連載第三十回 河野多麻の作歌 秋葉四郎 河野與一・多麻夫妻、岡本信一一郎は、東北帝大、旧制 山形高校 ( 現山形大学 ) に縁があった関係であろう、斎 藤茂吉を親しく思い、三人がそろって訪ね、茂吉に鰻を ふるまってもらって以来、その答礼も含んでしばしば 「鰻の会」が催され、上山の山城屋にもしばしば行き、 四人の親交が深まった。それが茂吉の蔵王歌碑行の実現 に大きな役割を果たした。 この蔵王歌碑行に同行した河野多麻は、茂吉の直接指 導を受けて作歌を始め、戦後の昭和一一十四年ころまで、 作品を送り、茂吉の添削を受けていた。そのことを「ア ララギ」の昭和二十八年十月号「斎藤茂吉追悼号」に 「茂吉先生のいはゆる『妄批』ーと題して書いている。 「先生に親しくお目にか、れたのは、結婚した年の夏で 題字・秋葉四郎 あった。当時先生がアララギ派の驍将であられたこと も、短歌では独自の道を開かれて、追随を許さぬ歌人で あることも、あまり気にとめてはゐなかった」と書きだ している。当時数少ない女性の学者として頭角をあらわ していた河野多麻、そのこうした拘りのないところにむ しろ茂吉が心を許し、作歌を進め、添削も引き受けたの であったろうか 蔵王山歌碑行の茂吉と河野多麻。左から 3 、 2 番目。茂吉は靴に藁草履を 付けているが河野多麻は足袋に草履か。勇敢な人柄が偲ばれる。 142
茂吉『つきかげ』にみるヒューモア 禁制された笑い 斎藤茂吉は笑わない。 なにがおきても笑わない 笑うのはあくまでまわりにいるものである。あるい は読者である。しかし、そういう者が笑うと茂吉は喜 ばない。喜ばないどころか、怒る。癇癪を爆発させる。 「なにが、おかしいんだー と怒鳴りつけられる。それが恐ろしいから笑うに笑え ない。下唇を噛んで、じっと笑うことに耐えねばなら ない。斎藤茂吉の「ヒューモア」は、かくて禁制され た笑いである。 禁制された笑いは、おかしみを何倍にも増幅させ る。どんどん勝手に増幅して、さりげない些事の、作 者の一挙手一投足までおかしく見えてくる。『つきか げ』の笑いなどは、まさにそういう性質のものである。 このことを比喩的にわたしは言っているのでない。 実際に斎藤茂吉という人はそういう人であったらし い。北杜夫の茂吉四部作などを読むと、次男宗吉すな わち北杜夫が、茂吉の身辺にいて、いかにこの禁制さ れた笑いに耐えたかが生き生きしたエピソ 1 ドとして 克明に再現されているが、ここでは紙数が限られてい るのでそのひとつでも紹介できないのは残念である。 『つきかげ』は昭和二十三年に疎開先から帰京して昭 和二十八年に没するまでの歌作を集めた遺歌集であ る。斎藤茂吉第十七歌集にあたる。その前の歌集はか の高名なる『白き山』で、敗戦後のふかいかなしみを 様式美きわまる自然詠に結品させて『赤光』と並ぶ歌 人茂吉の代表歌集となった。『つきかげ』の歌はおよ そ『白き山』の歌境とは違っていて、嫌う人は嫌うが ( 上田三四二はその代表 ) 、おもしろいことは比類な 禁制されたる、その一読爆笑の歌をいくつか紹 小池光 6
とにかく蔵王歌碑行の後、河野多麻は短歌を作り茂吉 に送っている。「無謀にもその秋、浜松に旅行してから 三十一文字をお目にかけた。『 : : : 成るほど御歌は栗虫 の糞のやうにて : : : 』といふおハガキを頂いた。余程を かしかったに違ひなく、お笑ひになる声につられて私ま でこみあげてくるやうな実感がこもる。尤も私にしてみ れば、私は馬鹿ですと言ってるのに、成程、お前は馬鹿 だといはれてうれしい筈もなかったが : : : 」とその追悼 文に書いている。 初心者の歌を批評して「成るほど御歌は栗虫の糞」と はあまりにもひどすぎる。いかに昵懇の間といえども茂 吉はもっと温かい配慮をした筈である。 全集の書簡三八九四は昭和十四年七月二十一日河野多 麻宛の葉書である。どうやら茂吉が初めて河野多麻の短 歌をみた折の所感と思われる。「拝啓御芳書拝受、小生も御 かげ様にて登山成就大幸至極に存じ候、御哥御示し下さ れよろこばしく御座候成程いまだ御初歩に御座候しかし 此は御学問と比べての相待観に候〇先生にもよろしく」。 「先生」は御主人の河野與一である。追悼文は十四年ほ ど隔てて、おそらく記憶のみにより書いているから、誤 解も入り混じったのであったろう。茂吉の短歌実作指導 は寛大な選であり、温かかった。現に、河野多麻の場合 も例外ではないことを書簡三八九四も証明していよう。 茂吉の添削を受け、その率直な助言は河野多麻自身が その追悼文の続きに書き残している。「殆ど最初から、 歌稿には『旧派也』『皆女流の歌也』『時々俗調也』『調 子軽くてわろし』『平俗也』『上句中学生むき也』『この 御歌象徴的なるべきもつまらぬ。鉄幹・晶子の末流也』 『ハイカラ新派ワロシ』から『や、洒落たり』『洒落れて 旧派也』『コノアタリ率直にてよし』『整ひたり』『難な し』『よし』『三首素直にてよし』等の評を頂き、仮名遣 の誤まで時に訂正され恐縮した。次第に◎もまじるやう になり、『全体張ありてよし十月十日妄批茂吉』『拝読 了なかなかよろしき歌あります』のお言葉も頂いた。栗 虫の糞がともかくここまで成長したのは、先生の賜をお 回 いて何があらう」。 第 茂吉は河野多麻の歌をあなたの学問と比べれば初歩だ 茂 と言って、作品をきわめて率直に且っ温かく批評してい る。その上で「妄批ーだと謙遜さえしている。学者河野 し 多麻に敬意を表しているのである。昭和五十九年七月、 や 夫君河野與一が没し、その半年後自らの失火による火災載 連 にて、夫人多麻もこの世を去った。 4
介、鑑賞してみよう。 人間は予感なしに病むことあり癒れば 楽しなほらねばこまる 思いもかけない病気になって心身共に袞弱し、苦し み、もうだめかと思い、それがいっしか治った。そう いう時の気持ちは実に「楽し [ いものである。しかし 治らなかったらどうか。ひたすら「なほらればこま る」のである。このあまりに率直な、正直な、かっ平 易きわまる感想が、実に人を食っている。こういう歌 を読んで一片の笑いも脳裏に浮かばない人と短歌を語 ろ、つとは田 5 わない。 銭湯にわれの来るとき浴槽にて陰部を あらふ人は善からず 戦後の混乱の最中で燃料が不足しているからだろ う、まだ自宅で風呂が使えない。それで銭湯に行く。 すると先に湯船に入っている男がいて、「陰部」を手 ア モぬぐいでごしごし洗っている。たちまち不愉快になっ ュた茂吉、咄嗟に一首の歌を得た。 の「陰部」の一語が強烈だ。わたしは、「陰部」という 短語をほかに短歌で見たことがない。なにもここまでア 集 特 ゅぶね なほ リノママに言わなくてもよかろうに。この歌は大書し て額に入れ、全国の銭湯の脱衣場に掲げておきたい。 おも 不可思議の面もちをしてわが孫はわが 小便するをつくづくと見る ある時期の子供はたしかにこういうふるまいをす る。トイレにまでついて来てしげしげと排尿のさまを 見る。しかしこういう場面を茂吉以外の誰が歌こしょ うと思うだろう。「不可思議の面もちをして」という 導入部があまりに荘厳、厳粛で、とても「小便する」 と展開されると思えない。「わが孫ー「わが小便する」 と「わがーが二度も出てきて、短歌初手の法に反する が、一向に平気だ。呆けのきざしかも知れない。 濃厚の関係にある面相に熱海の道をつ ア モ れだち歩む ュ ヒ 熱海に行ったとき、向こうから仲良さそうに男女が 歩いてくる。茂吉、たちまちおもしろくない。お前み ら、いい気になるなよ、と呟く。それにしても「濃厚 の関係にある面相ーとはよくも言った。爆笑を誘うの っ である。こういう歌が『つきかげ』には点々とある。 吉 茂 笑うべきか笑わざるべきか、それは読者の心次第。 9 6
茂吉翁短歌に詠みたる長崎の白きさるすべりのはな折々おもふ 咲く時も散る時も泡めくさま保っさるすべりのはな手の平に乗す 寒蝉のいまだ鳴きゐる森のうへ赤蜻蛉は例年ふいにあらはれる 西の空ゅ東の空にながれくる赤蜻蛉は大滝貞一の死を知らせたり ほのかなる明りを包むと思ひつつデラウェア食ふ妻と黙して 卓上のレモン月光に輝きを増しつつあるを置き眼鏡知る 45 巻頭 10 首
短歌 日短歌のヒュ 1 モア 総論ヒューモアの品格 笑いの先にある救い 大松達知 茂吉『つきかけ』にみるヒューモア 禁制された笑い 小池光 岩田正のヒューモア特別作品首十ェッセイ ケアセンタ 1 ・木曜日 岩田正 ニ十代歌人とヒューモア 朝ちょっとだけ泣く 光森裕樹 古典作品に見るヒューモア 鮒やら鯉やら 島田修三 現代ヒューモア短歌の名手 現代短歌のヒュ 1 モアの手法 山田航 テーマ別ヒューモア秀歌 恋典型からのズレ 栗木京子 日常笑いの壺 池田はるみ 仕事。一高瀬一誌のヒュ 1 モア 安森敏隆 第回角川短歌賞受賞から一年特別作品首 鈴木加成太 ギターと熱帯夜 / The Tokyo Sta. Hotel カラーグラピア 松平盟子 x 櫂未知子 訂文字の扉 対談 写真永石勝 ー詩歌句の未来を語る題詠「泡」 連載ェッセイ戦争と少女第六回九軍神の存在馬場あき子 カラーグラビア 永田紅 歌人の朝餉 高野公彦歌集『無縫の海』 平三井修歌集『汽水域』 書大口玲子歌集『神のパズル』 仲田紘基歌集『追憶岬』 ロ 坪内稔典 高木佳子 今井恵子 梅内美華子 伊藤一彦 伊藤玲子歌集『明月珠』 東笑子歌集『革トランク』 大谷和子 時田則雄著『陽を翔るトラクター』松村正直 ・表紙・グラビアデザイン“トリプル・オー ・本文デザイン・カッ Ⅱ南一夫 ・カット沢野ひとし・永畑風人・高田美穂子 52 ・ 9 83 82 80
ウントで「短歌を読む媒体は主に」何かというアンケー 寄せ、歌の語り手と歌の作中主体がすべて作者に還元さ トをしたところ、回答数は七百九十五票で、歌集が二十 れてしまうような短歌の読まれ方についてそれぞれに異 議を申し立てている。 一 % 、短歌の雑誌が三 % 、結社誌が三 % 、 Twitter など インタ 1 ネットが七十三 % だった。加藤は Twitter 上で 吉田は「現代短歌とフランス文学抒情詩の〈私〉を やったアンケ 1 トだから当然の結果だとしながらもそう めぐって」で、短歌における〈私性〉の複層性について 永田和宏や大辻隆弘、さらに国語学者の福沢将樹の見解 した読者が雑誌媒体を飛び越えて歌集は読んでいるとい う傾向に注目し、岡野の試みが短歌実作者ではない読者を紹介した後、そうした〈私性〉をめぐる論議が短歌や 日本の詩歌にとどまらない例として現代フランス文学の の獲得の契機になり得るのではと期待を述べる 研究者ドミニク・ラバテの分析を紹介する。さらにラバ 論考の最後に「今、短歌の新しさは、作品の外部から テの分析する表現方法が現代短歌にも見られることを実 やってくる。作品よりも猛スピードで〈場〉と読者が変 例を挙げて論じる。短歌の読みの慣習を相対化し更新し 容している。その変容が短歌作品にどう影響するか。注 ようとする試みである。 視したい。 と述べる加藤は単に状況を楽観しているば かりではないだろう。 井上は「〈それ以後〉の空」で、「話者 / 主人公に関す る情報を作者のそれに肩代わりさせる ( 品田悦一『斎藤 そもそも、短歌にとってあたらしさとは何か。おそら くそこにはふたつのあたらしさがある。ひとつは時代の茂吉異形の短歌』 ) ー短歌の「約束ーを破る試みとして 前衛短歌運動と荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘らによる短 変化を鋭敏に反映しているという意味でのあたらしさ。 そしていまひとつは、短歌の表現の可能性や領域を拡げ歌ニュー・ウェ 1 プを挙げ、さらにニュー・ウェープに 影響を受けた世代として自らを位置づけ、自らの希求す るという意味でのあたらしさである。 る「うた」について次のように言挙げする。 吉田隼人と井上法子については先月の時評でもふれた どこにも居場所のない「わたし」の声は、現実のわ が、二人の作品は後者の意味であたらしい短歌だと言え たしの不在によってはじめて言葉を発するようにな よう。二人は「ユリイカ」の特集には作品でなく論考を 148
あざやかなコバルトプルーの表紙に茂吉・牧水系との 文字。本号は三十二頁のうち五頁もの作品批評欄があり 会員に手厚い編成になっている。山本美紗緒による「万 葉集ーは六十四回目。今回は山上憶良の有名な「子等を 思ふ歌についてだが、その序の「愛は子にすぎたるこ となし」に対する考察がおもしろい。私事ながらことし の三月に編集発行人の大坂さんから「今日で九十五歳に なったよ」という電話をいただいた。その驚異的な記憶 カからなるエッセイ、今号の「成増にて」では、歴史あ る結社のうまくいかなかった一例として若山牧水の創刊 した「創作ーについて触れている。伊井光子の「縁側ば なし」は四回目。一九五八年に教師として赴任した初島 について。「畑は四十一戸平等に分けられ、大根や芋類 が主の自給自足であるし、漁業は各戸で舟を持ちながら も収益は平等に分けられるから生活に格差は無い」とい う当時の島の珍しい共同体生活の描写が興味深い。 落椿浮かべし水瓶ヒメダカがその花陰 に身をひそめたり 青野たっ江 那須おろし今朝は厳しく吹きをれど歌 会に行かむと吾は一途に 松川千鶴子 杖に歩むは半年がかりと医師のいふそ 六号 編集発行人【谺短歌会 -. し ( 」発行所【〒一六一 7 〇八五一 東京都新宿区弁天町八七ー七〇 ( 通巻八十一一号 ) 木俣修を原点とする季刊誌。浅野光一と安部真理子に よる「木俣修百首論読」は ( 十 ) 。『落葉の章』の三首に ついてそれぞれきめ細かく懇切な鑑賞をしているが、評 中に抄出されている作品の力にも思わず襟を正す。たと えば〈炎をあびし土より生れて鳴くものかこの朝とほる 寒皹のこゑ〉〈シニシズムに執せしことも消しがたき履 歴のひとっ身はけふ生きて〉。浅野はこの『落葉の章』 を木俣修の新生出発の歌集と位置づけている。この輪読望 誌 も浅野光一によると「それぞれの事情で頭数が揃わなく 歌 なっている。、ということで、編成の見直しが考えられ 結 国 ているようである。作品は一段組で九名が参加 全 国道を青であなたが渡り切る大怪我よ 9 伊藤翠 の半年の貴重な時間 坊がつるまた来むことのあるべしゃ枯 瀧澤徹 れて優しき草黄葉原 谺 谺
評論を読む』、第二回は永井による花山多佳子『森岡貞 る。そうやって「わたし」は語り始めることができる のである。そして現実のわたしが不在であることによ香の秀歌』、第三回は土岐による岡井隆『辺境よりの註 って、読み手にいくばくかの〈空間〉を与え、読み手釈塚本邦雄ノ 1 ト』だった。八月末の更新は第二十二 回で永井が塚本邦雄『タ暮の諧調』を取り上げている。 自身の存在も、その〈空間〉において解き放たれるよ 三人とも実に楽しそうに歌書を読み、ポップな口調で うなうたがつくれたら。けれど、それは決して現実か ら目をそむけているわけではない。もちろんわたし 的確な補助線を引きながら歌書の面白さを読者に伝えて いる。本来は総合誌がこ、ついう連載をすればいいとも思 は、そしてわたしたちは、あの大震災を経験し、祈る うのだが、実際には書き手の彼らにとっても読者たちに ことしかできない言葉の無力さを痛いほど知ってい とってもウエプ上の方が便利がいい。加藤のいう〈場〉 る。それはひとつの切ない真実である。けれどわたし と読者の変容はこうしたところにもすでに訪れている は、そしてわたしたちは、言葉の力を何よりも信じて 「ユリイカ」の特集の話に戻る。先頃最新歌集『逸げて いる 吉田と井上には、作者作中主体という短歌の読みの來る羔羊』を上梓した石井辰彦は常に先に述べたふたっ 約東について激しく反発しながらも、先行の短歌から学のうち後者の意味のあたらしい短歌を作り続け、現代詩 び自らを短歌の歴史とつなげようとする真摯な姿勢が見としての短歌の領域を拡げてきた歌人である。石井の論 られる。これは大学短歌会出身の若手のひとつの特徴と考「〈教養〉としての〈性愛〉」のなかでは恋人の自死と し、つストーリ・ 1 を前提に読まれることが多い吉田隼人の えそ、つだ。 角川短歌賞受賞作「忘却のための試論」について、そう 話が脇道にそれるが、堂園昌彦、永井祐、土岐友浩が したことには一切ふれず「哲学的な意匠で巧妙にはぐら 交代で評論やエッセ 1 など個人歌集以外の歌書を読んで かしてはあるものの、《性愛》の深奥を鋭く衝いた見事 読者に紹介するウエプ上の企画「短歌のピ 1 ナッ」が面 な連作だ」と評している点に注目した。 白い。三人もまた大学短歌会の出身である。今年四月に 特集全体のナビゲーションのようなものがなくそれぞ 評スタ 1 トし、第一回は堂園による佐藤通雅『茂吉覚書 歌 149 短歌にとってあたらしさとはなにか
巻頭作品引首 作品首 蝉と蝉 春日真木子 永田典子 恐怖政治の予兆 岡井隆 のやうな一冊 楠田立身 季節のスケッチ 三枝浩樹 浜守 水源 川野里子 森岡千賀子 小塩卓哉 巻頭作品間首 一一一本松幸紀 季すでに 来嶋靖生 いびつなる花豊森川多佳子 松坂弘 告野裕之 河野美砂子 真中朋久 浜名理香 佐藤弓生 森井マスミ 角川歌壇選者 川短歌コラムの部屋 歌人のキャッチフレーズ ( 10 ) 岩内敏行 196 歌びとの枕 ( 10 ) 高貝次郎 197 書かれなかった手紙 ( 10 ) 秋葉貴子 198 實藤恒子 歌びと養生訓 ( 10 ) 199 これだけは許せない ! ( 10 ) 依田しず子 2 後藤左右吉 もしもあのとき ( 10 ) 201 神田宗武 私だけのスター ( 7 ) 202 古典この一首 古谷智子 86 豊穣の時一熟年歌人の歌 藤室苑子 114 今月の古吾 倉沢寿子 140 今月の花 戸田佳子 141 詩の点 ~ 威ー現代詩としての短歌 ( 42 岡井隆 134 歌のある生活 ( 15 ) 島田修二 120 やさしく、茂吉 ( 30 ) 秋葉四郎 142 作品連載季節の歌 ( 10 ) 花山周子 116 日本歌紀行 ( 31) 田中章義 144 巻末連載歌人の晩酌 ( 16 ) 桑原正紀 藪内亮輔 てのひらの街 ( 22 ) 2 大学短歌会が行く ! ( 18 ) 慶應三田短歌会 207 歌壇時評ーー短歌にとってあたらしさとはなにか・魚村晋太郎 146 闇鍋しよう・佐佐木定綱 152 ~ 短歌月評 島田幸典 166 歌集歌書を読む 嵯峨直樹 172 全国結社・歌誌展望 三井ゆき 178 歌壇掲示板 182 読者の声 204 角川短歌クラブ 誌上添削教室 題詠「写真」を詠う発表 『短歌』バックナンバー紹介 233 『短歌』定期購読のご案内 236 編集後記 / 次号予告 235 公募短歌館改め マンホールの下 皹の啼かない夏 音楽 シリーズ連載 み 一三ロ 50 48 46 42 30 18 久々湊盈子・三井修 坂井修一・水原紫苑 耳孔の奥処 みすすかる 季は巡りて 蒼穹 でいたらばっち 鬼あざみ 守れるか カナカナ 円環 居パ ルン ンダ ダ 幻 0 106 112 104 102 110 108 94 96 100 作品 7 首 内田紀満 柳井喜一郎 関場瞳 升田隆雄 岡崎洋次郎 松尾謙一郎 大津仁昭 目黒哲朗 斉藤斎藤 柳澤美晴 楠誓英 料ロ 1 1 一 、「応募規定 規制の壁 旧をすり . 末ョ′ィー ティーンズ・ ロスト 無感覚 やさしいやさしい ニュースニュース 聴色の爪 赤き電車 皹の声 朗朗介護 沢ロ芙美 188 中地俊夫選 190 一キロを並む 命結 209 122 123 124 125 126 127 128 131 132