いまだかって経験したことがないほど厳しい局面に直面している。金融機関におい ては、これまでも経営合理化を進めてきているが、現在のわが国金融システムが直 面する種々の困難を克服し、引き続きその役割を果たしていくためには、さらなる 努力が求められている。こうした観点から、金融機関には経営組織全体を通じた厳 しい自助努力による最大限の合理化努力を要請することとしたい」 さらに、九四年二月の「金融機関の不良資産問題についての行政上の指針ーには 権次のような表現がある。 債 「金融自由化によって増大するリスクに的確に対応していくためには、金融機関は 良 不 徹底した合理化を進めるとともに、経営のリストラクチャリングを進め、経営体質 る 眠 を強化していく必要がある。このため、金融機関に対して最大限の営業努力を求め 弾る。 ( 中略 ) 金融自由化が進む中で、金融機関は、長期的な経営戦略を構築し、経営 限資源の効率的な配分を図っていく必要がある。その際、金融機関の経営を刷新し、 時 抜本的な活性化を図る観点から、合併等を選択する金融機関に対しては、その円滑 章 な実現のために当局としても可能な限り支援、協力を行う」 四 第 これらの指針はいずれも不良資産問題の深刻化を契機に発表されたものであるが、 鵬注目すべき点は、これらの指針が「不良資産を早期に処分するために合理化を進め
の退陣だけで済む問題ではないだろう。では、どういう形で経営責任を明確にする のか。まだまだ詰めが必要だった。 そして、とくに ( 3 ) の金融機関にとって合理性があるか、という点だが、個々 の金融機関の経営状態や融資している額によって利害は異なるし、合理性の有無も 違ってくる。さらに仮に再建がうまくいけばいいが、 、つまくいかなければさらなる 損失を生むことになる。決して、すべての金融機関にとって合理性があるとは言い 切れない状況だった。 メインバンクの責任 話を、そ ) 」うが債権放棄要請を表明した二〇〇〇年四月七日に戻そう。 そごうの債権放棄要請を受け、金融界はさっそく調整作業に入ることとなった。 債権を放棄してください、と頼まれて、ハイハイと言われるままに受け入れる金融 機関など存在しない。まして、金融再編が続く現在の厳しい状況の中である。そん なことをしたら命取りになる。 各金融機関にしても、自社の損失はできるだけ小さくしたいのだ。債権放棄の割 合をどうするかの調整は難航した。その中でメインバンクである興銀に対して責任
四条二項 ) という遠慮がちな規定まで設けられてある。 元イについては論議が分かれ アメリカに見られるように、検査機関の多元化 ちくいち るところであろう。だが、現実に金融機関の動きを逐一知る立場にある日銀の情報 収集上の優位性は疑いようがなく、事前的監視の担い手として、日銀の考査権限に ついて再検討する余地は大きい 中央銀行ではないが、「情報に近い立場にある機関ーによる監視として、海外では 権次のような事例もある。イギリスでは、証券先物監視委員会において、コンピュー タ・プログラムが日々数十万件の証券取引を当該金融機関の経営状況や活動状況に 良 不 関する情報と結びつけつつ検査し、奇異な行動パターンを自動的に検出するという る 眠 モニタリング・システムが実用化されている ゆだ 現実には、大蔵省は銀行や金融全般の監視を市場に委ねたわけではなく、「金融監 弾 焚督庁」三〇〇〇年七月から「金融庁」 ) として分離しつつ影響力を残している。だ 時 が、まったく新しいこの組織の下で金融が機能することを人々に納得させるために 章 は、政府はさらに一歩踏み込む必要があるだろう。つまり、単に銀行・金融機関の 四 第 監督・監視機能を分離するばかりでなく、金融制度全般に関するプラン作りやその 実施を担当する部局も「金融監督庁」に移すことが必要だろう。
ロ 4 よ」とは言っていない点である。二つの指針に共通するキーワードは、不良資産問 題よりもむしろ「金融自由化」である。つまり、「金融の自由化は金融機関経営にお ける種々のリスクを増大させる。そうしたリスクに対応できるように、銀行は長期 的戦略の構築や、経営資源の効率的配分を伴った経営合理化を進めよ」と要請して いるのだ。 各行でもし早期に実現されていたら、今日の金融混乱の大部分 こうした要請が、 は回避されていたのではあるまいかだが、金融自由化への対応は多くの金融機関 で限定的にしか実施されなかったのである。これにはマクロ的要因とミクロ的要因 がある ますマクロ的要因だが、これは二つ考えられる。その一つは、「金融自由化」論議 わいしよ、つか が、その後「業際問題。へと矮小化してしまい、当局も民間金融機関も、業際問題 から はうさっ とそれに絡む利害の調整にに殺されてしまったということ。もう一つはアメリカで ある。バブルの絶頂期を迎え自信過剰になっていた日本経済の目には、金融自由化 ざせつ を進めた結果挫折したアメリカの姿が「反面教師」に映ったのである だか、本質的な問題は「ミクロ」の要因のほうにある。それはほかでもない「民 しつよ、つ 間金融機関の執拗な抵抗」である。たとえば預金保険料の引き上げでは、料率を一一 0 0
203 第五章若手議員五人の提言 機関と金融機関の癒着をただし、「天下りー方式にもメスを入れる必要があるだろう。 金融機関を保護育成するのではなく、利用者 ( 国民 ) の権利を守る行政に脱皮して いくことが、金融システムを確立させることになるはすだ。 ゅちゃく
法的整理との比較 ( 試算 ) ① した場合 債権放棄 金融機関合計 その他 信金・信組・農林 生保・損保 地銀・第ニ地銀 都銀・長信銀・信。 ・金融機関別の影響 ( 社数 ) ( 社数 ) 納入業者な うち 金融機関 うち 預金保険機 うち 総力ット額 法的整理 した場合 12 , 000 1 , 200 9 , 400 ( 143 ) 1 , 600 ( 1 万超 ) ② 68 25 27 7 143 70 ( 億円 ) 十 5 , 681 十 23 十 4 , 051 ( 十 72 ) 十 1 , 600 十 29 十 17 十 21 十 72
172 これまで大蔵省の中に一体化されていた財政機能と金融機能を明確に分離してみ せることが、政府にとって新しい「枠組み」の了解を内外の人々に示すことになる うわっら のではないか。こうした踏み込みは、進行中の金融制度改革が上っ面の組織いじり しじゅっ にとどまらないということを、世間に理解させるはずである。こういう「外科施術」 をしなかったために、数々の緊急対策の立案や実施が困難になってきたのである。 不良債権最終処理後の日本経済の姿 不良債権処理問題を語るとき、切っても切れないのがやはり大蔵省 ( そして日銀 も ) への批判である。ただ、ここであえて一つだけ大蔵省擁護論を展開しておこう。 まず、金融問題の当事者はあくまで金融機関自身である。金融機関の自助努力と 自己責任原則の貫徹なしには問題は解決しない。実は、大蔵省自身がこれと同様の 主張をこれまで展開してきたことは、あまり知られていない。たとえば一九九二年 九月、大蔵省はその指針「金融行政の当面の運営方針について」の中で、こう述べ ている。 「金融機関経営を取り巻く環境は、金融自由化などの対応に加え、バブルの崩壊に ともなう不良資産の増大や内部蓄積の減少などを通じ、ほとんどの現在の経営者が、 かんてつ
106 けてしまってよい問題では決してないのである。なせこのような事態が発生したの か、日本の不良債権処理はどこでどう間違ってきたのかを今明らかにしておかなけ れば、問題はまったく解決しないのである。 一貫性なき預金保険機構 預金保険機構は、本来、預金者保護のために作られたものである。設立されたの は一九七一年。預金保険法に基づき、仮に預金先の金融機関が破綻した場合、預金 者一人あたり元本の一〇〇〇万円まで保険金として支払うための特別法人として誕 生した。 資本金は五四億五五〇〇万円。その内訳は、政府一億五〇〇〇万円、日銀一億五 〇〇〇万円、民間金融機関一億五五〇〇万円 ( 以上が一般勘定 ) 、政府五〇億円 ( 住 専勘定 ) となっている だが、金融機関の破綻が相次ぐ中、一九九八年一〇月、金融機能再生緊急措置法、 金融機能早期健全化緊急措置法の制定および預金保険法等の改正が行なわれ、 " 危な い金融機関。に対して、公的資金が投入される道が開かれることとなった。そのた めに準備されたのは、それまで特別勘定に設けられていた一七兆円 ( 交付国債七兆
162 獲得競争が銀行間で展開されるようになってきていた。規制緩和というのは、借り 手となる企業にとっては資金調達をするうえで選択肢が広がるわけであり、それは そのまま銀行融資とその他の資金調達手段 ( いわゆるノンバンクなど ) とが競合す る結果を招くことになったのだ。 さらに金融の自由化が進んだことで、各国の金融サービスの利用者たちが、次第 に自国の銀行・金融機関ばかりでなく、海外の銀行・金融機関に依存できるように しやおう もなった。その意味で、国内の銀行や金融機関は否応なく海外からの競争にさらさ れるようになったわけだ。 こうした金融自由化が進む中では、銀行はこれまでのように「資金を集め、それ を貸し付ける」という伝統的な業務を行なっているだけでは収益性を低める結果を ぜいじゃく 招いてしまう。長期低落を引き起こせば、当然銀行の経営基盤は脆弱になるし、銀 行がリスクある経営に踏み出す可能性を高めることにもなる。たとえば、輝かしい 未来を確信できる者なら、その未来を実現するために現在の自分の生活態度を自ら 律することができるのに対し、ジリ貧の将来しかないと予想している者は、自らを 律しようという気持ちが乏しくなり、あるいは予想されるジリ貧状態から抜け出そ うとして、むしろイチかバチかの選択に走りがちとなるであろう。 せんたくし
170 型行政への移行は、大蔵省がこれまで持っていた情報収集能力が低下することを意 味している。これまでの裁量型行政の中では、大蔵省だけが金融機関の経営状況を 詳しく知りうる立場にあった。が、 市場ルール型行政は、こうした行政へのアクセ スを必然的に困難にするものだ。ところが、この市場ルール型行政においても、金 融機関の一挙手一投足を詳しく知ることができる立場にある公的機関が日銀だ。日 銀は決済システムの中核に位置し、取引金融機関の相互決済を集中させている。た じゃっかんけ だ、日銀による監視が有効に行なわれるかどうかについては、次のような若干の懸 ねん 念もある。 一九九八年四月、改正日銀法が施行され、長年の懸案だった日銀の独立性はある 程度確保された。その際、日銀の考査 ( 検査 ) 権限についても位置付けが変更され た。従来日銀の考査は、法的な権限に裏付けられた大蔵省の検査と異なり、日銀と 取引のある金融機関との間で、法的な根拠がないまま契約 ( 考査約定 ) べースで考 査を行なってきたものだった。改正法では、日銀考査に法的な位置付けを与えた ( 四 四条 ) ものの、それでも日銀考査は大蔵検査のような行政権限に基づく強制的なも のではなく、あくまで従来同様の契約べースなのである。さらに「考査を行なう場 A 」、つ・つし 合には、当該考査に伴う取引先金融機関の事務負担に配慮しなければならないー ( 四 くわ