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検索対象: 目でみる「心」のバリアフリー百科 : 障害と福祉 1
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1. 目でみる「心」のバリアフリー百科 : 障害と福祉 1

西一勇三 ようがか ちせい てんせい そしつ 0 天性の素質と知性を合わせ持った洋画家 がっこうそっきようご ねんなら しようわ にしむら 西村さんは、 1945 ( 昭和 20 ) 年に奈良 います。学校卒業後はプロの画家のもとで、 ほんかくてきしどう りよう のうせい さい けんう 本格的な指導を受けるようになります。 23 歳 県に生まれ、生まれつきの脳性マヒのため両 ときはじ こてんひら じようたい こそうさく うでつか ひだりはんしん の時に初めての個展を開き、その後も創作 腕が使えず、左半身もマヒしている状態です。 かつどうはげ すうど ある こてんせいこう さ力はうこがっこうざいがくちゅう 活動に励みながら、数度にわたる個展を成功 堺養護学校在学中にリハビリのために、歩く したいふじゅうじ びようが はじ くんれんみきあしつか 訓練と右足を使っての描画を始めました。絵 させています。また、肢体不自由児のために すはら かたの おし さいのうかいか か 絵を描く楽しさと素晴らしさを教えるための を描くうちに、いっしか絵の才能を開花させ、 こうほてんはつにゆうせんは かいがきようしつひら こうとうぶじだい 絵画教室を開きました。 高等部時代には公募展で初入選を果たして がか しきさい きようわたの 【協和を楽しむ】「それぞれに固有の色彩と質 がめんうえひび いちまい かんゆう 感を有するものたちが一枚の画面の上で響き のぞ わおん あい、和音となってくれることを望みながら にしむら 絵を描いている」と語る西村さん。 しつ か はな はな 【『ュリの花』】白っほ。いバケツに入れられているユリの花に かん はくとう くわ 見つめられているように感じ、それに白桃もつけ加えて描き しぜんう 上げた。このように、絵のテーマは自然に生まれてくる。 か せいふつ みきあしゅびえふでも 【右足の指に絵筆を持つ】静物た たの たいわ ちとの対話を楽しみながら、心 えふではし をこめて絵筆を走らせていく。

2. 目でみる「心」のバリアフリー百科 : 障害と福祉 1

はら一みちを たましいえが はは 0 母と子のきらめく魂を描く ちからづよはは しようわ ねんこうべし のち 力強い母のぬくもりか、後に、アーティス はらさんは 1928 ( 昭和 3 ) 年、神戸市に生 ふじゅう えがつづ りようてあし のうせい まれました。脳性マヒのため両手足が不自由 トとして、はらさんが描き続けるテーマとな しゅうせんこ ははてひと ねんかんとけい あと いんばんてん さいちちな りました。終戦後 20 年間、時計・印判店を で、 8 歳で父を亡くした後は、母の手一つで しな さい そだ しそうさく くるまいすてはい 育てられました。車椅子が手に入らない時代 営んでいましたが、 40 歳で、絵と詩の創作 げんざい かいがてんこうえん いとき せんねん がっこっ いとき あそ だったため、学校へ行く時も、遊びに行く時 に専念します。現在は、絵画展や公演などで ぜんこくまわいっぽう ふくしかつどう あめひ ゆきひ ははせお せつきよく 全国を回る一方で、福祉活動などにも積極 も、雨の日も、雪の日も、母の背に負われて ときかん てきさんか 出かけました。この時感じた、やるせなくも 的に参加しています。 すいか ども おお 【『大きな西瓜』】子供の ころ、畑のあぜにひいた うえいちにちじゅうなが むしろの上で一日中眺め はたらははすがた ていた働く母の姿は、いく やさ つもの優しい絵になった。 はたけ かあ 【お母さんシリーズ】 えがおはははたらはは 笑顔の母、働く母など、 かずおお 母のシリースは数多く みぎ ある。右の 4 枚は絵は さくひん がきになった作品から。 はは むわり 20

3. 目でみる「心」のバリアフリー百科 : 障害と福祉 1

増田恵子 一描き ごとに思いを ますだ けようと決心しました。そして、ニ十歳の時 ひとか 【『朝市』】今では観光名所として知られている輪島の朝市 おも やさ こめて優しい絵を描き続ける えが つづ のうせい ししげんご 増田さんは脳性マヒのため、四肢と言語に ねん しようがいも しようわ 障害を持っています。 1966 ( 昭和 41 ) 年、 とうきようとりつこうめいようごがっこうこうとうぶねんときびじゅっ 東京都立光明養護学校高等部 1 年の時に美術 はい えはじ つ 部に入ったのが絵を始めたきっかけです。高 こうねんせいなっこうぽてんかさくしようじゅしよう 校 3 年生の夏、公募展で佳作賞を受賞した えせいさくつづ そっきようこ じしん のを機に自信がつき、卒業後も絵の制作を続 はたちとき 22 いま ( 石川県輪島市 ) を実際に見に行って描いた作品 いしかわけんわじまし じっさいみ あさいち かんこうめいしょ けっしん はつ こてんせいこう ねんはん には初の個展を成功させ、その後も 2 年半ご こてんつづ ねんごろ けい とに個展を続けています。 1994 年頃から頚 ついへんけい しよう 椎の変形から手のしびれが生じ、それまでわ うごみきても ずかに動く右手で持っていたバステルを足に えか 持ち替えて絵を描くようになりましたが、絵 げんざい じようねっさ に対する情熱は冷めることなく、現在でも毎 か まい 日こっこっと絵を描き続けています。 かつづ さくひん わじまあさいち し、 えかおにあますだ 【笑顔の似合う増田さん】 いろいろなこと ますだ さいきん にチャレンジする増田さんは、最近ではパ おぼ ゆうじん ソコンを覚えて親しい友人とメールのやり とりをするようになった。

4. 目でみる「心」のバリアフリー百科 : 障害と福祉 1

アートビリティーー はし しやかい さっか すぐ 0 優れた作家と社会をつなぐ架け橋 きゅうしようがいしや アートビリティ ( 旧障害者アートバンク ) は、 ねんしようがいもさっか かっ しようわ 1982 ( 昭和 57 ) 年に、障害を持つ作家の活 やくたす もくてきつく 躍を助ける目的で作られたイラストバンクで てんいじよう やく にんとうろくさっか す。約 400 人の登録作家の 4000 点以上の かんり さくひん 作品をボジフィルムで管理し、カレンダーなど いんさつぶつゆうりようか の印刷物に有料で貸し出しています。 1989 とうろくさっか なかとくかつやく ひと 年からは、登録作家の中で特に活躍した人を ねん りよく いけいちにち 力になっている。 よって、遠近感を意識できないことが不思議な魅 えんきんかんいしき ふしぎ さんの作品。右脳損傷による高次脳機能障害に さくひん うのうそんしよう こうじのうきのうしようがい 【『池の一日』】 2001 年の大賞受賞者、太田きよし ねんたいしようしゅしようしゃおおた 28 ていねいに描いてゆきたい」と語った。 かた えが した太田さんは、「皆さんに愛される絵を みな おおた 又 . 貝 【障害者アートバンク大賞表彰式】 しようがいしゃ たいし ) ようしようしきじゅしよう しようがいしや たいしよう はじ 表彰する「障害者アートバンク大賞」を始 ねんたいしようじゅしよう ぞうけい めました。 2001 年の大賞を受賞した造形 さっかおおた こうつうじこ 作家の太田きよしさんは、交通事故によって けいじゅっかつどうひつよう うのうそんしよう 芸術活動に必要な右脳を損傷しています。 とうきづく はじ しかし、リハビリで始めた陶器作りをきっか げいじゅっかつどう どくとくさくふうにんき さいかい けに芸術活動を再開し、独特な作風で人気 がか ちゅうもくあっ を得て、画家としても注目を集めています。 ひょうしよう 、、第総住アトツ大第こ蓴

5. 目でみる「心」のバリアフリー百科 : 障害と福祉 1

風桑会 さくひんたか 0 多彩な個性と手法で互いの作品を高め合う たが しゅほう たさい せい ちか かざまつりかいこくりつりようようじよはこねびよういんにゆういんかん すがかあかいわけんそう しどうひ の近くに住む画家の赤岩賢三さんが指導を引 風祭会は国立療養所箱根病院の入院患 じゃちゅうしん かいが かいいん かい あっ き受けてくれたことで、会として集まるよう 者を中心とした絵画サークルです。会員のほ しんこうせい じよじよきんりよくよわ としあき かいがてん しゆっ とんどは、徐々に筋力が弱まってゆく進行性 になりました。その年の秋には絵画展への出 びん ほんかくてきかつどう なんびよう きんいしゆくしよう ねん 品など本格的な活動をはじめ、 1985 年には 筋萎縮症という難病とたたかっています。 かいたんどくはじ びよういん かざまつりかいそうせつまえ うできん さくひんてんひら げんざい 会単独で初めての作品展も開きました。現在 風祭会創設の前から、病院では、腕の筋 かいが ゆさいすいさいシージー りようほう りよくいじ 力を維持する療法として絵画を取り入れてい は 1 0 人のメンバーが油彩や水彩、 CG などで しようわ ねんはるびよういん おもおも さくひんえが ました。そして 1981 ( 昭和 56 ) 年舂、病院 思い思いの作品を描いています。 かざまつりかい さかいひさしさくえんそう 【酒井寿作『演奏 3 』 (CG) 】 タ文 . △、 かいちょうさかい さくひん 会長、酒井さんの作品。ホランティ えんそう こっこうせい アで演奏に来た高校生をモテルにし かざまつりかい さかい ている。酒井さんは「風祭会の良さ はな ひと は、絵について話し合い、人の輪か ひろ かた 広がってゆくこと」と語った。 かざまつり はんち 【『風祭 41 2 番地』】 1992 年に しゆっぱん さくひんしゅう ほん 出版された作品集。この本 にゆうかい を見て、入会した会員もいる。 ねん かいいん げつよう じかん せいさくふうけい 【制作風景】月曜の午後、 2 時間 せんせいまね かいいんあっ ほど、先生を招き、会員が集まっ て絵を描く。それぞれのペースで がだいえか それぞれの画題を描いてゆく。 36

6. 目でみる「心」のバリアフリー百科 : 障害と福祉 1

斎藤 った 0 木の温もりを伝える木簓師 よしのぶ ちょうか にゆうえん はんとしかんいちりゆうらんましよくにん こうねつ さいとう 彫課に入園し、半年間、一流の欄間職人の 斎藤さんは、生まれてすぐに出した高熱の しどう そっえんご おさなころ じたくさくひんせい ししことば ふじゅう 指導を受けます。卒園後、自宅に作品の制 ために、四肢と言葉が不自由です。幼い頃か さくはんばいおこな よしこうほう ねんゆうじん ひら たい しようわ 作・販売を行う「良工房」を開きました。体 ら木が好きで、 1975 ( 昭和 50 ) 年、友人の たいさくせいさくむすか りよくてき きんねん ちょうこくきようしったず すす 力的に、大作の制作が難しくなった近年も、 勧めで彫刻の教室を訪ねました。しかし、四 せいさくはんばい こうほうもくせい こもの さまざま しどうむずか ししようがいもさいとう 工房で木製の小物などを制作・販売し、様々 肢に障害を持つ斎藤さんへの指導は難しい かつばっ がくえんさいさんか きほ どくがく はじ ことわ なイベントや学園祭に参加するなど、活発な と断られ、独学で木彫りを始めました。 かつどうつづ ねんじゅうどしようがいしやじゅさんしせつ えんもく 1982 年、重度障害者授産施設マーシ園木 活動を続けています。 よしこうぼうかいせつ かいせっとうじ 【良工房開設】開設当時 ねん きようりよく ( 1982 年 ) のころ。協力して ちいき くれたボランティアは地域 ちゅうがくせい の中学生たちだった。 しと都将大 に一よ一示、立ロ デ、そ塑 モ年彫 をん展し 空 9 一賞 1 / ィーし ひ美い受 ー - ーんロや ひロロ者を 了く乍っ労よ賞 き / ィーさ′ 1 ろし こんー刀いー刀 ノき←圭れ防 えんくう きよう ほさいとう わんりよくよわさいとう 【『行』を彫る斎藤さん】腕力の弱い斎藤さんは、 けず ハンマーの重さを利用して、木を削り込んでゆく。 おも りよう 12

7. 目でみる「心」のバリアフリー百科 : 障害と福祉 1

つづ ひょうじようゆた となら 0 古都奈良を表情豊かに撮り続ける かつの ~ 勝野一 はなしやしんと いちまいしや ねんならし しようわ 花の写真を撮るようになりました。一枚の写 1964 ( 昭和 39 ) 年、奈良市に生まれた勝 しんと てあしことば ふじ きこうへんか おな のうせい 真を撮るために、気候の変化を見ながら、同 野さんは、脳性マヒのため手足と言葉が不自 ばしよなんどあしはこ しゅこうげいひんてんいとな かつの げんざいならす じ場所に何度も足を運ぶという勝野さんの写 由です。現在も奈良に住み、手工芸品店を営 ならみやこ さはなばなうつく うつだ ならまち てらろじたす 真には、奈良の都に咲く花々が美しく写し出 みながら、お寺や路地を訪ねては、奈良の町 かいめ とつづ ねん さく かくど ひょうじようあたら されています。 2001 年には 5 回目になる作 の表情を新しい角度から撮り続けています。 げんざい こうこうそっきよう ひんてんひら しやしんしこと ほんかくてきしやしんはじ 品展を開き、現在は、写真を仕事につなけて 本格的に写真を始めたのは、高校を卒業し もくひょう しよくぶつえん いくことを目標にしています。 たあと。植物園でのアルバイトをきっかけに はじむ かっ とうだいじなんたいもんうんぎようぞう 東大寺南大門吽形像を夏の わす ちから よるうつ 夜に写した。「暑さも忘れるような力がわいて かん うんぎようぞうこころつつ 来て、吽形像の心が写ったような感じかした」 かたちからづよいちまい と語る力強い一枚。 こんこうりきしそう 【『金剛力士像』】 あっ さんせだいこうりゆうさく さくひんてん ならしないひら 【作品展で】奈良市内で開かれた三世代交流作 はなだしゅんちょう ひんてんかつの たかおかてつや 品展 ( 勝野さん、花田春兆さん、高岡哲也さん しゆっぴん あき さくひん が出品 ) で、秋と冬をテーマにした作ロと ロロ 0 ! ⅢⅡい さつえいむすか こうふくじ こしゅうのとうよる こじゅうのとう なんど さつえいほうほう しいため、何度も足を運んで撮影方法をいろいろと工夫 なか いちまい し、 100 コマものフィルムの中からこの一枚が生まれた。 ゆったち 【『タ立のあとの五重塔』】興福寺の五重塔。夜の撮影は難 はこ ふゆ

8. 目でみる「心」のバリアフリー百科 : 障害と福祉 1

田昭優 しやしんか った きかんしや 0 駆け抜ける機関車の「鼓動」を伝える写真家 ねんとうきようう もちだ 持田さんは 1960 ( 昭和 35 ) 年、東京に生 さいときわずらびようき まれました。 1 歳の時に患った病気のため、耳 でんしやす ふじゅう ちい か不自由です。小さい頃から電車が好きで、 ちちおや しようがっこうこうがくねん 小学校の高学年になると、父親から借りたカ ぜんこくてつどうと メラで全国の鉄道を撮りにいくようになりま かすす ろうがっこうこうとうぶ した。聾学校高等部のデサイン科に進み、こ しやしんかこころざ りようしんがっこう の頃から写真家を志しますが、両親や学校の しようわ みみ か わたししやしん 私と写真 がわとり せんろ ポーツ ! 線路の向こう側に鳥か じようききかんしや パッと飛び立つ。蒸気機関車がや とりおし ってくる事を鳥が教えてくれる。 かま ゆび むねたか 胸が高まり、カメラを構える指に ちから 力がこもる。来たっ ! バシャパシ じようききかん ャとカメラのモードラが蒸気機関 いち 車のドラフトに負けじとあたり一 めんせいじゃくつやぶ 面の静寂を突き破る。やがて、けた けむりわたし は たましく轟き、吐き出す煙が私に わたし しやしん おおかぶ 覆い被さる。私にとって写真とは、 としゅんかん ころひび 心の響きを切り取る瞬間をモット ども ーとして提えていたい。子供たち すなおおどろ には素直な驚きをもって、おじい かん なっか さんおばあさんには懐かしさを感 じようききかん せだい じて、それぞれの世代に蒸気機関 こどうった おも 車の鼓動を伝えていきたく思う。 もちだあきとし 持田昭俊 とどろ とら 26 ひひき くろうおおみち 先生は苦労の多い道と、賛成してはくれませ さいときはじ ひら しやしんてん んでした。 28 歳の時、初めて開いた写真の展 しゅゴよんしやひとさくひんみと らんかい 覧会で、出版社の人に作品を認められたこと どくりつ をきっかけに、カメラマンとして独立しまし げんざい しんかんせんこうこくしやしんざっし た。現在は、新幹線の広告写真や雑誌グラヒ いっぽう てが さつめ しやしんしゅうきよう アを手掛ける一方で、 4 冊目になる写真集『響 かつやくつづ えんしゆっぱん 煙を出版するなど、活躍を続けています。 せんせい さんせい まつづ かかんおな どめしようじき はしよ 3 日間、同じ場所で 3 度目の正直のつもりで待ち続け おもどお けむりめぐ うつく ぎやっこう は ていたら、思い通りの美しい煙に巡り会えた。逆光に映えて えいぞう りったいかん 立体感のある映像を切り取る事ができた。