スキー - みる会図書館


検索対象: チェッカーフラッグはまだか
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1. チェッカーフラッグはまだか

このとき、勇大にとって、スキーの世界が少し遠い存在になったのかもしれない。あん なに夢中になってがんばったスキーだが、なぜか今は色あせて見える。 スキーに一生懸命になっていた小学校低学年までの時期、勇大は小学校四年になって正 式なスキーの大会に出ることを楽しみにしてきた。勇大は、今年、小学校六年だ。一年た って、また新しい世界が、彼の目の前に広がっているのを感しることができた。スキーの ときと同しような目標が、今年、またできている。 「レースに出ることができるのは、十二歳からだ。勇大、九月になるまでは、ガンガン走 って練習だな」 父親の太右衛門が言っていた言葉が、耳の奧に残っていた。「雪が消えたら、カートだ」 スキーとはまた違うレースの世界に、勇大は強く惹かれ始めていた。 「目黒さん。五十嵐さん親子、まだ走ってるんですね。こんな雨なのに」 同僚からそう話しかけられた目黒敏子は、カート東北ナショナル・カップの出場者名簿 2

2. チェッカーフラッグはまだか

「哺乳瓶も一本しや足りなかったわ。一一本用意したり、アメリカ製の大きな哺乳瓶を取り 寄せたり」 太右衛門は、幼い勇大を初めてスキー場に連れてきたときのことを思い出した。まだ歩 き始めたばかりのころだ。 姉の由岐にもそうしたように、大自然の中に放り込んで教育するというのは太右衛門の 子育ての大方針だ。勇大も、三つのころにはすでにスキー板をはかされていた。親にとっ て一番の励みは、子供たちの成長ぶりを確認するときだろう。寒いゲレンデで鼻を垂らし ながら泣いていた姿と比べれば、今の勇大たちの姿はまるで夢のように思える。 「見てごらん。うちの子供たち、タマと同しくらい山の子だよね」 そのとおりだった。スキーの腕前も、自然との触れ合い方も、ずっと山で大きくなった 山の子のタマと変わりない。むしろスキーではタマより勇大のほうが速いくらいだ。もち ろん五十嵐家の三人の子供たちは、八文字屋がある山形市内で育ってきた。しかし今では 自然の中で、ぐっとたくましさを増しつつある。 ひろ子は、雪国・山形に来た当時、意外にスキーのできない人が多いのに、少し驚いた ことがある。特に市内の子供たちには、近い場所に蔵王や天童という国際的なスキー場が あるのにスキー初心者が多い。せつかく自然に接することのできる環境があるのに、もっ たいないと思ったものだ。

3. チェッカーフラッグはまだか

てられてきた。物心つくころから山でスキーをし、学校よりもゲレンデや家庭で過ごすこ とを優先する。スキーの大会のために学校を欠席することは、五十嵐家にとってなにも特 別なことではない。今回のスキー大会も、勇大と千栄は平日の数日前から家から会場へ通 って練習してきている。学校には欠席届を出し、担任の教師の了解も得てきた。幸い、五 十嵐家の子供たちの担任はみな、太右衛門夫婦の教育方針を理解してくれている。 もちろん最初のころは、いろいろな誤解や抵抗があった。しかし太右衛門とひろ子の強 い意志とねばり強い説得で、次第に学校のほうもうち解け、今では五十嵐家の子供たちを、 密かに応援してくれるほどにまでなっている。ひろ子の頭の中に、三人の子供たちのそれ ぞれの担任教師の顔が浮かんできた。誰もが「宿題だけはさせてくださいーと念を押すが、 スキー大会中の子供たちは忙しい。そして三人とも、スキーで勝っことに集中している。 大会で全力を出し、家に帰ってきたらクタクタ。もちろん太右衛門もひろ子も、宿題をし ろなどとは言わない。 「とてもしゃないけど、宿題なんかしている余裕はないわ」 思わず溜息混じりにひろ子がつぶやいた。同時に家で勉強している一番上の娘、由岐の 一」とに相い力しノ ほかの子供とは違う自分の環境に、子供たちが反発することも当然ある。真ん中の勇大 や末娘の千栄はスキーに夢中だが、今はちょうど姉の由岐が、クラスメートとの間にでき

4. チェッカーフラッグはまだか

ハワーがでかい。テクニックも必要だし、体力がないと乗りこなせない。そのためは、 バーたちの登竜門的クラスとなる。 さらに上のクラスへのステップアップを目指すドライ ・バルプのものだ。っ 勇大が練習で使ったエンジンは、そのクラスと同しロータリ す・るとい、つことになる まりナショナル・カップへは、 2 クラスでエントリー もちろんその冬、スキーもやった。大会にも出た。・ それまでは、ど、フやっ だが、勇大の中でスキーが占める位置が、次第に下がっていく。 たらスキーのタイムが伸びるか、風呂の中、トイレの中でまで考えていた。それが、だん だん、どうやったらカートで速く走れるのかに変わった。スキーから気持ちが離れ始めた ころ、姉妺やタマなどの友人たちから「カートってどこが面白いの ? 」という質問をよく あいまい された。そのたびに曖昧に答えていたが、自分でもどうしてカートのほうが面白いのか、 まはっきりとはわからない。 ただ、こうした自分の変化の原因は、特にオープンの最後のレースで一一位になった フことが大きかったと思う。スキーでも小五のとき、で一一位になった。だが、スキ カーの場合、ほかの選手と実際に目の前で競走した結果、一位になれなかったわけしゃない。 タイムの結果、誰か知らないやつに抜かれ、知らない間に一一位になっていた。 チ カートのレースで一一位になったときのことは、悔しいくらい鮮明に覚えている。 決勝のスタートは三位、第一コーナーに先頭で飛び込んでから、ずっとトップを走って

5. チェッカーフラッグはまだか

だが、カートの場合、人が作ったエンジンという自然以外のカで、強引に前に進んでい 坂道だろうがグイグイ登っていくし、でこばこの路面も否応なく突き進み、コーナー そうしたとき、勇大 でも遠心力が許す限り、人間の肉体などお構いなしに曲がってい はスキーとは違うカートの性質を、頭ではなく身体で覚えていった。 突然の挙動の変化に身体が反応するのはスキーと同しだ。後輪が横滑りを起こしそうな とき、ステアリング操作でカウンターをあてて体勢を立て直す。もしくは後輪がどこまで 曲がりきれそうにないコーナーに、 滑るのか確認しながら、ステアリングをきっていく。 どの程度のスピードで入っていけばいいのか。そしてコーナーでスピードが落ちてからの 立ち上がりでは、素早くアクセルを踏み込んで加速する。 もちろん自然の力は、カートでも作用する。重力と遠心力、慣性力。その限界を見極め るのは、スキーと同しだ。身体で反応し、身体でスキー板やカートマシンの操作を覚える のも一緒。雪上とコースというだけで、スピード感も、それほどの違いはない。勇大にと って、エンジンがついたとはいえ、カートとスキーの違いはそれほどない。 ただ、カート・コースの上では、常に神経を張りつめていなければならない。ステアリ ングやタイヤから通して得られる路面の情報、カートの動きの変化にすぐに反応できるよ うな気配り、慣れないアクセルワークとプレーキング。コーナーでは激しい横への遠心力、 つまり横がかかる。一瞬の油断がコースアウト、クラッシュにさえつながる。とは重

6. チェッカーフラッグはまだか

コップに牛乳をたつぶりついで目の前に置く母のひろ子。パンを焼く香ばしい匂い。フラ イバンの中で湯気を上げる目玉焼きの音。そのとき下のガレージから、太右衛門が外の階 段を上がってきた。手には新聞を持っている。 「おはよう。まだちょっと寒いけど、今日のコンディションはいいぞ。だっけど、ほんと 昨日は、雨で最悪だったなあ」 相変わらす大きな声だ。今朝は、日曜日だけど姉や妹、そして祖母たちはまだ寝ている。 長かったスキーシーズンがようやく終わろうとしていた。太右衛門がコーヒーカップを置 きながら、ロの端に牛乳をつけた勇大の顔をのぞきこむ。 「身体の疲れ、取れてるか ? 昨日は帰りの車ん中でも、すぐに寝ちゃっただろう」 「うん、ぜんぜん大丈夫。スキーの練習よりは疲れるけどね」 だ 実際、スキーに行ってあんなに疲れることは滅多にない。新雪や春スキーなど、雪質が 幻特殊なときにたまに体力を消耗するくらい。帰りの車の中で濡れ雑巾みたいにグッタリ寝 ラてしまうことなどはあまりない。スキーでは、重力や慣性力を利用して山の上から谷へ落 一ちてくる。いわば自然のカ、自然の法則で滑り降りてくるわけだ。だから、スピード・コ ントロ ールにさえ気をつけていれば、あまり余計な体力はいらない。 工 チ カート練習からの帰り道、あんなに疲れるのは、気が張っているという精神的なものも、 確かに大きい

7. チェッカーフラッグはまだか

制たから、自然にカートをしているだけだと 0 ている。冬はスキー、夏場はカートをすれ 練習してがんばれば、ど 0 ちも両立させることは可能だと思う。げんにこの前の 杯では、一一位に入っている。 ここ最近、練習を始めたカートも、太右衛門に毎回タイムを測 0 てもら 0 ているが、レ ースでのトップクラスのタイムにだんだん近いものが出てきている。実際、勇大の場合、 走れば走るほどタイムが短縮する。太右衛門が「今の周回は一分〇一一秒だ「たぞ」とか 「またタイムが縮んだ」とか言「て、勇大がピットに帰 0 てくるたびに笑顔を見せた。と にかく今はスキーよりもカートだ。 まだレースには出られない。だけど、それも今年の九月に十一一歳になるまでの辛抱だ スキーでも、チームの中で誰よりも速か「たのに、小学校四年まで大会には出場できなか 「た。レースに出るときまでに、練習を重ね、できるだけ速くな 0 ておく。それは勇大に とって、スキーですでに経験済みのことだ。 気温が次第に上昇し始めている。の。 ( ドックには、上半身裸でエンジンを運ぶ 人も見えた。だが、金曜日で平日のせいか、コース上はあまり混んでいない。そのとき太 右衛門が、勇大を呼んだ。 「かっこいいよな、このカート。 前のより、速そうだろう」 なるほど、イタリア製だという新しいフレームは、その赤い色やデザインがどことなく

8. チェッカーフラッグはまだか

た少年も、スキー焼けした健康的な顔で笑っている。三人とも、スキーの腕前は相当なも のだ。 蔵王のウインターシーズンは、今、その最盛期を迎えようとしていた。たくさんのスキ ーヤー、徐々に目立ちだしたスノーポーダーたちが、東北随一の広大なこのスキー場を訪 れる。山形市内や仙台などの近郊からはもちろん、東京や遠く関西方面からも滑りに来る。 山形県と宮城県にまたがるこの蔵王の魅力はウインタースポーツだけではない。蔵王温泉 のスパリゾートや地蔵山周辺の樹氷までも含めた一大レジャーエリアだ。 だが今日の蔵王は、いつもとは少し違った雰囲気に包まれていた。計測結果の淡々とし たアナウンス。ゲレンデにコダマする声援と歓声。普段は滅多に間隔が空くことがないリ きもん フト上の人影はまばらだ。ゲレンデに赤と青の旗門がジグザグに立てられている。次々に 滑り降りてくる、攻撃的な姿勢のスキーヤー。鮮やかにストックを操り、鋭いターンで雪 煙を舞い上げる。張りつめた緊張感、そしてそれが解き放たれたときの高揚感。 一般の客が滑るゲレンデとは別の場所で、アルペンスキーの競技会が開かれているよう 。大きな雲が晴れた。ゲレンデが白く輝く。突然、広いコース上に、豆粒みたいな真っ 赤なスキーウェアが、ポンツとはしけ出た。ちょうど、小学生の回転競技が始まったらし 回転競技は、スラローム、と呼ばれる。青と赤に塗られたポール、旗門の間を通り

9. チェッカーフラッグはまだか

感した。プライドのかたまりのような勇大にと 0 て、それは最も言われたくない言葉だ 八文字屋は山形市内の商店街でも一番大きな本屋だ。その息子だというだけで、特別な 目で見られることには耐えられない。ある意味で、それが唯一と言 0 てもいい自分のコン プレックスだ。剣道の練習の帰りなどで遅くな 0 たとき、勇大はよく母に車で迎えに来て もらう。その豪華な目立っ外車が、勇大には少し気恥すかしい。なにより友達から、賛嘆 も含めた特別な感想を浴びせられるのが嫌だ。「す 0 げえ車 ! , 「八文字屋のお坊ちゃん」 そんなふうに言われると、すぐに喧嘩にな 0 た。「お坊ちゃん」的に育てられてきた覚え はない。甘やかされて育てられてきたわけしゃない。スキーのときも、寒さに凍えたり、 速くなるために人一倍の練習をしてきた。そうした自分への自信が、プライドの高さにつ なが「ている。自分のカ以外のところで評価されたり、いろいろ言われたりすることが嫌 だ「た。スキーにしてもカートにしても、実力の世界だ。速くて強い人間が勝つ。わかり やすい世界だ。八文字屋の息子だからといって、勝てるわけではない。 勇大は、そうしたわかりやすい実力の世界で自分を確認したか 0 た。思い切り好きなこ とをやるために、私立中学にも進みたい。高校受験がないから、スキーにしてもカートに しても、も 0 と打ち込めるはすだ。同級生たちとは違う中学に進むことは、自分にとって 特別なことではない。今までだ 0 て、学校を休んでスキーの練習や大会〈出かけていた。 五十嵐家の教育方針がそうだから、ずっとそうしてきた。私立中学に進むことだ 0 て、そ

10. チェッカーフラッグはまだか

子供が参加できる競技はカートしかないということもあるんだけどね」 「競技って、それ、レースのことでしよ。じゃあ勇大、すぐにカートのレースに出られる んだ」 「いや、まだだめだな。カートの正式なレースは、十二歳からじゃないと出られないよ 「十一一歳か、来年ね」 「ああ。勇大は今度の九月で十一歳だろう。来年、レース・デビーするためには、一年 くらい練習期間がないとな。身体も大きくなってきた、練習時間もとれる。カートを始め させる、絶好のタイミングなんだよ、今が」 「ふーん。でも、やつばり、四輪のレーサーにする気 ? 野田君たちみたいに」 「そりやもちろん、勇大しだいだよ。嫌がるものを続けさせることはできないさ。それ 「それに ? 「今年はスキーもがんばるって言ってるし」 確かに今の勇大は、カートなどに夢中になっているわけにはいかないはずだ。それはひ ろ子もわかっている。昨年、小学校四年生になって初めてスキーの正式な大会に出た。あ まり自慢できる成績が残せなかったのは、勇大本人が一番よく知っている。だからこそ、 今年はスキーの杯を中心に三位入賞を目指して気合いを入れていくはすだ。