雪洞 - みる会図書館


検索対象: 死者は還らず : 山岳遭難の現実
32件見つかりました。

1. 死者は還らず : 山岳遭難の現実

十三時ごろ。はほとんど意識がなくなり、背負おうとしたが、重くてできなかった。 co は、 近くでうろうろするだけで、他人にかまう余裕がなかった。 十四時ごろ。を雪洞 ( 竪穴、深さ三十センチくらい ) に入れる。「眠くなっちゃった」と言 ったは、の雪洞に足を入れ、雪面に腰掛け、シュラフを体にかけてうつらうつらしていた。 に「寝ちゃだめだ」と言ったが、は「ここでいい」と言って寝てしまった。 co も眠いと一言 いだしたので、彼女のための雪洞を掘った。をシュラフに入れ、雪洞に入れてやったが、あ とで気がつくと、シュラフから出て寝ていた。 救助を要請に行く話も出たが、つぎつぎにメンバーが弱っていくので、その対処をするのが 精一杯だった。この間坂根が「自分のザックを飛ばされた」と言い、探しに行き、回収してき ( * 坂根が下った地点は、尾根上に比べればほとんど風のない谷側斜面だった。また地形的にも、 劇 悲 雪洞が楽に掘れる場所だった。しかし坂根は、そこをビバーク地には選ばず、再び皆の元に戻 の え っている。おそらく坂根は、カ尽きていくメンバ 1 の姿と猛吹雪を前にして、冷静な判断がで ゅ たきないほどパニックに陥っていたと思われる ) す十五時三十分ごろ。坂根に救助の要請に行かないのかと聞いたら、「今日 . はもう遅いし、雪崩 楽 の危険もあるので行かない。ここに雪洞を掘って、お湯を沸かそう」と指示された。の横に

2. 死者は還らず : 山岳遭難の現実

「自分はもっている」と答えた。 饗庭の死を確認したあと、藤井と目片は帰幕を強行しようとしたが、視界が悪く、十メ 1 ト ルも行かずにすぐに引き返す。この後、藤井は目片から「 ( 自分と河津は歩けそうもないから ) ーを渡された。 帰るなら一人で帰ってくれ。後は頼むぞ」と言われて、トランシー 藤井はその後、「なんとかしなければ」の一念で、そばにあったスコップで雪洞を掘り始めた。 「まったく初めてで、掘り方も何も知らなかった」が、ただがむしやらに掘った。その間二人は、 目片がツェルトの上に腰掛け、河津は雪面にうすくまったまま「早く雪洞に入れてくれ」と震 えながら訴えていた。 一つ目の雪洞はすぐに壊れたが、十一時ごろに大きめの雪洞を掘り終え、藤井は一一人を収容 した。河津は歩けないほどに衰弱し、目片も相当に弱っており、一一人とも関節が思うように動 かない様子で、這って雪洞に入った。 その後十三時ごろに、藤井は自分用の雪洞を二人の右横に掘り終え、なかに入った。トラン シ ーバーは故障していて使えなかった。十五時ごろ、隣の雪洞の目片から「大丈夫か ? 」との はっきりした問いかけがあり、藤井はこれに「おー」と答えた。だが藤井は、雪洞に入るとき の二人の状況から「どんなにもっても三人とも ) この日の夜には逝くだろう」と感じていた。 翌二十三日。外は風雪でホワイトアウト ( 視界が一面白色で何も見えない状態 ) 。隣の雪洞に

3. 死者は還らず : 山岳遭難の現実

コツへルで雪洞を掘ったが、雪が固く、途中から木も出てきたりして、なかなか掘れなかった。 時刻不明。坂根が、またザックを飛ばされたと言って探しに行ったが、見つからなかった。 時刻不明。完全に暗くなっていた。雪洞を掘っている最中だったが、 0 が中に入りたがった カスパーナ 1 は、ジョ ので、それ以上雪洞を掘ることをやめ、 0 と z の二人でなかに入った。、 イントが曲がっていて使えなかった。 O が「手の色が変わってきちゃった」と言い、彼女の手 を見ると、凍傷のために黒くなっていた。「明日、病院で見てもらおうね、と言った。坂根のた 坂根は目が見えないようで、それを崩してしまった。 めに雪洞を掘ったが、 夜。は坂根に「迷惑かけて申し訳ない。ばくたちはもうだめだ。みんなによろしくね」と 言われた。 翌二月十四日。意識があったのは、、 z 、 O の三人だけだった。そばの雪洞の、坂根、、 、 co のそばに行き、声をかけて体を揺すったが、返事はなかった。四人とも、体は固くなっ ていた。 出発するために「 O さん、早く行こうよ」と呼んだが、 O はなかなか雪洞から出てこなかっ 、 ? ーと聞かれ、「いいよ . と言った。 た。 O に「トイレできないから、ここ ( 雪洞 ) でしてもいし 、。、いい , 、も、ない 1 レ、 しっしょに出発しようと誘ったが、「私、もうここでいい動けそうもなし Z さん、親切にしてくれてありがとう」と言われた。も「ここにいたんじゃ、みんなと同じ

4. 死者は還らず : 山岳遭難の現実

がなかったので、具体的にどうなるのか、実感がなかった」と。 ならばなぜ、もっと用心深くならなかったのかそれ以前に本能が、なぜ危険信号を発しな かったのか。椎名と話していると、彼らの身につけた山登りが、あまりに脆弱に思えた。 <0 の椎名、ルート工作隊の饗庭、目片とも、二つ玉低気圧への正確な認識をもたなかった ークを余儀なくされた。 結果、ルート工作隊は深入りし、引き返し時刻が遅れ、烈風地獄のビバ ークに入ってもなお、工作隊リーダーの饗庭が「この程度のビハ 1 クに非常用セットを使 うまでもない」と言い切った状况認識の甘さが、今となっては切なく悲しい。それにしても、 なぜ饗庭はツェルトではなく、雪洞を掘らなかったのか掘って掘れない場所でなかったこと は、藤井が翌日、三人分の雪洞を掘っていることからも明らかなのに。 藤井によれば「饗庭さんと目片さんは、始めは雪洞を掘ろうとしたのだと思う。でもバケッ を掘っていて、ハイマツが出てきたために、あきらめたのだと思う」という。ビバーク地点が、 すぐハイマツが出る場所だったことは、遺体捜索時、実際に現場を掘ってみた遠藤監督も認め ている。しかし、ビハ ーク決定時点で天候は相当に荒れており、これからより厳しくなる夜を ず迎えることを考えれば、日没は迫っていたにせよ、なにがなんでも雪洞を掘ってしかるべきで 、り 知はなかったか。ツェルト一枚で吹雪に耐える苛酷さと、どんなに外は吹雪いても中は快適な雪 洞の差を認識していれば、たとえ深夜になろうとも、雪洞を選択するのがリ 1 ダーの判断では

5. 死者は還らず : 山岳遭難の現実

声をかけたが、返答はなかった。雪洞内は、まったく音がしない別世界だった。藤井は「絶対 に帰るんだ」と自分に言い聞かせつつも、うつらうつらの状態のなか、しばしば夢を見た。布 団で寝ている自分、電車が走る町並みなど、見る夢は下界の生活ばかりだった。ふと目覚める と、自分は着のみ着のままで雪洞に横たわっており、その落差が大きすぎて「夢を見るのがい ちばん嫌だった」。水分は一切とらず、チョコと飴を少々食べた。 明けて二十四日。薄日がさしていた。藤井は、意を決して帰幕を開始した。雪洞の外に出る と、雪面に饗庭の遺体が横たわっていた。横の雪洞の二人も、前日から何回か呼びかけていた が応答がなかったので、「もう、だめだろう」と思った。このとき初めて、藤井は三人が死んだ という事実を実感し、「怖さが心底からわいてきた」。 十三時三十分、ビバーク地を出発。十五時五分、アタックキャンプ着。 <0 で、テントの外 にいて藤井を出迎えた椎名によれば、「藤井はフラフラと歩いてきて」、「誰だ ? 」「どうした ? 問い、けに、愕然とする一言を吐いたという 「 : : : みんな死んだ」 す二月二十四日深夜、三人の遺体は早稲田大学山岳部と富山県警山岳警備隊からなる救助 ら 知隊によって発見され、天候が回復した二十八日、ヘリコプターで収容された。死因は三人とも、 剱 凍死であった。

6. 死者は還らず : 山岳遭難の現実

道迷い た時間感覚が追い打ちをかけてきて、「戻ったほうがいい」「少しでも早く引き返したほうがい い」とは分かっていながらも、すぐにでもタ方になり、夜の闇がそこまで迫っているような気 がして、足はなせか、下へ下へと向かった。今にして思い返すと、あのときの心境は、パチン コで負け続けて悔やしさのあまり我を完全に忘れてしまい、最後の電車賃までつぎ込んでしま う最悪の精神状態に近かったのかもしれない 自分に立ち返る瞬間が、ただの一度もなかった。 やがて屈曲した谷底に着いた。谷幅は五メ 1 トルもないほど狭かった。周囲の斜面のあちこ ちに、今にも崩れ落ちそうな亀裂が走っていた。みぞれ交じりの雪が降り続き、相変わらず視 界はほとんどきかす、屈曲点の先に何があるのか、私には知識がなかった。 この時点で初めて、私は真剣にためらった。せかされるように続けていた行動をやめ、頭が 冷静に働いた。ここで雪崩れれば、まず間違いなく死ぬ。こんなところで埋まってしまえば、 まず見つかる保証はない。さてどうする。ビバークして救助を待っか ? だがビバーク装備は コンロはおろか、今夜一晩の食料さえない寒さをしのぐツェルトも、雪洞を掘るスコ しゃ待て。この先に滝さえなければ、下った ップもない。今の体力では凍死はまぬがれない。、 この先にひょっこり、立山川沿いの平坦な道があるか 距離からいって馬場島はそう遠くない もしれない。突っ込むか ? 突っ込んで雪崩にやられてこんな谷底で命を落とすのか。今死ん

7. 死者は還らず : 山岳遭難の現実

なかったか。すぐ横に掘れる場所があり、しかもスコップが二本もあったのだから。 饗庭と目片の山行歴を見てみると、饗庭は高校時代に低山での雪洞経験があったということ だが、大学では両名とも、雪洞経験もビバーク経験もほとんどもっていなかった。早稲田大学 山岳部自体、伝統的に「這ってでも帰幕する。を旨としており、それ以前に、悪天時は行動を ーク訓練や雪洞訓練を合宿に取り入れていなかった。 控えるのが原則だったため、部としてビハ ークする 言ってみれば、饗庭にしても目片にしても、三〇〇〇メートルの稜線で烈風下にビバ 経験は、初めてだったのだ。 富山県警山岳警備隊で、小隊長を務める西本隆夫は言う。「人間、極限に近い状態に追い込ま れると、身についたことしかとっさにはできないものだ」と。あくまで結果論であるが、私も 西本の指摘が、ある程度当たっているように思う 饗庭、目片とも、ル 1 ト工作引き返し以降、現在地点も分からす、進んだ距離を八百メート ルも誤認していた状況からみて、かなり精神的に動揺していたと思われる。そうした状況に加 え、初めて経験する三〇〇〇メートルのビバークで「身についたことしかとっさにできない 経験の無さが災いして、二人の頭のなかには「ビバ 1 ク・イコ 1 ル・ツェルトという発想し か思い浮かばなかったのではなかったか。ツェルトが飛はされて以降、生きるか死ぬかの瀬戸 際に追い込まれてもなお、なす術なく吹雪に耐えていた彼らの経験の未熟さが、私には哀れで

8. 死者は還らず : 山岳遭難の現実

0 ( 女性、三十七歳 ) 、 z ( 女性、四十三歳 ) 、 ( 男性、三十八歳 ) 、そして坂根 ( 六十八歳 ) である。年齢はいすれも事故当時のもので、以下の記述の内容は二人の生還者、 Z とによる ものである。 * 印は、筆者注である。 十三日八時ごろ。雪洞の外に出る。すごく寒か 0 た。視界は数十メートル。ものすごい風 銀マットを飛ばした人もいたようだった。 十一時三十分ごろ。このころからが遅れ始めた。 十二時三十分ごろ。 ( 以外の六人は白浜を過ぎて風の弱い樹林帯に達したが ) はまだ白浜 のすぐ南にいた。しかしフラフラの状態で、なかなか来なかった。坂根が「が疲れているの で、避難小屋までは絶対に登れない。滑川に下ろう」と言い、のいる地点に戻った。のそ と言った。坂根が「救助を要請しよう」と言い、ビハ ばに行くと「もうだめ、私、動けない ークポイントを探しに行った。もそのうちに「私も眠くなっちゃった」と言い、坂根がいる 方に向かった。は、最初のうちは声をかけると「うん」と言 0 ていたが、座り込んで十分ほ どで「私、だめみたい」と言った。 ( * 全員が、最も風の吹きすさぶ白浜の尾根上で、立ち往生する状況に追い込まれた。風を防ぐ ツェルトはなく、雪洞を掘ろうにも、あるのはコツへルだけだった。この時点で z は「もうだ と思ったとい、つ ) めかもしれない

9. 死者は還らず : 山岳遭難の現実

督 監 も、そもそもリ 1 ダ 1 自らが、自問自答して考えることではなかろ、つか この意味でリーダーのを見てみると、あくまで結果から判断することだが、はパーティ が清水平に達したとき、まだ十分に行動時間がありなから、安全な幕営態勢を確保しようとせ 1 ティの二名が死んだあと、たっ ず、半端な半雪洞を掘っている。しかも雪洞が崩れ落ち、 た一晩のビバークにも耐えられずに、自らも命を落としている。この二点の事実からだけでも、 おそらくは、事の次第に気が動転してしまい、初めて経験するような吹雪と、二人を死なせ てしまったことへの自責の念から、ある意味で、自ら死を選択するような形でカ尽きていった のではないかと推測できる。の行動の痕跡には「なにがなんでも生還してやる」という強い 意志はうかかえない つまりには、あくまで結果論に過ぎないが、悪天候に対する対処能力 も、生死の極限を生き残る力も、なかったということだ。 ここで一一一口う。私は東洋大学山岳部のである。冒頭に記述した「バカタレどもが」とロ走 った本人である。私はとは、彼が二年生のときに、一週間の山行をともにした。私から見た は、一言でいえば稀に見るいいやつだった。感受性豊かで、すれたところの一つもない、ク ソまじめすぎるほどの、驚くほど気のやさしい好青年だった。間違いなく好きになれるやつだ った。だがそんなの、男としてはやさしすぎる性格が、私には少なからす気がかりだった。 いざ生死の局面に立たされたとき、しぶとく生き抜く力がはたしてこの男にあるのだろうか 163

10. 死者は還らず : 山岳遭難の現実

て傾斜が落ちた雪面からまず散乱した遺留品が現れ、そこを掘り進むと次に崩壊したテントが 現れ、最終的に、テントそばに横たわる、枕を並べた二名の寝姿が現れた。このとき初めて、 ーティの行動概要を記したの日記も発見され、日記と二名の発見状況から、事故は次のよ うに起きたと推測された。 東洋大学三名パ 1 ティは、八八年十二月三十一日に清水平に達し、吹き溜まりでできた斜面 に半雪洞を掘り、そこにテントを張っていた。しかし夜半になって、なんらかのアクシデント で雪洞の天井が崩れ落ち、三名はテントごと埋められた。このとき、はテントを切り裂いて 脱出し、二名を懸命にテント外に引きすり出したが、二名はすでに絶命。はその後、烈風の ークでカ尽きた、と考えられた。二人の寝姿は、なんらかの人為的措置が講じられたと思 われる形で整然と並べられ、まるで仮眠中に死亡したようだった。 の日記の最後には「夜中 ( いま ) 、外は非常に風が強い , とだけ記されてあった。 事故の直接的原因はともかく、山岳部関係者一同は、同じ稜線上の、わずか数メートルの距 離に二人が眠っていたことに「唖然」とした。一月の捜索時、二人が眠っていた場所は高さ十 数メートルの傾斜のきつい斜面で、そこに二人が埋まっているなど、誰ひとり想像だにしなか った。せめて、遺留品の一部でも斜面に顔を出していたらすぐに発見できたのにと、誰もが歯 ぎしりを咬んだ。発見にいたる半年で、高さ十数メ 1 トルあった小高い丘は、わずか二メート