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検索対象: 草原と砂漠のモンゴル
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1. 草原と砂漠のモンゴル

「うん、ひどいよ。うちも馬を三八頭飼っていたんだけれど、生き残ったのはここにい おとろ じよう ぼね る八頭だけだ。その八頭にしても、ご覧の通り、やせ衰えてアバラ骨が見えるような状 態だ。馬たちは食べ物がないからカが出ないんだ。人も乗せられないくらいさ。だから、 こうして歩いて馬の世話をしているんだ。この八頭も草のはえてくる六月まで持ちこた えられるかどうかわからないよ」 青年の馬たちは、やせこけて元気がありません。ここまで来るとちゅう、たくさんの いどう 人が草原や雪原を歩いているのを見ました。去年の秋にはみんな馬に乗って移動してい たのに、ゾドのせいで歩かなければならなくなったのです。遊牧民にとって馬に乗れな じたい いというのは、たいへんな事態です。 ふと見ると、馬が地面にへばりつくわすかな草を食べようとしていました。根までほ じくりだして食べています。そのようすを見た青年がことばを続けました。 「馬たちは草の根どころか石まで食べているよ。死んだ馬の胃をさいたら、たくさんの じようたい ちが 石が出てきた。フンの状態もいつもと違う。黒っぱくて、ほとんど草がふくまれない いつもだったら草がふくまれているから、燃料としても使えるんだ。牛のエサとしても 使えるくらいなんだよ。だけど、その牛も死んでしまったからね。うちには牛が一五頭 らん

2. 草原と砂漠のモンゴル

夏と秋にできるだけたくさん草を食べて太っておかなければ、冬は越せません。遊牧民 ばんしゅう たちが晩秋や初冬に家畜をたくさん解体するのもそのためです。家畜が一番太っている れいと、つほ 季節に解体するのです。晩秋や初冬に解体すると、すぐにこおるので、そのまま冷凍保 ぞん 存もでき、冬から春にかけての重要な保存食料となります。 冬にはやせるばかりの家畜ですが、ばたばたと餓死する年もあります。これが「ゾ ド」です。ふつうならやせはしてもなんとか春まで生きのびられるはずの家畜たちが、 げんいん どうして年によっては死んでしまうのでしようか。原因はいくつかあります。 第一に、前の年の夏から秋にかけて十分な雨が降らず、牧草があまりはえなかったと きです。食いだめをする季節に、食べ物が不足して、十分に太れないまま冬をむかえた 家畜たちは、餓死してしまいます。今回の「ゾド」はこの原因だと見られています。 第二は雪の量が多いことです。雪が多いと、冬にその下の地面に残っている草を掘り おこして食べることができません。これも餓死につながります。 第三は、雪の量ではなく、寒さです。降った雪がとけて固くこおり、家畜の前足では 掘りおこせないほどになります。そのため氷の下の草が食べられなくて、餓死してしま います。シベリアのトナカイ放牧地でもこれと同じ話をききました。 かちく かいたい がし

3. 草原と砂漠のモンゴル

と、つ いきなさい」と、すすめられました。昼食を食べていなかったので、ごちそうになって しいます。まだ午後四時でしたが、 ゝると、「ムフ日は一つちに , 旧まっていきなさい」と、 あま おことばに甘えて泊めてもらうことにしました。 と、つけ・ヤ」 よくじっ 翌日はのばり坂でした。峠を越えるまでのばりが続きます。峠といってもたいした高 さではありませんが、まだ身体が自転車に慣れておらず、また、雪も深いために、きっ い一日になりました。雪の積もった峠道を自転車で越えるのは、南米のパタゴニア以来 です。アルゼンチンからチリに人るとき、左右に高さ三、四メートルの雪の壁ができて いました。のばり坂を自転車を押して歩いたときのことを思いだしました。 きのうのように、車の轍のあとをたどります。雪がふみ固められて、つるつるにこお りつき、おまけにわずかにでこばこしているために、油断しているとすぐにすべって転 こし 倒します。こおった路面にひざや腰を打って、痛い思いをしました。バット・ザャもひ しんちょ、つ んばんにころんでいます。原重にゆっくりと進んでもころびます。スパイク・タイヤに そうび すれば楽なのですが、よけいな装備をつけたくなかったのです。 わだち ◆「ソド」の大地をいく ゆだん かべ てん

4. 草原と砂漠のモンゴル

ゅうぐ す。夕暮れとともに、強風が寒風となり、体温をどんどんうばいます。 けんめい ラクダたちは懸命に草をむさばっています。ラクダはどんな植物でも食べてしまいま どう す。移動のとちゅうでも、しよっちゅうあたりにある草を食べています。首を立てて歩 いていても、食べたくなると急に首を下げて草にかぶりつきます。そのたびに手綱が下 に引っぱられ、ときには手綱をはなしてしまうこともあります。食べはじめると歩みを とめて、動こうとしません。ラクダが食べるのは、ほとんどかわききった草です。トゲ ちが のある草も平気で食べます。人間が食べたらロの中が血だらけになるに違いありません。 ハグアさんは、「旅のとちゅうでラクダに水やエサをあたえてま ) ナよ ) 。し。オし」といって いたのに、ツェリンバットさんは気にしません。それどころか、「長い旅をするときは あっか 食べさせてもいいんだよ」と、 しいます。遊牧民それぞれで、ラクダの扱いが違うよう です。 ゲルの若者の案内で、セミネーさんのゲルにむかいました。 とちゅう、ラクダが胸まで水につかるほど深い川があってひやりとしましたが、ぶじ なんげん にわたり、ゲルが何軒も建ちならぶ村に着きました。その一軒がセミネーさんのゲルで ふんいき いなか した。セミネーさん夫妻は、顔つきも雰囲気も、なんだか日本の田舎にいるおじいさん むね たづな 83 [ 3 ] ラクダの旅

5. 草原と砂漠のモンゴル

でんとう 「伝統はそうですが、うちは親の代から農業をやっていますから、抵抗はありませんよ。 時代も変わりましたしね。それに、このあたりは砂漠です。草原ではなく、砂漠を畑に して掘っているわけですから、それだけ抵抗も少ないのかもしれません」 ガンバータレさんがジャガイモをゆずってくれたので、ひさしぶりにカレーライスを 作りました。ジャガイモとヒッジの肉をたつぶり入れます。ガンバ 1 タレさんやアルカ す ひょうばん さんにもごちそうしましたが、評判はよくありません。モンゴル人は甘いものが好きで、 からい料理はありません。からい食べ物は苦手のようです。 チュルンバットさんのゲルを出てから一二〇キロメ 1 トル近く移動したので、ラクダ つか よくあさ たちも疲れてきたようです。翌朝は六時半に、草がたくさんあるところにラクダを連れ ていきました。九時ごろまで十分に草を食べさせ、水を飲ませたので、出発は一〇時す ぎになりました。 午後一一時半、バッテルド 1 ネさんのゲルに着きました。奥さんのセレンゲさんがばく かん・け・い らを歓迎してくれました。バッテルドーネさんは、ビーゲルの町の学校に通う子どもた るす きしゆく ちを、バイクでむかえにいって留守でした。子どもたちは、平日はビーゲルの町に寄宿 週末になるとゲルに帰ってきます。やがてバッテルドーネさんが、 しながら学校に通い、 どう あま 91 [ 3 ] ラクダの旅

6. 草原と砂漠のモンゴル

祝います。けれども、プ 1 ジェの家ではおじいさんが亡くなったばかりで、暗い正月と ようだい なりました。そのうえエルデネチメグさんの容態も悪くなりました。横になったきりで、 しよくよく 食欲もありません。食べても吐いてしまいます。話もしなくなりました。心配したスレ ふくぶあかむらさきいろ ンさんがエルデネチメグさんの身体を調べてみると、馬にふまれた腹部が赤紫色に変色 していました。 病院に連れていこうと、町の人に車を頼みましたが、車はなかなかやってきません。 二月九日、ようやく車の手配がっき、病院に運びこみました。ところが、病院の医師は しんりよう ほけんしよう いりようひはら 診療をことわりました。エルデネチメグさんは健康保険証を持っておらず、医療費が払 えないとみなされたのです。 ほ、つかい 社会主義時代、モンゴルでは医療費は全額無料でした。しかし、ソ連政府の崩壊に続 きよ、つさんとう けいざし いてモンゴルの共産党政府も崩壊し、一九九二年に自由主義経済になると、医療費は有 げんきんしゅうにゆう 料になりました。そのため、現金収人の少ない遊牧民はなかなか病院にいけなくなりま きょひ した。以前は三人いた近くの病院の医師も、いまはふたりになっています。診療を拒否 よくじっ えいえん された翌日、エルデネチメグさんは永遠の眠りにつきました。 たず エルデネチメグさんのお墓は、去年訪ねた秋営地の近くにあるといいます。木の棺で はか ぜんがく たの せいふ ひつぎ

7. 草原と砂漠のモンゴル

あなう 子馬や子牛の死体は穴に埋めますが、そのほかは地面に放置したままです。食べては かちく どうかと思うのですが、遊牧民にきくとゾドで死んだ家畜の肉は食べないのだそうです。 このゲルに二泊して、三月二二日、自転車にまたがりました。とちゅうの井戸に遊牧 民たちが集まっていました。話をきくと、このあたりには十数家族がくらしていて、四 〇〇頭の牛を飼っていたそうです。ところがゾドのせいで、いまでは一〇〇頭しかいま 力し せん。あとの三〇〇頭は餓死してしまったのです。 とうげみち 峠道の手前で、バット・ザヤの自転車のタイヤがこわれました。チュープのバルプが さっえい だめになり、スペアーの部品が使えません。バット・ザヤは自転車をあきらめて、撮影 隊の車に同乗することになりました。 すな だんだん砂が多くなってきました。タイヤが砂にめりこむために、ペダルをこげませ ん。自転車を降りて、押して歩くことが多くなりました。モンゴル草原地帯は、チリや アルゼンチンの北部の草原地帯と景色が似ています。雪が降れば、こんどはシベリアの さばく ツンドラとそっくりの景色になります。南部に入ると、ポリビア南部の砂漠地帯のよう です。そこは広大な砂場のようでした。あまりにも砂が深くて自転車をこげず、一日に 「どうして食べないのですか」とたずねても、理由はよくわかりませんでした。

8. 草原と砂漠のモンゴル

第四も寒さです。寒波は圧死の原因にもな るのです。厳しい寒波に、家畜たちは身を寄 だん せあって暖をとります。ところが大型の動物 が数十頭、数百頭と押しくらまんじゅうをす るため、その中で圧死する家畜も出てくるの です。 第五の原因はナキウサギの大繁殖です。ナ ちいき キウサギはある地域の草を食べつくすと、次 ての地域に移動し、そこの草の根まで食いつく します。ナキウサギがふえると、ほかの動物 が食べる草がなくなってしまうのです。 路馬の死体の近くで、歩いて馬を追っていた 青年に話をききました。 ひがい ンに填「このあたりはゾドの被害がひどいのです どう あっし だいはんしよく 55 [ 2 ] 「ゾド」の大地をいく

9. 草原と砂漠のモンゴル

翌日はみんなでピクニックにいきました。 はな さきゅう ゲルから四キロメ 1 トルほど離れた砂丘でヤ ギ肉を石焼きにして食べます。砂丘のそばに しっちたい わき水があり、まわりは湿地帯になっていま かん・はく す。浅い川や池もあり、低い灌木がはえてい ます。まわりが一望のもとに見わたせます。 このあたりは草が多いため、ゲルがあちこち にあります。ヒッジやャギもいます。ちょっ としたオアシスです。 枯れた枝を集めて火をつけて、その上にヤ っ を 6 ュギの肉と焼いた石の人った水がめをのせまし ク ふっとう あ 「一。一た。沸騰した水でヤギ肉が煮えます。揚げパ ク ンやャギ肉を食べていると、ラクダに乗った ) ) ~ ~ 遊牧民たちが集ま「てきました。 砂 見晴しがよいということは、ゲルにいる遊 えだ に 93 [ 3 ] ラクダの旅

10. 草原と砂漠のモンゴル

ところがスレンさんが、「モンゴルでは四十九日の法事までお墓にいってはいけないん です。そのあとも三年間はやはりお墓に参ることはできません」といいます。四十九日 まいそう までは棺をゲルに安置し、そのあとお墓に埋葬します。三年後に遺体を掘りだして、筋 肉などがついていれば、まだ成仏していないとみなされます。そのときにはきれいに骨 あら ふたた を洗って再び埋葬します。 どそう モンゴルではほとんど土葬ですが、かっては風葬も多かったそうです。水葬もありま した。遺体を川や湖に流すのです。そうすると魚が遺体をきれいに食べてくれます。水 葬というよりも魚葬といったほうがいいかもしれません。このため、魚は人の死肉を食 べる生き物とされ、モンゴル人は魚を食べません。 いずれにしても、エルデネチメグさんのお墓参りは四十九日にあたる三月三〇日ま さばく でできません。まだ半月以上先なので、まずはゴビ砂漠にいき、四十九日の法事にもど ってくることにして、プージェたちと別れました。 ◆プージェと学校へいく じゅんび ゴビ砂漠ラクダ縦断の旅の準備をすすめていたばくは、エルデネチメグさんの四十九 ひつぎ じゅうだん じようぶつ はか したい きん ほね