73 一一 - 一郎坊駅の戦闘 7 月 25 日には , 北平と天津の中間地点にある郎坊て、日中両軍が衝突 , 平津総攻撃のきっかけとなった。 ・を・・、を第町すの 74 ーー中国人労働者に飛行場の設営工事を行わせる日本軍 蘆溝橋事件の 5 日後に , 日本軍は早くも豊台郊外て、秘かに飛行 場建設をはじめた。 実際支那事変の原因は色々に之は説明出来ると思ひ ・・・そこ等に原因して , 支那人ぶつくらはして仕舞 ますが , 私は結局は満州事変の延長であって満州事変 へば良いぢゃないかといふ考が出て来るのです。 といふものが実際は色んな意味にて本当に政治的な それは現に談判交渉を支那駐屯軍にさせようとして 解決が出来て居らないといふことに在ると思ひます。 居るが , 若し向ふが言ふことを聴かなかったらどうす 今から前の状態を考へますと今日現実に見ます如き る一一支那は弱いといふ考があるものですから一一一之 大事変になるといふことを考へて居た人は私は中央部 は膺懲すべきだ , 斯ういふやうなことをするのは一体 で一人もなかったと思ひます。・ 生意気だ といふことが不言の間に明瞭に其の気持 ・・・妙な支那人に対する見方 , 第一はさっきも申上 にあったのです。 げましたが , 「ロシャ」に対しては兎に角警戒して行く 「河虎四郎少将回想応答釮」 = 「現代史資料 が支那に対しては軽く見て行くといふ状況で , 之あた 12 』 ( みすず書房 , 1965 年 ) ・ りは参謀心理として非常に気を著けなければならない * 蘆溝橋事件当時 , 参謀本部第二課長であった河邊少 と思ひます。「一体参謀本部の部員とか課長とか言って 将が , 1940 年 , 竹田宮の質問に答える形で事件前後 居るが , 「チャンコロ』があんなことをしてあれで腹は を回想した部分。中国への蔑視が参謀本部に色濃く 立たぬのですか」と言った者があります。 あったことがうかがえる。 3 /
3 大名付近 眼の鋭き少年二人 土民らのなかに我等を見てしを忘れず 南翔にて 敵軍の遺棄死体見てあはれめど 葬る間なき急追撃ぞ 2 月以来大原衛生調査班に勤務 , 多くの 山西人の屍体を集めた一首 かっ 次々に舁ぎこまれる屍体 みんな凍ってゐる , ガッガッ凍ってゐる 某日襲撃ありたれど敵殆ど全滅す さんべいせ 散兵線敷きしまま並びて倒れゐる 敵兵の服みな新しき 捕虜にせし十五六歳の少年兵の 面輪が時にうかぶことあり 9 月 15 日 逃げおくれ遂にたふれし支那兵は 変装用具持ちてありけり 数百の苦力のなかに眼光の 鋭きありて言よく解す 昭和 12 年 9 月 8 日 , 松花江に臨む小山地帯に て匪団と激戦を交へこれを殲滅す。この時我 は身に 2 弾を受けたるも奇蹟的に死を免る 匪の足跡を中に挾みてうづくまり 四五十と言ひ百とささやく 乱れ散る足の音は聞きぬ ひたむきに戦ふわれの右左に 傷つきし残敵壕の中より 鍋を投げ鉄瓶を投げて抵抗をしつ 楊柳アカシアはてなき京漢線上 遺棄死体見つつ進みし心云ひがたし 文盲階級を漢民族の総ての如く 臆面なく笑ふ無知も悲しも 対岸の支那兵のせししはぶきは 間近く聞えて吾を驚かす また , たとえば , つぎのような歌の一群がある ( 大日本歌人協会編『支那事変歌集』・戦地編・ 1938 年 ) 。 逃げまどふ敗残兵は食に餓え 山を下りてわれに挑めり 監視線通る支那人ひとりひとり 訊問すれば答は似たり 上海ニュース ゴシック赤き支那新聞に 敵といふ文字ところどころに見えはじめたり 呉淞クリーク付近 敵軍の迫撃砲弾うなりすぐる 夜半の塹壕に冴え冴えとをり 9 月 22 日大冊河激戦 死際の言葉わかねどうら若き 支那兵は母よと呼びにけむかも ほりよ おもわ よは みぎひたり 1 4 7
侵略をささえたもの マスコミと教育 足かけ 15 年にわたる中国に対する侵略戦争をおしすすらも率先して軍用機献力や軍歌募集などを行い , めるうえで , 岡・ラシオ・雑誌などの果たした彳臨」国民の戦意をあおった。このほか , 普及しはじめたラ ジオをはじめ , 雑誌・映画・レコードなどあらゆる分 はきわめて大きかった。 とくに , 「満州事変」のころから都市だけでなく農村に野カ争を但価からささえる彳はたした。 しはじめていた岡は , 連日きそうように軍こうした社会の雰囲気と学校教育によって , 多くの「軍 部の発表をうのみにしたセンセーショナルな報道を行国少年」「軍国少女」がつくられていった。敗戦をむか った。柳条沽膊件をはじめとする日本軍の誠カ瞰戦えて , 「大きくなったら , かならずこのかたきうちをし 後まで国民をだまし通すことに成功したのは , 岡のなければならない」と書いた小学生がいたが ( 永井健児 力によるところが大きい亊岡はまた , 日本軍の闘い 「あ、国民判を ) , 多くの少年たちが似たような気持をも ぶりを「美談」に仕立てた報道を行うだけでなく , 自ったものだった。 もー物あ物 、当を↓一る 北支 - 大特輯 戦鬻北支に 鋼文る , 世は 第中 正に一 抗日の現段階ー ! こつ日印第中央軍の戦カ三島第央發の超非常 時た ! 之そ 赤誠國の 血の大特載 りカはどうるか太■ま蓄 はどう′、か■載ま央 支て したか はを 面世界は事をどう見たか ( ー の一一天男 ・建、。・を十棒援一本久佐・ 4 第人生近道を通った人々 、住テープスビーチ掲第例画 ー写学人響第 1 ・第・・ー 戦亂の天津から 、第上ハ 済説大物 : 1 を第 ・載・まる ・第設物 - の第ひま物 時詳川彦を ′ . ・殿第か設 4 か -. ′◆保健肥も論置の可否 は ・・曇 3 体を・鬟非報◆第まー製の可を第「 . 告 、をの 帆日支那の巨頭示林 抗日支那、實體 世臾の殘 ~ 有支那第臾一 支那軍 , 特質一。 執拗なる支那の抗日侮日 ( 中野江渼 fiöへ 香月淸司中將評傳 ( 伊鑒瓷 空襞の脅威こ防空の心得 ` 北頁事變と列強の動向 ( 永戸第 臨時増刋 炻え上る後 ) 赤譜 ( 野原辰大 ・怖 . 、、・几日枚科「内黍 ⅲ -- -- 0 森瑯縱横談 -3 ナイ 劈航一日英一雄傳」 第三記層の上に , ー 日人 " 巴 好人不田丘事 〔ーワン対 わ寺田 0 水袂談録 一鉢談日 是非對抗両論集 ( ) ヨ一口 1 れ 題民府 ー′の書 にすべ・か = 三 荒木夫 士南 120
241- ーー上海の陸軍直営慰安所日本軍の中国女性への強姦があまりにもすさまじいものて、あったため , 司令部が自ら慰安 所開設に乗り出したといわれる。小部屋がならぶ長屋式の建物の前て、兵士たちは順番を待った じゅずつな 奥の煉瓦塀に数珠繋ぎにされていた三人の支那兵を , 分は浸っていた。三十六人 , 皆殺したのだろうか。私 あんゼん 四 , 五人の日本の兵隊が衛兵所の表に連れ出した。敗残 は黯然とした思いで , 又も , 胸の中に , 怒りの感情の渦 巻くのを覚えた。嘔吐を感じ , 気が滅入って来て , そこ 兵は一人は四十位とも見える兵隊であったが , 後の二 人はまだ二十歳に満たないと思われる若い兵隊だった。 を立ち去ろうとすると , ふと , 妙なものに気づいた。 が / 、は 聞くと、飽くまで抗日を頑張るばかりでなくこちらの 屍骸が動いているのだった。そこへ行って見ると , 重 問に対して何も答えず , 肩をいからし , 足をあげて蹴ろ なりあった屍の下積みになって , 半死の支那兵が血塗 うとしたりする。甚しい者は此方の兵隊に唾を吐きか れになって , 蠢いていた。彼は靴音に気附いたか , 不 自由な姿勢で , 渾身の勇を揮うように , 顔をあげて私 ける。それで処分するのだということだった。従いて行 まちはず ってみると , 町外れの広い麦畑に出た。 こらは何処 を見た。その苦しげな表情に私はぞっとした。彼は懇 願するような眼附きで , 私と自分の胸とを交互に示し に行っても麦ばかりだ。前から準備してあったらしく , 麦を刈り取って少し広場になったところに , 横長い深 た。射ってくれと云っていることに微塵の疑いもない。 ち 0 うちょ ひんし い壕が掘ってあった。縛られた三人の支那兵はその壕 私は躊躇しなかった。急いで , 瀕死の支那兵の胸に照 そうちょう ひきがね を前にして坐らされた。後に廻った一人の曹長が軍刀 準を附けると , 引金を引いた。支那兵は動かなくなっ た。山崎小隊長が走って来て , どうして , 敵中で無意 を抜いた。掛け声と共に打ち降すと , 首は毬のように 飛び , 血が簓のように噴き出して , 次々に三人の支那 味な発砲をするかと云った。どうして , こんな無残な 兵は死んだ。 ことをするのかと云いたかったが , それは云えなかっ そら 私は眼を反した。私は悪魔になってはいなかった。 た。重い気持で , 私はそこを離れた。 あんど 私はそれを知り , 深く安堵した。 ーーー火野葦平「土と兵隊』 ( 新潮文庫 , 1953 年 ) ーー火野平「麦と兵隊』 ( 新潮文庫 , 1953 年 ) * 「麦と兵隊』は 1938 年 5 月の徐州作戦を , 「土と 兵隊」は前年 10 月の杭州湾上陸作戦を描いた 横になった途端に , 眠くなった。少し寝た。寒さで 記録文学。 1938 年の夏から秋にかけて発表さ 眼がさめて , 表に出た。すると , 先刻まで , 電線で珠 れ広く愛読された。単純な戦争賛美の文学で はなく , 中国大陸で泥にまみれて戦う兵士の 数つなぎにされていた捕虜の姿が見えない。どうした 労苦がリアルに描かれていることが , 読者の のかと , そこに居た兵隊に訊ねると , 皆殺しましたと 共感を呼んだのであった。引用したのは中国 人捕虜を処刑する場面。処刑がきわめて日常 ム・つた。 的に行われていたことがうかがわれる。 見ると , 散兵壕のなかに , 支那兵の屍骸が投げこま れてある。壕は狭いので重なり合い , 泥水のなかに半 れんがぺい ちまみ つば はなはだ ささら 1 1 4
手榴弾投げつけらるるやも知れぬ 黴臭き路次巡察しつつ こまごまと便衣隊に対ふ術を習ひ 星ひかる夜の歩哨につきぬ 竹藪にて突きたる敵の少年兵を 夜半の眼ざめに思ひ出だしぬ 「進上」と手籠には野芹の一束 , この子もう力に媚びる いとけないに 荒れはてし校舎のなかに拾ひけり 小学生の抗日図画を むくろ竝めここの守りに斃れしは 学生隊か年まだ若き 銃執りしままに倒れし兵もあり 吾が敵ながら尊く思ほゆ 援軍か敵かと言ひゐし集団が 夜に入り我を包囲しにけり また , たとえば , つぎのような歌の一群がある ( 「昭和万葉集』・巻六・ 1979 年 ) 。 近づきくる声はまさしく支那語なり すゐか 誰何せずすぐ射ちはじめたり 匪を斬りて血の滴れる軍刀の 切先はにぶく陽に光りたり 天津南開にて敵襲を受く 敵襲の鋭声まやみをかけて来ぬ 厩勤務にわれありしとき 高白鎮にて夜襲を受く なかど 月明き部落中処に銃の音こもごも起きぬ まさしく敵なり うす闇にひたひた寄する支那兵を 迎へて撃ちぬ息もつかずに 支那兵 地下足袋もはだしもありて 整はぬ服装のまま死にはてにけり 3 月 2 日部隊長に従ひ上海より南京に向ふ 阻害壕ここだ掘られしみちを往き 狙撃火網に気をくばりをり 支那人に訊きつつ道を急ぎ居り 哀れなるかな敵意なき住民の 密偵 便衣隊が捕はれて来た。首の座に なほるまでの彼を見てしまった 蘇州河畔 折重なり支那兵のむくろ腐れるを まざまざと見つ塹壕の中に 土匪襲撃一首 しらようへい 銃もたぬ輜重兵われは棍棒をもちて ひたむきに要所へ馳せぬ かび うまやきんむ むかすべ べんいたい シンジョウ そげきかもう つつと とら したた きっさき 1 4 8
につ , 第・「し宿 ーー反を実すた事件費支出 ーしめ 4 ・ドに物第 . めに兵し第的 交洋を鷸の・つ万計て をを、軽第、そ 東株けふ定刻 れに内難から和第 0 、 : 紀上学 支那の計畫的武力抗日 ・・よ 4 ・・に第 , よいと宀曾 に物院物爲替緊急對策 北支派兵・暴戻を斷っ 、物い一ントをお”、し 支那軍又も發砲 政府聲明・擧國一致邁進 : 一」】 4 ・一 " 午慢劜半ごろ、らへ山万物の支はを ~ ~ 第いなを一 ~ 気い第はル ~ ャ気こを - 一・を、・ま第ぐ第第のをイま : 第ヴ「、 : 宿 ! 物・・山こ第ま , 物・ ! を第 05 ー 蓄物ョ事要を・′ー しょッこ・鋼 0 ・・は第・、 現地交渉主義で進む ( 支を第 0 有旦齢に第しッま第第中の第心撲と峻第して北支 0 安に任じあ ? し第一 をー画の百をⅱ枚学 4 ~ おける不ま村宿に宿を会し第と断のむに。に平強方の・ーよ第 : 1 ー 【 ~ ”し、さ , ド写 : ・す。 1 . ・上中上げたこ とはすべてそのま、 4. ・を・はーい 4 御可に一、つ宿 しをこ、・ : は、愛・・・をド謇 : にす人 : 、い々・、・ p っー画っ の甲をまてす事 0 不遥天の方に第き 新的解まに月し 1 一自ニヤたま圏心 我が要求承認の報 いて第平的第を ました・つに不物 月 4 ・日まに はに、に つき支那嚴重監視 を学し再な第に 電の能囓を土第ら に要らしめ物れり に一の氏力を物 口約の一方 ' 中央軍北上 第し更に内の第練 をすぎ - : こ片のロ物東′を遥礪 ~ 単・したたらばまた・・・・・′を・・され・ 0 にきも・ : : 、に出第する等式 力的をむ 5 、 - 共に手女的 0 奇に第・ 0 め製 0 なくに北午にける交を的に石ま 0 するに手れ , 以上 ( の事買に産 . ( 今ま第汁は、支 4 新の計的ス自百 0 : と最駐疑の宿なし、ぞふに北交ま 0 をか蓍 事にまをしかれど、勲再物わ物持はをのに 4 まアると - みなるを、つ一、政響は今第新面大の 4 一】平地的謝 0 を ~ 層 - ネ支新のネ 0 ) 、町」、 -1 て事の調瀟たら解 - を望す・文れ望電番の保全に就て 「イ ( に : 。十分ラ第考でんとする、つな、第 4 製ー・すー・ 0 れー - 00 龜 09 ・ 00 ル」 ~ 兩陛下けふ遠幸啓 時局御念・御豫定變更ー一ヒ 030 】 0 0 0 日 載 ~ 紀一飃ざ舅、ー ! ー , 。 ; な豆らを : 1 ゃー、な社な中常の、 - に 大 阪 謝に当動ヒ、 7 ら - 毎 十一日第第をな 物ふ・ 0 にせ内の新を物物し : 左つ物・「を盟し第事に凝に 反省を促すため 貴・ 1 を差し査報はを駅すること、った 日 み ・′ま : 宿物載一 メ , , ・産第友第 第・ー第を三池ま確夫 内鮮關東軍よ。派兵 第・第・縄公事 校ま増一 米第工を 聞一北支事變 今作に丁 イ、円をーる川 表霊近衛首相挨拶 を、を・・古市第 い 1 を第を野・」 物・遥を・北を 、新すを」なっ - 朝は 0 ~ まえの齢ト を・““石川・一竹 第社ー第太村状 ・製・・第第を夐第 を破・を・校小四第 地かの定た嘘新して 現か軍決っ 2 , 成し聞 も陸のま」て結出新 聞にはこじ動中にを日 新た府。は発るた告日 るい政たがを踊新社 ずて本し争権がをの東 報し日定戦衛字団旨 を立 , 決面自活派る 兵成日を全・の特すく号 派がⅡ兵な平どの期つ日 な定月派的断な余をに た協 7 国質「。勹名」目月 新戦 , 中実る那国が 停すなりえ支が報の年 はらたよいき社る 〃てわ新にとっ聞「し 1 4 い 「こ を 77 ーーー武器をとる豊台の居留民日本 の居留民たちは , 応援部隊が到着する 前にチェコ製機銃などて、武装義勇隊 を編成した。 7 月 14 日 第 一本社報道陣強化 , ′ 0
殺人幇助軍属 ( 通訳 ) 上ロロ 第十軍後備歩兵第四大隊第四中隊 後備役陸軍歩兵一等兵前ロロロロ く被告事件ノ受理 > 被告人第六師団工兵第六連隊第十中隊殺人 強姦脅迫後備役陸軍工兵一等兵 同 同 後備役陸軍歩兵伍長 以上殺人幇助 犯罪事実ノ概要 椎ロロロロ 石ロロロ 渡ロロロロ 犯罪事実ノ概要 地ロロロロ ( 一 ) 岡ロ主計少尉ハ野戦衣糧廠金山支部ニ勤 務中ノ処 , 自己ノ宿舎付近ニ多数ノ支那人雑居 シ或ハ不穏ノ言動ヲ為シ或ハ官品ヲ窃取スル等 ノ様子アリタルョリ , 不安ニ駆ラレ同所警備隊 長吉ロ少尉ニ対シ其ノ事情ヲ訴フル処アリ。 ( 二 ) 依テ吉ロ少尉ハ昭和十二年十二月十五日 , 部下ノ兵二十六名ヲ指揮シテ右支那人二十六名 ヲ捕へ之ヲ同所憲兵隊ニ連行セントシタル途次 , 逃走ヲ企ツル者アリタルニョリ右支那人ヲ鏖殺 セントノ意ヲ生ジ , ( イ ) 内ロ伍長ヲシテ右支那人二名ヲ , 小口上 等兵ヲシテ三名ヲ夫々斬殺セシメ , ( ロ ) 高ロ伍長 , 金口 , 菅ロ , 田口 , 金口 , 石 ロ , 志ロ , 各上等兵 , 鈴ロ , 菊ロ , 茂ロ , 片ロ , 岡ロ , 斎ロ , 大口 , 鵜ロ , 仁ロ , 山口各一等丘 七ロロロ , 長ロロ , 大口各二等兵 ( 合計二十名 ) ヲシテ右支那人二十一名ヲ射殺セシメ , ( 三 ) 渡ロ伍長 , 前ロ , 石ロ , 椎ロ各一等兵 , 上ロ通訳ハ現場ニ在リテ右支那人ノ捕縛又ハ見 張ヲ為シ , 以テ右殺人ヲ幇助シタルモノナリ せつしゅ 被告人ハ上海南市ニ宿営中 ( 一 ) 昭和十二年十 二月十四日夕食ノ際 , 飲酒銘酊ノ上海南市警備隊 雑役夫支那人某宅ニ到リ同人ノ妻 ( 二十八年 ) ヲ 所携ノ歩兵銃ヲ以テ脅迫シ同女ヲ強姦シ ( 二 ) 同 月十七日昼食ノ際 , 飲酒酩酊シ同僚二名ヲ連行 シテ前記雑役夫宅ニ赴キ同僚ヲ戸外ニ待タセ同 人妻ヲ強姦セントシテ先ヅ居合セタル夫ヲ所携 ノ歩兵銃ヲ以テ射殺シ , 同人妻ヲ強姦シ ( 三 ) 同 日自己ノ宿舎ニ横臥休憩中ノ同僚二等兵某ニ対 シく随行スペシ若シ肯カザレバ射殺スペシ〉トテ 所携ノ歩兵銃ノ銃ロヲ同人ニ向ケ脅迫シタリ」。 これは , 一時 ( あるいは , いまも ) , いわゆ る「まほろし」化工作論の対象となった「南京大 虐殺」 ( ナンキン・アトロシティ ) の , 一種の「外濠」 ( 周縁 部 ) の実在としてみなしうるであろう。状況論とし てみたばあい , これが第十軍のみに特殊におこっ たとは , このいまわしい加害事件の , 時間的・空 間的な「濃度」からみて , 措信しがたい , と , 私 は思う。 3 . 敵愾心の構造 ・ある「注意事項 」こうした てきがいしん 「軍紀頽廃」は , 1 3 9
0 ろな部画いれ 西は襲 ウき略ら私認特た , たひ終のるた戦時こてのにな擲 カ と と っ の隊を朝なて侵か こ奪引映とら られちに戦すっ洋戦とめ代これ教 と ~ 星 7 営備兵 スるげ一 かさう国緒関あ平んたじ世そさ学 赤し国てれるでか る 大守那 真過中っさけとな ろのだ始に亡〕にで太ろれは後 , 解大 た姦てユてひ国 北か支 ア開感らで争 ちかで戦ら誤 9 がでなな制つもは 中 半わの 強に 道い的に統傷の法 たが望かの戦まにも書ど 。力と つやなく 時し営報な画後てを況方の 大めつ戦絶 北たのじりはてなるろた 十破大新のら計戦べ信状る土行にフをが三たあるう敗きとず終につ真あこ 後爆北 種知 , 敗す威な知全暴殺ラ頭態 , たがすいがで国らのこよ写でとて 日 午をて のにで , がの険を国・虐グの事もき解対と戦知中か代そにやのるつ 京 た英予 , わ年 , 感献いあ知 日線っ東こいのは道軍危実中害大やちな。私て理に 八鉄も つもの報りる真が殺京聞たうるたしのスし米でがり が実文多でに どでるたのたれ 十満を 0 軍る南新もよあっ長度リ出対点たば四たのにに人で か石たれまよってれさり本す 。どのであ成程ギみ。時つつ って後か一す 匱兵大し 日対した子どのででるイふたのかさらなし戦るので け戦に知いふ捕ぎ 撃 にたつのでた矢かあ・につ戦ならか る敗略をつに逮か にと , もは代占〔ノ、 す那し領 破撃 , 支戦占あの謀とに密にい 員つか国国っ無なは力道か開れや情と者りが世時お を な闘かな中中かてたてリのなはな何事こ験よう中のて 爆襲通る応をで年のこ動機兵な は戦ならが 城 ? をを、一オ ょに部第菊軍る行の憲た ないしいメ滅れ私はがのく体れほ戦そし に何然書たその前を筆 天因線隊戻れ一次四東あの軍 , もで非ら知軍くがってつア破ら 奉原鉄備暴この 関で軍 , はをけた知然本多由にしにに がいを気で偶をき , 述戦と一 も全日がるア布カ日本はとるまく書てど己ゞ = = ロカ一」て の満守又てず営しをがり の知ジ流国 8 日でこす後た著いれの者るえ さ大恥と破まるえ合一件て為 更突軍カ おこ爆じあさ場ル。事つ行もはもをアのの月 う喜最つうぬけ実著いあ 事衝那わ天お移 にをし 貶はなろ驚 , ま きい事 , てに 己軍支 , る道はで話た報る湖な虐在ののかて感ス 奉 両 時撃はあ鉄のと会れ情あ条こ残存る類るじ越リ年にれあにりはと生多たがれう 私で。争こならので柳おのの見オし糸 こゝ公心優ギれきがで利ぎ私』をがつ者かよ 、つ′「 1 ソた戦の的め別のでど隊でって としる勝か争下ろ知読書 本天軍の襲県から 日・支雨軍遂に交戰 我軍北大營の一部を占領 更に本天城を砲撃 北第一整のトを目下をを中 【第天 ~ 人日の第物を報】十 < 日午像一ー一時せ分わが・は北大、の支姦蓄の一駅を当中村大設は 確に官 ) 【・天〒 ^ 日第・ ~ 物報】わが・は・天ミに向って降製をおし午ャニ時 1 【 0 天十 < 日・至報】日支物突のため天駐もの第せ几をび第ュ寺置は . 望氏ネ 左のに ( わ第についた 回答 二や天守慣 0 盟中は可北大響第ま製 ニ・駐表は石見中佐引のもとに叮第の悪安物持にあたる 三・第廿れ 0 は友載様のため第におは 0 支イ兵を物スする 【第天ャハ日發ー至第報】北大物天北方三マイルにおける日支第鋼の物はなほさ かんにつゞはりれて画る天、の第 0 れを及び道守の立守・隊第ニ大隊は・動閣僚組 ( 員し出をるだの勢力を割いてす一時、に向った 愈々 , 昨ル 兩軍衝突の原因 支那軍滿鐵線を爆破 ーー第ら第 わか守備隊を襲撃す 【第天 ~ ・ ^ 日電至黛報】十日午喙ャ時北大隣の西北において第を 0 文都が掲 ! 、紀、ら 題を・籔しわが寺を製第したのてわが 0 皺は時を移女子これに、をし大をを物って 一三ロ 0 0 242
敗戦時外地部隊地域別人員数一覧表 ( 除く・対ソ方面 ) 二面 敗戦後における軍隊・邦人の管理区分 第 朝鮮鎮 支 支 小笠原諸島小 ( 含パラオ ) ソロモン ビスマーク 東部ニ ギニア 西部ニュ ポルネオ 小スンダ ジャワ スマトラ アンダマ、 ビルマ タ フィリピン 中国 17 方面 海警備府部隊 那派遣 那方面艦 軍 南 方 第 十 方 軍 隊 ど 団 290 , 000 1 , 049 , 7 囲 40 , 822 97 , 300 90 , 370 106 , 000 70 , 350 95 , 581 59 , 480 57 , 860 24 , 580 87 , 7 囲 12 , 100 57 , 530 12 , 330 48 , 644 14 , 996 29 , 431 9 , 776 36 , 151 8 , 914 3 , 051 1 , 372 36 , 473 4 , 984 19 , 418 10 , 879 31 , 077 1 , 200 30 , 854 16 , 729 44 , 178 7 , 735 2 , 343 , 483 402 , 690 2 , 746 , 073 100.00 管区 中国軍呂区 軍 東南アジア軍管区 南西諸島高尾警備府部隊 63 , 755 1 , 113.455 22 , 731 92 , 722 29 , 059 88.384 13 , 300 118 , 777 35 , 459 77 , 278 64 , 464 132 , 054 71 , 722 109 , 051 99.284 133 , 451 50.658 174 , 793 40.55 6.37 1.84 4.86 3.62 3.97 2.61 4.81 2.35 2.81 1 .29 4.33 0.48 3.22 1 .06 3.38 0.82 濠 米 軍 軍 管 管 区 区 包含地域 中国・ ( 台湾 ) ・ N1 げ以北仏印 ( 満州を除く ) ビルマ・タイ・ N16 以南仏印・マレ ー・スマトラ・ジャワ・小スンダ諸 島・セレベス・蘭領ニューギニア 香港・アンダマン・ニコバル諸島 ヒラム言者島・ノ、ルマヘラ・タニンノヾ ル諸島・アンポン・アル・カイ ポルネオ・英領ニューギニア・ビス マーク諸島・ソロモン諸島 旧日本委任統治領諸島・小笠原諸島 ・フィリビン・南朝鮮 概数 3 , 116 , 000 745 , 000 139 , 000 991 , 000 62.43 14.93 2.78 19.86 100.00 南西方面艦隊 第 14 方面 仏印第 38 軍など イ第 18 方面軍 ビルマ方面軍 第 29 軍など第 第 25 軍など七 方 第 16 軍など面 第 37 軍など軍 ー第 2 軍など ギア第 18 軍など 第 隊 第 隊 被告人 強姦 同連隊第九中隊 8 方面 東方面艦 8 艦 中部太平洋第 31 軍・第 14 師団 4 艦隊な 笠原兵 17 第 南 第 第 第 予備役陸軍歩兵一等兵 被告人同連隊第十二中隊 強姦 予備役陸軍歩兵伍長 犯罪事実ノ概要 鶴ロロロ 内ロロロ 4 , 991 , 000 〔出典〕服部卓四郎伏東亜戦争全史」・第 II 編・ P 燗 6 ~ P 燗 7 ( ただし , バーセンテージの計算は , 著者 による ) 。 の犯罪を記録したーー当然 , 他の軍 , 師団でも特 設軍法会議を設置し , その記録はとどめていたが もののうち現在 , 我々の手許に完全な形で残 された , おそらく , 稀有の法務部日誌」であると されるような , 貴重な記録である ( 高橋正衛編「続・ 年 ) 。 現代史資料』・ 6 ・く軍事警察ーー憲兵と軍法会議〉・ 1982 へいたん 隊ョリ送致ヲ受ケ直ニ捜査報告ヲ為シ長官ョリ予 四 , 左記ノ者ニ対スル各頭書被告事件軍兵站憲兵 ・殺人・強姦・掠奪「く十二月二日晴湖州 > て , 私たちの関心をひく。 そこには , たとえば , つぎのような記載があっ 予備役陸軍歩兵上等兵 強姦 被告人同連隊第十二中隊 予備役陸軍輜重兵特務兵 しちょうへい 殺人 , 同未遂 , 強姦 行李 被告人第六師団歩兵第十三連隊第三大隊小 審請求命令アリタリ。 田口ロロ 島ロロロ 被告人島ロ及田口ハ昭和十二年十一月二十四 1 3 / あまり 被告人第十八師団歩兵第百二十四連隊第四 「く十二月二十一日晴湖リ、 l\l 被告事件ノ受理〉 ナリ」。 剣ヲ以テ通行中ノ支那人三名ヲ殺害シタルモノ 強キ敵愾心ニ駆ラレ之ヲ憎悪スルノ余所携ノ銃 てきがいしん 九日午後五時頃支那酒ニ泥酔シ支那人ニ対スル 被告人ハ嘉興ニ宿営中昭和十二年十一月二十 犯罪事実ノ概要 殺人後備役陸軍砲兵一等兵辻ロロ 被告人後備山砲兵第一中隊 ク 五 , 左記被告事件軍兵站憲兵隊ョリ搜査報告ヲ受 く被告事件ノ受理 > テ支那人三名ヲ死傷セシメタリ 強姦シ , 尚島ロハ右婦人拉致ノ際所携ノ銃ヲ以 島ロ , 田口 , 鶴ロ及内ロハ各自ー名宛右婦人ヲ ノ情ヲ知リ乍ラ各一名宛右婦人ヲ受取リ同日夜 , 那婦人五名ヲ拉致シ来リ被告人鶴ロ及内ロハ其 日共謀ノ上強姦ノ目的ヲ以テ金山付近ニテ支
一面ではたしかに , 上海・杭州・南京侵攻作戦の 旨を絶するはげしさ 「コロロ、 中国軍の頑強な防禦・ 抵抗戦ーーの客観的な所産であり , その点では , まず , 1937 ( 昭和 12 ) 年 12 月 21 日午後 3 時より , 軍 司令部で開かれた会合において , 中支那方面軍参 謀長より第十軍参謀長に通牒された「注意事項」 きんしゆく 中に , 「 ( 一 ) 軍紀風紀ノ緊粛確立ヲ図ルコト ( 一 支那国民ノ指導上大イニ考慮ヲ要スベキコトナル ニ付同国民ヲ軽侮セザルコト ( 三 ) 国際上ノ関係 ハ相当複雑面倒ナルヲ以テ徒ラニ感情ニ走ル等ノ コトナキ様注意スルコト」 ( 前掲『第十軍 ( 柳川兵団 ) 法務部陣中日誌』 ) とあること , ついで , 同じく 1937 年 12 月 3 日付の第十軍軍法会議の判決において , しようき 中国人民家に放火してこれを焼燬し , それぞれ懲 役 1 年・執行猶予 2 年の判決をうけた 3 名の特務兵 ( 第十二師団所属 ) への判決理由中に「・・・・・・按ズルニ 被告人等ノ本件犯行ノ動機ハ判示ノ如クニシテ畢 いず 竟被告人等ハ孰レモ教育程度低ク且軍隊教育ヲ受 クルコト日尚浅ク敵国ニ対スル憎悪ヲ無辜ノ敵国 人民ニ及ポシタル浅慮ニ出デタルモノニシテ・・・・・」 ( 『中支那方面軍軍法会議陣中日誌』 ) とあることは , そ きよう れぞれ , 留意に値するであろう。 140 海 ? ) 支局に従軍記者・特派員としてついた 26 歳 ース』で知られる虹ロサイドにあった読売新聞 ( 上 ホンキュウ 年 1 月 13 日 , ディック・ミネの絶唱『夜霧のプル ・若いジャーナリストのみた光景 1938 ( 昭和 13 ) タをさしだしておきたい。 こうした主題について , いくらか付加的なデー の小俣行男は , そののち , 中支・南支をあるき , 敗 戦後 , 「五十冊ちかくたまってしまった」「従軍ノ ート」と「新聞のスクラップ」にもとづき , 「一行 の誇張もウソもあってはならない」 ( 「あとがき」 ) という姿勢から , 中国大陸での戦闘の貴重な記録 を仕上げて , 私たち後生を益している ( 小俣行男『戦 場と記者』・ 1967 年 ) 。 そこでの小俣特派員の見聞をできるだけ忠実に ダイジェストしてみよう。 ①支局のあるピャス・アパートのすぐ前の小公 園で , 憲兵が 5 人の中国人をしばって首を切っ ていた。この虹ロサイドでは , 憲兵将校の命令 により , 罪もない中国人がスパイ容疑で斬首さ れていたという。 「日本刀というのは , よくきれますね。手を後 にいわえて , 坐らせ , 刀に水をつけてから振り おろす。スパッと首がとぶんですよ。本当に胴 から離れて宙をとんで , 三尺も前にころがるの です。切り口から噴水のように , 真っ赤な血が 三本ほど強くふき出して , それが次第に弱くな り , 首のない身体がぐたりと前にのめる。まだ つづきをやってるかも知れませんよ 」 0 ②南京市内外の随所で , 掠奪・強姦があいつい だ。日本軍の入城したときにまだ残っていた多 くの建物が掠奪・放火の対象となった ( 憲兵隊・ 法務部・軍法会議のレールにのせられた事件は , たぶん , 「九牛の一毛」に近い件数だったのでは ひとりの連絡員の話。