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検索対象: 「デパートを税金で救う国」の行く末
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1. 「デパートを税金で救う国」の行く末

184 注 1 ・二〇〇〇年度の予算べースの数字。うち、国債残高は三六四兆円、地方債残高は一 八七兆円。これに長期借入金等を加え、国と地方の重複分を控除したのが、六四五兆円 という数字である。これは国民一人あたり五四〇万円にものばる金額である 銀行は変われるのか ? 今日の金融不安を払拭するためには、まずその当事者である日本の金融機関自身 が競争力を高め、ビッグバンを生き抜ききることが必要だ。そのためには、金融機 関が「内側から変わる」必要があるのだが、それを果たして日本の金融機関が成し 、つるであろ、つか 国際的な金融取引は、情報通信革命を背景に、かって経験したことがないスピー ドでその取引規模が拡大している。国際的な金融取引、資金の流れの拡大は、企業 や投資家等の市場参加者にとって「使い勝手が良いか否か」によって各国市場の取 引の流出入の増加をもたらしている。市場はすでにグローバル化していて、金融サ 1 ビスは間違いなく国境を超えて取引される「貿易財。に転換したのである。そこ には共通の尺度や行動規範、いわゆる「グローバル・スタンダードーが自然に形成 され、アメリカの銀行が開発したリスク管理の手法 ( いわゆる内部モデル ) や「時 ふっしよく

2. 「デパートを税金で救う国」の行く末

回避できるうえに、貸倒引当金はそのまま新生銀行に残るわけであり、貸倒引当金 うるお は、その期の決算ではそっくり業務純益となって新生銀行が潤う。よくよく考えみ きみようきて ると、その利益とは国民が支払った税金にほかならないのだから、これは奇妙奇天 れつ 烈な話である。 しかし、この奇妙奇天烈さが解消される見込みはない。そごう問題を集中審議し た国会の場で、政府は資産劣化が収益インセンテイプを生むメカニズムの源泉であ る瑕疵担保責任条項の見直しを否定したからである もちろん、この否定は予想されていた。政府が見直しを口にした瞬間、譲渡契約 に対する違反行為という批判を米国側から突きつけられることは火を見るよりも明 日 らかだからである。 の 城 金融再生委員会は、「瑕疵担保責任条項を取らなかった場合、公的資金の投入額が 落 一」九〇〇〇億円ほど膨らんだ」と弁明している。譲渡資産から発生する二次ロスに関 そ する法律がなかったことが根本的な問題といえるが、九〇〇〇億円のコスト膨張の 章 回避と同様に、瑕疵担保責任条項という仕組みがもたらす経済効果、つまり新生銀 第 行の行動パターンによる影響も精査されてしかるべきだった。 なぜならば、資産劣化が最大の収益インセンテイプというメカニズムで、公的資

3. 「デパートを税金で救う国」の行く末

116 とが横行し始めていた。その矢先にそごう問題が発生したのである。やはり、この 影響は軽微では済まない。 一九九九年におけるゼネコン関連の債権放棄の事例を挙げてみよう ( カッコ内は 債権放棄の総額 ) 。アーバンライフ三三〇億円 ) 、フジタ ( 一二〇〇億円 ) 、青木建 設三〇四九億円 ) 、佐藤工業 ( 一一〇億円 ) 、長谷工コーポレーション ( 三五四六 億円 ) 、地崎工業 ( 三三四億円 ) ーーーといった状況である。九九年以前にも例がある。 九七年の飛島建設がそうである。飛島は六四〇〇億円もの債務保証に関する債権放 棄を要請し、取引金融機関が実施している じよ、つと、つ こう見ていくとわかるように、債権放棄はゼネコン救済の常套手段なのである。 ところが、今回のそごう事件は、今後の債権放棄が「極めて難しい」と都銀幹部が 唸る結果をもたらしてしまっている そうした中で焦点となってきたのが熊谷組の今後である。熊谷組の経営が危ぶま れるようになって久しい。実際、二〇〇〇年春には、「熊谷組の危機説」が流れた。 社債の償還資金の手立てが見込めないと見られたからである。しかし、この局面を 熊谷組は凌いだ。というよりも、メインバンクの住友銀行が凌いだのである 住友銀行は、社債の償還資金を緊急融資し、その資金で熊谷組は無事に社債償還

4. 「デパートを税金で救う国」の行く末

総額は約一兆八七〇〇億円。一九九八年の日本リース、負債総額約二兆一八〇〇億 円に次ぐ、史上二番目の規模のものとなった。 そもそも会社の経営が行き詰まった場合、対応策としては「私的整理ーと「法的 整理」という方法がある 私的整理とは、債務者である会社が債権者 ( 多くの場合は金融機関 ) に再建計画 を示し、同意を得て行なうもの。そごうは、金融機関に債権放棄 ( 借金のほば半分 を帳消しに ) してもらうと同時に、リストラを行ない、自力で生き延びる「私的整 理」を目指していた。 、民事再生法の適用を申請し、財産保全命令が出されると、その段階で裁判 所を通じての「法的整理」に入ることになる。財産保全命令が出ると、もはや裁判 所の許可なく、自由に会社の資産を運用したり経営したりすることは許されない 事実上、倒産したのと同じことになるのだ。 午後八時すぎ、東京・丸の内の東京商工会議所で行なわれた記者会見で、そごう / 、じゅ、つ の山田恭一社長、名取正副社長らは苦渋に満ちた表情でこう語った。 「 ( 六月末の時点では ) 旧日本長期信用銀行にお願いした債権放棄が、新生銀行を経 て預金保険機構に移るとは予測できなかった。国民の皆さまからの批判も予測でき

5. 「デパートを税金で救う国」の行く末

枠一七兆円のうち、交付国債 ( 政府によって用意されたいつでも現金化できる国債 ) を原資とする七兆円がほば底をつくことになるのだ。 そこで、一部のマスコミや政治家から「国有化という破綻処理の仕組みに問題が あったのではないか」とか、「国有化の期間が長引いたことが、投入する公的資金が 膨らんだ原因ではないか」といった批判が出てきたのである しかし、こうした批判は的を射ていない。問題銀行が国有化されたあとで、貸出 護 業債権の劣化を防いで、追加的な損失を最小限に食い止めるためには、国有化した時 企 点で厳格な借り手の選別を行ない、「善意かっ健全な借り手ーについては融資を継続 借するが、そうではない借り手 ( 回収の見込みの立たない不良債権 ) については、 " 最 名終処理″を行なうしかないのである。そして、それこそが国有化の枠組みを用意し 測た金融再生法が想定していたことであり、″最終処理。が済んでこそ日本の再生も始 行まるのだ。 ところが、日本の金融業界は、最終処理を行なうことは、経済に深刻なダメ 1 ジ 章 を与えるという理由でタブ 1 とし、最終処理を一向に始めようとはしない。また政 第 府与党も、最終処理については実に″慎重〃だ。私には、日本の金融危機対策の″真 の狙い〃は、銀行救済に名を借りた「借り手保護」にあったとしか思えない。 ねら

6. 「デパートを税金で救う国」の行く末

ある先」のことを指す。 興銀がそごうへの貸し出しに対し引当金を積み増したという噂が流れた時点で、 取引銀行の中には″有事〃に備え、引当金を手当てしたところもあった。ことほど さように金融界はそごう問題にナ 1 バスになっていたのである ひみつり しかし、この噂話は事実だった。興銀はそれ以前から秘密裡に動いていたのだ。 きっかけは一九九八年春、そごうの監査法人である「太田昭和監査法人」がまと めた内部文書だった。それにはこうあったという 「そごうグループ全体の資産・負債を整理すると、九七年二月時点で四五〇〇億円 以上の債務超過に陥っている」 この調査報告書に驚いた興銀と準メインバンクの長銀は、慌てて動いた 日本経済新聞によると、次のような相談が両者の間で交わされたという。 まさむねいさお 「興銀の元頭取の正宗猪早夫氏と長銀元頭取の杉浦敏介氏は九八年五月、水島廣雄 そごう会長 ( 当時 ) を昼食に誘い、退任と店舗の統廃合を促した。だが、水島氏は 『金を借りてくれと頼んだのは銀行だ』と拒否したという」三〇〇〇年七月一七日 昼食会での交渉が物別れに終わってから間もない九八年の六月、そごうより先に うわさ

7. 「デパートを税金で救う国」の行く末

どんなモノでも、需要が伴わない中で、大量の供給が続くと値崩れを起こす。そ れと同じことが国債市場でも起こりかねないのだ。「債券価格の下落Ⅱ金利 ( 利回り ) 上昇ーという関係にあるから ( つまり、価格が十分に下がって、利回りが高くなら なければ誰も国債を買わないということだ ) 、それは長期金利の上昇を意味する。こ のままでは、 ( 国債の ) 需要が供給に追いっかず、長期金利がやがて上昇するという プロセスをまとめておこう。 第一の要因は、銀行が国債を手放し始めるのではないか、という懸念である。九 九年一一月に日銀がゼロ金利政策を導入して以来、企業の資金需要が弱い中で、銀行 はほかに運用先がないので、大量の国債を購入してきた。ところが、景気が回復局 面入りし、企業の資金需要が台頭してくれば、とても国債を買っているような状況 ではなくなるだろ、つ。 第二の要因は、日本では個人が有力な国債の買い手ではないことにある。たとえ ばアメリカでは一九九八年末で国際発行額の八・三 % を個人が保有しているが、日 本での長期国債の個人消化率はわずか一・一 % にすぎない。そこで大蔵省は、国債 最 の個人消化を促進するために″年金型国債。などの新商品開発を検討しているし、 すでに販売窓口として郵便局も積極活用している。しかし、そもそも国債を購入す

8. 「デパートを税金で救う国」の行く末

はじめ ( というわけだ。その声に、そごう問題は迷走を繰り返す。そして興銀・そごうは、 極めて政治的な判断のもとで、債権放棄要請を自主撤回。結局、実質的に倒産、民 事再生法で再建を目指すこととなった。 その後、ほとんどすべての大新聞は「これで先送り政策に終止符が打たれる」と いった楽観的な解説を行なっている しかし、そんなに簡単に日本は変われるのだろうか ? 私はそうは思えない。 確かに、今回のそごうの件に対する国民の怒りは激しいものだった。そして、今 回、預金保険機構がそごう向けの債権買い戻しに応じなかったことは前例となり、 今後、新生銀行や日本債券信用銀行から瑕疵担保責任により売り戻された債権につ いて、預金保険機構が債権放棄を行なうことは極めて困難になるだろう。 はたんうわさ だが、問題はここからだ。現在破綻を噂されているような大手ゼネコンは、間も たど なくそごうと同じ運命を辿る可能性が高い ( それもかなり近い時点だと予想してい こる ) 。そごうの破綻、雪印の工場閉鎖、さらには大手ゼネコンの破綻となると、その 社会的影響は国民にとってかなり″目立っ″形で出てくることになる。 関連企業 ( 下請け ) の倒産は確実に起きてくる。中小金融機関の一部では債務超 おちい 過に陥るところも出てくるだろう。失業者も目に見えて増えてくるに違いない。当

9. 「デパートを税金で救う国」の行く末

この整理統合のプロセスは、向こう六か月という期限を切ったうえで、政府の責任 において行なうこととする。その間の預金は全額保護する。公的資金の投入は必要 になるが、これはこの破綻処理と預金者保護以外の目的には使用しない」 政治のリーダーシップさえあれば、明らかに実行可能な政策であったはずだ。だ が残念なことに、問題解決は先送りされ、「健全であるとそうでないとを問わず」ほ とんど無差別に銀行への資本注入が始まったのだった。今さら時計の針を戻すこと はできないが、かといって今後も当局が「公的資金を投入してしまった以上、潰す 権 ーという大義名分を振りかざし、不良債権のダメージを軽減する 良わけによ、、 不 ために、その「元凶」である企業まで救うという姿勢をとるなら、大間違いである る むしろ、公的資金を投入してしまった以上、今後とるべき姿勢は「それでも経営改 軋善の見通しが立たない問題企業、金融機関を市場から撤退させる」ことであろう。 そのために必要なことは、早期是正措置 ( 注 1 ) の厳格適用にほかならない。、 限 時 ったん公的資金を投入した銀行であっても、早期是正措置については厳格に適用し、 章 自己資本比率に応じた段階的な是正措置の適用は断行されなければならない。「退出 四 第 させるべきところは退出させ、健全な金融機関のみが生き残ること」それこそが本 来の金融システムの安定化であり、公的資金を導入したからといって、その原則を

10. 「デパートを税金で救う国」の行く末

はじめに 二〇〇〇年七月四日の閣議で二〇〇〇年度の経済白書が報告されたが、国と地 方を合わせた長期債務残高の額がいくらになっているのかご存じだろうか。二〇〇 〇年度末で、なんと六四五兆円に達しているのだ。その最大の原因は、たび重なる 国債発行によるものだ。そのうち、小渕内閣以来の額が一〇〇兆円にも達している。 「景気対策」を口実に次々と国債を乱発。その結果、一家四人の世帯を考えてみれば、 一世帯あたり二〇〇〇万円もの借金を背負わされてしまったのだ。 国債の多くは、金融機関、証券会社などからなる募集引受団を通じて発行され、 機関投資家、個人が購入することができるが、当然ながら、いずれはそれに利子を しようかん つけて購入者に償還 ( 払い戻し ) されることになる。これが国債費と呼ばれるもの だが、その額はすでに二二兆円、一般歳出の二五 % を超えているのだ。もし、政府 が「先送り政策の第二ラウンド」に踏み出すことになれば、早晩この国債費が、年 間の税収 ( 約五〇兆円 ) を超えてしまうという異常な事態にさえ陥る可能性さえある まず浮上してくるのは、大型の補正予算だろう。しばらく経っと、銀行への資本 注入用の公的資金枠は確実に底をついてくるので、銀行の資本増強が不可欠という もうれつ 議論が出てくるだろう。当然、国民は猛烈に反対するだろうが、政府は「経済の回 復 [ を口実にしてやめようとはしないだろう。それを一部の無責任なエコノミスト