Raya - みる会図書館


検索対象: 科学 2016年7月号
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1. 科学 2016年7月号

み存在することの場所の不安定さ である。共同体は場所をより安定 させようとする。 I 型・・・その結果原 I 型は首長の 家を中心にして。 Ra メ a " 方面に集 落を拡張する。結果的に首長の家 が "Raya"-"Löu" 軸の中央に位置 し , その均衡がより安定する。 T 型・・・ I 型からのさらなる展開 型であり , 首長の家から垂直方向 に家並みを拡張させることで , Raya-Löu の軸線上の左右の家並 みの不均衡を , 垂直に突き出た新 しい家並みによって解消しようと したのである。 'Raja" 0 'Raya ム 毟 u 1. 原ー型 ...Raya">"Löu" 'Raja' ロ - ム 'Raya' "Löu 2 ヨ型 ... " Raya " , " u " の平準化 Raja 'Raya" "Löu Raja と Raya それは次の日の北ニアス集落へ スは以下のようになる。 行くときに寄ったヒリナワロ・マ 根源的な異がうみたす欠落 原 I 型・・・最初にあるのは前後概 ジノ (HiIinawalö Majinö, 0.706326N , と集落の計画 97.85 引 43E ) という集落においてで 念としての "Raya" と "Löu" であ あった。南ニアス集落最後の訪問 る。その軸線に則りつつ , 首長を , 以上が南ニアス集落を訪れた時 地であった。 T 型集落で "Raya"- Raya の方角かっ右側においた。 " L 面 " 軸の手前に車を止めようと に行った林との記録である。地域 これが共同体としての初期的な空 していたとき , 紳士的に自動車に の集落の展開を , 前後・左右とい 間表現であった。しかしこの空間 う二つの根源的差異に基づいた計 表現は , 差異による欠落感を即時 指示を与えてくれる男がいた。黒 画としてとらえると , そのプロセ に生みだす。首長が前方右側にの 髪を上品に撫で白いワイシャツを 3. T 型… " Raya " , " u " の格差の消滅 原 I 型から T 型への模式図統合。 H Ⅲ nawa に MajinÖの首長の家から集落の軸線を見る。 HilinawalÖMajinö集落の軸 E の首長の家。 動く大地に住まう科学 0679

2. 科学 2016年7月号

註 1 一一般にそれらにはインドの敷地計画 法である「マーナサーラ」や「マヤマ タ」の影響をうけた「ナワサンガ」とい うヒンズーの神々の位置を示す配置概念 が影響していた可能性がある。参照 : 小 野邦彦「古代ジャワのチャンディの伽藍 構成に関する研究 : ヒンドゥー教寺院の非 対称伽藍について」「第 3 章ヒンドゥー教 寺院の非対称伽藍に投影された神観念」 ( 早稲田大学理工学研究科博士論文 , 2004 ) 註 2 ー最近の調査によっても彼らのオリジ ンはいまだ不明である。言語学的分析も 役に立たず , 発見されている洞窟遺跡も わすかである。数少ないそれら遺跡はお よそ 1 万 2000 年前と想定されるが , 詳細 な調査結果はつかめていない。唯一判明 しているのは , 彼らの DNA が台湾やフ ィリッピンと多くの共通性を持っている ということだけである。参考文献 1 を参 照。 註 3 ーなお , 聞き取りカ坏十分な場合は , 例えば方位概念との関連については林と 私との客観的知識を所見として加えた。 聞き取りは偶然会った一人もしくは二人 程度に聞いたに過ぎなかったからである。 註 4 ー佐藤によれば , 同地域では、、 Raya " は陸・山を意味し , " い u " は海を意味する とのこと。山が前進する方向を , 海が過 去に進んできた足跡を表す方向である可 能性は高い。 註 5—BawömataIuo では左側に位置してい た。また HilinawaIö Majino の首長の家の 位置は特異例であり , 後にその内容を紹 介した。 註 6 ー佐藤からの教示による。 註 7 ーなお拡張部分と推測された " Raya " 右側には U 字型に道と家屋が拡張された 部分があるが , これはニアスの伝統集落 特有の裏に家を作らず , すべての広場に 家を面させるという思想を平面規模に限 界のある尾根で展開させる手法と考えら れる。 註 8 ー ra 戸と同じ意味で用いられている * 以下は訪れた集落の模式図である。 HiIisimaetanö( 原 I 型 ) , 0.641066N , 97.748785E 。 首長の家の跡が合議広場に なっている。 'Raja' 0 "Löu 'Raya ″ Hilisimaetano Raja Hilinawalö Fau(I 型 ) , 0.653725N , 97.778579E 。 中央に見事な合議広場を持 つ。集落は軸線に沿って何 回も拡張されている。 O n 。 h 。 n d 。 r 0 ( I 型 ) , 0.645982N , 97.778009E 。 中央に見事な合議広場を持 つ。 u 型の増拡張は敷地制 限の中で , 必ず軸線に面す るルールを徹底した結果と 思われる。 B a w 。 g 。 s a 1 i い型 ) , 0.654051N , 97.756554E 。 首長 ( Raja ) の家と合議広場 を介して反対側の集落が開 けているのは , T 型への移 行を予感させる。 H i 1 a m a e い ( T 型 ) , 0.580025N , 97.751287E 。 “ Löu ”方向 , 海側に家並み が段差を含んで拡張されて いる。 "Löu ・ Raya" ロム ←ー HiIinawaIö Fau 'Raja' "Löu ロ議広場 Onohondo 「 0 ・ Raja ′ "Löu" 'Raya ″ - 広場 BawogosaIi 畑 HiIiamaeta 'Raya ″ Lö u 海 B a w 5 m a [ a I u 0 ( T 型 ) , 0.614367N , 97.770155E 。 最大級の集落。首長 (Raja) の家と合議広場を介して T 型がさらに発展して , 擬似 十字型のようになっている。 "Raya" 既öu ″ Bawömataluo 合議広 Hilinawalö Majinö ( 均衡型 ) , 0.706326N , 97.85 引 43E 。 首長 (Raja) の家カ s"Raya" の軸線上に重ね合わされる という意味で異質であり , 超越的象徴性の出現を感じ させる。 T 型の垂直軸の発 展型と見ることもできる。 HiIinawaIo Majinö "Raya" Raja" "Löu 了 科学 0681 動く大地に住まう

3. 科学 2016年7月号

であるが , 決して同じ向きで重ね あわせることができない。左右が 何となく違っているというこの感 覚は , く違いが常にあること〉 , つ まり男女のような定常的な差異を 意識させる。この上下 ( 存在 ) ・前 感覚の総合によって人間の場所が はじまるのではないか。 山中を進んでいるうちに好適な 敷地が現れる。 こを彼らの住処 にすることとした。 こから問題 が発生する。いったい誰をどの位 置に住まわせるべきなのか。 この問題は悩ましい。たとえば 私たちが複数で食事に出かける。 テープルにつこうとするときに誰 をどこに座らせるか , 誰もがそれ なりに熟考するのと同じである。 前後はわかりやすい。それは階級 を表しやすい。これは時間の不可 逆性と大いに関連しているだろう。 左右は性差や役割の相違に結び つくことが多い。これは左右の持 つ定常的な差異の感覚に対応して いる。 こんな検討が彼ら内部の組織構 成を相対的に配置として整えるの だ。それは環境に対応して継次す る , いかに住むかという問いかけ のチャートである。 私たちはニアスの集落の生み出 され方に興味を絞ろうということ で意見を一致させた。 最後の旅の最後にふさわしいテ ーマだと考えた。およそ以下のこ とを聞き取ることにしたのだっ た ( 註 3 ) ・集落を貫く強い軸線の呼び名 とその意味 0674 KAGAKU Jul. 2016 VOL86 N07 ・同軸線の各方向における入 ロ・出口概念の有無 ・同軸線に対する垂直方向 ( 左 右 ) 概念の有無 ・首長 (Raja) の家の位置 原ー型と I 型と T 型 南ニアスでは 7 つの集落を回 った。すべての集落に共通してい るのは , 先の強い軸で貫かれた半 公共空間 (iri-newari + ewari, 道と各戸 の前庭 ) , すべてその軸両側に展開 する家々 , 首長 ( Raja ) の巨大家屋 (Omosebua), そしてその則面に設 けられた合議のための広場 ( 以下合 議広場 ewali orahua) である。 集落の形は , 特殊な巨大集落を 除いて I 型と T 型に大別された。 I 型は先の特徴が一つの軸線上に 展開するものである。 T 型では I 型の真ん中を起点として , さらに 垂直辺の軸が追加され集落が展開 している。 T 型では首長の家と合 議広場は T の三辺が交差する点 に必ず位置している。南ニアスに は階級制がいまだに根付いている という。大きくは siulu と呼ばれ る貴族層 , ono-mbanua と呼ばれ る庶民層 , そしてその詳細はわか らずじまいだったが sawuyu と呼 ばれる奴隷層である。そしてこれ ら集団を統括するのが Raja と呼 ばれる村の首長である。では Raja はいったい集落のどこに住 むのだろうか さて , 問題の中心は彼らを配置 する先のテープル問題である。人 にその方向を指差し , どのように 言うかを聞き取ったのであった。 集落の模式図を書きその単語を 書き入れた。その結果のなかで明 らかに傾向が認められたものをま とめるとだいたい以下のようであ る。 'fiu"-"Raya"( 註 4) という現地語を 持っている。その意味は答えられ ない場合が最も多く半数を占めた 隠しているのではなく "Raya" は "Raya" としか言いようがないと いうのであった。もうこれ以上は 還元できない基本用語だった。た だし意味を付加されている少数例 もあった。その場合 , “ L 面”は 「太陽が沈む」「墓がある」「海が ある」方角であった。 "Raya" を 「太陽が昇る」とするものがあっ 「太陽が昇る」という意味を 与えられた場合の " Raya " はおお むね東の方位側にあったが真東で はない。「太陽が昇る」という意 味を与えられていない場合は , 方 位は不安定である。よって "Löu"- "Raya" と方位概念とのつながり はゆるい。 ・ "Löu"-"Raya" と集落の "de- pan( インドネシア語 , 入口 ) " , "be- lakang( 同 , 出口 ) " との意味上のつ ながりは集落によって様々である。 ・首長の家は訪問した 7 集落 中 5 集落で“ L 面”からみて右側 に位置していた ( 以降左右を問題にす る時は特に断りがない場合は "Löu ”から みたときの位置を指すこととする ) ( 註 5 ) 。 ・首長の家がある側のほうが上 位の人々が住むという意見は 7 集落中 1 件のみで採取された。

4. 科学 2016年7月号

下で現地流のポードゲームをして いた男たちに現地のドライバーが 首長の家のありかを尋ね , その情 報をドライバーがインドネシア語 に翻訳し林に伝え , ようやく私に 伝わってくる。彼らによると , の集落では首長はもういなくなっ てしまったとのことだった。しか し首長の家は跡地となって , 今で も合議はその跡地で行うという。 跡地を確認しにいくと , そこは 'fiu" からみて右側 , "Raya" の先 端にあった。首長はいなくなって しまったが , 髭を蓄えた首長とそ の妻であろう女性をレリーフにし た背板のついた椅子を中心に合議 広場がデザインされていた。そこ に高さの差はなく首長のつがいの 背板の差異のみがあった。その椅 子はすでにすり減り朽ちかけてい た。その成立時期もまったくわか らなかったが , 私たちは一 れまでの観察からして最も古い集 落形式ではないかと考えた。つま り右側の最奥の " Raya " に , 集落 の長が居を構えるという最も初期 的な配置のチャートである。 ではそれを仮に原 I 型と呼ぶこと 低い椅ろ - 値ぃ板 . I 型のヒリナワロ・フォウ ( Hilinawa 旧 Fau ) の合議広場の緻密な高低の表現。 'Raja" ( 首長 ) の家 9 mbe(embe(ee 咼丁十松・ル , メンヒル e Ⅳへ 加諞 6 メンヒル 5 5 'Raya" の方角← 既öu ″の方角 2 げに雇 W 久 ri 広家砂各 ″ⅳ久ロ 0 k い ' キい広 合議広場 1 ' 5 ーメンヒル 8 m ト m HiIinawaIö Fau にて採取 は夕方であった。外もだいぶ涼し は集落のでき方のオリエンテーシ 原 I 型から一型への拡張 くなり , それぞれの家の前庭にて , ョンが過去に前後 , 左右の差異を 果実が干されたり , 洗濯物を干し 反映して的確にデザインされたこ その翌日は南ニアスでも最大級 たり , 薪を並べたり , その間を子 とを強く肯定するに至った。 の集落を訪問する予定にしていた。 供たちが走りながら凧をあげてい その前に立ち寄ったオノホンドロ たりと , ゆったりした時間が流れ ていた。他の村に比べて気安い雰 (Onohondorö, 0.645982N , 97.778009E ) は I 型であったが , 昨日の原 I 型 囲気はどこから来るのだろうか。 の存在を仮定してこの集落を見つ そういえば集落の真ん中に鎮座し ヒリシマエタノ (HiIisimaetanö, め直すと , いくっか興味深い解釈 ているはすの首長の家がない。軒 0.641066N , 97.748785E ) を訪れたの 0676 KAGAKU Jul. 2016 VOL86 No. 7 HiIinawaIöFau の広場のダイアグラム。 首長のが消えた村

5. 科学 2016年7月号

0 、今すを ! HiIiamaeta の様子。 "Löu" 側へ , 海が見える ( , 真ん中に公共の道路がある。 そのほかは「違いはない」 , ある に現れてきた。そして合議広場の そこかしこに砂岩性のべンチが置 いは「わからない」と答えた。ま かれているが , 背板の有無 , 背板 た答えること自体に消極的であっ の高さ , 座面の格式表現の差異に た。これは聞き取りに応じた人が I 型のヒリナワロ・フォウ よって階級差が如実に現れていた。 住んでいる側の影響が大いにあっ (Hilinawalö Fau, 0.653725N , 97.778579 たし , 集落の形の成長によって次 E ) の集落に訪れた時 , 巨大なヴォ おそらく首長と第二の位置に属す る人物が座っていたであろう右側 第に左右が生み出す差異に対する リュームをもった首長の家をみた。 の二つの椅子は凝った装飾の高い その家の前に見事な造形の合議広 意識が薄まった可能性も考えるこ 背板を持ち , その背後には "daro- ニアスの伝統 場があった。公共軸の中心を石積 とができた。現に daro" と呼ばれる資本の象徴であ 集落の組織構成は特に Raja のカ みの高低を用いることで正方形に は有名無実化しているという。世 領域化したその広場には , “ L 面” る巨大な平石状のべッドが置かれ " Raya " のみならず , 首長の家の ている。さらに横には高さ 4 m 界遺産に充分値する首長の家は空 き家となり , 廃墟化の危機に瀕し ある家並み側ともう一方の家並み を超すメンヒルがその椅子の横そ れぞれにそびえていた。一方 ている。彼らの末裔は合議広場の 側との階級表現を緻密にデザイン “ L 面 " 側の左側にある最も低いべ していた。合議広場には様々な階 討議でイニシアチプをとるとは限 らない ( 註 6 ) 。しかしやはりニアス ンチは背板がなく位置も低く , 座 級 , 役割を持った人々が座るため , 板に貢ぎ物めいた箱型の彫刻がさ の集落にはその集落ができあがる そこに一つの間違いもあってはな れていた。そのべンチの装飾はそ らなかったのだろう。高低差を分 までのダイナミックなプロセスが 析すると , 。 Raya " と首長側であ こに座することが一時的であるこ 記録されている。 る右側を最上とする関係性が見事 とを意味していた。 こで私たち 科学 0675 動く大地に住まう ロ議場所の造形

6. 科学 2016年7月号

* この試論は 2013 年の 8 月 広場を行き交う人々を見ながら待 29 日から引日にかけてニアス島 っていると先の男が再びやってき を訪問した際の中谷と林による考 察である。もとよりこの地域につ 私たちはこれまでの質問をとり いては専門家ではなく , 調査方法 あえず彼に行った。 「広場の軸は何といいますか」 も十分なものとは言えなかったが , F"Raya"-"Löu" です」 聞き取りや集落配置分析によって , 特にヒリナワロ・マジノの集落形 「“ L 面”はどちらですか ? 」 式の特異性 ( 安定した中心性の誕生 ) を 「あなた方が車で入ってきたと 提起してみたものである。 ころです」 心豊かな現地ドライバー Kesa 「それでは "Raya" はどちらです の能力と機転に感謝したい。 「ここです」 Hilinawalö MajinÖの「王」と話す。 「方向ではなく , 「一 参考文献 こ」カ、 1—'The Peopling of Nias, from the Per- 着た男だった。集落を訪問しに来 "Raya" なのですね ? 」 spective of Oral Literature and Molecular 私は彼の立っている床を指差し たことをドライバーが告げると , Genetic Data" by lngo Kennerknecht, 扣ー hannes Maria Hammerle and Roger M 物腰柔らかに首長の家へ案内して た。彼はあらためて頷いた。 Blench from "EMPIRES AND STATES 初めての解釈を聴いて私たちは くれた。彼は広場に面した一軒に SeIected Papers from the 13th lnternational 住んでいるという。 驚いていた。逆に男の物言いは落 Conference 0 「 the European Association Of Soutneast Asian Archaeologists, Volume2" その集落の配置を見たとき , 私 ち着いていた。 ed. Mai Lin, Tjoa-Bonatz, Andreas たちはニアスの伝統的集落の最終 「そういえば , 首長はどこにい Reinecke & Dominik Bonatz, 2010 , Na- 形態を感じた。すべてが安定して ますか」 ⅱ on 引 University of Singapore 2—VIARO, Alain M. "Urbanisme et Ar- いるのだ。その要因はこれまでい chitecture Traditionnels du Sud de I ゞ ile de 通りを歩いていた彼はいま , 私 すれかの側 ( 多くは右側 ) にあらざる Nias ” , 106R Unesco, 1981 アスー Nias (http://sumai ・ org/asia/ をえなかった首長の家が , "Raya" たちの前で首長になっているのだ nias. h [ m ) 佐藤浩司ホームページ「建築人 の軸線の真ん中に置かれているか ここには住んで ふだんの彼は , 類学者の眼」 いなかった。つまり私たちに会う らであることに気づいた。 "Raya" 4 ー「インドネシア・ニアス島の集落形 態」「インドネシア・ニアス島の住宅構 時だけこの集落の代表として私た は首長の家によって閉じられるこ 法」安藤邦廣・井上勝徳ほか , 日本建築 ちに改めて対面したのだった。彼 とになり , この操作によって前後 , 学会大会学術講演梗概集 ( 東北 ) 1982 年 10 左右の差異がとうとう解消したの は王だった。その後もなごやかな 月 5—Gruber, P & Herbig, U. "Settlements だった。首長の家が集落の真の中 会話は続いた And Housing on Nias lslandadaptation このニアスで最も穏やかな印象 心となったのである。 nd Development", Vienna University of Technology を受けた男性のなかに , 私は「こ 先の男性から首長の家の前で行 こ」という安定した中心をみつけ , われる整然とした儀式の行い方を 彼が日常性と超越性とを切り分け 聞いてから , 巨木で構成された床 て存在していることに気づいた。 下を通って , 床上の室内に登って いった。広場に面した客間側には いつかはわからない過去のことだ が , 私は王がどのように現れたの 多くの人々をもてなすための大規 模なべンチ台が間ロいつばいに造 かを知ったのだと思った。 り付けられている。そこに腰掛け 0680 KAGAKU Jul. 2016 VOL86 No. 7 0 か ? 」 「ここにいる私です」

7. 科学 2016年7月号

が可能となった。まずここでは , 集落中央にある右側の首長の家を 起点にして , 軸線の角度がわすか に変更されている。おそらく尾根 形状に従わざるをえなかったので あろう。そして首長の家を超えた 軸線が変更された "Raya" 側は石 畳も幾分舗装の時期カ噺しい。こ れは首長の家からさらに " Raya " 側が拡張されたものと解釈するこ とができた。さらに入口・出口の 方向を聞くと "Raya" と "Löu" に 差はないという ( 註 7 ) 。また左右に 対応する現地語があり首長側であ る右側を "drölö-lawa" といい左側 を“ drö一簡 u ”と言った。いずれ の側の住人も lawa( 註 8) 側を上位で あると説明した。出入りの平等性 から。 Ra メ a " と既面 " 方向での格 の相違は減じたが , 左右の格の相 違が残っていると私たちは結論づ けた。 ー型から T 型へ 南ニアス最大級の集落バオマタ Hilisimaetanö集落の夕方の様子。 ルオ (Bawömataluo, 0.614367N , 化されたネズミ返し , 彫刻された 97.770155E ) を訪れた。 T 型はさら のではないか。 大ヤモリなどが過去を物語る彫刻 ニアスで最も大きいこの首長の に拡張され , 見ようによっては十 家も , 間取りは他の同形式の家と として記録されていた。 字形にまで展開している。首長の 首長の家の前の交差点が合講去 ほば同じであった。大きくは屋根 家はその中心に存在する。 の棟の位置に平行に区分けされ , 場である。そこはヒリナワロ・フ その首長の家への挨拶は , ドラ オウと同じく , 階級差を巧みに現 イバーだけでは力不足で , もう一 広場側が客人や外部に対して開か す darodaro や椅子 , そしてべン れ , 裏側が台所や寝室や収納など 人集落の住民を介して行った。イ中 チがより大規模に展開されていた。 介者の頭の下げ方 , 首長の慇懃な の私的な家族たちの領域である。 集落の大勢の人々がここで様々な 彫刻群 , 構造体のダイナミックさ 態度 , いすれもが日本の地方の古 ことを取り決める時のかけ声が聞 とともに多数の彫刻群がこの家の い村での振る舞いに酷似していた こえてきそうだ。べンチに用いら ことは驚いた。日本もニアスもそ 豊かな象徴性を生み出していた。 れるニアスの砂岩は研ぎ石に使わ の村落共同体のあり方は相当古い キールの上の家のレリーフ , 装飾 動く大地こ住まう科学 0677