いたんだけれど、みんな餓死してしまった。ャギとヒッジは二〇〇頭いたけれど、いま ではその半分しかいない。みんな死んじゃったんだよ」 青年と別れて先に進むと、あちこちに馬や牛、ヒッジの死体がころがっていました。 ひ力い いよいよゾドの被害の大きい地帯に人ったのです。とちゅうで入った食堂の主人に話を きくと、この家族も、馬三〇頭、牛一五頭、ヒッジ一〇〇頭を失っていました。 「ほかの土地に移動しないのですか。去年の一〇月に旅したウランバートルの北では家 ちく 畜は死んでいなかったけれど」 「いいえ、今年は全国的に被害が出ています。ウランバートルの北でも、冬に入ってか らは被害が出ているはずですよ。どこへ移動しても同じなんです」 「政府はなにか支援してくれていますか」 「政府からは牧草が送られてきますが、有料なんですよ。草九キログラムが二三〇〇ト ウグルグ ( 約三〇円 ) です。私たち遊牧民にはそんなお金はありません」 まんさい たしかに旅のとちゅう、牧草を満載したトラックを見かけました。けれども有料では、 ぶっし かぎ 牧草を買える遊牧民は限られています。日本などの海外からも支援物資がとどいていま すが、ウランバートルから輸送する資金がないので運べないという話もききました。 しえん がし ゅそう ラ 7 [ 2 ] 「ゾド」の大地をいく
て群れを散らしてしまい、プージェに大声でしかられました。ばくらをにらみながら、 帰ろうとします。あわてて追いかけて、あやまりました。どうも気になる女の子です。 しゆくはくしせっと たず 近所の村の宿泊施設に泊めてもらい、翌日また訪ねることにしました。 翌朝、プ 1 ジェのゲルにいくと、親戚の男の人がヒッジの放牧に出かけるところでし た。きけば、ヒッジはおよそ二〇〇頭いると ) しいます。きのう、スレンさんは七〇〇頭 といっていました。不思議に思いましたが、あとでその理由がわかりました。 「遊牧民に家畜の頭数をきくのは失礼にあたるんです。それに家畜の数を口にするのは えんぎ 縁起がよくないことなんですよ。正直に数をいうと、家畜はそれ以上ふえなくなってし まうといわれています」と、教えてもらいました。 だんせいまきわ ゲルの前では、リ 男の中年の男性が薪割りをしていました。 「プージェの家族とどういう関係なんですか」ときくと、近くに住むしりあいで、ちょ うど通りかかったので手伝っているのたといい ます。プージェたちが男手がなくて困っ ているのを知っていて、ときどき手伝っているのです。この日も薪割りが終わるといっ の間にかいなくなっていました。ばくらはプージェたちにあいさっして、ウランバート ルにむかいました。 む かちく しんせき よくじっ 」ま
かいちょう のコンディションです。時速およそ二〇キロメ 1 トルで央調に飛ばしました。 馬に乗ってヒッジを追う遊牧民が道をいきます。ラクダに乗って、荷物を乗せた別の ラクダを引っぱり、道路を横切る人もいます。南米で、グアナコ、ビクーニヤ、アルバ 力、リヤマと、四種類のラクダの仲間を見ました。けれども、動物園以外でユーラシア 大陸のラクダを見るのははじめてです。南米のラクダの仲間にくらべるとかなり大きく、 かた 肩までの高さがおよそ二メ 1 トルもあり、二五〇キログラムもの荷物をせおって歩くこ とができると ) しいます。ラクダが大草原をのしのしと歩いている光景はエキゾチックで、 ちが 「ロシアやシベリアとは違う世界に人ったのだな」とあらためて思いました。ラクダに 乗る人にカメラをむけると、にこやかに手をふって、さっそうと去っていきました。 午後一時半、道路ぞいにゲルがならんでいる村に着きました。食堂もあったので立ち ないぞうに よると、ちょうどヒッジの肉と内臓を煮ているところでした。食堂のおばさんが「いい ところに入ってきたね。あんたたちは幸運だ」といいます。モンゴルでは肉を煮ている おとず ときに客がくると、その客に幸運が訪れるといわれています。「あなたは幸運だ」と相 手にいうときには、「あなたは馬を連れて歩いている」といし ゝます。遊牧民の国らしい ひょうげん かちく 表現です。モンゴルにはさまざまな家畜がいますが、一番大事にされている家畜は馬で、 たいりく 17 [ 1 ] 草原の少女プージェ
4 せん。この作業をばくも手伝いました。かな りのカ仕事です。気温はマイナス一四度なの に、杭を引きぬくたびに汗がとめどもなく出 てきます。下着も汗でびしよびしょです。 家畜たちは、近所に住むおじさんが、冬営 地に移動させていました。シャラフドルジさ んは、エルデネチメグさんの妹夫婦の家に移 っていました。引っ越しがすんだら、冬営地 にやってきます。 る す ゲルの解体作業が終わりました。「こんど は冬営地でまた建てなくてはなりません。作 業が終わったら、ドライバ 1 や手伝ってくれ た人に、お酒やごちそうをふるまうんです。 む ヒッジを一頭お礼にわたすこともあるんです よ」というエルデネチメグさんに、来年の再 かちく あせ さし 31 は ] 草原の少女プージェ
るす 歳 ) は、この一か月ほど留守にしているそう どろぼうぬす です。三九頭もの馬を泥棒に盗まれて、それ を探しにいっているのです。 シャラフドルジさんとスレンさん、それに ーサは、七〇〇頭もいるというヒッジや、 そのほかの家畜の世話はできません。プージ けんめい 工が懸命に働いているものの、七歳の女の子 ひとりではむりです。 「働き手となる男の人がいないので、ウラン ートルから、遠い親戚にお金をはらって手 槌伝いにきてもらっているのよ」とスレンさん 。しいます。これでは泊めてもらうわけには いきません。 ゲルを出て、プージェの牛追いについてい おどろ きました。写真を撮ろうとして、牛を驚かせ かちく しんせき リ [ 1 ] 草原の少女プージェ
てしばらくすると、道は急な下り斜面になり ました。なんとか斜面を下りると再びのばり になります。ロバに荷を積んで歩いている遊 牧民とであいました。ゲルの場所をたずねる と、一〇キロメートルほど先だといいます。 たどりついたのは、いままで見たこともな けん いようなすばらしい場所に立っ六軒のゲルで てした。ゲルは小さな山々に囲まれたくば地に 黷三か所にわかれて建てられていました。くば 地の南西にだけは山がなく、そのむこうに大 やまな の平原とゴビ・アルタイ山脈が見えます。山並 しず みにオレンジ色の太陽が沈もうとしていまし 」フ た。平原には白っほい塩湖も見えます。すば らしい景色です。ャギやヒッジがゲルに集め かちく 夜られているところでした。大型の家畜はいま ーヨ しやめん ふたた 113 [ 3 ] ラクダの旅
翌日はみんなでピクニックにいきました。 はな さきゅう ゲルから四キロメ 1 トルほど離れた砂丘でヤ ギ肉を石焼きにして食べます。砂丘のそばに しっちたい わき水があり、まわりは湿地帯になっていま かん・はく す。浅い川や池もあり、低い灌木がはえてい ます。まわりが一望のもとに見わたせます。 このあたりは草が多いため、ゲルがあちこち にあります。ヒッジやャギもいます。ちょっ としたオアシスです。 枯れた枝を集めて火をつけて、その上にヤ っ を 6 ュギの肉と焼いた石の人った水がめをのせまし ク ふっとう あ 「一。一た。沸騰した水でヤギ肉が煮えます。揚げパ ク ンやャギ肉を食べていると、ラクダに乗った ) ) ~ ~ 遊牧民たちが集ま「てきました。 砂 見晴しがよいということは、ゲルにいる遊 えだ に 93 [ 3 ] ラクダの旅
たずねました。 すると、スレンさんは声をつまらせながら、「エルデネチメグは亡くなったんですよ」 そうぞう なみだ というではありませんか。涙を流すスレンさんの想像もしていなかったことはに、頭の 中がまっ白になりました。シャラフドルジさんは一二月に、エルデネチメグさんは二月 ます。ばくが日本に帰っているあいだに、プ 1 ジェ一家は続け に亡くなったのだといい ざまに不幸におそわれていたのです。 かちくどろぼうぬす それだけではありませんでした。ヒッジやャギがまたしても家畜泥棒に盗まれました。 スレンさんはこの立て続けの不幸に、がつくりと落ちこんでいました。 ◆エルテネチメグさんの死 それにしてもエルデネチメグさんは三三歳、亡くなるような年齢ではありません。ス レンさんに、なにがあったのかをききました。 きゅ、つしよ、つがっ せいれき モンゴルでは旧正月を祝います。二〇〇〇年は、西暦の二月五日が元日でした。正月 たず を目前にした一月二八日、エルデネチメグさんはバヤンチャル村に妹を訪ねました。帰 りは夜になってしまいました。モンゴルでも最も寒い季節です。とくに今年は強い寒波 ねんれい
せんが、ヤギやヒッジだけで二〇〇〇頭くらいはいそうです。 っえ 一軒のゲルの近くで杖を手にしたおじいさんとであいました。おじいさんはゲルにま ねいてくれました。「なにしにきたんだね」というので、これまでの旅を説明して、「こ れから国境にむかいたいのですが、いま連れているラクダはここまでの約束なんです。 ここで別のラクダと同行してくれる人を見つけたいんですが、そんな人はいませんか」 むずか とたずねました。おじいさんは「難しいんじゃないかねえ。ただ、明日この村でゲルの 引っ越しをする人がいるんだ。引っ越しの荷物運びのためにラクダを集めてある。引っ 越しが終わればラクダを借りられるかもしれないよ。あとは、ここから一〇キロメ 1 ト ルほど離れたところにゲルがあるんだが、そこの人なら一頭か二頭は貸してくれるかも しれないな」といいます。 いずれにしてもいままでのように、ラクダを八頭から一〇頭くらい集めて旅を続ける ことは難しそうです。借りられるだけラクダを借りて、荷物を積んで歩くか、最初から ラクダをあきらめて徒歩で進むか、それともロバを手に人れようか : 今日はこのお じいさんのゲルに泊めてもらって、どうするか考えることにしました。 ひ いつけん はな こっきよう せつめい 114
二〇キロメートルしか進まなかった日もありました。けれどもモンゴルのこのあたりは、 それほど砂地が続いていません。ペダルをふんで進める固い地面もあります。 南米でもモンゴルでも、このような砂漠地帯にある道路は人が作ったものではありま わだち せん。車が通ったところが自然に道路となるのです。車が通りやすいところを通った轍 の上を後続の車がたどり、そのうちに自然と道路ができるのです。たくさんの車が通り、 やがて轍が深くなって使えなくなると、通りやすいところにまた新しい道ができます。 ひょうしき こうして何本も道ができるので、道路標識などはいっさいありません。 むすこ ハグアさんの息子さんの家に着いたのは日がくれる少し前でした。生まれて間もない 子ャギや子ヒッジがばくらを出むかえました。自転車の旅はここで終わり、いよいよラ むすめ クダの旅がはじまります。ハグアさんはここから六キロメートル離れた娘さんのゲルに たず 寝泊まりしているといいます。翌朝ハグアさんを訪ねることにしました。 ◆ラクダとくらす遊牧民 朝八時。ハグアさん ( 六六歳 ) とラクダの旅の日程やコースなどを相談しました。と ころが、ハグアさんは最初からわがままをいいます。 ねと さい よくあさ につてい はな 61 [ 2 ] 「ゾド」の大地をいく