のが金融庁の官僚だったが、金融担当大臣には最後まで連絡しなかった。この事情を 知ったマスコミ関係者が「金融問題処理の主導権は、金融庁から経済財政諮問会議の ほうに完全に移った」と直感したことはいうまでもない。以後、首相、経済財政担当 大臣、某民間人というラインが不良債権処理の中軸として認識されるようになってい これが新たな混乱を生むことは、その後の展開をみるまでわからなかったが、兆候 がなかったわけではない。たとえば、金融庁を旧大蔵省の一派として対抗勢力と見続 けていた経済産業省が、中軸ラインに急接近したのもそうである 理 権経済産業省の基本的な考え方は、大手事業法人の倒産回避、自らの主導による産業 良再編にあった。ところが、金融庁主導の不良債権処理になると、自らの監督領域であ 不 る産業界の生殺与奪が金融庁の判断ひとつにかかってしまいかねない。そう考えると、 る 経済産業省の官僚は居ても立 0 てもいられない気分だった。 イライラが募っていたのは、経済産業省を支える旧通産族議員も同じである。自分 章 たちの支持母体である中小企業群はどうなるのか。貸し渋りどころか、銀行が融資を 第 打ち切ってしまえば、中小企業はバタバタと倒れてしまう。そうした事態は是が非で も避けたかったが、銀行監督権は金融庁が握っていて、自分たちは中小企業保護を要 シミュレーション
り、その下で「改革は待ったなし」のムードが盛り上がった。 「公約は必ず実現する」と強調してきた首相にとって、改革に着手したことを世間に 強くアピ 1 ルする絶好のチャンスが到来していた。特殊法人改革、郵政事業の民営化、 そして金融問題の処理等々、改革のターゲットは多く、どれをとっても戦後五十余年 の社会・経済構造の岩盤部分の問題である。しかも、それらはことごとく機能不全に 陥っていた。 数ある特殊法人は税金の無駄遣いマシーンと化し、内部に巨額の損失を累積させて いたし、郵政事業は郵便貯金で明らかなように、競争相手である民間金融機関の経営 を圧迫していた。とはいえ、民間金融機関が不良債権を滞積させて経営難に直面して しゅうえん いたのは郵貯のせいではない。経済の高度成長の終焉から成熟経済への移行期に、適 切な経営変革を怠ったからだった。 実際、郵貯の非効率性を笑えないほどの非効率性を民間金融機関は抱えていたが、 莫大な不良債権が効率性の追求へのインセンテイプ ( 誘因 ) を奪っていた。これを裏 側からみると、生産性の低い産業が金融機関の桎梏として存在していたということで ある。銀行などが担う間接金融 ( 預金を受け入れて、それを資金に企業などに貸し付 ける金融仲介機能 ) そのものがもはや領域を狭めて、直接金融に主導権を譲るべきだ しつこく
一斉検査の実施で反撃に出ようとした当初、金融庁はそう考えていた。 ところが、である。思いもよらぬ話が金融庁に入ってきたのである。経済産業省が 。これは、寝耳 「不良債権処理をどうするか」というテーマのセミナーを開催する に水の出来事だった。しかも、そのセミナーの講師陣の名を聞くに及んで、金融庁幹 とどろ がくぜん 部たちは愕然とした。不良債権処理どころか、企業の清算ビジネスで名を轟かせてい る米国系投資ファンド関係者、経営破綻後に米国系投資ファンドに買収された銀行 の経営者などのほかに、経済財政担当大臣まで講演するという。 彼らがセミナーで語る内容が、金融庁の方針とまったく異なるものであることは、 理 権予想するまでもない。なにしろ、金融庁は過少引当の実態を認めてこなかったし、公 良的資金の再注入が必要になるほど不良債権が巨額に膨らんでいるということは、、 不 ( し力ない。しかし、名を連ねている講師陣は、不良債権の買い取 る す り、倒産企業の再生等々、不良債権が多いほど利益を稼ぐことができる。そうしたビ 走 迷 ジネスチャンスと見込んだからこそ、彼らは日本で熱心にアピールするのだ。 章 金融庁は慌てて、経済産業省に金融庁幹部が講師として出席する旨を、セミナー開 第 催の二日前に伝えるしかなかった。セミナーの壇上で講師陣がロ裏を合わせるであろ くぎ う反・金融庁キャンペーンに対して、その場で釘をさしておく必要を感じたからであ シミュレーション
四るのは、それをあまねく預金者全員の負担によって実施して、一挙に不良債権問題に ケリをつけるという拡大版ペイオフといえる もちろん、政府は国民に対する説得工作を行った。たとえば、国会議員の歳費の五 〇 % カットはすぐに実施に移されるとともに、議員数の三〇 % 削減も公約として掲げ た。これは当初予定されていなかったが、政府発表の直後に、激怒した大衆が国会議 事堂や自民党本部を取り囲むという事態になって発表せざるをえなくなったものだっ その一方で、政府は粛々と作業を開始した。まずは、企業の資産・負債に対する時 価べースの洗い直しが、厳格な資産再評価の下で行われ。金融機関にも同様の措置 がとられた。それによって、産業界の過剰債務と金融界の不良債権の実態が、バブル 崩壊一〇年以上を経て初めて浮かび上がった。 それまで、一部のエコノミストたちが指摘してきたような、銀行の実質的な債務超 過が歴然としたことはいうまでもない。 そして、債務超過の企業のうち、再生不能の企業の資産・負債と、再生可能とみら れる企業で再生が困難とみられる事業部門の資産・負債は、産業処理勘定に移管され た。同様に、産業処理勘定に移管された事業部門に相応する金融機関の貸出資産も、
措置法ーを公布・施行し、損失を被った企業と金融機関が業務を継続しながら損失を 処理することができるよう経理面での準備作業を定めた。 すなわち、指定された補償打ち切りの影響を受ける企業 ( 特別経理会社 ) とすべて の金融機関は、同年八月一一日午前〇時現在の時点で、資産・負債を新旧二つの勘定 に分離する。そして、新勘定には事業の継続に必要で、しかも健全な資産・負債を繰 行り入れ、旧勘定にはさしあたり凍結した後に整理が予定される資産・負債を繰り入れ る 一つの会社を「グッドカンパニー」と「バッドカンパニー」に分割し、グッドカン カ ハニーに事業を継続させることによって破綻を防ぐ一方、バッドカンパニ 1 のほうは 金整理・清算してしまおうというわけだ。最近でも経営危機に陥ったゼネコンを法的倒 産手続きを経ないで私的に整理する手法として、会社分割の活用が議論されているが、 て し その先例は日本の敗戦処理の中に存在したことになる。 、つ 第三に、政府は復興金融金庫を創設するまでの暫定的措置として、産業復興資金の 章 供給体制を確立するために、一九四六年八月一日から日本興業銀行に特別融資を行わ 第 せることにした。これは第二封鎖預金の凍結や金融機関の整理を断行することによっ て、企業の事業資金が枯渇することを防ぐための措置だった。その趣旨は石橋蔵相に
迷走する不良債権処理 第 2 章第 , 2001 年 9 月、流通大手企業 A 社が倒産。 A 社の民 事再生法適用申請を機に、対象企業の経営実態と乖 離したメインバンクの過少引当が露呈した。また「過 少引当の問題企業リスト」 30 社が暴露され、与党幹 部などから「これら問題企業を処理すれば不良債権 は片づく」との意見も出はじめた。短期間で一挙に 不良債権問題にケリをつけるという考え方が内閣内 で主流になりつつあった。 敗戦から産業復興、高度経済成長、プラザ合意後の円高 不況、過剰資金によるバブル、そしてバブル崩壊後の金 融不安・・・・・・。なぜいま「預金封鎖・カット」は起こりうる のか。破綻を来した金融制度と不良債権処理を検証する。
て、返済の見込みが確固たるものになっていないのが実情だ。さらにそこに貸し込む というのは、返済能力が乏しい債務者を多重債務者に陥らせるようなものでしかない。 これでは、銀行の経営不安は解消しない。不良債権処理の抜本策と思って導入する政 策が、むしろ、金融問題を深刻化させてしまいかねない しかも、公的資金をダブルで注入すれば、銀行の資本金の大半は公的資金が占める ことになる。これは、実質的な銀行の国有化である。下手をすると、日本の大手銀行 の多くが国有化されるといった事態に発展しかねない。そうした場合、いずれ国有化 銀行は売却されて、再び民営化されるが、その際には誰が買収するのか。国内経済が 混 疲弊した中では、国内企業にそれを期待することはむずかしい。とすれば、旧長銀の 初ように、外資系投資ファンドによる買収が横行する可能性が否定できないその覚悟 年 が政府にあるのかどうか。覚悟が乏しいにもかかわらず、思慮不足で突き進むならば、 〇結果は悲惨である。 おおなた そうした観点から、マイカル倒産以後の政府の動きを振り返ると、大鉈を振るうこ 章 とで発生する新たな事態への覚悟ができているかどうかという以前の問題として、政 第 府が一体として機能していないのではないかという不安を拭えない。不良債権処理を 巡って繰り広げられた金融庁と経済財政諮問会議、さらには経済産業省などの間の対 解説
いう現象も生じた。 さらに、封鎖小切手による企業間取引の決済が可能だったことから、封鎖預金は「預 金通貨」として購買力化した。金融機関は封鎖小切手によって、企業に対して貸し出 しをすることもできた ( 封鎖貸し出し ) 。全国銀行の一九四六年四 5 六月の封鎖貸し出 れしは累計で一五五億円にものばった。 わ これは日本経済を「新円経済」と「封鎖経済」に二分する結果をもたらした。すな 行 わち、封鎖預金は既存企業の決済手段として流通する一方、新円は商業部門や農漁村 などのアンダ 1 グラウンドに滞留し、「闇経済」の決済手段として使用された。新円に カ よる購入価格が、封鎖小切手による購入価格より安いという一一重価格も発生した。 金『昭和財政史』は、このように預金封鎖がインフレ退治という意味では中途半端な成 果しかあげられなかったことを、「政策の立案過程から考えれば、そこには若干のやむ て し 、つ をえない事情もあった」と分析している。すなわち、預金封鎖は「当面のインフレー ションの進行を抑え、金融恐慌の危機を防止する」ものだが、一方「食糧・石炭など 章 緊急な物資の増産のためには新円の供給を惜しむことはできない。「その限りでのイ 第 ンフレ抑制の不徹底は覚悟の前である」というわけだ。
税 ) を行って実質的に補償を全面的に打ち切る」という方針を決定した。政府は八月 以降、戦時補償打ち切りの根拠法案として「戦時補償特別措置法」「財産税法」を、そ してその結果として予想される日本経済の混乱への対応策として「会社経理応急措置 法」「金融機関経理応急措置法ー「企業再建整備法」および「金融機関再建整備法」「復 興金融金庫法」を国会へ提出した。 わ 行 預金はニ分割してカットへ カ 政府が戦時補償を打ち切れば、ます軍需関連産業に巨大な損失が発生する。こうし 金た軍需会社は、融資を行った金融機関に対して債務を返済することができなくなり、 金融機関も大きな打撃を受ける。そして、金融機関の中に預金者や他の金融機関に対 て し して債務を返済できないところが現れれば、その金融機関のみならず他の健全な金融 、つ 機関も支払不能に陥りかねない 章 当然、破綻金融機関に決済のための口座を保有していたり、融資を受けている企業 第 や個人は、預金を返還してもらえないばかりか、予定していた債権・債務の決済をで きなくなってしまう。政府はこうした連鎖的な決済不能が発生することを回避するた 解説
しかし、企業再生の可能性は決して高くない。結局、損失回避を第一に掲げる中で は、再生可能な企業をふるいにかけるという作業ばかりになって、実際に譲り受ける という段階にまで進む案件はなかった。 業務開始から日が浅いだけに、金融庁は「いまは基盤固めを急ぐ」という弁明に努 しよせん めたが、 世知辛いマスコミの中には「所詮、役所仕事で問題処理の先送りか」という 批判記事が早くも出現しだした。改革の実績作りに焦った一部閣僚が「再生スキ 1 ム の練り直し」を叫びはじめた。彼らがとにもかくにも実績にこだわったのは、米国同 時多発テロ発生後の世界経済の悪化が避けられない中で、国内景気がいよいよ落ち込 混 む気配を強めていたからである。失業率は毎月発表のたびにジリジリと上昇していた。 め 内閣発足当時には、好意的だったマスコミの姿勢も、次第に変わりつつあった。「改 初 一一革路線は号砲一発だったが空砲か」といった皮肉交じりの見出しが新聞紙上に躍りは じめたし、以前は構造改革支持を唱えるサラリーマンや主婦の声ばかりを紹介してい たテレビニュ 1 スでも、失業率の上昇に合わせて、「将来がまったく見えない構造改革 章 なんて、賛成できない」というような批判の声を取り上げるケースが増えてきた。 第 そうした中にあって、改革路線の下で経営悪化した企業が再生されるという話題作 りが是が非でも必要だった。一部閣僚たちが「再生スキ 1 ムの練り直しーと「実績ま シミュレーション