大世紀末、冷血の見せしめー 「江沢民の焚書坑儒」の衝撃 ギリギリギリツ・ ガラガラガラガラ、グシャーン、バリバリ、 せいさん この世のものとも思えぬ凄惨極まりない破壊音をたてて、巨大なプルドーザーが何 度も何度も前後に往復し、うずたかく積み上げられたビデオ・テープや録音テープの つぶ そば 山を踏み潰し、粉々に破砕してゆく。そして、すぐその側では青表紙や赤表紙の教典 や解説書、指南書のたぐいがメラメラと炎をあげて燃えさかっている。 その数、無慮五百万とも二千万とも言われる膨大な書物やテープが、「汝輪功」と 呼ばれる中国の気功集団のものであることは、テレビを見ていた世界中の誰にでもす に分かった。なぜなら、国営放送局のアナウンサーが、声を張り上げて、 「法輪功は邪教です ! 国家秩序を破壊し、社会主義建設を妨害しようとしている謀 反人・李洪志の書いたものや吹き込んだものを持っている人は、直ちに自首してくだ さいっ と、必死に呼びかけていたからだ。かって、秦始皇帝も、民衆の幅広い支持を集め しんのしこうてい まうりん - 」、つ
142 わち、済度されるのだ。 6 4 嫉鉐心 (Jealousy) 中国人は特に「嫉妬心」が強いと言われている。これは、「儒教ーの影響と決して 無縁ではない。喜怒哀楽の感情を欧米人のように直接的に表面に出さす、ジッと内面 に秘めておくほうが美徳とされてきた古い儒教倫理の中で、かえって嫉妬心が内心で 強く燃えさかるようになったのだ。そして、この傾向は、ひとり中国ばかりではなく、 アジア全体にも多かれ少なかれ見受けられるから、「アジア嫉妬」とか「東方嫉妬ー とも呼ばれている。 そして、さらにもう一つ、中国社会は共産主義革命以来、「絶対平均主義」という 極端な平等主義 ( 悪平等 ) に支配されてきたため、自分よりちょっとでもいい思いを する者がいると、極端に嫉妬する傾向が強まってしまった。 これらの悪弊が修煉に悪い影響を及ばすことを、我々は非常に心配している。内心 「自分よりも劣っている」と思っている人が先に悟りを開いて神通力を得たりすると、 ひば、つ 「走火入魔だ ! 」と誹謗してなかなか認めたがらないのも、嫉妬心のためだ。人類社 会の発展は、定められた字宙の法則に従って進展しているだけであり、自分にどんな さいど
きよほうへん たる事実です。そのような意味においては、周恩来についても毀誉褒貶があるのも当 然だと思います。しかし、もし彼が毛沢東の批判派に回っていたら中国は内戦さなが らの混乱状態となり、ひょっとすると世界一アナーキーな分裂国家になっていたかも しれません。少なくとも、彼には「中国の分裂を食い止めた」という栄誉だけは与え られるべきではないでしようか 周恩来亡きあと、その志を継げるのは鄧小平しかいませんでした。しかし、いまや 完全な権力亡者になり下がってしまっていた毛沢東にとって、それは最も恐ろしいこ とだったに違いありません。そこで、わざわざ大して実力もなさそうな華国鋒を周恩 志 来の後釜に据えて、「鄧小平を批判し、右からの巻き返し風に反撃する」運動を大々 的に展開するように仕向けたのです。 民 しかし、中国の民衆も決して馬鹿ではありませんからね、日増しに″四人組。に対 する非難は高まるばかりで、 1976 年の春、清明節の日が近づくにつれて、天安門 しの 広場に集まって周恩来の遺徳を偲ぶ人々の数は増えるばかり。それはとりもなおさず 章 ふんまんじゅそ 毛沢東と四人組への憤懣・呪詛の集まりでもあったわけですから、遂に 4 月 5 日の夜、 第 無謀を承知で人民軍を突入させざるを得なくなったのでしよう。そして、毛沢東はこ の事件を「ハンガリー反革命の中国版」と呼び、当時すでに軟禁状態に追い込んであ
214 目下のところ、アメリカ国民の大多数は、いかなる不当な迫害を受けても毅然とし て「無抵抗主義を貫き通すーと明言し続けているマスタ のことを極めて好意 的な眼差しで見つめており、「新しいガンジーだ」と呼ぶ向きも多い。 しよくざい しかし、中国の共産党指導者たちは、、 しまだに「天安門事件の贖罪すらしておら ず、依然としてその犠牲者たちを、夏は猛暑、冬は酷寒の牢獄につないだままである。 そして、いままた、同じような形で罪なき大衆が続々と拘引・拉致され拷問や洗脳を 受け続けており、まかり間違えば「国家反逆罪」の汚名を着せられて処刑されかねな い状況に追い込まれているのだ。 折から、 2000 年Ⅱ月の大統領選挙を控えて、アメリカの世論は、いつまでたっ ても自由化・民主化しない社会主義中国に対して、実に厳しい批判の目を向け始めて いる。当然 、リべラル派の政府高官たちの「マスター ー」に対する期待度も高ま って行く一方であろうが、もし彼が弟子たちの苦境をよそに、アメリカ生活の自由さ や豊かさだけに埋没して、いつまでたっても具体的な救済活動に立ち上がろうとはし なかった場合、アメリカの好意的な空気も一挙に冷え込むのではあるまいか 〈 7 〉キャピトル・ヒル ( 連邦議会 ) から「反中国 ! 」を叫ぶ有力議員たち
半年たらず後に「建国浦周年記念」の一大ページェントを繰り広げ、それを強力な テコとして、ややもすれば緩みがちになる「一枚岩の団結」体制を一挙に確立、『新 憲法』の規定ではいちおう「西暦 2003 年まで」とされている自分の任期 ( 5 年間 ) もくろ をさらに延長しようと目論んでいた江沢民は、激怒した。 かしゅんおう きょえいやく 公安相の賈春旺や、国家安全相の許永躍らを呼びつけて、徹底的に原因を究明させ てみたところ、さらに驚くべき情報が次から次へと明るみに出てきて、なおのこと顔 が蒼ざめてゆく一方であった。すなわち、法輪功のメンバ。 ( ーこよ共産党や人民軍の幹 部たちも沢山含まれており、ロ 門題の「中南海座り込みデモーの際の代表者 3 人のうち の 2 人までが現役および退役の体制側指導者だった、というのである。 ワン・チウエン (Wang Zhiwen) : : : 鉄道省元幹部 ワン・ユウクアン (Wang Youqun) ・ : ・ : 監察省幹部 朱鎔基首相がああまで簡単に面会に応じたのも、以上のような政府内部の人間が混 じっていたからだ、というのだ。しかも、公安当局の調査によれば、法輪功の創始者 りこうし マスター で弟子たちから「師」と呼ばれて畏敬されている李洪志という人物は、既に捜査の手 が全く及ばないアメリカに移住しており、彼自身の口から、 「中国本土だけでも 1 億人近い弟子がおり、中には共産党や軍・政府の内部にも懸命
9 第 7 章最高指導者・李洪志の「丹田」にあるもの まっています。当然、黒い物質が体内に溜まり、自分の周りを悪い気が取り巻 きますから、病気になったり、健康を害したりするようになります。そして、 そのような「普通の人間ーを我々は『常人』と呼び、黒い物質によって惹き起 ) 」、つりき こされる様々の悪いことを『業カ』と呼んでいます。 常人の病気の治療をするのは病院ですが、あまりにも業力が強い場合、病名 はもちろんのこと、治療法も全く分からないといった場合がほとんどです。そ のため、みんな藁にもすがる思いで「気功師ーの看板を掲げている人の所に飛 び込んで行くわけですが、私に言わせればそんなことは抜本的な解決には全く なってはいません。すなわち、一向に良くならないか、偶然にも病状が好転し たかのように見える場合でも、全くうわべだけのことで、実際には体の中で病 気がもっと悪い方向に進み、致命的なことになっているかもしれないのです。 そもそも、「気功ーとはそんなインチキなものではなく、中国の古代医学や 道教、仏教などの深遠な字宙哲学から長い年月をかけて生成発展してきたもの で、人間の体を宇宙と同じものだと考えて、物質的な面からだけではなく、精 神的な面からも総合的に取り扱おうとするものです。 すなわち、対症療法的にその病気だけを治そうとする西洋医学とは根本的に わら
そして、 1949 年川月 1 日、遂に国民党政府の蒋介石総統を台湾海峡の彼方に追 い落として、「中華人民共和国ーが打ち建てられ、毛沢東が正式に国家主席としてナ 11 の座についた。人々から「国慶節」と呼ばれているこの日こそ、実質上の 「建国記念日」であり、誰が大仰な軍事パレードを見下ろす雛壇の中央に立つか、 ーワンとしての栄光が公に認知される、という不文律の よって共産主義中国のナンバ 最初の第一歩が印されたのである。 欺 暴れまわる狂気の「紅衛兵」と 壮 徹底的な文化遺産の破壊ー 主 世 救 しかし、次第に革命の熱気が冷めて、洪水や干魃、西側陣営との対立など、現実的 国な難問が眼前の急務として重くのしかかってくるにつれ、中国共産党の内部では再び 海外事情に精通した「実権派」と呼ばれる連中の勢いが強まってきた。 章 後に「ポスト毛沢東ー時代の最高指導者として隠然たる絶対的権力をふるうことに 第 とうしようへい なる鄧小平なども、その代表格の一人であった。そして、いつの間にか、共産党の内 部における毛沢東らの勢力は「保守派のレッテルを貼られて少数派に転落してしま
第 8 章 果たして、 1 億の門弟は黙っているか ? 大弾圧が大叛乱を呼ぶ「革命」の末裔たちの胸の内 多くの血が流れた天安門事件の惨劇から 10 年、今度は法輪功が非合法化 された ( 1989 年 6 月 4 日 )
ともいうべき農民 ( 農村戸籍 ) たちよりさらに下の差別待遇を受け、ことあるごとに 迫害され続けてきたのだ。 じよしん また、辛亥革命以後、漢族に女真族 ( 川世紀末に中国の東方地方東北部に出現した ツングース族の一派で後の清王朝の源流にあたる ) の流れを汲む清朝が完敗したため、 現在の東北地方に住む人々は「満州人」と呼ばれて差別された。 る さらに、毛沢東の率いる中国共産党の革命軍に追われて「台湾ーに脱出した蒋介石 て っ の国民政府軍とその係累たちも、同じ漢族でありながら、台湾に昔から住み着いてい 黙 剃る人々と一緒に「台湾人、と呼ばれて実質上の差別を受けざるを得なくなってきてい る 億 すなわち、かっての「五族」のうち、「漢族」 ( しかも共産党員 ) だけが露骨に突出 p' して、残りはすべて極端なまでの差別待遇に甘んじなければならなくなってしまった し のだ。しかも、チベット族やウイグル族、モンゴル族などは昔から独立自尊の気概が 果 高い、つえ、 章 れつき 「もともと歴とした独立国家であったにもかかわらす、第二次世界大戦のどさくさに 第 まぎれて中国の共産党政権が強リ。イ ーこ并合してしまった。しかも、『自治区』というこ 。いまや漢族の独裁と圧政に虐げら とで完全な自治権を与えるという条件だったのこ、
「今日の中国でお父さんの " ピンファン〃 ( 平反Ⅱ名誉回復 ) ができるのはただ一人、 周恩来首相しかいないだろう」 ということになり、母は決死の覚悟で北京に行き、鄧小平の奔走で建てられた記念 館の中で何日も待ったあげく、直訴という強硬手段に打って出ました。母の訴えをジ ッと聞いていた周恩来は、その場で「張守愚は党の指導者に申訴する権利を有する」 という覚書を書いてくれました。しかし、当時の状況下ではとても訴状が毛沢東の手 元まで届く保証はないと思われましたので、母はその覚書を祖母の木綿の靴の中に縫 志い込んで隠しておきました。 四人組が毛沢東の虎の威を借りてやりたい放題の猛威をふるう中で、「階級敵人」 李 「現行反革命」のレッテルを貼られた私たちは、一家バラバラに辺境の農村に下放さ 心れることになりました。それまで収容されていた成都の隔離施設で私たちをとても可 愛がってくれていた鄧小平の腹違いの妹さん ( 私は「トンおばちゃん」と呼んでいま した ) が泣きながら見送ってくれたのを、つい昨日のことのように思い出します。 章 ラオカイ しかし、「労改ー ( 労働改造 ) と呼ばれる強制収容所に較べれば、私たちのケースな 第 どまだましなほうです。下放の途中、私は鉛のような灰色の顔をしたやせ細った労働 者の群れを見かけ、「あの幽霊のような人たちは ? 」と思わず聞いてしまいました。