は、維盛を大将に、淡路守清房、越中盛嗣、飛騨 た。むかし、庄川は雄神川とよび、雄神の社領だった河端三十判官景高など、歩騎四万余の大部隊にて、越中路の近道、すな ゅうゆう 町は、魚鳥禁断の場所とされていた。御祓岩はその遺跡である。わち倶利伽羅越えをさして、悠々近づきおりますれば、きよう しよう - 一う ここに床几をすえ、叔父行家、四天王などの股肱を左右に 中には、森本辺に陣取り、あすは、倶利伽羅を北へ越え出でん かれは、 こと、必定かと思われまする』 けんこんいってき 『いよいよ、平家との乾坤一擲の日は近づいた。敗れたら、こ と、結んだ。 とここに終わるというもの。勝ったら、おれは一躍、都へのし すぐ、あとを、義仲がうけて、 上って、天下をにぎろう。面々の運不運も、今明のうちにあ『聞かれたか、人びと』 る。男と生まれ、おたがい、悔いのない生涯をしようそ』 と、一倍、ことばに力をこめた。 と、烈しい語調でいった。 『つまりは、敵にとっても、味方にとっても、きよう一日が、 木曾三十八将とよばれる面々の眼が、らんとして、義仲の顔いとまに過ぎぬ。思慮をめぐらすも、士気を養うも、きよう一 ひとっへ集まった。巴や葵の眸も、義仲の横顔を横の座から、 日でしかない。 そこでおれの思うには、平野の合戦より ふさ 見すましていた。 は、山戦さだ。敵、倶利伽羅にはいらば、山路を塞ぎ、奇兵を 『おそれはせぬが、敵は味方に倍する大軍。平野合戦では、 忍ばせ、山中の諸所で撃ち悩まさんと存ずるが、その策はどう く S ・カら 勝目が乏しい それゆえ、もし敵が倶利伽羅の嶮をこえ、 であろ。ーー幸に、おれどもはみな木曾生まれ、また、土着の 小矢部川の平地へ出たら、一大事と思え』 将士も味方には多い。それに反し敵兵は、洛中、近畿、西国兵 ぼね ここで、かれはことばを切った。そして、後ろに控えていた などの柔弱骨、かつはみな案内知らずよ。 おれどもの得手 とする山合戦なら、ひとりが十人にも当り得ようが』 迷物見頭の井上九郎光基へ、あごをしやくって、 羅『光基。ーー・今暁、そちが見届けた通りを、そこで語れ。敵の 『げにも、山中を足場に取るならば』 くどうおん うごきを、皆に話せ』 者一哥は、異ロ同音に、 倶と、命じた。 『お考えは、上乗とぞんじまする。このうえはただ、おさしず 3 井上九郎は、床几へ向かって、一礼してから、 を賜わって、一ときも早く、砥波山の要所を食いとめおかねば しよう みそいわ し となみやま たす
に、葵を死なせてくださいませ。巴さまとて、殿と御一しょの 巻巴は、室のまわりを見まわした。 お覚悟でございましようが』 ち妻戸の蔭か、簾の外に、あの勘のよい山吹が、聞き耳をたて葵は、これをいいたかったにちがいない よのもの 都ているような気がしたのである いい終わると、夜具の下へ手をひいた。そして、病人がひと 一葵も、うわ眼づかいを、まくらごしにうごかしながら、静脈りして愉しむときの、あの遠くを見るような眼をして = ッと白 のあらわなその手をさし伸ばして、巴の手をかたく握った。 い唇の端で笑った。 『わらわは、仕返しされたのです。口惜しゅうございまする』 と、室の外で、 あおいごぜ 『葵御前。めったなことは、、 しわぬがよい』 『巴さま。ちょっと、お越しくださいませ。おそれ入ります 『ええ、人には申しませぬ。けれど、巴さまも、お気をつけな が、お急ぎ給わりませ』 によしよう されませ。おそろしい女性はあの山吹です。次には、あなた様と、あわただしげに、侍女たちの呼ぶ声がした。 をも失うて、殿の正室になろうなどと考えていない限りもあり ません』 『やめて給も、も、フ、そのよ、つなことは』と巴は、 , つるさげに 笑い消してーー『きのうきようのむずかしさ。殿の御運命す ら、おばっかのう見ゆるのに』 『は , んに・ 鎌倉勢の駒の音が、都をさして上って来るのが 聞こえまする。 : こうしていても、わかります。・・ : : 御合戦 の日は遠くない』 今しがたのことである。 たてのちかただ こんよう 『東には鎌倉、西には平家。それさえあるに、内輪では、十郎楯親忠の郎党らが、今暁、仁和寺の付近で捕まえたというひ ひょうり ろくじようなわて おおたけやぶ 行家殿の表裏やら、院の法皇のお憎しみ : : : 。殿おひとりへ、 とりの旅の男を、高手小手に縛めて、六条畷に近い大竹藪の まるで八方攻めの今のかたちではないか 殿がお可哀そうでな うちへ、しょッびいて行った。 ごほうらっ らぬ。殿の大酒も御放埒も、お胸のうちを察しれば、むりも無そこの竹林へ連れ込まれた者は、たいがい、二度と出て来る なわっ やと、思われて』 ことはなかった。わけて今の繩付きは、鎌倉方の密偵とののし しゆら 『どうやら、修羅は、近づいておりまする。殿も、それを御承られていた様子からも、当然、いつものように、すぐ首を打ち 知ゆえの乱酒でございましよう。ああ、お可哀そうな殿。 落されるに極まっている。 巴さまも、そうお思いなされますか』 、つこい、仁和寺付近では、よく同様な〃怪しき者〃が捕ま ときわいどの 『妻ですもの』 った。それというのも、仁和寺境内の常磐井殿という一院に 『お願いです。もしもの日には、どうぞ、殿の御馬前で、とも池大納言主従が住んでいたからである。 きみ やまぶき 質ち 子し 消 う 自そ じ、く 2 り 2