111 水の化石 「うん」 照れくさそうに言っているが、多分少しだけ自慢なのだろう。だから、すんなりと通知票も 見せたのだ。 「おめでとう、だな」 「別に、高校に合格したわけじゃないのに」 「それでも上がったろ。とりあえす、第一弾のおめでとう、だよ」 優美が照れくさそうに笑った。 「これで俺の首もつながるってわけだな」 「先生、自分のことしか考えてないわけ ? 」 「違うだろ。これからもビシピシしごけるってこと。さ、頑張りついでに答え合わせな」 優美が結果を出してくれたことが、せめてもの支えになる。頑張れば、結果が付いてくると いういいお手本だ。 彼女に、ちょっとだけ元気をもらった。自分も、もう少し積極的に、そして素直にならなく てはと思い直す。 この前、この家を出たときには、白川の従姉から電話をもらって衝撃を受けた。今日は、自 分から白川に電話をしよう。そして、彼に会いたいと伝えよう 「先生つ」
ゃなく、ただ、相手の目を見て話をしたいだけなのだ。 「結局、人間が伝えていくわけだから」 「伝言ゲームだな」 西野の例えに、白川が笑った。 「そうかもしれない」 から かき なま 殻付き牡蛎が大皿に盛られてきた。敷き詰めた氷の上に、生牡蛎が四つ。 ぜいたく 「んー、学生にしては贅沢な気がする」 しみしみと言った西野に、白川も頷く。 「家族と一緒なわけしゃないからね」 要するに、スポンサーかいないのに、という意味だ。 もみじ しぼ 紅葉おろしを添えて、レモンを搾り、ポン酢を垂らして一口で食べる。 「俺、そう言えは以前は牡蛎が嫌いだった」 「何で ? 」 石「ガキの頃は、うまい牡蛎なんて食ったことないからしゃないかな」 の牡蛎グラタンも牡蛎フライも、本当においしいと思ったことなんてなかった。多分、少し苦 水みを感じるところが、子供の味覚と合わなかったのだろう。 「それとも、大人になった証拠かな ? 」 たと
「へええ、入院してたんだ」 「どうして ? 」 はるの しらかわこんわく 春野に訊かれて、白川は困惑した表情をした。答えるのか答えないのかーーーそう思って彼の うかが 顔を窺ってみるが、ロは開かない。どうやら一言わないつもりらしい くも カフェテリアの外では、冷たい風が吹いているらしい。時々、外の木が揺れているのが、曇 った窓ガラス越しに見える。そう一言えば、カフェテリアの入口にも、小さなクリスマスツリー が飾ってあった。 石室内は暖房が入っているので暖かいが、外は思わず肩をすくめてしまうくらい寒い季節にな のってきた。 「あ、人に聞かれたくない病気ーーー」 いらない気を回した春野が言った。西野はニャニヤしてしまう。不名誉な病名だと思われる にしの
162 後ろから見ているにもかかわらす、彼の表情が手に取るようにわかった。 眼前に広がっているその漣の模様に、彼は目を奪われていた。自然の造形物に対する畏敬と しようけいひとみ 憧憬を瞳に宿して、子供みたいな表情でただ見つめている。 彼がふと振り返り、ロを開いた。 ほら、これが : 「うん、リップルマーク」 そう答えると、白川はとても嬉しそうに、 いつものきれいな笑顔をよこしたのだ。
114 「久しぶり」 『うん』 しらかわ 白川から電話が来なかったのは、このままフェイドアウトしたいという意思表示だったのか もしれないと思ったこともある。だが、彼はそこまで器用しゃないし、多分、西野に対してど んな態度をとっていいのかわからなくなっていたのだと、勝手に理解した。 「最近、会わないな」 : ・うん』 「もう俺と会いたくない ? 」 『そうしゃない、けど』 電話越しに久々に聞く白川の声は、何だか少し弱々しい感しだ。だけど、話しかければちゃ んと答えるのはいつもの彼で、西野は少しだけホッとしていた。 「この前のことは、悪かったと思ってる」 にしの
「腹減らない ? 」 「何か食う ? つつっても、ラーメンくらいしかないけど。選択肢としては、インスタントか カップラーメンかってとこだな」 宴会が始まる前に、胃に何か入れておいた方がいいだろうと思った西野がそう訊いたとき、 、と答えた。 白川はインスタントカいし アトの畳の上で白川がラーメン食ってる姿って : ・ ふう この上もない違和感。だが当人は、そんなことちっとも気にならない風である。 「西野、ラーメン作るのうまいね」 などとのんきなことを言いながら、本当に美味しそうにラーメンをすすっている。こんなこ とくらいで喜んでくれるのなら、何度だって作ってやるさと思う。 「インスタントだよ ? 」 「うん。でも俺、作れないなあ」 「坊ちゃんだな」 「うーん、そうなのかな」
思い切り何か言いたそうな表情だ 「恋人の目だ」 と市原。 あまず 「甘酸つばい気持ちだわ」 と春野。一一人に言われて、恥すかしいやら照れくさいやらで、不覚にも顔が熱くなってしま 「うるせーよ」 「で、白川君は今どこにいるの ? 」 「和歌山」 「ふうーん : : : 和歌山って、何があるんだ ? 「リップルマークってのを見に行ってるんだってよ」 「何それ ? 」 そろ 一一人揃って小首を傾げられても、もちろん西野も答えられない。 「俺だって知らない。今日帰ったら調べてみる」 一応、パソコンで検索してみようと思った。白川が何をその目で見ていたのか。そんなに感 動するような光景だったのかを。 「で、今日は飲みには : つ、」 0 かし ふかく
176 「マジかよー。起き抜けに酒 ? 」 ばやく西野に、白川は笑いながら立ち上がる。 「開けるよ」 「うん」 相変わらすばんやりして座ったまま答えた西野に、白川は玄関のドアを開けた。 「あれ、西野どうした ? 」 「いますよ」 白川はばヘーっとした西野を示す。一番乗りは、やつばり隣室の小池だった。 「寝てた ? 」 「はあ」 「上着を着たままで ? 」 「 : : : はあ」 「そうか。俺はてつきり、服を着てないから開けられないのかと思った」 ニャッと笑って、ほんやりした西野と、小首を傾げた白川を見比べている。 それならそれで、そっとしておこうって考えは、この人にはないのか : 「まあ、当分そんなことなさそうか」 げせわ 小池の下世話な発想に、西野はため息をついた。
何となくイメージが擱めた。 「それが見たかったんだ ? 」 『うん。本当は、水の化石を探してたんだけど : : : 水自体は、化石にならないのかな』 もちろん西野にそんな知識はない。 「どうだろうな」 『すごいよ。波打ち際みたい』 「へえ」 話している白川の表情を思った。きっと目をキラキラさせて、目の前の光景を見つめている うれ のだろう。そんなところから連絡を入れてくれたことが、すごく嬉しい。きっと彼は、西野に その光景をいち早く説明したかったのだ。 『明日は、多分四国に行く』 「四国にも、そのリップルマークってのがあるのか ? 『うん。また電話するよ』 石「わかった。ちゃんと充電しとけよ」 の西野のからかうような声に「わかってるよ」と答えて、電話が切れた。ふと振り向くと、友 水人一一人がニャニヤしながら立っていた。 「 : : : なんだよ」 つか
白川は否定しない。自分が甘やかされて育ったという自覚は、ある程度あるようだ。 「一人暮らしなんて、絶対にできないだろ」 そう言った西野の顔をしっと見返して、にこりと笑った。 「そうしたら、ここに転がり込む」 「俺に食事を作れってか ? 」 「少しすっ教えてもらうよ」 あや 向上心もあるらしい。もっともそれが本気で言っている言葉なのかどうかは、はなはだ怪し いところだが。 ほうちょう 「包丁持ったことあるのか ? 「 : : : 授業で」 「いつだ、そりや ? 」 「・ : : : : 中学のとき」 どうせまた何か突っ込まれるのだろうという心構えをしながら、白川が答える。何か言おう 石と息を吸った西野だが、彼の顔を見てあきらめた。 の「ま、そんなところだろうな」 水 どんぶりの中身をきれいに平らげた白川を誉めてやるように、ばふっと頭をおさえると、ま うわめづか るで猫か何かみたいに上目遣いで西野を見る。