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検索対象: 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号
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1. 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号

2 今回思いがけず、 私は翻訳しながら ちク わ、ア訳 O た訳 4 も、こんなことは実 △ロヴ子 2 。の子田戦後と自分の仕事と 居ゼ ′とウみ 1 まけみ房 の関わりについて考 際に起こりえないと 子バゅ館 引ノゅ書 のン田学 僕Å田す える機会を与えてい 考えていた。しかし、 " ( ( 後ル高小 そ一み 一『。石ノ たたいた振り返っ この本に書かれたこ てみれば案外、一貫 とが日本で現実とな した仕事をしてきたのかもしれない。それは、世代と世代を ってしまったのは実 、ウ子 0 しわ」 2 つなぎ、ドイツと日本をつなぎ、語り伝える仕事の一端を担 に悔しい よ 9 み 、つとい、つことである そして二〇一二年 ン 先日、朝日新聞朝刊に連載中の鷲田清一選「折々のことば」 の『そこに僕らは居 ノ の、こんな一節に目が留まった。 合わせた』は、ナチ 「いっそ〈記憶〉は過去ではなく、未来に属していると考 ス政権下の一般ドイツ人、つまり加害者側の十代の目線から、 当時の市民の姿を語ったものだ。ここには、戦後数十年のあえたらどうだろう。そう考えなければ、シャッターを切る指 いだ重荷を抱えてきた作者が、どうしても書いておかなけれ先にいつも希望が込められてしまうことの理由がわからなく なる」 ばいけないという積年の思いかあった。 写真家の畠山直哉さんという方のことばである。それは、 ハウゼヴァングと私の母は、ほば同世代である。母もよく 戦時中のことを語る。ただし「あんたにはわからないだろう過去から学び、過去を知ったうえでこそ新しい未来が構築で きるとい、つパウゼヴァングのことばを想起させるとともに、 けど」という枕詞つきで。確かに、わからないかもしれない 体験していないんだもの。だからといって不可能なわけでは微力ながらも「語り伝える」仕事にかかわる私の心に強く響 ない想像力を働かせ、当時の状況やできごとを理解する努 力をし、人々に思いを寄せ、それを語り継いでいくことはで き ) るよ、つに田 5 、つ グードルン・パウゼグアング そこに僕らは居合わゼた 第り伝えも . ナス・ドイツ下の紀を 画第物ス第第

2. 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号

特集戦後 70 年、被爆 70 年時の記憶未来への選択 にナチス・ドイツの犯罪を非難するといった単純なものでは 目下、私はドイツの作家グードルン・パウゼヴァング百冊 、。ペ 1 ルソン首相は、二〇〇〇年にスウェ 1 デンのナチ目の作品と取り組んでいる。舞台は戦争末期から終戦直後の ス協力を初めて公式に認め、「道義的・政治的責任ーを語っ ドイツ。十七歳から十八歳になるひとりの少年の運命をめぐ た人物であることも付け加えたい。 る物語だ。美しく、しかし強烈なメッセージを持っ作品であ 本書の特徴はなんといっても、「子どもたち」にホロコ 1 る。パウゼヴァングは、第二次世界大戦の目撃者はまもなく ストの記録と記憶を伝えるための努力と工夫がなされている いなくなるが、後の世代に言い置いておくべきことが、自分 点である。加害者・被害者双方の証言や回想録、日記、詩な にはまだたくさんあると考えている。だからこそ、八十七歳 どの文学作品、年表、当時の法令などの資料をもとに多角的 になった今も創作の手をゆるめていないその彼女が、戦後 に光をあて、ホロコーストが現実化していく経緯がわかりや七十年目に私たちに何を伝えようとしているのか訳書の完 すく浮き彫りになっていく。それは歴史を直視し、目を背け成までしばらく時間がかかりそうだが、作品のことばをしつ すに、「語り伝える」ことにほかならない かりと受け止め、伝えなくてはならないと肝に銘じつつ、翻 スウェーデン語版にもドイツ語版にも、冒頭に聖書のこと訳を進める毎日だ。 ばが記されている 私はこれまでに、三冊のパウゼヴァング作品翻訳に携わっ てきた。東西冷戦時代、一九八四年の『最後の子どもたち』は、 老人たちょ、これを聞け。すべてこの地に住むものひとりの子どもが核戦争後を語るという近未来小説だった。 よ、耳を傾けよ これに関しては、実際に被爆者という「語り部」のいる日本 あなた方の世、またはあなたがたの先祖の世にこので、どれほど伝わるだろうかという危惧はあった。しかし、 よ、つなことが起こったか ? 違う時代に、違う視点から、広島・長崎とは異なるかたちで これをあなたがたの子たちに語り、 核戦争を語り伝えることができるのではないかと思った。 子たちはまたその子たちに語り、 一九八七年の『みえない雲』は、チェルノブイリ事故とい その子たちはまたこれを後の代に語り伝えよ う実際のできごとを契機に、原発事故が人々に何をもたらす 旧約聖書ョエル書第 1 章 1 ー 3 節 かを、子どもたちも知るべきであるとい、つ思いから書かれた。

3. 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号

版の経緯を 2 4 り 』レン たる丿一訳説 o 簡単に説明 も知ェイ著子解 2 高田ゆみ子 しておこう 子トフヴ乃み也房 ' ゅ哲書 い・村 実に注目に 伝プ < 中田橋す 高高す み fiÆ 私は、戦後十一年目の一九五六年生まれである。この年齢値するもの だからだ。 になってみれば、十一年なんてあっという間ついこのあい だ戦争が終わったばかりという頃だったのだ。それでも、私 一九九〇年代前半、ナチスによるホロコ 1 ストで六百万人 にとって戦争は遠い昔の話であり、「れつきとした戦後生ま ものユダヤ人が殺害されたことを知るのは、スウェーデン国 れ」として今まで過ごしてきたように思う。正直なところ、民の六六 % にすぎないという調査報告があった。衝撃を受け 自分が先の戦争について文章を書くことなど、予想もしなか た当時のペールソン首相は、歴史を知らない若者たちが人種・ った。そんな私がいったい、戦後七十年を語ってよいのだろ民族差別思想やその宣伝に対して無防備であってはならない 、つカ ? しばらく考えた。結果、 いいのだと思った。もはやと考えた。民主主義の価値と人間のモラルについて伝える必一 「戦後生まれーがマジョリティとなった現在、戦争体験者は要がある。そこで、子どもたちに現代史の悲劇をわかりやす 確実にこの世から去りつつある。語り手は移り代わる。むし く叙述する本の執筆を、二人の歴史学者に依頼したのが本書 ろ、代わらなくてはならないそういう意味では、私のよう の生い立ちだ。そのためには、自国の歴史の「負の部分ー な立場の者にも役目がある。それは「つなぎ、語り伝える」も目を閉ざしてはならなかった。たとえば、スウェーデンが ための橋渡しの役である ナチス政権下のドイツに対して鉄鋼などの輸出を続け、ドイ ツの戦時経済を支えたことも明記している。どこかの国では、 『語り伝えよ、子どもたちに』は、私が二〇〇二年 ( ほら、 もう十三年たっている ! ) に翻訳出版した、ホロコ 1 スト史それを「自虐史観的内容」と評する人がいるかもしれないが のタイトルである。スウェーデン政府による公共歴史プロジ 今日、ドイツ以外のヨ】ロッパの国々も、当時の自分たち ェクト「生きている歴史」の一環として書かれたもので、私 が全くナチスに加担していなかったとは言えなくなってい が底本としたのはそのドイツ語版である。ますは、本書の出る。本書は、誇らしき中立国スウェーデンが、人ごとのよう 語り伝えよ、子どもたちに 上ルえ′ド議ーウぃ - ン 語リ伝えよ : 子どもたらに すず書房

4. 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号

◆今号の特集のなかで、「子どもの伝えることがむずかしくなってい書通帳」が載った。図書館で本を借 戦争責任」という言葉が重く心に残る。『語り伝えよ、子どもたちに』 ( みりたとき、預金通帳に似た通帳を、 った。そのような責任を子どもに負すず書房 ) をあらためて読み直した。銀行のに似た専用機に入れる わせてしまう社会。そんな社会にし多数の体験者たちの具体的な言葉、と、借りた日や書名などが印字され てしまうおとなの責任は、はかりし数多くの写真が示すその事実の重みる。開発した会社によると既にⅡ市 れないほどに重い。九条を掲げ E 年に加え、なによりも伝えたかったの町村が機械を導入。埼玉県では妊婦 間守ってきたものを手放してしまうは、結果的にホロコーストを傍観 ( 肯向けの読書通帳も作成され、母子手 責任の重さ、いや愚かさは考えるだ定 ) し、戦争に協力 ( 加担 ) したの帳の図書館版の趣もある。いすれも けでも恐ろしい。しかし、いま考えは善良な「普通の市民」であったこ好評で、さまざまなメリットが強調 なければいけないのはそんなことでと、それを子どもたちに伝えることされている はなくて、そうはさせない責任を全が本書の最大の目的だ。翻って、日現在、多くの図書館で図書の貸し 己うすることだ。自分の中に散在した本では戦争中に東アジアで行ったこ出し履歴が残らないように配慮され : 0 ままのいろいろな思いを整理し、自とに向き合い、子どもたちに伝えてているが、そ、つなるまでの経緯がど 分の進む道を考えている いるだろ、つか ( 福 ) れほど図書館利用者に理解されてい るのか疑問が残る。 も久 ◆庭の被爆アオギリが黄色い花をつ ◆ 8 ・引まで開催の「ニッポンのマ けている。中高生への証一一一一口活動を続ンガ * アニメ * ゲーム展』 ( 国立新 けていた沼田鈴子さんから頂いた種美術館 ) が凄いです。今号の「高校 む が、今ではがっしりと根を下ろして生向けブックガイド」で扱っている で含 葉を広げ、大木になっている。アオ戦後日本漫画作品以降 ( この四半世 だ 2 を 2 い 6 料 2 さ いみく 一榻・ギリを仰ぎ見ながら、改めて「記憶」紀の ) 現代日本漫画の世界も一望で 3 送 6 だ を伝えることとはど、つい、つことか考きます。それにしても、 8 テーマ中、 さ込劼入 0 える。直接体験してなくても、描か漫画が主役のコーナーは唯一という く申電 9 冊入 一三ロ れたことばへの想像力をとおして、現状も、また、それが「現実とのリ ひとは自分の「記憶」とすることがンク」という括りで展一小されている できる。「ピカは、ひとがおとさに点も、考えさせられるものがありま やおちてこん」 ( 『ひろしまのピカ』した。 お本本ず x 0 より ) は、忘れられないことばの一 図版『ニッポンのマンガ * アニメ にのの必 8 号 軽もも LL 4 番数 つだが、自分はどこに立ち、何を伝 * ゲーム 1989 』 ( 国書気 えるのかという真実が描かれている刊行会 ) も充実した内容で、楽しめ からだろ、つか ( 寺 ) ます。 本 x 購振鯑 日 年 体験者が高齢化し、戦争の実態を◆購読紙の「子どもの本棚」欄に「読 0 0 ◆ ( 若 ) ( 輝 ) ( 純 ) 月刊書評誌 子どもの本棚 2015 年 8 月号 No. 562 編集・発行日本子どもの本研究会 (JASCL/ ジャスクル ) 〒 176-0012 東京都練馬区豊玉北 4-4-18-105 TEL 03 ( 3992 ) 0362 / 03 ( 3994 ) 3961 発売元子どもの本棚社 〒 176-0012 東京都練馬区豊玉北 4 -4-18-107 TEL ・連絡先 03 ( 3992 ) 0362 印刷所大村印刷株式会社 《編集委員》富山純子 ( 編集長 ) 大江輝行 小寺美和福田晴代若菜千佳子 吉田真知子 ( 選定委員 ) 《発行者》野口武悟 定価 : ( 本体 370 円 + 税 ) 年間購読料 : 4 , 8 開円 ( 12 冊分・送料を含む ) 購読申込先 : 日本子どもの本研究会 http://homepage3.n i fty.com/kodomonohonken/

5. 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号

子どもの本棚 2015 年 8 月号 主語は誰なのか / 朽木祥 新刊紹介 も く 1 2 9 1 0 1 4 1 6 18 22 25 28 31 34 38 40 43 44 45 46 47 48 こにとりあげている図書は、いずれもく日本子どもの本研究会選定図書〉に選ばれたも のです。但し、図書内容の評価については、それぞれの執筆者の責任において執筆されて いることをおことわりしておきます。なお※印は、ノンフィクションの本です。 今月の書評 2 「蛙となれよ冷し瓜』 / 飯村和子 今月の書評 1 「きせきの海をうめたてないで ! 』 / 藤野八洲子 選定リスト 2015 年 6 月選定図書 / 選定委員会 選定付記 / 小池淑子 戦後 70 年の MANGA が問う一高校生向けブックガイドー / 大江輝行 ともに社会を学ぶことそれはともに社会をつくること / 菅間正道 語り伝えよ、子どもたちに / 高田ゆみ子 戦争の愚かしさを未来にどう伝えるか / きどのりこ ロロい り継かれるく被曝の物語〉 / 岡崎弥保 子どもの本から「記憶」の描かれ方を考える / 広瀬恒子 特集戦後 70 年、被爆 70 年時の記憶未来への選択 編集後記 スケジュール / 今月の研究会 事務局より / 全国大会お知らせ 情報コーナー まんが時間『僕だけがいない街』『逢沢りく』 / 清尾知栄子 那須正幹作品紹介 複眼書評『こわれる森八チドリのがい』 / 中川良孝・田中香織 わたしのよむ「夏の朝』 / 杉田秀子 表紙絵 . 降矢ななイラスト . 福本舂子

6. 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号

巻頭工ッセイ 七十回目の「八月六日」が巡ってくる。祈念式典が開かれる平和公園の中心には原爆死没者慰霊碑 があって、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」というメッセージが刻まれている。 この文言を巡ってはさまざまな議論もあった。最も大きな問題は、一一文目の主語は誰なのかという ことだった。文言を撰文した雑賀忠義広島大学教授 ( 当時 ) は、主語は「広島市民であり世界市民で ある」と述べている。そう、主語は「私たち」なのである。 だが、原爆投下による甚大な被害が語られるたび、日本がヒロシマを戦争責任の免罪符にしている という意見を必す耳にする。そのたび、この意見の持ち主は原爆投下後の記録を見たことがあるだろ うか、被爆者の証言を読んだことがあるのだろうかと考える。もしも証言の一つでも読んだことがあ \ よ祥 れば、核兵器がいかに悪魔的な兵器であるかわかるだろう。再び使用されれば、誰ひとりその災厄を 木免れることはできない。だからこそ、原爆投下は、加害や被害とは別の文脈で語るべき問題だとわか \ 五尸 るはずなのだ。 一〉主 原爆投下の被害はまさに空前絶後だった。一瞬で、町が丸ことこの世から消えてしまい、数万人が 生きながら焼かれて煙のように消えてしまった。ヒロシマ ( で起きたこと ) は、大けさでも何でもな く、人類にとっての大事件だったのである。 記憶を伝えるということは、一一度と同じ過ちが起こらないように警戒することと同義でもある。戦 後七十年経って「あの日」はますます遠くなったが、私たちにはヒロシマを記憶する義務があり、同 じことが起こらないよう警戒する義務もある。それこそが、「過ちを繰り返しませぬから」と誓うこ とであり、主語は誰なのかと自戒をこめて問い続けることでもあるのだ。

7. 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号

絵本ペ 1 ジ中、こわされた森についての記載は 8 ページ ある日、案内役のリスザルとハチドリは、不気味な音を聞 だが、中盤までに掲載された美しい花やハチドリが自由に飛 いた。森が開発のために破壊されているのだ。 壊された森を見下ろす空で、ハチドリは決意する。「こわ【び回り花の蜜を吸う場面、リスザルが飛び跳ね木の実を頬張 いまできる、 る姿を提えた写真が対比を分かりやすくし、こわされた森へ されても、森を種でいつばいにすること。 のインパクトを生み出している いちばん大切なことと 後書きでは、アマゾン川流域だけでも毎年 2 万 55 万平方 正直なところ、またかと思う。自然保護や生物環境保全の " キロメートルにも及ぶ森が人間によって破壊されているこ 大切さを叫びはじめてから、どれだけの時間が流れたのだろ】と、そのうちのほとんどの森が肉牛のための牧場や大豆やサ トウキビ、トウモロコシなどの畑に変えられ、牛肉や作物の 本書に登場した可憐で美しいハチドリには、そうした試練一部は日本に輸入されていることが紹介されている。自然を 大切にすることの伝え方は様々だが、子どもから大人まで幅 は相応しくないそう思うか、それでもなお人間の営む行い 広い世代に課題を投げかけることのできる一冊だと感じた。 は、複雑な要素で構築されていることもまちがいかない ハチドリや森を守ろう ! そう叫ぶことは正しい。けれど も反面、わたしたち人間は、破壊や開発によってもたらされ た恩恵を受けているのも、哀しいかな逃げることができない 現実だ。恐らくは、人間の知恵と工夫で、折り合いをつける 以外に解決策はないのだ。 このことを、子どもたちとともに考えてみたい。自分たち にもできる方策を探ってみたい。 本書のなかでハチドリが、「いまできる、いちばん大切な ことーと言ってくれたことをかみしめながら。

8. 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号

一人称が立ち上がっているのかどうか。音声一言語やそれを支自由権の意義や限界、あるいは沖縄の基地問題などを具体的 えるゆたかな内言によって、〈私〉のことばが紡ぎだされ、 に取り上げ、生徒たちと対話しながら問いを探求した。 むろん、引 それが誰かに受け止められ、応答関係が教室のあちこちに張 りめぐらされていく。その網の目が公共圏 / 交響圏となってしかし、だからこそ誰もがかけがえのない存在となり、一人 いくならば、ほんの少し安心・安全な空間となり、「ともにひとりの差異と実存が浮かび上がる。あらかじめ決まりきっ 社会を学ぶことが、ともに社会をつくること」を実感できる た正解はないが、 かといって「何でもあり」でもない「解な のではないか。そのことを念頭に置いておこなった実践例をき会の快ーが味わえる。それが学びの醍醐味だ。 紙幅の関係で見出し程度ではあるがーーー一一、三あげたい 本誌の読者の多くは、子どもと本の仲立ちをされている方 と田 5 、つ たちであろう。良い本計文化に出合うこと、出合わせること アジア・太平洋戦争末期の沖縄戦。読谷村のチビチリガマは、教師と「共闘的 / 協働的に進められる作業ではなかろ ( 自然壕 ) で起きたことはいったい何だったのか。私は、入うか。この厳しい時代、ともに「生きるに値するもの , を一 選手できる限られた資料から、事件の「名づけに迫る授業を緒に掘り当てる作業を進めていただけるととてもありがた一 ( 注 2 ) 最後にそのことを心よりお願いをしたいと思う へ試みた。名づけとは、認識そのものであり、教室の生徒一人 未ひとりの世界の見え方が提一小される。どの名づけが相応しい ( 注 1 ) 『貧困と愛国』雨宮処凛佐高信著 ( 毎日新聞社 ) のかをともに深めあう作業は、誰もがかけかえのない歴史の ( 注 2 ) 拙稿「授業記録・沖縄戦『集団自決』を考える」「教育』 ( 国土社 ) 時捜査官であり、綴り手となった。 8 年 6 月号 年 また、世界史の一場面では、ナチス政権成立後のユダヤ人 ( 注 3 ) 拙稿「あなたならどうする ? ナチスのユダヤ人迫害を考える授 爆迫害の過程を取り上げ、「もし、あなたの友人がユダヤ人だ 業」「教育』 ( 国土社 ) 年 1 月号 ったら、交流を続けるか、それとも断っか」という思考実験 ( 注 4 ) 拙著『はじめて学ぶ憲法教室』 154 巻 ( 新日本出版社 ) 年 拙稿「他人ごとから自分ごとへ」『子どもの本棚』 2 014 年 を課し、それを通じての疑似的社会参加を促す試みをおこな ( 注 3 ) 戦 3 月号 った。また、中 3 の公民や「政治・経済」での憲法学習は 4 ( 注 4 ) 特巻のシリーズ本にまとめた。その本のなかでは、立憲主義、 = = ロ 卩いのなかには容易に答えを出せないものもある

9. 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号

一三ロ って家族すべてを失った肥歳の少女が苦難を乗り越え生きて 子どもの本から「記憶」の描かれ方を考える きた『ガラスのうさぎ』 ( 高田敏子作、金の星社 ) は、多く 広瀬恒子 の子どもに読まれベストセラーとなりました。日本の児童文 学は戦争による悲惨さ、苦難、命の大切さなどをリアルに描 き、子どもたちに平和の大切さをアピールする一定の力を発 年前の戦争は、子どもにどのような記憶として今、引き 継がれてきているのだろうかーそのことを考えるにあたっ揮してきたと思います。 上へ戦争の本質に目を向けたり、 けれど、海外の作品にヒ。、 て、先す自分の記憶を思い起こしてみました。 一人ひとりの人間として痛みを共有し合う視点が弱いのでは 私の場合、「お国」とか「教科書」という子どもの目からは、 ないカ 過ちなどするはすのないものが、まちがっていることもある 日本児童文学者協会が創立周年記念出版新しい戦争児童 のだという事実が何よりの驚きでした。教科書の記述に、こ れはまちがいとして墨をぬるというのは、子どもにとって信文学としてシリーズ〈おはなしのピースウォーク〉 ( 新日本 択じられないよ、つなことでした。 出版社 ) を出版しました。 の この「新しいーにこめた思いと意味について編集代表の古 この体験は、成長していく過程で、国とか政治や世の中の へ 未出来事について自分自身が真実を知る、確かめる努力が欠か田足日氏は せないことなのだという、記憶としてそのためにも読書の必「日本が敗北して、七、八年たったころのある日、大人にな っていたばくは突然、子どものとき、中国の地図に日の丸の 時要さ、重要さを考えないわけにはいきませんでした。 年 後年、地域で子どもと本をむすぶ活動にかかわるようにな旗を立てたことを思い出した。ばくの心の中に、日の丸の旗 ねもと の下、日本軍の砲弾でこわされた家の壁のそばに立ったりす 爆った根元には、この原体験があったのかもしれません 子どもが戦争の記憶を保持していくことにかかわって、こわったりしている汚れた顔の中国の子どもたちの姿が浮かん 年 「子どものとき、ばくはなぜ家を焼かれ、 だ。 ( 中略 ) ・ れまで戦争と平和を考える多くの子どもの本が出版されてき 後 こわされた中国の子どもたちのことを想像できなかったのか ました。その中の例えば作品としての弱さを指摘する意見も ・ : 」 ( 「おはなしのピースウォーク」古田足日「はじめの発 特ある中で、 1945 年 3 月川日の東京大空襲や機銃掃射によ

10. 子どもの本棚―月刊書評誌 2015年10月号

万次郎 地球を初めてめぐった日本人 岡崎ひでたか作 篠崎三朗絵 新日本出版社 cuo ] 5 年 1 月 万次 本体 ] 500 円 小学上級から 「ジョン万次郎」の名で知られている、中浜万次郎の伝記 二〇一一年三月一一日、マグニチュード 9 ・ 0 、という激 しい揺れと大津波で、福島第一原発は「全交流電源喪失、に物語である。始まりは高知の足摺岬、幼い万次郎が働いて家 なります。本書には、この最悪の事態を回避するために奮闘計を助けている。やがて、漁師見習いとして舟に乗ることに なるがそこで嵐に見舞われ漂流したあげく、鳥島に上陸し無一 した人たちの様子が書かれています。 原子力発電所にとって致命的な事態です。所長の吉田さん人島生活が始まる。運良く、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウ は、最悪の事態を想定しながらも、対策を考え、具体的に命ランド号に救助され、ホイットフィールド船長に見込まれア メリカへ渡ることに。 令します。次々に起こる困難に諦めずに立ち向かいます。メ 一八四三年、初めてアメリカの土を踏んだ時、万次郎は ルトダウンを避けるために、官邸からの指示にも従いません それは、一番大切な人の命を守るためです。最後まで、命が十六歳。持ち前の胆力と利発さでアメリカの文化を吸収し身 に付けるが、それは後の日本にとって大きな価値があるもの けで復旧活動をした六九人は、後に海外のメディアによって だった。 クフクシマ・フィフティクと呼ばれます。 困難の末、帰国した万次郎を待ち受けていたのは、幕末の 事故から八か月後、吉田さんは、食道がんの告知を受け、 激動の日本。そこで我が国最初の国際人と言える万次郎に影 その一年後、五十八歳で息を引き取ります。 最後に著者は、「彼らの責任感と使命感をいつまでも忘れ響された人は少なくない。また、開国に万次郎が果たした業 績はこれまであまり語られて来なかったことに気付かされ ないでいたい」と記しています ( 末宗嘉子 ) る。逆境でも決して諦めず、前に進んでいく彼の生き方は子 ( 下里美香 ) どもたちに伝えたい生きる力に溢れている 吉田昌郎を 福島フィスイ 門田隆将 京発事故に立ち向かった 原発事故に立ち向かった ~ 薑學吉田昌郎と福島フィフティ※ 門田隆将著 QJ 研究所 20 ] 5 年 3 月 ( 0 本体 ] 400 円 小学上級から 岡物びでたか宿贓三朗 地球を初めて あぐった日本人一 ] 97P/20X 14cm