真冬がフェンスをよし登っている。 「なにやってんだよ ! 」 木佐が駆けつける間に、真冬はフェンスをまたいで向こう側に降り立っていた。 「ーーおっと : ・」 ひね 体を捻ろうとした真冬の上半身が大きく揺れる。 フェンスの向こうは一段高くなっているとはいえ、「メートルもない。さすがに木佐もひや りとした。 だが真冬はまるで階段を登るよ、フな気楽さでひょいとコンクリート の上に乗っかった。重心 を前に倒せば落ちてしまうだろう。 「お前どういうつもりだ。また自殺ごっこか ? やるんだったら俺がいなくなってからにし ろ。迷惑だ」 真冬が振り返る。吹き上げた風がくせのない前髪を乱す。 「自殺なんかするはすないだろ。ここに立ってると風が吹いて、気持ちいいんだ」 雪 の「こっち側だって風くらい吹く」 後木佐のしごくまっとうな意見に、真冬はたしかにと言って笑った。 「木佐はなにもかもおもしろくないって言ったけど、俺は逆だな。なにもかもおもしろい。学 校に通、フことも、みんなとしゃべることも、ここにこ、フして立っことも。知ってるか ? フェ
152 「何事だ卩」 なにかが起きている。木佐広幸は組員を突き飛ばすと部屋を走り出た。 「だっ、だめです ! 階下には鉄砲玉が : 鉄砲玉・ーーー・ー敵対組織の幹部の命を狙うヒットマン。 そいつが四堂組事務所に乗り込んできたというのか。木佐は体の痛みも忘れて父のあとを追 しどうまさむね 」一」にいる・ 「どけええっ ! ぶつ殺すぞおリ四堂正宗はどこだリ なか 一階のホールで三十半ばに見える男がめちゃくちゃに日本刀を振り回していた。 組員達は近づけないまま周囲を取り囲み、男に罵声を浴びせている。 おかしい : 階段の踊り場で木佐は足を止めた。 ヒットマンともあろう者がなぜ日本刀を振り回しているのか。標的の必殺がヒットマンの使 けんじゅう 命のはすだ。だから武器には拳銃が使用される。 木佐でさえそんな事は知っている。なのになぜ 組員の一人がジュラルミンの板を盾に男に向かっていった。 ぎいんー した たて
116 ンスの外側は内側とは違う風が吹くんだ」 もてあそ そう言って真冬は両手を広げ目を閉した。風が真冬の髪を弄び、シャツのえりを揺らした。 ふと、指の間をすり抜けていく風が見える気がした。 子供しゃあるまいし : ・ けれど全身で風を受ける真冬はとても気持ちよさそうで 木佐は誘われるようにフェンスを登り、真冬の隣に降り立った。 地上から強い風が吹き上げてくる。冷たい風が体を煽る。上を見ると、怖いくらい青い空が あった。 吸い込まれそうな青。自分が空に昇っていくような錯覚が木佐を襲った。 ふゅう ふしぎな浮遊感。でもそれは味わったことのない実感を伴っていた。普段の生活では感しる ことのない気持ち」ーーー。 「こらあリそこでなにしてる どせい 怒声が木佐を現実に引き戻した。 下を見ると教師がばたばたと手を振っているのが見えた。 今、行くから ! しっとしてるんだぞリ」 「早まるんしゃないリ だっと 教師は後ずさりしながら叫と、脱兎のごとく校舎に飛び込んでいった。 木佐と真冬は顔を見合わせ、同時にフェンスを登って、飛び降りて、階段を駆け降りて あお
くそっ ! あのバカが ! 」 ひとよ のろ フェンウェイは自分のお人好しぶりを呪いながらゲームセンターを飛び出した。 新宿には二つの地下道が存在する。 鉄道にまたがり、東西を貫く、新宿通りの真下の地下道。そしてもうひとつは靖国通りの地 下道、サブナードだ。 ゲームセンターを出たフェンウェイは駅ビル〈マイシティ〉に飛び込むと階段を駆け降り、 地下へ向かった。 人でごった返す東ロのコンコースを駆け抜け、地下道へ走り込んだ。そのまま足を止めす、 通行人をたくみに避け、右の伊勢丹方向へ走る。やがて左にサブナードへつながる階段が見え さんぼう 三方を見渡せる場所まで来て、フェンウェイは周囲を見渡した。だが、なんの異変もない。 々買い物客に学校帰りの学生。流も、市井たちチームのメンバーもいない。 「サブナードしゃないのかよ : : : 」 いや、逆にあれだけの人数がい あれだけの人数がいたら目立たないはずがないのだが : ・ あ ても目立たない場所がサブナードには・・ーーーある ! 「駐車場 ! 」 せたん やすくに
刀が盾で跳ね返った。男が怯んだところを遠巻きにしていた組員たちが飛びかかる。ホール どごう に怒号が飛び交う。 男の手から日本刀が滑り落ちるのが見えた。視線を移すと父が階段を降りていくのが見え 奇妙な不安に襲われて木佐はつばを呑み込んだ。そのせいか、体が熱くなっている。だが、 それは果たして不安のせいなのか。胸の内でなにかが首をもたげようとしている。 「だめだ・ : っや なにに対してなのか、わからないまま呟いて階段を降りようとした時、木佐の目に一人の男 が飛び込んできた。 その男は半開きになったホールの入り口脇に立っていた。黒い革ジャンを着て、右手をふと ころにつつこんでいる。 男のぎらぎらした視線の先にはーーー組員達に押さえつけられる鉄砲玉。 いや、違う。男の目はその先を見ている。 雪 の瞬間、木佐は理解した。あの鉄砲玉はおとりだ。大げさに日本刀を振り回し、衆目を集める 後ための。 本当のヒットマンは。標的は。視線の先にいるのは なにかが木佐を動かした。 ひる わき しゅうもく
ばちばちばちばちばちばち。背後から一一人分の拍手がおこった。 「流くん。かっくい け・い」、 カウンターに並ぶフェンウェイと市井の頭をばしばしとはたいてから流が警告する。 なぐ 「お前ら、殴るぞ」 「順番逆だろ。殴る前に言えよなー」 「それより、もフありすを帰さないと」 フェンウェイの文句を無視して、流は腕時計を指さした。時刻は十一時半を過ぎたところだ つつ」 0 「いくらなんでも親が心配してるだろう」 よぎ 言いながらカバンに手を伸ばしかけた時、首筋を冷たい風が過っていった。外気だ。振り向 くのとドアが閉まる音を聞くのは同時だった。 件 拐階段の踊り場に男が一一人、立っているのが見えた。 誘 さっきの : ン タ二人は無言で階段を降りてきた。外ではわからなかったが、一一人とも灰色のスーツを着てき ぎんぶち いちんとネクタイをしめていた。一人は銀縁のメガネをかけていて、地味な印象を与える。 いちべっ フロアに降り立った二人は流達を一暼すると、まっすぐにありすの所に向かった。 225
184 た 「見りやわかるだろ ! あたってんだよ ! ! ! 」 怒鳴ったのは流だった。 、 ) や涙が出るほどとんでもなく痛かった。 反動のついたフェンウェイの頭突きはかなりし 「ああ。わりい、わりい」 かったるそうな口調であやまられても気がおさまらない。なにか言ってやろうと立ち上がっ たが、ロを開く前にカラスは階段を降りていった。 カラス ! 」 床を踏みならしてカウンターまで行くと、カラスはカウンター内の冷蔵庫から缶ビールを取 り出していた。 「流、お前も一枚かまねえか。いい話だぜ」 カラスはビールのプルトップを開けながら、頷い さが 「人捜し。前金で十万もらった。見つけたら残金九十が転がり込む」 「ひや、百万円卩」 「イエース。どうだ、のるか ? たんこぶの恨みも忘れてフェンウェイが身を乗りだす。
よとほと困った流はあたりを見回し だが、フェンウェイはがんとして口を割ろうとしない。冫 た。 よう せいぶしんじゅく 目の前には、西武新宿の駅を擁する赤レンガのビルがそびえ立っている。横を中央線が走っ ている。その向こうは西口だ。 「しかたないか : : : 」 独りごちる流はため息をつくとしやがみこむフェンウェイを立たせ、再び肩に手をまわし 「おい、どこ行くんだよ」 「 : ・俺の知ってるとこ」 流はそれ以上説明しようとしなかった。家でなければどこでもいし 上追及しようとはせず、一一人はよろけながら歩きはじめた。 十分も歩いたろうか、流は大通りに面したあるビルの前で足を止めた。 「ここ、なんのビルだ ? 」 フェンウェイが尋ねたが、流は何も答えず自動ドアを通り抜けた。それほど広くないホール に続く階段からちょうど人が下りてきた。 ひと フェンウェイもそれ以
よ。学校はどうしたの ? 」 「お前こそどうしたんだ。もう授業ははしまってるぞ」 「寝坊よ ! 寝坊 ! 目覚まし、知らないうちにぶっ飛んで壁にあたって壊れてたの ! それ より祐士はどうしたのって聞いてんの ! 」 逸らされた話題を美貴はちゃんと戻して木佐を睨みつけた。 「頭痛で腹痛、で、早退だってさ。宇賀神さん」 二人の間に藤井真冬が割ってはいった。 「ふ、藤井くん : : : 」 突然あらわれた真冬に美貴が目を丸くした。が、それ以上に驚いたのは木佐だった。 「こいっ知ってるのか ? 」 「え、うん。転校生。祐士が謹慎中にうちのクラスに転校してきたの」 どうりで見たことのない顔だ。 「ああ、もうこんな時間。話すなら歩きながらにしない ? 」 腕時計に目をやりながら美貴が一一人を促した。 「行ってられるか。俺は帰るからーーーーうわっー あや 腕をひつばられ、バランスを崩した木佐は階段を踏み外し、危うく転げ落ちそうになった。 「美貴、おまえな : : : 」
「助けて ! 」 振り返ったありすが助けを求める。今にも泣き出しそうな表情に胸がずきりと痛む。けれど 母親の迎えならば自分達が手を出すわけにいかない。 , ーーー人騒がせな「不思議の国のありす』だったけど : ・ きびす 自分に言い聞かせて、踵を返す。カウンターに戻り、スツールに腰掛けるとフェンウェイが しっと流を見つめた。 「なんだよ」 「本当にいいのか ? 」 「いいのかって俺になにができるっていうんだよ」 なにもできるはずがない。わかっているのになぜそんな言い方をしてくれるのか。 しようそう ふく フンウェイをにらんで、、それでも膨らむ焦燥を止めることはできなかった。 拐「ああ ! ちくしよ、フ ! 」、 誘 ン こちらを選ぶことはどう考えても間違っている。わかっていたが自分を騙せないこともわか タっていた。それ以上に。 い、流はスツールを飛び降りて、・階段を駆け昇った。 ありすの必死の抵抗に手をやいている男達は、まだ踊り場にいた。 ありすはやだって言ってんだろ ! 」 227 だま