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検索対象: 「デパートを税金で救う国」の行く末
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1. 「デパートを税金で救う国」の行く末

つまり、「銀行を救済しなければ国民生活に多大なる影響を与える」「銀行が潰れ ると日本経済が壊滅する」と言いながら、実はその先にいる企業 ( つまり借り手 ) を守ろうとしているのだ。 きざ その結果、不良債権問題はバブル崩壊後一〇年を経ても一向に解決の兆しを見せ ず、 " 最終処理。に必要な税金も増大していく一方だ。長銀・日債銀への公的資金投 入が膨らんだのは、国有化という仕組みやその期間に原因があるのではなく、これ ら国有化銀行の経営陣が、借り手の選別を先送りし、主に不動産・建設・流通業界 等における問題取引先を、保護し続けた結果なのである。 ふくせん こうした先送りこそが今回のそごう事件の伏線となった。そして、日本という国 は、いったんは税金でデパ ートを救、つことを決めたのである

2. 「デパートを税金で救う国」の行く末

価主義会計」などが金融市場の「世界標準、になっているのである。すなわち、従 来の「日本型経営システム」とは対極にある厳しい経営手法の中に日本の金融機関 ということである。まして、外資系金融機関との提携 が「身を投じざるを得ないー が急速に進んでいる現状においては、改革、変革の波は「外側」からだけではなく 「内側ーからダイレクトに襲ってくるということである これだけを考えてみても、金融界を核とした日本経済にとって、「無為な延命策」 権や「先送り経済政策」が「自殺行為」であることがわかるというものだ。 債 良 不 る 眠 爆 限 時 章 四 第

3. 「デパートを税金で救う国」の行く末

うしたルールを確立することこそ、日本の市場型経済を強いものとし、日本経済を 再浮上させる原動力になるのではないだろうか それはさておき、そごう問題をさらに掘り下げてみよう。 業績不振にあえいでいたそごうグループ 一九九九年四月二二日、そごうでは岩村栄一社長に代わって、山田恭一社長代行 が社長に就任した。岩村氏は、九四年、実質的なオーナーといわれていた水島廣雄 氏の指名を受け、社長に就任。当時、一兆四〇〇〇億円にも上っていた有利子負債 削減のためのリストラを進めていたが体調を崩したため、九九年一月、副社長だっ た山田氏が社長代行に就任していた。 だが、リストラは遅々として進まず、有利子負債も増える一方で、九九年二月期 決算では二五七億円の当期赤字を計上する見通しとなった。その後の取引先金融機 関との交渉や株主総会などを考えると、社長不在のままでは経営再建はおばっかな そこで山田氏が社長に就任、さらなる経営再建へ挑むこととなったのである。 そごうグループは、国内二六社で二七店を展開しており、そのうち一三店が赤字 を計上しているが、グループ全体で一万一四〇〇人の社員を二〇〇一年二月期まで

4. 「デパートを税金で救う国」の行く末

232 イクルがあり、壮年期に借金を抱えても、死ぬまでにはそれを完済し、できれば幾 ばくかの遺産を子供に残そうとするのが普通だろう。しかし、国家は戦争や天変地 異でも起きない限り永続的に存続するので、借金をゼロにする必要はない。経済の まかな 成長により賄える範囲であれば問題ないというわけだ。 だが、どう考えても、現在日本の抱えている借金額は異常である。あるシンクタ ンクでは、国債、地方債、そして今後発行される財投債を合わせた長期債務は、一一 〇〇八年には一〇〇〇兆円を超えると試算しているほどだ。それほどの借金を抱え て、国をどう運営していこうというのか。経済成長率をはるかに上回るべースで借 はたん 金が増え続けると、結局、国家機能は破綻するしかなくなってしまう。今の日本は まさに、そういう状況にあるのだ。 国民は国の借金を支えきれるのか そもそも予算は、大蔵省の案をもとに国会で決められる。そのとき、税金だけで 足りないとなると、国債を発行して国民から″借金″することになる ( いわゆる赤 字国債がこれだ ) 。 では、大量の国債発行で何が起きるのか ?

5. 「デパートを税金で救う国」の行く末

に間接金融 ( 銀行からの借入金 ) である。そしてこの借入金の形態は、会社や経営 者個人が所有している不動産を「担保」として差し出したうえでの借入金だ。つま り、担保不動産の一定割合 ( 通常は七 5 八割で、これを掛け目という ) の金額を銀 行から借りるといった形態である。たとえば、不動産の実勢価格が五〇〇〇万円、 掛け目が七割とすれば、五〇〇〇万円 x 七割日三五〇〇万円を借りることができる。 そこへ、先ほどのような、近隣における現実の取引事例をきっかけとした地価下落 権が明らかになったとしたらどうなるだろうか。五〇〇〇万円だと思っていた不動産 良の実勢価格が、実は四〇〇〇万円でしかないということが明らかになれば、当然銀 不 行は、「二八〇〇万円 ( 四〇〇〇万円 x 七割 ) しか融資できないので、差額の七〇〇 る 眠 万円 ( 三五〇〇万円ー二八〇〇万円 ) を返済してほしい」と言ってくる。これが「不 動産担保金融の縮小」の意味である。その結果、スゴロクはさらに下に進み「中小 限企業の業績悪化」そして「経済の悪化」へとつながっていくことになる。 時 このスゴロクは単なる想像などではなく、「担保不動産の処理ーを行なえば誰が考 れんさ 章 えてもこのような連鎖が発生することは明らかだと言えよう。政府関連の研究会で 四 第 不動産・建設業界が抱える不良債権の総額を試算した際も、このシナリオを巡って ふんきゅう = = 諞か紛糾、「そんなことになれば日本経済の底が抜ける」「日本経済はもたない

6. 「デパートを税金で救う国」の行く末

0 然、株価にも影響が出る。消費者心理は冷え込む。 いきどお おじけ そうなると、つい先日までそごう救済に貭っていた国民は、一転して怖気づき始 める。マスコミの論調も微妙に変化し始め、倒産や失業をテーマにした特番・特集 が組まれ始めるだろう つまり、「このままでは日本経済がもたない」という論調がまた出てくるというこ とだ。これこそ、政府が密かに描いているシナリオではないか ! つまり、そごう に続いてあと二、三件の大型倒産が起きるのを横目で見ながら、それらを「スケー プゴート」にしてしまうのではないかということだ。 かって見た光景 我々は同じような光景を一九九七年秋に目にした。三洋証券、北海道拓殖銀行、 山一証券、徳陽シティ銀行と、金融機関が次々と破綻していった結果、世論は「金 けんでん 融恐慌論」一色に染まり、「日本発世界恐慌論」まで喧伝されるようになった。そし て恐怖心のスキをつくように長銀の公的資金による救済 ( 国有化 ) が決定され、同 時に、一挙に六〇兆円もの公的資金枠が用意された。日本は、今回もまた、それと 同じ道を辿るのではないだろうか。 0 ひそ

7. 「デパートを税金で救う国」の行く末

2 などの悲観論が相次いだ。一方で、「この連鎖を乗り切らないことには日本経済の再 生はない [ といった見解も聞かれた。 現実の政府の政策はこの連鎖を避けようとしたものである。つまり、ふりだしに によじっ 立っことさえ拒否している状態なのである。それが如実に表れているのが、ゼネコ ンに対する債権放棄や、中小企業に対する特別保証だ。つまり、生命維持装置を動 とうた かし続けて、市場から淘汰されるべき企業を延命させる「先送り政策」に終始して いるのである 産業界の主役交代が必要な時期 では日本経済はこの先どうなるのか ? このリ いに私は「日本経済はこの連鎖を 乗り越えない限り再生しないーと断言する。一九九一一年以来、九九年度の補正予算 までを含めると、日本政府はなんと九次にわたり総額一一一〇兆円に及ぶ「経済対策、 けんいんやく を発動してきた。これらの経済対策において景気回復の「牽引役」として期待され たのは、常に公共事業であった。その結果、日本の公共事業は、その額もに 対する比率も、他の先進諸国に比べて突出して高いものになっている。広い意味で の公共投資 ( 国・地方自治体・公団などが行なった公共事業総額、土地購入費等も 0

8. 「デパートを税金で救う国」の行く末

含む ) の対比率は約六 % であり、欧米の二 5 三 % に比べて倍以上の水準にな しの っている。余談ながら、その額はアメリカの国防費さえ凌ぐと言われているのだ。 公共事業頼みの経済政策を七年間にもわたって繰り返してきた結果、私たちの前 に残ったのは三つの「現実ーである。第一に、事実として景気は良くはならなかっ た。第二に、日本中に「収益を生み出さないー橋、鉄道、空港、そして無数のハコ モノが残った。第三に、国と地方を合わせて六四五兆円 ( 注 1 ) という巨額の借金 権が残った。 債 もういい加減に気づかなければならないだろう。「公共事業はもはや日本経済の牽 不 引役ではない」という現実に。必要なことは、公共事業関連業界、すなわち巨額の る 眠 不良債権の塊を抱えた不動産・建設業界に「主役の座」から降りてもらうことであ 弾る。そしてそれらの業界に「死に金」として眠っている金を回収し、それを今度は 限「生きた金ーとして次代の日本経済を担う新しい産業に回していくことである。これ 時 こそが「構造改革ーの本質なのである。「そんなことをすると日本経済の底が抜ける」 四「構造改革は、日本経済が自立的回復軌道に乗ったあとの話だ」と言って、それにな 第 かなか取り組もうとしないのが、今の日本の現実なのである

9. 「デパートを税金で救う国」の行く末

194 だ。不可解な、あるいは安易な救済は市場規律を乱すことになる。今は金融機関の 再編も終盤に入ってきたが、「金融」が社会経済の血液である以上、金融システムの 安定と預金者保護は大前提。そのうえで、破綻した金融機関の処理については、経 営者の退任や、民事はもちろん刑事上の厳しい責任追及や株主の損失負担という原 則を貫かねばならない 明確なルールが確立すれば、金融機関はもちろん、その他の業種の企業において も優良な企業とそうでない企業が自然に線引きされてくるし、そうなれば債権放棄 の問題にしても「銀行のさじ加減ーなどという曖昧な基準ではなく、もっと外にも しゅんべっ 見える形で峻別されるはずだ。 私たちの特別調査会はこうしたト 1 タルプランをすでに三年も前に発表している が、かなりの部分は実現したものの、廃案になった部分もある。三年前の時点でこ しよほうせん れらの処方箋が活かされていれば、不良債権処理がここまで長引き、日本経済の体 力を消耗させることにはならなかったのに、と残念な思いがする。日本はバブルの 時代に生み出した不良債権の処理を、今の今まですっと先送りしてきた。その結果 が「そごう」である。債務超過額が何百億円、何千億円とある会社が存続している ことのほうが異常なのだ。そごうの問題については結果オーライとなったが、本質 しよ、つも、つ あ・いまい

10. 「デパートを税金で救う国」の行く末

0 果、「関連会社、関連債務者等の経営悪化ーという事態につながってくる。これは、 倒産した会社の関連会社や取引先で、それまでは「問題企業ーとは必ずしも認識され ていなかった会社が、倒産会社の煽りを受けて、連鎖的に経営悪化に陥るという事 態だ。そして、「銀行の不良債権増大」という事態に発展する。つまり不良債権の総 額がこれまで以上に膨らんでしまうのだ。 日本経済の底が抜ける このスゴロクには、もう一つの流れがある。「担保不動産の早期処理ーのところで 担保処分を行なえば、今度は右の矢印の方向に進んで「地価の下落」を引き起こす。 一九九一年以来、九年間にわたって、日本の地価は連続下落してきた。それは、活 発な不動産取引を伴わない中での地価下落であった。いわば「呼び値」 ( 気配値 ) が 下げてきたという状態であった。そこに「担保処分」や競売・競落といった現実の 取引事例が発生すると、おそらく、さらなる地価下落を招くことになるはずだ。そ うなると今度は「不動産担保金融の縮小」という事態につながるが、そのロジック はこ、った。 日本の企業の九九 % は中小企業であるが、これら中小企業の資金調達は、圧倒的 あお