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検索対象: 読書人の雑誌 本 2016年10月号
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1. 読書人の雑誌 本 2016年10月号

榊淳司 日本が「格差社会」と言われて久しい 状の住所と部屋番号から、知人友人のマンションの資産価値を一つ内 かって「一億総中流」などといったのどかな日々は、すでに忘却ひとっ推計してニャニヤするという悪趣味な人もいる。 日本全国には、分譲マンションが六百数十万戸あると言われてい リズムと呼ばれる激しい競争社会のルールを取り の彼方。グローバ 入れるにつれ、日本社会は階層化がはっきりしてきた。学歴、職る。その数はこれからも増え続けるであろう。一般の勤労者が大都 歴、収入、資産、地位など、格差を表す指標は様々である。ただ、市周辺でマイホームを購入する場合、今やマンションが主流であ 収入については数字で表せる。 それらは外からでは一見わかりにくい。 ところが一部の悪趣味な人を除いて、多くの方がマンションの格 るが、政治家でもない限り一般に公表する義務も習慣もない。 しかし、そういった指標の中でもハッキリと格差が目に見えるも差についてはあまり敏感でない。特に、一旦購入してしまうと興味 を失う人が大半だ。 のがある。それは資産の一種である「マンション」である。 たしかに、購入時には熱心に調べる人が多い。私はマンション購 実は、マンションほど誰にでも格差がハッキリとわかってしまう ものはない。 入についてのご相談を承っているが、みなさんよくお調べになって 。しオしいくらで売れる いる。部分的には私などよりもよくご存じなことが多い 「自分の住んでいるマンションの部屋よ、、 ただし、一般の方々にありがちなのは視点が偏っているケース のか ? 」 だ。それはほとんどが販売側の誘導に基づくものである。 今ならネットで検索すれば、数分で大まかな数字をめるだろう。 「あの人の住んでいるマンションの資産価値はいくらくらい ? 」 ・このエリアは近々〇〇ができるから将来性がある 同僚や上司、部下が購入したマンションについても、住所と部屋 ・このマンシ「ンは xx と△△があるので、近隣の他物件より評 番号がわかればたちどころに資産価値が推計できる。もらった年賀 マンション「格差 , 大競争時代の到来 マンション格差 榊淳司 あなた ンションは 「勝組」「負け第」 ? 売却査定額か 3 0 万 oo 方 何か運命を分けたのか ! . - - 大第に社の物・わ参る 0 ・。つき 講談社環代新を

2. 読書人の雑誌 本 2016年10月号

日本時間の二〇一六年二月十二日未明、アメリカの重力波望遠鏡れていました。しかし、研究者たちが五十年以上に及ぶ努力を積み が、遠い宇宙からやってきた「重力波」の初観測に成功し重ねてきたにもかかわらす、その直接観測は実現されていませんで たと発表しました。二つのプラックホールが合体する瞬間をとらえした。その初観測が、アインシュタインの予想から百年を経て、つ いに成し遂げられたのです。観測結果は、一般相対性理論の正しさ た、というのです。このニュースはその朝の新聞各紙で一面トップ を飾り、テレビでは歴史的な出来事として報じられ、インターネッを証明するものでした。また、プラックホールの実在をより直接的 に示す成果でもありました。 トでは関連用語が検索語ランキングの上位を占めました。世の中の ほとんどの人がそれまで聞いたことすらなかったであろう「重力別の観点では、この初観測は、積み重ねられてきた精密計測の技 波」という単語、さらには「プラックホール」や「一般相対性理術力を示すものでした。重力波がやってくると、空間が歪みます。 論」というの世界のような一一一一〔葉が、メディアをにぎわせたのでしかしその歪みとは、たとえば太陽と地球の間の距離が、髪の毛の 太さの百万分の一だけ伸び縮みする程度のきわめて微小な変動で す。 「重力波」は、物理学者アルベルト・アインシュタインが一九一五す。それが、極限的な技術が盛り込まれた大型のレーザー干渉計に こ、その帰着の一つとして存よって観測されたのです。 年に一般相対性理論を完成させた直後。 さらに、大きな「歴史的」意義もあります。人類が宇宙を観測す 在を予想していた「時空のさざなみ」です。相対性理論では、時間 と空間を一緒にして「時空」と表現します。この時空の小さな歪みる新しい手段を手に入れた、ということです。それは約四百年前、ガ リレオ・ガリレイが手作りの望遠鏡を用いて初めて宇宙を観測した が、波として宇宙を伝わっていく、というのです。 重力波が存在することは、天体の電波観測から間接的には証明さ意義に匹敵すると言ってよいでしよう。人類は宇宙を観測すること ついに初観測 ! 重力波とはなにか ライゴ 安東正樹 重力波とは なにか 「時空のさざなみ】が第く新たな宇宙第 安東正樹 いこ人類は 「宇宙誕生の謎」を 解く鍵を手に入れたを B ハ・ 0

3. 読書人の雑誌 本 2016年10月号

「理系と文系の狭間 . にある現在の経済学 長沼伸一郎 現在の世界で「今の時代を代表する経済学は ? 」と問われても、言わば「二大難解理論」としてそびえている。 そこにはアナリストの金融分析や経済行動の豆知識などが混在して こうしてみると、現在の経済学はもはや従来の文系的な解説書で いるだけの印象があって、何かその背骨のようなものが見えにく は扱い切れなくなっているのだが、この数学の高度化は経済学部の 。少し前の時代だと、中央にケインズ経済学が一本の幹のように教室内部でも大問題である。実際これらは大学院の成績上位の学生 存在しており、一般の人でもそうしたアカデミックな世界のトップでも理解困難なほどのもので、おまけに経済学部で扱う数学は量的 理論について知ることで、頭の中に座標軸が定まって経済全体が一 にもどんどん増えて、それへの対応は日に日に困難になりつつあ つのビジョンに収まるという感覚を得られていた。 る。そのためかっての理系の世界における筆者の前著『物理数学の そこで現在の大学内での状況を眺めると、今の経済学でそうした直観的方法』のような本が、もし経済学部にも存在していれば、そ トップ理論の地位にあるのは、マクロ経済学の「動学的マクロ均衡の状況が大幅に救われるのではないかということで、その要望に答 理論」である。ところが一昔前にはケインズ経済学の一般向け解説えて書かれたのが本書『経済数学の直観的方法』 ( 講談社プルーバッ 書が新書版でたくさん出ていたのとは違って、これに関してはそう クス ) である。 いうものがさつばり見当たらない。 ) その理由は一つには、この最新本書の場合何と言っても最大の特徴は、理系と文系の中央位置か 理論が高度な数学を使っていて、その数学部分がわからないと解説ら双方を視野に入れていることで、それによって初めてこれらの理 自体が不可能だからである。そして数学的に難しいという点では、 論の直観的な解説が可能となっている。また本書では、経済学全体 現在の経済学ではもう一つ、 リーマン・ショックなどの折に有名にを把握する方法論自体も、常識とは異なる全く新しいものが採用さ な「た金融工学の「プラック・シ「ールズ理論」があり、これらがれており、それは攻略目標を直接この「二大難解理論」に絞「て、 BII. TEBACKS 経済数学の 直観的方法 マクロ營学 5

4. 読書人の雑誌 本 2016年10月号

的で一見凡庸な批判にも一理ある、ということだ。狩猟採集すると、それは、チンバンジーのように乱婚を想定してはい ) 、 1 -0 0 」 - い一つ ない。単婚をする種は、オスとメスの体格がほとんど同じで 民を研究対象とする文化人類学者は、一般し ある場合が多い。ヒトの場合は、ある程度の性的二形が認め 規模は大きすぎるのではないか、という疑問をもちやすい ここから判断す・れば、かな 先ほど述べたように、生活を完全にともにするバンドやあるられるが、ゴリラほどではない。 いは家族は、これよりずっと小さいからである。逆に、社会り単婚の方に寄った、一雄多雌がヒトの身体が予定している 学者は、 150 人はあまりにも小さく、人間の自然な集団規結婚の形態であることになる。ここでは、とりあえず、ヒト 模はこれよりはるかに大きいと主張する傾向がある。 は、類人猿の中では、単婚へと向かう傾向を強く持ってい 真実をどう見定めるべきなのか。実は、二つの正反対のカる、という事実にだけ注目しておこう。 が、しかもどちらもきわめて強く働いているのである。一方一般に、単婚という習性をもっ霊長類は、縄張りを主張す で、人間の個体は、単一の他個体に非常に強く執着する傾向る。つまり、同性他個体に対して不寛容になる。ところで、 がある。恋愛・性愛の場面では、特にこうした傾向が顕著に哺乳類では、同性への不寛容はめったに見られない性質であ 現れる。特定の他者が、私にとってのすべてである、と感じり、たいていは同性が一緒に生きることは問題がない。ただ られるのだ。その他者が、私にとって圧倒的に特異であっ単婚の種だけが、とりわけ性的に活発になると、他の同性個 と。もっとはっきり体との共存を強く拒む。このことを踏まえると、一つの疑問 て、他によっては決して代替できない、 言えば、こうである。私自身が誰かに代替できないのと同じが生する。今見たように、ヒトは、完全な単婚の種ではない ように、その特異な他者は他の誰によっても代替できない。 が、しかし、単婚への強い指向性ももち、そのことはわれわ こうした特定の他者への執着を純化させれば、関係は、最れの心理についての自己反省からも確認できる。それにもか トの値に、つまり 2 に収斂する。オスとメスとがこの「 2 」かわらず、ヒトは、同性の他個体と同じテリトリーに暮らし へと収斂すると、結婚の形態としては単婚ということになている。これは、哺乳類として、また霊長類として稀有なこ る。ところで、人間社会は、さまざまな婚姻制度をもってい となのである。なぜ、ヒトにはこれが可能なのか。 るわけだが、動物としての人間の最も自然な結婚の形態はど 今、ヒトの集団には、「 2 」という最小規模へと収斂しょ のようなものだろうか。この点については、、 しずれていねい うとする強い力が働いていると述べた。しかし、他方で、逆 に考察する必要があるが、ヒトの身体の生理的特徴から判断のべクトルも働いている。ここまでの議論の中でも、 150 8

5. 読書人の雑誌 本 2016年10月号

読者を一挙にその 2 トップの頂上部分の直観的理解に導くというも前だけは結構知られていたが、それはあくまで「金融の世界でのみ のである。そうすれば、今まで難物だった他のこまごました数学技必要な、一般の人には無縁のやや危ない理論」という認識だったと 法は、ちょうど一番高い二つの山からそれより低い山を見下ろす要思われる。しかし物理と文系の中央位置から眺めると、実はこれが 領で、精神的に呑んでかかって楽に理解できるというわけである。遥かに本質的なメカニズムで、経済世界そのものの将来が、この理 そのため本書では全体を「マクロ経済学編」「確率統計編」の二冊論の用語で一一一口えば「ボラティリティ型資本主義」とでも呼ぶべきも のに移行しつつあるのではないか、ということが浮かび上がってく に分けて、それそれでこれらを一方ずっ引き受けている。 そしてこれらの直観的な理解を可能にしたことで、結果的に、経るのであり、これは、資本主義の将来に思いを致す全ての人が、教 済学だけの視野では見えなかった、一般読者にも興味深いことがい養として知っておくべき知識だと思えるのである。 なお本書の場合、専門課程の学生のための本格的な数学的部分を くつか見えてくることになった。 まず「マクロ経済学編」の場合、今までは一般読者がこのトップ後半部分に集中させることで、前半部分は一般読者でも読めるよう 理論を理解するのは不可能とされてきたが、実は物理の世界で古くエ夫されている。そのため経済学部の学生が本書を数学の難所突破 から知られていた、光に関する「フェルマーの原理」という神秘的の特効薬として使うのはもちろん、一般読者の方々も本書を、数少 ないこれらの一般向け解説書として使うことができ、それを通じて な原理を思考の原点に据えると、それが十分可能になるのであり、 これらの話を教養として知っていただければと思う。 恐らく本書はそれについての初の解説ではないかと思われる。 ( ながぬま・しんいちろう物理学者 ) また「確率統計編」の場合、このプラック・ショールズ理論は名 圧倒的な取材と着想で描かれた全世代必読 ! 本年度最高の長編小説 定価【本体 1650 円 ( 税別 ) 978 ー 466 ー 219983 ー 4 今を生きる「子供たち」に 昭和最大の未解決事件 「グリ森」は影を落とす。 時効はない た生さけ 家族に 降効はなし、 今をき 0 た材 第大つ 物秋を物 第を第 ~ 講談社

6. 読書人の雑誌 本 2016年10月号

体が維持することができる関係の数 ( これが集団規模として対してさえも成り立つ。たとえば、スズメバチやコハナバチ 表れる ) は、その個体がなしうる社会的行動の複雑さの結果の仲間には、社会性をもっ種 ( 数匹の女王蜂が一つの巣を共有 であるはずだ。そして社会的行動の複雑さは、その個体の認する種 ) と単独性の種とがある。前者の方が後者より脳が大 知能力に規定されているだろう。認知能力とは、結局、脳のきいことがわかっている。同一の種の中にあってさえも、よ 大きさである。つまり、「認知能力 ( 脳の大きさ ) ↓社会的行り高い社会性の中にある個体 ( たとえば女王蜂 ) と低い社会 動の複雑度↓各個体が維持しうる関係の数 ( 社会集団の規性の中にある個体 ( たとえば働き蜂 ) では、前者が後者より 模 ) 」という因果関係がある、というわけだ。 大きい脳をもつ。同じことは魚類にも成り立っという。 この仮説は、実際に得られるデータと非常によく適合して いる。また、この仮説は、われわれがこの連載を通じて提起さて、問題は類人猿である。社会脳仮説から導かれる安定 しようとしている仮説と親和性が高い。かって、レダ・コス的な集団規模の限界、言い換えれば、ある個体が安定的な社 ミデスの有名な実験をもとに、次のような見通しを述べたの会関係を維持することができる個体数の認知的な限界を、ダ だった。すなわち、人間の知性、人間の認知能力は、どんなンバー数という。チンバンジーのダンバー数は、計算すると 主題に対してもニュートラルな汎用論理機械のようなものでおよそである。この数値は、実際に観察されている事実と はなく、もともと、社会的な諸課題に適合的な仕様になってよく合致する。チンバンジーの集団の平均的なサイズは、 いるのではないか、と ( 連載第回 ) 。つまり脳はーーー人間し だからである。では、人間の集団は、どうなるのか。この値 おいて特別に進化した大脳新皮質はーー本来的に社会脳だ、 はよく知られている。 15 0 だ。つまり、人類の新皮質比 というわけだ。 を、類人猿の社会脳仮説の方程式に代入してみると、集団規 社会脳仮説は、霊長類について言われる場合が多いが、種模として 150 という数字が導かれるのだ。 や類に合わせて微修正さえすれば、より広く一般化できるよ だが、 150 人という数値は、人間の共同体の規模として うだ。哺乳類一般や、さらには鳥類にも社会脳仮説は成り立あまりにも小さすぎはしないだろうか。そんなことはない、 つ。この場合、脳の大きさと相関性が高い社会性は集団の規とダンバーは主張する。われわれは、現在の自分たちの社会 模よりも、配偶体制である。複数の。ハートナーがいるのか、ではなく、狩猟採集社会がどうであったかを考えなくてはな それとも単婚なのか、等だ。さらに、社会脳仮説は、昆虫にらない。人類の脳の大きさは、この二〇万年のあいだほとん

7. 読書人の雑誌 本 2016年10月号

会を存立させる仕組みの質的な転換が必要になるからだ。 生活でもおおむね維持されているのではないか。家族とか、 恋人とか、非常に信頼しあっている親友とかの範囲であれ 3 の複合 ば、 556 人であろう。それを 3 倍にした人内外が、かな このように、ヒトにとって、 15 0 人という集団が自然なり親しい友人の範囲である。さらにその 3 倍にあたる人 規模である、というダンバーの説には、一定の説得力があは、良好な関係をもっ友人だ。そして、さらに 3 倍して 15 る。このことを認めた上で、しかし、なお重要な留保と修正 0 人に達すると、友人と言えるものの上限に達する。それを を付け加えなくてはならない。 さらに 3 倍すると知人とされる 500 人に到達する。その 3 150 という規模は、チンバンジーの集団の規模のちょ倍の 1500 人は、名前と顔とが一致する人の範囲である。 うど 3 倍にあたる。ダンバー自身も述べていることだが、 どうして、常に「 3 倍」になるのか。ダンバーは、その理 50 という数の背後で、さらに基本的な数としての 3 が作用由はわからない、と述べている。ちなみに、ネアンデルター している。ど , つい , っことか、説明しよ、つ。 ル人の集団の規模 ( ダンバー数 ) は約 10 0 で、チンバンジ とりあえす、家族の規模は、 556 人程度としてみよう。 ーに対して 2 倍にしかなっていない。 ところで、原因につい そのような家族が三つ集まった新 5 毬人くらいが特に親しくては諸説があるが、ネアンデルタール人は二万八〇〇〇年前 交流しているとして、そうした親しいグループが三つ集まるに絶滅して、ホモ・サピエンスだけが今日まで生き延びてい と人規模の標準的なバンドになる。三つのバンドの集合る。 2 と 3 の間で、何か質的な違いがあるのだろうか。さら が、結束の固い共同体としての氏族で、その規模こそ、 150 に付け加えておけば、このような同心円的階層性をもっ複雑 である。この氏族が三つ集まると、内婚的共同体としてのメな社会を形成する他の哺乳類 ( ヒヒ、ゾウ、シャチ等 ) でも、 い。なぜ 3 になるのか。そこ ガバンドになり、その規模は 150 の約 3 倍、 500 程度の「 3 」の原理が働いているらし にはシステム形成についてのきわめて一般性の高い原理が働 人数になる。さらに、そうしたメガバンドが三つ集まれば、 トライプ いている可能性がある。 民族一一一一口語共同体的な部族になる。このように、下のレベルを 1 としたときに、常に上のレベルが 3 になる。この「 1 ↓ 3 」 縮小する / 拡張するべクトル の反復によって、集団の規模が大きくなっていくのだ。 もう一つ考慮すべきは、ダンバーの説に対する、最も標準 / 狩猟採集民で例示したこの原理は、今日のわれわれの社会

8. 読書人の雑誌 本 2016年10月号

の規模をこえる集団の中でも人間個体は暮らしている、とい ろいによって関係を一つずつ形成していかなければならない うことは繰り返し述べてきた。今日、われわれは、間億人のサルたちとは違って、一一一一口語があれば、身体的接触なしに関係 地球社会の一員として生きている。もちろん、こんな大規模をどこまでも広げていくことができる。しかし、人間一般に な社会をーー意図通りとはとうてい言えないながらもーー・運通用する言語というものはない。言語は多様化し、たえす 営し、それぞれの個人がその中の一人であるという自覚をも「方言」へと分かれていこうともする。言語は、集団を閉じ、 っためには、多数の制度や先進的なテクノロジーの助けが必分かっメカニズムにもなる。 要である。しかし、逆に言えば、制度やテクノロジーといっ このように、一一一一口語は二つの反対方向のべクトルがせめぎ合 た前提条件さえ整えば、われわれは、間億人でさえも、一つう場そのものである。ここでハイデガーが一言語について述べ の集団として認知することができるのである。では、集団のたことが連想される。ハイデガーは、一一一一口語を人間の道具とし 規模をどこまで拡張することができるのか。原理的に言えて捉えるのは適切ではなく、言語を表現する適切な隠喩は、 とこカ ば、それは無限なのではないか。。 、に、絶対に乗り越え「家」、「存在の家ーであると述べた。言語が、われわれを適 られない上限などはないのではあるまいか。 度に広く、適度に閉じられた空間の中に置くということを、 さて、すると、人間の社会については、次のような像が正心地よいものと考えるならば、まさに、 言語とは「家」であ 確である。一方では、 2 という極小の規模へと集団を縮小さる。だが、ジャック・ラカンは、例によって、これにひねり せていこうとするべクトルがある。他方には、集団を無限にを加える。一一一口語は、家は家だが、「拷問部屋」か「監獄」で 拡張していこうとするべクトルも潜在的には作用している。ある、と。 この二つのべクトルの均衡する規模として、「 15 0 」が浮 かび上がってくるのではないか。二つの互いに引き裂くよう なべクトルの合力が、 150 という規模の集団をしばしば凝 結させるのではあるまいか。 人間の社会に働くこの二つの背反的な力を端的に表現して いる人間的な現象は、言語であろう。言語が、 関係を拡大 し、拡散させるのに貢献することは明らかであろう。毛づく 1 Robin Dunbar, H ミ E き ~ ミド London: Penguin Books, 201 chap. 3. 現在の日本人の年賀状の平均枚数 ( 出す人に限定した ) は枚弱だとい うことなので、 15 0 より大分小さく、チンパンジーの集団規模並である。 が、 100 通以上出す人もめずらしくはなく、 150 通だと聞いても驚くほ どの数ではない。 3 Jacques Lacan. ト e ミ守ミ・トぎミトご、箜攣 . Paris: Seuil, 1981 p. 276. ( おおさわ・まさち社会学者 ) ( つづく )

9. 読書人の雑誌 本 2016年10月号

価が高い 大まかなものでこれくらいだが、重要なのは最初の 3 項目。④は ・この場所は昔ロロがあったくらいだから、値下がりすることは妥協しやすく、⑤は費用を掛ければ改善できるので、マンションの 格差はほばこの① 5 ③で決まる。 すでにマンションを購入して住んでいる方、あるいは相続で引き ・このマンションの購入者には士業や経営者が多いからステイタ スがある 継がれる方、 ( 子どものために ) これから購入を検討する方など、何 らかの形で区分所有者となるのなら、この「マンション格差」とい 不動産業者はプロだから、一般人の知らない知識や情報を持ってうものがどういうものなのか、ある程度理解しておいた方がいい このたび、『マンション格差』 ( 講談社現代新書 ) を上梓した。マン いる。彼らと対等に渡り合おうと思ったら、それなりに勉強しない レ」、キノよ、。 ションの格差について、様々な視点からわかりやすく解説したつも また、新築マンションの販売には 1 住戸について約 100 万円のりだ。マンションの評価は「立地が 9 割」である。どういう立地の マンションが高く評価されるのかについては具体的に示した。 広告費を掛けるのが普通だ。一般の購入希望者は、そういった広告 また、同工リアの同じような築年数のマンションでも、格差は微 のイメージを刷り込まれた上で購入の可否を判断している。 しかし、そういった広告に誘引されて購入した物件でも、間年後妙に存在する。それは確実に数字として表れる。周辺エリアを専門 に売却する場合は、ただ「築川年の中古マンション」でしかない。 とする仲介業者は、そういった微妙な格差を認識している。 さらにマンション間の格差がどういう原因で生まれ、広がってい たとえ 100 万円の広告費を使っていたとしても、分譲時のイメー ジを再現させることは不可能だ。 くのか、ということについても可能な限り解説した。 すでにマンションを購入して住んでいる方が、所有物件の評価を 中古物件の評価の基準となるのは「場所とモノのスペック」であ 高めるために何をすべきかについても、私なりの提案を行っている。 分譲マンションの開発時に恣意的な格差をつけているのは、他な らぬデベロッパーである。各デベロッヾ ノーたちはしきりと「自社プ ランド」を宣伝している。そこで、拙著の巻末には、特別附録とし て日本の主要なデベロッパー肥社について、それぞれの事業姿勢や 社風、値引きなどについて忌憚のないところを述べた。中には厳し く評価したところもあるので、大いに活用されたい。 ( さかき・あっし住宅ジャーナリスト ) る。 ①どの駅から徒歩何分か ? ②広さ、間取り ③マンション自体の管理状況、管理コスト ④住戸の向き、開口部、眺望 ⑤住戸内の状態 ( リフォームの要不要 )

10. 読書人の雑誌 本 2016年10月号

とされる人が、「憲法二四条は同性婚を禁じている」と解説したり 3 憲法は待たれているのか ? する。人々の幸せを本気で願うならば、このような誤った言説を修 憲法は、国家権力をコントロールするためのよりどころである。正し、建設的な議論のべースを作っていかねばならない。 憲法知識がごく一部の専門家だけにしか知られていないのでは、憲しかしながら、「そんなことは不可能なのではないか」と無力感 法はうまく機能しないだろう。市民の間にも理解を深め、権力者がに襲われることがある。人々がきちんとした学問的知識を求めてい おかしなことをしそうになったら、「それはだめです」と押しとどるなら、そして、そうした学問的知識に裏打ちされた社会の実現を める力を持たねばならない。 求めているなら、とっくの昔に誤りは修正されているはずではない しかし、専門誌の論文や最高裁の判例を離れ、一般メディアや論だろうか。社会は、憲法の求める理想とはかけ離れた世界、すなわ 壇の議論を見ていると、憲法は本当に待たれているのだろうか、とち、立憲主義の成立以前の世界を求めているのではないだろうか。 いう気がしてくる。そこで流通している憲法論議は、専門の研究者「やってられないなあ、本当に、私は待たれているのだろうか」、 が普段考えていることとあまりにもかけ離れていることが多い。知という憲法のばやきが聞こえてきそうだ。い とうせいこう氏の名作 『ゴドーは待たれながら』は、・ 識人と呼ばれる人たちまでもが、誤った前提のもとに議論をしてい へケット『ゴドーを待ちながら』を たりする。 裏側から描いている。『待たれながら』のゴドーは、本当に待たれ 例えば、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」する、と定めているのだろうかと、延々、逡巡する。これはまさに今の憲法がお た憲法二四条は、何を意味しているのか。戦前の旧民法では、婚姻かれた状況のようではないか。 に、親や親族の同意が必要であり、当事者の合意だけでは結婚でき しかし、憲法自身は、「ばやく」なんて態度からは程遠い。憲法一 なかった。また、女性の地位が低く、選挙権もなければ、家庭内で二条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の も従属的な立場にあった。憲法二四条はこれを改め、当事者の合意努力によって、これを保持しなければならない」と力強く宣言する。 「のみ」で婚姻できること、男性だけでなく女性の同意も必要であ 立憲主義の実現に向けた努力が徒労のように感じることもあるか もしれない。 しかし、立憲主義のために精一杯努力して、ようやく ることを定めるために制定された。 こうした時代背景を学んでいれば、憲法二四条は、当事者の意思今の状態にとどまっている。このささやかな努力をやめてしまった を尊重するために定められたのであって、同性婚を禁じる趣旨などら、もっとひどいことになる。 全くないことは明らかだ。にもかかわらず、一般メディアや知識人憲法がばやいているように感じたのは、単なる私のばやきに過ぎ 9