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検索対象: 梅里先生行状記
401件見つかりました。

1. 梅里先生行状記

『よこま 「 : : : やらぬかって ? なにを』 ばくゆう ため 『老公のおん為に、いのちをさし上げちまうのだ。亡父のト幽 記『そんなことを、めッたにロにして』 ゃなさわしかく 行「貴さまが、幕府のまわし者や、柳沢の刺客でなくば、云ってがいただいた御恩返しは、それしかない』 また すいはん それとも、貴さまも亦、わが水藩の毒む『 : 先もかま、つまし かろうふじいもんだゅう 里 し、家老の藤井紋太夫にこびて、柳沢にとり入り、ケチな出世『いやか』 わりまえ 『わからない、わしには。老公へいのちを上げるなどというこ の割前にありつきたいか』 めんばう とは、日頃のことで、ちっとも、改ったはなしじゃない』 『よ、よに。この麺棒め』 『む、む』 『麺棒とはなんだ』 ちん 鼻のまわりを、くしやくしやにして、又四郎は、狆みたいに 『もういちど、云ってみろ。拙者を、武士でないというのか』 膝をつめよせると、手に鉈がふれた。けれど林助は、鉈の柄笑った。 「偉い。やはり老公のお側にいるだけのものはあるぞ、貴さま はにぎらなかった。からだの構えが自然、居合腰になるため、 その通りだ。おれのロが足らなかった』 鉈では用をなさないのである。 頭を下げて、 すいはんめつばうひん 五 「いまのままで抛っておけば、きっと水藩は滅亡に瀕する。老 うたぐ 亠只さまに限っ 公の御安全すらおれは疑っているのだ。のみならず、老公が御 『ばかだなあ、なにも怒ることはあるまい せっそう 一代をかけ、また藩の財力をかたむけた御事業はーーあの大日 ては、節操を売るような武士ではあるまいといったまでだ』 いんめつ かんべき むずか めようまた 又四郎は坐ったまま、両股をぐっとひらいて、その膝へ、両本史の完璧は、まず難しい。幕府の手で、いま迄のものは堙滅 だんあっ され、これからの仕事は、弾圧されるにきまっている』 の手をつッ張った。自然、猪首が前へ出て、林助の顔とくッっ 『挈」、つ・かーレ、ら』 きそ、つになる。 「なぜといえばだ。大日本史を大成しようと思し立たれた老公 刀に手はかけたが、林助はその手を、どうにもできなかった。 - 一しゅし にらみつけているまに、又四郎のほうは、笑いを浮べているの御主旨はどこにあるか。真の国体のすがたと、君臣のべつを じゃしん それと反対ないまの世 明かになさろうとしたものだろう ではないか。その顔にはまたなんの邪心もみえない。 ばんしん 上と、国土の将来を憂えられて、一藩一身の利害などは考えら 「おい、林助え。どうじゃあ』 おもて あばたの一つぶ一つぶがみな笑っているような面をしやくッれずに、あれへ生涯をおかけになったとおれは観る』 『そうだ』 て、又四郎はささやいた。 : とすれば、これは幕府にとって、この上も 「そうだろう。 「どうじゃ林助。おれといっしょにやらんか。貴さまの、い根 そうけとくがわ はんぎやく ない反逆た、家康公のお孫と生れた老公が、宗家徳川には由々 を、しかと、この眼が見とどけて、相談するのだ』 ひざ なた ひざ 0 うれ 0 ち

2. 梅里先生行状記

なお 士の住居を繕すに集まって来てくれておる。ーー勿体ない事で あんかん ある。何で、わしが安閑としていてよいものか』 舟 七月。山城国を中心に、大地震があった。 そう云って、 石 伏見の都市は、もっとも被害が多かったので、伏見の大地震『孫よ。土を担げ。ーー土を担ぐも兵法であるそ。 五郎右 生 むねのり といわれている。 衛門と宗矩とは、その石垣の崩れに石を積め。ーー石を積む もちろん大和も相当に震れた。 は、智を積むのだそ、智を積むのは、手でないそ、頭で積むの 七、八百年も前から祖先代々住み古している柳生城の石垣な ほ・つかい ども、至るところ崩壊して、土の肌をむき出していた。 と、従えている子息や孫たちを指揮し、その労働のあいだに かし 農家も傾いでいる屋根が多い。秋も近く、百姓はたださえ忙も、何ものか、学ぶものを得させようとして訓えていた。 しいのに、各の家の事も措いて、 家士も日頃から百姓仕事には馴れている。主従は一体となっ 『お陣屋の石垣から先に』 て汗と土にまみれ、明るい初秋の陽の下に、勇壮な鍬の音、土 あが と、その修築に集まって来た。 の音などが、掛声の中に揚っていた。 まわ のらじたく 領主の資格がなくなってからでも、柳生城の周りの百姓たち ばらばらっと、大手の坂の下から、やはり野良支度の家士の は、石舟斎を見かけると、 ひとりが駈け上って来て、 『御領主さまが』 『甲斐守様がお越しになりました。ーー黒田甲斐守様が、ほん と、単なるロぐせではなく、心からなついて、以前と少しものお身軽で』 変るふうが見えなかった と、あわただしく告げた。 石舟斎も、子どもや孫共を従えて、自身、諸所の崖くずれや石舟斎は、鍬の柄を立てて、 仆れた門の修築を指図し、又自身手をくだして、泥まみれに働『なに、長政殿が』 いていた。 と、坂下へ目をやった。 『お年をめした大殿様が、わし等の手で足る土仕事を、あのよ馬を家臣の手にあずけ、ただ一名で、もうこれへ登って来る うに迄なされないでも』 人が見える。黒田甲斐守長政の姿であった。 わらじ と、百姓たちは、家士を通じて、幾たびも、石舟斎が草鞋な ど召さないようにと願ったが、石舟斎は笑って、 じよすいちゃくなん 『とんでもない事だ、それは百姓共へ対して、わしの方から申長政は、黒田如水の嫡男であった。 よしたか すことばだ。百姓たちは、田にあって働ければ、五穀を産む手彼はまだ若い。しかし父官兵衛孝高が早くも薙髪して、その をもっておるのに、その暇をつぶして、わしの如き、無禄の隠封土豊前十六万石の家督を譲っているので、長政は若くしてす たお すまい ちはっ くわ 382

3. 梅里先生行状記

なのもーーー其処から垣の外に見えた。 判っきり云わないが、恋するが為に、真実を吐いた剛右衛門 すごみ くまただよ 屋『扇小路 ? : 扇小路と今云ったな。 : こうしちゃあ居らの顔には、正視できないような凄味が、眼の隈に漂っていた。 きっと ししか。迎え状をよこすから、屹度、後から大坂表へやって 下れねえ。夏菊、又会おうぞ』 天剛右衛門も、遽かに、眼いろを変え初めた。夏菊は、その袂来いよ。先を急ぐから、じゃあ今夜はーー』と、袂をさぐり、 ふくめんきれ ちしお 版 をわざと固く引き止めて、 血汐のついた覆面の布を彼女に渡して、 新 『では、この儘もう上方へ : ・・ : 』 『人目に触れぬよう、後で、紙屋川へでも捨ててくれ』 『さ。何うなるかも知れねえが。落着いたら宿を知らせて寄来と、云い残して、あたふたと裏口から立ち去ってしまった。 す。そしたら尋ねて来るだろうな』 『でも : : : 貴方は何だか、私へ秘し立てしているんですもの。 べっとりと、血の香のする布を手に持って、彼女はいっ迄も そんなに信じられないような私なら、お側へ行っても、いっか立ち恟んでいた。 はなれ 捨てられるに極っている』 いっぞやここの離室で、中村治郎兵衛と剛右衛門のふたり のがみしようはく しつ俺が秘し立てを』 が、お茶道の野上松柏を責めつけて、 たちの はっ げんば 『何ういうわけで、この岡山を立退くのか、その理さえ、き ( 菊見のお席で、玄蕃に毒をもれ ) ものかげ り訊かして下さらないではございませんか』 と、云っていたのを、彼女は物蔭で聞いていたのである。 ちか 『俺の女房になると堅く誓うなら、聞かしてもやるが』 それから、松柏が帰ってからのーー二人の密談も。 『ええ。 : その理をぜひ』 その翌日。御城内に勤めている幼な友達の千鶴へ、細々と手 『聞きたいか』 紙に書いて、出しておいたのも、彼女であった。 『知 . りと、つ、一」ギ、います・』 お千鶴の父は、林玄蕃のやしきに永年奉公していた人。その きっと ちゅうげんづと と一 『屹度だな』 兄は、今も同家に仲間勤めをしている弥市でもあるし あれつ、と彼女が顔を交すまもなく、剛右衛門の迅い手 ( 何うなったであろう ? ) は、むずと、夏菊の顔を抱き寄せて、髪に挿していた銀の笄 と、実はきようも一日、密かに、案じていた所なのである 早、しき を抜き奪ってしまった。 そこへ、剛右衛門が見えたので、心ならずも座敷へ出て、相 きっと あかし くちうら ひとしな かえ 『屹度、女房になると云う証に、此の一品は貰っておくぞ。手のロ裡を聞き出そうとしてーー却って彼の独り合点な口約東 ちくてんはらきめ 、しず あかし 所で、俺が急に逐電と肚を極たなあ、さるお方のお指図と、その証だといって、銀の笄まで持ち去られてしまった。 か で、浮田家の柱といわれる人間を今夜手に斬けた為だ : : : 夏思い出しても、そっと、身ぶるいが出るほど嫌な剛右衛門で てめえ 菊、こう打明けたからには、汝の体は俺の体、他言をすると承あったが、 知しねえそ』 『無駄ではなかった。これも彼のお方のお為と思えば : と まま わけ かわ わけ はや かんし たもと すく ひそ あ かんざし ため - 一ま一一ま 0 0 226

4. 梅里先生行状記

『・十、 0 それで近所の噂など、聞いているのでございましょ 重次郎はもう疑いもしなかった。で、ほっとはしたが、源三 辻に映す影 郎は何だか兄を騙しているようで、胸が咎めた。 すき それと、絶えず後が気にかかるのだ。兄の隙を見ては、道を ちゅうげん 姫路在の博労の小介老爺は、仲間の宇太平の叔父にあたる者 振返った。 夏菊が遠くから従いて来る。 ちくてん で、岡山を逐電すると直ぐ、剛右衛門はここに身を潜 ( 自分を慕って : : : ) はやしげんば ふびん と思うと、源三郎は、その姿が不愍になって、たとえ何んなめ、城下の騒動がどう落着くか、自分が手にかけた林玄蕃の遺 すきま 族たちが、何う離散するかなどーー石垣の隙間にいる蛇みたい 事があろうと、捨てられない気がした。 み、ぐ に、世間を探っていたのである ( 恋はしても、それに溺れなければい、。 敵を討ち、そして立 わすれがたみ ( 玄蕃の遺子、重次郎、源三郎の兄弟に、重次郎の妻お梅も 派に、家名を再興してみせれば ! ) のが 独り胸のうちで、そう思うのだった。 一緒に、山越えして御城下を遁れ、大坂方面へ奔った様子 ) と、いう情報も手にしたし、又、 かたき お ちか ( その三名は、敵を討たずに措かぬと、一族一門へ誓って立っ かたわら 一方。ーーー辻堂の傍に、斬り捨てられていた浪人者の死骸 はんとき とも、彼の耳に聞えた。 には、それから半刻ほど経っと、同じ浪人仲間らしい手輩が ひじちょうもく 三、四人ほどかたまって、 彼の飛耳張目になって、方々からそういう風の便りを聞き集 めて来るのは、村にごろついている浪人共で、剛右衛門は、そ 『や、権右衛だ』 や 『殺られている ! 』 れ等の者に金を与えて、巧みに使っていたのであった。 てがら 『こいっ奴が、出し抜いて、一人で手功をしようとしやがった 『旦那殿。お在でか』 からだ』 辻堂から馳けて来たその浪人の一人が、剛右衛門の部屋を、 どな 影『何しろ、直ぐ、博労の家のお客人へ』 縁先から覗いて呶鳴った。 す 『そうだ。誰か行って来い』 映 一人は、村の方へ、一散に馳けて行った。 と、剛右衛門は、昼寝の手枕から、身を擡げて、 こすけおやじ はず ばくろう 『何だ、息を弾ませて』 辻四、五日ほど前から、博労の小介老爺の家に泊っている客。 しくじ ちゅうげんうだへい 『飛んでもねえ失策りをやってしまった。権右衛の奴めが、抜 それは瓶井剛右衛門と、仲間の宇太平の主従だった。 ごんえ め だま おば うわさ っ か とが かたき てあい ヾ , ) つ ) 0 ざー おやじ 0 もた ) 一んえ し ひそ 237

5. 梅里先生行状記

たんたん かんいえいしよく じよう - 一 0 ・ : おやおや、五郎八か 『ないからこそ、あなた様は、淡々と、官位栄職を、邪魔みた 『そちも泣き上戸ではあるまいな いにぬぎ捨てて、さッさと、こんなところへ : ・ : ・隠居などして 言まだそこに手をついて泣いておる。なにが悲しいのか聞いてや しまわれたのだ。怪しからん』 行れ』 『怪しからぬか ? 』 先『てまえが、代りに申しあげましよう』 けんもちょへい 老公は、笑う。そして心配そうに寄って来た剣持与平を見て、 里『ほ。泣き上戸の気もちが、代弁できるほど分っておるのか』 『わしは、怪しからん隠居だそうだ。怒るなと、そちから一 『この一堂におる者の精神は、みな一つです。ーー老公、あな た様は、なんで副将軍のお職をお退きになりましたか。なぜ、杯、ついでつかわせ』 たたか 『いや、いらん』 あくまで闘って下さらなかったんですか』 こわ 景助は、両手をいつばいに伸ばして、反りかえった。 / 西景助は、老公をにらみつけた。 恐い眼をして、ト一 さかずき 『たとえ、老公のお杯なりと、ここのところを、われわれに わか 解らしてくれなければ飲まん。飲むものか』 こわ と、手ので、すぐそこらにある他人の杯を手に挙げて、 恐らしい、執こい眼は、酒の力を借りて、なお老公へ云いっ 『さあ、仰っしや、 つける。、 しゃ絡み出してくる。 ちりあくた 『なにを一じゃ』 『天下の副将軍 : : : ふふん : : : あなた様の眼には、塵か芥みた お みようり 「なんで、お退きになったか。隠居などなされたか』 いなものに過ぎますまい名利 : : : 実にくだらんものと仰っ ゆず かみ しやるだろう。だが、だがで御座る。その任や重しだ。上は、 『年を老れば、順にひっこむ。若いものに、あとを譲る。当然 そうせい 畏きあたりから、下は、われわれ蒼生にいたるまでの、心あるじやろ』 みなもとのみつくにこうごにん 洋一つか・、 、ものよ、、、 どれほど、幕閣にひとりの、幕臣ならぬ、純『いや、それは、世のつねのこと。源光圀公御一人にかぎつ ・一うもんみつくに - 一う ・ : な、なぜとあればだ。あなた様と ては当然とは申されぬ 正な日本の臣たる黄卩光圀公という : : : 』 しまの日本に、ただおひとりしかないお方だほ 眼だけでは足らなくなって、景助はここで老公の鼻を指さし ゃなぎさわよしやす まつだいら かにも、偉そうなのは、たんと居よう。柳沢吉保とか、松平な て、 ししよく ばっかく ・ : けれど、日本の役人、天下 にがしとか、幕閣の諸役人が 『すなわち、あなた様という者がおるーーーということに至嘱し の臣たる人は - 、あなた様しかおりませんぞ。 ていたか、あなた様は、お考えになったことがあるか』 かごん くちびる と、手を膝へ返すと、一応、唇をなめあげて、ろれつを改『過言じゃ、そんな事はない。そんな事はない』 いいや、そうだ、極々、少数かもしれないが、われわれと めた。 か、世の心ある一部では、そう云っている。しかるにだ。その 『あるまい ! 』 唯おひとり迄、身を退いてしまったら、これからさきの世のな かしこ ひ しつ ただ と お 0 ひと そ あ

6. 梅里先生行状記

刀の切っ先を、突きつけながら、三郎右衛門は、断末の相手 なお ざんやく へ、猶も踏んだり蹴たり、罵倒したり、飽なき惨虐を加えてい 嘘を吠える大 としより 台所の老婆は、一目見るなり、気絶してしまったが、その叫 び声に夏菊は、 「・ : ・ : ざまを見やがれ』 つぶや すく 黒猫は呟いた。覆面の裡から、白いタ星を見上げ、刀の血雫と、表の門口に、立ち竦んでいた。 を振りながら、のっそりと百之介の側に近づいて来た。 でもーー耳のせいかと疑って、小提灯を袂につつみ、百之介 うし・つげみ、 のきば ぬきあわ 後袈裟に、不意の一太刀を浴びて、さすがの百之介も、抜合が来るのを、表の軒端に佇って待っていたが、いっ迄も見えな いとま いばかりか、裏の方で、何か異様な物音がした。 す遑もなく倒れてしまったが、まだ息はあった。 おきあが : どうなすったのか ? 』 井戸流しに、手をついて、懸命に起上ろうと腕いていたが、 まわ あおごけ と、彼女はをりながら、家の横まで、何気なく廻 0 て来 流しの青苔に手が辷って、何度繰返しても、起ち上れなかっ もみじ ひろ み、つき ちゅうげん そのたびに、血は辺りへ拡がって、紅葉のように赤かった。 すると、先刻から機を計っていた仲間の腕平が、不意に、躍 あが : ゃい百之介。痛いか、苦しいか。死りかかって、 『ーーー無駄な足掻き。 にたくねえのか』 『おい夏菊っ』 たた 黒猫は、彼の体へ、足を踏みかけて、嘲笑った。 と、小提灯を叩き落した。 あざわら 『ーーーあっ。あれつ』 百之介は、苦悶の中から、自分を嘲笑う白い歯を見上げて、 おおふ てめえ 『 : : : やつ。お、おのれは、当麻三郎右衛門だな』 『やかましい。汝が逃げたお陰で、いっそやは旦那から、大不 しゅび よくも首尾を喰って、俺こそいい面の皮。もう今度あ、逃がしゃあし 『今気が着いたのか。いかにも俺は三郎右衛門だ。 先夜は、俵屋の二階から、夏菊を連れ出して失せやがったな』ねえそ』 「ウウム。・ : : ・仕返しされたか。俺とした事が : : : ざ、ざん念彼女の長い袂を以て、彼女のロを抑えてしまった。 だ。残念だ』 が必死に、夏菊はその手から遁れようと争った。無駄と る てめえ うまうま すてみ え『はははは。世迷い事か。汝といい、塚原才治といい、 巧々とは知る迄も、捨身の反抗を続けていた。 そ ち 吠俺に一杯喰わせて、よくもいっそやは、本多佐渡の屋敷で酷い 『お旦那つ。お旦那つ。ーーー共っ方はまだ片付かねえんです ち こん か。片づいたら、早く此っ方へ手を貸しておくんなさいつ。 嘘目にあわせやがったな。積る遺恨だ。岡山以来の腹癒せだ。こ おさ んな位じゃまだ腹の虫は納まらねえ』 : あっ畜生、誰だ ? 』 ) 0 たわらや きょ ゅうずつ あ早、わら ちしずく たもと おさ のが あく おど

7. 梅里先生行状記

ちんにゆう いったん玄関に出 佐々、人見、江橋などが闖入して来ると、 と、ほかの人々へ向い、刀でそれを指したわけだった。 1 三ロ て、防戦に努め、そのうちに身をひるがえして、そこの炉のあ かれの声を耳にするやいな、 状 行る一室の前に立ちはだかり、追撃して来た佐々、江橋などを相『何。わかったと ? 』 けんもち 佐々も江橋も、また剣持も、わらわらと、又四郎のいる所に 先手に、一歩も退かず斬りむすんで、ついに斃れたものだった。 . 又四郎はふと、その用人の行動を思い出して、 寄って来た。 梅 いそが ( なぜ彼が、わざわざここへ引っ返して、最後まで、その室を そして、いとど忙しく、 たお うしろにして、斃れたか ? ) 『どこに ? 』 を考えていたのであった。 『連判があ ( たのか』 そう疑いながら、何気なく、その用人の死骸の位置を、ふた と、又四郎の手を見、その顔を見、口々にたずねた。 へだ 間ほど隔てた一室から見直しているとーー・まだ虫の息ほどな余又四郎は、血刀をもって、炉のほうを指したまま、 命をもっていたらしく かれの最初斃れたところにその姿は 『あれを見たまえ』 なく、いつのまにか、六七尺も室内のほうへ向って居どころが と、云った。 ひんし 変っていた。 すでに一念のほか何もなくなっている瀕死の用人は、なおや のみならずである。 っていた。なお自在竹へ向って重い刀をうごかそうとして その用人は、見ているうちに、二寸、三寸と、畳に血のあとた。 を引きずりながら、大きな炉のそばに迄、いすすんでゆき、 しかも、時々必死の眼をつりあげて、右手の刀で、炉の上に懸『なんだろう』 じざいかすすだけ かっている自在鍵の煤竹を斬り落そうとしているのである。 『何をやろうとしているのか』 もとより虫の息なので、かすかに首を擡げるのもやっとだ たれにも解せなかった。 かす し、手の刀も、戛と、自在の竹を掠めたに過ぎないがーー・その 又四郎は、炉のそばへ進んで行って、一颯いきなり、自在竹 きそく かっぜん 意志たるや、いまにも絶えなんとする気息とは反対に、怖ろしの上部を斬り落した。 その戛然たる音を聞くと、用人は、 だんまっ しはた い断末の懸命なるものが、そのもがきに見てとれるのであつ自分がそれを仕果したように、とたんにがくと首を垂れて、す ぐ息をひいてしまった。 - り′、亡ノ 竹の斬ロは、炉の中に落ちこんでいた。炉には、勢のいい火 ほのお 又四良カ に・、、はっとしたのは、その姿に打たれたからだった。 があった。又四郎はすばやく手をのばして、あわや焔になろう そして、ややしばし凝視の後、われを忘れて、 とする真っ黒な一巻を救いあげた。 『わかった ! 』 『これだ。 一味の連判はこれにちがいない。御一同、念の * 、つさ , ) 0 ぎト - ・フし たお たお じざいだけ さっ 786

8. 梅里先生行状記

しく ま 石工の鐘五郎は、その間に、お佐和の腕くびをんだ。そし 『滅相もない ! 』 て、 源三郎は、彼の言下に、云い断った。 かどわ せつかん 『さ、帰れ。折檻は帰ってからとしよう。じたばたすれば、町 『人妻のお佐和どのを、何で拙者が連れ出そう。誘拐かしたな はじ寺、ら どとは、何を以て』 中をただ恥曝して歩くだけの事だぞ』 がか 『云い懸りだと逃げを張るのか。おい、ふざけるなよ。これか お佐和はもう何うする力もなく、ずるずると彼の腕に引ずら ただ ら他国へ手を取って、落ちのびるつもりで此処まで来たのだろれて行った。ーー・・源三郎は、唯、 あわ ( 憐れな。ああ傷ましいもの ) えりすく 『いや。お佐和どのとは、何の関りもないそれがし : と、襟を恟めて、見送っているばかりだった。 ふたり すると、その姿が、二十歩も離れたかと思う頃、突然、 『何の関りもない男女が、旅支度して、一体何処へ、何を的 ひィッ : ここまで逃げて来たのか』 : とお佐和の声がした。 たいもう 『拙者は他に大望のある体。そのような浮気めいた日を暮して去りかけて、野を歩み出した源三郎が、その声に、はっと振 しき くもん はいられぬ身だ。唯、先頃から紺屋の茂右衛門どのの家に救わり向いてみると、お佐和の影は、草の中に仆れて、頻りと苦悶 ときたま さわ てきずりようじ れて、負傷を療治していたので、時稀、お佐和どのと顔見合せしていた。 ええ、世話 『あっ、ばかめつ。自分の手で死のうなんて : る折もあったが、連れて他国へ逃げるなどとは、夢にも覚えの のやけるやつだ』 ない事じゃ』 くもん いしかね 『では、俺が連れ戻っても、決して異存はねえんだな』 石鐘が狼狽して、苦悶している手から、刃ものを撈ぎ取っ 『おぬしの妻なら、おぬしの勝手に』 て、抱き起していた。 『 : : : オ ! 自害したな ! 』 云い放っと、 りつぜんすく 『もしつ・ 源三郎は、水を浴びたように慄然と恟んでしまったが、再び うしろて と、小声を顫わせて、お佐和は、源三郎の後で掌を合わせて心の眼を塞いで、 いるのだった。 『南無ーーー』 そ しようみト - ・つ ( それ程迄、この男と添うのが、辛いのかーー ) と、思わず称名を口の裡で云った。 や 露 と、源三郎は、思い遣って、又ふと、一面の情に揺られた大事の途中の小事。 の 行く大道の道の辺の雑草。 ふびん ・ま ( いや。自分には、大事な大望がある。又、夏菊という不愍な濡れまじーーー仇し花の露に ! と思うのだった。 『そうだ。道草に、いを惹かれなどしている間に、ともかく、兄 濡者も陰にはいるしーー、 ) ふさ あによめ じやひと うかが 眼を塞ぐような気持で、素知らぬ顔をしていた。 者人の御様子を伺おう。嫂のお梅様にも、さだめし御心配。 めっそう る かかわ うち あて ふさ あだ ひ たお 0 253

9. 梅里先生行状記

『 : : : お待ちかねだ。二度ほど、介三郎はまだかと、御意があ『村右衛門は、あとはみな、一東にからげておけ』 と、命じ、すぐ膝を向けかえて、 うなが 『介三郎、そちが持参のものを見せい』 と、促す。 と、急い 『御免』 のうかんつづみ かなた 彼方の舞台から聞えてくる能管や鼓の急拍子によって、老公 と、介三郎は通ってゆく。 ふたりはまだ後にのこ「て、錠ロの出入を、厳と見は 0 てには番組の進行がわか「ているらしいのである。そしてここに 身をおいている限りのある時間に胸は急かれてくるらしかっ 『ただいま、もどりまして御座りまする』 と、察して介三郎も、 介三郎が、縁に手をつかえていうと、すぐ物のひびくよう 『はっ』 じみ、ほう と、要らざる辞儀作法をとりのそき、ツッと身を進めて、手 『帰ったか』と、老公の声であった。 た しよじ しぶがみ に携えて来た渋紙づつみの紙縒をぶつぶっと断ちきった。 『は、つ、ちと、遅う相なりましたが、諸事つつがなく』 ほ 1 一しよかん そして、老公の調べに手伝いながら、反古書簡など、一通一 『つつがなく運んだか』 ひら 『まず・は』 通、披いては渡し、またすぐ披いては渡し、またたく間に、見 『やれ : : : 』 せ終った。 老公は、その数あるうちから、たった一片の覚え書と古手紙 と、初めてほっとしたように、老公はつづいて云った。 とをわきへ取りのけたきりだった。 『大儀であった。はいれ、介三郎ずっとはいれ』 が、やや不満そうに、 十七 『これだけか』 と、問うのを、介三郎は、 そこには介三郎より前に他のふたりの臣が来ていた。 ひとしな しようげん さきに、藤田将監のやしきへ向った組のひとり、秋山村右衛『いえ、猶、もう一品』 れんばん つなえだ と、最後に例の連判の一巻を、前にさし出した。 門と、綱条の重臣、阿部七兵衛であった。 かんひもづめ ほお くれない ばっしゅう 生 ふたりの協力によって、将監の家から没収して来た古手紙や老公の頬に、すこし紅がさした。巻の紐爪を解き、くるく おびただ 多覚え書らしいものが、老公の膝のまえに、夥しく、選り分けると繰りひろげる。らんとした眼がずうっと、それに、並ぶ名 ま べっ かと思うと、巻は、巻き馴れたひとの手で、 を一瞥した。 殺られていた。 さっさっ 一そこへ、介三郎が、縁からにじり入ると、老公は、わずか二颯々と鳴「て、もとの短い棒に返 0 ていた。 三の書簡だけをべつにして、 もん おそあい ひぎ じゅうぐちでいり ん むらえ たずさ かん 789

10. 梅里先生行状記

手をつかえると、そうかといったのみで、机のうえで、何かう一詩を示して、 『ちと思、つことがあるから、きようは終日、たれにも〈ムいたく ーー渡辺悦之進はまだ帰らぬのかーー・文八 書きつづけていた。 しゃ き ない。そちは、なるべく門にいて、客を謝す役にあたれ、も は訊かれることを待っていたが、 きトっ・せ、 ゅう・ヘ 他の者はなお寝かし、・たって訪問を強請ずるものが来たら、この詩を示してや 『はやいのう、昨夜はおそかったのに。 れ』 しておけよ』 みん それを見ると、これも老公の作ではないらしいが、こんな明 老公は、そう云っただけであった。 おお ・ : なにか、御用を仰せつけくださ人の詩がかいてあった。 『ありがとう存じまする。 リジキ : 、 吏事君、怪シムヲ休メョ 悦之進どのも、まだもどりませぬから』 びんかけ ゅ 山城、門ヲ閉ズルヲ好ムヲ 『そこの瓶掛に、湯がわいておるか』 チョウブッ コノ山、長物ナシ 『沸りかけております』 タダ セイオウ 唯、野ニ清鶯アルノミ 『茶を入れい』 『貼っておきましょ , つか』 とも、いけないとも云わず、老公はま 馴れない手で茶を汲んでさし出した。老公はいつもと変らな文八が伺うと、 くめい 、窓から見える彼方の山と対していた。 い朝の顔である。しずかに苦茗をすすって、 文八は、外へ出た。 『文八、これが分るか』 たれも彼も、よく寝たものはあるまい。山荘の雨戸はもうす と、机のうえの詩稿を出して見せた。 すがすが くりあ こ′ ) えしよう べて繰開けられている。心なしか、いつもの朝のように、清々 文八は、ロのうちでいちど読んでから、低声で誦した。 ! うりやまわれをみる しくない。お台所のほうの笑い声もしない。 に裏山看我 しせん かんちゅうわれやまをみる 詩箋を持って、文八は、門のそとへ出たが、貼ったほうがい 閑中我看山 あいみてあいにず いか、また要らざることか、なお迷っていた。 相看相不似 ! うはす・ヘてかんにおよばず かれのうしろから、おうっと、山大のような すると誰か 忙総不及閑 声して呼んだものがある。ふり向いてみると、悦之進だった。 老公はうなずいて、 : ・山に対してふと思いおこしたのじゃ。わふり向かなければ、かれの声とも思えないほど、一夜のうちに 「その通りじゃ。 おそろしく野性なしやがれ声に変っていた。 しの詩ではないが : ・ : 誰でもよい。よい詩であろ』 かみ よ、つばう いや、そのすがたや容貌は、もっと変っていた。髪はみだ し』 しらは まなじり れ、袖は裂け、眦はつりあがって、手にさげている白刃のよ 騒と、云ったが、文八には、十分わかっていないようだった。 ゅうべのはなしなど、少しもないのである。老公はまた、もうに眼はぎらぎらしていた。 たぎ じん は そでさ かなた は