ヨーロッパ - みる会図書館


検索対象: 子どものための美術入門 6
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1. 子どものための美術入門 6

けっさく ション・ファーガスン・ワイア の傑作をかきはじめました。 60 点にもおよ ぶんしよう John Ferguson Weir ぶバネル画と、彼自身が書いた文章によっ だいいどう ( 1 8 4 1 ~ 1 9 2 6 ) て、アフリカ系アメリカ人の大移動の物語 せいき ゆうだい ] 9 世紀、ヨーロッパとアメリカでは、た が雄大に語られています。そのなかには、 いきお かがくきじゅっこうぎようはってん こうじようちたい はたら いへんな勢いで科学技術と工業が発展して アメリカ北部の工場地帯で働くために南部 いきました。アメリカ人の画家ジョン・フ の田舎をはなれた両親もふくまれています。 じだいれきし せいこう ァーガスン・ワイアは、この時代を歴史の この連作で、彼はたちまち成功します。ロ しこと たんじゅんへいめんてき ] ページとして、工場のなかの仕事を写実 ーレンスの作品は、単純で平面的な形、だ 的にえがいた絵によって記録しました。 いたんな色づかい、そして社会的なテーマ ワイアは少年時代、歴史画をかいていた によって注目されています。ローレンスは、 なら 父ロバート・ウォルター・ワイアに絵を習 ワシントン大学で長年にわたって美術を教 いんたい いました。そして、ヨーロッパにわたって えたあと、 ] 9 8 3 年に引退しました。現在 べんきよう 絵の勉強をつづけ、アメリカにもどると、 も、シアトルで作品をつくっています。 びじゅっがっこう しよだいこうちょう イエール美術学校の初代校長になりました。 じゅうちゅうぞうしょ さくひん 有名なく銃鋳造所 > という作品も、この トーマス・ハート・べントン 本にのっている絵とおなじように、工場で こうふんねっき の興奮と熱気を、暗い背景とあざやかな色 Thomas Hart Benton さい ひょうげん 彩をつかって、表現しています。 ( 1 8 8 9 ~ 1 9 7 5 ) ミズーリ州出身のべントンはくアメリカ の風景画家〉として知られている小さな画 シェイコブ・ローレンス 家グループのひとりです。 1930 年代のア JaCOb Lawrence メリカ人画家のおおくは、線と形と色だけ ちゅうしようてき ( 1 9 1 7 ~ ) の抽象的な絵をかいていました。それらは、 「わたしの絵は、わたしの人生と経験を ほんものらしくないばかりか、何をかいて あらわしている」 ジェイコブ・ローレ いるのか、わからないこともありました。 ンスは自分の絵についてこう言っています。 しかし、べントンは、アメリカ人の画家は 彼は二ュージャージー州のアトランティッ アメリカの風景と人間をかくべきだと考え かぞく ク・シティーに生まれ、家族といっしょに ていました。 うっす のうか ちか ペンシルべニアに移り住みました。その後、 彼は、農家の情景をかくときでも、地下 りようしんりこん さいしゅうてき 両親の離婚などにより、最終的には二ュー 鉄をかくときでも、アメリカ人のダイナミ ちく せいしんかん ヨークのハーレム地区で、母親とともにく ックな精神を感じるままに表現するために ほうか らすことになりました。彼は、学校で放課 丸みをおびた形と、まがりくった線をつ じゅきよう 後におこなわれる美術の授業をうけ、その かいました。べントンの絵にでてくる人た けっしん きんにくしつ ときに画家になる決心をしました。 ちは、カづよく、筋肉質で、優雅です。ち いみん ] 940 年に、黒人の移民をえがいた一連 ようど、彼の大すきなルネッサンス時代の なんぶ いなか しやじつ て きろく げんざい ゆうめい くらはいけい ふうけいがか けいけん しゅう じようけい てつ ゆうが いちれん 40

2. 子どものための美術入門 6

この本にでてくる画家たち ジャン・フランソワ・ミレー Jean-Frangois Millet ( 1 8 1 4 ~ 1 8 7 5 ) わか りかい ゆめ ァン・ゴッホに大きな影響をあたえました。 えいきよう だ無名だった若い画家、フィンセント・フ むめい ありました。しかし、彼の絵は、当時はま とするのか理解されず、批判されることも ひはん ただの農民を、カづよく、気高くえがこう ミレーが生きているときは、画家がなぜ、 き、知られるようになりました。 く農民や、カづよい女性を、写実的にか しやじってき のうみん いました。そして、田畑で一生けんめい働 くのとおなじくらい、たいせつだと信じて 自然をかくことは、肖像画や歴史画をか しようぞうがれきしが しせん 夢にも思いませんでした。 働く人たちの絵をかいて有名になるなんて、 はたら ゆうめい ろから慣れしたしんでいる農家や、田畑で たはた な 生まれました。彼は、自分が、子どものこ スの小作農家に、 14 人兄弟のひとりとして こさくのうか ジャン・フランソワ・ミレーは、フラン ディエゴ・リべー Diego Rivera ( 1 8 8 6 ~ 1 9 5 7 ) フ メキシコ人の画家ディエゴ・リべーラは、 メキシコのグアナファトで、ふたこのひと りとして生まれました。リべーラがまだ子 38 かぞく どものころ、家族はメキシコ・シティーに びじゅっがっこう べん ひっこしました。彼はそこの美術学校で勉 ちょうこくか みなら 強し、木の彫刻家の見習いとなりました。 だい たび 20 代の前半、リべーラはヨーロッパを旅 して、たくさんのすばらしい画家たちに会 い、大きな影響をうけました。そして、メ ぶんか キシコに帰り、メキシコ人の歴史と文化を きょだいへきが えがいた巨大な壁画をかきはじめました。 彼は、いまも、この壁画で有名です。 つま リべーラと妻のフリーダ・カーロ ( 彼女 もすぐれた画家です ) は、さまざまな政治 てきかつどう 的活動にかかわりました。そして、しばし いみ さくひん ば政治的な意味をもつ作品をかきました。 しようがいもくひょう リべーラの生涯の目標は、メキシコの国民 かいがようしきかくりつ 的な絵画の様式を確立することでした。彼 せいしん はメキシコ人の精神をつたえるために、ア ひょうげんようしき ステカ族やマヤ族の表現様式やシンボルを つかったりもしました。 ピーテル・ブリューゲル ( 父 ) Pieter Bruegel, the EIder ( 1 5 2 5 ~ 1 5 6 9 ) ピーテル・ブリューゲル ( 父 ) は、ブレダ げん りようきんべん ( 現オランダ領 ) 近辺のブリューゲル村に生 まれました。その後、イタリアにおもむき、 イタリア・ルネッサンスの作品を数おおく 目にしました。そして、美しいイタリアの きよう せいじ うつく