言葉 - みる会図書館


検索対象: 日本史快刀乱麻
44件見つかりました。

1. 日本史快刀乱麻

も格好良くみえ、私も子供の頃には近所の仲間たちと一緒に四十七士を真似、「ヤ マ ! 」「カワ ! 」と叫んでいた記憶がある。 ただ、この合言葉「山、川」の本来的意味を知っている人は意外と少なく、往々にし て「山」と「川」を単なる地形上のつながり、或いは山川草木の付きものぐらいにしか 思っていないようだ。しかし、決してそうではない。暗闇の中で「山」と呼びかけられ たら瞬時に「川」と答える、この叫びにも似た応答は、無論、同志としての確認のため 恵 だが、実はこの二つの言葉は極限状態で突入した赤穂浪士たちの精神的支えにもなって 知 のいた。その意味で、この「山」と「川」の合一一 = ロ葉の意はとても深い。 本まず、合言葉の定義だが、合一言葉は似ているものや付きものでは成り立たない。そん 日 くな単純発想とは別次元のものである。錠前がピッタリと一致するように、言葉が噛み合 てうもの同士でなければ合一言葉にはならない。江戸期は特に言葉の裏側に潜む意味に厳密 改 であった。ましてや、生死をかけた仇討ちの場、曖昧な組み合わせを採用し、「山」カ 3 ら流れる「川」、こんな単純な発想で合一言葉を決めることは決してない。 月」には隠語で数字の「三」という意味が込められている。飲食店などでは、 7 幻

2. 日本史快刀乱麻

い上げるものであった。 はる われ あられ 例えば、「我」「暖」「丸雪」「京師」、これらの文字は、元々、同じ意味を持っ漢字に ロ語の日本語読みを結びつけた万葉仮名である。一方、日本語の言葉を漢字の音で表現 あられ した、「和例」「波流」「安良礼」「美夜故」などの万葉仮名もある。他にも、擬声語か ら「蜂音」「牛鳴」と読んだり、文字構成の謎で「山上復有山Ⅱ出」などと使った文字、 とお 数の遊戯的表記として「一三」「重二」「二五」「十六」「八十一」などの用字もあった。 恵これらの「万葉仮名」に、はっきりと漢語と日本語の分岐点というものが見て取れよう。 そしてこの「万葉仮名」の存在こそが、古代日本人の大いなる智恵を読み解く鍵でも の 本ある。 日 日本古代の文化人たちは、まだ語彙が非常に少ない日本語を豊かにするため、いかに 驚 てして日本独自の言葉を増やしていくかを懸命に勘案した。そして、当時の知識人たちが 改 採用したのが、日本の定型詩にゲーム的感性を取り入れることであった。五・七音句を 章 繰り返す長歌、五・七・七を一一度繰り返す歌、五・七・五・七・七の和歌、このい 7 第 ずれにも、なるべく創作造語を入れるという規則を課したのである。そして、このルー われ みやこ みやこ

3. 日本史快刀乱麻

元々、性的な意味合いを持っていたのに今日では他の意味で使われている言葉といえ ば、代表的なのが「たわけ」である。いつだったか、プロ野球の星野仙一さんが中日の 監督時代に「何を言われてもかまわないが、たわけと言われるのだけは勘弁できない」 と、かんかんに怒ったというのが新聞記事に載っていた。怒りの理由は、「たわけ」が 名古屋地方では馬鹿にする意味の侮蔑用語だからと言うのだが、実はこの「たわけ」は なじ 単に馬鹿にするどころではなく、元々は近親相姦者を詰る言葉である。 粋 戦国時代の古くから使われる名古屋地方の侮蔑用語に「うつけ」と「たわけ」という のがあることは事実だ。この二つの侮蔑用語を現代では同じような言葉に捉えがちだが、 「本来は全く意味の異なる言葉である。の大河ドラマなどでも、信長が前田利家に ら 知「この、たわけが : ・ : 」などと平気で使っているが、当時、「たわけ」などと面と向か でって言われれば、たとえ信長が主君といえども利家は黙っていなかっただろう。 現「うつけ」とは単純に、どうしようもないの意味である。一方、「たわけ」は、異常な 章 生行為に結びつく言葉であった。「馬たわけ」、「猿たわけ」といえば獣姦のことだし、 9 第 「たわけ」とだけ言われれば、お前は近親相姦者、こう詰られたのと同義なのだ。

4. 日本史快刀乱麻

は驚かされるばかりである。 それに比べて現在のカタカナ語の、なんと陳腐なことか。「スキ 1 ム」だの「コンセ プト」だの「アイテム」だのと、醜悪の極みである。だいいち何を意味しているのかさ つばりわからない。日本語というのは柔軟性があるから、意味をなさない言葉が入って もそれなりの文章表現は可能だが、しかし、こういった表現方法を安易に許せば、せつ かくの日本語の生能を失ってしまう。こういったカタカナ語は官僚用語に多い。例えば、 恵「スキーム」というカタカナ語は「計画」や「枠組み」といった意味で使われているが、 本来の意は、いかにして既に結論が決まっている所へ巧みに誘導していくか、この誘導 の 本のために練られた「計画」や「枠組み」のことをいう。つまり、敢えて主文を隠したい 日 くときに使う言葉で、平ったく言えば、権力者によるある種の騙し言葉なのだ。一般庶民 ては「スキ 1 ム」などというカタカナ交じりの文章を見ると 、ゝ ) かげんなことか書かれ 改 ていても、「立派に計画された枠組み」とか、「正しい理論の必然としての結論」など 3 と解釈し、ついつい騙されてしまう。 第 また、昨今流行の言葉に「コンプライアンスの遵守」というのがある。「法律に触れ 777

5. 日本史快刀乱麻

たのではなく、知をもって天帝の威を借り、武の象徴である虎を従えたのである。つま り弱い者が強い者に立ち向かう時は、カではなく知を使わねばならない。知さえあれ ば武を押さえ込み、天下をも治められる。これが「虎の威を借る」の本当の世界なのだ。 一般の日本人が何かを話す時、最大に責任を持っことのできる言葉は日本語に決まっ ている。従って、外国の書物や外国人の喋ったことを日本語で解釈するとき、その解釈 に使用する日本語の持っ責任は計り知れないほど大きい。当然、外国語を訳す人は、安 恵易な直訳ではなく完璧に内容を理解した上でなければ日本語に表現してはいけないこと になる。もちろん、外国語に見合う日本語がなければ新たに言葉を作ることになるが、 本ここで最も大切なことは、新たに造語された言葉が、何の説明や解説がなくとも日本人 くに簡単に理解できる性能を所有していることなのだ。 779

6. 日本史快刀乱麻

「銀シャリ」の深い意味 今はあまり使わなくなったが、おコメのことを「銀シャリ」という。この銀シャリと いう一言葉、どうも戦後間もない頃にできたようなイメージを、みんなが持っているよう な気がする。事実、「広辞苑」にも、こう書かれていた。 〈銀舎利 ( 「しやり」は俗に米粒の意 ) 白米の飯。一九四〇年代、わが国の食糧不足 の時代の語〉 でも、銀シャリは、その語源をよく考えれば、決して一九四〇年代に生まれた言葉で はなく、その起源はもっとずっと古い。 確かに終戦直後の頃、白米は非常に貴重だった。尊いという意味を込めて白米を銀シ 3 「幽玄・侘び・寂び」に秘められた謎 2

7. 日本史快刀乱麻

ホシをつなげて一つの言葉として使うのは誤りなのである。従って、「雲母、星の如 く」の意味は、星明りのように小さくキラキラした才能、チラチラはするが目立たない 才能、見てくれはよいがしよせん金の輝きとは異なる雲母というニセの輝き、こんな意 味合いなのだ。ただ、そういう意味でいうと、もしかしたら森前首相は正しい意味合い で使っていたのかもしれないが : 説「鯖を読む」と「時そば」 現代の我々は、言葉を不必要に深読みしてしまい、元の意味とは全く逆に使うケース の 引かよくある。 ことわざ 懈例えば、「鯖を読む」の諺も、今は全く間違って解釈されている。 これも「広辞苑」を引いてみると、こうある。 用 誤 〈 ( 鯖を数えるのに、急いで数をよみ、その際、数をごまかすことが多いところからと 章 いう ) 得をしようと数をごまかす〉 第 そうではない。本当は「他人を思いやる」という意味なのだ。「数をごまかす」のに 9

8. 日本史快刀乱麻

「張子の虎」の本当の主眼は、張子と見破る深い洞察力の方なのだ。見てくれに騙され ずその正体を深く見よ、「張子の虎」が真に示唆しているのはここなのだ。玩具の張子 の虎はこの意を受けて作られたもので、誠に教訓的な玩具なのである。 現代の雑駁な乱用 : 現代の言葉遣いでどうにも嘆かわしいことがもう一つある。「読み」の誤りだ。特に 許しがたいのは、「大舞台」のことを平気で「おおぶたい」などと言うこと。「大舞台」 は「だいぶたい」以外の読み方はない。 , 後醍醐天皇の第一皇子「護良親王」は「もりな が」であって「もりよし」ではないし、その護良親王の異称である「大塔宮」も「だい とうのみや」が正しく「おおとうのみや」ではない。 悪いのは Z の大河ドラマである。ドラマの中で、根拠がないにも拘わらず、古来 親しまれていた「だいとうのみや」を敢えて「おおとうのみや」と読み、以後、 Z は統一的に、「大舞台」などの「大」がつく一言葉を執拗に「おお」と読むようになる。 やから やがて民放局も席巻され、いかにも識者面した輩が「だい」ではなくて「おお」が正し

9. 日本史快刀乱麻

や短歌に平安期のパワーがないのは、そこに奇麗事ではない人としての極限の精神世界 が失われているからに他ならない。 つまり、平安期の和歌文化は、現在の和歌や短歌を 愛でる人には存在せず、むしろ出会い系サイトに熱中し、ここで恋愛ゲ 1 ムに浸る人妻 や若者達にこそ継承されている。また、メ 1 ルに使われる本人同士にしか知りえない マークや絵文字は、全く新しい造語、或いは独自の表現方法ともいえ、ここにも平安和 歌との共通性がみられるのだ。 長崎通詞の優れた造語力 とよはたぐも たまゆら 「万葉集」には「玉響」「豊旗雲」「ぬばたま」など、今となっては難解な言葉がたく さんあるが、それは感性、感覚、情熱だけで造語された、和歌文化の美しい残骸でもあ る。一応の解釈として「玉響」は玉が触れ合ってかすかに音をたてるところから、「一 瞬」の意味。「豊旗雲」は、旗のように大きくたなびく美しい雲。「ぬばたま」は、「烏 ばたま 羽珠」から黒にかかる枕詞とされるが、この解釈が正しいか否かは別として、どの言葉 の読みも、ただもうその響きだけで、いかにも情緒に溢れているではないか。 7 ノイ

10. 日本史快刀乱麻

もくろみ ルが日本の定型詩を爆発的に膨張させた。当時の文化人たちの目論見は当たり、あらゆ る階層の人たちの定型詩が溢れ、日本人は歌を詠み交わすことでコミュニケーションを 発生させ、どんどん日本語の語彙を増やしていった。特に、日本定型詩の最上位に位置 付けられた和歌には厳しい規則が課せられ、たとえどんなに優れた歌でも自分自身で創 作した造語、或いは独自の表現方法が盛り込まれていなければ和歌として認めなかった ほどである。平安貴族は日本語の語彙や表現方法を増やし豊かな日本語を作るため、懸 命に和歌を奨励したのだ。 新しい和歌が一つできれば、新しい言葉や新しい表現方法が一つ増えていく。そして、 日本文字は必ずしも臨書するものではなく、自らの内に湧き起こった心情を新しい言葉 に創り上げていくものへと成長した。 既にある文字で空想を膨らますのではなく、逆に空想したものを表現するのが日本文 字である。日本文字の発明があって、日本人の空想はさらに広がっていく。和歌によっ て日本語の語彙は爆発的に膨張したが、それは実にダイナミックな変化でもあった。 ノ 72