の高い大人とでは、重心の位置が変わってくる。シートが一センチ上下するだけで、タイ ムがかなり変わってくることもあるカートの場合、ドライバーの身長の差は無視できない。 つまり、半年で五センチも身長が伸びた勇大のカートを微妙にセッティングし続けるのは、 経験を積んだメカニックでも非常に難しいことだと言える。太右衛門も、こうした身体の こ、フした時 変化には薄々気づいてはいた。だが、子供の成長を、止めることはできない。 期を乗り越えて、どんな状況にも通用するテクニックを磨くことしかできないのだ。 そしてもう一つ、勇大のがんばりが、なかなかリザルトにつながってこない重要な理由 があった。だが、それについて、勇大自身はもちろん太右衛門も、まだ明確に把握しては いない。その理由がわかるのは、勇大がさらに成長し、より上のランクへ上がるのを待た かねばならない。 満足に走ることさえできない、一一年目のシーズンが続いた。やはりレースとは違っ て、ナショナル・カップは競争が激しい。まだまだ乏しい経験とテクニック、エンジン・ チューンとキャプレター調整をするためのメカニカルな技術、ドライバーの変化し続ける 力体格 : : : 。どれをとっても不利な面ばかりだ。 そんな重く苦しいシーズン中、勇大に一つの転換点を示すような貴重な体験が訪れる。 チ 東北ナショナル・カップ第六戦。ェビス・サーキットはその日、雨だった。レース開始。 果敢にでアタックをかけ、久しぶりにいいタイムが出る。四位スタートの予選ヒート
262 リッドを決めるジムカ 選は、カートの ee のように、ラップ・タイムの速い順で決勝のグ ーナ方式。だが、勇大は予選でスピン。決勝はビリからのスタートとなってしまう。 とさ ここまでは、まだ「不運だな」くらいにしか思ってなかった。決勝で抜けばいい、 え思っていた。まだ決勝のがんばりで、上位を狙えるという自信があった。そんな鼻っ柱 が、いつべんでヘし折られる。スタートしてから、前を全く抜けない。それどころか、日 本人の同僚ドライバー、黒澤と激烈なビリ争いを展開。結局ビリでゴール。ガックリきて、 とたんに自信喪失だ 勇大はまだ十八歳。イギリスで走る、史上一一番目に若いドライ バーだ。そんな経験 不足が、圧倒的な実力の差となって明確にレース結果として出てしまった。確かに同しチ ームメートとでは経験に多少の差はある。そのレースで、二十二歳のウエバーは、堅実な 走りを見せ、六位に入っていた。 , , 彼よ、イギリスシリーズで何度か勝っている選手だ。 フォーミュラ・カーに乗ってからの時間も、四輪レース経験も、勇大とは比べものになら ない。黒澤にしても、昨年、すでに日本でデビューし、鈴鹿の FJ1600 レースで は優勝もしている。ただ、勇大もニュージーランドで、 16 0 0 とい、フフォーミュ ラ・レースを経験してきている。だが、なましこのシリーズで手応えを得たのが、現実の 厳しさから目をそらし続けた原因だったのかもしれない。 第一戦で完敗した時点でも、カートで培ったテクニックが四輪で通用すると、まだ信し
1 緒にレースを楽しんでいる様子に見える。勇大自身も、レナートたちとコースで過ごす時 間が待ち遠しい。こうして予定の三週間は、あっという間に過ぎる。 今年の勇大が、一つの大きな目標にしているジニア・ワールド・カート選手権が開催 されるのは七月だ。それに出ていい成績を収めるためには、メルリンで実際に車を走らせ、 イタリアのコースに慣れておくことが、ぜひとも必要だった。だが今回、イタリアに来た ことで、その目的以上の収穫を得ることができた。 レナートたちと七月の再会を約束して、勇大はミラノ・マルペンサ空港から帰国した。 日本には、第一戦を休んだ一一年目のシーズンが待っている。ジャンボの中、イタリア で体験したさまざまな出来事がよみがえってきた。「やはりカートは、本場ヨーロッパだ なあ」そんな不遜な考えも、今の勇大には確かな自信のように思える。もちろんイタリア 帰りを鼻にかける気は微塵もない。だが、知らす知らずのうちに、自分が少しだけ成長し たような気分になる。「イタリアでの経験を日本での走りに生かしたいな」目前に控える 全日本東地区シリーズ第一一戦への闘志が、改めて熱く燃えてくるのを感した。 タロックス・レーシングの橋本孝一一は、ピットインした車を迎えながら「けっこう乗れ るようになってきてるな」と思った。手の中のストップウォッチのデジタル数字が、点滅 を繰り返す。さっきの周回よりもコンマ〇七秒の短縮だ。エンジンが止まって、シートか
「よう、走った。大したもんや」 そう言われても結果はあまり威張れるようなものではない。勇大はあいまいに笑った。 さすがに地中海に面したレッチェの海鮮料理はうまい。ミラノのホテルで食べたのとはダ ンチだ。 「どや、手応え、あったやろ。世界には速いやつがおるもんや」 「ええ。いい経験しました。ありがとうございました、高橋さん」 「僕に礼言われても困るわ。五十嵐君が自分でがんばったんや」 「でもやつばり、世界選手権、すごいですよね。激戦だし、レース、グチャグチャだし」 高橋がうまそうにワインを口にした。なにか昔をい出すような感しで下を向く。 「そんなレース経験して、だんだんに余裕が出てくるんや。こっちでいい経験を積んで、 日本でそれを生かして、な。五十嵐君、がんばりや」 フ勇大がイタリアから帰ってきた。すぐに全日本のレースが待っている。第五戦は榛名だ。 カタロックス・レーシングの橋本は、榛名が勇大の好きなコースだということを知ってい た。だから、なんとかここで初優勝させてやりたい。そうした想いもあって、勇大がイタ チ リアへ行っている間、にしい合間をぬってマシン・セッティングについて考えをまとめた りしている。レースが行われるのは日曜日だ。だがほとんどのチームはその週の木曜日前
あっという間に小さなコースを一周。ピット前を駆け抜ける、というよりノロノロと通 過した。そんな感しで全く車に乗った感しがしないまま、午前中だけの初乗り体験が終了。 強張った顔でシートから抜け出る。アランが肩をすくめて苦笑した。メカニックたちも グッド」とは一一一一口うものの、視線を合わさない。それがやけに気になった。 ピットに、もう一人の白人のおじさんが加わっていることに気づく。アランが「ロプ・ ウイルソン」と紹介してくれる。「ヒー・イズ・ユア・ドライビング・ティーチャー」だ と言った。このロプという人物が「昔はナスカーのドライバーで走ってい」て「 3 でも 何度か優勝経験がある」「ニュージーランド人」だということが、なんとかわかる。そん な説明を聞き、はっとしてまわりを見ると、やポールがさっさと車を片づけている。 トランスポーターが先に走り去る。アランがポールを乗せて、コースから出ていった。 勇大は、そのロプというおじさんと一一人で残された。暗い雰囲気のイギリスの片田舎だ。 ロプは、ついてこいという感じで車に乗った。あわてて助手席に座る。少し走った先は、 フ殺風景なテスト・コースだった。雨はまだ降っている。日本のような雨粒じゃない。じっ 力とりした霧雨だ。パドックに、ロ ーバーなんかのメーカーのメカニックが、つなぎを着て 車にとりついているのが見える。ロプが、コース走行用のオペル・べクトラを借りてきた。 まずロプが運転。すぐに勇大が運転を代わった。最初は大人しく見ていたロプが、その うち、コーナーで「もっとハンドルをきれ」とか言って手を出してくる。口調は優しいが、 「グッド、
「実力ねえ。 : だから、カートできたえるんだ。しや、小さいころからやってたほうが、 やつばり有利なんでしょ ? 「そのとおりだ。カートは比較的お金もかからないからね。さっきも言ったけど、十一一歳 からレースを始められるから、十八歳で四輪デビーするまでに六年間、実戦経験を積む ことができる。うちにいた野田英樹もカート出身だし、今、走ってる鈴木亜久里もそ うだった。現役のトップレベルのレーサーたちの中でカート経験がないのは、フェラ ーリのゲルハルト ・ベルガーくらいじゃないかな。 ・ : それから」 「なに ? 「カートってのは、運転方法とその場所さえ心得ていれば、すごく安全な乗り物なんだ 「ほんとに、そう ? でも、ぶつかったり、コースを外れたりしない ? 」 「そりゃあ、レース中に事故はあるさ。でも重傷者や死者が出たりすることは、滅多にな いんだよ。どうしてか、わかる ? ひろ子が、黙って首を振った。 「カートの重さって、全重量を合わせても六十キロ程度なんだ。体重四十キロの勇大が乗 っても百キロ。七十五キロの僕が乗っても、せいぜい百四十キロくらいにしかならない。 物は、その重さが増せば増すほど、同しスピードでなにかにぶつかったときの衝撃が大き
214 「勇大。岡田さんは、車のことについて、いろいろ細かく聞いてくるよ」 の勇大担当メカニック、野中慎一一が高速料金のお釣りをダッシュボードに放り込 んだ。車は、今年の第一戦が行われる鈴鹿に向かっている。「そうしてもらったほ うが、僕はいいな」黙ったまま、勇大はそう思う。このシーズン・オフの間、自分なりに いろいろ考えてみた。去年、一年間はすごく充実したシーズンだったように思う。イタリ アでの経験も、自分に大きな影響を与えた。の成績も、全体としてはけっして満足の いくものではなかったけど、個々のレースではそれなりに手応えを感した。 ての活動をあきらめる。それを決意したのは、太右衛門から「来年、勇大をに上げ る」と言われる前だ。シリーズ十一位の結果を持ってに上がるのは、少々無謀 なチャレンジだ。常識的に考えると、年齢もまだ若いし、経験も少ない。もう一、一一年、 でもまれてからでも遅くない。橋本はそう考えたが、自分は静かにでの勇大の 活躍を見守るだけだと、黙ったまま励ますように笑みを浮かべた。 9
した。太右衛門が、手を握ってくる。勇大は、と見ると、少し恥ずかしそうに笑っている。 うれしさ、照れくささ、悔しさもある。やはり、最後に抜かれたのは悔しいはずだ。だが、 ーにとって、かなり難しいこ トップをずっとキープし続けるのは、経験の少ないドライバ とだ。田中も何度か覚えがある。精神的なプレッシャーも影響するが、まだ体力のない勇 大くらいの子供の場合、十五分弱のレースをずっと戦い抜くこと自体、きついことだと一言 える。だが勇大の性格を考えれば、最後に抜かれて優勝を逃したことが、自分でも許せな いはずだ。 田中は、表彰台から降りてきた勇大が、太右衛門に出迎えられているのを見た。来年は、 オ普通なら、もう一年くらいオ もう東北ナショナル・カップの地方選手権デビュー・こ。 ープンのシリーズを続け、チャンピオンになってからでも遅くはない。 だ だが、太右衛門から、勇大を十八歳で四輪にデビューさせる計画を聞いている。そのた めに中学に上がる来年には、地方選手権にランクアップさせるべきなのだろう。ナショナ ラルで使用されるエンジン・パワーは、 cocn オープンのものとはかなり違う。体力、技術、 一知識、経験、あらゆるものが影響してくるクラスだ。ちょっと背が伸びたばかりの勇大に とって、荷が重すぎやしないだろうか。ナショナルでもビー・レーシングからエントリー 工 チ する予定だ。来年の展開を楽しみに思うのと同時に、田中は、少し心配になった。
266 そして、フォーミュラ・カーで初めて走る高速コーナーに、勇大は手こずった。これは カートと四輪の差うんぬんというよりも、やはり経験不足からくる悩みだ。マシンは 非力とは一言え、カートよりも、はるかにエンジン・パワーがある。タイヤも巨大でグリン プカがある。カート・エンジンが百、 3 は二リッター、二千。二百五十キロ以 上というスピードは、カートの約一一倍。クラスでは応用できたカートの経験だが、よ り速さとパワーを増したでは、全く異なる世界として立ちふさがる 低速コーナーは、カート時代に培ったテクニックのおかげで、でも十分通用するこ とはわかった。だが、高速コーナーを速く駆け抜けていくことが、どうしてもできない。 高速コーナーでのトップ・スピードが、どうしても伸びない。そのせいで、ラップ・タイ ムに大きな影響が出る。 ーのほうが五倍くらい速いぞ」と言われた。自分でも、明ら アランから「同僚のウエバ かに高速コーナーで遅いことがわかっている。だが、いきなりは無理だ。コーナーでの最 低速度を上げ、速いスピードで回っていこうと頭でいくら考えても、限界がある。毎周、 毎周、ジワジワと、少しすっ攻めていくしかない。同じ高速コーナーにさしかかる。前の 周回より、ちょっとだけ進入速度を上げてみる。そうやって手探りで車の挙動を確認しな がら、身体と頭に納得させていかなければ、できない。 実際にコーナーに入っていくと、待ち受けているものは恐布だ。今まで、そんなに速い
構成される公立中学では、マスプ 0 教育におちい 0 てしまい、五十嵐家のような父兄の教 育方針が理解されるかどうか不安でもある。 「今の日本の教育 0 てさ、すごく受験偏重主義だろう。大学受験もそうだけど、高校受験 もすごいしゃない。十代の真ん中くらいの年齢 0 て、人生で一番いろいろなことができる 大切な時期なんだよ。それ以後の人間形成にも、すごく影響する年代でもあるし。僕は、 そんな大事な期間を、勇大に受験受験 0 て、勉強に必死にな「て費やしてほしくないんだ。 スキーでもカートでも、自分の好きなことを、とことんまでや「てほしい 太右衛門の経営する八文字屋には、東京の一流大学を卒業した新入社員も入 0 てくる。 将来、その跡を継ぐであろう勇大が、いくら勉強ができて、いい大学に入「たとしても、 それですぐに企業のリーダーとして通用することにはつながらない。太右衛門自身がその 父から社長の座を受け継いだのは、一一十五歳のときだ「た。出入りの業者が、年配の社員 を社長だと勘違いし、自分が若僧だと無視されたときの屈辱を忘れてはいない。八 文字屋 の大きな屋台骨を支えていくのは、一流大学卒の肩書きでもなければ、高等数学ができる ような類の頭脳でもない。それはあくまで、その人間の「人間力」だというのが太右衛門 の持論だ。 十代の大切な時期に、自分の能力に自信を持ち、プライドを保ちながら粘り強く目標に 向かって、自分の知恵と努力で突き進んで いく。もちろん「人間力を鍛えるのは勉強で