うなず 彼女のやる気が出るのならと頷いた。時々素直な彼女がかわいいと思う。妺がいたらこんな 感じだろうかと、西野は田 5 っていた。 「ふうん。中学三年生」 あかねいろゅうひ 茜色のタ陽をバックに、きれいな男が一言う。夜空の下でもタ陽の中でも、どこにいても絵に なる白川なのだ。 「責任は重大って感じだな」 昨日の様子を思い出しながら、西野は笑った。ご褒美が欲しいなんて、まだまだ子供なんだ なあと思ったのだ。 入試の時期が近くなってきたので、家庭教師のバイトを週一日から二日にして欲しいと言わ れた。別に他に何をするわけでもないし、帰りはたいてい白川と一緒になるので、あまり不自 由も感じす、一一つ返事でした。 白川とは、週に一回くらいのペースで飲みに行く。西野のアパートには、あれ以来来ていな しゅうらい いが、来たら来たで、アパート の住人の襲来を受けてしまう可能性もある。のんびりするに きび は、ちょっと厳しい状况だ。
合気道も習っているなんて。 「段とかあるの ? 」 「あるけど。でも、試合とかはないんだよ」 「そうなんだ ? 「うん。演武会とかはあるけどね」 ようやくのことで部屋に着く。どうやら、そろそろ他の部屋の住人も、実家から戻ってきて いるらしい 「お、戻ってきたか」 かぎ 鍵を開けている最中に、隣のドアが開いて小池が顔を出す。 「お久しぶりです」 「こんにちは」 かげあいさっ 西野の陰で挨拶をした白川に、小池が目を細めて笑った。 「何だ、一緒に旅行でも行ってたのか ? 」 「違いますよ。駅で一緒になったんです」 「たまたま ? 「 : : : 違うに決まってるでしよ」 何となく、小池の言い方が気になってムッとして返すと、彼はからかうような顔で笑ってい
「場所は ? 」 白川の問いに、一一人は声を合わせた。 「当然、安い居酒屋 ! 」 本当に、どうしてこの二人は、こういうときはかり気が合うんだろうか まね 「ちょっとお、市原、真似しないでよ . 「真似って言うか ? 今のは同時だっただろ」 言い合っている一一人のあとを、白川と一緒に歩く。白川は、おもしろそうにクスクス笑って 「西野の友達、おもしろい 「なあ」 「何 ? 」 「そろそろ、俺の友達とかって言うのやめないか ? 」 言葉の意図がわからないような顔をして、白川が小首を傾げる。 石 「だから。こんなに何回も一緒に会ってるんだから、俺だけの友達しゃなくて、白川の友達に のしてやってもいいんじゃないのかってこと」 「 : : : あ、そう、かな ? 」 とまど 戸惑いのあとに、ゆっくりと喜びがやってきたみたいな表情だ。 101 かし
自分を呼ぶ声もする。 「西野、開けていい ? 身近で、柔らかな声もする。 「いないのかよ ! 」 ドシン、という大きなノックで、懾てて飛び起きた。 「えつ、なんだっけ ? 」 鞄は開いてもおらす、分厚い上着も着たまま。ただ、布団だけは体の上に掛けてあった。 「あれ、これ白川が ? 」 「寝てるとき、寒くって」 べッドの上の布団を掛けてくれたみたいだ。 で眠ってしまったのだろう。 かぜ 「あ、風邪ひいていないか ? ー 「大丈夫だよ」 石 「うおーい、西野、いないのか 5 ? 」 の先刻から大騒ぎしている小池の声に、やれやれと頭をかく。 「今何時 ? 」 「八時過ぎ」 175 : ということは、彼も並んで、一緒に畳の上 ふとん
ためしゃないと思いたい西野なのである。 部屋では、せつかく買い出しに行ったにもかかわらず、小池が大いびきをかいて眠ってい た。かろうしてあくびをしながら待っていた林田が、 「お帰り、俺は部屋に戻るわ」 と言って帰っていく。 「なんだよなー、せつかく買ってきたのに」 ブップッ文句を言いながらも、いつものことなのであきらめて、小池に布団を掛けてやっ た。やっと二人だけ ( もう一名眠っているが ) になった室内の空気は、ようやく通常の温度に なってきた。 「ま、俺たちも眠るか」 「ここで ? 」 白川がべッドを示す。 「だって、もう布団これしかないし。あ、誰かと一緒しゃ寝られないとか ? 」 石もしかしたら白川は、その程度には神経質なのかもしれないと思ったのだが : 「平気だけど」 水 本当は、俺の方が平気しゃないかもしれないけど : ・ そうは思ったが、西野はそんな気持ちはおくびにも出さない。
「小池さんも、それでいいですか ? 」 「いい。もちろん」 「その代わり、今日はいい酒持ってきてくださいね」 それくらい当然だろう、というロ調で言った西野に、小池は思わすその場で腕組みしてしば らく考え込んだ。それから頷き、きびすを返した。 「銀行行ってくる」 「よろしくお願いしまーす」 あとを追った林田も一緒に見送り、西野はにんまりしてドアを閉める。 「ええと ? 」 状況が良く飲み込めない白川に、西野が笑う。 「アパートの連中と飲み会。白川も参加でいいだろ ? 眠くなったら、好きなときに寝ていい から」 「この部屋で ? 」 「うん。うるさいと眠れない方 ? 」 「それは平気」 「あ : : : 勝手に決めて、迷惑だった ? うれ いまさら 今更ながらに思い至った西野に、それはない、と白川が首を振る。そして、少し嬉しそうに いた
ゃなく、ただ、相手の目を見て話をしたいだけなのだ。 「結局、人間が伝えていくわけだから」 「伝言ゲームだな」 西野の例えに、白川が笑った。 「そうかもしれない」 から かき なま 殻付き牡蛎が大皿に盛られてきた。敷き詰めた氷の上に、生牡蛎が四つ。 ぜいたく 「んー、学生にしては贅沢な気がする」 しみしみと言った西野に、白川も頷く。 「家族と一緒なわけしゃないからね」 要するに、スポンサーかいないのに、という意味だ。 もみじ しぼ 紅葉おろしを添えて、レモンを搾り、ポン酢を垂らして一口で食べる。 「俺、そう言えは以前は牡蛎が嫌いだった」 「何で ? 」 石「ガキの頃は、うまい牡蛎なんて食ったことないからしゃないかな」 の牡蛎グラタンも牡蛎フライも、本当においしいと思ったことなんてなかった。多分、少し苦 水みを感じるところが、子供の味覚と合わなかったのだろう。 「それとも、大人になった証拠かな ? 」 たと
と答える。電話ではあんなに素直だったんだけどなあ : いと思えてしま、フ。恋する男はバカである。 「置いて行かれる者の気持ちが、ちょっとはわかった ? 」 ハッとしたような顔をして、白川が見つめてきた。 あ、ちょっと深刻にさせてしまったか。 / 声で その表情を見て少し後したが、彼の気持ちを確かめてみたくもある。案の定彼は、ト 「でも、はんのちょこっと離れてただけなのに。っていうか、そんなにいつも一緒にいるのが って思わない ? 」 普通なのかな 「それは、考えたことなかった」 並んで歩きながら、前を見て話す。距離は、約十五センチ。夕方ふたりで待ち合わせ、今は 西野のア。ハートに向かっている途中だ。 石 実家から帰ってきたばかりなので、西野はまだ大荷物を持ったままだ。そして白川は、重た のそうな紙のバッグを持っている。 「それ、何 ? 」 「酒」 : と思うが、今の反応も案外かわい
くせ 思わす子供に言い聞かせるような口調になってしまうのは、俺の悪い癖だなあと思いなが ら、西野が言葉を続ける。 「俺は、白川の電話を楽しみにしてるんだ」 白川が口を噤む。 「白川が見た光景を、白川の言葉で伝えてくれるだろ。多分、俺が見たんしや、ただの風景な んだよ。だけど白川のフィルターを通すと、なんか感動的に思えるんだよな」 『 : : : そうかな』 「そうだよ ? 」 彼の気持ちが一緒に伝わってきて、それが西野を感動させる。たとえ同しものを並んで見た としても、彼が感じているように西野が感しることはできないだろうという意味でもある。少 し残念だが、多分それは事実だ。 だから、自分は残っていると白川に一言う。 「俺は、白川の電話を待ってるからさ」 石 ・・うん』 の「安心して、今まで通りいろんなところに行って来いよ」 どんな顔をしているんだろうな、と思った。少し複雑そうな表情をしているのかもしれな つぐ
144 うれ 夕食の時、父親は少し嬉しそうだった。いつもは女一一人対男ひとりなので、立場が弱いのだ ばんしやく ろう。それともやはり、晩酌相手ができて嬉しいのだろうか。 「家庭教師やってるんだって ? 」 そういえば、父親にはあまりバイトの話をしていなかった。 「うん」 「どうなんだ ? 「中学三年の受験生で、ちょっと責任感じてるよ」 「そりや大変だな」 一一人でビールを飲みながら、ささやかな会話を交わす。家にいたときは、こうして一緒に食 事をすることも少なかったからーー・時間が合わなかったのでーー・ちょっと新鮮な気分だ 「就職とかは、まだか ? 」 「俺 ? ああ、そろそろ考えないとダメなのかな。でもまだ二年だし : : : 三年になってから考 える」 そして結局は、食事の時間まで部屋でゴロゴロすることになってしまう。あんまり有意義じ きせい ゃない帰省かもしれないなあ、と思いながら、西野はうたた寝をしてしまった。