100 木佐は答えなかった。梢のこすれ合う音が一一人の間を通り過ぎていった。 「 : : : 何してるかって聞かないのか ? 」 木佐が黙っているのを不思議に思ったのか、男子生徒はそう聞いた。 「興味ない」 きびす 一言投げつけると木佐は踵を返して歩き始めた。 たとえ男子生徒が一分後に屋上から飛び降りたとしても興味などない。それより現場にいて 巻き込まれることの方がやっかいだ。そう思っていた。 「ちょっと待てよ ! おい 裏門を出てしばらく行くと背後から呼び止められた。 あえて無視して歩いていると、人影が横を追い抜き、行く手に立ちふさがった。 「待てって言ってんだろ」 その声はやはりさっきの男子生徒のものだった。 ひたい 木佐より少し背が低い。屋上のフェンスを乗り越え、階段を駆け降りてきたであろう彼の額 ひとみ にはうっすらと汗が浮かび、薄茶色の髪が張りついている。黒目がちな瞳がもともと優しげな おもだ 面立ちを柔らかく見せている。 知らないやつだった。少なくとも一年の中で見たことはない。 「あんたさ、さっきなんでなんにも言わなかったんだ ? 」
ドアを開いた途端、教室のざわめきがびたりとやんだ。 しんと静まり返った教室の中、授業前を思い思いに過ごしていた生徒達の視線が一斉に注が れる。 きさゆうじ 木佐祐士はドアノブを握ったまま、自分を見つめる男子生徒の一人を見つめ返した。 目があった相手は瞬間、表情を引きつらせ、ロポットのように不自然にぎくしやくした動き で木佐から視線を外した。 なんとも言えずいやな空気が漂っこ。ゞ、 オカその雰囲気を一変させたのは妙にのん気な声だっ 後「おお、木佐あ。ひさしぶりだな。やっと謹慎とけたかあ ? ぎわ 一番後ろの窓際の席。組んだ両足を机に乗せて、イスの脚一一本で器用にバランスをとり、ひ らひらと手を振っているのは、長めの茶色の髪の生徒だった。 きんしん ふんいき いっせい
木佐は視線を教卓の方へ向けた。 くも くったく 生徒達の間から真冬が見えた。屈託なく笑う真冬の表情は太陽のように明るく、一点の曇り もない。 それがなぜだか能天気に思え、木佐の癪にさわった。 その日の数学の時間、テストが返された。 それは日ごろの学力を試すためという理由で先週、抜き打ちで行われたものだった。 おおぬき それも不評だったが、数学教師の大貫はテストを返す時、最高点をとった者の名と最低点を とった者の名をわざわざ発表する。そのいやらしいやり方は生徒達の反感をかっていたが、本 人だけは気づいていなかった。 テスト用紙が返されるといよいよ最低点の者の名が呼ばれた。 「田部、なに座ってる ? 立たんか」 体を固くしたまま、最低点をとった男子生徒がおずおずと立ち上がった。 雪 の「田部、一一十一点だ。なんだ、この点数は。勉強してないにしてもこの点はとれないぞ。え ? 0 一【「た【どう【、 0 事だ。 = り 00 と 00 才能な。どうや「たら = んな点がとれる 0 か教えて くれないか ? 大貫はここぞとばかり、縮こまる生徒にねちねちと説教を始めた。 ちぢ しやく
85 最後の雪 終業のチャイムが聞こえてきた。 きさゆうじ 木佐祐士が顔を上げると、校門から生徒達が散らばっていく姿が見えた。 かなん 腕時計で時間を確かめる。私立華南高等学校前に愛車、シーマを停めてからきっかり一一十分 がたっていた。 運転席から降り立っと、木佐は下校していく学生服の群れを見渡した。 女子生徒はセーラー服。男子生徒はよくあるごく普通の濃紺のガクランだ。だが一カ所だけ えりもとそでぐちむらさき ふちど 変わっているところがあった。ガクランの襟元と袖口が紫のラインで縁取られている。 たてまえ あまり見かけないデサインと紫という色は、他の学校との差別化をはかるという建前だった しそく が、そんな所にも金持ちの子息が多い華南ならではの格式の高さがあらわれていた。 一一人の女子生徒がけらけらと笑いあいながら校門を出てきた。 と、少女の一人が木佐に気づき、目を見開いた。つられるようにもう片方の少女も振り向 こわ き、途端に表情を強ばらせた。 一一人は不自然に目を逸らすと、木佐の前をあたふたと通り過ぎていった。一度振り返った少 女達は木佐と目が合うと飛び上がって走り去っていった。 おび 女子生徒のあからさまな脅え方に、木佐は苦笑した。 さすがにダークスーツを着込んだ、目つきの鋭い男が下校時の高校前に立っていたら悪目立 ちしてしま、フ。
学校という空間に、あの生徒達の中にいる事に前から違和感を感じていた。 ぬるま湯の中で、いつも自分の気持ちだけが浮き上がっていた。説明しようにも自分自身、 その気持ちの正体がわからなかった。 しようそう やるせない焦燥感と、時々体の奧から湧き上がるーー衝動。 知らないふりをしていなければその衝動が自分を突き動かしそうで。 ひつじ だからずっと羊の群れの中に自分を押し殺していた こずえ 風が吹き、頭上で相が揺れた。はっとして頭を振った。 梢のすき間から降り注ぐ光を見上げた時、木佐はその向こうにあるものを見た。手のひらで さえぎ 日差しを遮って見るとそれが人影であることがわかった。 だが、場所が普通ではない。三階建ての校舎の屋上、その端に誰かが腰掛けているのだ。そ れもフェンスの外に。 男子生徒だった。一歩間違えれば落下しかねない、校舎のまさに端に浅く腰かけ、足をぶら ぶらさせ、空を仰いでいる。 そのまま見上げていると、相手も木佐に気づき、こちらを見下ろした。 の 後「よお」 最 声が降ってきた。明るい声だった。太陽を背にしているため、ー相手の顔は影になっていてわ 四からない。
レーションし、ラッピングしている。 男子の方も漂ってくる甘い香りに落ち着いてはいられなかった。自分がいくつのケーキをゲ ットできるか。ゲットできたうちの一体何個が本気で何個が義理なのか。 うずま 渦巻く思いに、教室は緊張感に満ちあふれていた。 キーンコーンカーンコーン。 全授業の終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。そしてそれは同時に戦いの始まりでもあっ 教師が立ち去ると、待ってましたとばかりに女子はそれぞれケーキを手に、一斉に動き出し しんくうかん 「流、今日〈真空管〉にフェンウェイとカラスが来ることになってるんだ。君も行くだろ」・ ゅうが 教室の空気などおかまいなく、京也は教科書を優雅にカバンにしまいながらそう聞いた。 件 事 「う、うん : : : 」 拐 みよう ン答えはしたものの、流は背後から忍び寄る妙な圧迫感が気になって恐る恐る振り向いた。 〃「わあっ ! 」 い手に手に包みを持った女子生徒達がじりしりと迫っていた。 「うわわわわわわ」 「わん ? 大 ? 」 ユ 71 た。 いっせい
108 まふゅ 見ると教卓のところでクラスメート達が笑いあっている。その中心に真冬がいて手を振って 転校してきて間もないのに真冬はその明るさですぐにクラスメート達と打ち解け、女子男子 問わす人気を集めた。 「お前もちょっとはあいつを見習ったらどーだ ? ほおづえ 隣の席の久我が机に頬杖をつき、木佐を見上げて言った。 「なにを見習うんだ」 「そりや『社会性』に決まってんだろ。見ろよ、あいつの人当たりのよさをよ」 真冬を囲む生徒達の間から笑いが起こる。 ぶっちょうづら 「ついでにその仏頂面も直したらどうだ。お友達ができるかもしれないぜ」 かずおみ 「そうそう、一臣の一一一一口うとおりよ」 同意しながらあらわれたのは美貴だった。前の席のイスに座り、木佐の机に肘を乗せる。 「別に必要ない。ほしいとも思わない 「それが社会性に欠けるつつってんだよ。とりつくシマもありやしねえ」 久我はあーあと首をふった。 実際、木佐と言葉を交わすのは中学時代から一緒の久我と美貴だけだった。久我に言わせれ ばそれだけでも奇跡みたいなものなのだが。 ひじ
172 「そーしゃないだろっ ! 」 この状態で連想ゲームをはじめてしまう京也の思考回路がわからない。 「お前、この状況が目にはいらないのかっ」 「え、ああ : ・」 きんこう 気の抜けた返事に流がツッコミをいれようとした時、女子生徒達の間の均衡が崩れた。 「宝君 ! ケーキもらって ! 「あたし、あたしのクルミにラムレーズン入りなの ! ラムレーズン好きって前言ってたよ 「あんた何それ ! なんでそんなもの入ってんの 京也にプレゼントしようと女子が我先にケーキを差しだす。逃げ出す機会を失った流は京也 と女子の間で身動きがとれず、みしめにじたばたしている。 逃げ出せないでいる主な原因は、流の両肩を後ろからしつかりつかんでいる京也の手なのだ 「どいてよ よく通る張りのある声が、重なり合う女子生徒達の声をびたりと止めた。 いまいかおり 女子生徒達が全員、振り向いた。そこに今井香織が立っていた。 まゆ 少年のようなショートカットとしつかりした眉の持ち主。けん制しあうファンを差し置い ゞ 0 カ われさき
くがかずおみ 中学時代からの悪友、久我一臣だ。整った顔立ちにもかかわらず、軽く見えてしまうのは生 来のにやけた表情のせいだろう。木佐に対する態度には他の生徒のような緊張感はまったくな 久我の言葉を合図に、他の生徒達はまるで何事もなかったかのように振る舞いはしめた。お ろうか しゃべりを再開する者。廊下に飛びだす者。広げたノートに目を落とす者。まるで木佐の存在 を無視するよ、フに。 クラスメートのよそよそしさに、木佐は冷ややかな気持ちになった。 「おいおいおい、一人で一週間も休暇なんてなあ、うらやましいぜ。なにつったってんだよ。 さっさと入ってこいよ」 たた 久我はじれて木佐の横までやって来ると背中をばんばん叩いた。だが、木佐はなにも言わ いちべっ ず、ちらりと久我を一暼した。 その時、休み時間の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。木佐は回れ右をすると、そのまま 教室を出ていった。 久我の呼ぶ声を背中で聞いたが、かまわす歩き出す。教室に戻る生徒達の流れに逆らい歩い ていくと、小わきに教科書を抱えた教師が前から歩いてきた。教師は木佐に気づくと嫌なもの ゆが を見るように顔を歪めた 0 「木佐、どこに行く。チャイムは鳴ったぞ」 きゅうか
174 た 「宝あ ! そのケーキ・ : : ・ ! 」 あわ 慌てて追いかけようとしたが、行く手を女子生徒達にふさがれた。 「なんなのよ。なんで宝君、あんたのケーキだけ貰ってくのよ」 彼女達の憎しみの視線に、香織もさすがにたしたしとなった。 「しつ、知らないよ。ていうか、持っていかれたんだってば ! 」 「持っていかれたあ卩渡したかったくせに。むかっく ! 」 「違うつってんだろ ! 」 もフこうなると売り言葉に買い言葉だ。香織は言い訳をあきらめて、取り囲む女子生徒の群 れを無理やり突破しようとした。が、押し返されてとてもかきわけられない。 「通せってば ! もーーーっ ! 」 なぜこうなってしまうのか。そうしているうちに流と京也の姿はすでに教室にはなかった。 「流、ほら」 校門を出ると前を歩いていた京也が突然パウンドケーキの包みを放り投げた。