中国 1927 年今 1945 年 ◎平頂山事件 ◎人体実験 1. 「満州事変」と「満州国」一 10 5. 中国の民衆と中国軍 96 日本の中国東北地方侵略 嘆きと闘い ◎山東出兵と張作霖爆殺 ◎苦しむ民衆 ◎柳条湖事件 ◎闘う人々ーーー中国軍 ◎ひろがる侵略 6. 日本軍と捕虜 ◎上海侵略 加害者の顔・被害者の顔 ◎「満州国」と「満州」プーム ◎日本軍の兵士たち ◎「満鉄」 ◎捕虜たち ◎熱河侵攻ーーーさらに南へ 7. イ第各をささこもの マスコミと教育 8. 太平洋戦争ドの日中戦争 ーー 126 1941 年 ~ 1945 年 ◎日米開戦 ◎つづく侵略と破壊 ◎敗退する日本軍 ◎侵略の終わり 日中 15 年戦争と中国民衆 ーー 136 ー庶民誌の視座から 黒羽清隆 108 120 2. 全面的イ第各の開始ーーー 34 1937 年 ◎蘆溝橋事件と華北侵略 ◎再度の上海侵略 ◎南京大虐殺 3. ひろがる侵略 1938 年 ~ 1941 年 ◎徐州攻撃 ◎漢ロ攻撃 ◎広東攻撃 ◎ゆきづまる戦線 ◎カイライ政権と「宣撫」工作 4. 殺しつくす・・ 日本軍の残虐行為 68 84 4
73 一一 - 一郎坊駅の戦闘 7 月 25 日には , 北平と天津の中間地点にある郎坊て、日中両軍が衝突 , 平津総攻撃のきっかけとなった。 ・を・・、を第町すの 74 ーー中国人労働者に飛行場の設営工事を行わせる日本軍 蘆溝橋事件の 5 日後に , 日本軍は早くも豊台郊外て、秘かに飛行 場建設をはじめた。 実際支那事変の原因は色々に之は説明出来ると思ひ ・・・そこ等に原因して , 支那人ぶつくらはして仕舞 ますが , 私は結局は満州事変の延長であって満州事変 へば良いぢゃないかといふ考が出て来るのです。 といふものが実際は色んな意味にて本当に政治的な それは現に談判交渉を支那駐屯軍にさせようとして 解決が出来て居らないといふことに在ると思ひます。 居るが , 若し向ふが言ふことを聴かなかったらどうす 今から前の状態を考へますと今日現実に見ます如き る一一支那は弱いといふ考があるものですから一一一之 大事変になるといふことを考へて居た人は私は中央部 は膺懲すべきだ , 斯ういふやうなことをするのは一体 で一人もなかったと思ひます。・ 生意気だ といふことが不言の間に明瞭に其の気持 ・・・妙な支那人に対する見方 , 第一はさっきも申上 にあったのです。 げましたが , 「ロシャ」に対しては兎に角警戒して行く 「河虎四郎少将回想応答釮」 = 「現代史資料 が支那に対しては軽く見て行くといふ状況で , 之あた 12 』 ( みすず書房 , 1965 年 ) ・ りは参謀心理として非常に気を著けなければならない * 蘆溝橋事件当時 , 参謀本部第二課長であった河邊少 と思ひます。「一体参謀本部の部員とか課長とか言って 将が , 1940 年 , 竹田宮の質問に答える形で事件前後 居るが , 「チャンコロ』があんなことをしてあれで腹は を回想した部分。中国への蔑視が参謀本部に色濃く 立たぬのですか」と言った者があります。 あったことがうかがえる。 3 /
97 ーー平壌での中国人街襲撃中国側の死者は 127 人と発表されたが , 日本の軍と警察の対応は消極的てあった。官憲自身 の謀略によるものだったためて、ある。 患斗へ竟第崋 99 ー一日本の朝中分断政策を批判する社会主義者のポス 98 ーーー朝鮮人を背後から使駆する日本人を非難した中国 ター万宝山の上て、 , 「日本 x x 主義」と「支那軍閥・プ 日本はこうしたポスターを中国敵視のため のポスター ルジョア」をバックにした朝中の農民が対立している。 に逆利用した。 された。 2 カ月後 , 「満州事変」が引き起される。 ◎日本の「満州」侵略と朝鮮民衆 「満州事変」は , すてに間島出兵以来 , 関東軍など が行っていた中国東北部への侵略をよりいっそう , 日本は , 「満州」侵略を拡大するきっかけとして , 全面的に拡大したものて、 , 以後 , 日本は朝鮮を中 在「満」朝鮮人問題を利用しようとし , 朝鮮人と へいたん 国侵略の「兵站基地」とし , 朝鮮人を中国侵略の 中国人の対立をあおった。 1931 年 7 月 , 「満州」の 長春近郊の万宝山て、 , 日本の謀略によって朝鮮人 先端に立たせようとする。 「満州事変」以降 , 日本は朝鮮と中国の国境付近の 農民と中国人農民の争いが起ると , 「満州」と朝 ビョンヤン 鮮一帯て、両者の抗争が激化し , 平壌などて、は日本 警戒を強め , 武器に類するものは , 料理用の包丁 の官憲の挑発により , 中国人商人の襲撃まて、組織 まて、徹底的に押収した。 200
日本軍の上海・閘北攻撃直後 , 捕えられた中国人即日 , 射殺された。 25 ◎上餠受略 日本は , 「満州国」樹立から列強の目をそらすため はるか南の上海侵略をこころみる。 上海は中国の抗日運動の最大中心地て、あったが , 共同租界を中心に 2 万数千人の日本人も居留して おり , 柳条湖事件以来 , 緊張が高まっていた。 ごんきなう 1932 年 1 月 18 白 , 勤行中の日本の僧侶 5 名が , 中 国人数名に襲われるという事件が起ると , 日本は ぞくぞくと上海に軍艦を集結させた。上海周辺に 配備されていた中国軍・第 19 路軍も臨戦体制をと 1 月 28 日深夜 , ついに市街戦がはじまった。 日本軍は砲爆撃の援護て、攻撃をくり返したが , 予 期に反して中国軍の抵抗は激しかった。日本は 「満州事変」の死傷者をはるかに上まわる 3000 名 余の死傷者を出し , 中国側は軍だけて、 1 万 4000 名 , 一般市民 2 万名前後の死傷者を出した。 3 月 3 日 , 戦闘は停止され , やがて日本は撤兵す るが , 3 月↓日にはすてに「満州国」建国宣言が 出されており , 日本のもくろみは成功した。敗戦 / 第物巐 ~ ー 後 , 当時の上海公使館付武官田中隆吉少佐が行っ た告白によれば , 僧侶襲撃事件も , 日本側が中国 人を買収して行った謀略て、あったという。 26 ・一一上海の日本租界を見まわる在留日本人 20
大ーを ッ第一 一国 ′、 0 1 、行ーー天津租界で中国人の身体検査を行う日本兵 9 月 18 日以来 , 天津や北平には「満州」から飢え た避難民が殺到した。また , 天津て、は 11 月 8 日 , 日 本軍の謀略による暴動が起され , 混乱に乗じて旧 清朝皇帝溥儀がひそかに連れ出された。 占領した。 そして , 12 月 28 日には錦州攻撃を再開して , 翌年 日本の「満州」侵略 ( 日本て、は「満州事変」と称 1 月 3 日に占領 , さらに 2 月 5 日ハルビンまて、占 領し , 「満州」の主要都市をすべて占領下においた。 し , 中国て、は「 9 ・ 18 事変」と呼んだ ) は , さらに 日本の侵略をいきどおる中国民衆の闘いは , スト ひろがっていく。 ライキ , 日本商品ポイコットなど , 上海を中心に 1931 年 10 月 8 日 , 関東軍の飛行機が錦州を爆撃し 激しく展開されていくが , 日本て、は「守れ満蒙帝 た。錦州には , 奉天を追われた張学良が政府を設 国の生命線」というスローガンの下 , 多くの国民 また関東軍は 11 月には , 北部「満州」 けていた。 こうこうけい へも兵をすすめ , 激戦の末 , 昻々溪 , チチハルを が戦争にひきこまれ , 熱狂していった。 ◎ひろがる侵略
1 艚屮ト事変」と「満州国」 日本の中国東北地方イ第各 日本は , 「満州」における権益を守り , さらに「満州」 日戈争に勝った日本は , ポーツマス条約によって , 「満り乢 ( 中国の東三省 = 遼寧・吉林・黒竜江省 ) の南 を対ソ戦の墸処地 , 石炭・鉄の信縣合地としていくこと をもくろみ , 張作霖蠍 , 柳条膊件などの謀略を重 部に勢力圏をきずいた。 ねた北 1 2 年 , 日本の完全なカイライである「満州 しかし , 1920 年代になると , 中国民衆の民族解施里動 国」をつくりあげた がさかんになり , 「満州」に対する日本の支配はゆらぎ 「王道楽土」「五族協和」の美名の下 , 、日本国中はわき はじめる。また , 日本と結んで「満り乢一帯を支配し かえったが , その実態は , 官民一体となった中国侵 ていた張作霖の軍閥正対雀も , 日本からの自立と反抗を 略にほかならなかった。 示しはじめるようになった。 1 イ 7 ーー山東出兵第 2 次出兵 , 1928 年。青島大港駅。機関車に日章旗が掲げられている。 とくに第 3 次出兵て、は , 日本軍は中国側に激しい ◎山東出兵と張作霖爆殺 攻撃を加え , 多数の死傷者を出させたため , 中国 中国て、は辛亥革命ののちも軍閥がはびこっていた。 民衆の抗日の運動は激化していった。 国民党の蒋介石は , 民族資本の利益を守るため , 「満州」の親日軍閥張作霖は , 民衆の抗日気運を前 1926 年 , 軍閥打倒の闘い ( 北伐 ) を始め , 漢ロ・上 に , 日本側につくことの不利をさとりはじめてい 海・南京などをつぎつぎと解放していった。 たが , 1928 年 6 月 , 関東軍河本大佐らによって列 この北伐が , 日本の勢力下にある「満州」におよ 車ごと爆殺された。河本らは , この事件を国民党 ぶのを防ぐために , 日本は , 1927 年 5 月 , 1928 年 側の仕業にみせかけ , これを機に一挙に「満州」 4 月 , 5 月と 3 次にわたり , 山東省へ出兵した。 全土を制圧することをもくろんだのだった。 1 0
写真提供者 / 出典 [ 中国 ] アメリカ公文書館 776 , 778 , 723 , 770 , 202 , 203 , 207 , 270 , 235 , 236 , 243 , ・ 248 , アメリカ国防総省 222 , 223 , 224 , 225 , 77 , 3 み 39 , 42 , 48 , 777 , 772 , 7 / 8 , 7 / 9 , 277 , 213 , 226 , 237 , 249 , 252 205 , 206 , 208 , 209 , 229 , 230 , 257 , 263 , 49 , 70 , 94 , 780 , 200 , 232 , 233 , 275 , 220 , 264 , 265 , 「朝鮮」 東亜日報社ーー - 28 , 30 , 37 , 57 , 52 , 53 , 87 , 88 , 89 , 97 , 54 , 32 , 5 , 6 , 34 , 55 , 92 , 72 , 36 , 58 , 94 , 734 , 78 , 38 , 68 , 95 , 736 , 60 , 720 , 722 , 723 , 125 , 67 , 62 , 63 , 64 , 738 , 739 , 740 , 79 , 22 , 24 , 25 , 26 , 27 , 39 , 47 , 48 , 49 , 50 , 76 , / 9 , 83 , 84 , 85 , 707 , 702 , 705 , 709 , 敬称略 770 , 720 , 727 , 724 , 266 , 268 , 269 , 270 , 277 , 272 朝鮮日報社ーー -87 , 86 朝鮮新報社ーー -2 , 4 , 59 , 742 65 , 66 , 735 , 汎アジア文化センタ 64 , 66 , 71 , / 4 , 7 乙 79 , 毎日新聞社一一一 9 , 74 , 75 , 193 , 794 , 195 , 196 , 207 770 , 711 , 772 , 113 , 722 , 107 , 708 , 777 , 712 , 738 アメリカ公文書館 779 , 70 , 95 , 702 , 707 , 708 , 109, 99 , 136 , 75 み 221 , 246 , 104 , 705 , 106 , 177 , 132 , 76 , 82 , 724 , 135 , 737 , 188 , 789 , 79 , 24 , 25 , 27 , 37 , 84 , 85 , 89 , 90 , 91 , 726 , 12 乙 128 , 130 , 40 , 93 , 34 , 93 , 毎日新聞社ーーーー 732 姜徳相 77 , 74 , 林えいだ 3 , 15 , 33 , 56 , 48 , 97 , 779 , 98 , 56 , 74 7 99 , 57 , 65 , 6 9 , 70 , 106, 777 , 133 740 , 767 , 22 み 24 み 741 , 762 , 228 , 250 , 744 , 774 , 237 , 257 , 146 , 四 7 , 238 , 255 , 748 , 798 , 240 , 256 , 749 , 750 , 151 , 155 , 799 , 204 , 272 , 274 , 241 , 242 , 244 , 245 , 267 , 267 75 , い 77 , 78 , 82 , 728 , 130 「施政 25 年史』 ( 朝鮮総督府 , 1935 年 ) ーーー 29 , 174 『朝鮮ってどんなとこ』 ( 高橋源太郎著 , 朝鮮印刷株式会社 , 原知之・原三千子一一一 782 , 坂上涼子 -- ー -- -- -- -183 , 786 , 790 785 , 187 , 797 , 792 『日支事変と無敵皇軍』 ( 北陸毎日新聞社 , 1937 年 ) ーーー 73 , / 6 , 81 , 83 , 86 , 103 , 714 , 720 , 234 , 239 『報道写真海軍作戦記録』 ( 支那事変記念海軍写真帖刊行 会編 , 国際報道株式会社 , 1944 年 ) - ーー 48 , 92 , 96 , 7 , 101 , 721 , 143 , 747 , 763 , 764 , 77 / 「南満州鉄道株式会社三十年略史』 ( 南満州鉄道株式会社 , 1929 年 ) ーーー 37 『朝鮮ノ過去現在及将来』 ( 小田倉徳寿著 , 1929 年 ) 42 , 727 『土幕民の生活・衛生』 ( 京城帝国大学衛生調査部編 , 書店 , 1942 年 ) - ・ - ーー 44 , 46 『満鮮』 ( 山本実彦著 , 改造社 , 1932 年 ) ーーー 43 , 45 『東洋拓植株式会社ニ十年史』 ( 1928 年 ) ーーー 35 『国境警備記念集』 ( 平安北道警察 , 1937 年 ) ーーー 80 , 103 , 104 41 , 岩波 100, 1937 年 ) ーーー 57 , 59 , 60 , 61 , 62 , 787 , 184 「満州写真帖』 ( 1927 年 ) ーーー 43 , 63 「満州国現勢』 ( 満州国通信社 , 1933 年 ) ーーー 27 , 47 「昭和七年上海事変』 ( 尚美堂・華和公司 , 1932 年 ) 32 「昭和七年上海事変記念写真帖』 ( 第三艦隊司令部 ) 30 , 28 , 35 「同盟グラフ』 ( 同盟通信社 ) 1941 年 6 月号 7 月号ーー 765 , 8 月号ーーー行 3 , 10 月号 259 , 1942 年 7 月・号ーーー 258 , 259 , 260 「世界画報』 ( 国際情報社 ) 1941 年 12 月号ーーー 16 7 , 774 768 , 769 , 「アサヒグラフ』 ( 朝日新聞社 ) 1927 年 7 月 20 日号 - ーー 7 「週刊朝日』 ( 朝日新聞社 ) 1942 年 1 月 4 日号ーー 254 「日満特報』 ( 日満経済協会 ) 1934 年 6 月号ーー -- 53 「新しき朝鮮』 ( 朝鮮総督府情報課編 , 朝鮮行政学会 , 1944 年 ) ーーーー 178 , 73 7 * 写真を提供いただいた方 , 撮影などに御協 力いただいた方に御礼申し上げます。 なお , 著作権の不明な写真があります。お 気づきの方は , ほるぶ出版まで御連絡くだ
蒙古人民共和国 外蒙古 白城子 満州国 新京 チャハル省 、内蒙古 ( ラジオストック 包頭 綏遠省 北京、′ 同 山海関 前い毎 河北省 石豕荘 朝鮮 京城 太原 威海衛 山西省、 ) 0 延安ー 陝西省ー 済南 山東省 青島 連雲港 江蘇省 れリレ 河南省 中華民国 西安 ) 徐州 済州島 0 長崎 鹿児 湖北省 安徽省 杭州 漢陽 浙江省 南昌 江西省 湖南省 広東省 広東 桂林ー 沖縄 福建省 厦門 台北 0- 香港 500km
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川 6- ーー抗日バルチザン後列中央 , 眼鏡をかけているのが金日成 0 抗日パルチサンと光復軍 1932 年 , 「満州事変」につづく「満州国」成立直 後 , 「満州」を根拠地とする朝鮮人社会主義者に よる抗日パルチザンの闘いが開始された。社会主 義理論による確固とした意 . じ、と組織をもつ抗日パ ルチザンは , 従来の独立軍以上に粘り強いものて、 あった。以後 30 年代末まて、 , 抗日パルチザンは日 本の朝鮮支配にとって , もっとも脅威を与える存 在となっていく。 キムイルソン 金日成の指導の下 , パルチザン部隊が大胆に朝鮮 ポチョンポ 国内に進出した普天堡の戦い ( 1937 年 6 月 ) , 茂山 の戦い ( 1939 年 5 月 ) などは朝鮮の新聞にも報道さ れ , 朝鮮の民衆に深い印象を与えたといわれる。 日本のファシズム体制下て、忍従を強いられていた 朝鮮の民衆は , わずかな情報を通じて知る抗日パ ルチザンの活動に大きな期待を寄せたのてあった。 1943 年に行われたある調査て、は , 朝鮮の小中学生 の 67 % が「一番偉い人」として , パルチザンの指 導者・金日成の名をあげたという。 一方 , 1940 年 , 上海から重慶に移った「大韓民国 臨時政府」は「光復軍」を組織し , 1945 年 2 月に は日本に対して宣戦を布告した。 70 / 抗日ノヾルチザン女子隊員たち 川 8 ーー戦闘訓練 中のバルチザン 204