「仲、悪かったのか ? 」 「そういう訳じゃないけど。じっちゃん、どこか俺と距離を置いてるような、そんな感じがあ たてごと ったんだ。生活に必要なこととか、竪琴を教えてくれるとき以外は、あんまりそばにいなかっ でも、もっと俺から話しかければよかったのかもし たし、名前もつけてくれなかったし : れない」 シルヴィ ? 」 うつむいたまま黙り込んでしまったシルヴィに、ヴィラローザは近づいて声をかけた。一 瞬、泣いているのかと思ったのだが、顔を上げたシルヴィは、照れたような笑みを浮かべてい ( 0 「いや : 、今まで一度もこんなこと思ったことなかったのに、不思議だな、と思って」 「不思議がることはないさ。人間ってのは、時と共に変わってく生き物なんだから」 のうり そうロにしたとき、ヴィラローザの脳裏に、自分のせいで変わってしまった懐かしい人の おもかげ 面影がよぎった。いたたまれなくなり、軽く唇をかむ。 退屈で単調な神殿暮らしの中で、剣という生きがいを与えてくれた国一番の剣士。師であり 浄 兄であり、心ゆだねられる特別な存在だった。神子姫の身分を捨ててベルシアの神殿を飛び出 あこが % したのも、彼に憧れ剣士になりたかったからこそ。 リ・ルエ
245 浄化 終章 風に導かれるまま、ヴィラローザは森の中 を駆け抜けていた。だが、いつもに比べて足 取りがあまりにも重い。いくらも進んでいな いというのに、息は荒く、表情も苦痛に歪ん でいた。 「くっ : 風に遅れまいと歯を食いしばるが、足元か ら突き上げる振動に、胸の傷が悲鳴を上げ る。生きていたのが不思議なほどの傷。オリ かんち ハルコンのカでふさがったとはいえ、完治し ている訳ではないのだ。 けん きた 立ち上がって歩けるのも、鍛え抜かれた剣 士なればこそ。普通の者ならば、身を起こす のが精一杯だろう。それをいきなり走るだな むぼう どと、無茶も無謀もとっくに通り過ぎてい ( 早く、早く追いっかないと : : : ) ゆが
122 第四章 たてごと ねいろ 竪琴の澄んだ音色が、輝きを増した月に吸 い込まれていく。優しく柔らかに、そして切 せんりつ なく心に染み人る不思議な旋律。 ぞうけい ロシュは決して音楽に造詣の深いほうでは なかったが、風に乗って聞こえてくるこの音 には心惹かれるものがあり、知らず知らずの うちに耳を傾けていた。 ( 誰が弾いてるんだろう ? ) どこか懐かしさをかき立てる音色。指先で きんちゃくもてあそ 胸元の小さな巾着を弄んでいたロシュは、久 しぶりにその中身を手のひらに転がした。 養い親が持たせてくれたごく小さなお守り つや が、銀色の月光を浴びて艶やかに輝く。 ( もうすぐ会えるな : ・・ : ) なっ
102 いたのかもしれない。 だが、奇妙なことはもうひとつある。 「ちょっと、そこら辺を歩いてくるよ」 「あっ、じゃあ、おいらも一緒に : : : 」 腰を浮かせかけたロシュをシルヴィは制し、 「ロシュは念のため、もう少し休んでな」 「ええ、・」 不服そうな声を背にして部屋を出た。 さつぶうけい ろうか めぐ 殺風景な石の廊下は外に面してぐるりと塔を巡「ており、その内側に幾つもの部屋が並んで いる。シルヴィは足を止め、ゆっくりと視線を巡らせた。 ( 内部は全然、見覚えがないな ) きしかん 実は塔に着いたおり、不思議な既視感に見舞われたのだ。シルヴィが育ったのは同じソルの 森でも、もっと奥の国境付近。塔になど、近づいたことすらないというのに : ( 空白の十二年間が、答えを握っているのかもしれない ) しかし、そのことを祖父に問う決心はなかなかっかなかった。
守ってた塔を壊しちゃったから。それ以上に、ねえちゃんのこと傷つけそうになったから わかるような気がした。ロシュにも、自分以上に大切な人がいるから。その人のためなら、 何でもしてみせる。 「だからおいら、後悔はしないからね」 自分に言い聞かせるように呟いて、ロシュは扉に手を掛けた。一度だけシルヴィを振り返 る。 なぐ 「悔しかったら帰ってきなよ。そしたら、殴らせてやるからさ。・ーーー大事な人は、自分で守ら なきゃいけないんだ」 後ろ手に扉を閉めると、ロシュは巾着の血晶石を手のひらに転がした。 もう、エメリアが何をしようとしているのかは知っている。それでも : ( おいらはずっと、エメリア様の味方だからね ) りんかく そのとき、ロシュの目の前で血品石の輪郭がふっと崩れた。そのまま、塵のように空気に溶 化け消える。 ( なつ ) アスローンからロシュの身を守るために、限界に近い力を使ったことは知っていた。あのと き壊れてしまわなかったのが不思議なくらいだと、エメリアが教えてくれたから。 ちり
101 浄化 複雑そうなシルヴィの様子に、ロシュは首を傾げた。 「よかったじゃん。会いたかったんだろう ? 」 あいまい シルヴィは答えず、曖昧な笑みを浮かべただけだった。 帰って来ないほうがよかったのに・ つぶや 確かに聞いた、祖父のあの呟き。おまけに塔についてからというもの、シルヴィはほとんど リヌスと顔を合わせていなかった。リヌスのほうが避けているのは明らかだ。 ロシュさえ倒れなければ、自分をこの塔に連れてくるつもりすらなかったのかもしれない。 それを裏付けるように、リヌスは塔にいる他の賢者たちに、シルヴィらは危ないところを助け てくれた旅人、とのみ説明したのだ。 ( なに期待してたんだろう、俺 : : : ) 祖父に会いたいと思ったのは、自分について知りたかったからだ。生きているとは知らなか ったし、よしんば知っていたとしても、抱き締めて会いたかったと涙してほしいなどとは思わ なかったはずだ。共に暮らしていたころから、そういう親密な関係ではなかったのだから。 では、なぜ、今こんなにも落ち込んでいるのだろうか。不思議だった。自分の感情が理解で きない。 ( ロシュに感化されたのかな ? ) おくめん 臆面もなく、養い親を大好きだと言ってのけたロシュ。無意識のうちに、自分を彼と重ねて かし
に迎えてくれて : : : 」 大切なのは、心がひとりじゃないということ。帰る場所があること。待 0 ていてくれる人が いるということ 養い親のことを語るロシは、とても嬉しそうだ 0 た。本当に満たされているのだろう。っ られてシルヴィまで徴笑んでしまう。 「ロ、イユは、その人のことが大好きなんだね」 「うんつ」 臆さず頷く口シ = を、シルヴィはとても好ましく感じた。 自分は今まで、これほど誰かを慕 0 たことがないのだ。育ててくれた祖父のことですら、ソ ルの森に入るまで、思い出すことも稀だった。 「シルヴィ、どうかした ? 」 黙り込んでしま「たシルヴィの顔を、ロシが不思議そうにのぞき込む。 「いや、 0 シの話を聞いてたら、またじ 0 ちゃんに会いたくな 0 ちゃ 0 て。俺は捨て子だ「 らち ヒたから、育ての、なんだけどさ : : : 」 先程、竪琴職人の工房前で見かけた人物がじ 0 ちゃんだ 0 たらーーなどと、埒もないことを 考えてしまう。 「会いに行けばいいんだよ。こ「ちが会いたい「て思うと、相手も大概そう思 0 ててくれるも まれ たいがい
突然すぎる再会に、シルヴィの心臓がドクドクと激しく脈打 0 た。ヴィラ 0 ーザ抜きに彼と 真向かうことになろうとは、夢にも思っていなかったのだ。 「そう不思議そうな表情をするな。俺とて、お前たちが二手に分かれたとき、一瞬だけ迷 0 た のさ。どちらを追うべきか」 どちらを殺すべきか 「なぜ : 「なぜ、だと ? この俺を傷つけたお前を、黙 0 て見逃すとでも思 0 たのか」 やけどあと ( ーディは、左の半顔を隠す髪をサラリとかき揚げた。こめかみから頬にかけての、無残な 火傷跡があらわになる。 シルヴィは一瞬、痛ましげに顔を歪めたが、それでも思うところがあ 0 て口を開いた。 「違う、ね。それは、言い訳だ」 まゆ ( ーディが不快げに眉をひそめる。シルヴィは構わずに続けた。 「あんたは、俺がヴィラの横にいるのが許せないんだ。いや、ヴィラを苦しめたいのかな」 「 : : : 黙れ」 「自分が何もかも失 0 たから 0 て、ヴィラも同じ目に遭わせようと」 「黙れと言っている」 きたな 「やり口が汚いよ。一度死んだとき、プライドまで捨てたのかよ 0 」 ゆが
「あの暗闇から、呼び戻してくれたのはお前だったんだな。優しくて、力強い声だった。ここ に戻って来い、って」 シルヴィのことを、ずっと頼りない奴だと思っていた。 それまで、弱い男になどまるで興味がなかったのに、シルヴィのことは不思議なほど気に掛 かった。放っておけなくて、思わず守って : そう、シルヴィを守っているつもりだったのに、いつの間にか自分のほうが守られ、支えら れていたのだ。気がつくと、シルヴィを捜している自分がいる。 「いつの間に、わたしはこんなに弱くなってしまったんだろう。お前がいないとダメなんだ。 ひとりでは泣くことすらできない。あのときも・・ーー」 とびいろ あふ ヴィラローザはゆるゆると顔を上げた。その鳶色の瞳には、今にも溢れそうなほど一杯に涙 がたまっている。シルヴィの初めて見る、ヴィラローザの泣き顔だった。 「ハーディを、この手で殺してしまった : : : 」 なきがら のうり シルヴィの脳裏に、魂の見た光景がよみがえる。ハーディの亡骸のそばに立ち尽くし、泣く 化ことができないほど傷ついていたヴィ一フローザ。あれもまた、現実の光景だったのだ。 自分はいつもこうだ。ヴィラローザを傷つける、すべてのものから彼女を守ってやりたいの かんじん 浄 に、肝心なときにそばにいない。 を詰まらせるヴィラローザを、シルヴィはやさしく抱き寄せた。
211 浄化 行く魂を止められぬ」 「だい、じよ・ : ぶ : 身体は死んでも、心は : ・ずっと、そばにいるから。ひとりには : : : し ない・ : よ : : : 」 こどくふち 魔王として生きるしか、自分の存在を見いだせなかったエメリア。深い孤独の淵から救われ ることを願って、苦しみ嘆いていた魂の存在に、ロシュはずっと気づいていた。 だからこそ、下僕でも養い子でもなくひとりの人間として、エメリアを心から愛しいと思っ たのだ。そして、これからも 。おいらの、エメリア : : : 」 「愛してるよ : ・ずっと : さいご 最期に徴笑んだような笑みを残し、ロシュは琥珀色の瞳を閉じた。 ロシュ ? 」 エメリアが呼びかけたそのとき、ロシュの身体を取り巻くように起こった優しい風が、ふわ りと空に吹き上げた。それは、身体から離れた風使いの魂。 しかし、エメリアは認めまいというように、ロシュの身体を揺さぶり続けた。 「これ、ロシュ、目を開けぬか。死んではならぬ。命令じゃ。妾を置いていくでないっ ! 」 しずく ボタリと、血の気を失ったロシュの頬に滴が落ちる。エメリアは動きを止め、不思議なもの を見る思いで、月明かりに照らされた、その滴を指ですくった。 しもべ こはくいろ いと