はんせん 「それじゃ、あの帆船は、世界じゅうの海を、はじめてくわしく調べてまわっ おも と田 5 、つよ、つになっていた。 や海底の状態を、もっとくわしく調べたい、 、刀つ、刀い うみたんけんちょうさ せいふきようりよく そこで、イギリスの学会と政府が協力し、世界の海を探険調査するという、 大事業を行うことになったのである。 ご、つ ぐんかん ほんかくてき 力いよ、っちょうさ 、かい第 : っ 軍艦のチャレンジャ 1 号は、本格的な海洋調査ができるように改造され、 ろくにんけんきゅうしゃ 力いぐんしかんすいへいやくにひやくよんじゅうにんの 六人の研究者のほか、海軍士官と水兵約二百四十人を乗せて、一八七二年 ねん にイギリスを出発した。そして、一八七六年まで、およそ三年半をかけて、 たいようたんけんちょうさ 北極海をのぞく世界のすべての大洋を探険調査し、帰国した。 おお しんかい 力、か′、て」 かいめし しん この調査で、多くの深海のなぞが科学的に解明され、まちがって信じられ しんじつあき ていたことも、真実が明らかになった。 げんざい 力いようカくちしきおお ご、っちょうさけつか 現在の海洋学の知識の多くは、このチャレンジャ 1 号の調査結果がもとに なっている。 つきよく、かし だいじぎようおこな かいてい ちょうさ じようたい しゆっぱっ せかい せかい しら 、つみ せかい さんねんはん しら ねん ・・・・・巨大ダコと海の神秘
お話のふろく , ーー巨大ダコと海の神秘 しんかろん ダーウインの〈進化論〉と、フォーブズの〈無生物帯説〉 ご、つ まえ たんけんよんじゅうねん チャレンジャー号の探険の四十年ほど前、イギリス人のチャールス・ダーウィ ご、つ たんけんちょうさ さんか ンは、ビ 1 グル号による世界一周の探険調査に参加し、めすらしい動物や昆虫 ひょうほん きこくご あっ せいぶつ の標本を、たくさん集めました。帰国後、「すべての生物は、ごくかんたんな しゆるい せいぶつ すこ かんきようてきおう へんか 生物から少しずつ変化し、環境に適応したものが生き残って、さまざまな種類 えだわ はっぴょう しんかろん ・刀し一、し に枝分かれした」という〈進化論〉を発表しました。そのなかで、「海底の生 ぶつ かせき 0 物は、陸では化石になってしまったものばかりだ」と進べています じん 一方、やはりイギリス人のエドワード・フォーブスは、ドレッジ調査から、 うみふか せいぶっしゆるい すいしん 海が深くなるにつれて生物の種類が減ることに気づき、「水深六〇〇メートル しゅちょう せいぶっそんざい むせいぶったいせつ 以上の海には、生物は存在しない」という〈無生物帯説〉を主張しました。 と せつぎもん チャールズ・トムソン教授は、こ、つした説 ( こ疑問をもち、海のなぞを解くた ご、つ たんけんちょうさ めに、チャレンジャー号による探険調査を計画したのです はなし しよう つほ、つ うみ きょだい きようじゅ せかいいっしゅう うみしんび へ むせいぶったいせつ じん のこ 0 うみ どうぶつ ちょうさ こんちゅう 154
「 : : : とい、つことは、ばくたちは、、 シャックは、、 しそいで先を読んだ。 とち はつけん 当時、イギリスをはじめとするヨ】ロッパの国々は、新しい土地の発見や ふねせかい たび せかい 貿易のために、さかんに、船で世界じゅうをまわっていた。世界を旅した 、も しよくぶつ かえ 船は、めすらしい動物や植物を、本国へ持ち帰った。 でんきつうしんはつめい しんご、つおく ふせつ また、電気通信が発明され、海底に、信号を送るためのケ 1 プルが敷設さ かいてい しら ひつよう れるようになると、海底がどうなっているのかを調べる必要がでてきた。 はくぶつがくしゃ せかい うみせいぶつ それらがきっかけとなって、〈博物学者〉たちは、世界じゅうの海の生物 と、つじ ば、つ、え一 ふね いう意味である。 ェイチエムエス ご、つ チャレンジャ 1 号は ちょうさつか 調査に使われた。 み どうぶつ さき せかいはつだいきば 、一八七〇年代に、世界初の大規模な海の探険 よ 力いてし ほんごく ねんだい 一八七〇年代にいるんだな」 ねんだい あたら うみたんけん 6
わき すいへいふく 水兵服のふたりは、ボ 1 トの脇に立って、そのようすを見ている アニーが、ジャックの耳もとでささやいた。 よ 、カ 「お兄ちゃん、ボ 1 トになにか書いてあるわ。読める ? 」 よこ なお ジャックは、ずり落ちたメガネを直して、ポ 1 トの横に書かれた文字を見た。 ()D チャレンジャー号 せんたい おきていはく はんせんみ 沖に停泊している帆船を見ると、船体の横に、おなじ文字が書かれている ほんしら 「あれは、きっと、あの帆船の名まえだな。よし、本で調べてみよう」 さ / 、いん しんかいたんけん ジャックは、『深海探険』の本を開いて、索引でその名をさがした。 「あった ! 」 ひら ぶんしよう ジャックは、そこに書かれたページを開き、文章を読みあげた。 ご、つ 〈チャレンジャ 1 号〉の〈〉とは、「イギリス海軍の軍艦」と 亠イチエムエス ェイチエムエス みみ はんせんな ほんひら ご、つ ェイチエムエス よ み 力いぐんぐんかん 0 み 0 ・・・・・巨大ダコと海の神秘
来日中の著者 著者 : メアリー・ポープ・オズボーン ノースカロライナ大学で演劇と比較宗教学を学んだ後、世界各地を旅し、 児童雑誌の編集者などを経て児童文学作家となる。以来、神話や伝承物語を 中心に 80 作以上を発表し、数々の賞に輝いた。また、アメリカ作家協会の 委員長を 2 期にわたって務めている。コネティカット州在住。 マジック・ツリーハウス・シリーズは、 1992 年の初版以来、 2008 年まで に 40 話のストーリーが発表され、いずれも、全米の図書館での貸し出しが 順番待ちとなるほどの人気を博している。現在、イギリス、フランス、スペ イン、中国、韓国など、世界 31 か国で翻訳出版されている。 訳者 : 食野雅子 ( めしのまさこ ) 国際基督教大学卒業後、サイマル出版会を経て翻訳家に。 4 女の母。 主な訳書に「聖ウラジーミルの十字架」 ( 新潮文庫 ) ターシャ・テューダー・シリーズ「暖炉の火のそばで」「輝きの季節」 「コーギピルの村まつり」「思うとおりに歩めばいいのよ」や 「ガフールの勇者たち」シリーズ ( 以上メディアファクトリー ) など多数。
だいす が大好きになったそうです しゅうり レ」、つ ごう お さがみわん せとないかし 修理を終えたチャレンジャー号は、相模湾から瀬戸内海へと移動しながら、 ちょうさ なんたん につほんきんかい たいへいようおうたん 日本の近海を調査したあと、太平洋を横断し、南アメリカ南端のマゼラン海峡 しゅ「こ、つ とお さんねんはんご きかん を通って、出航から三年半後の一八七六年五月、イギリスに帰還しました。 チャレンジャー号の苦労 ご、つ チャレンジャ 1 号は、出航した直後から大しけにあい、クリスマスのごちそ レ」 ちゅう けんきゅうしゃ ふなよ ふなで うは宙を飛び、研究者たちは船酔いし、たいへんな船出となりました。 ひ いちじかん しす また、ドレッジは、重りをつけて二千メ 1 トル沈めるのに一時間かかり、引 しよう」 さんじかん すいしんちょうさ きあげるには、蒸気工ンジンを使っても三時間かかりました。水深調査やドレ さぎよう のりくみいん ふねか ッジ作業があまりにもたいへんなので、いたすらな乗組員が、船で飼っていた きようド ) ゅ とど オウムに、「トムソン教授 ! 四千メ 1 トルおろしましたが、まだ海底に届き おは ません ! 」とい、つことばを、覚えさせたりしたそ、つです。 ちょうさ きよりすす ひろ すす 航海は、一定の距離を進んでは帆をたたんで調査し、また帆を広げて進むと 一」、つ力し ′、ろ、つ おも しゆっこ、つ 0 つか ちよくご ねんごがっ おお みなみ かいてい ・刀いきよう 1 56
、」、つ、力し チャレンシャー号の航海 ご、つ 一八七二年十二月、イギリスを出航したチャレンジャー号は、大西洋の調査 なんたん やくいちねんつい に、約一年を費やしました。それから、アフリカの南端ケープタウンで約一か 1 レきゅう のりくみいんばうかんふく だいだいてき しゅうりおこな なお げつはんかんばんは 月半、甲板を張り直すなど大々的な修理を行い、乗組員に防寒服を支給して、 けんきゅうしゃ のりくみいんかんどう ひょうざんうみうつく なんきよくかい すす 南極海へ進みます。そこで、氷山や海の美しさに、研究者も乗組員も感動し、 ひょうざん ひょうざんしやしんさっえい せかいはっ 世界初の氷山の写真が撮影されました。その一方で、氷山にぶつかったり、濃 きけんめ む のりくみいんこおり うみお 霧につつまれたり、乗組員が氷の海に落ちるなど、危険な目にもあいました。 ご、つ すす その後、オ 1 ストラリアへと進んだチャレンジャー号は、ニュ 1 ジーランド、 かながわけんよこす けいゅ めいじはちねんはるにつほんと、っちゃく フィリピン、香港などを経由して、明治八年春、日本に到着。神奈川県の横須 につばん めいじしよき のりくみいん かふねしゅうり 賀で船を修理するあいだ、乗組員たちは、明治初期の日本を見てまわりました。 につほんじんせいかっしゅうかん のりくみいん かぞく てがみ につほんしぜん ある乗組員は、家族にあてた手紙に、日本の自然や日本人の生活習慣にふれ、 まず ひとすく 「野菜がおいしい」「ひどく貧しい人が少ない」などと書いています。 きよう きようレ」 はなしと、つじよう り・よかんと このお話に登場するヘンリー・モースリーは、京都の旅館に泊まったり、京 にっぽん 、り・よ、」、つ 十 / しし よこはまじんりきしゃ 都から横浜へ人力車で旅行をしたりしました。この滞在で、ヘンリ 1 は、日本 亠イチエムエス レ」 やさい ねん ホンコン がっ ごう しゆっこ、つ つほ、つ み たいせいよ、っちょうさ やくいっ のう 155