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検索対象: 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)
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1. 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)

中の広島から「なにぶんとも不在中は村内御一同様によろしくお引立てを願いたく候」と書き送った 9 戦死直前の手紙には、遺族扶助料の金額を詳細にしるしたのち、「私実家へちょっと御報知くだされ たく、ひとえに / 、御依頼申しあげ」ている。 山本京松は応召入営に際して、「申しかね候えども留守中はよろしく願いあげたてまつり候」と依 頼している。大藤巳之助も「なお弊生不在中家事よろしく御依頼申しあげ候」と書いている。 年配から言って一家の生計の大黒柱である後備兵ともなると、何はさておいても留守宅のことを心 配している。 広島開助の兄広島又兵衛は、応召に際して「留守中は万事お心添えのほどひとえにお願い申しあげ 候」、出征決定の報告で「なにとぞなにとぞ留守中は万々お心添えのほど希いたてまつり候」と書い たほか、鯖江出発にあたって「留守中はすでに学ばざる女どものみにて書状を読む者これなく候あい だ、私方より通報の節ははなはだ気の毒には候えども、母の安心するよう御談の聞かせくだされたく、動 行 この段特にお願い申しあげ候」と、依頼している。 土田権次郎は戦地から「今後も言にあまり候えども何によらず万事万端〔拙家に〕お心添えよろしく意 御依頼申しあげ候」と書き、落田金之助は広島到着直後に「なお不在中は万事よろしく御依頼申しあ兵 げ候」とたのみ、金森仙太郎も戦地に到着してまもなく「なにとぞ不在中何かとよろしく御依頼申し あげ候」との依頼をおこなっている。上野山四郎は鯖江から「なお生義留守中はなにぶんよろしく御紙 依頼申しあげ候」、戦地から「信に小生も留守中のゆえ、よろしく御依頼申しあげ候」としるし、堂 下奥左衛門も「なおまた留守中はよろしく御依頼申しあげ候」と書いている。

2. 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)

さて先日来は御饌別として貴重なお薬御送付くだされ、誠にかたじけなく頂戴つかまつり、あ りがたく深謝したてまつり候。なお小生も出発後なにとぞ実家を万事御尽力願いたく、呉々も御 依頼申しあげ候。 ( 明・ 5 ・ ) 私儀去る二十九日無事当地へ着つかまつり候につき、御安神くだされたく候。なお不在中は万 事お心添えのほど願いたてまつり候なり。 ( 明・ 7 ・ 1 、広島より ) さて小生こと無事にて去る二十八日午前六時四十五分敦賀発列車にて、翌日二十九日無事当地 へ到着つかまつり候あいだ、御安神くだされたく候。出発の節は御報知申しあげ候なり。なお不 在中は万端お心添えのほど呉々も願いたてまつり候なり。 ( 明・ 7 ・ 1 、広島より ) 面屋は遼東半島に上陸したのちにも、「なにとぞ実家をよろしくお心添えのほど、願いたてまつり 候なり」 ( 明・ 8 ・ 2) と書いたが、九月には病気のため内地に後送され入院した。入院中も「なお 動・ 御安神くだされたく候。不在中は万事お心添えのほどを願と 私も病気追って軽快におもむき候あいだ、 , いたてまつり候」 ( 明・Ⅱ・ä) と依頼している。さらに、講和後の下士官再役を報じた手紙のなか でも「なにとぞこの後といえども変わりなく留守中は諸事お心添えくだされたく、伏して懇願っかま兵 ) と、丁重に依頼している。 つり候。まずは遇書をもって御依頼におよび候なり」 ( 明・Ⅱ・Ⅱ な 戦争末期に歩兵第三十六連隊の補充員として出征した落田茂は、出発にあたり「留守中は万事お見紙 捨てなく御加護のほどひとえに祈りたてまつり候。まずはちょっと御通知御依頼申しあげ候」 ( 明・ ・ 2 ) と依 7 ・ ) と書き、さらに凱旋まえに「小生ことの父様よろしくお頼み申しあげ候」 ( 明・Ⅱ

3. 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)

かえりて拙家より本日郵書にて承り候ところ、御貴殿お携えの桜木くだされありがたくお礼申 しあげ候。今後も言にあまり候えども何によらず万事万端お心添えよろしく御依頼申しあげ候。 さて生儀は寛句県町の守備いたしおり候えども、命令によりて九月十一日より三十里ばかり行 軍いたし、四日間南孤山村に清国の馬賊のため守備いたしおり候ところ、また命によりて城廠町 まで行きしところ、一泊し十九日命令によりて敵は近きにあり、我が第二小隊第四分隊分隊長以 下九名は分水嶺村、この村は坂の頂上にあり、この村の寺に舎営、昼夜の別なく公用書郵便、電 信線の監視をなし、また清国人に持たせて守送いたしおり候。またこの地方は雨天はすこし晴天 の夜は霜降り、雨が降れば霰が降り、我が国とは一ヶ月あまりも変わりこれあり候。しかしなが らこの地には永くはおらぬ積り、他〈行きし時は後日御報知申しあげ候。なおまた戦実上のこと は御貴殿新聞紙上にて読みなされ候ことどもなり。 ( 明・ 9 ・ ) 「今後も言にあまり候えども何によらず万事万端お心添えよろしく御依頼申しあげ候」と留守宅のこ とを依頼しているほかは、事実の記録であり、説明を要しない。この間、落田金之助は広島に到着後 すぐに「なお不在中は万事よろしく御依頼申しあげ候」 ( 明・ 8 ・Ⅱ ) と書き送り、金森仙太郎は寛 句県に到着してからまもなく「なにとぞ不在中何かとよろしく御依頼申しあげ候」 ( 明・ 8 ・日不明 ) と依頼している。上野山四郎は鯖江在隊中に「なお生義留守中はなにぶんよろしく御依頼申しあげ候」 ( 明・ 7 ・ ) 、靉陽辺門から「信に小生も留守中のゆえ、よろしく御依頼申しあげ候」 ( 明・ 9 ・ ) とかさねての依頼をし、堂下奥左衛門は「なおまた留守中はよろしく御依頼申しあげ候」 ( 明・ 2 ・

4. 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)

僧侶出身の後備兵浦井龍音は「なおあい変わらず〔留守宅を〕お引立てのほど伏して願いあげたてま つり候」、「なおあい変わらず〔留守宅を〕お引立てのほど嘆願っかまつり候」、宮原津野松は「この上 〔家事を〕なにとぞ / 、よろしくお願い申しあげ候」と、ともに丁重に依頼している。 第二次後備隊の冨田善次郎は「私の留守宅は老人若者ばかりにござ候あいだ、お引立てのほどお願 い申しあげ候」と書き送り、補充兵の斎藤正真は「私父は何も知らぬことゆえ、お手数に候えどもな にごともひとえに願いあげ候」と依頼した。謹直な性格の井上藤松は戦局も山を越えたのちにあらた めて、「ほぼ前途もあい見え候あいだ、留守中万事お頼み申し候」と依頼している。 土田四郎平は、入営のあいさつで「小生留守中は家事万端御依頼申しあげたく」と、出征にあたっ ては「なにとぞあい変わらず出征中は旧に倍し、家事万端よろしく御依頼申しあげ候。御承知のとお り出征中は戦時模様一向不案内につき、なにとぞ御手数ながら拙宅書状実入持ちくだされ、お伝え願 い申しあげ候」との手紙の中身を持参して伝えてくれ、との依頼をしている。かれは奉天見物の通信 のなかにも「あい変わらず私の内をよろしくおたのみ申します」と書くことを忘れていない。 海軍兵は志願兵が多く、留守宅が気にかかる立場にある者が少なかったためか、高橋久吉の「なお 不在中万々御依頼申しあげ候」とあるのを除いては、留守宅について依頼した手紙はない。 一年志願兵の予備役少尉梅垣一男は、鯖江から「拙者留守中は御案内のとおり愚母独身のことにご ざ候えば、何分およろしくお願い申しあげたく、伏して願いあげたてまつり候」と書いているが、青 森県黒石町から「何分遠からぬ好期の至るまでは、なにとぞ御よろしくお願い申しあげたく、重々もお 願い申しあげ候」、青森市から「なお留守中は何事も御よろしくお願い申しあげ候」、北樺太から「留守

5. 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)

・月不明・ 2) と書き、戦地到着を知らせた手紙に「なお留守中は万事よろしく御依頼申しあげ候」 ( 明・ 1 ・ 四 ) と書いている。おなじ所属の長田外吉は無事を報じた手紙のなかで、「なお留守中はよ ろしくお願い申しあげ候」 ( 年月日不明 ) と書いている。おなじ連隊の小行李所属の山下与吉も「なお 留守中は万事お心添えくださり、これまた御礼申しあげ候。今後あい変わらず御依頼申しあげ候」 ( 明・ 2 ・ 6 ) と書いている。 第三十六連隊に召集された補充兵の島田玉吉は、補充大隊から「何分留守中はよろしくお願い申し あげ候」 ( 明・ 4 ・ 4 ) と依頼している。金沢の輜重兵第九大隊に現役入営した川栄清吉は、「留守中 ) と書いた。陸軍徴用船大連丸乗り組みの宮 はよろしく村内のこと御依頼申しあげ候」 ( 明・ 1 ・ 田勇蔵は、「毎々父母は御厄介様にあいなり、ありがたく御礼申しあげ候。なおお引立てのほど祈り おり候」 ( 年不明・ 8 ・巧 ) と、御礼と依頼の手紙を書いている。 以上の手紙の内容にしめされるように、当然といえば当然のことながら、兵士たちの心を占めてい動 行 た最大の関心事は、留守宅のことであり、手紙の多くはこのことに筆を向けている。いわば、留守宅 意 の および家族を意味する言葉は、兵士たちの手紙の趣旨を読みとく最大のキー・ワードである。 士 の 神仏のおかげ な 本書が対象としている軍事郵便を読んで、のちの日中戦争・アジア太平洋戦争の時期の軍事郵便と紙 比較して意外であるのは、福井県という地域的特性によるのかもしれないが、自分自身の生死の問題 と結びつけるかたちで「神仏のおかげ」「神仏の念力」という言葉が多く書かれていることである。

6. 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)

中何分とも御よろしくお願い申しあげ候」、さらに樺太から引き上げて広島滞在中にも「何分留守中 何事も御よろしく願いあげ候」と書き送っている。 輜重輸卒の滝永平兵衛は出征にあたり「ひとえに不在中はよろしく御依頼申しあげ候」と書き、お なじ輜重輸卒で戦病死した真柄武は「〔弊舎を〕あい変わらず御高庇のほど伏して仰ぎたてまつり候」 と依頼した。義森作松は「なお留守中万事お心添えくだされたく、お願い申し・あげ候」、「御向後も 〔拙宅に〕あい変わらず御厚誼のほどひとえに希いあげたてまつり候」と依頼している。 以上が、これまでに紹介した手紙のなかから、留守宅の依頼をした文言を抜きだしたものである。 このほかの手紙では、留守宅を案じる気持ちはどう表現されているであろうか。 火の用心いたしくだされたく 笠松家の書簡集のなかに、どういうわけか、宮原喜太松が金沢の野戦砲兵第九連隊補充大隊から、 行 実家の宮原金七にあててだした手紙が混入して保存されている。 の 士 兵 金三郎君も、高三年の試験も、できまして、お目出たく候。 の 二伸。なるべく勉強いたしくだされたく候。次に火の用心いたしくだされたく候。皆様なるべ の く病気にならのようにしなさゐ。 ( 明・月不明・ä) 紙 手 金七が父であるのか兄であるのか、金三郎が弟であるのか甥であるのか、喜太松との続柄がはっき

7. 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)

頼している。 第九師団野戦電信隊所属の伊井勘七は、出征途次の広島から「何分戦役中お頼み申し候」 ( 明訂・ 9 ) と書いたが、奉天の会戦をまえにして「今後は兎に角満足にて命あるとも考えられず候あいだ、 なにとぞ遺族に対しては何によらず万事伏して御依頼申しあげ候」 ( 明・ 2 ・日不明 ) と、いささか悲 壮な依頼状を送っている。奉天の会戦後も「なにとぞ不在中はよろしく願いたく」 ( 明・ 4 ・ 2) と たのんでいる。 宮本外蔵は、残されたただ一通の手紙から推定するに、後備兵であるが、いったん出征のうえ負傷 したか病気したかで後送されて入院し、全快ののち再度の出征となったと思われる。その手紙のなか で、「前出征以来実家には非常に御心配あいかけ、不肖施りう〔施療 ? 〕のせつは時々お尋ねくだされ、 深く御礼申しあげ候。この後何分よろしく御世話くだされたく、この段御依頼申しあげ候」 ( 年月日不 明 ) と依頼している。 早い時期に野戦隊に補充された石倉石松は、ただ一通だけ残る出発の予定を報じた手紙のなかで、 「ついては小生の留守中は家事上をよろしく御尽力あいなり候たく、殊に悃願候なり」 ( 明・ 8 ・ ) と書き、広瀬作右衛門は凱旋を報じた手紙以外の二通の手紙で、「留守中は万事よろしくお題い申し 候」 ( 明・・月不明・ ) 、「郷里留守宅には老人のみに候えば、何分にもよろしくお願い申しあげ候」 ( 明・ 2 ・ Ⅱ ) と書いている。 以下、いずれも一九〇五年、明治三十八年にはいってから戦地に補充された兵士たちの手紙である が、歩兵第三十六連隊の北山和吉は、入営あいさつに「さて実家をよろしくお願い申しあげ候」 ( 明

8. 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)

くだりて出発もいまだあい分 内方は何も障りこれなきや。かっ異動の際は御一報いたしたく候。 らず、いずれ近々中に命令これあると思いおり候。なにぶん家事上万事よろしくお引立てのほど、 ひとえに御依頼申しあげ候。 ( 明・ 6 ・ ) いよいよ鯖江出発の日程が決定すると、ここでも留守宅のことを依頼している。 さて当連隊もいよいよ本月二十八日午前五時十五分の列車にて鯖江停車場を出発いたし、同二 十九日午後四時四十一分広島に到着いたし、いずれ不日戦地へ出帆いたし候あいだ、またまた御 報知申しあげ候。なにぶん留守中は万事お引立てのほど、ひとえに御依頼申しあげ候。 ( 明・ 6 次は広島からの手紙である。 くだりて広島市にて約一週間余の滞在これあり、不日戦地〈出帆の命これあると考えおり候。 ついては出発にあたり汽車行軍で広島市まで到着いたしたるが、その間の各町村においての歓送 は実に言語に尽しがたく、中にも三ノ宮、神戸、兵庫のごときは夜分のことなれどもその賑わし士 きことは実におびただしく、かくのごとき人民が征露について実に力をこめおり候。なにぶんと も不在中は村内御一同様によろしくお引立てを願いたく候。 ( 明・ 7 ・ 3 )

9. 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)

後方勤務の土方兵 日清戦争に第三師団工兵第三大隊の兵卒として従軍した土田四郎平も、第九師団後備工兵第一中隊 の要員として召集された。その入営あいさつに、「小生留守中は家事万端依頼申しあげたく」 ( 明・ 7 ・ ) と書いた土田は、その後も折あるごとに特に丁重に留守宅のことを依頼し、また留守宅が 世話になったことのお礼を欠かしていない。手紙の文面から推測すれば、土田が召集されたあと、留 守宅の生活には苦しいものがあったようである。 次に小生もあい変わらぬ土方兵にて無事打暮し候あいだ、はばかりながら御休神くだされたく 候。ついては毎度御懇情にあずかり、ありがたく御礼申しあげ候。なにとぞあい変わらず出征中 は旧に倍し、家事万端よろしく御依頼申しあげ候。御承知のとおり出征中は戦時模様一向不案内 につき、なにとぞ御手数ながら拙宅書状中御実入持ちくだされ、お伝え願い申しあげ候。 ( 明・ 小生も砕身粉骨もって国恩報ずべき心算にござ候。しかれども後備隊で後方勤務ゆえ、さした る功なきものと一同力を落し候。しかれども身幸にして壮健につき、その職務は勉強いたしおり 候あいだ、さよう御承知くだされたく。承れば大宮有志諸君挙りて保護くだされ候おもむき、実 に案心つかまつり候あいだ、貴殿よりよろしく御礼くだされたくお願い申しあげ候。ついてはま た御尊家より家族に対し重宝の品御恵投くださるおもむき、実にありがたく御礼申しあげ候。 212

10. 兵士たちの日露戦争―500通の軍事郵便から (朝日選書)

気がかりな留守宅 これまでに見てきた兵士たちの手紙から、いくつかのキー・ワードともいうべき言葉を拾いだすこ とができる。これらのキー・ワードから、出征するにあたって、または戦地にあって、兵士たちが何 を考え、何をよりどころとし、何を自己の行動の規範としていたかを読みとることができる。 すでに紹介した手紙のなかでもっとも多く使われているのは、なんと言ってもあとに残した家族を 意味する「留守宅」、あるいは父、母などの言葉である。若い現役兵または現役を終えたばかりの予 備役兵には、留守宅を気遣う文言は比較的に少ないが、それでも広島開助のように、家族の生活をさ さえている兄もまた召集されたと知ると、たちまちに残された家族〈の気遣いをしめしはじめている。 旅順で戦死した冨田惣三郎は、応召入営のあいさつで「小生留守中は万事よろしくお取計いくださ れたく」、さらに兵営から「なにぶん家事上万事よろしくお引立てのほど、ひとえに御依頼申しあげ 候」、出征にあたって「なにぶん留守中は万事お引立てのほど、ひとえに御依頼申しあげ候」、出征途 三留守宅・神仏・国家・天皇・軍隊